monologue
夜明けに向けて
 



深海から泡が立ち昇る、世界を抱く貝は真珠の夢から覚めた様だ
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ホワイトブラザーのひのもと国での修行とはまず欠落していた原子力や核関連の知識を核、原発博士を演じられるほどに書物で深めること。それから首の骨を損傷して世界的規模の音楽フェスティバルに出場することだった。そして次の修行として1991年11月20日、風呂場での脳出血。修行とはいえ運び込まれた東川口病院での藤原医師とその仲間の医師らによる緊急開頭手術はハードだった。死なない程度のぎりぎりまでいった。手術の翌日、わたしのベッドサイドにやってきた担当看護師がわたしの頭や足の術後大げさなように見える保護ガーゼ包帯などなどの状態を見てどうしたのかと尋ねるので、脳内出血で藤原先生に執刀してもらって右脚の太腿に切り取った頭の骨を埋めてもらいました、と答えると、それは大変でしたねというので、いや右脚が少し賢くなったようです、と答えた。笑っている間もなく、次から次に来る看護師やヘルパーたちに同じようなやりとりをしていると、やがてパタパタと草履の音がして藤原先生がやってきた。家がそばなので病院を庭のようにして気になることがあるとすぐ草履をひっかけてくる。患者や職員はパタパタと歩く音がすると藤原先生の回診だとわかるというのだ。藤原医師はわたしの頭と脚の状態を細かくチェックしてまずまずとひとまず安心したようだった。丸く切った頭骨を埋めた右脚の調子はどうかというので脳の力が移って心なしか賢くなって良かったです、と答えると冗談がいえるぐらいならよかった。このまま順調にゆけば一ケ月後のクリスマスの日に嵌めこめそうだとうれしそうに言ってくれた。わたしは、そうか、なるほどクリスマスか、となんとなく思った。
fumio

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