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山本藤光の文庫で読む500+α

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石原慎太郎『太陽の季節』(新潮文庫)

2022-04-02 | 書評「い」の国内著者
石原慎太郎『太陽の季節』(新潮文庫)

石川達三、井上靖、中村光夫、舟橋聖一は〇、佐藤春夫、宇野浩二、丹羽文雄、滝井孝作は×、芥川賞選考会でも評価は真っ二つ! 女とは肉体の歓び以外のものではない。友とは取引の相手でしかない……。退屈で窮屈な既成の価値や倫理にのびやかに反逆し、若き戦後世代の肉体と性を真正面から描いた「太陽の季節」。最年少で芥川賞を受賞したデビュー作は戦後社会に新鮮な衝撃を与えた。(Amazon)

◎日本のために

石原慎太郎氏が89歳で世を去りました。作家、政治家、東京都知事と積極的に人生を突き進んだ、偉大な先達に敬意を表したいと思います。

石原慎太郎氏への哀悼で、胸を打たれたものがあります。紹介させていただきます。
――国家を奪われ、経済を失い、そして今や人間すら消失しかかっている、この国の長い長い「戦後」に対する最後の反逆者、その果敢なる表現者の死を今は悼むだけである。(富岡幸一郎。産経新聞2022年2月10日朝刊)

石原慎太郎は1932年生まれですから、終戦を迎えたときは中学生でした。まさに進駐軍が肩をきって闊歩している姿が、トラウマになっていたのだと思います。

政治家・石原慎太郎に仕えた、江崎道朗氏のコメントを引用しておきます。以下、石原慎太郎の言葉です。(虎の門ニュース2022年2月2日放送)
――日本は自分の足で立てる国にならなければいけない、
――国家あっての文学である。

つまり晩年の石原は、軸足を日本のために、と大きく動かしています。才能豊かな文学の土壌を離れて。

◎評価は真っ二つ

石原慎太郎の文壇デビューは、センセーショナルなものでした。処女作『太陽の季節』(新潮文庫)の選評は真っ二つだったものの、史上最年少(当時)で芥川賞を射止めました。

この原稿はずっと以前、PHPメルマガ「ブックチェイス」に掲載したものに加筆修正しています。訃報に接し、「山本藤光の文庫で読む500+α」に転載することにしました。これまで発表を控えていたのは、『太陽の季節』を肯定していなかったからです。このたび再読してみました。

やはり貧乏学生だった私には、ぼんぼん学生の世界は理解できません。したがって、できるだけ多くの『太陽の季節』論を紹介することにしました。

まずは芥川賞の選評から、いくつか引用しておきます。

――井上靖:その力倆と新鮮なみずみずしさに於て抜群だと思った。問題になるものを沢山含みながら、やはりその達者さと新鮮さには眼を瞑ることはできないといった作品であった。戦後の若い男女の生態を描いた風俗小説ではあるが、ともかく一人の―こんな青年が現代沢山いるに違いない―青年を理窟なしに無造作に投げ出してみせた作品は他にないであろう。

――吉田健一:体格は立派だが頭は痴呆の青年の生態を胸くそが悪くなるほど克明に描写した作品。ハード・ボイルド小説の下地がこの作品にはある。

――佐藤春夫:反倫理的なのは必ずも排撃はしないが、こういう風俗小説一般を文芸として最も低級なものと見ている上、この作者の鋭敏げな時代感覚もジャナリストや興行者の域を出ず、決して文学者のものではないと思ったし、またこの作品から作者の美的節度の欠如を見て最も嫌悪を禁じ得なかった。

いかがでしょうか。あなたはどの選評を支持しますか。選評は割れたものの、『太陽の季節』は一大ブームとなりました。無軌道な若者を指す「太陽族」という言葉が生まれ、「慎太郎刈り」という高くかりあげた頭髪まで流行しました。また本書はのちに映画化され、慎太郎の弟・裕次郎がデビューしています。

◎素直に愛することができない男女

石原慎太郎『太陽の季節』のすべては、冒頭の文章で表現されています。
――竜哉が強く英子に魅かれたのは、彼が拳闘に魅かれた気持ちと同じようなものがあった。/それには、リングで叩きのめされる瞬間、抵抗される人間だけが感じる、あの一種驚愕の入り混じった快感に通じるものが確かにあった。(本文冒頭より)

主人公の津川竜哉は、N学園の拳闘部に所属しています。私はずっと大学生と勘違いしていました。安藤宏・編『日本の小説101』(新書館)では、N学園を高校と書いてあります。再読してみると、正確には高校三年生でした。

しかし常識的に考えると、主人公が高校生であるのにはムリがあります。主人公たちは週末になったら、銀座で女給遊びをしています。公然とタバコをすったり、酒を飲んだりしています。私の勘違いは、そんな描写の連続によるものでした。

石原慎太郎は倫理を無視した、快楽至上主義の主人公をこれでもかと硬質な文章で描きまくります。ある日、竜哉は友人達と若い女をナンパします。そのなかのひとりが英子でした。竜哉は自分にまとわりつく英子を、煩わしく感じるようになります。そこで英子を金銭で兄に譲ったりもします。

竜哉は単なる遊びの範ちゅうだった女関係から、英子に魅かれだす衝動に揺さぶられる自分を感じます。この心の変化は、主人公を微妙に変えてゆきます。竜哉の心の中に固有名詞を持たない女ではない、英子の存在が鮮明になっていくのです。

林真理子は主人公について、次のように書いています。
――女を愛したり、溺れたりすることは自尊心が許さないのだ。恋することに照れ、羞恥し、やがては相手の女性を憎むようになる。これは思春期独特の感情である。(『林真理子の名作読本』文春文庫)

つまり竜哉に、大人の感情が芽生えてくるわけです。このあたりの転換は、本書の読みどころのひとつです。そして物語は、一気にエンディングへと向かいます。詳細には触れません。

樋口久仁は本書を次のようにまとめています。
――素直に愛することができない男女の逆説的な「恋愛」の形が描かれているのである。(安藤宏・編『日本の小説101』新書館)

この視点で本書を読むと、わかりやすくなります。裕福な家庭に生まれ育った男女の、思春期の物語。現在の世の中では絶対に生まれない、一握りの若者の群像が描かれた作品。『太陽の季節』は、「終戦」の落とし物なのです。

最後に、江藤淳の言葉を引いておきます。江藤淳は石原慎太郎を、読者にこびない作風と書いています。そして『太陽の季節』については、次のように論評しています。
――もし『太陽の季節』の主人公が、ヨットの陶酔のあとで、恋人の尻に敷かれて恐妻家にでもなっていけば、この作品は見事な小説になるかも知れない。(江藤淳『石原慎太郎・大江健三郎』中公文庫)

江藤淳が指摘するとおり、そうなればありきたりな普通の小説です。『太陽の季節』には「戦後」の混沌とした社会の匂いが、いたるところから立ちこめています。そんな時代に一石を投じ、社会現象としたのですから、本書は日本文学史上には残りつづける作品だと思います。
山本藤光2022.04.02

狗飼恭子『冷蔵庫を壊す』(幻冬舎文庫)

2018-03-15 | 書評「い」の国内著者
狗飼恭子『冷蔵庫を壊す』(幻冬舎文庫)

十歳の僕は転校生の女の子に、一目会ったその瞬間に恋してしまった。自分の全存在を賭けた小学生の初恋を描く、著者二十歳のデビュー作〈冷蔵庫を壊す〉。親友の恋人を好きになってしまった夏、女友達と彼との間で揺れる主人公の戸惑いをヴィヴィッドに綴った〈月のこおり〉。短編小説〈つばさ〉。三つの愛しい恋の物語。(内容紹介より)

◎20年前の出会い
 
今から20年前、私はPHP研究所のメルマガ「ブックチェイス」で新刊の書評を担当していました。サラリーマンとの兼務でしたので、1週間に1冊を読んで書評を書くのは激務といえました。でも当時は50歳。十分に二足のわらじをこなす体力も気力もありました。

今は書店と図書館に行くことくらいしか、楽しみは残されていません。先日、映画『天使のいる図書館』(監督・ウエダアツシ)の存在を知りました。すでに上映されているようです。予告編を見て、原作は何という小説だろうか、と調べてみました。映画館へ足を運ぶ気力も体力もありませんが、原作を読んでみたいと強く思ったのです。

調べていて、懐かしい名前を発見しました。脚本・狗飼(いぬかい)恭子。20年前に、私は19歳の新人の書評を書いていたのです。さらに調べてみました。そして映画の脚本は、40歳を越えた昔新人作家と同一人物だったことを確認しました。

久しぶりで、狗飼恭子『冷蔵庫を壊す』(幻冬舎文庫)を再読しました。そして観ることはないであろう映画の脚本に思いをはせました。以下は、20年前に書いた書評に手を加えたものです。

◎少年の孤独

狗飼恭子の作品に最初に出会ったのは、単行本『冷蔵庫を壊す』(幻冬舎)でした。タイトルの奇抜さと、著者が20歳であり、これが小説デビュー作であったのが気に入りました。

『冷蔵庫を壊す』は、十歳の「僕」と転校生の「ヤマギシさん」をめぐるメルヘンです。十歳の少年の淡い恋心と孤独が、豊富な擬音と短いセンテンスで、巧みに描かれています。             

転校生のヤマギシさんは「僕の人生に極彩色の波紋をおこす、唯一の人」でした。主人公は登校拒否を考えたり、忠実な家族の一員を演出したりする平凡な小学生です。またおじいちゃんの死を通じて「十歳にして、孤独がなんであるかを、知った」哲学的な少年でもあります。

少年の孤独は、忘れているときに低くうなる、冷蔵庫のモーター音に例えられています。十歳の少年の孤独。席替えや体育祭での、希望と失意のなかから顔をのぞかせる孤独。冷蔵庫を壊す行為は「僕を締めつけるすべての束縛」からの開放です。
 
小説の終章は、一挙に「僕」が二十歳になっています。
 
――僕は、僕が好きなんだよ、ヤマギシさん。ねえだって、僕はあの傷の痛みを知ってる。(本文より)

二十歳の僕は、十歳からの延長線上に自らを重ねます。狗狩恭子は、パッチワークのように幼い思い出をつなげます。冷蔵庫を壊さない限り、僕は永遠に孤独であり続けるのです。

家族という複数の世界から、やがて自分ひとりの世界になる反抗期。そこから、淡い恋心が芽生える思春期。思春期の入口で立ちふさがる冷蔵庫。

◎ピチピチと弾ける音
 
著者は、その後『月のこおり』(幻冬舎初出1996年)に続いて、文庫本の書き下ろしを2作『おしまいの時間』『南国再見』(いずれも幻冬舎文庫)発表しています。『月のこおり』の冒頭は、「月が消えると、すべてが終わる気がする」となっています。そして「はじまりの記憶は、海だ」とつながります。これは『冷蔵庫を壊す』の冒頭部分のシーンと似ています。          

――春が来て、同時に冬が終わった。「終わり」はとても儚いものだ。何かが始まるとき、必ず何かが終わる。(本文より)

狗狩恭子は新しい未来のために、一つの過去に終わりを宣告します。ちょっぴり寂しく、未来への期待を抱きながら。

狗狩恭子の処女作は、十九歳のときに出版された詩集『オレンジが歯にしみたから』(角川文庫、初出1993年)です。十代の瑞々しい感性は、紛れもなくその後の作品につながっています。表題作「オレンジが歯にしみたから」の感性がうらやましく思いました。

――「冗談でしょう?」/君はそう言って笑ったけど、冗談なんかじゃないよ。だって今朝食べたオレンジが歯にしみたもの。(本文より)

甘く切ない過去を、キャンディーやオレンジに託して語ることのできる才能。恋のはじまりと終わりを、清らかに書ける作家がいました。再読していて、ピチピチと弾ける音が活字から立ち上がってきました。そして、映画を観てみたいとも思いました。
(山本藤光:初稿1997.10.18、改稿2018.03.15)

井上尚登『T.R.Y.』(角川文庫)

2018-03-14 | 書評「い」の国内著者
井上尚登『T.R.Y.』(角川文庫)

1911年、上海。服役中の刑務所で暗殺者に命を狙われた日本人詐欺師・伊沢修は、同房の中国人・関(グアン)に助けられる。その夜、伊沢は革命家である関からある計画への協力を要請された。それは、革命のための武器の調達。それも、騙し、奪い取る。そのターゲットは日本陸軍参謀次長――。暗殺者から身を守ることを交換条件としてこの企てに加担した伊沢は、刑務所を抜け出し、執拗な暗殺者の追走を受けつつ、関たちとともに壮大な計画を進めていく。騙し騙されるサスペンスフルなコン・ゲームとスピード感、全選考委員の大絶賛を受けて第19回横溝正史賞を受賞した超大作!(内容紹介より)

◎1999年のそろい踏み

もうすぐ2000年を迎えようとしたとき、ミステリー界に4人の新人作家が登場しました。当時の連載誌「ブックチェイス」(PHPメルマガ)に、私は彼らのデビュー作をとりあげました。4人を並べてみます。

・大石直紀(1958年生まれ)『パレスチナから来た少女』(光文社文庫、初出1999年、日本ミステリー文学大賞新人賞)

・横山秀夫(1957年生まれ)『陰の季節』(文春文庫、初出1998年、松本清張賞)

・高嶋哲夫(1949年生まれ)『イントゥルーダー』(文春文庫、初出1999年、サントリーミステリー大賞、読者賞とのダブル受賞)

・井上尚登(1959年生まれ)『T.R.Y.』(角川文庫、初出1999年、横溝正史賞)

大石直紀と高嶋哲夫は、デビュー作を「500+α」で紹介済みです。横山秀夫は『クライマーズ・ハイ』(文春文庫)に軍配を上げましたので、『陰の季節』は紹介作リストから外しています。そして今回は、井上尚登のデビュー作を紹介させていただきます。

◎おまえに復讐する

井上尚登『T.R.Y.』(角川文庫)は、新人とは思えないスケールの大きな作品でした。横溝正史賞受賞時は、井上もんた『化して荒波』というペンネームとタイトルでした。単行本化にあたって2つとも改めたのです。志水辰夫のようなタイトルは、捨てがたいものだったにちがいありません。。

 脚本家だけあって、ウイットに富んだ会話は心地よいものでした。また流れるような文章と展開は、異世界へと読者を引きずりこむ迫力があります。
さらに歴史上の実在人物と虚構の登場人物をみごとに融合させる技術は、職人芸を思わせるものでした。

 主人公の伊沢修は詐欺師です。彼は刑務所生活を送りながら、上海での強制労働に明け暮れます。時は西暦1911年3月、明治44年であたります。中国流にいえば辛亥の年となります。そこへ一人の男が面会に訪れます。

 男は伊沢に恨みをもっています。男の最愛の娘・麗華(リファ)が、清国政府摂生王の暗殺を企てて殺されたのです。男は娘が伊沢に騙されて、革命に走ったと詰め寄ります。そして赤眉という組織を使って、伊沢への復讐を敢行すると告げます。退屈極まりない刑務所生活に、緊張が走ります。

◎国境線があいまいな時代

 刑務所を出てから、赤眉のキムは伊沢を執拗に追いかけます。一方、詐欺師としての腕を見こんだ中国革命同盟会(代表・孫文)が、伊沢を取りこみます。
彼らは日本の陸軍参謀次長・東正信を騙して、武器を奪い取ろうとしています。
 伊沢修を中心に、大がかりな詐欺を企てる一団。騙された振りをして、騙し返そうとする一団。この作品には、多くの国の人が登場します。また明治44年の日本の野心を、随所で垣間見ることができます。
 
――「あんたたちはどのくらい武器が必要なんだ?」伊沢が訊いた。/「そうだな、あればあるほどいいが、最低でも銃を二千に短銃を五百挺、弾がそれぞれ五万と二万か……」関が答えた。/大した量だ。大陸へ運ぶ船の手配は陳がおこなうことになっている。(本文より)

 引用文に登場する関は、関虎飛(グァンブフェイ)という中国革命同盟会の大物です。陳は陳思平(チェンスビン)という上海の小悪党。国境を越えた詐欺グループが、日本の陸軍を手玉に取ろうというのですから、スケールの大きな話です。
 
この作品を活き活きとさせている背景には、登場人物のユニークさがあります。そしてなんといっても、時代考証の巧みさが光ります。
大陸の人々が日本を見る目。陸軍が大陸を見る目。国境線があいまいな時代の様子が、活写されていて興味深く読みました。
 騙した側が騙されている、疑心暗鬼の世相。追う人と追われる人の緊張感。思いがけない結末まで、一気に読ませる井上尚登の筆力に脱帽しました。
(山本藤光1999.08.23初稿、2017.12.22改稿)

岩中祥史『札幌学』(新潮文庫)

2018-03-12 | 書評「い」の国内著者
岩中祥史『札幌学』(新潮文庫)

美しい自然があり、ウインタースポーツが楽しめ、美味しい食べ物も味わえる北の都。だが、そこは人気の観光地でありながら、二百万人近い人々が暮らす巨大都市でもあった。この街を知るには、しがらみから離れ、合理的で自由奔放な札幌人の生態を知らなければならない。歴史、地理、行事、慣行はもちろん、観光やグルメのツボも押さえた北の都市学。真の札幌好きへ贈る充実の一冊。(「BOOK」データベースより)

◎北欧の匂いがする街

岩中祥史(いわなか・よしふみ)は、1950年生まれの名古屋育ちの編集者・出版プロデューサーです。『札幌学』(新潮文庫、初出2009年)上梓以前に、『博多学』(新潮文庫、初出2003年)など何作も著作を発表しています。しかし私の目に触れることはありませんでした。

新潮社の情報誌『波』のなかに、こんな文章がありました。

――都市はその規模と関係なく、住んでみたくなるところと、行ってみたくなるところとに大別される。しかし、その両方を兼ね備えたところとなると少ない。そうした意味では、博多と札幌は双璧だろう。二つの都市に共通するのは、「異国」の匂いがすることで、博多はアジア、一方の札幌は北欧を感じさせる。(『波』2009年3月号、岩中祥史「引きの強い街」より)

北海道は屯田兵により開墾されました。その名残は地名として、いたるところに残されています。「鳥取」「広島」「富山」など、屯田兵の出身地がそのまま町名となっています。また先住民族のアイヌがつけた名前が、そのまま漢字で表記されている地名はたくさん存在しています。

◎道産子には書けない

岩中祥史『札幌学』(新潮文庫)を 笑いながら読みました。『札幌学』は道産子の私でさえ、新発見をさせられことがたくさんありました。

冠婚葬祭はもちろん、道産子気質に触れた部分は「あるある」「そうだったのか」「なるほど」と、忙しい合いの手が入ってしまいました。今現在札幌や北海道に住んでいる人よりも、離れた人が読むと前記の反応になると思います。

「学」とついているから、生活保護や離婚率まで統計学的に詳述されています。書かれていることの多くは、あたっています。これは血液型よりも信憑性があると思います。私自身を切り刻まれているような、不思議な感覚になって読みました。

「これ、それとばくろうよ」「あずましくない」「じょんぴんかる」など、方言も懐かしく思い出しました。「ばくる」は交換するの意味なのですが、おそらく馬の仲介をする商人・馬喰が語源だと思います。「あずましくない」は、安住しがたいが語源だと思います。落ち着かないときに用いていました。「じょんぴん」は錠前のことです。

本書には直接の言及はありませんでしたが、そんな方言が浮かんできました。

道産子はドライである。著者はそう書いています。そのとおりだと思います。著者である岩中さんに脱帽です。いまごろの札幌は、しばれているんだろうな、と思いつつペンを置きます。
(山本藤光:2013.06.16初稿、2018.03.12改稿)

石坂洋次郎『青い山脈』(新潮文庫)

2018-03-09 | 書評「い」の国内著者
石坂洋次郎『青い山脈』(新潮文庫)

物語は、東北地方の港町を舞台に、若者の男女交際をめぐる騒動をさわやかに描いた青春小説である。『青い山脈』は、日本国憲法が施行された翌月から連載され、民主主義を啓発させることにも貢献した。また、すでに教育基本法(昭和22年法律第25号)と学校教育法(昭和22年法律第26号)も施行されていたが、『青い山脈』が連載された1947年度(昭和22年度)には学校教育法に基づく学校はほぼ皆無の状況である。(ウイキペディアより)

◎戦後の大ヒット作品

もうすぐ古希を迎えようという私の高校時代、もっとも愛読されていたのは石坂洋次郎でした。現代の若者が読んだら、きっと吹き出してしまうかもしれません。ふと懐かしくなって、半世紀ぶりに再読しました。

石坂洋次郎『青い山脈』(新潮文庫)が発表されたのは、終戦から2年後の1947年です。まだまだ封建的な考え方が支配する世の中であり、男女の恋愛も自由ではありませんでした。

――「地方の高等女学校に起こった新旧思想の対立を主題にして、これからの日本国民が築き上げていかねばならない民主的な生活の在り方を描いてみよう」と作者が意図したのがこの新聞小説である。新聞小説の復活はこの作品をきっかけとしてはじまったといえよう。健康で明るく、ユーモアに満ちた石坂文学は、映画化の成功もあって、戦後最初のミリオン・セラーとなった。(小田切進・尾崎秀樹『日本名作事典』平凡社P19)


石坂洋次郎は戦前に、『若い人』や『石中先生行状記』などを発表しています。しかし前者は不敬および誣告罪で告訴され、後者はわいせつということで発禁処分を受けています。そんな石坂洋次郎は戦争が終わり、水を得た魚のように朝日新聞に『青い山脈』の連載を開始しました。

石坂洋次郎の小説は、それまでの私小説にうんざりしていた読者層を、わしづかみにしました。

――石坂作品は、性や男女交際の解放、民主化を明るい日差しのもとにさらして虫干ししたとも言えます。(佐高信・談、井上ひさしほか編『座談会・昭和文学史・第3巻』集英社P240)

石坂作品は丹羽文雄、石川達三、船橋聖一などとならんで、風俗小説と呼ばれました。なかでも『青い山脈』は、何度も映画化されました。私が観たのは、吉永小百合のものでした。原作の冒頭は主人公の寺沢新子が、乾物屋へ米を売りつける場面になっています。対応に出たのは、六助という浪人生でした。ところが映画では、米ではなく卵を売りつける場面になっていました。

原作の『青い山脈』は、2通のラブレターが物語の中核になっています。今では大騒ぎするほどのことではありませんが、当時はこれが大問題だったのです。このあたりの古さが、現代の読者からはじき出された要因なのでしょう。若い人には終戦直後のおとぎ話程度の受け止め方で、ぜひ読んでみていただきたいと思います。

1通のラブレターは体育教師から、同僚の若い英語教師・島崎雪子に宛てられたものです。雪子の机の上に1冊の本がおいてありました。ラブレターはそこに挟みこまれました。ところがその本は雪子が同僚の女教師から借りていたもので、ラブレターがはさまったままに返却されます。このラブレターは、やがて学校や町をあげての大騒動に決着をつける材料となります。

◎ニセのラブレター事件

『青い山脈』は成熟していない戦後民主主義を問う、当時においては意欲作でした。島崎雪子は、東北の女学校の若い英語教師です。彼女は民主化から取り残された、町民や生徒が歯がゆくて仕方がありません。そんな雪子のもとに、女学校5年生の寺沢新子が相談にきます。

新子は1通のラブレターを差し出し、男を装ってクラスの誰かが書いたものだと言います。文面は「恋しい」を「変しい」と誤記されており、稚拙なものでした。島崎雪子は毅然として、教室内で犯人探しをします。犯人は松山浅子のグループであることが判明し、雪子は激しく叱責します。

そのことが古い因習と伝統を重んじる学校や町で、大きな問題となります。雪子は反動教師としてPTAや理事の前で吊しあげられます。雪子は校医である青年・沼田に対応を相談していました。沼田は六助などの協力を得て、理事会に参加しています。ドタバタの理事会には触れませんが、芸者が出てきたり、理事会の模様を速報する若者が登場したり、大いに楽しませてくれます。

石坂洋次郎は、同郷の先輩作家・葛西善蔵からの離脱が出発点です。石坂は葛西善蔵の酒乱ぶりに辟易し、その作風の踏襲も断念しています。石坂文学の成立には、反面教師としての葛西善蔵があったのです。

――『葛西善蔵のこと』の中で、石坂は次のように書いている。「善蔵のきびしい訓練のムチの下から逃れ去った私は、一転して安易の道をたどり、通俗小説の流行作家として今日に至っている」と。孤高か、平俗か――おそらく葛西の孤高を継承したならば、石坂は通俗作家の運命からは免れたかもしれない。(磯田光一『殉教の美学』冬樹社P314)

こんな時代もあったのかくらいの受け止め方で、戦後の大ベストセラー小説に触れてみてはいかがですか。時代は大きく変わり、性も男女交際も様変わりしています。しかし石坂洋次郎が描いた自然は、いまなお色鮮やかに残っています。石坂洋次郎が描き続けた風景は、次の3カ所に限られますが。

――私には三つしか描ける風景の対象がないのだ。一つは私が生まれ育った津軽の周辺のそれ、つぎは働きざかりの年ごろの十三、四年間、教師として暮らしていた秋田県横手市の周辺のそれ。いま一つは、上京以来二十余年住み着いた大田区田園調布の周辺のそれ。(毎日新聞社学芸部『私の小説作法』雪華社P32)
(山本藤光:2016.05.30初稿、2018.03.09改稿)

伊井直行『服部さんの幸福な日』(新潮社)

2018-03-08 | 書評「い」の国内著者
伊井直行『服部さんの幸福な日』(新潮社)

飛行機墜落、〈奇跡の生還者〉となった服部さんを次々と襲う不可解な出来事。疑惑の財界人の元秘書はなぜ執拗に彼を狙うのか。服部さんは遂に立ちあがる。(「BOOK」データベースより)

◎文庫化されていませんが

伊井直行は1953年生まれの元小説家です。現在は出版社勤務を経て、東海大学文学部教授をしています。元小説家と書いたのは、最近はとんと小説を発表していないからです。直近では『岩崎彌太郎「会社」の創造』(講談社現代新書2010年)を買い求めましたが、小説には久しくお目にかかっていません。

伊井直行は、注目していた作家の一人です。なかでも、『服部さんの幸福な日』(新潮社)と『湯微島訪問記』(新潮社)は、文庫化されたら紹介したいと待ちつづけていました。しかし待てど暮らせど文庫化されませんので、掟破りで単行本を推薦させていただきます。

伊井直行は地味な作家です。デビューして以来、『服部さんの幸福な日』(新潮社)が12冊目の単行本となります。ところがあまり読まれていません。伊井直行は『草のかんむり』(講談社文庫、初出1983年)で、群像新人文学賞を受賞しています。第2作『さして重要でない一日』(講談社文庫、初出1989年)では、野間文芸新人賞をを受賞しています。

『草のかんむり』は、蛙にされた予備校生の話です。『さして重要でない一日』は、会社での未知なる空間を描いた作品です。伊井直行はこれまで、デビュー時代の2作品を引きずりつづけていたように思います。私はどちらかというと、『湯微島訪問記』(新潮社、初出1990年)に代表される、ファンタスティックな作品の方を評価していました。

◎平凡な主人公の事件

『服部さんの幸福な日』は、これまでの作品とは明らかに異なる。エンターテイメントとして、十分に楽しめます。ストーリーも派手です。

旅客機が海上に墜落します。生存者は2名。それが服部さんと高木。主人公を「服部さん」と書いているのは、著者の主人公に対する優しい視点のためでしょう。この呼称が効いています。「服部さん」とすることで、主人公は憎めない人柄との既成事実ができあがります。服部さんは、平凡なサラリーマンです。妻・えり子と2人の子供がいて、愛人もいます。

2人は波間に漂いつづけます。やがて2人は、得体の知れないクルーザーに救助されます。乗員は2人に目隠しをし、顔を見せようとはしません。船名もビニールシートで覆い隠されています。クルーザーは、2人を漁船に引き渡します。かくして2人は生還するわけです。2人は一躍マスコミの寵児となります。マスコミのインタビューに対して、2人はクルーザーでのひどい待遇について訴求します。服部さんの悲劇はここからはじまります。

クルーザーの持ち主である肥満体の「奥様」とその息子は、インタビューの内容に憤慨します。息子は恩を仇で返す、2人への復讐を誓います。

奇跡の生還をとげた服部さんと高木に、執拗な復讐劇が繰り広げられます。「服部さん」と「奥様」。伊井直行は、2人の呼称を存分に活かして物語を進めます。

陰湿なストーリー展開のなかで、「さん」と「様」は微妙な均衡を保っています。2人は愛する家族のために闘います。不倫・愛人・おかぼれなど、物語の登場人物にはきな臭いにおいがつきまとっています。

『服部さんの幸福な日』は、伊井直行の代表作と断言します。物語には「偶然」が多すぎて、抵抗感を示す読者もいるかもしれません。しかし我々の日常にも、「偶然の産物」は数多くあります。「偶然」を「必然」に変えてみせる筆力。私はこの作品の、物語性のなかにそれを見ました。第三者の眼からは、ドタバタ劇としか映らない騒動ですが、底力が感じ取れるのです。本書の平凡と日常について、高橋源一郎は次のように書いています。

――平凡とは、日常とは、人間がそこから抜け出すことができない存在の条件そのものなのではないか。そう思えた時、はじめて平凡であることの意味が揺らぎはじめるのだ。(高橋源一郎『人に言えない習慣、罪深い愉しみ』朝日文庫P204)

奇跡の生還が、とんだ復讐劇に変わる妙。十分に堪能させてもらいました。服部さんの「幸福」は、奇跡の生還にあったのか。「幸福」は「偶然」には手に入りません。「不幸」は「突然」にやってきます。「偶然」を「必然」に昇華するエネルギー。「不幸」に立ち向かうエネルギー。それを実感したエンターテイメント作品でした。

伊井直行の新しい小説を読みたい。そんな思いを乗せて、旧作の単行本をあえて、「文庫で読む500+α」の仲間入りさせてしまいました。
(山本藤光2000.03.20初稿、2018.03.08改稿)

今村聡・海堂尊『医療防衛』(角川oneテーマ21新書)

2018-03-08 | 書評「い」の国内著者
今村聡・海堂尊『医療防衛』(角川oneテーマ21新書)

情報操作から医療を守れ! 医療の敗北は「市民社会」の敗北だ。海堂尊のベストセラー医療小説『螺鈿迷宮』主人公の医学生・天馬大吉らが日本医師会に乗り込んだ! そこでわかった本当の真実とは……?(内容案内より)

◎今村聡先生とお会いして

私が顧問を務める株式会社コラボプランには、『医療関連図書リスト』(非売品)という冊子があります。古今東西の本のなかから、医師、看護師、薬剤師、病院、薬剤、入院、外来などをテーマにしたものをリストアップしています。そのなかの1冊が、今村聡・海堂尊『医療防衛』(角川oneテーマ21新書)でした。

ある日、新聞で「第1回日本医療小説大賞」の記事を読みました。知らない賞でした。主催・公益社団法人日本医師会、後援・厚労省、協力・新潮社となっており、受賞作として帚木蓬生『蠅の帝国・軍医たちの黙示録』『蛍の航跡・軍医たちの黙示録』(ともに新潮文庫)が選ばれていました。

「医療図書リスト」を作成していることから、日本医療小説大賞の新設はうれしい英断でした。さっそく『医療防衛』の著者である今村聡先生に賛同の手紙を書きました。今村先生は副会長でした。手紙の末尾には、できればお会いしたいと、メールアドレスをそえておきました。

すぐに今村先生からメールがありました。日本医師会館に伺いました。玄関を入ると、いきなり巨大なシロクマのはく製に迎えられました。今村聡先生はスラッとした、予想通りの紳士でした。

日本医療小説大賞の審査にあたった渡辺淳一、今村先生の同級生の作家・南木佳士、共著者・海堂尊など、遠くにいた作家が身近に感じる話のてんこもりでした。

◎主人公たちが日本医師会に乗り込む

もちろん著作『医療防衛』の話もしました。今村聡先生は何度も「日本医師会は開業医の利益団体ではない」と強調しました。そのことは、本書のなかでも語られています。「まえがき」の海堂尊の文章を紹介させていただきます。

――この本が出たら、メディアはこの本の存在を徹底的に無視するか、海堂が日本医師会のヨイショ本を作った、などと揶揄されてしまうかもしれない。(本著「はじめに」より)

ご存知の通り海堂尊は現役の医師でもあります。しかし海堂は医師会に加入していません。今村聡は海堂尊の『チーム・バチスタの栄光』(上下巻、宝島社文庫、「山本藤光の文庫で読む500+α」推薦作)を読んで共鳴し、「お会いしたい」と手紙を書いています。構造的には私が今村先生に「お会いしたい」と送ったのと同じです。

今村・海堂の初面談では、海堂が書いた「Ai」(死亡時画像診断)の推進を熱く話し合ったようです。今村聡は小説の世界を、現実の世界にすべく力を注ぎました。日本医師会はそれまで微動だにしなかった、国を動かしました。

『医療防衛』を読んで、日本医師会を悪役にする国やメディアの腹の中が見えました。日本医師会は、患者の立場で活動している組織である点も理解できました。海堂尊『螺鈿(らでん)迷宮』(角川文庫)の主人公たちが日本医師会に乗りこむ、という設定もユニークでした。そのあたりについて、今村聡は次のように書いています。

――海堂先生は医師会員ではない立場で、医師会員と議論を交わしたうえでお書きになっているので説得力があります。(『本の旅人』角川書店、2012年4月号)

私は若いころに製薬企業のMRとして、病院や開業医を仕事場にしていました。もっと早くに本書と巡り合っていたなら、「医療の敗北は市民の敗北である」とする日本医師会の立ち位置を、仕事の中核にすえられたことと思います。
(山本藤光:2014.02.28初稿、2018.03.08改稿)

岩崎夏海『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』(新潮文庫)

2018-03-07 | 書評「い」の国内著者
岩崎夏海『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』(新潮文庫)

ある日突然、女子マネージャーになった主人公の川島みなみは、都立程久保高校の野球部を「甲子園に連れていく」と決めた。でもいったい、どうやって?世界で一番読まれた経営学書『マネジメント』の理論を頼りに、みなみは野球部を変革して行く。「真摯さ」とは何か、顧客は誰か、組織の成長とは…。ドラッカーの教えを実践し、甲子園出場をめざして奮闘する高校生の青春物語! (「BOOK」データベースより)

◎大ヒットの陰に編集者

『もしドラ』が文庫となって、帰ってきました。帯には誇らしげに「280万部には理由がある!」と刷りこまれています。もちろん単行本でも読みましたが、懐かしくて再読しました。単行本はダイヤモンド社創設以来の売上でしたし、映画化もされました。ビジネス書としては、異例のことづくしの岩崎夏海『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』(新潮文庫)は、着想のユニークさが受けたのだと思います。

岩崎夏海は本書の着想を、ネット発信しています。それに目をとめたのが、ダイヤモンド社の編集者でした。岩崎夏海のアイデアはもちろんですが、出版社の力が大ヒットの陰にあります。柚木麻子『ランチのアッコちゃん』(双葉文庫)も、ボツ原稿を編集者が再生させたものです。

『もしドラ』は、カバーイラストにゆきうさぎを起用し、ライトノベルのイメージを出しました。さらにタイトルに工夫をこらし、「高校野球の女子マネージャー」と「ドラッカー」というアンマッチな組み合わせを選びました。ダイヤモンド社にとっては、大冒険だったと思います。

「マンガで資本論」などのお手軽本もあります、しかし『もしドラ』は実践例を描いた物語です。外装はライトノベルのようにしていますが、中身はどっしりとした実践書になっています。今回文庫化されて、カバーイラストはゆきうさぎのままでした。イメージを壊してほしくなかったので、安心しました。

◎マネジメントってなに?

東京都立程久保高校には、弱小の野球部があります。主人公の川島みなみは、そこの2年生です。彼女は病に倒れた親友の宮田夕紀から、自分のかわりに野球部マネージャーをやってほしいと頼まれます。

みなみは引き受けるからには、メンバーを甲子園に連れていくとの目標を立てます。彼女はそれを監督やメンバーに宣言します。しかし反応は冷ややかなものでした。

野球部には、意欲のかけらもありません。甲子園どころか、地区大会すら勝ち抜く下地がありません。さらに監督・加地とエース・浅野との確執など、問題も山積していました。マネージャーは何をする人なのだろう。そんな疑問から、みなみは書店で1冊の本を手にします。それがドラッカーの『マネジメント』だったのです。

苦労しながら読み進めるうちに、マネージャーの唯一の資質は「真摯さ」という言葉に目がとまります。

ストーリーを追うのは、ここまでにしておきます。みなみが弱小野球部を変革できたのは、ドラッカーの本のエキスだけではありません。彼女の優れているのは、共感した骨子を周囲に納得させるひたむきさにあります。さらに納得した人を、協調者として力にかえるスキルにあります。

思考錯誤しながら、一歩ずつ高みを目指すみなみの忍耐力。信じたことを実行する行動力。みなみはイラストのイメージとかけはなれた、強い心の持ち主です。

◎必要な素養は「真摯さ」

ドラッカー『マネジメント』を読んでから、みなみはこんな回想をします。みなみは宮田夕紀とのやりとりを、テキストの文面と重ねます。。

――「どうしてマネージャーになったの?」と問い、「感動をしたいから」という答えを得たことが、すなわちマーケティングングだったのだ。(本文P62)

そして少しずつ、マネジメントの本質を理解するようになります。

――マネジメントは、生産的な仕事を通じて、働く人たちに成果を上げさせなければならない。(本文P94)

――働きがいを与えるには、仕事そのものに責任を持たせなければならない。(本文P144)

みなみは大切な言葉を咀嚼し、一つずつ実践に移します。マネージャーに必要な素養は「真摯さ」を、まっとうするのです。

『もしドラ』は本に学び、本に共感し、その語り部となるみなみの成長物語です。私も3冊ビジネス小説を書いていますが、岩崎夏海の著作ほど、断固とした信念がありません。文庫をお読みになる場合は、巻末の「解説インタビュー」を最後に読んでください。上田惇生(ドラッカー学会初代代表)とのやりとりが実におもしろかったです。
(山本藤光:2012.11.01初稿、2018.03.07改稿)


絲山秋子『沖で待つ』(文春文庫)

2018-03-05 | 書評「い」の国内著者
絲山秋子『沖で待つ』(文春文庫)

仕事のことだったら、そいつのために何だってしてやる。そう思っていた同期の太っちゃんが死んだ。約束を果たすため、私は太っちゃんの部屋にしのびこむ。仕事を通して結ばれた男女の信頼と友情を描く芥川賞受賞作「沖で待つ」に、「勤労感謝の日」、単行本未収録の短篇「みなみのしまのぶんたろう」を併録する。すべての働くひとに。(「BOOK」データベースより)

◎わかりやすい純文学

読者にこびへつらうような、作品は書かない。絲山秋子の作品を読んでいると、いつも断固たる宣言が聞こえてくるような気がします。私には才能がある。私はだれも書いていないような作品を書く。ニュアンスは違うかもしれませんが、以前こんな宣言をしている文章を読んだこともあります。病気ではない、なにかと闘っている物語を書きたい。そのときにそえられていた抱負は、こんなニュアンスだったと思います。

絲山秋子はタイプこそちがいますが、笙野頼子とともに稀有な純文学女流作家です。笙野頼子には、ついてゆけなくなってしまいました。物語が奇怪すぎて、脳みそがハレーションをおこしてしまうのです。
 
いっぽう絲山秋子作品は、とてもわかりやすいものです。いまどきの現代作家が描くような、単純なオスとメスの騒乱ドタバタ劇にはなりません。
 
絲山秋子は営業職を経験し、躁うつ病でも苦しんでいました。デビュー作『イッツ・オンリー・トーク』(文春文庫)が書かれたのは、退職して入院生活をしているときでした。小学生から読書家だった絲山秋子は、身辺雑記風の作品を完成させました。『イッツ・オンリー・トーク』は、文学界新人賞を受賞してしまいます。
 
それからの絲山秋子は、つぎつぎと玄人好みのする作品を書きつづけています。『袋小路の男』(講談社文庫)で川端康成文学賞、『海の仙人』(新潮文庫)で芸術選奨新人賞、そして『沖で待つ』で芥川賞と、1年ごとに書いた作品に評価があえられました。
 
『イッツ・オンリー・トーク』の主人公・優子は、絲山秋子の履歴と重なります。精神を病んで入院した優子は、退院後に絵を描きはじめます。その絵が賞をとり売れはじめます。しかし次第に絵が売れなくなり、どん底の生活に舞いもどります。それでも主人子は、なんとか生きていきます。どこにもとんがった場面は、でてきません。
 
『袋小路の男』は、高校時代から12年間つづく片想いの記録です。男が住んでいる袋小路の家と、やるせない片想いが上手に融合されています。男はいらいらさせられるほど、煮えきらないタイプです。なにをやっているんだ、と思わず叫び声をあげそうになったほどです。

『海の仙人』は、現実世界から隔絶された男女4人の物語です。奇妙な非現実的な世界なのですが、まったく違和感を抱くことはありませんでした。絲山秋子作品は地味ですが、読書後の余韻が長くつづきます。貴重な純文学作家の作品を、ぜひ読んでもらいたいと思います。 

◎太っちゃんとの協約

『沖で待つ』(文春文庫)の主な登場人物は、3人だけです。絲山秋子作品は、登場人物が少ないのが特徴です。主人公のOL及川(「私」で語られています)と太っちゃん(牧原太)は、同期の新入社員です。住宅設備機器メーカーに就職し、2人とも福岡営業所へ配属されます。
 
2人はそれぞれの先輩の指導を受けて、社会人の第一歩を見知らぬ土地で過ごします。太っちゃんは、呼称どおり肥満体で汗かきです。仕事の飲みこみが悪い。ずぼらで失敗も多い。福岡営業所には、井口珠恵というベテランの才媛いました。スタッフとして、太っちゃんの失敗をカバーしてくれます。
 
いつの間にか、2人は結婚してしまいます。その後、私(及川)は埼玉、太っちゃんは東京営業所勤務となります。太っちゃんにはこどもができ、単身赴任で東京に住むことになりました。
 
――太っちゃんのセールスポイントは愛想のよさでも手先の器用さでもなく、ただ、いつでも汗をかけることでした。現場の人間やお施主さんは汗をかく営業マンに弱いのです。冬でも汗をふきふき謝っていると、製品の不具合に心底腹を立てていたお客さんも、仕方がないなあ、となるのです。(本文P70より)
 
太っちゃんが東京にきて2ヵ月後、2人は久し振りに酒を飲みます。そのときに私は、太っちゃんから「先に死んだ方のパソコンのHDDを、後に残ったやつが破戒する」という協約を結びます。太っちゃんは、妻やほかの人に見せられないような「秘密」を、保護するためだと説明しました。
 
ある日、出勤しようとした太っちゃんは、飛び降り自殺の巻きぞえになります。私は太っちゃんとの「協約」を実行に移します。これで太っちゃんの「秘密」は、すべてが消失してしまいました。私はそう思っていました。ところが……。
 
『沖で待つ』は、「私」(及川)が、いきなり幽霊と対面する場面からはじまっています。そして回想部分として、幽霊と「私」の関係が明らかにされます。「沖で待つ」というタイトルの意味は、物語の最後に知らされます。

絲山秋子は、ル・クレジオ(代表作は「調書」)、石川淳(代表作は「普賢」)、ヘンリー・ミラー(代表作は「北回帰線」)が好きだといいます。「袋小路の男」は、ロレンス・ダレル「アレキサンドリア四重奏」を意識して書かれました。ヘンリー・ミラーやセリーヌの文体が好きだともいいます。読者への推薦図書として、ミシェル・ビュトール『心変わり』(岩波文庫)をあげているのも、なるほどと思います。
 
たまには純文学も読んでいただきたい。その代表作品として、絲山秋子『沖で待つ』を紹介させていただきます。
(山本藤光:2010.06.02初稿、2018.03.05改稿)

石川達三『蒼氓(そうぼう)』(新潮文庫)

2018-03-02 | 書評「い」の国内著者
石川達三『蒼氓(そうぼう)』(新潮文庫)

『蒼氓』は、1930年のブラジルへの移民を素材にしています。神戸港にある「国立海外移民収容所」へ集まってきた移民たちの人間模様を、見事に活写しています。移民希望者は郷里で予備検査を受け、家も畑も家財道具も売り払って集まっているのです。(本稿の抜粋)

◎芥川賞ものがたり

石川達三『蒼氓(そうぼう)』(新潮文庫)は、記念すべき第1回芥川賞(1935年、昭和10年上半期)受賞作です。候補者には、太宰治(「逆行」)、高見順(「故旧忘れ得べき」)、外村繁(「草筏」)などがありました。太宰治が選考委員の佐藤春夫や川端康成らに、「私に芥川賞をあたえてください」という手紙を書いているのは有名な話です。

しかし太宰治(28歳)の候補作「逆行」(角川文庫『晩年』に所収)は、前作「道化の華」(角川文庫『晩年』に所収)よりも劣っている、ということで落選となりました。選者の川端康成は、「私見によれば、作者目下の生活に厭な雲ありて、才能の素直に発せざる憾みあった」と私生活にまでふみこんだ評価をしています。

芥川賞は「作品」、直木賞は作家の将来性を評価とするとの、暗黙の規定があります。選者の山本有三は、『蒼氓』の構想力を高く評価しています。また瀧井孝作は「こんど受賞できなかった人でもこれから第2回第3回と機会は何度でもあるのだから」とコメントしています。しかしあれほど芥川賞に固執していた太宰治には、2度とチャンスがめぐってきませんでした。(『芥川賞全集第1巻』を参照しました)

若いころの石川達三は、同人誌に作品を発表していました。しかし作家として独立するメドが立たず、田舎で養豚をする決心をします。そんなときに、『蒼氓』で芥川賞を受賞しました。30歳になってからのことです。

残念なことに『蒼氓』(新潮文庫)は、古書店でもなかなか見つかりません。『蒼氓』は3部作になっています。芥川賞を受賞作「蒼氓」は、その第1部にあたります。新潮文庫には、「第2部・南海航路」「第3部・声無き民」が所収されています。

第1部「蒼氓」は、移民を望む人たちの8日間のドラマです。第2部「南海航路」は、ブラジルのサントスに向けての45日間。第3部「声無き民」は、ブラジル上陸後の模様が描かれています。

石川達三は25歳のときに、実際にブラジルへの移民船「ら・ぷらた丸」に乗っています。『蒼氓』は、そのときの体験をもとに書かれています。それゆえ移民たちの胸中を、リアルに描けたのです

「蒼氓」というタイトルについて、著者自身の説明を紹介させていただきます。

――「蒼氓」という題はあまり見かけない字でちゅうちょしたが、南米移民の集団を扱った作品であるから、はじめ「蒼生」「青民草」という字を考えた。しかしこれではありきたりでおもしろくない。字典を引いて見ると、「蒼生は蒼氓に同じ」とあり、氓の字をしらべて見ると、この字には、移住民の意味があった。すると、もうこの題はうごかせないものになってしまった。(毎日新聞社学芸部編『私の小説作法』雪華社より)

◎ブラジル移民を描く

『蒼氓』は1930年の、ブラジル移民を素材にしています。神戸港にある「国立海外移民収容所」に、全国から予備検査に合格している人群れがやってきます。彼らはブラジルへ入国するための第一条件「トラホーム患者ニ非ザルコト」をクリアしてきた人たちです。移民収容所では、本検査が待ちかえています。

現前には楽園へとつづく、大海原があります。彼らは故郷の家も畑も家財道具も、売り払って集まっています。本検査で不合格となれば、帰るあてはありません。佐藤孫一の娘・夏も、そのなかのひとりです。夏は弟のたっての希望で、移民を承諾しました。彼女は職場の上司・堀川から、結婚を申しこまれていました。夏は門馬勝治と名目だけの夫婦となっています。「満五十歳以下ノ夫婦及ビ其ノ家族ニシテ満十二歳以下ノ者」(本文より)という条件を満たすためです。

本検査で合格した953人は講習をうけながら、1週間収容所ですごします。出発の日がきます。第1部「蒼氓」は、ブラジルへ向かう船が岸壁を離れるところで終ります。5色のテープが舞い、日章旗を振る児童に見守られながら。船室には倒れ伏し、声をあげて泣いている夏の姿があります。

第2部「南海航路」では、夢の楽園にどんよりとした雲がたちこめる様子が描かれています。船酔いに苦しんだ移民たちを待ちうけていたのは、よからぬ話ばかりでした。夏は形だけの結婚相手の、勝治から求婚されます。

第3部「声無き民」は、ブラジルでの悲壮な生活が描かれています。現地の日本人入植者に迎えられ、彼らは土蔵のような粗末な家へと案内されます。不慣れな外国での日常がはじまります。

『蒼氓』は、夏を主軸に展開されます。小田切進は著作のなかで、「夏の素直で健気な、無知ですが、雑草のように強い生活力を、映画のカメラが追ってゆくように、しばしばクローズアップして写しています」(小田切進『日本の名作』中公新書)と書いています。

全国各地から集まった貧民は、検査でふるいおとされました。さらに過酷な船旅が終わると、小さなグループとなって四散します。夏は弟から、1年だけ辛抱してと懇願されています。しかし彼女は、そんなに簡単には帰国できないと思っています。荒れてやせた大地へ挑む男たちを、台所で見送る夏。彼女にはそれしかなすすべがないのです。 
(山本藤光:2010.05.27初稿、2018.03.02改稿)