monologue
夜明けに向けて
 





「雨降りお月さん」

作詞 野口雨情  作曲 中山晋平

1) 雨降りお月さん雲の蔭
お嫁にゆくときゃ誰とゆく
ひとりで傘(からかさ)さしてゆく
傘ないときゃ誰とゆく
シャラ シャラシャン シャン
鈴つけたお馬にゆられて濡れてゆく

2) いそがにゃお馬よ夜が明ける
手綱の下からちょいと見たりゃ
お袖でお顔を隠してる
お袖は濡れても干しゃ乾く
雨降りお月さん雲の蔭
お馬にゆられて濡れてゆく

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野口雨情は、雨降りで「フル」というニギハヤヒの幼名を、雲では「出雲」を、「ゆられて」は「ひふみゆらゆら」を暗示している。
具体的には、古代、日向の女王、卑弥呼(ヒミコ)には天忍穂耳、天穂日、天津日子根、活津日子根、熊野楠日の五人の男の子がいて 末子相続人の熊野楠日と玉依姫のもうけた末子相続人が磐余彦(イワレヒコ)であった。 一方、ヒミコと政略結婚した出雲出身の素戔嗚(スサノオ)の相続人饒速日(ニギハヤヒ)には御歳(伊須気依姫)という末娘相続人があった。 そこで大和、日向の団結が図られ、西暦二四一年二月十一日、奈良県桜井市三輪の地で、大和、日向の団結のため、大和の後継者御歳(みとし)が、養子として日向から磐余彦(イワレヒコ)を迎えた。その日が日本建国の日なのである。この歌のお袖でお顔を隠してる「お嫁」は初代皇后、御歳であり、この歌は日向の神武天皇(磐余彦)と大和の御歳(みとし)の結婚を扱った童謡だったのである。
御歳(みとし)は伊須気依姫、あるいは高照姫と呼ばれ、『記紀』では比売多多良伊須気余理比賣(ひめたたらいすけよりひめ)、媛蹈鞴五十鈴媛(ひめたたらいすずひめ)、などと表記され、母「御炊屋(みかしぎや)媛」から「「御」をもらい父、大歳(ニギハヤヒ)から「歳」という文字をもらった。
「シャラ シャラシャン シャン鈴つけた」という詞は、かの女が「五十鈴媛」であることを示唆している。有名な「タタラ」を詞に盛り込むのはかなりてこずったらしいが「ミタラ」として「見たりゃ」という言い回しでお茶を濁したようだ。
fumio

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