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山本藤光の文庫で読む500+α

著書「仕事と日常を磨く人間力マネジメント」の読書ナビ

遠田潤子『雪の鉄樹』(光文社文庫)

2018-03-18 | 書評「て・と」の国内著者
遠田潤子『雪の鉄樹』(光文社文庫)

祖父と父が日々女を連れ込む、通称・たらしの家で育った庭師の雅雪は、二十歳の頃から十三年間、両親のいない少年・遼平の面倒を見続けている。遼平の祖母から屈辱的な扱いを受けつつも、その傍に居るのは、ある事件の贖罪のためだった。雅雪の隠してきた過去に気づいた遼平は、雅雪を怨むようになるが…。愛と憎しみの連鎖の果てに、人間の再生を描く衝撃作。(「BOOK」データベースより)

◎いくつもの〈謎〉

遠田潤子は1966年生まれの女流作家です。43歳のときに書いた『月桃夜』(新潮文庫)が日本ファンタジーノベル大賞に輝き、作家デビューしています。

平凡な主婦だった遠田潤子は、母の看病に明け暮れる毎日でした。その母が亡くなり、一年ほどは虚脱した日々になりました。そんなときに、夫が新しいパソコンを買います。遠田潤子はそれで遊んでいるうちに、日記でも書いてみようかと思います。そのうちに、次のような感情が芽生えます。

――ふと「もっと書いてみたいな」と。「じゃあ、小説家になろうか」「よし、なろう」って(笑)。そう思ってからデビューするまでに5年かかりました。(中略)書いては応募する、落ちる、書く、応募する、の生活を5年間続けました。(WEB本の雑誌・作家の読書道より)

『雪の鉄樹』(光文社文庫)は、「おすすめ文庫王国」(本の雑誌社)で2017年第1位に輝いた作品です。遠田潤子を読むのは初めてでした。純文学作品だろうと思っていましたが、ミステリー小説のようにぐいぐい引っ張られました。

タイトルについて、著者自身が説明している文章があります。
――鉄樹とは蘇鉄のことです。葉は鋭く幹は無骨。ヤシの木に似た南国の植物です。雪の似合う植物ではありません。なのに、ふっと『雪の鉄樹』というタイトルが浮かびました。(『読書人ウェブ』著者から読者へ。2017.07.31)

遠田潤子はタイトルとラスト一行だけを決めて、本書を書き上げています。

物語は主人公の曽我雅雪が三十二歳のときから動き出します。雅雪は祖父の代から続く、曽我庭園の三代目です。既に頭髪は真っ白で、全身にケロイド痕がある独身です。

『雪の鉄樹』にはいくつもの〈謎〉がちりばめられています。遠田潤子はそれらの〈謎〉を明かさないまま、ぐいぐいと物語を引っ張ります。曽我庭園は〈たらしの家〉と呼ばれ、祖父も父も女には目のない悪癖を持っています。
 二人は雅雪に対して愛情のカケラも持っていません。母親は雅雪を産んですぐに、姿を消しています。幼いころか雅雪は、食事もたった一人で、しかも自室の勉強机で食べていました。誕生祝いを祝ってもらったことも、どこかへ連れて行ってもらったこともありません。

そんな環境で育った雅雪は、愚直なほど仕事一途で、自虐的な性格になっています。

◎雅雪の「償い」

雅雪は庭師の傍ら、父母のいない、祖母と暮らす遼平という少年の面倒を十三年間見続けています。遼平の祖母は、「償い」を続ける雅雪を奴隷のようにあしらい、決して心をゆるしません。

読者は冒頭で雅雪の「償い」は、何に対するものなのかに、興味が引かれることになります。しかし遠田潤子はその謎を、徹底的に隠し続けます。

さらに雅雪がおった全身ヤケドも、なぜそうなったのかを明らかにされません。ICUに入り何度も手術を繰り返した、死線をさまようほどのヤケドでした。

冒頭場面で雅雪は、細田老という親しい顧客から〈扇の家〉という立派な蘇鉄のある家を紹介されます。この家には雅雪にとって、忌まわしい過去があるのですが、それも明らかにされません。

物語は過去と現在を行き来します。しかし現在は、わずかな日数しか描かれていません。現在の雅雪はひたすら〈七夕〉の日を待ち続けています。しかし誰を待っているのかは、〈謎〉のままです。

◎雅雪の恋

先に触れた〈扇の家〉に、祖父と父と十八歳の雅雪がいます。ずっと空き家だった家の庭は、荒れ果てていました。新しく引っ越してきたのは、若くて美しい母親と一卵性双生児の兄妹でした。母親を初めて見た雅雪は、こんな風に思います。

――慈愛と母性に満ちあふれた、と形容しても少しも大げさではない、それほど女は美しかった。俺は完璧な乳房を想像した。この女は全身が乳房だ。なめらかで、まろやかな乳房そのものだ。(本文P240)

そして著者自身が書いているとおり、雅雪は真辺郁也とは親友になり、舞子と恋をすることになります。

――主人公は誰にも関心を持たれず、孤独に育ちました。十八歳の時、そんな彼にも親友と恋人ができます。見事な蘇鉄のある家に越して来た双子の姉弟と関わり、これまで目を背けてきた自分の傷に向き合うのです。(『読書人ウェブ』著者から読者へ。2017.07.31)

この家族との出会いが、雅雪や父の人生を変えます。お互いに関心を示さない曽我家族。郁也を天才バイオリニストに育てたい母親は、舞子にはまったく関心を示しません。「償い」を続ける雅雪に、遼平の祖母は人間として関心を示しません。

すさまじい人間模様のなかに、いくつもの〈謎〉が見え隠れしています。遠田潤子は荒唐無稽にも思える物語を、力強い筆力で描き上げました。ネタバレになるので、これ以上ストーリーは追いません。とにかく迫力満点の壮絶な物語です。
遠田潤子は蘇鉄がある庭に、大きな〈謎〉の石を据え、いくつもの流れをそえてみせました。すばらしい作品に拍手。
山本藤光2018.03.17

戸梶圭太『溺れる魚』(新潮文庫)

2018-03-11 | 書評「て・と」の国内著者
戸梶圭太『溺れる魚』(新潮文庫)

謹慎中の二人の不良刑事が、罪のもみ消しと引き換えに、監察から公安刑事の内偵を命じられた。その刑事は、ある企業から脅迫事件の犯人割り出しを依頼されていたのだ。脅迫は、幹部社員に珍奇な格好で繁華街を歩かせろという、前代未聞の内容だった。いったい犯人の真意とは?意表を衝く人物設定とスピード感あふれるストーリー展開が評価された快作。宍戸錠氏の特別エッセイを収録。(「BOOK」データベースより)

◎笑ってしまうミステリー

笑ってしまうミステリー。戸梶圭太の作品を一言で表現するなら、こうなるしかありません。戸梶圭太は『闇の楽園』(新潮文庫、初出1999年)にて新潮ミステリー倶楽部賞を受賞し、デビューを果たしました。

『溺れる魚』(新潮文庫)は、戸梶圭太2作目となります。『闇の楽園』は、オウム真理教を思わせるカルト集団を描いていました。モデルがオウム真理教であることについては、著者自身が明確に否定していますが。

そして今度は、神奈川県警を彷彿とさせるミステリーです。おそらくこの点についても著者は、首を横に振るでしょう。なぜなら、この作品は、デビュー作の前に書かれたものに、筆を加えたもののはずだからです。神奈川県警の一連の隠蔽事件が、明るみにでたのは本書を上梓した後のことです。

『溺れる魚』は2人のダメ警部補を、主人公にすえてあります。1人は女装癖があり、万引きで捕まった秋吉。もう1人は賭博現場へ踏みこみ、ついでに金を着服した白州です。

2人は、「特別監察官」から、自宅謹慎をいいわたされます。「特別監察官」とは、警察の内部の不正を取り締まる役目で、特に公安とは仲が悪いのが定説です。公安の場合は内偵しても、もみ消されるケースが多いからでしょう。取り調べを受けていて秋吉は、次のように考えを巡らします。
 
――警察官の犯罪は、世間の警察に対する信頼を著しく損なう。だから隠し通せるものは隠し通すのだ。(本文より)

2人はコンビで、公安部外事一課警部・石巻修次の調査を命ぜられます。危険な臭いがしますが、断ることはできません。石巻は、会員制のバー「クリング・クラング」に入りびたっています。

本書は登場人物を整理しながら、読むことをお勧めします。事件は思いがけないスピードで、展開します。次々に新しいキャラクターが登場します。

ダイトー・グループは、「溺れる魚」から脅迫されます。金品を要求されるのではなく、幹部がケバケバしい格好で雑踏のなかを行進することを命ぜられたのです。
 
――犯人が指定してきた服装は、胸にひだのついた綿の白シャツに、裾が異様に広いベルボトムジーンズ、靴は底が七センチ以上ある弁当箱ブーツだった。そして右の脇にポータブルCDプレイヤーを抱え、左右のスピーカーには新沼謙治と千昌夫のプロマイドをテープで貼っておけと指示してきた。(本文より)

奇想天外な脅迫文。戸梶圭太はミステリーのなかにユーモアを持ちこんだ、斬新な新人です。後半のスピード感は、すさまじいものがあります。ところどころ破綻がありますが、それも愛敬にしてしまうほど、主人公の人物造形も決まっています。
 
――逆光のせいで運転手の顔は見えないが、直感であいつだと告げた。白州は反射的にナンバープレートを読む。/カローラは白州の目の前をかすめ……。(本文より)

逆光で運転手の顔が見えないのに、ナンバープレイトが見える点には説明がほしいと思いました。ともあれ、荒唐無稽で異質な作家の誕生です。笑いながら、ミステリーを楽しんでいただきたいと思います。
(山本藤光:1999.11.28初稿、2018.03.11改稿)

徳冨蘆花『不如帰』(岩波文庫)

2018-03-11 | 書評「て・と」の国内著者
徳冨蘆花『不如帰』(岩波文庫)

「ああ辛い! 辛い! もう―もう婦人なんぞに―生れはしませんよ。」日清戦争の時代、互いを想いながらも家族制度のしがらみに引き裂かれてゆく浪子と武男。空前の反響をよび、数多くの演劇・映画の原作ともなった蘆花の出世作。(「BOOK」データベースより)

◎姑の嫁イビリ小説

柴門ふみ『男はなぜ魔性の女に墜ちるのか』(kindle/角川ミニッツブック)を読んでいたら、掘辰雄『風立ちぬ』(新潮文庫、「山本藤光の文庫で読む500+α」掲載)を「サナトリウム小説」として取り上げていました。そこでふと思い出して、徳冨蘆花『不如帰(ほととぎす)』(岩波文庫)を再読することにしました。
『不如帰』は1898年に発表され、大ベストセラーになりました。こちらが元祖サナトリウム小説だと思ったのです。なにしろ『風立ちぬ』より約40年も前の作品なのです。

 その柴門ふみは、本書をサナトリウム小説とはしていません。別書で彼女の見解を引いてみます。

――この小説のキモは〈姑の嫁イビリ〉である。『不如帰』は、レンアイ文学というよりは、日本最高の〈姑文学〉と呼んだ方がいいかもしれない。(柴門ふみ『恋する文豪』角川文庫P292)

 嫁いびりの姑・お慶について、書かれた文章があります。補完しておきます。

――武男の母は、爵位を獲得するまでに敏腕凄腕の役人だった夫の独断専横に仕えて忍従し、寡婦になったとたん、いきなりたがが外れ、体も心も風船のようにムクムク肥大し、陰険になる。これといって嫁には批点がないことをわかっていながら、一人息子をめぐる嫉妬をお家大事の大義名文にすりかえて、嫁をいびる。(江種満子・井上理恵『20世紀のベストセラーを読み解く』学芸書林P141)

◎大衆好みの具材が満載

 片岡陸軍中将の娘・浪子は、夫の海軍少尉・川島武男と伊香保温泉にきています。二人は熱烈な恋愛の末に、結婚したばかりです。婚前の浪子は継母のもとで、息苦しい毎日を過ごしていました。それゆえ浪子は結婚したことで、開放感にあふれた毎日を満喫していました。
 ところが嫁ぎ先の川島家の姑・お慶は、なにかと浪子に辛くあたるのです。さらに浪子は、二つの問題に遭遇します。一つは夫・武男のいとこである、孤児の千々岩の横恋慕。彼は浪子を奪われたことに逆恨みし、復讐を企てています。もう一つは武男に思いを寄せていた、政商・山木の娘のお豊の存在です。彼女は二人の結婚に不快感を抱いています。
 
幸せの絶頂にあった浪子の生活は、三人の悪意によってかき乱されます。そんな折りに、浪子は喀血します。武男が海軍の遠洋航海で不在だった折のことで、浪子は悲嘆にくれます。そんな浪子をお慶は、静養と称して逗子の片岡家の別荘に追いやります。長い航海から戻った武男に、お慶は離婚を強要します。しかし武男は、かたくなに拒みます。
このころ日清戦争が激化し、武男は出征します。そして負傷して大陸から戻ってきます。
このあと物語は激しく動きますが、追いかけないことにします。さすがに大衆好みの具材を豪華にちりばめた物語だった、というのが私の素直な感想です。

◎明治という時代

本書に触れた、いくつかの書評を紹介させていただきます。

――圧倒的支持を受けた背景としては、結核の蔓延とそれへの恐怖、嫁姑の争いや家督相続問題など戦前の民法下での普遍的なテーマを扱っていたこと、(後略)(小田切進・尾崎秀樹『日本名作事典』平凡社P344)

――日清戦争をめぐる海戦描写や、軍部・政治家・政商の癒着ぶりなどの描き方には、時代を超えて今日にも通じている。この作品のモデルとしては、陸軍大将大山巌の娘と警視総監三島通庸の長男の悲劇的な結婚が下敷きとなっている。(栗坪良樹編『現代文学鑑賞辞典』東京堂出版P262)

本書が書かれたのは、明治の中期です。尾崎紅葉『金色夜叉』と並んで『不如帰』は、当時の大ベストセラーになりました。これらの小説を読むとき、明治という時代を理解しておくと物語がひと味違ったものになります。そのあたりについて、伊藤整は的確な指摘をしています。

――この作品を読んだ当時の日本の読者は、日本の家庭の、姑と若夫婦の同居から生まれる悲劇については、たいてい覚えがあるから、この作品に同感し、そこに書かれている物語がわが身のように感じられたのであろう。(伊藤整『改訂文学入門』光文社文庫P73)

――浪子だけでなく、お慶という憎まれ役も、その時代の歪んだ秩序に支配されて、自分の人間らしい生活感情を失ってしまったところの犠牲者だと考えなければならない。(伊藤整『改訂文学入門』光文社文庫P75)
 
文体が古くて、少し読みにくいかもしれません。また比喩の乱暴なのが、蘆花の特徴でもあります。

――武男の風貌を描いて、「栗虫の様に肥えし」といい、「毛虫程の髭は見え」とつづけるなど、たくまざるユーモアがあるとはいえなくもないが、いかにも粗雑である。ひげを形容して「毛虫」にたとえるのも、せっかくの主人公に気の毒である。こういう美意識の欠如は、紅葉、鏡花などといった人びとなら、いっぺんにそっぽを向いてしまうだろう。(『現代作家110人の文体』国文学1978年11月増刊号P36)
山本藤光2017.09.10初稿、2018.03.11改稿 


土橋章宏『超高速!参勤交代』(講談社文庫)

2018-03-08 | 書評「て・と」の国内著者
土橋章宏『超高速!参勤交代』(講談社文庫)

東北の湯長谷藩は、ある日お上から謂われのない難癖をつけられ、急遽5日以内に江戸へ参勤せよと命じられる。叛けばお取り潰し必定。―時間がない。財政難の小藩には費用も、行列を組む人手もない。心優しき藩主内藤政醇は知恵者の家老と共に策をこらす。妙案と頓智で難所を切り抜けていく殿と家臣の爽快劇! (「BOOK」データベースより)

◎厠(かわや)の中でつぶやいた

タイトルのユニークさに魅せられ、読んでみました。土橋章宏という作家は知りませんでしたし、時代ものはあまり好みではありません。とにかく『超高速!参勤交代』(講談社文庫)というタイトルのおもしろさだけで、本を買ってしまったのです。笑いまくりました。時代ものの極上なエンタメ。一言で形容するなら、こんなジャンルの小説です。

参勤交代とはどんなものなのか。本書を読むにあたって、理解しておかなければなりません。「山本藤光の文庫で読む500+α」で推薦予定の本から引用させていただきます。

――各大名に領地のほかに江戸にも屋敷を設けさせ、そこに妻子を住まわせ、一年ごとに領地と江戸を行ったり来たりさせるものだ。何でこんな無駄なことをさせたかというと、まず大名の妻子を江戸に住まわせたのは人質に取るため。そして領地と江戸を行ったり来たりさせたのは大名たちにお金を使わせ、幕府に逆らうことができないようにするためだった。(後藤武士『読むだけですっきりわから日本史』宝島社文庫P185-186)

『超高速!参勤交代』は序章と終章にはさまれた六日間で構成されています。一日目は参勤交代を終えて、磐城の湯長谷藩へ戻った日になります。そして場面は、いきなり主人公である大名の厠の一言から動き出します。

――「狭いのう」/内藤政醇(まさあつ)は、前かがみになりながら厠(かわや)の中でつぶやいた。(本文P10)

湯長谷藩は石高1万5000石の小藩で、厠の内藤政醇は殿様です。殿様は若く善良で、民からも愛されていました。剣の腕も居合抜きの達人ですが、閉所恐怖症という弱点があります。それが冒頭の場面で示されます。

◎汗と涙と笑いのドタバタ

参勤交代で疲労困憊している内藤政醇のもとに、「5日以内に参勤せよ」との通達が届きます。それに背くと藩はとりつぶしになります。それは悪徳老中の松平信祝の策謀によるものでした。松平信祝は湯長谷藩の銀山をわがものにしようと企んでいました。戻ったばかりの内藤政醇は、絶対に不可能と思われる難題に挑戦することになります。

藩には再び参勤交代するための、蓄財はありません。100名もの大名行列をするための人材確保もままなりません。それでも命令にしたがわざるをえません。そんな惨状のなかに、雲隠段蔵という忍者が助っ人としてあらわれます。通常の道中を進んでは、期日に間に合いません。雲隠段蔵は山道をショートカットするように助言します。

関所を通過するとき、わずか50名の大名行列を100名規模に見せかける知恵をつかいます。行列の進行を阻もうと、悪徳老中の松平信祝は忍者をつかいます。道中には、壮烈な立ち回りがあります。馬で先行する内藤政醇は、浪人姿で宿場で待ちます。そこでお咲という飯盛り女を見初めます。しかしそこにも、お尋ね者としてのお触れがきています。

汗と涙と笑いのドタバタ参勤交代は、やがて成就されます。著者の土橋章宏は、脚本家として数々の賞を受賞しています。1969年生まれで、小説は本書が2作目となります。それが話題となり、自らが手がけた脚本で映画化もされました。時代ものに笑いをもちこんだ手腕は、文壇でも高く評価されています。

脚本家の書く小説は、登場人物のキャラクターが鮮明なものになります。本書もそのとおりで、知恵者の家老・相馬兼続をはじめ、すべてにキャラが立っていました。ただし結末部分の悪徳老中の松平信祝の扱いが、少しゆるみすぎていると感じました。ところがネットのインタビュー記事(日本一の書評)を読むと、松平信祝が逆襲に出る『超高速!参勤交代・老中の逆襲』という続編が用意されているようです。
(山本藤光2016.06.03初稿、2018.03.08改稿)

徳田秋声『あらくれ』(講談社文芸文庫)

2018-03-07 | 書評「て・と」の国内著者
徳田秋声『あらくれ』(講談社文芸文庫)

年頃の綺麗な娘であるのに男嫌いで評判のお島は、裁縫や琴の稽古よりも戸外で花圃の世界をするほうが性に合っていた。幼い頃は里子に出され、七歳で裕福な養家に引きとられ十八歳になった今、入婿の話に抵抗し、婚礼の当日、新しい生活を夢みて出奔する。庶民の女の生き方を通して日本近代の暗さを追い求めた秋声の、すなわち日本自然主義文学を代表する一作。(「BOOK」データベースより)

◎「歴史」への抵抗

徳田秋声は、尾崎紅葉(推薦作『金色夜叉』新潮文庫)に師事しています。硯友(けんゆう)社派の作家としては、泉鏡花(推薦作『高野聖』新潮文庫)のように名声を博してはいません。しかし自然主義文学が隆盛をきわめるとともに、徳田秋声は田山花袋(推薦作『蒲団』新潮文庫)や島崎藤村(推薦作『夜明け前』全4巻、新潮文庫)と並び称せられるようになりました。
 
徳田秋声が文壇に地位を固めたのは、『黴(かび)』『爛(ただれ)』(ともに岩波文庫)『あらくれ』(講談社文芸文庫)にいたる過程だと思います。そのなかでも『あらくれ』は、有島武郎『或る女』(新潮文庫)とともに、女性を描いた日本近代文学の双璧といえます。
 
『あらくれ』を読んでいて、モーパッサン『女の一生』(新潮文庫、「山本藤光の文庫で読む500+α」推薦作)を思い浮かべました。調べてみましたが、直接の影響に言及している資料はありませんでした。もっとも素人の調べものなどアテにはならないのですが。

『あらくれ』の文庫帯には、次のようなコピーが掲載されています。実に的確な内容なので、転記しておきたいと思います。

――『あらくれ』は、(中略)「歴史」への抵抗としての秋声の小説のあり方を、最も生なましく語るテクストである。お島という一人の女性の半生を淡々と語っているように見えるこの小説は、しかし決して一人の女性の「歴史」ではなく、むしろ「歴史」への抵抗の荒々しいドキュメントとしてある。(大杉重男「解説」より)

夏目漱石は、『あらくれ』には哲学(フィロソフィー)がないと切り捨てています。なるほど『あらくれ』には、歴史を考察を交えて活写するという姿勢が見られません。同じ自然主義文学者としてくくられていますが、その点で田山花袋や島崎藤村の同列に認められていない要因なのでしょう。

夏目漱石の『あらくれ』評について、解説している文章がありますので紹介させていただきます。
 
――徳田秋声の作品は「真面目で、落着きがあって、無駄がなくて、老練である。どんな物を書いても出来損ないがない」ということを認めた上で、しかし、夏目漱石は秋声の作には哲学がない、理想がない、と『あらくれ』読後感を語ったのである。(平野謙『新潮日本文学4・徳田秋声集』解説より)
 
また広津和郎は『徳田秋声論』で、『あらくれ』をつぎのように評しています。

――自意識と感傷性を排し、「主義主張がなく、地味で、正直で、いつの間にかじわりと色々なものを消化し体得してゆく感受性」。(『大正の名著』自由国民社より)
 
◎がむしゃらに生きる女性の半生

主人公・お島は、男勝りの働き者です。7歳のときに両親からの虐待を逃れて、庄屋の家にもらわれました。養父母はお島に、家督を相続させるような素振りをみせていました。ところがお島が18歳のとき、お島が最も嫌う使用人・作と強引に結婚させようとしたのです。お島は祝言の夜に、家を飛び出してしまいます。
 
実家に戻ったお島は、両親の薦めで缶詰屋の後妻にはいります。やがてお島は妊娠しますが、夫からは作のこどもだと疑われます。夫には妾がいることも露呈します。お島は缶詰屋にみきりをつけて、再び実家へと戻ります。そこでお島は流産してしまいます。
 
お島は兄・壮太郎の仕事を手伝うために、山国の温泉地へいきます。ところが兄は事業に失敗し、お島は温泉地で一人働くことになりました。そこでもお島は、旅館の若旦那と深い仲になります。しかし妾あつかいにされることに、嫌悪をおぼえて東京へ戻ってしまいます。
 
東京でお島は、洋服の仕立て職人・小野田と結婚します。お島は小野田を一流の仕立て人にしようと、もちまえのあらくれ魂を存分に発揮します。ここまで、ものがたりをなぞりました。さらにものがたりは、小野田に女ができたり、お島が若い職人・順吉に恋をしたり、とつづけられます。
 
お島という型破りな女性が男に翻弄されつつ、一途に生きてゆく。『あらくれ』は、そんな主人公の半生を抑制された筆致で、淡々と描いています。ものがたりは突然、お島が若い順吉に夢を語るところで終わります。しかしその夢は実現することはないだろうな、と思わせるほどお島の人生は暗澹たるものです。
 
――あの女主人公は、一面では、家庭の主婦として地道な経済を、煮炊き掃除に至るまで骨身を惜しまずやり得た人なんですよ。世帯持ちの疳性(かんしょう)なところさえあったんですよ。ところがそういう面は、秋声氏は少しも書いていないんだな。(『座談会・明治大正文学史(2)』P338、勝本清一郎の発言)

徳田秋声はお島の主婦の部分を切り捨て、ひたすら前に突き進む女性を描ききりました。これまで読む機会のなかった徳田秋声にふれてみて、私はいま深い満足感をおぼえています。最後にがむしゃらに生きた、お島自身の心のなかを拾ってみたいと思います。
 
――七つのおりからの、色々の思出を辿ってみると、養父や養母に媚びるために、物の一時間もじっとしている時がないほど、粗雑ではあったが、きりきり働いて来たことが、今になってみると、自分に取って身にも皮にもなっていないような気がした。(本文P45より)

自分の過去を切り捨てたところから、ものがたりはさらに突き進んでいきます。堪能しました。
(山本藤光:2010.08.26初稿、2018.03.07改稿)

桐光学園+ちくまプリマー新書編集部・編『何のために「学ぶ」のか・中学生からの大学講義1』(ちくまプリマー新書)

2018-03-06 | 書評「て・と」の国内著者
桐光学園+ちくまプリマー新書編集部・編『何のために「学ぶ」のか・中学生からの大学講義1』(ちくまプリマー新書)

大事なのは知識じゃない。正解のない問いに直面したときに、考え続けるための知恵である。変化の激しい時代を生きる若い人たちへ、学びの達人たちが語る、心に響くメッセージ(「BOOK」データベースより)

◎知の宝庫

『中学生からの大学講義』(ちくまプリマー新書)は。全5巻のシリーズです。全5巻の内容は次のとおりです。

〇何のために「学ぶ」のか・中学生からの大学講義1
〇考える方法・中学生からの大学講義2
○科学は未来をひらく・中学生からの大学講義3(
○揺らぐ世界・中学生からの大学講義4
○生き抜く力を身につける・中学生からの大学講義5

本シリーズは桐光学園とちくまプリマー新書編集部の共同編集です。本書の趣旨を紹介させていただきます。

――知の最前線でご活躍の先生方を迎え、大学でなされているクオリティのままに、「学問」を紹介する講義をしていただき、さらに、それらを本に編みました。各々の講義はコンパクトで、わかりやすい上に、大変示唆に富み、知的好奇心をかきたてるものとなっています。(巻頭「今こそ、学ぶのだ!宣言」より)

丹念に全5巻を読みました。1巻には7、8人の講義が収載されています。私は毎朝、1講義ずつを読むことに決めました。1講義はほぼ1時間くらいで、学ぶことができます。これほど多岐にわたった、学習をする機会はありませんでした。目からウロコの連続でした。タイトルは「中学生からの」となっていますが、「大人のための」とした方がよい充実ぶりです。

まさに、知の宝庫といった装いのシリーズに、感激しました。

◎講師の薦める本

シリーズの先頭は時の人になった、外山滋比古(「山本藤光の文庫で読む500+α」推薦作『思考の整理学』ちくま文庫)の「知ること、考えること」です。この講義がすばらしい。全5巻のシリーズへの期待が、一挙にふくらみました。いきなり、こんな話ではじまります。

―― 一〇〇点がとれる人が一番すごくて、七〇点とか六〇点ぐらいではダメだと考える。しかしそれは旧式の考えだ。(外山滋比古)

そしてこのようにつづけます。
――すべての人間は天才的な能力を持って生まれてくるのである。ほとんどすべての子どもが例外なく、素晴らしい記憶力、素晴らしい感覚力を持っている。ところが残念なことに、その赤ん坊を育てる周りの大人たちが「人間を育てる」ことをまるで知らない。。(外山滋比古P20)

また前田英樹(「山本藤光の文庫で読む500+α」推薦作『独学の精神 』ちくま新書)は、力強いメッセージを発信してくれています。

――生涯愛読して悔いのない本を持ち、生涯尊敬して悔いのない古人を心に持つ。これほど強いことはないのではないかと、私などは思っている。こういうものは独学によってでなければ得られない。(前田英樹P50)

本書の優れている点は、講義のあとに「若い人のための読書案内」がつけられていることです。いずれも納得の推薦作です。ちなみに外山滋比古は『寺田寅彦随筆集』(岩波文庫)、夏目漱石『坊ちゃん』、『内田百閒随筆』を、前田英樹は内村鑑三・鈴木範久『代表的日本人』(岩波文庫)、柳宗悦『工藝の道』(講談社学術文庫)、西岡常一『木に学べ』(小学館文庫)を推薦しています。

講義で学び心が動いたら、推薦本を買い求める。なんとも幅広い学びの場を提供してくれています。

毎朝の1時間を、身がひきしまる思いで過ごしました。とてもよいシリーズですので、ぜひ毎朝の修業にご活用ください。
(山本藤光:2015.12.23初稿、2018.03.06改稿)

堂場瞬一『チーム』(実日文庫)

2018-03-05 | 書評「て・と」の国内著者
堂場瞬一『チーム』(実日文庫)

箱根駅伝出場を逃がした大学のなかから、予選で好タイムを出した選手が選ばれる混成チーム「学連選抜」。究極のチームスポーツといわれる駅伝で、いわば<敗者の寄せ集め>の選抜メンバーは、何のために襷をつなぐのか。東京~箱根間往復217.9kmの勝負の行方は―選手たちの葛藤と激走を描ききったスポーツ小説の金字塔。巻末に、中村秀昭(TBSスポーツアナウンサー)との対談を収録。(「BOOK」データベースより)

◎15年間で100冊

堂場瞬一は2000年『8年』(集英社文庫)で、小説すばる文学新人賞を受賞しデビューしました。つづいて2001年『雪虫』(中公文庫)を上梓しています。スポーツ小説、警察小説とジャンルの異なる分野での発表は、当時大いに話題になりました。ここまでは順調に読むことができましたが、その後は足早に書きつながれて、追いつくことが不可能になりました。。

なんと15年間で100冊のハイスピードです。ネット上では100冊への、カウントダウンもおこなわれています。紹介させていただく『チーム』(実日文庫)は、97冊目の作品のようです。私はデビューからの2作品と97作目しか読んでいませんが、堂場瞬一は若い読者から圧倒的な支持をうけています。

堂場瞬一『チーム』(実日文庫)を読んだのは、ひょんなきっかけからです。吉野万理子の新作『チーム!』(小学館文庫)を買いに行きました。書店の書棚には、上巻と中巻しかありませんでした。下巻を探していて偶然に目にしたのが、同じタイトルの堂場瞬一の著作だったのです。結局、吉野万理子の『チーム!』下巻は翌月の配本だということがわかりました。

そんな理由から堂場『チーム』を読むことになりました。卓球小説を読むつもりだったのが、駅伝に様変わりしたわけです。15年間で100冊のペースなのだから、なかには雑な作品もあるだろう。そんな不安もありましたが、次のインタビュー記事を読んで迷いは消えました。。

――でも僕は<子ども>には興味がないのです(笑)。頂点を極めて頂点を転がり落ちる一歩手前ぐらいの人に関心があります。スポーツ選手というのはエゴが肥大化していて、最終的には「お前さえいなければ」の世界。でも人に勝ちたいというのは、人間の基本的な欲望。それを書かない手はない。(「ブックサービス」インタビュー記事より。発表日時不明)

◎無地のタスキに集う

堂場瞬一『チーム』は、非常にレベルの高い作品でした。箱根駅伝は知っていましたし、学連選抜(現在は「学生連合」と呼称を変更しています)というチームの存在も理解していました。本番に出場できなかった大学の、寄せ集めチーム。そんな軽い理解を、堂場瞬一は力強い筆致で叩きのめしてくれました。

登場人物のキャラクターが立っています。主人公の浦大地は城南大の4年生です。3年のときに箱根の最終10区を走り、大ブレーキとなりシード権を失った張本人です。シード落ちした大学で競う予選会でも、城南大はあと一歩というところで涙をのみました。

浦大地は、学連選抜のチームメンバーに選出されます。母校の名誉のために走るのではない、学連選抜に浦は疑問を持ちます。なんのために走るのか。予選会で好タイムを出した選手が、学連選抜という無地のタスキのもとに集います。

だれもが露骨には口にしませんが、目標を失って抜け殻状態になっています。寄せ集めチームの監督は、予選会で11位だった吉池が務めます。吉池は一度も箱根を経験していません。そして今回がはじめての箱根挑戦であり、2日間が終わったら引退が決まっています。監督は浦を。急造チームのキャプテンに指名します。

チームには、3度の箱根で区間賞を獲得した山城も合流します。山城は、チームワークなるものの価値を認めていません。だれとも交わろうとせず、自分のために走るという姿勢を貫きます。

バラバラのチームから、10人のエントリーが決まります。浦はアンカーで、その前の9区を山城が走ることになります。母校の色を染めたタスキではない無地のタスキは、本番直前になっても張りを失ったままです。

◎なんのために走るのか

箱根駅伝の幕開けです。本書は2部構成になっており、緊迫の2日間は第2部で展開されます。堂場瞬一は、苛酷なレースの模様を、絶妙な手法で表現してみせます。走っているランナーの胸中の描写。監督車に乗った吉池の胸中。携帯で実況を聞くマネージャー、沿道の声援。そしてレース展開を見守る仲間たちのやりとり。さらに駅伝コースの景色。

テレビで見慣れた箱根の風景やランナーの孤独が、手に取るようにわかりました。レース展開の模様は、実況マイクが故障したために、お伝えすることができません。東京~箱根間往復217.9kmの苦闘の模様は、本書をお読みいただくことでカバーしてください。

なんのために走るのか。だれのために走るのか。吉池は報道陣を前に優勝宣言をします。果たしてレースの行方はどうなるのか。浦はどうチームをまとめるのか。山城はチームのために走るのか。

私のマイクは完全に壊れて、これ以上発信できません。昨日『チーム2』を買い求めました。浦と山城のその後が描かれているようです。とりあえず「読む本」にエントリーしましたが、その前に吉野万理子『チーム!』を読まなければなりません。選手の荒い息遣いが、まだ聞こえます。大手町のゴールを目前にせまっています。
山本藤光:2015.12.25初稿、2018.03.05改稿

藤堂志津子『熟れてゆく夏』(文春文庫)

2018-03-05 | 書評「て・と」の国内著者
藤堂志津子『熟れてゆく夏』(文春文庫)

夏。北海道。瀟洒なリゾート・ホテル。共通の〈女主人〉を、それぞれの思いで待ち受ける、美しく不安な若い男女。ときに反発しあい、ときには狎れあいながら、たゆたゆと待つ日々が過ぎてゆく。女主人の望みはいったい何なのか?愛と性のかかわりの背後にうごめくエゴイズムや孤独感、焦躁感、そして混沌とした愛欲の世界をあざやかに描いた表題作は、第100回直木賞受賞作。藤堂作品の原型がここにある。他に「鳥、とんだ」「三月の兎」の二篇を収録する。(文庫案内より)

◎新潮新人賞落選から直木賞受賞まで

藤堂志津子は熊谷政江という本名で詩を書いていました。その後、小説家に転身しています。足跡をまとめてみます。

1979年(30歳)「熟れてゆく夏」新潮新人賞候補。後に同題名で改稿されます。
1983年「椅子の上の猫」(熊谷政江名義)北海道文学賞。
1987年『マドンナのごとく』(熊谷政江名義)北海道新聞文学賞、直木賞候補。
1988年『熟れてゆく夏』第100回直木三十五賞を受賞。

新潮新人賞に落選した「熟れてゆく夏」で、直木賞受賞。なんとも不可思議なできごとです。落選した「熟れてゆく夏」の中味はわかりませんが、タイトルのみ残して全面改稿されているのだろうと思います。

直木賞受賞の前年に発表された『マドンナのごとく』(新風舎文庫)は直木賞候補作となりました。選者から手厳しい評価がなされ、残念ながら受賞にはいたりませんでした。選評の1例だけ引用させていただきます。

――ヒロインはともかく、男たちが書きこまれていないので、魅力に乏しい。作品にみなぎるナルシシズムも気になる。(田辺聖子の選評より)

藤堂志津子が『熟れてゆく夏』(文春文庫)で直木賞を受賞するまでには、いくつもの試練がありました。直木賞受賞の選評では、つぎのようなコメントがなされています。

――このまえの候補作『マドンナのごとく』にくらべると、格段によくなっている(陳舜臣の選評より)

藤堂志津子が描く女性には、毒があります。落選、受賞のくりかえしのなかで、藤堂志津子は毒の配合に長けてきたのだと思います。その証拠に、直木賞受賞後に発表された『あの日、あなたは』(文春文庫)や『恋人よ』(講談社文庫)には、舌先をしびれさせる毒気が消失していました。

◎律子の過去

藤堂志津子『熟れてゆく夏』(文春文庫)を推薦させていただきます。本書には表題作のほかに、2つの作品が収載されています。

『熟れてゆく夏』を引っ張っているのは、なかに挿入されている詩です。普通はそこだけが浮いてしまいがちですが、本書は詩が強烈なメッセージを発しています。これは著者が詩を書いていたことと、無縁ではありません。

主人公の律子は大学生です。伯母が経営する美容室でアルバイトをしています。律子は店の常連客である、松木夫人と親しくなります。松木夫人は45歳の裕福な未亡人です。自分の若いころに似ていると、律子をかわいがってくれます。いっぽう律子も、知的で妖艶な松木夫人に惹かれてゆきます。

松木夫人には紀夫という、若くて粗野な愛人がいます。律子は紀夫に、生理的な嫌悪感をおぼえています。そんな3人は北海道の短い夏を、海辺のリゾートホテルで過ごすことになります。

本書は律子の過去が、しだいに浮かびあがる構成になっています。律子は中学時代に、妹の雪子と同居していた知人の娘・道子に君臨していました。道子にたいしては、性的な嗜虐をしてもいました。そんな過去の体験が、現在の律子を支配しています。

松木夫人には、律子と紀夫を結びつけようとの意図があります。紀夫は養子になることをねらっており、あからさまに拒絶することはできません。律子は紀夫から、今度の休暇のねらいが、3人で性を楽しむことにあると聞かされています。

2人はリゾートホテルで、松木夫人の到着を待っています。松本夫人は初老の男・咲山を連れてきました。ストーリーを追うのはここまでにします。

本書の読みどころについて、書かれた文章があります。紹介させていただきます。

――作品の結末からみれば若い女性が中年の女性に愛玩動物のように操られており、その状態から主人公が自立していく物語という読み方も可能であろう。しかしここにたどられる人間関係の綾は年上の女性の暇にまかせた偏向した趣味、変態的趣味といってもいい光景である。(栗坪良樹編『現代文学鑑賞辞典』東京堂出版より)

律子は松木夫人が初老の男・咲山を同伴してきたとき、なぜホテルを立ち去ったのでしょうか。それを解く鍵は、律子の性的な嗜好にあります。中学時代に体験したレズビアン。そして3Pへのほのかな期待。

藤堂志津子は妖しい年上の女に操られながら、過去の体験をそれに重ねる律子の心を、これでもかといわんばかりに表出させます。これほどきっちりと若い女性の心情にせまった作品は、いまのところほかには知りません。読者にこびることを拒絶した『熟れてゆく夏』は、ぴんと張りつめた北海道の冷たい夏を描いた作品です。
(山本藤光:2007.09.15初稿、2018.03.05改稿)

常盤文克『知と経営』(日経ビジネス人文庫)

2018-03-03 | 書評「て・と」の国内著者
常盤文克『知と経営』(日経ビジネス人文庫)

過去ではなく未来の消費者ニーズを探れ。知こそ最大の経営資産なり、学ぶべきは大自然に。「アタック」「健康エコナ」などユニークなヒット商品を連発し、増収増益を続ける花王の前会長が、豊富な経験談を織り交ぜながら、モノづくりの真髄を熱く語る。(「BOOK」データベースより)

◎大自然に学べ

常盤文克さん(以下敬称略)は元花王会長で、私が尊敬している経営者の一人です。最初に『知と経営』(ダイヤモンド社、初出1999年)を読んだときの衝撃は今も忘れません。本書には著者からいただいた、ハガキがはさみこんであります。共感の手紙にそえて拙著を送らせていただいたときの、謝礼のハガキです。

常盤文克は、ナレッジマネジメントの実践者です。私は企業人時代に野中郁次郎先生から、「きみたちがやっているSSTプロジェクトは暗黙知に特化した極めてマレなプロジェクトです」といわれました。それがナレッジマネジメントを知ったきっかけです。

著者には「大自然から学べ」という哲学があります。その背景には次のような信念があるのです。

――よく「知の創造」などと言うが、私たちに必要な知は、創らなくともすでに存在している。その代表的な例が、「大自然の知」(暗示知と黙示知)である。(本文P13)

「大自然の知」について、常盤文克は多くのページを費やしています。「大自然から学べ」といわれても、普通の人はなんのことかわからないと思います。常盤文克は晩年の夏目漱石の「則天去私」の境地で、それを説明してみせます。

――天(大自然)に則り、私を去る。まさに、大自然の広大な知(黙示知)の前に心を空しくしてただずむ、漱石の姿が浮かぶようだ。(本文P15)

「大自然から学べ」については、自らの体験も踏まえて、本書の第2部で詳しく説明されています。偉大なる経営者の原点にふれられる、素晴らしい文章に魅せられました。

◎知の創造

ナレッジマネジメントでは「知」を2つに区分します。文字や言葉に表せられたものを「形式知」といいます。テキスト、マニュアル、データベース、成功例の発表などのことです。もう一つは「暗黙知」といって、文字や言葉にあらわしにくい知のことです。こちらは名人芸やスキル、ノウハウなどが該当します。

常盤文克は「知」を3区分しています。

明示知:これは前記「形式知」と同じです。
暗示知:これは前記「暗黙知」と近い概念です。俗人的な知。
黙示知:

常盤文克は「形式知」と「暗黙知」を支えるものとして、「黙示知」を大切に考えています。「黙示知」は大自然のなかにあります。狭義の意味では、企業カルチャー、風土、組織知などとなると思います。

常盤文克は個人知を高めるためには、良質な組織知が大切と考えます。個人知を組織知にするのは、ナレッジマネジメントの大きな骨格です。組織知のなかに、大自然までとりこむ常盤文克の発想は目からウロコでした。

外部の知と積極的に交わりなさい。知を正当に評価しなさい。『知と経営』は、知を重視した企業カルチャー創造の指南書です。本書を経営者ではない読者が読む場合は、いかに知力あふれる自分自身を創造するか、という感性をもつことが大切です。

◎よい問い

本書のなかから、感銘した言葉をいくつか紹介させていただきます。

――よい<知>を得るためには、よい<問い>がなければならない。(本文P148)

これって簡単なことのようですが、マネジャーの力量で、大きなちがいが生まれます。常に問題意識を持ち合う組織風土がなけらば、せっかくのよい問いも活かされません。そのためにも知的な武装をした基盤を整えることが大切なのです。

――全体最適を達成するためには、対立しながらも、協力しなければならない。対立が起こった時、それを乗り越えて<協力>するのが若い企業であり、それを先送りして<協調>あるいは、<妥協>するのが老いた企業である。(本文P163)

花王の基本理念は、「よきモノづくりを通して、顧客の心を打つ満足を」です。花王は顧客の「知」にフォーカスをあてて、それを着実にモノづくりに役立てています。それゆえ不況のなかでも、好業績をあげることができるのです。

本書はわかりやすい文章で、「知」と「経営」を解き明かしています。知は変化とともに陳腐化します。常に新しいものにしなければなりません。

企業内には、限られた「知」しか存在しません。企業の垣根を超えた「知」の交換。大自然に学ぶと同時に、著者は他企業にも学びなさいといっているのです。

「問い」とは、自分自身のうちに向けられる場合と、暗黙知をもった第三者に向けられる場合とがあります。自分ひとりで考えられることには限界があります。著者は、外に目を向けなさいといっています。対象は自然界であり、優れた人なのです。
(山本藤光:2002.05.30初稿、2018.03.03改稿)

出久根達郎『作家の値段』(講談社文庫)

2018-02-26 | 書評「て・と」の国内著者
出久根達郎『作家の値段』(講談社文庫)

初版か再版か、帯や函は残っているか、美麗か、もちろん作家の人気も―さまざまな条件で古本の価値は大きく変わる。街場の古本屋は知っているのだ。本当に残るべき文学、消えていく文学とは何なのかを。読書好きのためにホンネで書ききった、「本邦初、読んで損はない、どころか読めば儲かる実益作家論」。(「BOOK」データベースより)

◎安部公房が眼前でサイン

ブックオフなどの新古書店が誕生してから、初版本の価値がないがしろにされるようになったように感じます。大学生のときのことです。新宿紀伊国屋で安部公房のサイン会がありました。列にならんで、私は安部公房のデビュー作『壁』(月曜書房)の表紙をひらきました。本来は新刊を購入して、そこにサインをしてもらうのが趣旨でした。『壁』は神田の古本屋で、アルバイト日当8千円(当時セブンスターが70円)をつぎこんで買い求めたものです。
 
当時私は、卒業論文「安部公房・第三の道」と格闘中でした。順番がきました。安部公房は黒縁の眼鏡を鼻にのこしたまま、顔をあげました。「卒論で安部公房を書いています」と伝えました。声がうわずり、震えました。「そう」と短い返答がありました。「山本藤光様/安部公房」の文字が、寂しかったページいっぱいに広がっていました。
 
それから1年後、就職活動をしながら、卒業論文を仕上げなければなりませんでした。生活の糧であるアルバイトが、できなくなっていました。たちまち困窮してしまいました。宝物のように大切にしていた、署名本『壁』を手放さざるをえなくなりました。神田の古本屋に持ち込みました。35000円で買い取ってくれました。企業人になってからの初任給と同じ額でした。
 
就職しました。お金にも余裕が生まれました。「山本藤光様/安部公房」と大書された本を探し歩きました。見つかりません。いまなお心残りですが、安部公房ファンの誰かが大切にしてくれていることとあきらめました。
 
古本屋に持ちこめば、目利きのプロが古書の市場価格を割りだしてくれます。新古書店のように売れ筋の本できれいなら、定価の10分の1が買いとり価格、などという設定はしていません。

出久根達郎は、古書店主であり直木賞作家です。その人が、24人の作家の古書価格と作品論をまとめあげました。『作家の値段』(講談社文庫)は、本好きにはたまらない著作です。文庫本の帯には「『竜馬がゆく』極美50万」とあります。古書価格を知らない人は、この本を新古書店に持ちこんでいます。あまりにも、もったいない話です。
 
自分の書棚に眠っている「帯つき」「初版本」の価値を、学んでみてもらいたいと思います。司馬遼太郎、三島由紀夫、山本周五郎、川端康成、太宰治、寺山修司、宮沢賢治、永井荷風、江戸川乱歩、樋口一葉、夏目漱石などをお持ちなら、ぜひ本書を読んでいただきたいものです。
 
◎たくさんの新たな発見ができた

前記のとおり、司馬遼太郎『竜馬がゆく』のきれいな初版本は、店頭価格で50万円です。本書が優れているのは、初版本の価格以外に次のような考察が豊富にあることです。
 
――「(引用者注:坂本龍馬の)残されている直筆の手紙を見ても、署名は龍だ。司馬さんはどういうつもりで竜馬にしたのだろう?」(本文P15より)

――三島文学を手っ取り早く知るには、作品の書き出しと結びの文章を数行読めばよい、と私は考える。たとえば、『仮面の告白』。三島文学と三島の人となりが、一番素直にわかる。ういういしい青春小説であり、性の自伝である。(本文P35より)

――直木賞を辞退した作家は、周五郎ただ一人である。『日本婦道記』は直木賞受賞作ではなく、受賞辞退作、という妙な栄光を担っている。当時の話題作であった。/「ずいぶん高価だろうね?」ワクワクしながら訊くと、大場さんが電話の向うで含み笑いを漏らした。/「だから話題になって当時は大いに売れたんだね。古書価は案外なんだ」「へえ」「三万円くらいかな」(本文P52より)

本書にたびたび登場する「大場さん」は、「龍生書林」の主、大場啓志氏のことです。古書価格にもっとも詳しい人として有名です。
 
私は本書のいたるところに、赤線を引きました。それだけ読み応えがあったのです。出久根達郎の直木賞受賞作『佃島ふたり書房』(講談社文庫)は、古書店を舞台にした秀作です。三上延『ビブリア古書堂の事件手帖』(メディアワークス文庫)で、古書店がスポットをあびています。古書店には、ブックオフなどの新古書店では味わえない、温もりがあります。

出久根達郎は、読書人のニーズを熟知しています。それゆえ通常の作家論とくらべて、わかりやすいのが本書の特長です。ある特定の作家を読んでみたいと思ったら、本書は格好のガイドブックとなります。特に前記の作家たちについては、たくさんの新たな発見ができました。文句なし、「知・古典・教養ジャンル」の125冊として推奨させていただきます。
(山本藤光:2010.04.28初稿、2018.02.26改稿)