平成24年7月19日
極貧だった私の生家は、当然汲み取り和式便所で小さい頃は古新聞をペーパー代わりに使用していたほどでした。それが今では我家のトイレはウォシュレットに変り、便利な時代になったものだと思います。それゆえ困った事態も生じました。以前は平気だった山小屋の汚い便所や野糞(下品で失礼)に、現代文明に馴染んだ身体が拒否反応を示すようになりました。私の野生力が低下しているようで、山男としては由々しき問題です。ところで便利と言えば、先日岳友I さんの車に乗せてもらった時、装備されていたカーナビの便利さには感心させられました。「50m先の交差点を左に曲ってください。あと3キロは道成りです。」という風に優しい女性の声で懇切丁寧に導いてくれます。道を間違えても、不機嫌にも不貞腐れもせず(誰かにちょっと見習ってほしいよ。)再び次善のルートを優しく教えてくれます。私の場合、今までカーナビを使った事が無く、ドライブはロードマップと道路標識と私の地理カンだけが頼りなので、しばしばルートを間違えています。しかしこの方法だから、体験に基づく地理情報と地理カンが私の大脳皮質に刻まれているような気がするのです。脳の活性化を促す為にも、今後もカーナビは使う気持ちはありません。だから今回購入した車にも装備していません。この私の深慮なる思いを、妻は「単にケチだから買わない。」と思い込んでいるのが勺なのですが、