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オーウエル『動物農場』(ちくま文庫、開高健訳)

2018-02-28 | 書評「ア行」の海外著者
オーウエル『動物農場』(ちくま文庫、開高健訳)

飲んだくれの農場主を追い出して理想の共和国を築いた動物たちだが、豚の独裁者に篭絡され、やがては恐怖政治に取り込まれていく。自らもスペイン内戦に参加し、ファシズムと共産主義にヨーロッパが席巻されるさまを身近に見聞した経験をもとに、全体主義を生み出す人間の病理を鋭く描き出した寓話小説の傑作。巻末に開高健の論考「談話・一九八四年・オーウェル」「オセアニア周遊紀行」「権力と作家」を併録する。(「BOOK」データベースより)

◎どの訳文を選ぶのか

――荘園農場のジョーンズさんは、鶏小屋の夜の戸締りをしたが、飲み過ぎていたので、くぐり戸を閉め忘れてしまった。

こんな書き出しではじまるオーウェル『動物農場』は、現代の寓話として高い評価がなされています。本書はオーウェル本人が語っているように、旧ソ連のスターリン独裁体制を批判したものです。

チャンス到来とばかりに、飼い主に虐げられていた動物たちは結集します。そして豚のメジャー爺さんの、演説がはじまります。

私は『動物農場』を、4種類の翻訳で読みました。最初は角川文庫(高畠文夫訳)、つぎにkindle版(佐山栄太郎訳)、そして岩波文庫(川端康雄訳)。この時点で、ちくま文庫に開高健訳があることを知りました。どうしても開高健の訳で、読んでみたいと思いました。書物の内容が開高健に、ぴったりだと思ったからです。

4つの翻訳を比較してみます。まず演説のときの、豚のメジャー爺さんの呼びかけのちがいに驚きました。それぞれが、「さて、同志よ」「同志のみなさん」「さて、同志諸君」「さて同志たちよ」と異なっているのです。

――さて、同志よ、われわれのこの世の生活とはどんなものであるか。これをまともに考えて見よう。われわれの生活はみじめで、骨が折れて、短い。われわれは生まれて、かろうじて息をついているに足るだけの食物を与えられ、能力のあるものは力のある限り最後の最後まで働かされる。そしていよいよ役に立たなくなるとその瞬間に、恐ろしい残酷さをもってされる。(kindle版、佐山栄太郎訳より)

――同志のみなさん、われわれのこの世における生活の現実は、どうでありましょうか? これを直視してみましょう。われわれの生涯はみじめで、苦労にみちあふれ、しかも短いのであります。
われわれは生まれ落ちるやいなや、辛うじて肉体を維持していくに足る食物を与えられるだけで、働くことができるものは、力の続く限り最後の最後まで、強制的に働かされます。そして、ものの役に立たなくなったその瞬間に、身の毛もよだつような虐殺の憂きめを見なければならないのであります。(角川文庫、高畠文夫訳P10より)

――さて、同志諸君、この地上でのわしらのくらしはみじめで、苦労が多く、しかも短い。生まれると、かろうじて命をつないでいられるだけの食べ物を与えられ、最後の力がつきるまでむりやりはたらかされる。そして、つかえなくなったとたんに、むごたらしく殺されてしまう。(岩波文庫、川端康雄訳P11-12)

――さて同志たちよ、われわれの今おかれている状況とはいかなるものでありましょうか。現実を直視しなくてはいけません。われわれの生涯とは、みじめで働きづめの、短くはかないものであります。生まれ落ちると、かろうじて生きていけるだけの食物しか与えられず、最後の最後まで力をしぼりとられて働かされる――そして役に立たなくなったその瞬間に、あの恐ろしい虐殺が待ちかまえているのです。(ちくま文庫、開高健訳P11より)

ともあれ動物たちの蜂起は、この演説からはじまります。演説をした豚のメジャー爺は、死んでしまいます。しかし人間は動物たちの蜂起で、農場から追放されます。農場の名前は「動物農場」と改められます。だれもが希望に満ちあふれた、幸せな未来を夢みていました。

雄豚のナポレオンとスノーボールが中心となり、動物たちは共和国のために働きます。理論派のスノーボールは、風力発電所の建設をすすめます。風車建設の提案場面について、2つの訳文をならべてみます。

――動物たちは、今までこのようなものは聞いたこともなかったので(というのは、この農場は旧式の農場で、ごく原始的な機械しかなかったから)、自分たちが牧場でのんびりと草を食っていたり、あるいは、読書や話し合いで頭脳をみがいたりしている間に、かわって仕事をしてくれる夢のような機械の様子を、スノーボールがありありとみんなの心に重い浮かばせるのを、ただびっくりして聞いているだけだった。(角川文庫、高畠文夫訳P55より)

――この農場は旧式で、機械も旧式なものしかなかったので、動物たちはこういった機械のことを聞くのは初めてだった。だからみんなは、スノーボールが語る素晴らしい機械――何でも、野原で草を食んだり、読書をやおしゃべりで教養を高めている間は代わりに仕事をやってくれるそうな――の話を、感心して聞いたのだった。(ちくま文庫、開高健訳P54より)

私が執拗に訳文の比較をしているのは、海外文学で複数の訳者があるときは、慎重に選んでもらいたいからです。常識的には時代にマッチした新訳を選ぶべきです。本書は嗜虐、ユーモア、妄想、スローガン、諦念などに満ちあふれています。したがってより訳者の個性が、でやすい作品なのです。

いっぽう陰謀家のナポレオンは、組織の掌握をはかります。スノーボールに協力したものを、つぎつぎと抹殺していきます。このあたりの筆運びも、前掲のように訳文では大きなちがいがあります。私は開高健の、流れるような文章を好みます。

スノーボールの風車は、風で倒壊します。再建しますが、今度は農場奪還をねらう人間に破壊されてしまいます。さらにスノーボールは、ナポレオンの育てた犬におそわれ、命からがら逃亡してしまいます。こうして動物農場は、ナポレオンの独裁国家となります。ナポレオンは秘密裏に会議を開催し、動物たちの労働生産性をあげようと躍起になります。

◎絵に描いた餅

オーウェルはとことん、スターリンを憎んでいました。当然、無口な陰謀家ナポレオンを、スターリンに模したのでしょう。構図的にはスノーボールは、トロッキーということになります、

『動物農場』は現在のどこかの国にもあてはまりそうな、生々しさを感じます。開高健は巻末の「G・オーウェルをめぐって」のなかで、つぎのように書いています。

――『動物農場』は完璧な作品となったのでスターリン批判を超えてしまいました。悲惨をいきいきとしたユーモアの微光で包んだこの作品を私たちは暗澹としつつ愉しみます。(P254より)

独裁者ナポレオンの出現で、横並びだった動物たちに格差がうまれます。独裁者にとり巻きができます。スノーボールをおそった犬は、警察みたいな役割をになります。いっぽうで馬のボクサーは、命じられるがまま苛酷な労働に明け暮れます。そして過労死してしまい、場送りとなってしまいます。

下層階級の動物たちは、昔の農場以上につらい労働を強いられます。平等をうたっていたはずのスローガンは、しだいにナポレオンの思惑で変質していきます。額に汗して働く動物たちをしり目に、ナポレオンは追放したはずの人間たちと手を結びます。

崇高なはずだった革命は、雨ざらしになった塗りたてのペンキのように、たちまち影も形もなくなってしまいます。風車さえ完成すれば、すばらしい未来が生まれる。スローガンを順守すれば、平等世界ができあがる。どれもこれもが、絵に描いた餅だったわけです。

革命が変質してしまった理由について、開高健は『白昼の白想』(文藝春秋)でつぎのように書いているようです。当該書籍がないので、谷沢永一・向井敏『縦横無尽・とっておきの50冊』(講談社文庫)から孫引きさせてもらいます。

――きっかけはホンのちょっとした、眼につかない、小さなこと――この作品でならナポレオンが牛乳をこっそりかくしたこと――そこから変質がはじまる。一歩、一歩、部分が拡大していって全容となる。そしてある日、気がつくと、かって〈敵〉として命を賭けて憎んだものとそっくりの体系がそびえたっている。

 開高健の訳文を読み、巻末の「G・オーウェルをめぐって」にふれて、私のなかで『動物農場』はくっきりと浮かびあがりました。開高健は姉妹編ともいえる『一九八四年』(ハヤカワepi文庫)を失敗作と切り捨てています。読もうと準備をしていたのですが、しばらくおあずけにしておくことにしました。
(山本藤光:2013.02.03初稿、2018.02.28改稿)


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