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森詠『那珂川青春記』(集英社文庫)

2018-02-28 | 書評「も」の国内著者
森詠『那珂川青春記』(集英社文庫)

那珂川の辺、栃木県・黒磯町。高校二年の大山茂は、進学クラスの同級生たちと盟約を結び、「男道」の追求に励む毎日だ。他のクラスのワルと張り合い、アナクロ教師に抵抗し、美しい女生徒に恋心を抱き、弱小ラグビー部の存続に命を賭ける―。60年安保に揺れる時代、パワフルに人生を模索する若者たち。坪田譲治賞受賞の自伝的作品『オサムの朝』の兄弟篇ともいうべき、熱血&リリカルな青春小説。(「BOOK」データベースより)

◎栃木県那須に疎開していた

森詠は戦時中、栃木県那須に疎開していました。そして高校卒業まで、そのまま那須で暮らしました。『那珂川青春記』は、自伝的な青春小説です。私は本書を、青春小説の代表格として位置づけています。
 
森詠は幅広いジャンルの作品を、発表しています。スパイ小説、軍事情報小説、ミステリー小説、青春小説、SF小説、翻訳書など。1985年に発表した『雨はいつまで降り続く』(上下巻、講談社文庫)は、直木賞候補にもなっています。
 
残念ながら私は、それらのジャンルのほとんどを読んでいません。ただし『オサムの朝』(集英社文庫)からはじまる「青春シリーズ」に関しては、ていねいな読者であると自負しています。『オサムの朝』(集英社文庫)は絶版になっています。中学生のオサムの心の成長を描いた作品で、『那珂川青春記』のあとに読んで感動しました。
 
本来なら時経列に『オサムの朝』『那珂川青春記』と読みつなぐべきなのでしょう。しかし前記のとおり、『オサムの朝』は絶版になっています。したがって、『那珂川青春記』とその続編にあたる『日に新たなり』(ともに集英社文庫)を読みつないでいただきたいと思います。

疎開の体験があるのですから当然、森詠は戦前の生まれです。そのあたりのことを、森詠はつぎのように語っています。
――私たちが子どもだった頃にはその周りに尊敬できる大人が居たものだ。あんな大人になってみたい…と、憧れながら成長していったものだ。又、学校にも必ず尊敬できる先生が居た。たった一人でもいい、そんな素晴らしい先生とのめぐり合いが子どもの成長にとってかけがえのないものだ…。(「シネマとうほく」インタビューより)

尊敬できる大人と先生の存在。これは現在でも変わらないことでしょう。それゆえ森詠の「青春シリーズ」は、そのまま時代を現在に置き換えることができるのです。

◎自分も「あのとき」に戻って

実はタイトルの「那珂川」という地名は、知りませんでした。パソコンに「なかがわ」と入れたら、一発で変換されたので驚いたくらいです。

ではなぜこの本を読む気になったのか。装丁に惹かれました。表紙には遥かかなたの山並みを見つめる、学生服とセーラー服の後ろ姿が描かれていました。学生服の方は学帽をかぶり、肩には白いズックの鞄をかけています。セーラー服の方は、長めの襞スカートに白いソックス。ルーズソックスではありません。2人の前には、清い流れの川があります。装丁・装画は峰岸達でした。

舞台は那須連峰のふもとにある地方の高校。主人公の大山茂は高校3年生で、部員の足りないラクビー部に所属しています。父親は酒場の女と蒸発していません。茂には密かに憧れる杉原ゆかりという同級生と、陽気で垢抜けない友人たちがいます。学校には番長グループがいて、青年将校と呼ばれる硬派の先生もいます。

彼らは受験に悩み、恋に悩む一方、東京に憧れ、安保反対闘争にも興味を示します。ただし、都会にはない、清い川や雄大な山並みには無頓着です。

『那珂川青春記』は、典型的な青春小説です。主人公の父親の駈け落ち、部員の足りないラクビー部の存続、杉原ゆかりとの淡い恋の成就など、いくつかのヤマ場はあります。しかしいずれも常識の域をでない結末になっています。

著者が自分自身の「青春」にこだわると、往々にしてこういったストーリーとなります。奥付けには、森詠は1941年(昭和16年)東京生まれとあります。それ以上の情報を現状ではもっていませんが、この作品はまぎれもなく著者の自伝的な青春記です。

どんな作家が描いても、それが事実に忠実だとしたら、読者にとってつまらない物語になってしまいます。しかし思い起こしてみてください。今は笑ってすませられることを、私たちはどんなに真剣に悩み、自分の不幸を呪ったことでしょうか。

森詠にしか書けなかった青春記。この作品に登場する杉原ゆかりが書けば、違う青春記になるでしょう。茂のともだちの竹井や八木沢が書いても、全くちがう物語となります。

唯一、共通して物語りに登場するのは、那須連峰と那珂川だけです。それゆえ「青春記」をつまらないと思ってはいけないのです。自分も「あのとき」に戻って、自分の琴線にふれるなにかを見出せれば、それでいいではないでしょうか。

そんな具合に読むと、この作品は全くちがう顔を見せますし、読後感も爽やかなものになります。この作品には著者の青春とその舞台である、那珂川や那須連峰がぎっしりと詰まっています。

――公園の見晴台からは雄大な那須連山と、その裾野に拡がる原生林、ゆったりと蛇行して流れる那珂川が見渡せた。絶え間ない川の流れのざわめきが聞こえて来る。耳が引き千切られるように冷たい那須下ろしが吹き寄せていた。(本文より)

この描写部分が、表紙になったのだと思います。ただし、この場面は茂が愛犬のロックを散歩させるところで、杉原ゆかりと並んでいる描写はありません。装丁・装画の峰岸達に一本とられた感じがします。本文中には、表紙の場面がみつからないのです。
(山本藤光:2010.06.22初稿、2018.02.28改稿)


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