先日、テレビで
シスターの鈴木秀子さんが話していました。
鈴木さんの本はたくさん出ているので読んだこともあるかもしれません。
そこで言っていたのが、
「聖なる諦め」
私も含めて、多くの方が言っていることですが、
変えられないもの、自分でコントロールできないものに対する
手放し ということです。
ただ意図して、積極的に手放すわけであって
ネガティブな諦めではありません。
私はよく、プロセスだとか、人智を超えた力と表現しています。
宗教ではそれは神であったり、仏かもしれません、
ただ大切で、そして真実は
人生は自分でコントロールできるようなものではないということと、
生まれることも、死ぬことも自分で決めているわけではないということ。
身体を鍛えぬいたアスリートでも癌などで早く亡くなることもあるし、
結婚した直後とか子供が小さくても
突然、死は訪れる
病気も事故も災害も同じ。
もちろん日常の些細なことは自分で決めて、努力もできるだろう。
だが大局的には何もコントロールなどできていない。
何かできているようなことを言う偉そうな、勝ち組のような人は、
一番大切な真実に気づいていない、または無視しているある意味で無知である。
自分でコントロールできているなら、
どうして保険をかけるでしょうか。
どうしてお金持ちも、有名人も同じように被災したり、病気になるでしょうか。
何も世捨て人になったり、何もしても意味がないから、投げやりに生きていいというのではない、
人生の絶対的なルールのなかで、精一杯、自分の生き方をしていくしかない。
カードゲームでも、テレビゲームでも何でもルールに文句を言ってもはじまらない。
いつもいう、
手持ちのカードで勝負するしかないのだと思うのです。
「聖なる諦め」
深い言葉だと思います。
シスターの鈴木秀子さんが話していました。
鈴木さんの本はたくさん出ているので読んだこともあるかもしれません。
そこで言っていたのが、
「聖なる諦め」
私も含めて、多くの方が言っていることですが、
変えられないもの、自分でコントロールできないものに対する
手放し ということです。
ただ意図して、積極的に手放すわけであって
ネガティブな諦めではありません。
私はよく、プロセスだとか、人智を超えた力と表現しています。
宗教ではそれは神であったり、仏かもしれません、
ただ大切で、そして真実は
人生は自分でコントロールできるようなものではないということと、
生まれることも、死ぬことも自分で決めているわけではないということ。
身体を鍛えぬいたアスリートでも癌などで早く亡くなることもあるし、
結婚した直後とか子供が小さくても
突然、死は訪れる
病気も事故も災害も同じ。
もちろん日常の些細なことは自分で決めて、努力もできるだろう。
だが大局的には何もコントロールなどできていない。
何かできているようなことを言う偉そうな、勝ち組のような人は、
一番大切な真実に気づいていない、または無視しているある意味で無知である。
自分でコントロールできているなら、
どうして保険をかけるでしょうか。
どうしてお金持ちも、有名人も同じように被災したり、病気になるでしょうか。
何も世捨て人になったり、何もしても意味がないから、投げやりに生きていいというのではない、
人生の絶対的なルールのなかで、精一杯、自分の生き方をしていくしかない。
カードゲームでも、テレビゲームでも何でもルールに文句を言ってもはじまらない。
いつもいう、
手持ちのカードで勝負するしかないのだと思うのです。
「聖なる諦め」
深い言葉だと思います。