山本藤光の文庫で読む500+α

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桃谷方子『百合祭』(講談社文庫)

2018-03-04 | 書評「も」の国内著者
桃谷方子『百合祭』(講談社文庫)

乳房を手で包むようにしながら、柔らかく吸った。また、ちゅうちゅうと音が立った。彼は、乳首を舌でなぞりながら、腰巻の紐を解き始めた―。老女ばかりが住むアパートに八十を目前にした男性・三好さんが引っ越してきた。彼女たちは、魅力的な三好さんに惹かれていく。愛の争奪戦の行方はいったい―。(「BOOK」データベースより)

◎登場人物は高齢者だけ

桃谷方子(ももたに・ほうこ)は1955年札幌で生まれました。『百合祭』(講談社文庫)は桃谷方子の初著作です。「百合祭」は北海道新聞文学賞を受賞しています。桃谷方子作品で文庫化されているのは、本書だけです。ほかに『恋人襲撃』『青空』『馬男』(いずれも講談社)などの著書があります。

『百合祭』には、2つの作品が収載されています。表題作「百合祭」は秀逸です。同時収載の「赤富士」は、あまり評価ができませんでした。

『百合祭』の舞台は、札幌の「毬子アパート」です。毬子という姓の夫婦が経営しています。登場人物は、69歳から91歳までの老人ばかりです。亡くなった戸塚ネネの部屋に、三好輝治郎・79歳が入居してきます。波瀾万丈の物語の幕開けです。

宮野理恵さんは73歳。この作品の中心人物です。「毬子アパート」には20年間住んでいます。息子が家を購入し「お母さんの部屋」を用意しましたが、同居しようとは思っていません。病院からの帰り道に、荷物をつんだトラックから乱暴な声がかかります。

――「お婆ちゃん、毬子アパートって、どこにあるか知ってるかい」老人はすべて耳が遠いと決めてでもいるのか、耳を覆いたくなるほどの大声であった。(本文P10より)

宮野さんは、大声と馴れ馴れしい言葉遣いに憤慨します。すると助手席の奥のほうから声がします。

――「君、女性に対してそういう口の利き方は失礼だよ。『お婆ちゃん』じゃなくて、『奥さん』と呼ぶものだ」(本文P11より)

声の主は引っ越してきた、三好輝治郎のものでした。これが宮野さんと三好との出会いとなります。

宮野理恵さん以外の、「毬子アパート」の面々を紹介しなければなりません。現在は年老いた女性ばかり5人と大家さん夫妻が住んでいます。桃谷方子は、これらの人物をみごとに描き分けています。

大家の毬子徳蔵は80歳を過ぎて、近所のバーのママさんに恋慕しています。

奥さんは肥満体で77歳。
――毬子さんの奥さんは神社にある大木のような腰をソファに下ろすと、火でも吐く勢いで言い立てた。(本文P42より)

里山照子さんは69歳。住人のなかでは一番若い女性です。
――里山さんが笑みを作った。頬にえくぼができた。百四十センチそこそこの身長で搗きたての餅のようにたぶたぶと太っている。まだ六十九歳ではあるが、もともと色がしろくきめこまかい肌のせいか老いが年齢に重なっていない。(本文P54より)

横田レナさんは81歳。薄野でバアを経営していました。そのせいか社交的でおしゃれです。
――皺が寄っていても横田さんの大きな黒い瞳は、男性の意識を自分に向けさせるために必要な表現を熟知している。男性が寄せる関心こそが女にとっての勲章なのだと、決意じみた意志をその瞳は放射している。(本文P17より)

北川よしさんは、最年長の91歳。腰が曲がっています。男性の股間を握る、奇癖があります。
――子供が七人もいるのに誰一人として面倒を看てくれないのよ。それなのに猫を三匹も飼う余裕がどこにあるの。北川の婆さん、茶の湯だのお琴だの教えていたと言うけど、そんなことは昔の話でしょ。今は爪に火を灯すようにしなければ暮らしていけないありさまなのよ。(本文P42より)

並木敦子さんは76歳。新興宗教に入信しています。
――並木さんは贅肉が少しもない。百五十センチ近い細身のからだ自体が、生真面目を表現しているようだ。(本文P65より)

これだけならべただけで、圧倒されると思います。舞台は老人ホームではなく、毬子アパートです。三好輝治郎は、魅力的な男性です。長身で清潔。そしてなによりもフェミニストなのです。毬子アパートの住人たちは、三好輝治郎に魅せられます。

◎その最中に音がはじけた

住人たちの身だしなみが整いはじめ、化粧すらよみがえります。宮野さんも三好輝治郎の出現で、忘れかけていた熱い思いをとりもどします。三好輝治郎をめぐり、老いた女性が動きだします。己惚れ、妄想、嫉妬、執念と確執。著者は軽快なリズムで、それらを描きだします。老いとともに封印されていた、情念がはじけます。

宮野さん(73歳)と三好(79歳)のからみの場面はすさまじいものです。

――三好さんが宮野さんに覆い被さった。柔らかい性器が、宮野さんの性器に触れた。三好さんのそれは、まるで、猫の足の裏の肉球のような、搗き立ての鶯餅のような、優しい柔らか部分になっているに違いなさそうだ。いつまでも膨らむ兆しはなかった。(中略)宮野さんは、自分から足を心もち開いた。そこに、三好さんの性器を挟んだ。柔らかく締めた。(本文P90より)

その行為の最中に「ぱん」という、弾けるような音が聞こえます。仏壇に飾った百合の蕾が弾ける音でした。

『百合祭』はこれまでにだれも書かなかった、新しい世界の物語です。表題作「百合祭」は秀逸でしたが、同時収載の「赤富士」は、あまり評価ができません。タイトルに魅力がありません。ストーリーも感心しません。

主人公の小百合は中学2年生です。おかあさんとパパと鈴之助という犬と、平和に暮らしています。電話台の上には赤富士の額が飾られています。小百合はきれいな絵だけれど、どこか異様に思えて怖いと感じています。

そこへ「おとうさん」が舞い戻ってきます。6年近くも音信不通でした。静かで平穏な日常への闖入者。よくあるパターンです。パパとおとうさんがすったもんだして、仲裁に入ったおかあさんがはずみで倒れます。股間から血が流れます。「赤ちゃん、流れる」とおかあさんが叫びました。

著者は意図的に「赤」を演出したようです。おとうさんが携えてきたのは、しゅうまいの「赤い箱」、食卓のラム肉の赤身、そして最後は出血。評価できない作品についても、長々と書いてしまいました。

「百合祭」があまりにもすばらしかったため、反動で手厳しくなってしまったようです。『百合祭』は絶版文庫ですが、ぜひ探しだして読んでみてください。表題作だけ読むと、余韻はさわやかだと思います。
(山本藤光:2013.02.13初稿、2018.03.04改稿)

森見登美彦『新釈走れメロス』(祥伝社文庫)

2018-03-04 | 書評「も」の国内著者
森見登美彦『新釈走れメロス』(祥伝社文庫)

あの名作が京都の街によみがえる!? 「真の友情」を示すため、古都を全力で逃走する21世紀の大学生(メロス)(「走れメロス」)。恋人の助言で書いた小説で一躍人気作家となった男の悲哀(「桜の森の満開の下」)。――馬鹿馬鹿しくも美しい、青春の求道者たちの行き着く末は? 誰もが一度は読んでいる名篇を、新世代を代表する大人気著者が、敬意を込めて全く新しく生まれかわらせた、日本一愉快な短編集。(文庫案内より)

◎角川文庫でも登場

森見登美彦は1979年に生まれ、京都大学農学部を卒業し、その後大学院で修士課程を修了しています。小説デビューは在学中(24歳)で、『太陽の塔』により日本ファンタジー・ノベル大賞を受賞しました。以降、『夜は短し歩けよ乙女』(2007)で山本周五郎賞、『ペンギン・ハイウェイ』(2010)で日本SF大賞し、今回取り上げる『新釈走れメロス』(祥伝社文庫)にいたります。

『新釈走れメロス』は2015年8月、角川文庫から再刊されました。そのあたりについて森見登美彦は、ブログ「この門をくぐる者は一切の高望みを捨てよ」のなかでつぎのように紹介しています。

――森見登美彦氏の『新釈走れメロス他四篇』が角川文庫の仲間入りをする。/八月二十五日頃から書店にならぶ予定である。/注意していただきたいが、この本は祥伝社の『新釈走れメロス他四篇』と内容的には同じであって、登美彦氏はほとんど何もしてない。懐手して奈良でゆらゆらしていたのみ。孫の仕送りを待つ、おジイさんの気持ちであった。

というわけで、ここでは先発権を尊重して、祥伝社文庫で紹介することにしました。

本書は次の作品を意識して書かれています。

中島敦『山月記』(新潮文庫、「山本藤光の文庫で読む500+α」推薦作)
芥川龍之介『藪の中』(新潮文庫)
太宰治『走れメロス』
坂口安吾『桜の森の満開の下』(岩波文庫、「山本藤光の文庫で読む500+α」推薦作)
森鷗外『百物語』(新潮文庫『山椒大夫/高瀬舟』所収)

◎パロディ?パスティーシュ?
 
直木賞受賞作家・中島京子のデビュー作は、『FUTON』(講談社文庫。500+α紹介作)という作品でした。文庫解説の斎藤美奈子は、この作品を「本歌取り」小説と形容しました。「本歌取り」とは、和歌などで用いられる用語です。ちなみに『FUTON』は、田山花袋の『蒲団』を作品にとりこんでいます。

森見登美彦『新釈・走れメロス』(祥伝社文庫)は、まさにそうしたはんちゅうの作品です。 

森見登美彦が好んで描くのは大学生であり、舞台は京都に限定されています。『新釈走れメロス』収載の5短編も、構図は従来の作品と変わりません。表題作「走れメロス」には「走れメロス逃走図」までが挿入されています。

森見登美彦『新釈走れメロス』は「本歌取り」というよりも、むしろ「パスティーシュ」としてくくるべきなのでしょう。パスティーシュの代表格は、清水義範(推薦作『蕎麦ときしめん』講談社文庫)です。「パスティーシュ」について、すこし説明をくわえておきたいと思います。

――パスティーシュ:他の作家の作品から借用されたイメージやモティーフ等を使って造り上げた作品。素材となる作品中の特定の要素に共感し、これに一貫して光を当てるような操作が行われる場合と、素材にはらまれていた矛盾や緊張を強調して作品を再構成する場合がある。F.ジェームソンは政治批判性のある<パロディ>に対して、無批判的な<パスティーシュ>をポスト・モダン文化に特有な芸術表現として提唱した。(「百科事典マイペディア」より)
 
『新釈走れメロス』は、「本歌取り」でも「パスティーシュ」でもない不思議な作品です。十分に堪能していただけると思います・
 
――京都吉田界隈にて、一部関係者のみに勇名を馳せる孤高の学生がいた。/その名を斎藤秀太郎という。

第1収載作「山月記」の冒頭は、引用のとおりです。5つの作品は独立していますが、微妙なつながりを示します。いつも感心するのですが、森見登美彦はばかばかしい話を紡ぎ出す天才だと思います。

ものがたりの説明は不要でしょう。原作を読んでいる人なら、怒り出すか笑い出すかのどちらかになります。大学11年生の斎藤秀太郎がやらかすハチャメチャをお楽しみください。
(山本藤光:2010.08.21初稿、2018.03.04改稿)

森博嗣『すべてがFになる』(講談社文庫)

2018-03-03 | 書評「も」の国内著者
森博嗣『すべてがFになる』(講談社文庫)

孤島のハイテク研究所で、少女時代から完全に隔離された生活を送る天才工学博士・真賀田四季。彼女の部屋からウエディング・ドレスをまとい両手両足を切断された死体が現れた。偶然、島を訪れていたN大助教授・犀川創平と女子学生・西之園萌絵が、この不可思議な密室殺人に挑む。新しい形の本格ミステリィ登場。(「BOOK」データベースより)

◎現役は強い

森博嗣『常識にとらわれない100の講義』『思考を育てる100の講義』(ともにだいわ文庫)を読んで、「山本藤光の文庫で読む500+α」の「知・古典・教養」ジャンルの候補作にしました。哲学的ではなく、ニュートラルな語り口に好感が持てたからです。

そのあと、ずっと気になっていた森博嗣のデビュー作『すべてがFになる』(講談社文庫/kindle)を読んでみました。森博嗣作品は、理系ミステリィと呼ばれています。しかし最近では、恋愛小説や絵本など幅広いジャンルで活躍しています。

『すべてがFになる』は、私には難解でした。いまだに「F」の意味が理解できていません。本書はドラマやアニメにもなっているようです。私が理解不能だった「F」をどのように、可視化しているのか、確認してみたいと思います。

本書のドラマ化にあたって、森博嗣は次のように語っています。

――これまで映像化のオファは10回以上ありました。ぼくは、それらすべてに対して無条件でOKしてきましたし、口出しも一切しません。しかし、いずれも実現しなかったのは、やはり、マスメディアが許容できないタブー的な部分が作品のコアにあったためでしょう。(『IN POCKET』2014年11月号)

しかし不消化のままでも、本書の魅力を堪能できました。人物造形が巧みであり、舞台も鮮明にイメージできました。森博嗣は理系の大学准教授です。海堂尊にも感じることですが、二足のわらじ作家は物語の味つけが安定しています。最新の調味料を加えているのですから、圧倒されまくります。細部はわからなくても、全体の流れは明確に把握できます。現役は強いな、と実感させられました。

◎外部との連絡が遮断され

『すべてがFになる』は、「S&Mシリーズ」全10作品の最初の作品になります。シリーズ全体では380万部の売上があります。理系ミステリーとしては、革命的な売れ行きだと思います。S&Mは2人の主人公・犀川創平(さいかわ・そうへい)と西之園萌絵(にしのその・もえ)の名前の頭文字をとったものです。

犀川創平32歳は、N大学工学部建築学科准教授。西之園萌絵19歳は犀川の教室の1年生。西之園萌絵の父はN大学の元総長であり、犀川はその教え子という関係です。また萌絵の叔父は愛知県警の本部長であり、伯母は愛知県知事夫人です。

S&Mコンビは犀川ゼミのキャンプで、妃真加島を訪れます。ここは孤島で、唯一真賀田研究所の建物があるだけです。そこには天才プログラマ・真賀田四季(まがた・しき)がいます。彼女は14歳のときに両親を殺し、その後15年間真賀田研究所に幽閉されています。

キャンプの夜、S&Mコンビは真賀田博士との面談を求めて、研究所を訪れます。研究所は厳格に電子管理されています。2人は真賀田四季の部屋へ入ると、ウエディングドレスを着た手足のない死体と遭遇します。博士のコンピュータには、「すべてがFになる」とのメッセージが残されています。

突然、外部との連絡がとれなくなります。外部から戻ってくる研究所所長・新藤清二の、ヘリコプターに搭載している無線機だけが頼りです。ところが戻ってきたヘリコプターには無線機がなく、新藤所長の死体が残されているだけでした。

S&Mコンビと真賀田四季の、壮烈な頭脳戦の幕開けです。少し毛色のかわったミステリーとして、推薦させていただきました。

本書については、あまり語らない方がよいと判断しました。「F」とは何か。ぜひ確認してみてください。
(山本藤光:2014.08.11初稿、2018.03.03改稿)

森詠『那珂川青春記』(集英社文庫)

2018-02-28 | 書評「も」の国内著者
森詠『那珂川青春記』(集英社文庫)

那珂川の辺、栃木県・黒磯町。高校二年の大山茂は、進学クラスの同級生たちと盟約を結び、「男道」の追求に励む毎日だ。他のクラスのワルと張り合い、アナクロ教師に抵抗し、美しい女生徒に恋心を抱き、弱小ラグビー部の存続に命を賭ける―。60年安保に揺れる時代、パワフルに人生を模索する若者たち。坪田譲治賞受賞の自伝的作品『オサムの朝』の兄弟篇ともいうべき、熱血&リリカルな青春小説。(「BOOK」データベースより)

◎栃木県那須に疎開していた

森詠は戦時中、栃木県那須に疎開していました。そして高校卒業まで、そのまま那須で暮らしました。『那珂川青春記』は、自伝的な青春小説です。私は本書を、青春小説の代表格として位置づけています。
 
森詠は幅広いジャンルの作品を、発表しています。スパイ小説、軍事情報小説、ミステリー小説、青春小説、SF小説、翻訳書など。1985年に発表した『雨はいつまで降り続く』(上下巻、講談社文庫)は、直木賞候補にもなっています。
 
残念ながら私は、それらのジャンルのほとんどを読んでいません。ただし『オサムの朝』(集英社文庫)からはじまる「青春シリーズ」に関しては、ていねいな読者であると自負しています。『オサムの朝』(集英社文庫)は絶版になっています。中学生のオサムの心の成長を描いた作品で、『那珂川青春記』のあとに読んで感動しました。
 
本来なら時経列に『オサムの朝』『那珂川青春記』と読みつなぐべきなのでしょう。しかし前記のとおり、『オサムの朝』は絶版になっています。したがって、『那珂川青春記』とその続編にあたる『日に新たなり』(ともに集英社文庫)を読みつないでいただきたいと思います。

疎開の体験があるのですから当然、森詠は戦前の生まれです。そのあたりのことを、森詠はつぎのように語っています。
――私たちが子どもだった頃にはその周りに尊敬できる大人が居たものだ。あんな大人になってみたい…と、憧れながら成長していったものだ。又、学校にも必ず尊敬できる先生が居た。たった一人でもいい、そんな素晴らしい先生とのめぐり合いが子どもの成長にとってかけがえのないものだ…。(「シネマとうほく」インタビューより)

尊敬できる大人と先生の存在。これは現在でも変わらないことでしょう。それゆえ森詠の「青春シリーズ」は、そのまま時代を現在に置き換えることができるのです。

◎自分も「あのとき」に戻って

実はタイトルの「那珂川」という地名は、知りませんでした。パソコンに「なかがわ」と入れたら、一発で変換されたので驚いたくらいです。

ではなぜこの本を読む気になったのか。装丁に惹かれました。表紙には遥かかなたの山並みを見つめる、学生服とセーラー服の後ろ姿が描かれていました。学生服の方は学帽をかぶり、肩には白いズックの鞄をかけています。セーラー服の方は、長めの襞スカートに白いソックス。ルーズソックスではありません。2人の前には、清い流れの川があります。装丁・装画は峰岸達でした。

舞台は那須連峰のふもとにある地方の高校。主人公の大山茂は高校3年生で、部員の足りないラクビー部に所属しています。父親は酒場の女と蒸発していません。茂には密かに憧れる杉原ゆかりという同級生と、陽気で垢抜けない友人たちがいます。学校には番長グループがいて、青年将校と呼ばれる硬派の先生もいます。

彼らは受験に悩み、恋に悩む一方、東京に憧れ、安保反対闘争にも興味を示します。ただし、都会にはない、清い川や雄大な山並みには無頓着です。

『那珂川青春記』は、典型的な青春小説です。主人公の父親の駈け落ち、部員の足りないラクビー部の存続、杉原ゆかりとの淡い恋の成就など、いくつかのヤマ場はあります。しかしいずれも常識の域をでない結末になっています。

著者が自分自身の「青春」にこだわると、往々にしてこういったストーリーとなります。奥付けには、森詠は1941年(昭和16年)東京生まれとあります。それ以上の情報を現状ではもっていませんが、この作品はまぎれもなく著者の自伝的な青春記です。

どんな作家が描いても、それが事実に忠実だとしたら、読者にとってつまらない物語になってしまいます。しかし思い起こしてみてください。今は笑ってすませられることを、私たちはどんなに真剣に悩み、自分の不幸を呪ったことでしょうか。

森詠にしか書けなかった青春記。この作品に登場する杉原ゆかりが書けば、違う青春記になるでしょう。茂のともだちの竹井や八木沢が書いても、全くちがう物語となります。

唯一、共通して物語りに登場するのは、那須連峰と那珂川だけです。それゆえ「青春記」をつまらないと思ってはいけないのです。自分も「あのとき」に戻って、自分の琴線にふれるなにかを見出せれば、それでいいではないでしょうか。

そんな具合に読むと、この作品は全くちがう顔を見せますし、読後感も爽やかなものになります。この作品には著者の青春とその舞台である、那珂川や那須連峰がぎっしりと詰まっています。

――公園の見晴台からは雄大な那須連山と、その裾野に拡がる原生林、ゆったりと蛇行して流れる那珂川が見渡せた。絶え間ない川の流れのざわめきが聞こえて来る。耳が引き千切られるように冷たい那須下ろしが吹き寄せていた。(本文より)

この描写部分が、表紙になったのだと思います。ただし、この場面は茂が愛犬のロックを散歩させるところで、杉原ゆかりと並んでいる描写はありません。装丁・装画の峰岸達に一本とられた感じがします。本文中には、表紙の場面がみつからないのです。
(山本藤光:2010.06.22初稿、2018.02.28改稿)


森瑤子『情事』(集英社文庫)

2018-02-28 | 書評「も」の国内著者
森瑤子『情事』(集英社文庫)

「自分が、若さを奪い取られつつあると感じるようになると、反対に、性愛に対する欲望と飢えが強まっていった。セックスを反吐が出るまでやりぬいてみたいという、剥き出しの欲望から一瞬たりとも心を外らすことができない期間があった」夏の終わり――夕暮が突然輝きを失い、若さへの不安が私を奔放な性に駆りたてる。情事をひたすら追求して、「すばる文学賞」を受賞した話題作。「誘惑」も併載。(文庫案内より)

◎日本のサガン

森瑤子の『望郷』(角川文庫)が、話題になっているようです。この作品は1988年に学習研究社(のち角川文庫)から出版されました。ニッカウヰスキー創業者・竹鶴政孝と、妻リタの人生をモデルに描いた長篇伝記小説です。当時は話題にもなりませんでした。連続テレビ番組の「マッサン」が放映され、眠っていた作品『望郷』にも火かつきました。

森瑤子は1940年生まれで、52歳の若さで亡くなりました。森瑤子は父の仕事の関係で、4歳まで中国で暮らしました。1959年英国人アイヴァン・ブラッキー氏と結婚し、3女児に恵まれます。やがて子育てや家事に追われながら、なにかをしなければならない、との焦りを抱きはじめます。そんなとき、池田満寿夫『エーゲ海に捧ぐ』(芥川賞、中公文庫)に刺激されて、作品を書きはじめたのです。

デビュー作『情事』(集英社文庫)は、37歳のときの作品です。この作品ですばる文学賞を受賞しました。森瑤子の作品は文章力を含めて、同世代の現代作家のなかでは抜きん出ています。特に『情事』は完成度が高く、森瑤子を代表する作品です。
 
 森瑤子の初期作品は、多くの読者に受けいれられました。森瑤子の硬質な文章からは、音楽が聞こえるといわれました。森瑤子は短い生涯で、100ほどの著作を世に送りだしています。また日本橋高島屋に「森瑤子コレクション」という、ギフトショップを開くなど文壇以外でも活躍しました。
 
 森瑤子は版画家の池田満寿夫が芥川賞を受賞したとき、文学を勉強していない自分でも書けるかもしれないと思いました。それから2週間で、『情事』を仕あげたのです。森瑤子が自作『誘惑』(集英社文庫『情事』に所収)以降で描いた世界は、若者のトレンドになったほどです。ものがたりの舞台、宝石、香水などの小道具や会話までが、若者社会に浸透していきました。
 
 森瑤子は「日本のサガン」ともいわれていましたが、それに最も喜んだのは本人でした。『悲しみよこんにちは』を読んで、私にはこんな世界は描けない、とショックを受けてから20年。森瑤子はみごとに、サガンに近づいたのです。
 
◎「情交」「肉交」から約100年

『情事』にかんする、おもしろい対談があります。「小説を書くエネルギー」というタイトルで、森瑤子は辻仁成と対談(「すばる」1991年12月臨時増刊号)しています。一部紹介させていただきます。

(引用はじめ)
辻(『情事』は実話ですか、との質問につづけて)「なぜ聞いたかというと、小説って、一番最初の作品は、自分のそれまで生きてきた歴史の中で、どこかでかかわっている体験がヒントになるような気がするんですね」
森「もちろんそうです。どこかで体験のない感情は、いくら想像力を働かせても書けない。でもエピソードというものは、想像力である程度書ける。主人公が感じる老いていく不安とか、日常の中のどうしようもない欠落感は、やはり紛れようもなく自分のものでなかったら書けない、ということはあるでしょうね」
(中略)
森「書くべきテーマというのは血の中に、もうどうしようもなく初めから流れている、という気はしますね。私は佐藤春夫さんの『小説というのは根も葉もあるうそである』という言葉だと思う。(引用おわり)

 この対談のなかで森瑤子は、「小説のなかのうそと真実を一番わかっているのは彼」であると書いています。1978年に発表された森瑤子『情事』は、女流作家に新しい道を拓きました。ときどき「不道徳な小説」とヤユする人がいましたが、「心」と「体」を真正面から見つめる作品の、パイオニアが森瑤子だったのです。

 十川信介『近代日本文学案内』(岩波文庫別冊)を読んでいたとき、福沢諭吉『男女交際論』(1886年、明治19年)あたりまでは、「心」と「体」をそれぞれ「情交」「肉交」と区分していた、との記述がありました。読んでみました。

――男女交際法の尚お未熟なる時代には、両性の間、単に肉交あるを知て情交あるを知らず、例えば今の浮世男子が芸妓などを弄ぶが如き、自から男女の交際とは言いながら、其調子の極めて卑陋にして醜猥無礼なるは、気品高き情交の区域を去ること遠し。(福沢諭吉『新女大学』青空文庫より)

堀辰雄が「情交」だけの『風立ちぬ』(新潮文庫)を発表したのは、1938(昭和13)年でした。福沢諭吉、堀辰雄を経て約100年。「情交」も「肉交」も死語になってしまいました。
 
◎シズル効果
 
 あまり一般的ではないかもしれませんが、広告業界には「シズル効果」という言葉があります。肉を焼いたり、揚げ物の料理などの「ジュージュー」という音を、英語の擬音語では「シズル」といいます。森瑤子は『情事』を執筆するにあたり、そのことを意識していました。

『情事』が書かれたのと、女性誌「モア」が創刊したときは重なります。「モア」はセックスを後ろ暗いものではなく、カラッとした感じで特集しました。森瑤子は「ああいうものをカラッと読める人をターゲットとしよう」ときめたのです。それが大あたりでした。

 スーパーなどで、実演販売をしている場面をよく見かけます。フライパンから煙と匂いが立ちあがり、肉が食べたくなります。森瑤子は徹底して、読者のターゲティングを実施しました。現代文学ではあたりまえになっている、「シズル効果」に先鞭をつけたのは、森瑤子だったと思います。

 書店にあふれかえる「マッサン」関連本のなかに、森瑤子『望郷』がならべられています。北海道余市ニッカ工場も、見学者であふれかえっていることでしょう。雑踏と人いきれのなかから、森瑤子の苦笑が聞こえてきました。『情事』はいまなお新しい、「情交」と「肉交」が融合したすばらしい作品です。『望郷』のあとでもかまいませんので、ぜひお読みください。

◎あとづけ(2014.12.30)

 古書店で偶然みつけた1冊で、新たな森瑤子の世界がみえました。娘であるマリア・ブラッキンが書いた『小さな貝殻』(新潮文庫)を読みました。副題として「母・森瑤子と私」と小さくあります。『情事』について書かれたこんな記述があります。 

――母がノートに書き終えた『情事』はミスター(補:母の男ともだち)の手にわたった。それは彼への最後の手紙でもあった。彼はそのストーリーと彼女のスタイルに心を打たれ、すぐに出版社へ持って行くよう勧め、彼女はおずおずとながらもそれを持って集英社へと足をはこんだ。/一九七八年、『情事』は第二回すばる文学賞を受賞した。母にとってそれは思わぬ出来事だった。しかし彼女はその時、自分の運命の道が開かれたことを確信をもって実感した。(本文P107より)

 娘マリアが森瑤子の遺したノートを読んでいる場面には、胸が熱くなりました。 
(山本藤光:2009.12.22初稿、2018.02.28改稿)

森沢明夫『虹の岬の喫茶店』(幻冬舎文庫)

2018-02-26 | 書評「も」の国内著者
森沢明夫『虹の岬の喫茶店』(幻冬舎文庫)

小さな岬の先端にある喫茶店。そこでは美味しいコーヒーとともに、お客さんの人生に寄り添う音楽を選曲してくれる。その店に引き寄せられるように集まる、心に傷を抱えた人人―彼らの人生は、その店との出逢いと女主人の言葉で、大きく変化し始める。疲れた心にやさしさが染み入り、温かな感動で満たされる。癒しの傑作感涙小説。(「BOOK」データベースより)

◎吉永小百合さん「映画にしたい」
 
 朝日新聞(2014.9.5)で、「吉永さん『映画にしたい』主演も」の見出しをみつけました。それだけで胸が高鳴りました。森沢明夫『虹の岬の喫茶店』(幻冬舎文庫)は、ウルウルさせられた作品でした。作品を読みながら、行ったことのない岬の喫茶店はしっかりとイメージできました。

 舞台となった喫茶店は、一度火災で焼失しましたが、現在再建されているようです。千葉県鋸南町の明鐘岬の「音楽と珈琲の店・岬」は、著者の森沢明夫が雑誌の取材で訪れたところです。岬の風景と店主の玉木節子さんの人柄に、ほれこんだ森沢明夫はものがたりをつむぎだします。

――岬は陸のいきどまりだが、そこから海が無限に広がっており、終着点のような出発点のような場所。人間って目の前に絶景があると感動して、変われると思う。最近、友人があの店でプロポーズして、OKをもらったのですよ。(朝日新聞の記事、森沢明夫談より)

 本書の初出は2011年ですから、吉永小百合が3年目に種火に火をつけたことになります。ちなみに映画のタイトルは、「ふしぎな岬の物語」となっています。

 著者の公式ページをのぞいてみました。森沢明夫のブログがありました。こんなことが書いてあります。「幸せってなんだろう? そんな根源的な問いかけの答えになればいいな」

 傷をかかえて岬の喫茶店を訪れる人たちは、店主・悦子さんが「おいしくなぁれ、おいしくなぁれ」と呪文をかけたコーヒに癒されます。悦子さんが選んだ音楽で元気をもらいます。そしてなによりも、悦子さんの真心のこもった言葉で新たな世界を発見するのです。

 私は個人的に、本書は第1章だけの作品だったらよかったのに、と思っています。幼い娘を残して世を去った妻との思い出。幼い娘の無邪気さ。夫を亡くした悦子さんの喫茶店。この章をふくらませたものを、読んでみたいと思います。

◎虹を探す冒険と旅

『虹の岬の喫茶店』は、喫茶店をめぐるオムニバス形式の人情ドラマです。本書は6章の構成で、仕立てられています。しかもバトンリレーのように各章がつながっています。それぞれの章には、「第1章〈春〉アメイジング・グレイス」というように、季節と音楽のタイトルがつけられています。

 第1章は妻を失って、途方にくれる若い父親と幼い娘の話です。男は陶芸作家ですが、暮しは楽ではありません。香典返しのリストをチェックしたり、娘の食事をつくったりと、てんてこ舞いの毎日をすごしています。

マンションのベランダでみた虹を追って、車を走らせた親子は偶然、岬の喫茶店にたどり着きます。虹はみつけられませんでしたが、お店に壁に飾った絵のなかに虹を発見します。

――光の粒子をちりばめたような見事なオレンジに染まった夕空と海。そこに、神々しいような虹が架かっている。虹は、空と海よりも一段と輝いていた。額のなかの世界は、とても絵画的で、現実離れしたような光彩を放っているのだが、しかし海の向こうに描かれた半島の形や富士山の配置からすると、この店の窓の外に広がる風景を写生したことは明らかだった。(本文P55より)

 絵を描いたのは、岬の喫茶店の初老の店主・柏木悦子さんの亡き夫です。悦子さんは夫の描いた虹をみたいと、喫茶店を開いたのです。悦子さんが親子に「どうしてここへ?」と質問します。「パパとね、虹さがしの冒険をしてたの」と幼い声が答えます。悦子さんはつぶやきます。「じゃあ、私と同じ旅をしてたのね」と。

 第2章は就職活動がうまくいっていない、大学生の話です。乗っていたバイクがガス欠をおこし、やっとの思いで岬の喫茶店にたどりつきます。第1章と同じように、片足のないコタローという白い犬に迎えられます。大学生はそこで、画家の卵のみどりさんと出会います。悦子さんの話を聞き、みどりさんの姿をみて、大学生はフリーライターになると自らの進路をきめます。

 以下はつぎのような話がつづきます。悦子さんに恋する初老の建築会社重役の話。生涯独身をつらぬき、子会社へ流される前にお店に顔を出します。

泥棒がはいります。そしてずっと悦子さんを気遣う甥の浩司の話。終章で浩司は、いつの間にか2児の父親になっています。

 森沢明夫は寂しい舞台で、心温まるものがたりを提供してくれました。いまごろ悦子さんはどうしているのでしょうか。行ってみたいお店が、また1軒増えたようです。
(山本藤光:2014.12.18初稿、2018.02.26改稿)

本谷有希子『異類婚姻譚』(講談社)

2018-02-25 | 書評「も」の国内著者
本谷有希子『異類婚姻譚』(講談社)

子供もなく職にも就かず、安楽な結婚生活を送る専業主婦の私は、ある日、自分の顔が夫の顔とそっくりになっていることに気付く。「俺は家では何も考えたくない男だ。」と宣言する夫は大量の揚げものづくりに熱中し、いつの間にか夫婦の輪郭が混じりあって…。「夫婦」という形式への違和を軽妙洒脱に描いた表題作ほか、自由奔放な想像力で日常を異化する、三島賞&大江賞作家の2年半ぶり最新刊! (「BOOK」データベースより)

◎実体験を血肉にして進化

本谷有希子の原点は、19歳でデビューした声優体験にあります。声優は、登場人物になりきらなければなりません。この「登場人物になりきる」というスタンスが、その後の小説作品にも大きな影響をあたえています。つまり本谷有希子作品は実体験のなかから生まれ、作者が登場人物になりきって書きあげられているのです。

簡単に本谷有希子の履歴を追いかけてみます。
1998年:声優デビュー
2000年:劇団本谷有希子旗揚げ
2005~2006年:ラジオ番組「本谷有希子のオールナイトニッポン」のパーソナリティ
2013年:入籍
2015年:長女出産
2016年:芥川賞受賞

本谷有希子の小説デビュー作「江利子と絶対」(「群像」2003年5月号)は、大いに話題を集めました。その後他の2作品と合わせて『江利子と絶対』(講談社、初出2003年)として刊行されました。「江利子と絶対」はひきこもりの少女が、あるきっかけで前向きになって立ち直る話です。この作品が話題になったのは、テンポのよい会話の妙でした。

当然だと思います。本谷有希子は声優としての評価よりも、自らてがけた台本の方が注目されていたのです。私は処女作から追っかけていますが、どの作品も会話だけ拾っても存分に楽しめます。さらにラジオ番組のパーソナリティを務めてからの作品の会話は、いっそう味わい深いものになります。まるで読者に語りかけてくるような、3Dの世界の会話に昇華されているのです。

そして出産を控えた本谷有希子は、PCでの創作を原稿用紙に変えます。胎児への悪影響を考えてのことです。これによって新たな世界を切り開いた、と本人も語っています。イメージや書きたいことを客観視できるようになったようです(「ウィキペディア」参照しました)。

作家・本谷有希子は実体験を血肉として、まだまだ進化の途上にあります。芥川賞受賞体験がいかなる進化につながるのか、楽しみでもあります。「週刊文集web」ページに、本谷有希子のインタビュー記事がありました。

――大好きな友部正人さんの詩集のように、作者の人柄がにじみ出ている作品を書きたいと思っていたんです。だから、サンちゃんの、物事を切実に考えていなかったり、まあいいかって済ませてしまう性格は私そのものですね(笑)。でもそういう書き方をすることで、力が抜けて、以前より作品の自由度は高くなっていると感じます。(「週刊文集web」より)

ここに至るまでの本谷作品を総括した文章が、芥川賞の選評にありました。紹介させていただきます。

――これまでの作品のお騒がせドラマクィーンが引っ掻き回す印象とうって変わって、何とも言えないおかしみと薄気味悪さと静かな哀しみのようなものが小説を魅力的にまとめ上げている。(山田詠美、芥川賞選評)

――男を不幸にし、自分も壊れてゆく独自の自爆キャラは今回は影を潜め、感情を平穏に保ちつつ、淡々と寓話的な語りで通してゆく。この脱力ぶりは新境地開拓かと期待したが、夫が芍薬に姿を変えてしまうオチに気持ちよく裏切られた。(島田雅彦。芥川賞選評)

◎3組のカップルの同衾

本谷有希子は『乱暴と待機』(ダ・ヴィンチ文庫)を紹介させていただくつもりでした。しかし芥川賞受賞作『異類婚姻譚』(講談社)の方が、はるかにまとまった作品でした。文庫化されていませんが、こちらを推薦作とさせていただきます。

辞書的に「異類」は、人間以外の動物を意味します。『異類婚姻譚』はその解釈を少し広げて、他人同士が結婚することを同類になる、という次元から書きおこされています。また表題の「婚姻」は結婚の法律用語ですので、解消するには法的な手続きが必要になります。

主人公のサンちゃんは、専業主婦になって4年目を迎えています。旦那はバツイチで、当初は働き者です。しかし家での旦那は、テレビのバラエティ番組ばかりをみつづけてダラダラしています。サンちゃんには、センタという弟がいます。彼には長いことハコネちゃんと同棲しています。つまり「婚姻」していないわけです。

サンちゃんは同じマンションに住む、老女キタエさんと親しくしています。キタエさんは飼いネコ・サンショが、おしっこをところかまわず垂れ流すことに悩んでいます。サンちゃんもネコを飼っています。ペットは異類ですが、家族同然の象徴として描かれています。

ある日サンちゃんは、自分の顔が旦那に似てきたことに気づきます。意識して観察すると、旦那の顔はふくわらいのように変形することがあります。旦那は前妻のシリメツレツなメールをきっかけに、顔だけではなく生き様にも変化をみせます。会社をズル休みするようになり、いつしか台所に立ち大量の揚げ物をするようになります。

平穏だった日常が、少しずつゆがんでいきます。一方キタエさんの悩みも深刻になっていきます。ネコのサンショが手に負えなくなってくるのです。サンちゃんはキタエさんの依頼で、サンショを山に捨てる手伝いをします。

そしてある日、旦那芍薬に変身してしまいます。サンちゃんはネコのサンショを捨てた山へ、芍薬になった旦那を植えにいきます。『異類婚姻譚』はそんな話なのですが、結末については賛否両論があります。私はこの変身譚を受け入れることができました。

異類が同類になるためには、相手に同化することが必然となります。弟のセンタとハコネは結婚せず同棲していますので、同類にはなりません。本谷有希子は3組のカップルを描き、夫婦とはなにかを問いかけます。本谷有希子自身の言葉を借りれば、本書はこんな話なのです。

――『異類婚姻譚』という小説の中で、人間ならざるものに変容していく夫をあっさり受け入れてしまう妻の話を書いた。(朝日新聞2016年2月6日)

3組のカップルの同衾を描いた『異類婚姻譚』は、川上弘美のデビュー当時(『蛇を踏む』『溺レる』ともに文春文庫)を思い出させてくれました。平穏な日常をキタエさんのネコが壊しました。サンちゃんの平穏な日常は、旦那の前妻のメールによりヒビがはいりました。そして旦那がいなくなったあと、サンちゃんには何事もなかったような日常が戻ってきました。強烈な、インパクトのある結末でした。
(山本藤光2016.03.04初稿、2018.02.24改稿)


盛田隆二『夜の果てまで』(角川文庫)

2018-02-14 | 書評「も」の国内著者
盛田隆二『夜の果てまで』(角川文庫)

二年前の秋からつきあっていた女の子から突然の別れ話をされた春、俊介は偶然暖簾をくぐったラーメン屋で、ひそかに「Mさん」と呼んでいる女性と遭遇した。彼女は、俊介がバイトをしている北大近くのコンビニに、いつも土曜日の夜十一時過ぎにやってきては、必ずチョコレートの「M&M」をひとつだけ万引きしていくのだった…。彼女の名前は涌井裕里子。俊介より一回りも年上だった―。ただひたむきに互いの人生に向き合う二人を描いた、感動の恋愛小説。(「BOOK」データベースより)

◎文庫化で魅力を失った『湾岸ラプソディ』

 注目の作家が花開きました。『湾岸ラプソディ』(角川書店1999年)を読んで、興奮しながら書評を書いたことがあります。この作品は文庫化にあたり、『夜の果てまで』(角川文庫)と改題されました。現代文学作品の頂点近くであると評価していた作品は、この愚挙で大きくランクを下げてしまいました。このタイトルではダメなのです。このカバーではダメなのです。
 
 盛田隆二は『湾岸ラプソディ』の執筆に、3年の歳月を費やしました。しかも会社を辞めて、この作品に没頭しました。1人称で書きはじめたものを3人称に改め、さらに登場人物を増やしました。原稿用紙450枚だった作品が、最終的には850枚になりました。
 
 盛田隆二には、ずっと注目してきました。デビュー作『ストリート・チルドレン』(初出1990年、講談社文庫)は、新宿300年の歴史を舞台に、様々な人の生き死にを描いた力作でした。

 次作『サウダージ』(初出1992年中央公論社、角川文庫)も東京を舞台に、若者の喪失感をみごとに活写していました。盛田隆二の魅力は、物語としてのおもしろさと独特の文体にあります。さらにいつも感心させられるのは、タイトルの妙味でした。それゆえ文庫化で消えたタイトルは、もったいないと思っています。

『サウダージ』については、坂東齢人『バンドーに訊け』(本の雑誌社)がつぎのように語っています。坂東齢人は、馳星周としてデビューする前の名前です。坂東齢人は「本の雑誌」で書評を書いていました。彼は盛田隆二のタイトルについても、高く評価していました。

――盛田隆二『サウダージ』はやるせなくも美しい、今の東京を描いた佳作。サウダージとはポルトガル語で「失われたものをなつかしむ、さみしい、やるせない想い」を意味する言葉だそうだが、なるほど内容にぴったりのタイトルである。(本文より)

 私がなぜ角川文庫『夜の果てまで』にたいして、冷たい評価しかしないのか、説明したいと思います。『湾岸ラプソディ』には、しかけが施されていました。その点について、著者自身がつぎのように書いています。

――書店で『湾岸ラプソディ』を見かけたら、ぜひカバー写真に注目を。夕暮れの東京湾岸にシルエットで浮かぶ2人は「21歳の青年」と「33歳の人妻」だ。これは90年の撮影。次に本をひっくり返して、裏表紙の写真を。こちらは99年の東京湾岸道路。つまり表が90年で裏が99年。(「本の旅人」1999年5月号より)
 
 著者自身が語っている「あの写真」が、文庫本では消えてしまったのです。タイトルにも納得していませんけれど、私が気に入っていた写真が消えてしまいました。残念でなりません。グチが長くなりました。気を取り直して、盛田隆二作品に迫ってみます。

◎いくつもの支流が合流

『夜の果てまで』は、盛田隆二の代表作です。簡単にストーリーを紹介したいと思います。以下は、むかし書いたものの焼き直しです。

 21歳の北大生と33歳の人妻の、抜き差しならない関係。盛田隆二は、2人を極限まで追いやります。北大生の安達俊介は、大学の近くのセイコーマートでアルバイトをしています。そこへ土曜日の夜11時すぎにきまって現れる美人がいます。彼女は必ずM&Mチョコレートを一袋だけ万引きしてゆきます。俊介は密かに「Mさん」と呼んでいます。

 やがて俊介は、彼女がラーメン屋の若妻であることを知ります。涌井裕里子、33歳。彼女の旦那は、一回りほど歳が離れています。そして正太という中学3年生の息子がいます。

 物語はいくつもの支流から、動きだします。俊介と恋人だった西野賀恵との別れ。新聞記者を志望する俊介の就職活動。裕里子の旦那と前妻・小夜子との奇妙な関係。学校をサボる正太と仲間たちの非行。

 支流が本流に流れこむたびに、物語はうねりスピード感を増します。俊介と裕里子の関係が、あらゆる障害をのみこみ、濁流となって突き進みます。作品に登場する店は実名です。また1990年3月にはじまった物語は、1991年2月に終ります。北海道の自然の移ろいに、2人の気持ちの移ろいが重なります。憎いまでの演出です。

 この作品は「物語の終った明くる日」からはじまります。作品の第1行を、じっくりと読んでいただきたいと思います。物語は1998年9月から動きだしているのです。

『夜の果てまで』は、文句のつけようのない傑作です。専業作家の道を選んだ盛田隆二に、拍手を贈りたいと思います。そして多くの人にぜひ読んでいただきたい、と切望しています。ウォラーの『マディソン郡の橋』が260万部のベストセラーなら、『夜の果てまで』は300万部を超えてもおかしくありません。そんな熱く切ない物語なのです。

『夜の果てまで』の文庫解説で、佐藤正午は大切なポイントにふれています。結びとして転記させていただきます。

――登場人物が失踪する小説でありながら、『夜の果てまで』が失踪後を描いた小説ではない。小説が終わった時点で、夫も、作家も、失踪した涌井裕里子の行方を知っている。もともと描く必要がないのだ。/結局のところ、『夜の果てまで』は誰にも探されることのない失踪者を描いた小説なのである。(文庫解説より)

◎盛田隆二さんへ2017.10.10
 あんなに高く評価していたのに、タイトルと写真が消えただけでいちゃもんをつけてごめんなさい。私は藤光・伸の筆名で、「ブックチェイス」に連載書評を書いていました。今では古希を過ぎてしまいましたが。なぜ文庫でタイトルも写真も消えたのか、釈明を求めます。
(山本藤光:2009.11.30初稿、2018.02.14改稿)

森鴎外『舞姫』(岩波文庫)

2018-02-06 | 書評「も」の国内著者
森鴎外『舞姫』(岩波文庫)

日本人留学生とドイツの一少女との悲恋を描いた「舞姫」のほか、鴎外(1862‐1922)の青春の記念ともいうべき「うたかたの記」「文づかひ」、名訳「ふた夜」を収めた。いずれも異国的な背景と典雅な文章の間に哀切な詩情を湛える。併収した「そめちがへ」は、作者の初期から中期への展開を示す作品として重要である。(「BOOK」データベースより)

◎モデル騒動に決着

 2013年8月29日、新聞やテレビは「森鴎外『舞姫』のヒロイン・エリスのモデルになったエリーゼの写真発見される」のニュースを報じました。エリスのモデルについては、これまでさまざまな憶測がなされてきました。

 私の手もとには「エリスのモデルはルイーゼだった」とする朝日新聞(2010年11月11日夕刊)の切り抜きがあります。しかし現在では、エリーゼ・マリー・カロリーネ・ヴィーゲルトだったということで落ち着いています。
今回の新証拠発見で、それもガセネタだったことになってしまいました。朝日新聞って、いろいろやってくれます。また植木哲は『新説 鷗外の恋人エリス』(新潮選書)のなかで、エリスの正体はルイーゼであると断定しています。どうやらこれも、空振りに終わったようです。

 森鴎外が帰国後に、ミス・エリーゼ・ヴィーゲルトが追いかけてきたのは明白です。彼女の名前が、当時の乗船名簿にあったからです。しかしミス・エリーゼの実在を証明する資料は、見つかっていませんでした。没後90年にして、どうやらモデル騒動に決着がついたようです。
 
森鴎外を語るとき、軍人、軍医、官吏、ドイツ留学の体験は、切っても切り離せません。実際に『舞姫』は、ドイツ留学時代の実体験から書かれています。ドイツ3部作といわれる『舞姫』『うたかたの記』『文づかい』(いずれも岩波文庫)は、どれも淡い恋愛を描いた作品です。

 数年前、森鴎外が『舞姫』を書いた、という場所へ行ってきました。上野不忍池のほとりに「水月ホテル鴎外荘」(東京都台東区池之端)は、どっしりと存在していました。「舞姫」を執筆したといわれる「舞姫の間」で、私は座って目を閉じました。「舞姫」を執筆した、森鴎外の心中に思いを馳せて。

◎エリスとの別離

『舞姫』の主人公・エリート官僚の太田豊太郎は、出世街道をひた走り異国(ドイツ)の地に赴任します。彼は外国の知を日本に導入しよう、との野心を抱いていました。ベルリンの自由な風は、豊太郎にとって学ぶべきことばかりでした。豊太郎は少しずつ、自我に目覚めはじめます。

 作品のここまでは、そっくり森鴎外の現実と重なります。森鴎外の筆運びに、迷いは認められません。そのあたりの部分を、『舞姫』の一節から引用してみます。

――かくて三年ばかりは夢の如くにたちしが、時来れば包みても包みがたきは人の好尚なるらむ、余は父の遺言を守り、母の教に従ひ、人の神童なりなど褒(ほ)むるが嬉しさに怠らず学びし時より、官長の善き働き手を得たりと奨(はげ)ますが喜ばしさにたゆみなく勤めし時まで、ただ所動的、器械的の人物になりて自ら悟りしが、今二十五歳になりて、既に久しくこの自由なる大学の風に当りたればにや、心の中なにとなく妥(おだやか)ならず、奥深く潜みたりしまことの我は、やうやう表にあらはれて、きのふまでの我ならぬ我を攻むるに似たり。(本文P11より)

 これは一文です。あまりにも長すぎます。でも留学前の森鴎外、留学してからの森鴎外の気概は十分に感じとることができます。引用文の中ほど、「所動的」は能動的の逆で受身という意味です。主人公・太田豊太郎は自分自身が受け身になり、他人が命ずるままに動いていることを感じとっています。

 そして豊太郎は、もっと主体的になろうと決意をします。ところがその思いが空回りし、役所の長官や日本人グループから浮いた存在になってゆきます。そんなとき貧しい育ちの踊り子・エリスと知り合い、激しい恋におちいります。そのことが露見し、太田豊太郎は免官になってしまうのです。

 彼はエリスとの同棲をつづけます。豊太郎は友人・相沢の勧めで、帰国することをきめます。それを知ったエリスは、発狂してしまいます。エリスを残し、傷心のまま豊太郎はドイツを離れます。自由とエリスを失うことへの悲しみから、豊太郎の心は乱れます。

 エリスだけを残して、日本に戻る太田豊太郎。現実では、そのつづきがありました。エリーゼが追いかけてきたのです。そして追い返されました。この現実を、森鴎外は『舞姫』に描きませんでした。いや描かなかったというよりも、描けなかったというほうが正しいのでしょう。

『舞姫』において、主人公・豊太郎がエリスを残してきたことでさえ、批判されており「舞姫論争」に展開しています。新進の評論家・石橋忍月はつぎのように解説しています。

――太田(豊太郎)のように小心で恩愛の情に満ち、『愛』の大切さを知る人間がエリスを棄てて帰るのは理屈に合わず、彼は『功名を捨てて恋愛を取るべき』だったと論じた。これに対して鴎外が、太田は境遇に流される『弱性の人』であるとか、エリスとの仲は『真の愛』ではないとか反論して『舞姫論争』となるのだが(後略)。(十川信介『近代日本文学案内』(岩波文庫別冊19より)

 この文献を読み私は、漢文体と和文体が入り混じった文章に苦労しながら再読することになります。森鴎外がモデルであるエリーゼのことを現実どおりに書いたら、『舞姫』という作品は空中分解してしまったでしょう。

◎森鴎外をもっと知る

『舞姫』だけを読むと、希望に満ちていた森鴎外は、やがて挫折してしまうという図式になります。ところが現実は違います。森鴎外は貪欲に、さまざまなものを吸収しています。医学はもちろん、文学、哲学、美術などを楽しみながら、身につけているのです。語学も堪能だったようで、青春を謳歌していたというのが実際でしょう。

 この点が、英国留学していた夏目漱石とはちがいます。それは帰国後の作品にも、大きな陰を落としています。夏目漱石は現地に溶けこめず、鬱々とした毎日を過ごしていました。
 
不思議なもので森鴎外は、夏目漱石の『三四郎』(岩波文庫)に刺激されています。そして生まれたのが、『青年』(新潮文庫)でした。エリーゼとの恋愛も、現地に溶けこんでいなければ成就しないはずです。会話が成り立たなければ、恋の芽も生まれないでしょう。

 傷心のエリーゼが帰国した翌年(1889年当時27歳)、森鴎外は結婚しています。そして1890年に『舞姫』を発表したのです。『舞姫』は、留学時代の自身への鎮魂歌だったのだと思います。水月ホテル鴎外荘で「舞姫の間」にすわり、「舞姫の碑」を眺めながら、私はそう考えました。なにもかも清算してしまいたい。そんな思いが、感じとれたのです。

 森鴎外にもっとふれたい方は、『青年』(新潮文庫)の一読をお薦めします。森鴎外が散歩の日課としていた、上野、谷中、根津、千駄木などの風景、風俗が活き活きと甦ってきます。前記のように、森鴎外が夏目漱石『三四郎』に影響を受けた部分を、考えながら歩くのも一興でしょう。

◎『舞姫』の現代語訳
(挿記2016.01.09)
『舞姫』に現代語訳があることは知りませんでした。しかも井上靖が翻訳しているのです。驚きました。私はそれを偶然、ブックオフの棚で発見しました。『現代語訳・舞姫・森鴎外・井上靖訳』(ちくま文庫)です。心を躍らせて読んでみました。

私は先に長い一文を引用しています。その部分を井上靖訳で紹介させていただきます。実に味わい深い文章になっています。

――このようにして三年程は夢のように過ぎてしまったが、時が来れば包んでも包んでも、包みきれることができないのは人間の持って生まれた好尚というものである。私は父の遺言を守り、母の教に従い、人から神童などと褒められるのが嬉しくて怠らず勉強した時期から、役所の長官に善い働手を得たと励まされるのが喜ばしくて怠りなく勤めた時期に至るまで、一貫して自分が消極的、器械的な人物になっていることに気付いていなかった。今や私も二十五歳、既に久しくこの大学の自由な気風の中に身を置いたためであろうか、心中なんとなくおだやかならず、自分の中に奥深く潜みかくれていた真の自分が漸く表面に現れでて来て、昨日までの自分でない自分を責めるような具合になった。

井上靖『現代語訳・舞姫』(ちくま文庫)には、原文も併載されています。加えて解説と資料が充実しています。星新一の「資料・エリス」や小金井喜美子「兄の帰朝」は、新たな話題を提供してくれています。
(山本藤光:2013.09.02初稿、2018.02.06改稿)