義経伝説と遍路道
四国霊場、18番恩山寺より19番立江寺までの遍路道に「弦張坂、弦巻坂」をお遍路さんは歩いてくる。
お遍路さんは何かわからないうちに通りすぎて来ているみたいだ、18番恩山寺の遍路道は義経が平家軍を追って、今の大阪、摂津、渡辺の浜を船出した義経主従が、翌日の明け方ごろに到着した地点であると記してある。
この地で義経主従が軍勢を勢揃いしたことに因む地名であると古くから伝えられている「勢合」と呼ばれている、勢合から恩山寺に至るまでの間にある「弦張坂、弦巻坂」は、義経主従が敵勢を警戒して弓に弦を張ったところ、また、敵勢の姿がみえないため安心して弦を緩めたところと伝えられている。
四国遍路道はその時代、その世の中の歴史を物語っているように思う。
立江川の鮒より
四国霊場、18番恩山寺より19番立江寺までの遍路道に「弦張坂、弦巻坂」をお遍路さんは歩いてくる。
お遍路さんは何かわからないうちに通りすぎて来ているみたいだ、18番恩山寺の遍路道は義経が平家軍を追って、今の大阪、摂津、渡辺の浜を船出した義経主従が、翌日の明け方ごろに到着した地点であると記してある。
この地で義経主従が軍勢を勢揃いしたことに因む地名であると古くから伝えられている「勢合」と呼ばれている、勢合から恩山寺に至るまでの間にある「弦張坂、弦巻坂」は、義経主従が敵勢を警戒して弓に弦を張ったところ、また、敵勢の姿がみえないため安心して弦を緩めたところと伝えられている。
四国遍路道はその時代、その世の中の歴史を物語っているように思う。
立江川の鮒より
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