昭和58年4月30日(土)~5日(木)
当時所属していた山岳会の5月山行で、残雪の朝日連峰を縦走しようという計画が決まった。私が担当リーダーとなり私を含め女性4名、男性3名の仲間が参加する事になった。
この頃は新幹線など無かったから上野発の夜行列車で出発して、山形県鶴岡駅から朝一番のバスで以東岳登山口へのバスに乗り、泡滝ダム辺りで下車して歩き始めたと思う。
出発地点で
歩き始めた頃、猟師達のトラックと遭遇した。荷台には仕留められた数頭の熊が横たわっており、猟師から「山の上には熊が一杯いるよ。」と冗談半分に脅された。
林道から残雪の詰まった道無き沢を詰めて茶畑山の稜線を目指した。会の共同装備品である8人用の重いエスパーステントを私が担いでいたので、稜線に達するまでの登りが本当にきつかった。
道無き沢を登って行く。
背中のザックが重かった。
初日は茶畑山の手前の広々とした誰も居ない雪原にテントを張ったが、テントの夕餉では、「もし熊に襲われたら逃げ遅れた者が犠牲になろう。」何て冗談もでたが、用足しでテントから離れた時は先刻の猟師の言葉が思い出され何となく不気味であった。
茶畑山手前の幕営地点
2日目は茶畑山~戸立山と残雪を拾うように進んで行く。霧の一日で視界は無く、所々で残雪が途切れるとヤブ漕ぎで苦労したが、大きな支障も無くお昼頃には以東岳(1771m)の山頂に達したはずだ。霧に覆われた山頂からの展望は得られなかった。以東岳から先は、ハッキリした登山道もあり行き交う登山者も多かったので、楽な気分で狐穴小屋まで歩いて幕営した。
以東岳へ向け粛々と登る。
雪庇の縁を進む。(場所不明)
霧の中の以東岳山頂
身も凍るように寒かったが、3日目の朝は素晴らしい好天で迎えた。寒江山~竜門山と続く残雪の朝日連峰主脈縦走路は気分も爽快で、休まず歩いたものだから女性リーダーのS子さんから、「もう少し休憩を取ってよ。」と文句を言われたりもした。
寒江山山頂?
寒江山付近から大朝日岳方面
寒江山から以東岳方面
主脈縦走路(相模山方面)
同上(場所不明)
竜門岳から寒江山方面?
西朝日岳
朝日連峰の最高峰、大朝日岳(1871m)に達して来た道を振返ると、以東岳が遥か遠くに望め、あそこから歩いて来たのかと感無量であった。大朝日岳から小朝日岳を経由して、根子川沿いに建つ日暮沢小屋まで降って三日目の夜を迎えた。
大朝日岳
大朝日岳山頂
山頂から祝瓶山方面
山頂から以東岳方面
山頂から小朝日岳方面
日暮沢小屋からは車道が通じており、後は車道を伝って大井沢のバス停まで歩くだけなので、4日目の朝はノンビリ朝寝坊してテントを乾かした後に出発した。
日暮沢小屋での朝
大井沢集落へ向かう道沿いにはザゼンソウや水芭蕉の群落が点在し、尾瀬の水芭蕉より見応えがあった。大井沢集落には早い時間に到着したが、このまま仲間と別れるのが惜しくて、用事があるというOさんを除き全員が大井沢の旅館に泊まる事になった。
水芭蕉の群落
まずは汗臭い身体を身綺麗にし、その夜は登山の成功を祝して大盛上りの宴会となった。この時の山行は今想い返しても実に楽しく痛快で、私の登山人生の中でも最も思い出深いものの一つである。一緒に歩いたメンバーの内、岩登りのエキスパートだったOさんと、女性リーダーだったS子さんのお二人はあの世へ旅立たれてしまったが、写真を見るとあの時の仲間全員に改めて感謝の思いが募る。
追信・・・・この山行で百名山の一つ大朝日岳も登っているが、それは後日改めて記載します。
茶畑山。前に、登ったことを教えて頂きましたね。
主脈縦走路(場所不明)
お節介かもしれませんが、どこから見えるどの山か調べてみます。西朝日岳かなぁ?
主脈縦走路(場所不明)のところに写っている山は相模山で間違いないと思います。