本当の「あしたのジョー」ジョー山中(山中明)が向こうに逝ってしまった。
ジョー山中はジャマイカ系アメリカ人の父と日本人の母とのハーフとして生まれた。幼い頃の母の死後16歳まで養護施設を転々とした。
その後プロボクサーになったりグループサウンドバンド、「491フォー・ナイン・エース」を結成したが売れず内田裕也の「フラワー・トラベリング・バンド」に参加し世界ツアーに出た。
わたしは70年代中ごろ、東京キッドブラザースという和製ロックミュージカル集団の京都公演でジョーの歌を聴いて驚愕した。日本にこんなに高い声の出せるロック歌手がいるのかと。
1976年11月にわたしは米国留学して、SFとしてアルバムを作ることになる中島茂男とクラブのミュージシャンンとして働いているころ、宮下富実夫の家に中島は居候していたのだが、「人間の証明」の成功後の大麻事件のあとロサンジェルスでしばらく住むことにしたジョー山中も家が見つかるまでそこに寝泊りしていた。
ジョー山中本人が自分が「あしたのジョー」のモデルだといっても周りはあまり信じなかった。けれどもわたしは原作者、高森朝雄はジョー山中の来歴、風貌、エピソードなどをもとにしてあの大ヒットマンガを練り上げたものと信じている。
fumio
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