山本藤光の文庫で読む500+α

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宇山佳佑『桜のような僕の恋人』(集英社文庫)

2022-01-15 | 書評「う」の国内著者
宇山佳佑『桜のような僕の恋人』(集英社文庫)

美容師の美咲に恋をした晴人。彼女に認めてもらいたい一心で、一度は諦めたカメラマンの夢を再び目指すことに。そんな晴人に美咲も惹かれ、やがて二人は恋人同士になる。しかし、幸せな時間は長くは続かなかった。美咲は、人の何十倍もの早さで年老いる難病を発症してしまったのだった。老婆になっていく姿を晴人にだけは見せたくないと悩む美咲は…。桜のように儚く美しい恋の物語。(「BOOK」データベースより)

◎デビュー作ができるまで

物語の大筋は知っていました。おそらくほとんどの読者も、そうだと思います。主人公の美咲はやがて「人の何十倍もの早さで年老いる難病を発症してしまう」(文庫裏表紙より)のを知って本書を読む場合、興味は奇跡が起きて病は癒やされるのか否かとなります。あるいは最悪の結末を迎え、そこから新たな物語が動き出すのを見届けることになるかもしれません。

病と恋の構図の物語は、枚挙にいとまがありません。堀辰雄『風立ちぬ』(新潮文庫)を筆頭に、昭和では大島みち子・河野実『愛と死をみつめて』(大和書房)がベストセラーになっています。

一方、ちょっと不思議な病を題材にした小説も数多くあります。代表的な作品はキイス『アルジャーノンに花束を』(ダニエル・キイス文庫、小尾芙佐訳)であり、最近ではソン・ウォンビョン『アーモンド』(祥伝社、矢島暁子訳)を高く評価しています。両作品とも、「山本藤光の文庫で読む500+α」で紹介しています。

宇山佳佑(うやま・けいすけ)『桜のようなぼくの恋人』(集英社文庫)は、どうせそれらの作品の二番煎じだろうくらいの気持ちで読み始めました。ところが読み進めるにつれ、不思議な現象に見舞われました。それは主人公の晴人と美咲の、言葉のキャッチボールの妙でした。第一段階は二人の出逢いです。客として入店した晴人は、美容師の美咲に恋をします。ここでは二人の会話はまったく弾まず、悪送球や落球続きのキャッチボールとなっています。

そして第二段階では、ぎこちない二人のやり取りが始まります。清水義範『永遠のジャック&ベティ』(講談社文庫)を彷彿させてくれるような、ちぐはぐさに笑ってしまいました。直球しか投げられない晴人の愛情に、美咲は少しずつ惹かれていきます。この段階の会話は、圧巻でした。あとで知ったのですが、著者は脚本家だったのです。脚本家にとって、良質な会話は命です。

(補)『永遠のジャック&ベティ』
――英語教科書でおなじみのジャックとベティが、50歳で再会したとき、いかなる会話が交されたか? 珍無類の苦い爆笑、知的きわまるバカバカしさで、まったく新しい小説の楽しみを創りあげた奇才の、粒ぞろいの短篇集。ワープロやTVコマーシャル、洋画に時代劇……身近な世界が突然笑いの舞台に!(Amazonより)

宇山佳佑は1983年生まれ。脚本家としてスタートしています。脚本家としてのデビュー作は、2011年に発表された「スイッチガール」という少女マンガが原作でした。その後、映画と出版のコラボ企画「ガールズステップ」で宇山が提案したプロットが採用され、小説の執筆も依頼されるようになりました。(ここまでは「好書好日」2021.7.18のインタビュー記事を参考にしています)

したがって、小説家としてのデビュー作は、『ガールズ・ステップ』(初出2015年、集英社文庫)となります。本書には原作があり、それを小説としてリライトしたものです。つまりこれは、デビュー作とはいえないかもしれません。宇山佳佑の純然たるデビュー作は、『桜のような僕の恋人』(初出2017年)とするべきでしょう。そのあたりについて本人は、次のように語っています。

――初めての小説のテーマは先方からいただいたものでした。そこで次は自分が書きたいものをと、編集者さんに自分からお願いして書かせてもらったのが『桜のような僕の恋人』です。(「好書好日」2021.7.18)

インタビューの続きです。
――この作品のプロットも大学時代に思いついたものだ。いつかかたちにしたいと思っていたものの、駆け出しの脚本家が自ら提案する機会は少ない。そこでずっと引き出しのなかにしまっていた。そんな作品が、59万部を越すベストセラーになった。(「好書好日」2021.7.18)

◎転調へ導く筆運び

第三段階では、美咲が晴人の好意を受けとめます。そして相思相愛の関係となり、ぎこちなかった言葉のキャッチボールに、リズムと敬愛の念が加わります。この転調へ導く筆運びは、一級品です。二人の青春は桜色に彩られていきます。

そして、美咲の病が発覚します。人の何十倍も早く、老化現象が進む病です。ここに至るまでに、著者は何度も小さな伏線を張ります。疲れやすくなった。白髪が生えてきた。しかしストーリーをわしづかみしている読者には、効果がありません。

美咲は日々老化が進行する病に、なすすべもありません。現代医学では対処できない希有な病。兄は必死に奇跡を求め、美咲のために尽くします。美咲の病について、晴人には知らされません。そして美咲から晴人への、決別宣言がなされます。ここまでが浮沈の激しい第三段階です。

第四段階は、晴人の壁打ちキャッチボールになります。詳細には触れません。宇山佳佑は見事に、二人の波乱に満ちたキャッチボールを締めくくってみせます。

最後にちょっとだけ、この作品を読むための予備知識を書いておきます。晴人は美咲に、「自分はカメラマンだ」と嘘をつきます。その嘘は作品全体に小さ影を落とし続けます。その嘘の影は、作品の展開と伴走して薄れていきます。そして消え失せた影は、美咲の死後に濃密になって出現するのです。美咲も決定的な嘘をつきます。

以下は「青春と読書」(集英社情報誌、発行日不明)からの引用です。これは『恋に焦がれたブルー』(集英社)の刊行記念インタビューで、宇山佳佑が語った言葉です。
――僕は、若い登場人物が大人になっていく姿を描くときに、親とか、親以外の大人の助けが必ずあるべきだと思っています。

この言葉を胸にして読むと、晴人の会社の上司や同僚、美咲の兄の振るまいがより鮮明なものになります。そして読者はタイトルに含まれている単語「桜」が、物語に鎮座する場面に出逢うことになります。晴人は死の直前の美咲と……。

あらかじめストーリーを知っていたものの、随所で感心させられた一冊でした。
山本藤光2022.01.15


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