山本藤光の文庫で読む500+α

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コニー・ウィリス『クロストーク』(上下巻、ハヤカワ文庫)

2022-05-15 | 書評「ア行」の海外著者
コニー・ウィリス『クロストーク』(上下巻、ハヤカワ文庫)

画期的な脳外科的手術により、恋人同士が気持ちをダイレクトに伝え合うことが可能になった社会。ボーイフレンドとの愛を深めるため処置を受けたブリディは、とんでもない相手と接続してしまう!? コミュニケーションの未来をテーマにした超常恋愛サスペンス大作。(Amazon内容案内)

◎たぐいまれなる大傑作

最初に著者について、紹介しておきます。コニー・ウィリスは、1945年生まれのアメリカ合衆国の女性SF作家です。1980年代には短編小説の名手といわれていましたが、1990年代からは長編を手がけるようになりました。現在までにヒューゴー賞を11回、ネビュラ賞を7回、ローカス賞を11回受賞しています。(受賞数はWikipedia)

代表作として、『ドゥームズデイ・ブック』『犬は勘定に入れません』『航路』(いずれも上下巻、ハヤカワ文庫、大森望訳)があります。21世紀中盤のオックスフォード大学の歴史研究家たちのタイムトラベルを描いた小説『ドゥームズデイ・ブック』だけは完読できました。しかし他の2作品は、長すぎて頓挫しています。しかし今回紹介する『クロストーク』(上下巻、ハヤカワ文庫、大森望訳)は、たぐいまれなる大傑作でした。

また短編小説集としては、『混沌ホテル・ザ・ベスト・オブ・コニー・ウィリス』(ハヤカワ文庫)がお勧めです。また「SFマガジン」2013年7月号では、コニー・ウィリス特集が組まれており、短編「エミリーの総て」「ナイルに死す」が掲載されています。

『クロストーク』はSFの手法を用い、時代を現代においた、ラブ・アンド・コメディであり、サスペンス小説でもあります。しかも読者の意表をつく、迫力満点の展開でした。この点について、訳者の大森望は、あとがきで次のように書いています。
――ラスト160ページはまさに怒濤の展開。最後は例によって、周到にはりめぐらしてきた伏線が一気に回収され、思いがけない結末へ向かう。

大森望が書いているとおり、コニー・ウィリスは伏線張りの名人です。本書の性格上、ストリーは詳細に書くことはできません。登場人物のセリフに耳を澄ませ、これは伏線かもしれないと注意深くページをくくってください。

若い人は知らないと思います。むかしの有線電話を使用中に、よく「混線している」と舌打ちをしたものです。このように、隣接の回線から話し声が漏れて聞こえることを「クロストーク」といいます。コニー・ウィリス『クロストーク』は、何とも懐かしい死語になった言葉をタイトルとしています。

主人公のブリディは、アップルやサムスンよりもずっと小さな携帯電話会社コムスパンに勤めています。彼女は三人姉妹の真ん中で、年齢は37歳くらい。姉のメアリ・クレアには9歳の利発な娘がいます。クレアは、病的なほど過保護で心配性です。妹のキャスリーンは、出会い系サイトで彼氏を物色中のあっけらかんとした性格です。さらにブリディには口やかましいウーナ伯母さんがいます。

これらのブリディの親族たちは、まるでサイドストーリーのように物語に出入りします。本書を読むにあたっては、これらの出入りを慎重にみきわめてください。彼女たちは、いくつもの伏線を抱えています。

本書について、北上次郎は興奮した筆致で次のように書いています。
――いやあ、素晴らしい。これほど愉しい小説を読むのは久々で、本が届いた日の夜から読み始め、ひたすら読み続けて翌日の夜に読了。ときどき食事などの休憩ははさんだけれど、一気読みとはこのことだ。(「本の雑誌」2019年3月号)

◎絵本作家のような平易な文章

ブリディは前途有望な、ハンサム男トレントと社内恋愛中です。そのことは社内では周知の事実で、プロポース以前に「EED」を受けるか否かが、同僚たちのもっぱらの関心事です。唐突に現れた「EED」という謎の単語に、冒頭から読者は混乱させられます。

そして第2章になって、ブリディの口から説明がなされます。
――EEDはテレパシーじゃない。パートナーの気持ちを感じとる能力を強化するだけ。(P42)

ずっと説明がなされなかった単語の正体は、やっとこの時点で明らかになります。しかしブリディの親族や社内一の変人C・B・シュウォーツまでが、EED施術に猛反対します。ブリディはトレントの強い希望もあり、EEDを受けざるをえません。この後の展開については、北上次郎の文章を紹介させていただきます。

――画期的な脳外科手術EEDを受けると、恋人や夫婦がたがいの気持ちをダイレクトに伝え合うことが可能になった未来が舞台。ヒロインは、携帯電話会社に勤務するブリディ。恋人のトレントとこの手術を受けるのだが、つながった相手は社内一の変人、C・B・シュウォーツ。つまり恋人以外のヘンな男とつながっちゃうのである──というところから始まる話で、ここからすごいぞ、怒濤の展開が始まっていく。(「本の雑誌」2019年3月号)

ここから先はネタ割れになるので、封印します。EEDを受けたあとの展開は、すさまじいものです。コニー・ウィリスはわかりやすいユーモアあふれる会話と比喩で、巧みに読者を誘導してくれます。私の読書は10冊併読主義ですが、今度ばかりはちょっとだけ掟やぶりをしてしまいました。

本書は文句なく、令和で読んだ本のナンバーワンと認定します。難解だと思い込んでいたコニー・ウィリスは、絵本作家のような平易な文章で、ゴールまで併走してくれます。活字から絵が浮かび上がります。作者の息づかいが聞こえてきます。すてきな作品と巡り会った喜びでいっぱいです。こんな気持ちを味わったのは、久しぶりのことです。

最後にほっこりとする情報をひとつ。本書ではコニー・ウィリス作品に初めてスマートフォンが登場します。私が途中で挫折した『航路』でのツールは、ポケベルでした。『クロストーク』では、ツールがずいぶんと進化したものです。

しかしスマホは、電話とテキストとショートメールしか活用されていません。その点について、訳者の大森望は次のように書いています。
――ウィリス自身、スマホを使いはじめたのは本書執筆中からだったそうで、まだ板につかない感じも若干ありますが、そのへんはほえましく見守ってください。(訳者あとがき)


山本藤光2022.05.15


ソン・ウォンピョン 『アーモンド』(祥伝社、矢島暁子訳)

2021-03-07 | 書評「ア行」の海外著者
ソン・ウォンピョン 『アーモンド』(祥伝社、矢島暁子訳)

扁桃体が人より小さく、怒りや恐怖を感じることができない十六歳の高校生、ユンジェ。そんな彼は、十五歳の誕生日に、目の前で祖母と母が通り魔に襲われたときも、ただ黙ってその光景を見つめているだけだった。母は、感情がわからない息子に「喜」「怒」「哀」「楽」「愛」「悪」「欲」を丸暗記されることで、なんとか“普通の子”に見えるようにと訓練してきた。だが、母は事件によって植物状態になり、ユンジェはひとりぼっちになってしまう。そんなとき現れたのが、もう一人の“怪物”、ゴニだった。激しい感情を持つその少年との出会いは、ユンジェの人生を大きく変えていく―。怪物と呼ばれた少年が愛によって変わるまで。(「BOOK」データベースより)

◎かわいい怪物

主人公のユンジェは、16歳の男子高校生。喜怒哀楽などの感情が存在しない病を抱えています。この病は「アレキシサイミア」といって、実際に臨床報告がなされています。読者は最初に、その病を理解しておかなければなりません。
――アレキシサイミアとは、自分の感情を認知、自覚したり、表現したりすることを苦手とし、想像力や空想力の欠如を示す特性です。心身症発症の仕組みの説明に使われる概念ですが、近年は共感能力、衝動性の欠如等、ストレス対処や対人関係との関連が研究されています。
(武蔵の森病院院長・岩瀬利郎先生の解説をまとめました)

ユンジェは、母親と祖母との3人で暮らしています。ユンジェの家の壁には、次のように書かれたおびただしい紙が張ってあります。これは彼が小学校へ上がる前から、ずっと増殖をつづけています。

――相手が笑う→自分も微笑む。注意:表情については、どんなときも、とにかく相手と同じ表情をすると考えよう。(kindle読書進捗率10%のページ)

このように感情のないユンジェは、相手にとっさに対応できるように指導されます。この場面を読んでいて、小川洋子『博士が愛した数式』(新潮文庫「山本藤光の文庫で読む500+α」掲載)を思い出してしまいました。すぐに記憶を失う博士の衣服には、たくさんのメモ用紙が吊されていました。

17歳になったある日、ユンジェは目のまえで母と祖母が通り魔に襲われる事件に遭遇します。彼はただひたすら、突発的な事件を見続けています。祖母は殺害され、母は植物人間状態になります。ユンジェは毎日、病院へ母を見舞いに行きます。ところが話しかけたり、手をにぎったりすることはありません。そうした自然の感情を、もちあわせていないのです。

ひとりぽっちになった彼には、祖母からの遺産が入ります。さらに母から頼まれていたと、2階に住んでいるジム博士が、彼の身柄を引き受けることになります。ユンジェはジムの支援を得て、母の経営していた本屋を継続することにします。

ここまでが、祖母が「かわいい怪物」と呼んでいた、ユンジェの物語です。作者のソン・ウォンピョンは第2幕で、ユンジェとは真逆のもう一人の怪物・ゴニを登場させます。このあたりの構成は、見事としかいいようがありません。

◎目覚め

あるできごとがあり、ユンジェはゴニを知っています。その彼が転校生としてユンジェのもとに現れます。ゴニは手のつけられない暴れ者で、すぐに激情して先生や生徒を叩きのめします。当然、反応の鈍いユンジェも、被害を受けます。

ところがゴニがどんなにいじめをエスカレートさせても、ユンジェはいかなる反応も示しません。ある日ゴニは、ユンジェに挑戦状を叩きつけます。そしてやってきたユンジェを、ぼこぼこに殴り続けます。このときユンジェの脳裏に、通り魔事件で倒れた母と祖母の姿がよぎります。しかし恐怖という感情はおきません。

この一件を契機に、ゴニはユンジェの感情を揺り動かしたいと思い始めます。すぐに激怒するゴニと、何も感じないユンジェの不均衡な交流が続きます。この間に、象徴的な場面が挿入されています。ユンジェの感情を導き出すために、ゴニはある実験をしてみせるのです。

著者は真逆の二人が少しずつ融和していく様子を、映像的に描き出してみせました。このあたりの手腕は絶妙です。活字が映像になって、飛び出してくるかのようです。この点について訳者は次のように書いています。
――読みやすく無駄のない文章を通して、ユンジェの目に映る感情のない世界が、まるで映像を見ているように、本当に音が聞こえてくるかのように伝わっている。(矢島暁子)

激情で張り詰めていたゴニの風船は、わずかに萎んでゆきます。そして縮こまっていたユンジェの風船は、かすかに張りをおびてきます。小さかったユンジェの扁桃体(アーモンド)は、少し大きくなっているようです。

そして著者は、第三の怪物を登場させます。ドラという同級生の女子は、他人のことをまったく気にしない性格です。ひたすら走ることだけを追求しています。ドラによってユンジェの胸のなかに、甘酸っぱいものが生じます。

これから先の展開には、触れません。とんがりが消えたゴニと。とんがりが芽生えてきたユンジェとの友情。ユンジェとの関わりに生きる悦びを発見するドラと、彼女に注ぐユンジェのほのかな恋心。ソン・ウォンピョンは三人の怪物を、緻密な筆致でゴールまで誘います。著者の頭のなかにあるのは、孤独な三人の怪物の目覚めでした。ユンジェが異性を意識した、初めての場面を引用させていただきます。
――風の向きが変わった。ドラの髪がゆっくりと、反対方向にはためき始めた。彼女(ドラ)の匂いを乗せた風がぼくの鼻に入ってきた。初めて嗅ぐ匂いだった。落ち葉の匂いのようでもあり、春の新芽の匂いのようでもあった。(kindle読書進捗率72%のページ)

あえて「できごと」や「物語」を紹介せずに書いていますので、ずっと奥歯に繊維質のものがはさまったままの感じがします。しかし本書のめまぐるしい展開は、読んでのお楽しみということで封印しました。本書はユンジェを中心とした、三人の成長物語でもあります。

著者のソン・ウォンピョンは、 1979年生まれの韓国女性作家です。現在、映画監督、シナリオ作家、小説家として、幅広く活躍しています。以下、簡単な略歴を「訳者あとがき」から引用させていただきます。

――映画人として実績を積み重ねてきた彼女が、本格的に小説の執筆に取り組み始めたのは、2011年に結婚してからのことだ。その後2013年に出産を経験し、子育てをしながら執筆を始めたのが、本書だ。

最後に著者の言葉を紹介させていただきます。

――ちょっとありきたりな結論かもしれない。でも私は、人間を人間にするのも、怪物にするのも愛だと思うようになった。そんな話を書いてみたかった。
(『アーモンド』特設サイト「作者の言葉」より引用)

本屋大賞にはハズレなし。今回もそう実感させられた一冊でした。文庫化されるのが待ちきれなくて、あえて「文庫で読む500+α」の仲間入りをさせることにしました。著者の短く的確な表現も素敵ですが、訳文も輝いていました。
山本藤光2021.03.07

P・G・ウッドハウス『ジーヴズの事件簿・才智縦横の巻』(文春文庫、岩永正勝・小山太一訳)

2020-02-09 | 書評「ア行」の海外著者
P・G・ウッドハウス『ジーヴズの事件簿・才智縦横の巻』(文春文庫、岩永正勝・小山太一訳)

20世紀初頭のロンドン。気はいいが少しおつむのゆるい金持ち青年バーティには、厄介事が盛りだくさん。親友ビンゴには浮かれた恋の片棒を担がされ、アガサ叔母は次々面倒な縁談を持ってくる。だがバーティには嫌みなほど優秀な執事がついていた。どんな難題もそつなく解決する彼の名は、ジーヴズ。世界的ユーモア小説の傑作選。(「BOOK」データベースより)

◎エリザベス陛下と美智子上皇后

以前、作家・佐藤多佳子(推薦作『しゃべれども しゃべれども』新潮文庫)は、日本ではP・G・ウッドハウスがあまり読まれていないと嘆いていました。P・G・ウッドハウスはユーモア小説の大家として、英国では知らない人がいないほどの人気作家です。

P・G・ウッドハウス(1881~1975)について、辞書の引用をしておきます。

――英国の作家。数多くの長編、短編小説においてイギリス上流階級の喜劇的人物を巧みに描き、現代の滑稽読み物の世界的巨匠となった。(新潮世界文学小辞典)

P・G・ウッドハウスについては、こんな話があります。英国女王母エリザベス陛下の言葉です。

――公式贈呈品ではなくほんとうに欲しいものは何かと聞かれて、「P・G・ウッドハウスの全作品集が頂戴できますかしら?」と答えた。(「ウッドハウス・コレクション」図書刊行会パンフレットより)

ところが日本では先のとおり、佐藤多佳子が嘆くような状態でした。しかし、それに火をつけた人がいます。そのコメントが掲載されてから、P.G.ウッドハウスの文庫作品は書店で平積みされるまでになりました。

――美智子皇后(現・上皇后)が10月の誕生日に公務を離れた後の生活について聞かれた際の言葉である。
 「読み出すとつい夢中になるため、これまで出来るだけ遠ざけていた探偵小説も、もう安心して手許(てもと)に置けます。ジーヴスも二、三冊待機しています。(「好書好日」より引用)

エリザベス陛下と美智子上皇后に愛されるP・G・ウッドハウスの魅力は、何といっても上質なユーモアのセンスです。

P・G・ウッドハウス『ジーヴズの事件簿・才智縦横の巻』(文春文庫、岩永正勝・小山太一訳)は、これぞユーモア小説の心髄と納得させられた一冊でした。
本書を読みながら頭をよぎったのは、チェスタトン『ブラウン神父の童心』(創元推理文庫、中村保男訳。「山本藤光の文庫で読む500+α」推薦作)でした。
 神父と執事。この違いはあるものの、作品を通底する明るい展開は非常によく似ています。

◎キャラが立った登場人物

『ジーヴズの事件簿・才智縦横の巻』を非常に楽しく読みました。読後、本を閉じるのをちゅうちょしたほど、私は作品にのめりこんでいたようです。さっそく次作『ジーヴズの事件簿・大胆不敵の巻』(文春文庫)を買い求めました。しかしまだ読んでいません。楽しみはずっとあとにの心境なのです。

敏腕の執事・ジーヴズは、新しい主人バーディ・ウイスターに雇われることになります。本書のおもしろさは、二人のキャラの違いにあります。
主人の青年バーディは、お調子者で少し間がぬけています。競馬などの遊びごとが大好きで、ちょっとしたできごとに右往左往してしまいます。
一方、ジーヴズは頑固ですが、とてつもなく目端がききます。このキャラの立った二人にくわえて、アガサ叔母と悪友ビンゴが物語をかきまぜます。アガサ叔母はバーディに、次々と嫁さん候補を押しつけてきます。ビンゴは会う女性にことごとく惚れてしまい、結婚を夢見る軽い男です。
 この二人に振り回され。バーディはさまざまなトラブルに遭遇します。そのたびに彼は、ジーヴズにすがります。ジーヴズには高い予見能力があり、いとも簡単にバーディの悩みを解決してみせます。
本書に所収されている作品は、いずれも同じ構図になっています。私は何度も笑い、ときどきみせるジーヴズの頑固さと腹黒さに、惚れ惚れとさせられました。


ジーヴズ・シリーズの魅力について、作家・佐藤多佳子は次のように紹介しています。

――さんざん笑わされたあとには、肩の力が抜ける。心の中の無駄な力みも抜ける。世の中や人生をちょっとナメたようないい心持ちになり、気分はすっかりアッパーだ。(文藝春秋BOOKS 佐藤多佳子)

◎いまだに新鮮

ジーヴズ・シリーズは、『海外ミステリハンドブック』(ハヤカワ文庫)に取り上げられています。そして本書がなぜミステリ小説なのか、の説明がなされています。ずばり本書の骨格に迫っているので、紹介させていただきます。

――このシリーズは、小説としての構成がほとんどミステリと同じなのである。ジーヴズの提示する一見突拍子もない解決方法には、「そうすれば事態が収拾できる理由」が付されていて、それは必ずといっていいほど、事前に張られた伏線から導きだされる。

ウッドハウス作品のおもしろさは、伏線の妙にあるといえます。
私は以前に、『よりぬきウッドハウス』(全2巻、図書刊行会)を読んでいます。読みながら何度も笑い、そのたびに心が癒やされました。ただし本書は文庫ではないため、「山本藤光の文庫で読む500+α」での紹介は控えていました。
今回、ジーヴィズ・シリーズを読んで、ウッドハウスの偉大さを再確認しました。小さな事件については、触れないでおきます。最後に本書がいまだに新鮮なまま、読み継がれていることに触れた文章を紹介します。

――執事と主人とのやり取りっていう非常に特殊な関係だから、古びることを免れたのかなっていう気がするけれど。〈事件〉といっても、主人のちょっとした悩みとか、困ったこととかでとくにたいした事件が起きるわけでもないのに、それが逆に新鮮で面白い。(北上次郎・大森望『読むのが怖い・帰ってきた書評漫才・激闘編』ロッキング・オン。北上談)

満喫という言葉がぴったりとくる作品。それが『ジーヴズの事件簿・才智縦横の巻』です。自作を早く読みたいという気持ちをおさえて、漫談ミステリーを紹介させていただきました。
山本藤光2020.02.08

デボラ・インストール『ロボット・イン・ザ・ガーデン』(小学館文庫、松原葉子訳)

2019-12-25 | 書評「ア行」の海外著者
デボラ・インストール『ロボット・イン・ザ・ガーデン』(小学館文庫、松原葉子訳)


AI(人工知能)の開発が進み、家事や仕事に就くアンドロイドが日々モデルチェンジする近未来のイギリス南部の村。弁護士として活躍する妻エイミーとは対照的に、親から譲り受けた家で漫然と過ごす三四歳のベン。そんな夫に妻は苛立ち夫婦は崩壊寸前。ある朝、ベンは自宅の庭で壊れかけた旧型ロボットのタングを発見。他のアンドロイドにはない「何か」をタングに感じたベンは、作り主を探そうと、アメリカへ。中年ダメ男とぽんこつ男の子ロボットの珍道中が始まった…。タングの愛らしさに世界中が虜になった、抱きしめたいほどかわいくて切ない物語。(「BOOK」データベースより)

◎息子の育児からヒント

アンドロイドが企業や家庭で活躍する時代の話です。デボラ・インストール『ロボット・イン・ザ・ガーデン』(小学館文庫、松原葉子訳)の
主人公ベン・チェンバースは、イギリスの郊外の家で妻エイミーと暮らしています。ベンは定職につかないニート。エイミーは法廷弁護士。二人には子どもがなく、最近エイミーは赤ちゃんがほしいと思うようになっています。二人の関係は近年、少しずつギスギスしたものになっています。二人の家にはアンドロイドはいません。
ある日エイミーは、庭に旧式の箱形ロボットがいるのを発見します。雪だるまを四角くしたようなロボットは、自分のことをタングだと名乗ります。
この場面を再現しておきます。

(引用はじめ)
僕はロボットの隣に座った。
「君の名前は?」
ロボットが反応しないので、僕は自分の胸を指さした「ベン、君は?」そして、今度はロボットを––指す。
「タング」ロボットの声は、金属が触れ合うような電子的な声だった。
(引用おわりP13)。

 エイミーは、ロボットを家に置き続けることに嫌悪感を抱きます。しかしベンは、タングを愛おしく思い溺愛することになります。
 タングの腕と脚は洗濯機のゴムホースみたいで、その先端にマジックハンドがついています。頭部と胴体には塗装がなく、あちこちが傷つき錆ついています。胴体を開けると液体の入ったシリンダー(容器)がありました。その容器にも、ヒビが入っています。この場面で青ざめたベンとタングのやり取りを引いておきます。

(引用はじめ)
「液体がなくなったら、どうなるんだ?」
タングがそわそわと足を踏み換える。
「止まる」
僕はじっと考えた。
「つまりシリンダーが空っぽになったら、タングの機能は完全に止まってしまうということなのか?」
「うん」
僕はパニックに陥った。
(引用おわりP52)

 タングに夢中になる夫に、エイミーは次第に嫌悪感を抱きます。そして突然、家出を敢行します。
 ベンには飛行機事故で亡くなった両親の、遺産があります。ベンは獣医師になろうとしていました。しかし今はその気力さえ失っています。ベンはそうした自分の無気力さ加減を嫌って、エイミーは家を出たと自覚しています。その回想場面を引用しておきます。

(引用はじめ)
エイミーの言葉で何よりこたえたのは、「何ひとつ成し遂げたことがない」というひと言だ。図星だった。僕は何も成し遂げたことがない。そろそろ何かを成す時だ。
(引用おわりP39)

デボラ・インストールは、イギリスの女性作家です。本書のヒントは、息子の子育てから得ています。当初はほとんど意思疎通のできなかったタング。それが少しずつ言葉を覚え知恵がつくさまは、まるで赤ちゃんの成長過程と同じです。著者は本作で作家デビューしています。

◎ポンコツコンビの旅

妻に去られたベンは、タングの胴体についた金属プレートを発見します。刻まれている文字は、断片的なものでした。おそらくタングの制作者の名前や会社名だろうとベンは推測します。ベンはそれをたよりに、タングの制作者を探そうと決心します。シリンダーが空になったら、タングは死ぬ。ベンの頭の中で、そうした恐怖が次第に広がっていたのです。

こうして妻に逃げられたダメ中年男と中古旧型ロボットの、制作者探しの旅が始まります。旅の詳細については、ネタバレになるので触れません。ただ日本へもやってくる、とお伝えしておきます。筆者のデボラ・インストールは、親日家として知られています。

――著者のデボラ・インストールさんは大の親日家。作家になる前にはバックパッカーとしても新婚旅行でも日本を訪れ、『ガーデン』刊行1年後の2017年夏には、「日本の皆さんに御礼が言いたい」と自ら来日、電車に乗って都内近郊の多数の書店に足を運び、浅草や秋葉原などの東京散策も楽しまれました。(編集者コラム『ロボット・イン・ザ・スクール』担当者より)
 
このコラムのなかでは、次のような嬉しい報告もなされています。

――2020年秋に劇団四季にてミュージカル化されることが決定致しました! あのタングとベンがステージの上で歌って踊る……? ベンはともかく、タングが……? 想像しただけでドキドキワクワク。シリーズを重ねるごとに成長をしてきた「ぽんこつコンビ」が、今度は本の世界を飛び出して舞台で活躍するとは……。その日が今から楽しみでなりません。

ポンコツコンビの旅は、波乱に満ちたものです。しかしその途上で、タングが少しずつ成長し、ベンの心に父性愛が生まれます。二人の関係が濃密なものになります。微笑ましい旅の実態に読者は、笑い涙することになります。

本書はシリーズ化され、すでに第2作『ロボット・イン・ザ・ハウス』(小学館文庫)が発売されています。本書はイギリスに先駆けての日本販売です。このタイトルからもわかるとおり、ポンコツコンビは無事に旅から戻ってきています。そして第3作『ロボット・イン・ザ・スクール』も発売されました。これらの表紙のイラストを見ると、逃げたエイミーとの顛末も、読者は容易に判断できるでしょう。

心温まるすばらしい作品でした。タングが愛おしくなりました。本書は本年度のトップ10に入る、多くの人にお勧めしたい傑作です。
山本藤光2019.12.25


李栄薫ほか『反日種族主義』(文藝春秋)

2019-12-13 | 書評「ア行」の海外著者
李栄薫ほか『反日種族主義』(文藝春秋)

緊迫する日韓関係の中で、韓国で一冊の本が大きな話題を呼んでいる。
7月の刊行以来、11万部のベストセラーとなっている『反日種族主義』は、元ソウル大教授、現・李承晩学堂校長の李栄薫(イ・ヨンフン)氏が中心となり、現状に危機感をもつ学者やジャーナリストが結集。慰安婦問題、徴用工問題、竹島問題などを実証的な歴史研究に基づいて論証、韓国にはびこる「嘘の歴史」を指摘する。(内容紹介)

◎信念を貫く

2020年の東京五輪に韓国は、韓国産食材と放射能探知機を持参して参加することを表明しています。レーダー照射事件で、嘘を重ねる韓国の醜態は記憶に新しいものです。1965年の日韓合意を平気で反故にし、慰安婦像や徴用工像を世界中に増殖させ、今なお日本製品不買運動を展開しています。
。これらのことを韓国は、国家ぐるみで行っています。こんな悪辣な国家が隣にあるというのが、日本が抱えた宿命です

李栄薫ほか『反日種族主義』(文藝春秋)は、韓国人の遺伝子を内部から鋭くえぐった貴重な資料集です。平気で嘘をつき、歴史を歪曲し、徹底的に日本を悪者に仕立て上げる。そうした韓国の病巣を、現存するたくさんの記録から浮かび上がらせています。

本書は、発売日に買いに行きました。しかし売り切れており、3日待って入荷の案内をもらいました。奥付を見ると、すでに3刷でした。日本でも韓国同様に、ベストセラーになっています。
 本書の内容はすでに、動画「李承晩テレビ」で観ています。したがって、活字を追いながら、李先生の穏やかな語り口が聞こえてきました。本書を一口でいうなら、学者としての崇高な良心と深い愛国心が書かせたものだといえます。」本書について「文春オンライン」(2019.11.28)に、次のような記事があります。
 
――韓国国内でも、“反日”一辺倒の時代は終わりつつある。その一例ともいえるのが『反日種族主義』の韓国内でのヒットであろう。『反日種族主義』は“タマネギ男”こと曺国・前法務部長官が“吐き気がする本”と言及したことで注目を浴び11万部を突破するというベストセラーになった。韓国内でも少なくない人が、反日一辺倒の政治家やメディアの議論に疑問を持っていることの証左だったともいえる。

曺国のコメントは無視するとして、本書の日本語版の出版については、韓国で憂慮する声が吹き荒れています。鬼の首をとったように狂喜乱舞する、日本人の姿を思い描いているのでしょう。本書について著者は韓国版出版時に、あらかじめ次のような予防線を張っています。

――多くの方々が私たちのこのような試みに不快感を持つかもしれません。日本と対立中だというのに、これでは国益に反する、と言ってです。(「はじめに」P5)

そして、次のようにつづけます。
――私たちは学問を職業とする研究者として、そのような国益優先主義には同意しかねます。(「はじめに」P5)

『反日種族主義』は、こうした信念で貫き通されています。

◎嘘、嘘、嘘

韓国では日本統治時代に、人も土地も金も日本人に収奪されたといわれています。しかし『反日種族主義』では、それらのすべてが嘘であると切り捨てています。たくさんの証拠を眼前に突きつけられた韓国人は、どう受けとめたのでしょうか。

日本の竹島(韓国では独島)問題についても、ばっさりと切り捨てています。

――独島問題を国際司法裁判所に提起しようという日本政府の主張を受け入れられない立場にあるのは、誰もが知っている事実です。率直に言って韓国政府が、独島が歴史的に韓国の固有領土であると証明する、国際社会に提示できるだけの証拠は、一つも存在していないのが実情です。(本文P155)

韓国人の嘘についての記述を紹介します。

――この国の国民が嘘を嘘とも思わず、この国の政治が嘘を戦争の手段とするようになったのには、この国の嘘の学問に一番大きな責任があります。私が見るところ、この国の歴史学や社会学は嘘の温床です。(本文P18)

著者たちがいうように、学校の教科書に掲載されている強制徴用工とする写真はまったくの嘘でした。炭鉱で腹ばいになって仕事をしている男。複数の徴用工員が並んだ集合写真。これらは日本人が被写体となった、日本人が撮影した写真であることが判明しています。徴用工のなかの一人はあばら骨が浮き出て、痛々しいほどやせ細っています。韓国人の作家はこの写真を見本に、徴用工像を製作しています。

本書では、こうした事実にも触れています。また膨大な資料を駆使して、韓国が「強制」といっている徴用工は、実は「応募工」だったと結論づけています。慰安婦にしても拉致のように日本軍が暴力的に連れ込んだ、という韓国の見解を否定しています。こちらも、ほとんどが「応募」に手を上げた、自発的なものだったとの結論です。

◎諭吉とバードは見抜いていた

著者たちはこうした韓国の嘘を、「反日種族主義」と命名しました。

――韓国の民族主義は、種族主義の神学が作り上げた全体主義的権威であり、暴力です。種族主義の世界は外部に対し閉鎖的であり、隣人に対し敵対的です。つまり韓国の民族主義は本質的に反日種族主義です。(本文P212)

そして著者たちは、韓国政府に対して次のように問いかけます。

――韓国戦争を起こした北朝鮮に対して戦争責任を追及したことがありますか? 中国のTHAAD報復に一言でも反論しましたか? 完全にバランスが崩れています。(本文P323)

著者たちが指摘するように、韓国は日本だけを狙い撃ちしています。たとえば、慰安婦は4種類存在しています。日本軍慰安婦、米軍慰安婦、韓国軍慰安婦、民間人慰安婦。韓国は日本軍以外の慰安婦には、まったく言及していません。そして韓国軍はベトナムで、ライダイハンと呼ばれる性暴力を犯しています。日本にはさんざん謝罪を求めるのに、この事件についてはだんまりを決め込んでいます。

結びにあたって、先人の言葉を紹介させてもらいます。

福澤諭吉は『脱亜論』(1885年)のなかで、「中国と朝鮮には関わるな」と警告しています。理由はいかなる約束をしても、それを反故にしてしまう民族だからと書いています。

また日本が併合する前に韓国を旅した、イザベラ・バードは著作『朝鮮紀行・英国婦人の見た李朝末期』(講談社学術文庫)のなかで次のように書いています。
――朝鮮は流言飛語の国である、知っていることより、今耳にしたことを人に話すが嘘と誇張で脚色する。

韓国はこれらの時代から、まったく変わっていません。本書がきっかけで、少しずつ変わってくれればと、切に願います。最後に李先生ほかの良心に、深い敬意を表したいと思います。
山本藤光2019.12.13

F.エマーソン・アンドリュース『さかさ町』(岩波書店、小宮由訳)

2018-04-22 | 書評「ア行」の海外著者
F.エマーソン・アンドリュース『さかさ町』(岩波書店、小宮由訳)

リッキーとアンは、おじいちゃんの家にむかう汽車の旅の途中、思いがけず見知らぬ町で一泊することになりました。そこは〈さかさ町〉。建物も看板も上下ひっくりかえっていて、ホテルや病院、学校での常識も、野球の試合や買い物のルールも、いちいちふつうとは反対です。おどろきと発見がいっぱいの、ゆかいな空想物語。(内容紹介)

◎さかさまの世界

F.エマーソン・アンドリュース『さかさ町』(岩波書店、小宮由訳)は、2016年に小学3.4年生向けの課題図書になっています。孫が読んでいたのを借りて、読んでみました。タイトルのユニークさと本書のカバーから、読む前からストーリーは想像できました。

リッキーとアンの兄妹は、汽車でおじいちゃんの家へ向かっています。ところが途中で線路事故のために、汽車は見知らぬ駅で停まってしまいます。そこが〈さかさ町〉だったのです。

乗客は鉄道のはからいで、その町のホテルへと案内されます。二人は道すがら、不思議な風景を目にします。看板がすべて上下さかさまになっています。家も屋根が下で、土台が屋上になって建てられています。車は後部に運転席があります。  ホテルに入ると、フロントでは子どもが働いています。老人はロビーで遊んでいます。

ルイス・スドボドキンの絵は、そうしたさかさまの世界をみごとに描き出してくれています。

◎頭も心もやわらかく

本書がすぐれているのは、さかさまにすることの利点が明確に描かれている点です。子どもが働くことの価値にも言及されています。子どもは休日にしか学校に行きません。働きながら社会勉強をしているので、知識だけを詰め込む勉強は不要なのです。しかも学校には〈わすれよ科〉があり、覚えるのではなく、忘れることを教えています。この不思議な授業の利点についても、本文で楽しく説明されています。

翌朝二人は〈さかさ町〉を観光することにします。リッキーは野球が見たいといい、アンは買い物がしたいといいます。途中でアンが腹痛を訴えます。二人は病院へ行きます。そこもさかさまの不可思議な世界でした。お医者さんが一室に並んで、患者を待っていたのです。詳細については触れませんが、なんとも微笑ましいやりとりがあります。

おじいさんたちだけの野球の試合は、不思議なルールのもとで行われています。年寄りなので、走ることはしんどい。そんな原則でルールが定められています。ヒットを打つと走らなければなりません。三振なら走る必要はありません。そんな世界の野球なのです。もちろん打者は三塁に向かって走ります。

お店でアンは、欲しいものを買います。商品が渡され、お金までそえてくれます。お金を払う必要はなかったのです。いかなる考えから、この世界が成り立つのか。本書を読んでお楽しみください。

孫の本でしたが、私は十分に堪能できました。本書については、出口治明が『教養は児童書で学べ』(光文社新書)のなかで、大人も読むべきだと書いています。

――こういうふうに考えたら気がラクだよななどと、自分でも考えてみるとおもしろい。頭も心もやわらかくなるのではないでしょうか。(同書P139)

私も同感です。たまには児童書に触れて、頭や心のリフレッシュをしてはいかがですか。
山本藤光2018.04.21

アミーチス『クオーレ』(新潮文庫、和田忠彦訳)

2018-03-09 | 書評「ア行」の海外著者
アミーチス『クオーレ』(新潮文庫、和田忠彦訳)

イタリアの少年エンリーコが毎日の学校生活を書いた日記と、あのジェノヴァの少年マルコが母親を捜して遠くアンデスの麓の町まで旅する『母をたずねて三千里』など、先生の毎月のお話九話。どれも勇敢な少年と、少年を見守る優しい大人たちとの心のふれあいを描く不滅の愛の物語です。どこの国でも、いつの時代でも変わらない親子の愛や家族の絆の強さを、読みやすい新訳でお届けします。(「BOOK」データベースより)

◎少年少女小説の第22位

アミーチス『クオーレ』(新潮文庫、和田忠彦訳)は、童心にかえって読まなければ、大人にはつまらない作品です。何しろ子供たちに、愛国心や忠誠心を植えつけようとの意図で書かれたものです。子供といっても、女児は眼中に入っていません。男児に向けて、勇気や愛を語っているのです。

本書は1886年に書かれたものです。しかし本書の人気は、いまだに衰えていません。文春文庫ビジュアル版『少年少女小説ベスト100』では、『クオーレ』(本書の表記は「クオレ」となっています)第22位に選ばれているほどです。

『クオーレ』は、主人公・エンリーコ(小学3年)の日記が中核に置かれた作品です。章立てはエンリーコ少年の始業式(10月)から始まり、7月までの10カ月間なっています。

少年の日記は起伏がなく、稚拙なものです。そこに両親や姉の、忠告や感想が挿入されます。さらに各月の終わりには、担任の先生が語った「今月のお話」が加えられています。今月のお話しについては、次のような所感を引いておきます。

――どの話もイタリア版・教育勅語訓話集というか、江戸時代の忠孝徳育説話のノリである。(長山靖生『謎解き少年少女世界の名作』新潮新書)

先生の話は、すべて少年の勇気をたたえた内容です。中でも5月のお話し「母をたずねて三千里」は、独立した物語としてあまりにも有名です。「母をたずねて三千里」は、前記ベスト100の第14位と、原書をしのぐほどの支持を集めています。

「母をたずねて三千里」は、幼かった娘たちとテレビアニメ「世界名作劇場」で観ていました。新潮文庫『クオーレ』のカバー内には、懐かしいアニメの一コマが印刷されています。

◎『ピノキオ』とともにイタリアの代表作

本書のタイトル『クオーレ』はイタリア語で、「愛」とか「勇気」などを意味しています。本書にはさまざまな「愛」や「勇気」が、満ちあふれています。親と子、家族、教師と生徒、ともだち、故郷、祖国……。

本書が書かれた動機について、述べられた文章があります。

――当時のイタリアはまだ貧しかったから、先進諸国のなかでは例外的に就学率が低かった。貧困家庭では、子供は大切な働き手であった。だが、学校で学ばなければ、子供たちは将来、豊かになることが出来ない。国民の知的レベルが向上しなければ、イタリアは豊かな国にはなれない。だから愛国者デ・アミーチスは、子供たちが学校で学ぶということが、いかに大切かを、宣伝する必要もあった。(長山靖生『謎解き少年少女世界の名作』新潮新書)

著者のデ・アミ-チスは、イタリアの統一戦争に従軍した経験があります。イタリアにはもう一人の著名な児童文学作家がいます。コッローディの『ピノキオ』がそれです。『ピノキオ』と『クオーレ』は、ほぼ同時期に発表されています。コッローディもイタリア統一戦争に従軍しています。

『ピノキオ』は冒険譚ですが、やはり教訓めいた展開になっています。有名な嘘をついたら鼻が伸びるなどの教えや、家族愛や祖国愛が説かれています。

『クオーレ』は、忘れかけていた昔を思い出させてくれました。エンリーコ10歳は、日本でいえば小学4年生となります。このころになると、教室のなかに序列ができます。優秀な子、悪童、金持ちの子と貧乏な子。北海道弁ではメンコといっていましたが、先生からひいきにされている子などの、色分けがなされます、。

エンリーコの日記に家族が添える手紙は、愛情に満ちています。おそらく本書を読むと、心のなかがポカポカしてくることと思います。
(山本藤光:2012.06.22初稿、2018.03.09改稿)


ロバート・ジェームズ・ウオラー『マディソン郡の橋』(文春文庫、村松潔訳)

2018-03-09 | 書評「ア行」の海外著者
ロバート・ジェームズ・ウオラー『マディソン郡の橋』(文春文庫、村松潔訳)

屋根付きの橋を撮るため、アイオワ州の片田舎を訪れた写真家ロバート・キンケイドは、農家の主婦フランチェスカと出会う。漂泊の男と定住する女との4日間だけの恋。時間にしばられ、逆に時間を超えて成就した奇蹟的な愛―じわじわと感動の輪を広げ、シンプルで純粋、涙なくしては読めないと絶賛された不朽のベストセラー。(「BOOK」データベースより)

◎実話にもとづいた話?

ロバート・ジェームズ・ウオラー『マディソン郡の橋』(文春文庫、村松潔訳)の書評は藤光伸の筆名で、PHPメルマガ「ブックチェイス」(1997.11.08)に発表しています。今回「山本藤光の文庫で読む500+α」作品として取り上げるにあたり、18年ぶりに再読しました。文春文庫の奥付は、発行年1997年9月第1刷となっています。ただし実際に読んだのは、寄贈された単行本ででした。

本書は大ベストセラーになりました。また映画化もされて、こちらも大ヒットだったようです。今回再読してみて、構成の巧みさに感心しました。

作家(ウォラー)のもとに、1本の電話がはいります。電話の主はウォラー愛読者の兄妹で、「あなたが興味を持つかもしれない話がある」と告げます。

――彼は非常に用心深く、それがどんな話なのか電話では一言も説明しようとしなかった。ただ、妹といっしょにアイオワまで出向いて、わたしにじかに話せるのなら、喜んでそうしたいというのである。(本書「はじめに」P11-12)

この段階で読者は、本書は実話にもとづいた話だと思いこんでしまいます。年配者の激しい恋のてんまつを覗きみたい。そんな欲求が頭をもたげてきます。

文庫本の帯には、「260万部の超ベストセラー待望の文庫化」とあります。持ちこまれた話は、いたって単純です。本書のガイドにある内容で、すべてがいいつくされています。
 
物語はフランチェスカの死後に、息子と娘が著者に話を持ちこむところからはじまります。2人はフランチェスカの遺品を整理しているときに、彼女の手紙やロバート・キンケイドから贈られた彼の遺品によって真相を知ります。

◎4日間の究極の愛

フランチェスカ45歳は、夫と2人のこどもとともに、アメリカの片田舎に住んでいます。そこへ世界を放浪している52歳のカメラマン・キンケイドがやってきます。フランチェスカはなんにでも肉汁をかけて食べる夫や、田舎暮らしに辟易としていました。キンケイドには、都会的なセンスがありました。

2人はたちまち、激しい恋におちます。物語はそれだけのことです。ウォラーはそうしたシンプルなものがたりを、緻密な文章で描いてみせます。突然燃え上がった恋の炎は、夫の不在もあり4日間続きます。

別れの日をまえに、キンケードはいっしょになることを求めます。しかしフランチェスカは夫や2人の子供のため、灼熱の恋に4日間でピリオドを打つ道を選びます。キンケイドの方は、フランチェッスカの決断にしたがいます。

2人はめくるめく4日間という記憶だけを共有して、それぞれの日常に戻ります。その後キンケイドの方から、連絡をとることはありませんでした。またフランチェスカからも、連絡をすることはなかったのです。

変わらぬ思い。冷めない愛情。この小説の鍵は、ここにあります。
 
――ロバート・キンケイドは、これ以上孤独ではありえないほど孤独だった……一人っ子で、すでに両親はなく、遠い親類とは音信もなく、親しい友人もいなかった。(本文より)

キンケイドには、5年間結婚生活をした妻がいました。しかし彼女は「連絡してね」というメモを残して家を出ます。「だが、彼は連絡もしなかったし、彼女からも連絡はなかった」のです。

このてんまつは、フランチェスカの場合と同じです。違うのは妻だった「メリアン」は自ら家を出たのに対して、「フランチェスカ」は家に留まったことだけです。留まることを選択した理由を、フランチェスカはこう書いています。
 
――もしもロバート・キンケイドに出会わなかったら、わたしはその後ずっとこの農場にとどまれたかどうかわからないということです。四日間で、彼はわたしに一生を、ひとつの宇宙を与え、ばらばらだったわたしの断片をひとつにしてくれました。それからというもの、たとえ一瞬でも、彼のことを考えないことはありませんでした。(本文より)

出会い。そして4日間の恋。その後の長い時。離れ離れの2人をつなぎ続けた熱い思い。『マディソン郡の橋』は、誰もが体験できない究極の恋愛小説です。
(山本藤光:1997.11.08初稿、2018.03.09改稿)

アシモフ『ミクロの決死圏』(ハヤカワ文庫SF、高橋泰邦訳)

2018-03-08 | 書評「ア行」の海外著者
アシモフ『ミクロの決死圏』(ハヤカワ文庫SF、高橋泰邦訳)

人体を原子の大きさに縮小!物体の無限な縮小化を可能にする超空間投影法。だがその欠点は,縮小持続時間がわずか一時間ということ。米秘密情報部は,それを無限にのばす技術を開発したチェコのベネシュ博士を亡命,途中スパイに襲われた博士は脳出血を起こし意識不明に。かくてCMDF(綜合ミニアチャー統制軍)本部は,医師,科学者,情報部員ら五名を乗せたミクロ大の潜航艇プロメテウス号を博士の頚動脈から注入、患部をレーザー光線で治療する作戦をたてた。果して60分間に彼らは任務を全うして帰還できるか?(文庫案内より)

◎未知の世界が現実にせまってくる

医療の進歩は著しく、蛇を思わせるような胃カメラは、遠い昔の医療機器となりそうです。カプセル内視鏡の登場により、胃や大腸の検査から苦痛が消えます。なにしろ薬のカプセルサイズのものを嚥下すれば、体内が撮影されるのです。あとはカプセルを排泄するだけ、という画期的な検査キッドが身近なものになりそうです。

病院で医師に、実物をみせてもらいました。胃カメラ苦手の私でも、抵抗なく受け入れることができます。感心してながめながら、アシモフ『ミクロの決死圏』(ハヤカワ文庫SF、高橋泰邦訳)を思い浮かべました。

アイザック・アシモフ『ミクロの決死圏』は、おそらく私がはじめて出会ったSFの世界だったと思います。友人に薦められて読んで、未知の世界が現実にせまってきたことに感動しました。その後、映画もみました。後述しますが、これは正しい順番ではなかったようです。

SF界の巨匠といわれるアシモフは、1920年にロシアで生まれています。3歳のときに、一家はアメリカに移住します。アシモフはつねに首席をつらぬき、コロンビア大学で化学の博士号を修得しました。

アシモフの代表作といえば、『ファウンデーション・銀河帝国興亡史』シリーズです。初期3部作(銀河帝国興亡史1-3)以外は、なかなか入手できません。アメリカの国民的な本書はその人気に応えるべく、『ファウンデーションの彼方へ』『ファウンデーションと地球』『ファウンデーション序曲』『ファウンデーション誕生』(いずれもハヤカワ文庫SF)と追加執筆されています。

私は『ミクロの決死圏』と『われはロボット』(ハヤカワ文庫SF)が好きです。『われはロボット』では、有名な「ロボット工学の三原則」が登場します。どちらを「山本藤光の文庫で読む500+α」作品として選ぶかを迷いました。しかしワクワク感は捨てがたく、結局『ミクロの決死圏』を、紹介させていただくことにしました。

◎映画をノヴェライズした作品

『ミクロの決死圏』(ハヤカワ文庫SF)はアシモフが請われて、映画をノヴェライズした作品です。ノヴェライゼーションは映画の前宣伝の目的で、生まれたジャンルでした。しかしノヴェライゼーション作品は、オリジナル作品より程度が低いものという評価はついてまわりました。

ところが『ミクロの決死圏』は、映画を凌駕するほどの完成度だったのです。そのことを本書の解説で、福島正実はつぎのように書いています。

――(前略)さらには、白血球や抗体におそわれるときのスリリングな叙述といい――そのほか映画では技術的経済的理由から割愛を余儀なくされてしまった多くの部分――特に、ラストにちかく、潜航艇を破壊された主人公たちがどうして脱出するのか、彼らが脱出してしまったあと、原サイズにもどるはずの潜航艇の処理方法などなど――は、さすがはアシモフ、とその手なみの見事さに感心せずにはいられない。(福島正実の解説より)

これを読んだときに、映画をみたあとに本書を読むべきだったと後悔しました。映画と本を鮮明に重ねあわせて、比較するほどの記憶力はありません。ただし活字の世界は、おおいに満足できるものでした。随所でさすがアシモフ、と感嘆しまくりました。

『ミクロの決死圏』は、20世紀の米ソ対立を背景にした作品です。東から重症の科学者が亡命してきます。途中でスパイに狙撃されて脳を損傷してしまいます。亡命者を救済すべく、医療チームが編成されます。彼らはミクロのサイズになって潜航艇へと乗りこみます。体内にはいって1時間以内に、帰還しなければなりません。

ところがチームのなかに、スパイがまぎれこんでいます。美人のチームメンバーがいます。このあたりの登場人物は、アシモフのオリジナルではありえない設定です。潜水艇は、動脈から静脈、毛細血管を経て心臓、肺、耳、脳、目とたどっていきます。

まるでジェットコースターに乗っているような臨場感があります。淡い恋やスパイとの暗闘。まるでミステリー小説を読んでいると錯覚するほどです。

『ミクロの決死圏』には続編があります。『ミクロの決死圏2・目的地は脳』(上下巻、ハヤカワ文庫SF)は、サブタイトルにあるとおり脳をターゲットにした作品です。こちらはノヴェライゼーション作品ではなく、アシモフのオリジナルです。しかし映画化はされていません。

『ミクロの決死圏』をアシモフの推薦作とするのには、少し抵抗があります。やはりアシモフのオリジナル作品をとりあげるべきでしょう。そんなわけで、いずれ「+α」として、『われはロボット』を紹介させていただきます。 
(山本藤光:2011.04.26初稿、2018.03.08改稿)


H・G・ウェルズ『タイム・マシン』(創元SF文庫、阿部知二訳)

2018-03-08 | 書評「ア行」の海外著者
H・G・ウェルズ『タイム・マシン』(創元SF文庫、阿部知二訳)

推理小説におけるコナン・ドイルと並んで二十世紀前半のイギリスで活躍したウェルズは、サイエンス・フィクションの巨人である。現在SFのテーマとアイディアの基本的なパターンは、大部分が彼の創意になるものといえる。(本書案内)

◎第3章から読めばいい

チャベックの「ロボット」と並び、H・G・ウェルズは「タイム・マシン」という言葉を発明しました。いずれも偉大なる発明だと思います。私はH・G・ウェルズ『タイム・マシン』を4種類の訳文で読んでいます。宇野利泰訳(ハヤカワ文庫SF)、橋本槇矩訳(岩波文庫)、阿部知二訳(創元SF文庫)、そして眉村卓・文(『痛快世界の冒険文学』講談社)です。

どれも最初の方が難解で、辟易しました。ムリもありません。言葉すら存在していなかったモノを、説明しているのですから。ところが眉村卓・文だけは、違いました。眉村卓は『痛快世界の冒険文学 タイム・マシン』の「あとがき」で次のように書いています。

――何人もの若い人から、ここ(註:書きだしのこと)でつまずいて読むのをやめた、と聞いていたぼくは、読みやすい書き方は、と、くふうしてみました。

眉村卓は著作に「はじめに」という章を挿入しました。そしてこんな風に、読者に語りかけています。

――あらかじめ申しあげておくけれども、この話のはじめのほう、つまり、タイム・トラベラーが、「次元」とか「時間航行」とかについて語るくだりは、かなりややこしい。読者のなかには、うるさいりくつはきらいだという人もいるだろう。そんな方は、まず、タイム・トラベラーがふしぎな冒険談をはじめるあたり(つまり、第三章あたり)から、お読みになればいい。

語り手は「わたし」。ある科学者の家に仲間と招かれます。科学者はタイム・マシンを発明したといい、実際に模型のそれを目の前で消してみせます。「わたし」は現実を受け入れられず、半信半疑のまま帰宅します。

翌週ふたたび訪ねた「わたし」と仲間は、ボロボロの衣服を着た科学者と遭遇します。彼は80万年後の世界に行ってきたと説明します。

◎80万年後の世界

未来世界に、タイム・マシンが到着します。そこには大理石でできた、スフインクスのような建物がありました。身長120センチほどのひ弱な男が近づいてきます。タイム・トラベラーは男の家に招かれ、食事を供せられます。彼らは菜食主義者らしく、自らの民族を「エロイ」と告げました。

エロイは資本主義のなれのはてのような種族で、仕事はしていません。知能もあまり発達していませんので、創造的な作業もしていません。

未来世界には、もう1種の民族がいることがわかります。出自は労働者階級の「モーロック」という民族です。彼らは地下に住み、視力が低下しています。彼らはエロイを食料としています。

タイム・マシンは、モーロック族により強奪されます。ここから先は、ふれない方がいいと思います。タイム・トラベラーの長い話を聞いた「わたし」たちは、やはり半信半疑でした。そんな彼らに、タイム・トラベラーはポケットにあった未知の花を示します。

証拠として示した一輪の花については、ボルヘスが「コールリッジの花」(『ボルヘス・エッセイ集』平凡社ライブラリー、木村栄一訳、P124)のなかで考察を示しています。このあたりについて、
ハヤカワ文庫の訳者(宇野利泰)「あとがき」でも触れられています。

――もしも誰かが夢のなかでパラダイスを歩き、そこで、かれの魂がほんとうにパラダイスに来たことを証明する記念品として、一輪の花をもらい、しかも目が覚めたあとでその花を手のなかに見つけたとしたら。

進化のあとには退化が訪れる。H・G・ウェルズは、そんなメッセージをタイム・マシンに搭載したのだと思います。そのあたりについて、眉村卓は次のように書いています。

――「十九世紀末のような資本家と労働者の関係がずっとつづけば、人間はどうなるか」ということと、「科学技術が進めば世界はどうなるか」ということが、ウェルズの予想をもとにえがかれているわけです。(眉村卓『痛快世界の冒険文学 タイム・マシン』「あとがき」より)

タイム・マシンは、離陸時は少し耳鳴りがします。しかし、その後は快適な飛行でした。
(山本藤光:2011.09.11初稿、2018.03.08改稿)