瀬尾まいこ『そして、バトンは渡された』(文春文庫)
幼い頃に母親を亡くし、父とも海外赴任を機に別れ、継母を選んだ優子。その後も大人の都合に振り回され、高校生の今は二十歳しか離れていない“父”と暮らす。血の繋がらない親の間をリレーされながらも出逢う家族皆に愛情をいっぱい注がれてきた彼女自身が伴侶を持つとき―。大絶賛の本屋大賞受賞作。(「BOOK」データベースより)
◎父親辞めたが崩壊のきっかけ
瀬尾まいこは、『卵の緒』(新潮文庫)で2001年坊ちゃん文学賞を受賞し、文壇デビューしています。そのころは中学校の国語の講師をしており、教員試験に挑みつづけています。
しかし大きな資格や経験がないため、なかなか二次試験に通りませんでした。そんなこともあり、坊ちゃん文学賞は教員への道をぐっとたぐりよせた資格となったようです。そのことをインタビュー記事で知り、著者が愛おしくなった記憶があります。
小説家への道が拓けたという感想ではなく、先生の道が拓けたというのですから、なんとも愛らしいかぎりです。
その後教師となりますが、身体を壊して退職します。そして結婚。途中育児に追われ、一時は休筆したこともありました。そんな経緯から生まれたのが、『幸福な食卓』(講談社文庫)でした。本書は、2005年吉川英治文学新人賞に輝きました。『幸福な食卓』は、普通の家族をテーマにした物語です。
家族団らんの朝食の席で、当然父親が「父親辞めた」と宣言します。それをきっかけに、薄皮で包まれていた家族が崩壊し始めます。
『そして、バトンは渡された』は崩壊した家族のなかの優子という子どもの、「その後」を描いた作品です。本書は圧倒的な支持で、2011年本屋大賞を受賞しています。
◎ほっこりとした物語
主人公・優子の母親は、彼女が3歳のときに事故死しています。物語は優子17歳のときから滑り出します。優子は37歳の森宮という、3人目の父親とくらしています。この間までのことは、回想として紹介されています。
最初の優子は水戸という姓でした。その後、姓は田中と変わります。父親の水戸が外国赴任となり。新しい母親・梨花は日本に残ることになります。水戸と梨花は事実上離婚となり、優子は梨花のもとに残ります。この時点で優子の姓は、田中となったわけです。
その後、梨花は泉ヶ原と再婚します。当然連れ子の優子の姓も泉ヶ原と変わります。やがて梨花は泉ヶ原と別れ、森宮と結婚することになります。こう紹介すると、梨花のことを尻軽女と錯覚してしまうかもしれません。それは違います。梨花が優子に注ぐ愛情は、とてつもなく深いものです。ここではあえて紹介しません。本文をご堪能ください。
優子には3人の父親と2人の母親が存在します。しかし優子は一度たりとも、自分のことを不幸だと思ったことはありません。
――困った。全然不幸ではないのだ。少しでも厄介なことや困難を抱えていればいいのだけど、適当なものは見当たらない。いつものことながら、この状況に申し訳なくなってしまう。(第1章冒頭より)
本書の登場人物は誰もが善人であり、優子を特上の愛で包み込みます。本屋大賞に推した書店員たちのほとんどは、本書を「ほっこりとさせられた物語だった」とコメントしています。
◎はるかに大きな未来
『そして、バトンは渡された』の執筆動機となった、教師仲間とのやりとりです。著者のインタビュー記事をご覧ください。
――中学校の教師時代、担任した生徒をわが子同様に可愛いと思っていました。でも周囲からは「わが子が生まれるともっと可愛いよ」と言われたんです。そして、わが子が生まれてみると「一緒だな」って。手のかかり方は当然違いますが、血がつながったわが子も、担任していた生徒も、同じくらい愛情を注げる相手だなと。(「私の時間デザイン」第27回)
この言葉にあるように、瀬尾まいこはやさしく暖かい筆遣いで、優子とそれを取り巻く人間模様を書きつづってみせました。それは新しい父や母だけではなく、定食屋の主人にまでおよんでいます。
新しい父や母は、一様に次のように思っています。次のインタビュー記事と同じ心境が吐露される場面が本文中にでてきます。
――子どもが過ごす明日には、大人の自分の明日より、はるかに大きな未来があります。一緒にウキウキ、ワクワクするし、ドキドキできる。自分1人の明日にはそんなに特別なことがないけれど、子どもがいると、2倍、3倍の時間を一緒に過ごせている気がします。(「私の時間デザイン」第27回)
ほっこりとした物語は、優子の結婚式で幕を閉じます。最終章は文体が変わり、嫁いだ娘を思う気持ちが噴き出ています。大きな事件がまったくない本書には、ポジティブな心遣いが満ちあふれています。
山本藤光2021.09.13
幼い頃に母親を亡くし、父とも海外赴任を機に別れ、継母を選んだ優子。その後も大人の都合に振り回され、高校生の今は二十歳しか離れていない“父”と暮らす。血の繋がらない親の間をリレーされながらも出逢う家族皆に愛情をいっぱい注がれてきた彼女自身が伴侶を持つとき―。大絶賛の本屋大賞受賞作。(「BOOK」データベースより)
◎父親辞めたが崩壊のきっかけ
瀬尾まいこは、『卵の緒』(新潮文庫)で2001年坊ちゃん文学賞を受賞し、文壇デビューしています。そのころは中学校の国語の講師をしており、教員試験に挑みつづけています。
しかし大きな資格や経験がないため、なかなか二次試験に通りませんでした。そんなこともあり、坊ちゃん文学賞は教員への道をぐっとたぐりよせた資格となったようです。そのことをインタビュー記事で知り、著者が愛おしくなった記憶があります。
小説家への道が拓けたという感想ではなく、先生の道が拓けたというのですから、なんとも愛らしいかぎりです。
その後教師となりますが、身体を壊して退職します。そして結婚。途中育児に追われ、一時は休筆したこともありました。そんな経緯から生まれたのが、『幸福な食卓』(講談社文庫)でした。本書は、2005年吉川英治文学新人賞に輝きました。『幸福な食卓』は、普通の家族をテーマにした物語です。
家族団らんの朝食の席で、当然父親が「父親辞めた」と宣言します。それをきっかけに、薄皮で包まれていた家族が崩壊し始めます。
『そして、バトンは渡された』は崩壊した家族のなかの優子という子どもの、「その後」を描いた作品です。本書は圧倒的な支持で、2011年本屋大賞を受賞しています。
◎ほっこりとした物語
主人公・優子の母親は、彼女が3歳のときに事故死しています。物語は優子17歳のときから滑り出します。優子は37歳の森宮という、3人目の父親とくらしています。この間までのことは、回想として紹介されています。
最初の優子は水戸という姓でした。その後、姓は田中と変わります。父親の水戸が外国赴任となり。新しい母親・梨花は日本に残ることになります。水戸と梨花は事実上離婚となり、優子は梨花のもとに残ります。この時点で優子の姓は、田中となったわけです。
その後、梨花は泉ヶ原と再婚します。当然連れ子の優子の姓も泉ヶ原と変わります。やがて梨花は泉ヶ原と別れ、森宮と結婚することになります。こう紹介すると、梨花のことを尻軽女と錯覚してしまうかもしれません。それは違います。梨花が優子に注ぐ愛情は、とてつもなく深いものです。ここではあえて紹介しません。本文をご堪能ください。
優子には3人の父親と2人の母親が存在します。しかし優子は一度たりとも、自分のことを不幸だと思ったことはありません。
――困った。全然不幸ではないのだ。少しでも厄介なことや困難を抱えていればいいのだけど、適当なものは見当たらない。いつものことながら、この状況に申し訳なくなってしまう。(第1章冒頭より)
本書の登場人物は誰もが善人であり、優子を特上の愛で包み込みます。本屋大賞に推した書店員たちのほとんどは、本書を「ほっこりとさせられた物語だった」とコメントしています。
◎はるかに大きな未来
『そして、バトンは渡された』の執筆動機となった、教師仲間とのやりとりです。著者のインタビュー記事をご覧ください。
――中学校の教師時代、担任した生徒をわが子同様に可愛いと思っていました。でも周囲からは「わが子が生まれるともっと可愛いよ」と言われたんです。そして、わが子が生まれてみると「一緒だな」って。手のかかり方は当然違いますが、血がつながったわが子も、担任していた生徒も、同じくらい愛情を注げる相手だなと。(「私の時間デザイン」第27回)
この言葉にあるように、瀬尾まいこはやさしく暖かい筆遣いで、優子とそれを取り巻く人間模様を書きつづってみせました。それは新しい父や母だけではなく、定食屋の主人にまでおよんでいます。
新しい父や母は、一様に次のように思っています。次のインタビュー記事と同じ心境が吐露される場面が本文中にでてきます。
――子どもが過ごす明日には、大人の自分の明日より、はるかに大きな未来があります。一緒にウキウキ、ワクワクするし、ドキドキできる。自分1人の明日にはそんなに特別なことがないけれど、子どもがいると、2倍、3倍の時間を一緒に過ごせている気がします。(「私の時間デザイン」第27回)
ほっこりとした物語は、優子の結婚式で幕を閉じます。最終章は文体が変わり、嫁いだ娘を思う気持ちが噴き出ています。大きな事件がまったくない本書には、ポジティブな心遣いが満ちあふれています。
山本藤光2021.09.13