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著書「仕事と日常を磨く人間力マネジメント」の読書ナビ

150:警官への復讐

2019-09-30 | 小説「町おこしの賦」
150:警官への復讐
 宮瀬幸史郎は、大学生活を謳歌していた。ただし教養課程の授業は、高校時代の延長のようなもので退屈だった。幸史郎は時々授業をさぼって、ジャズ喫茶にたむろするようになった。
 午前の授業を終えて、学食で焼き魚定食を食べていた。目の前に、影が動いた。見上げると、友永貞雄だった。彼は天ぷらそばとおにぎりの乗ったトレイを、テーブルに置いた。
「寮の飯の方が、だんぜんうまい。ここは味つけが薄過ぎる」
 幸史郎は空いた皿を、箸で叩きながらいった。
「おれの兄貴もひぐま寮を出たんだけど、飯はうまいってほめていた」

 学食は、急に賑わいはじめた。大きな教室の授業が、終わったのだろう。友永の声が低くなる。
「ところで佐々木が痴漢の疑いで、派出所に連行された事件を聞いているかい?」
「いや、初耳だ」
「家庭教師の帰りに森林公園を通っていたら、いきなり若いおまわりにつかまったそうだ。もちろん彼は無罪だ。それがしつこいおまわりで、まるで犯人扱いされたそうだ。佐々木は、復讐してやると息巻いている」
「そりゃあ、頭にくるわな」
「それで今度の日曜日に、復讐を決行することになった」

 日曜日の夕方。野幌森林公園は、散策するカップルや家族で満ちあふれていた。幸史郎、塚本、佐々木、友永のひぐま寮一年生は、さっきから時計をのぞきこみ、前方に視線を走らせている。遠くに、自転車が見えた。「きた」と佐々木が叫んだ。近づいてきた自転車を見て、佐々木は「あいつだ」といった。
 四人はホールドアップする姿勢で、自転車の前を走った。後ろから「待て、きみたち」と叫ぶ声が聞こえる。かまわずに四人は、同じ格好で走る。自転車が前に回りこんできて、若い警官は両手を広げて立ちふさがった。自転車は、大きな音を立てて倒れた。
警官は「それを下ろせ」といってから、佐々木を認めて「おまえも一緒か」と吐き捨てた。

 周りに、人垣ができた。警官は威嚇(いかく)するような、大きな声でいった。
「泥棒やろうたち、公共のものを盗むとは何たることだ。元の場所に返してこい」
 佐々木は前に一歩踏み出し、「この前は痴漢で、今度は泥棒だと。おい、おまわり。おれたちが、泥棒だというのか」とにらみつけた。
「がたがたほざくな。現行犯で逮捕してやる」

 真っ赤になった警官は、腰の手錠に手をかけた。四人は頭上にあるベンチを、地面に下ろした。そして裏側を、警官の目にさらした。そこには「ひぐま寮」と墨書してあった。勝誇ったかのように、佐々木は吐き捨てた。
「自分たちのものを、持って歩いてどこが悪いんだ。間違いでしたって、ちゃんと謝れよ」
 目を白黒させて、警官は小さな声で「ごめん」といった。人垣から笑い声が起こった。警官は小首を傾げ、倒れている自転車を起こして舌打ちをした。


087:指導の連続性

2019-09-30 | 新・営業リーダーのための「めんどうかい」
087:指導の連続性
――第6章:威力ある同行
繰り返しになりますが、大切なポイントですので再度詳述いたします。営業リーダーの同行で最も大切なことは、「指導の連続性」です。指導の連続性とは、前回と今回がつながっているということです。ゴールが明確に設定されており、「同行」がそこへと向かっているということなのです。

 ゴールを合意しての同行は、思いつきとは明らかに異なります。何のために「同行」しているのかが、はっきりとしているのですから、双方が真剣になります。

「わずか1週間でギターが弾ける」という本があったとしましょう。ゴールは「禁じられた遊び」が弾けるようになることとします。第1日目は、弦の調音を学びます。次は和音を弾く、などとステップアップさせるわけです。「指導の連続性」は、このイメージで実施します。上司が現場で、営業担当者をステップアップさせるのです。

 レベルアップのゴールについては、上司と部下があらかじめ話し合って合意しています。「同行でもしようか」なる人には、この部分が欠落しています。だから、成果が上がらないわけです。
 
 指導の連続性とは、定期的という意味ではありません。ゴールさえ明確なら、不定期でも構いません。マラソンコースには、5キロごとに標識があります。あれがなければ、ランナーたちはペース配分ができません。

「おまえは、ぜんぜん顧客ニーズを把握していない」と叱責されても、営業担当者はどうしたらいいのかわかりません。

「顧客ニーズを探る」ゴールは、顧客から直接最大の関心事を引き出すこと。このようにゴールが明確になっていれば、現状とのギャップが理解されます。

◎ショートストーリー

「指導の連続性」のある会話を紹介します。このケースは、営業担当者の活動をレベルアップするのが目的の同行です。

上司「前回の同行では、顧客ニーズを探るために、積極的に質問を投げかけるのが、きみのワンランク上の活動だったよな。今日はそれができるようになったかを、確認させてもらうよ」
部下「見極めですか、緊張します」
上司「自然体でやればいいよ」

(顧客面談後)
上司「ちゃんとできているじゃないか。すごい成長だよ。これで4点の顧客ニーズを探る活動は合格だ」
部下「ありがとうございます」
上司「ではきみが考える、5点満点の顧客ニーズを探る活動って何だ?」

 営業リーダーは、部下ごとの「同行ノート」を持っています。前回指示したことや合意したことは、ノートに記録されています。ノートの存在がなければ、「指導の連続性」は生まれません。

※ 「指導の連続性」は、年頭に上司と部下が話し合い、ゴールを設定することが基本です。これを怠っていたら、前回と今回がつながりません。「指導の連続性」には、目からウロコが落ちたという受講者が多数おります。

※ 山本藤光『人間系ナレッジマネジメント・営業力をとことん高める』(医薬経済社)では、何度も「対(つい)をつなぐ」という言葉が登場します。対とは、仕事と日常、上司と部下、前回と今回などのことです。

イーガン『シルトの梯子』購入

2019-09-30 | 妙に知(明日)の日記
イーガン『シルトの梯子』購入
■増税前日。酒とタバコを買っておこうと思います。食料品は8%据え置きで、その他は10%。何ともわかりにくい構図です。食品の価格を下げて、すべて10%にしたらよいのに、などと素人考えしてしまいます。おそらく年内は景気が大きく後退してしまうでしょう。■ずっと読んでみたかった、グレッグ・イーガン『シルトの梯子』(ハヤカワ文庫SF)を購入。これも増税前の滑り込み購入です。本日はアマゾンで、高価本を大量に買い求めることになります。
山本藤光2019.09.30

149:みじめなスタート

2019-09-29 | 小説「町おこしの賦」
149:みじめなスタート
 実力診断テストが、返却された。英数国の合計点は百二十七点と、三百点満点の半分にも満たない成績だった。学内順位は二百三十六人中百九十四番目。箱根駅伝の折り返しスタートのように、ライバルたちはすでに、はるか先を走っていた。予想していたこととはいえ、恭二は完璧に打ちひしがれていた。

 とにかく誰にも負けない、努力をすること。ただそれだけを考えた。科目から科目への切り替えのときには、「笑話(しょうわ)の時代」ノートも開いた。高校時代に、ちょっとだけやっていた、笑い話の創作ノートである。コーヒーを飲み終わるまで、恭二は頭に浮かんだ単語に、おかしみが生まれるストーリーを考えた。気分転換には持ってこいのはずなのだが、なかなか笑える話は浮かんでこなかった。

 ふと思いついて、ノートを一枚破り取った。ノートの一番下の欄に、四月・百二十七点・百九十四番と書いた。毎月数字を積み上げていくつもりだった。どん底だよな、と恭二は思う。そしてどん底って、これ以上落ちないところだとも思う。

 参考書を開く。一月から十二月までを、旧月名で書きなさいとある。睦月、如月、弥生、卯月、五月と空欄を埋める。六月がわからない。覚え方のヒントが、掲載されていた。「むきやうさみふみはながしし」とあった。旧月名の頭を、連ねたものである。
恭二は「み」を考える。水無月という単語が、浮かんだ。あとはスラスラできた。
 この暗記方法は、自分に最も適していると思った。それからは難解なものはすべて、この方法で頭に叩きこむことにした。

 翌朝は六時に、目覚まし時計をセットした。英単語も難しいものは、ストーリーとして覚えた。床についてからも、頭のなかでは英単語が浮遊していた。全科目が情けない点数だったが、特に英語はひどかった。単語がわからないので、長文問題はまったく手がつけられなかった。
 英単語帳と格闘する、毎日が続いた。わからない単語にはラインマーカーを塗り、小さな文字でストーリーを添え続けた。たとえばこんな具合にやるのである。穴をホールhole。

086:2つの見極め

2019-09-29 | 新・営業リーダーのための「めんどうかい」
086:2つの見極め
――第6章:威力ある同行
◎ショートストーリー
データベースのコンピタンシーモデルは、多くの企業に存在しています。ただし大いに活用されているという話はあまり耳にしません。私が開発した「身の丈コンピタンシーモデル」との違いを紹介します。

① データベースのコンピタンシーモデルを活用する

上司「コンピタンシーモデルには、『顧客ニーズを探る活動:常にアンテナを高くし、顧客の言動から速やかに、顧客のニーズを探ることができる』と書いてある。きみの顧客ニーズを探る現状の活動は、5点満点で何点くらいだろう?」
部下「まだピンとこない場合もありますから、3点くらいだと思います」
上司「ではコンピタンシーモデルに、少しでも近づくようにがんばってくれ」

②身の丈コンピタンシーを活用する

上司「きみの『顧客ニーズを探る活動』って、5点満点で何点くらいだろう?」
部下「平均的だと思いますので、3点くらいだと思います」
上司「では、きみの考えるもうワンランク上の『顧客ニーズを探る活動』って、どんなものだ?」
部下「……(考え込んでいる)」

◎考えてみましょう

 2つの質問のどちらが、営業担当者のレベルアップにつながるのか。考えてみましょう。

 ①は多くの企業が導入している「コンピタンシーモデル」です。営業担当者の理想的な活動を、具体的に記載されています。ところが要求レベルが高過ぎて、平均的な営業担当者は使いこなせないのが現実です。

 ②は営業担当者自身に、ワンランク上の活動を考えさせる「身の丈コンピタンシー」です。2つの違いは歴然としています。

 営業リーダーの大切なスキルは、「考えさせる」「聞き取る」です。営業担当者が自ら考えたワンランク上の活動は、本人が責任を持って到達できるように努力をします。

営業担当者の活動リストのなかから、1つか2つを選んでレベルアップを図るのがポイントです。1度にたくさんのゴールを設定しないこと。たくさんのゴールを設定してしまうと、目標が散漫になってしまいます。

「身の丈コンピタンシー」については、後章で詳しく説明がなされています。部下にワンランク上の活動を可視化させることは、きわめて重要なことです。

『元気が出る言葉366日』がいい

2019-09-29 | 妙に知(明日)の日記
『元気が出る言葉366日』がいい
■もう奇跡とはいわせない。ラクビーワールドカップ2戦目で、日本は世界ランク2位のアイルランドを撃破しました。4年前に南アフリカに勝利したとき、世紀の大番狂わせと絶叫されたことを受けての、アナウンサーの言葉です。まだ感動の余韻があります。■『元気が出る言葉366日』(西東社)は2016年発行のソフトカバーです。オールカラーなのに、880円+税と安価なのも魅力です。毎朝少しずつ読んでいました。ついに昨朝、完読しました。お勧めの一冊です。
山本藤光2019.09.29

148:入寮式

2019-09-28 | 小説「町おこしの賦」
148:入寮式
 ひぐま寮の入寮式は、在寮生が主体で運営されていた。新寮生十四人を上座に置き、在寮生はそれと向き合う形で着席している。寮務委員長の富樫は、よく通る声で歓迎のあいさつをした。
「今日からみなさんは、兄弟です。ひぐま寮は寮生の手で、自主運営されています。みなさんに求められていることは、規律を守りしっかりと勉強することです」
 液体の入った、紙コップが回ってきた。幸史郎は匂いで、酒だとわかった。
「新寮生の前途を祝って、カンパイ」
 乾杯がすむと、新寮生は自己紹介を求められた。幸史郎の番がきた。
「標茶高校出身。札幌学院大学文学部の宮瀬幸史郎です。貧乏だったので中学を出てすぐに、土木作業員として四年間働きました。だからおっさんの新人ですが、よろしくお願いします」
どよめきと、拍手が交錯した。新寮生は、全道各地からきていた。幸史郎と同じ、札学生は三人いた。自己紹介が終り、宴会となった。一升瓶を抱えた先輩は、次々にお酌にやってきた。幸史郎は飲んだ振りをして、少量だけついてもらった。

お開きになったとき、幸史郎は塚本輝正から声をかけられた。
「ぼくの部屋で、少し話しませんか。富良野ワインを、持ってきたんです」
 塚本は富良野高校出身で、酪農学園大だと自己紹介している。二百十二号室に入ると、先客がいた。塚本が紹介してくれた。
「おれたちは、二日前に入寮したんです。彼は帯広出身、教育大の佐々木くん。こっちは函館出身、札学大の友永くんです」
 二人はそろって、頭を下げた。幸史郎は色あせたじゅうたんに座って、紙コップを受け取った。
「宮瀬さんのあいさつで、ガツンとやられました。中学を出て、四年間も働いていたんですね」
 佐々木は真っ赤な顔で、幸史郎にいった。
「同級生なんだから、呼び捨てでいいよ」
 幸史郎はそうたしなめて、注がれた赤ワインを飲んだ。いよいよ大学生活がはじまる。夢のような新生活は、養子に迎えてくれた父・宮瀬哲伸と母・昭子からの贈り物だった。幸史郎は心のなかで、両親に感謝を捧げる。

「ひぐま寮はね、ぼくたちの寮費と卒業生の寄付だけで、運営されているんだ。先輩たちは金を出すけど、口は出さない。入寮式にも卒寮式にも、誰もこない。完全におれたちに、任せ放しにしている」
 友永は寮の概要を、熱っぽく語った。
「その伝統が四十年も続いているんだから、すごいことだ」
 塚本はあぐらを組み替えて、しみじみといった。おれたちの寮費は、たかがしれている。幸史郎は頭のなかで、素早くそろばんを弾いた。
「ということは、ほとんどが寄付でまかなわれているってことか?」
「そう。うちの兄貴は、ここでお世話になったんだけど、ボーナスの五パーセントを寄付する慣習になっているようだ」
 友永の言葉が、身にしみた。性善説だけで、成り立っている世界がある。「ひぐま寮」の善意のバトンリレーの走者として、おれは選ばれた。幸史郎の心に、熱いものがたぎった。

085:元気の「出る「同行」

2019-09-28 | 新・営業リーダーのための「めんどうかい」
085:元気の「出る「同行」
――第6章:威力ある同行
 営業企画部長時代に、営業担当者にアンケートを実施したことがあります。数値は忘れましたが、タイトルは「元気の出る同行とは、どんなものか」でした。圧倒的に多かった回答は「ほめてもらう」であり、その次が「話をよく聞いてくれる」でした。3番目は「仕事の方向性を示してもらう」でした。

 支店長会議で、そのことを伝えました。反応は鈍かったと記憶しています。「ほめてあげるための同行」を、イメージできなかったのでしょう。また、ほめるための素材が、思いあたらなかったのかもしれません。

 営業担当者の多くは、上司からほめてもらいたいと思っています。そして自分の仕事に対して、これでいいのだろうかとの不安を抱いています。営業リーダーが「現場」へと出向かなければ、営業担当者のニーズには応えられません。

「いいね、いまの話法はバッチリだったな」
「ちょっと話法を変えてみないか? 今度のところでは、私が見本を見せてあげる」
 営業担当者は、上司のこのようなセリフを待っているのです。

 ほめるって、簡単なようで難しいものです。SSTプロジェクトでは、ほめるためのツールを準備しました。営業担当者の活動から50項目ほどを抜き出し、最高の活動とは何かを明確にしていました。同行時に、気づいた項目の点数をつけます。たとえば「顧客ニーズを探る」という活動があります。

 最高の「顧客ニーズ」を探る活動(お手本・コンピタンシーモデル)を確認し合い、現状に点数をつけます。営業担当者とSSTメンバーが話し合い、5点満点で現状は3点などと点数化するのです。

 営業担当者の「顧客ニーズを探る」活動に変化が生まれたら、ほめてあげて「4点になったな」といってあげます。単純なツールですし、4点はこれだという物差しはありません。
 
 最高レベルの活動を確認し、現状に評点をつける。このステップを踏めば、ちょっとした成長をほめてあげることが可能になります。私はその体験から、「身の丈コンピタンシー」なるツールを開発し、現在はさまざまな企業に導入しています。詳細については、のちほど説明したいと思います。

「有川ひろ」の初エッセイ集

2019-09-28 | 妙に知(明日)の日記
「有川ひろ」の初エッセイ集
■韓国で『反日種族主義』という学術論文が11万部売れています。これは韓国の「反日」の根源を暴いた書籍です。まだ邦訳はでていません。しかし著者たちの講義動画は閲覧可能です。昨日4本見ました。感動で胸が詰まりました。興味がある方は、「反日種族主義」で動画検索してください。■有川ひろ『倒れるときは前のめり』(角川文庫)は、有川浩の初エッセイ集です。名前が平仮名表記になっていたので、見落としてしまいそうになりました。私は有川浩のエッセイが好きです。
山本藤光2019.09.28

147:入学ガイダンス

2019-09-27 | 小説「町おこしの賦」
147:入学ガイダンス
 予備校は、徒歩十分ほどのところにあった。出かけるときには空っぽだったカバンは、教科書でふくれあがっていた。恭二は中味を机の上に乗せ、時間割を壁に貼った。入学ガイダンス直後に実施された実力診断テストは、さんたんたる結果だった。答案用紙を返してもらわなくても、結果は明白だった。
――英数国の合計で、二百五十点がセンター試験の合格ラインです。
 テストの開始前に、教官がいった言葉が頭から離れない。授業は土日を除き、九時から十六時までとなっていた。恭二は、残りの時間の設計をはじめる。
早めの夕食をすませて、午後六時から十二時までを、勉強することに決めた。朝は六時起床。六時半から八時半までも、勉強と定めた。土日も同じようにこなす。決めごとは紙に書いて、予備校の時間割の下に貼った。

 台所には電熱器しか、備えられていない。ガスは火事の恐れがあるので、禁止されていた。お湯をわかして、インスタントコーヒーを入れた。
もらったばかりの教科書を広げ、明日の授業のページを予習することにした。家から持ってきたラジオを、FMに合わせた。静かだった部屋に、ジャズが流れた。教科書には、カッコばかりが目立った。そこに正しい単語を入れなければ、読みとおすことのできない仕組みになっていた。
 恭二は持参した参考書の助けを借りながら、ひたすらカッコを埋める作業に没頭した。

 それでも時々、詩織の面影が現れる。恭二はそのたびに、失せろと心のなかで切り捨てた。影は確実に、薄まってきているような気がする。
 恭二は、暗記が苦手だった。暇があれば『英単語暗記帳』を開くのだが、昨日脳内に押しこんだはずのものすら思い出せない。重要単語は、ゴジック文字になっている。せめてそれだけは、完全制覇しなければならない。
 開くたびにため息が出る。新しい単語をつめる片っ端から、古いものがこぼれ出てしまっているのである。