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森瑤子『情事』(集英社文庫)

2018-02-28 | 書評「も」の国内著者
森瑤子『情事』(集英社文庫)

「自分が、若さを奪い取られつつあると感じるようになると、反対に、性愛に対する欲望と飢えが強まっていった。セックスを反吐が出るまでやりぬいてみたいという、剥き出しの欲望から一瞬たりとも心を外らすことができない期間があった」夏の終わり――夕暮が突然輝きを失い、若さへの不安が私を奔放な性に駆りたてる。情事をひたすら追求して、「すばる文学賞」を受賞した話題作。「誘惑」も併載。(文庫案内より)

◎日本のサガン

森瑤子の『望郷』(角川文庫)が、話題になっているようです。この作品は1988年に学習研究社(のち角川文庫)から出版されました。ニッカウヰスキー創業者・竹鶴政孝と、妻リタの人生をモデルに描いた長篇伝記小説です。当時は話題にもなりませんでした。連続テレビ番組の「マッサン」が放映され、眠っていた作品『望郷』にも火かつきました。

森瑤子は1940年生まれで、52歳の若さで亡くなりました。森瑤子は父の仕事の関係で、4歳まで中国で暮らしました。1959年英国人アイヴァン・ブラッキー氏と結婚し、3女児に恵まれます。やがて子育てや家事に追われながら、なにかをしなければならない、との焦りを抱きはじめます。そんなとき、池田満寿夫『エーゲ海に捧ぐ』(芥川賞、中公文庫)に刺激されて、作品を書きはじめたのです。

デビュー作『情事』(集英社文庫)は、37歳のときの作品です。この作品ですばる文学賞を受賞しました。森瑤子の作品は文章力を含めて、同世代の現代作家のなかでは抜きん出ています。特に『情事』は完成度が高く、森瑤子を代表する作品です。
 
 森瑤子の初期作品は、多くの読者に受けいれられました。森瑤子の硬質な文章からは、音楽が聞こえるといわれました。森瑤子は短い生涯で、100ほどの著作を世に送りだしています。また日本橋高島屋に「森瑤子コレクション」という、ギフトショップを開くなど文壇以外でも活躍しました。
 
 森瑤子は版画家の池田満寿夫が芥川賞を受賞したとき、文学を勉強していない自分でも書けるかもしれないと思いました。それから2週間で、『情事』を仕あげたのです。森瑤子が自作『誘惑』(集英社文庫『情事』に所収)以降で描いた世界は、若者のトレンドになったほどです。ものがたりの舞台、宝石、香水などの小道具や会話までが、若者社会に浸透していきました。
 
 森瑤子は「日本のサガン」ともいわれていましたが、それに最も喜んだのは本人でした。『悲しみよこんにちは』を読んで、私にはこんな世界は描けない、とショックを受けてから20年。森瑤子はみごとに、サガンに近づいたのです。
 
◎「情交」「肉交」から約100年

『情事』にかんする、おもしろい対談があります。「小説を書くエネルギー」というタイトルで、森瑤子は辻仁成と対談(「すばる」1991年12月臨時増刊号)しています。一部紹介させていただきます。

(引用はじめ)
辻(『情事』は実話ですか、との質問につづけて)「なぜ聞いたかというと、小説って、一番最初の作品は、自分のそれまで生きてきた歴史の中で、どこかでかかわっている体験がヒントになるような気がするんですね」
森「もちろんそうです。どこかで体験のない感情は、いくら想像力を働かせても書けない。でもエピソードというものは、想像力である程度書ける。主人公が感じる老いていく不安とか、日常の中のどうしようもない欠落感は、やはり紛れようもなく自分のものでなかったら書けない、ということはあるでしょうね」
(中略)
森「書くべきテーマというのは血の中に、もうどうしようもなく初めから流れている、という気はしますね。私は佐藤春夫さんの『小説というのは根も葉もあるうそである』という言葉だと思う。(引用おわり)

 この対談のなかで森瑤子は、「小説のなかのうそと真実を一番わかっているのは彼」であると書いています。1978年に発表された森瑤子『情事』は、女流作家に新しい道を拓きました。ときどき「不道徳な小説」とヤユする人がいましたが、「心」と「体」を真正面から見つめる作品の、パイオニアが森瑤子だったのです。

 十川信介『近代日本文学案内』(岩波文庫別冊)を読んでいたとき、福沢諭吉『男女交際論』(1886年、明治19年)あたりまでは、「心」と「体」をそれぞれ「情交」「肉交」と区分していた、との記述がありました。読んでみました。

――男女交際法の尚お未熟なる時代には、両性の間、単に肉交あるを知て情交あるを知らず、例えば今の浮世男子が芸妓などを弄ぶが如き、自から男女の交際とは言いながら、其調子の極めて卑陋にして醜猥無礼なるは、気品高き情交の区域を去ること遠し。(福沢諭吉『新女大学』青空文庫より)

堀辰雄が「情交」だけの『風立ちぬ』(新潮文庫)を発表したのは、1938(昭和13)年でした。福沢諭吉、堀辰雄を経て約100年。「情交」も「肉交」も死語になってしまいました。
 
◎シズル効果
 
 あまり一般的ではないかもしれませんが、広告業界には「シズル効果」という言葉があります。肉を焼いたり、揚げ物の料理などの「ジュージュー」という音を、英語の擬音語では「シズル」といいます。森瑤子は『情事』を執筆するにあたり、そのことを意識していました。

『情事』が書かれたのと、女性誌「モア」が創刊したときは重なります。「モア」はセックスを後ろ暗いものではなく、カラッとした感じで特集しました。森瑤子は「ああいうものをカラッと読める人をターゲットとしよう」ときめたのです。それが大あたりでした。

 スーパーなどで、実演販売をしている場面をよく見かけます。フライパンから煙と匂いが立ちあがり、肉が食べたくなります。森瑤子は徹底して、読者のターゲティングを実施しました。現代文学ではあたりまえになっている、「シズル効果」に先鞭をつけたのは、森瑤子だったと思います。

 書店にあふれかえる「マッサン」関連本のなかに、森瑤子『望郷』がならべられています。北海道余市ニッカ工場も、見学者であふれかえっていることでしょう。雑踏と人いきれのなかから、森瑤子の苦笑が聞こえてきました。『情事』はいまなお新しい、「情交」と「肉交」が融合したすばらしい作品です。『望郷』のあとでもかまいませんので、ぜひお読みください。

◎あとづけ(2014.12.30)

 古書店で偶然みつけた1冊で、新たな森瑤子の世界がみえました。娘であるマリア・ブラッキンが書いた『小さな貝殻』(新潮文庫)を読みました。副題として「母・森瑤子と私」と小さくあります。『情事』について書かれたこんな記述があります。 

――母がノートに書き終えた『情事』はミスター(補:母の男ともだち)の手にわたった。それは彼への最後の手紙でもあった。彼はそのストーリーと彼女のスタイルに心を打たれ、すぐに出版社へ持って行くよう勧め、彼女はおずおずとながらもそれを持って集英社へと足をはこんだ。/一九七八年、『情事』は第二回すばる文学賞を受賞した。母にとってそれは思わぬ出来事だった。しかし彼女はその時、自分の運命の道が開かれたことを確信をもって実感した。(本文P107より)

 娘マリアが森瑤子の遺したノートを読んでいる場面には、胸が熱くなりました。 
(山本藤光:2009.12.22初稿、2018.02.28改稿)

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