山本藤光の文庫で読む500+α

著書「仕事と日常を磨く人間力マネジメント」の読書ナビ

郡司利男『国語笑字典』(カッパブックス)

2018-10-15 | 書評「く・け」の国内著者
郡司利男『国語笑字典』(カッパブックス)

◎日本最初の笑いの字典

 私の書棚には3万冊の本があります。そのなかで最も古くからある本は、郡司利男『国語笑字典』(カッパブックス)だと思います。高校時代はカッパブックスの一大ブームでした。松本清張作品のほとんどは、このシリーズで読みました。そして運命の出逢いがありました。『国語笑字典』は、私に日本語の楽しさを教えてくれた大切な本です。本書のお陰で、私の国語好きがはじまりました。
 今回一週間かけて半世紀ぶりに再読してみました。少し時代にマッチしていない箇所もありましたが、おおむね若いころの興奮がよみがえってきました。特に柳原良平のイラストは、当時の記憶そのままに笑わせてくれました。

 郡司利男は、1923年生まれで1999年に逝去している英文学者です。ピアス『悪魔の辞典』(岩波文庫、西川正身編訳)に触発されて、『国語笑字典』を書いています。そのことは、本書「まえがき」に明示されています。。

――これは、日本ではおそらくはじめての、本格的な国語の笑字典である。(中略)海外では、これまでに、笑字典のたぐいが、すくなからず出版されている。なかでも、ピアス『悪魔の字書』(アメリカ)、イサールの『英語笑字典』(アメリカ)は、私の愛読書である。

『国語笑字典』のおもしろさは、ユーモラスな字典の合間にあるエッセイにもあります。たとえばこんなくだりです。

。――姓名の、しかもその字画で、人の運命が左右されるものであれば、まるまっこくて、字画のない名前の西洋人の運命は、どうなるというのだ。(本文P23)

字典のなかからも、いくつか紹介させていただきます。

――ないゆうがいかん(内憂外患):恋とにきびと。(本文P50)

――いさん(遺産):兄弟は他人の始まりと言う。すなわち、これを分配するとき、兄弟として集まり、他人として別れるのである。(本文P70)

ちなみに「遺産」について、ピアス『新編・悪魔の辞典』では次のように説明されています。

――遺産(legacy):この涙の谷間からさっさと逃げ出して行こうとしている者、あるいは片足を墓穴に突っ込んでい者があとに残して行く贈り物。(本文P30-31)

◎にきびと恋と

『国語笑字典』の初版は、昭和38(1963)年8月1日となっています。私の手元にあるのは、24刷で昭和38年11月10日です。なんと発売3ヶ月で24回の刷り増しがなされているのです。本書が爆発的に売れたことがわかります。

本書の魅力について、若島正は次のように書いています。

――わたしが中学生になった1980年代の中頃は、それこそカッパ・ブックスの全盛期であった。松本清張に狂ったのも、すべてカッパのせいである。そしてカッパ・ブックスのなかでわたしが最も影響を受けたのは、郡司利男という英語学者が書いた『国語笑字典』と『英語笑字典』の2冊だ。(「本の雑誌」2015年12月号)

 この文章から推察するなら、カッパのブームは約20年にもおよんだことになります。

『国語笑字典』は希少本になっています。入手が難しければ、郡司利男『迷解・国語笑辞典』(東京堂出版)なら新刊で購入できます。ただしこちらは柳原良平のイラストもなく、軽妙なエッセイもありません。

 にきびと恋の内憂外患時代を、懐かしく思い出した再読でした。赤線だらけの黄ばんだ本書を、書棚の一等地に収めました。私の原点は本書にあります。感謝。
山本藤光2018.09.15

くらたまなぶ『リクルート「創刊男」の発想術』(日経ビジネス人文庫)

2018-03-17 | 書評「く・け」の国内著者
くらたまなぶ『リクルート「創刊男」の発想術』(日経ビジネス人文庫)

「とらばーゆ」「フロム・エー」「エイビーロード」「じゃらん」―。「創刊男」の異名を持ち今日のリクルートを築いた名編集者が、目からウロコの究極の仕事術を全面公開。市場のニーズをつかみ、次々とヒットを飛ばす秘訣とは。(「BOOK」データベースより)

◎「夢派」と「グチ派」

くらたまなぶはリクルート在籍中に、14の雑誌を創刊した男です。本書はその軌跡を、リズミカルな文体でたどっています。著者には揺るぎない哲学があります。
 
創造に向けての「夢」。夢をしぼませる元凶は「固定概念」。著者は徹底的に現実を見つめ、夢とおきかえてみます。常識が非常識に変わり、そこに新たな常識の旗が立ちます。
 
無難な「いま」の延長線上には「未来」はなく、いまを破壊したところに新たな世界が創出されるのです。
 
――同じ内容でも、人によってしゃべり方は2通りに分かれる。「夢派」と「グチ派」。活躍したい将来の夢を語るか、活躍できない現状のグチをこぼすか。そして、わかりやすいのは、圧倒的に「グチ派」の方だった。(中略)人は「夢」よりも「グチ」にホンネをこめるんだ。(本書P80より)

この部分が好きです。グチはリアルなものです。夢は曖昧模糊としています。ここを知っている人は、奇想天外な夢は語りません。それゆえ、くらたまなぶは、グチを封印して曖昧な世界をさまようのです。
 
本書には、著者の人間的な魅力が満載されています。強い意志と大きな夢。そんな世界をのぞいてみていただきたいと思います。

得意先との商談の席で、私がくらたまなぶ『リクルート「創刊男」の発想術』(日経ビジネス人文庫)を絶賛したことがあります。それまで冷たい目でうなずいていた、役員(I・Kさん)の目の色がかわりました。「彼とは親友だよ」と役員が、独り言のようにつぶやきました。「お会いしたいですね」と踏みこんでみました。「連絡してあげるよ」といってくれました。

そして2週間後、私はくらたまなぶ、I・Kさんと銀座で酒を飲んでいました。楽しい酒でした。くらたまなぶは、著作そのままの夢の多いひとでした。I・Kさんは酒が進むと、グチ派にかわりました。

◎飲み会にまで企画書

くらたまなぶの2番目の著作『カラダ発想術』(日本経済新聞社)には、私が実名で登場しています(P40)。くらたまなぶは、飲み会まで「企画」として処理してしまいます。未読の方のために、さわりを紹介させてもらいます。

私(本名は山本藤光)とくらたまなぶ氏とは、そのときには面識がありません。紹介者は前記のI・Kさんです。以下は、その日にくらたまなぶが書いた「飲み会の企画書」です。
  
(引用はじめ)
テーマ:3人飲み会
日時:5月31日19時から
氏名:
山本氏(初対面)
I・K氏(つなぎ役)
くらた(幹事)
(引用おわり)

くらたまなぶ流「3人飲み会」の企画書は、ここまでが「決まっていること」として説明されています。このあとは「現状はどうなっているか」を赤ペンで記入するとあります。ここに書かれているように、私とくらたまなぶは初対面でした。

彼は私の著作を読んでくれており、私も彼の著作(『リクルート「創刊男」の発想術』に感銘を受けていました。私と酒を飲むことまで「企画」にしてしまうくらたまなぶは、こんなことを書き連ねています。
 
(引用はじめ)
小泉氏:銀座好き。あまり食べない。チューロック。
山本氏:酒好き。和食かな。山本氏は遠いからハシゴなし? アルコール込みで1万円くらい? 山本氏とは?
3人飲み会:地酒orショーチュ? Rのそば? テーブルでOK? 「あ・うん」4人席は?
(引用おわり)

くらたまなぶ氏の綿密(?)な「企画書」のおかげで、非常に楽しい飲み会だったと断言します。たかが飲み会ではないか、とあなどるなかれ。こうした日常の習慣が、大きなビジネスに直結しているのです。
 
『リクルート「創刊男」の発想術』には、五感をフル活用する術が網羅されています。くらたまなぶは「書き出すという意味は、情報不足を可視化させること」と、いいます。
 
ふらっと飲みに出向いた私が赤面してしまうほど、くらたまなぶは小さな出会いにも「企画書」を準備していました。そして傾聴の達人でもありました。「つなぎ役」のI・K氏とは仕事ではときどきお会いしています。しかしビジネスをまわしてくれることはありません。それでもいいから、また「3人飲み会」をやりたいなと思っています。「情報」を得てしまった飲み会の企画書を、くらたまなぶはどう書くのでしょうか。見てみたいと思います。
(山本藤光:2010.06.07初稿、2018.03.17改稿)
 

国木田独歩『武蔵野』(岩波文庫)

2018-03-17 | 書評「く・け」の国内著者
国木田独歩『武蔵野』(岩波文庫)

初期の作品一八篇を収めた国木田独歩(一八七一‐一九〇八)自選の短篇集。ワーズワースに心酔した若き独歩が、郊外の落葉林や田畑をめぐる小道を散策して、その情景や出会った人々を描いた表題作「武蔵野」は、近代日本の自然文学の白眉である作者の代表作。(「BOOK」データベースより)

◎自然豊かな明治の武蔵野

国木田独歩『武蔵野』(岩波文庫)は、明治31(1898)年に発表(発表時は「今の武蔵野」という題名でした)されています。つまり1世紀をこえた作品ですが、いまなお名作としての評価は色あせていません。最近電子書籍(kindle)で『国木田独歩はこれだけを読め』(¥99)がでました。なんと40篇ほどの作品が網羅されていました。もちろん「武蔵野」「牛肉と馬鈴薯」「空知川の岸辺」「春の鳥」などは所収されています。岩波文庫『武蔵野』には18の短篇が所収されています。ただし「牛肉と馬鈴薯」「空知川の岸辺」「春の鳥」は、はいっていません。

『武蔵野』は、とことん不思議な作品です。小説でも詩でも随筆でもなく、かといって旅行記でもありません。あえていうなら観察記なのかもしれません。国木田独歩がワーズワース(『ワーズワース詩集』岩波文庫)やトゥルゲーネフ(『あひびき』岩波文庫)の観察力の影響を、強く受けていたことは有名な話です。これらの作家については、本書のなかでも引用があります。

国木田独歩は26歳(1897年)のとき、渋谷村で過ごしています。明治時代の武蔵野は、現在の渋谷、世田谷、中野、小金井あたり一帯のことをいいます。「渋谷村」を調べてみて驚きました。古い歴史があったのです。明治22(1889)年ころからの「渋谷村」の変遷をみてみましょう。

1889年:南豊島郡渋谷村が合併により、東京府豊多摩郡渋谷村になる。
1909年:町制で、東京府豊多摩郡渋谷町になる。
1932年:渋谷町が東京市に編入され町名は廃止となる。
現在:千駄ヶ谷町、代々幡町といっしょになり、渋谷区となる。

現在の渋谷区は、渋谷川と宇田川の合流する谷状の地形にあります。本書『武蔵野』を読むときには感覚を過去にもどして、渋谷村までたどりつかなければなりません。読者には緑を失った武蔵野を忘れ去り、田畑や山林などが広がる自然を、イメージしてもらわなければなりません。

国木田独歩『武蔵野』の冒頭では、国木田独歩(自分)が文政年間の武蔵野に、思いをはせる場面が描かれています。

――「武蔵野の俤(おもかげ)は今わずかに入間郡に残れり」と自分は文政年間に出来た地図で見た事がある。そしてその地図に入間郡「小手指原(こてさしはら)久米川は古戦場なり太平記元弘三年五月十一日源平小手指原にて戦ふ事一日が内に三十余度日暮れば平家三里退きて久米川に陣を取る明れば源氏久米川の陣へ押寄ると載せたるはこの辺(あたり)なるべし」と書込んであるのを読んだことがある。(本文P5より)

国木田独歩は「画や歌でばかり想像している武蔵野をその俤(おもかげ)ばかりでも見たい」と思います。古地図から一転して、国木田独歩はむかしの日記へと筆をはこびます。明治29年の秋から春にかけて住んでいた武蔵野のおもかげを、日記のなかから抜粋してみせます。

――九月七日:昨日も今日も南風強く吹き雲を送りつ雲を払ひつ、雨降りみ降らずみ、日光雲間をもるるとき林影一時煌めく(本文P6より)

――昔の武蔵野は萱原のはてなき光景を以って絶類の美を鳴らしていたように言い伝えてあるが、今の武蔵野は林である。林は実に今の武蔵野の特色といってもよい。則(すなわ)ち木は重に楢(なら)の類で冬は悉(ことごと)く落葉し、春は滴るばかりの新緑萌え出づるその変化が秩父嶺以東十数里の野一斉に行われて、春夏秋冬を通じて霞に雨に月に風に霧に時雨に雪に、緑蔭に紅葉に、様々の光景を呈するその妙はちょっと西国地方また東北の者には解し兼ねるのである。(本文P10より)

昔は田畑と山林ばかりだった武蔵野に、国木田独歩は歩を進めます。ここで注目しておきたいのは、武蔵野は楢などの広葉樹林だったことです。従来の小説では松などの針葉樹が、美の対象として描かれてきました。広葉樹のほとんどは季節の移ろいに、敏感に反応します。針葉樹林を歩いていたら、こんな描写にはならないわけです。国木田独歩は、日記のなかから武蔵野に思いをはせます。

このあとトゥルゲーネフ(本文ではツルゲーネフと表記されています)『あひびき』(岩波文庫、二葉亭四迷訳)からの長い引用がつづきます。本書のなかでは、熊谷直好(江戸時代後期の歌人。歌集に「浦のしお貝」があります)の和歌、蕪村の俳句、ワーズワースの詩も引用されています。引用されたジャンルといい、引用者といい、実にバラエティに富んでいるのも、意図的なものだと思います。
  
国木田独歩は、武蔵野の林をゆったりと歩きます。自らの目と耳と肌で、武蔵野を感じとります。少し文語体が混じった文章は、短くリズミカルです。武蔵野の空間的な広がりを視線でとらえる。林を見る。樹木を見る。草花を見る。虫の声を聞く。風の音を聞く。秋風を肌で感じる。そうしながら、さらに奥へと踏みこんでいきます。そしてはじめて、生活を営む村人たちの音を聞くのです。
 
――鳥の羽音、囀る声。風のそよぐ、鳴る、うそぶく、叫ぶ声。叢(くさむら)の蔭、林の奥にすだく虫の音。空車荷車の林を廻り、坂を下り、野路を横ぎる響。蹄で落葉を蹴散らす音、これは騎兵演習の斥候か、さなくば夫婦連れで遠乗に出かけた外国人である。何事をか声高に話しながらゆく村の者のだみ声、それも何時しか、遠かりゆく。独り淋しそうに道をいそぐ女の足音。遠く響く砲声。……。(本文P13より)

◎夏目漱石が絶賛した「巡査」

国木田独歩には、明治時代の青年特有の政治への野望が、色濃くありました。しかし人生について考えているうちに、キリスト教への関心が芽生えて、洗礼をうけます。そこで佐々城信子と知り合い、結婚を夢見て北海道へと住居の下見にいきます。そのときの体験が「空知川の岸辺」(新潮文庫『牛肉と馬鈴薯/酒中日記』所収)となります。北海道には「空知川の岸辺」から引いた、国木田独歩の碑が2つあります。

――「余は今も尚ほ空知川の沿岸を思うと、あの冷厳なる自然が、余を引きつけるように感ずるのである。何故だろう」(砂川市の滝川公園にある国木田独歩の碑より)

――「余は時雨の音のさみしさを知っている、しかし未だかつて、原始の大深林を忍びやかに過ぎゆく時雨ほどさみしさを感じたことはない」(歌志内市にある国木田独歩の詩碑より)

その後独歩は、北海道の地を踏んでいません。しかし当時の体験が強烈に残っていて、それが武蔵野へとつながったのだと思います。

独歩と信子はやがて結婚しますが、信子の失踪で半年後に破たんします。失意の独歩は独りさみしく、渋谷村へと居をうつします。国木田独歩は幼いころから、人一倍自然を愛する少年でした。愛の崩壊は、独歩をキリスト教から離れさせました。そして独歩は自然のなかに、癒しを求めるようになりました。このころのことは、「欺かざるの記」(講談社文芸文庫)として発表されています。本書には「佐々城信子との恋愛」という副題がついています。(ここまでの文章は佐古純一郎『青春の必読書』旺文社新書を参考にしました)

三好行雄に『近代小説の読み方』(全2巻、有斐閣新書)という著作があります。第2巻のほうで国木田独歩がとりあげられています。三好行雄は国木田独歩の作品を、発表年次で3区分しています。それにしたがって、諸作品をながめてみたいと思います。

前期作品は今回紹介させてもらっている、岩波文庫『武蔵野』所収の短編です。とくに「源叔父」は、国木田独歩の小説処女作です。源叔父は桂港の船頭で愛妻を亡くし、海でこどもも失っています。失意のなか源叔父は、少年乞食を救い同居しましたが、少年にも去られてしまう結末となります。人生の悲哀を色濃く描いた良質な短篇です。私はこの作品が好きです。

中期作品の代表は、『牛肉と馬鈴薯』(新潮文庫)となります。理想と現実のはざまに揺れる独歩が、現実社会に視点をうつしはじめた時期です。ある食堂で、北海道開拓の話になります。一人の紳士が理想に燃えて北海道で百姓をしましたが、暮らしは貧しく芋ばかり食べていました。結局、牛肉が恋しくなって挫折することになります。

後記作品の代表作は「窮死(きゅうし)」(新潮文庫『牛肉と馬鈴薯/酒中日記』所収)です。独歩は現実を、客観視するようになっています。このころ自然主義文学が隆盛をきわめ、独歩の初期作品が高く評価されるようになりました。

もう1冊読んでいただきたい、著作があります。『牛肉と馬鈴薯/酒中日記』(新潮文庫)所収の「巡査」です。この作品は、今回紹介させていただいている岩波文庫にも、kindleにも収載されていません。「巡査」は『牛肉と馬鈴薯』発表の翌年(1902年)に書かれています。 

「巡査」は、夏目漱石が「独歩氏の作に低徊趣味あり」という文章のなかで絶賛しています。
――すなわち、筋とか結構とかいうものがおもしろいのではなくて、一酔漢なるものに低個して、その酔漢の酔態を見るそのことに興味あり、おもしろみあるのである。それを余は低徊趣味という。普通の小説は、筋とか結構とかで読ませる。すなわち、その次はどうしたとか、こうなったとかいうことに興味を持ち、おもしろみを持って読んでいくのである。しかし、低徊趣味の小説には、筋、結構はない。あるひとりの所作行動を見ていればいいのである。『巡査』は、巡査の運命とかなんとかいうものを書いたのではない。あるひとりの巡査を捕えて、その巡査の動作行動を描き、巡査なる人はこういう人であったという、そこがおもしろい。すなわち、低徊趣味なる意味において、『巡査』をおもしろく読んだのである。(『新潮』明治41年7月15日より)

夏目漱石のいう「低徊趣味」は、『武蔵野』にも通じるものです。自然のなかに人間の内面をとらえる、国木田独歩の感性は1世紀をへだてたいまも光輝いています。前記作品からたどると、独歩の足跡が少しだけ浮かびあがってくるように思えます。
(山本藤光:2009.10.02初稿、2018.03.17改稿)

黒岩比佐子『伝書鳩・もうひとつのIT』(文春新書)

2018-03-14 | 書評「く・け」の国内著者
黒岩比佐子『伝書鳩・もうひとつのIT』(文春新書)

今の我々は鳩といえば駅前や公園のドバトを連想しがちだが、かつては新聞社のスクープ合戦の一翼を担う鳩もいた。海上や山間や僻地から写真などを身に帯び、隼や鷹の襲撃をかわしつつ、ときには数百キロという遠路を社屋目指して飛び帰る伝書鳩は、いわば当時の花形通信手段だったのだ。本書は明治期、軍用鳩として西洋より導入されてから、近年、レース鳩へと転身するまでのその歴史を、丹念な取材でたどりつつ、鳩が秘めた驚くべき能力の謎にも迫る。(「BOOK」データベースより)

◎伝書鳩の重要な役割

2018年1月1日。大切な著者の大切な1冊をそっと開いてみました。
黒岩比佐子は、『音のない記憶・ろうあの天才写真家・井上孝治の生涯』(角川ソフィア文庫)でデビューしました。ていねいな筆運びと素材の掘り下げ方が印象的でした。

『伝書鳩・もうひとつのIT』(文春新書)は第2著作となります。まずタイトルに魅せられました。鳩に興味を覚えたことはありませんが、ITと並べて書かれると見過ごすわけにはゆきません。
読みはじめると、圧倒されました。駅の構内や公園でしか見かけない鳩は、マスコミや軍隊で貴重な役割を担っていたのです。本書は豊富な取材で、知られざる鳩に迫ってみせました。

鳩の帰巣性については、だれもが知っていると思います。レース鳩についても、よく知られています。ところがマスコミや軍隊と、鳩の関係はほとんで知られておりません。

戦時中に、鳩は大切な通信手段だったのです。敵の砲弾に通信機が破壊されたときには、鳩に頼るしか方法がありませんでした。また新聞社のスクープ合戦でも、鳩はなくてはならないものでした。脚に小さな鉛管をつけて、ひたすら飛びつづける鳩。熱い思いを鳩に託す人々。そして帰巣能力を高めるために訓練する人々。

私は堀田善衛『広場の孤独』(集英社文庫)の書評で、こんな本文を引用しています。まさにこれが、黒岩比佐子の迫ったテーマだったのです。

――木垣はもう興味を失っていた。疲れてもいた。窓から外を眺めると、午後四時の太陽は、勝手気儘にあたりかまわず建てられた不調和な日本の中心部を、赫っと照らし出していた。軍艦の艦橋部のような型をしたA新聞社の上に伝書鳩が舞っていた。一羽、二羽、どうしても他の鳩たちのように陣列をつくって飛べないのがいた。ああいうのを劣等鳩というのであろう。木垣はその劣等鳩がしまいにはどうするか、と並々ならぬ気持ちで注視していた。(『広場の孤独』本文P24)

「鳩通信」の時代から、「IT革命」の時代へと変遷します。黒岩比佐子は、前作にも劣らぬ克明さで、見事にまとめあげてくれました。公衆電話が肩身の狭い思いをしている時代です。混雑した電車の中で、自己主張をつづける携帯電話のある時代です。公衆電話が鳩に見えてきました。

 通信手段は、驚くべき変化をとげています。そんな世の中に、静かに舞い下りてくれた鳩。通信の原点を考えさせられる一冊でした。

◎新年を迎え

私は黒岩比佐子『音のない記憶・ろうあの写真家・井上孝治』(角川ソフィア文庫)に、次のような文章を書いています。

――2010年52歳の若さで、すい臓がんのために世を去ってしまいました。その後、遺作ともいえる『パンとペン・社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い』(講談社文庫)で読売文学賞(評論・伝記部門)を没後受賞しています。

 生前の黒岩比佐子とは、何度もメールの交換をしています。彼女は古書収集マニアで、大物をゲットしたときは、自慢げに釣果の報告をしてくれました。
 黒岩比佐子の新たな著作はもう読めませんが、新たな年を迎え、大切な著作を開いてみました。
(山本藤光:2014.09.15初稿、2018.01.01改稿)

黒川博行『アニーの冷たい朝』 (創元推理文庫)

2018-03-09 | 書評「く・け」の国内著者
黒川博行『アニーの冷たい朝』 (創元推理文庫)

宅配業者を装い、若い女性を狙った猟奇的な殺人事件が発生した。犯人は被害者をマネキンのようにしてセーラー服に着替えさせ、派手な化粧を施し屍姦に及んでいた。続いて女子大生、OLに模した同様の事件が起こり、大阪中が騒然となる。第二の遺体が着用していた手編みのセーターには、ANNIEと編み込まれていた。はたしてその文字が意味するものとは…?シリーズ第八弾。(「BOOK」データベースより)

◎『破門』で6度目の正直

黒川博行は無類のギャンブル好きです。大学時代に学生結婚した妻と知り合ったのは雀荘。若いころ世話を受けたのは阿佐田哲也。友人は故藤原伊織とギャンブルの面々が揃っています。直木賞受賞のインタビューでは、賞金でマカオへ行きたいと笑わせてくれました。

黒川博行は1949年生まれで、大阪育ち。何度も落選を重ねて、『破門』で直木賞を獲得したときは65歳でした。受賞のことばを再録させていただきます。

――うれしいのはあたりまえですが、どこかホッとした思いがあります。これで二度と候補になることはない、と。過去五回の落選が頭をよぎります。平気なときもあったし、落ち込んで原稿が手につかなかったときもありました。ほんと、ホッとしました。(『オ-ル読物』2014年9月号)

『アニーの冷たい朝』(創元推理文庫、初出1990年)は、デビュー作ともいえる『二度のお別れ』(サントリーミステリー大賞佳作)の流れをくむ「大阪府警シリーズ」の最後の作品と位置づけられます。その後、黒川博行は『疫病神』に代表される「疫病神シリーズ」へと、大きく舵を切り替えます。結果、これが大成功でした。『国境』(上下巻、文春文庫)で大きな話題を獲得し、ついに『破門』(角川書店)で直木賞を獲得したのです。

◎黒川博行の分岐点

『アニーの冷たい朝』は、黒川博行の分岐点となる作品です。もう少し正確に書けば、その前年(1989年)に上梓した『切断』(新潮文庫)から、作風は変化しています。その点について、東野圭吾との直木賞受賞対談で、黒川本人は次のように語っています。

――ある時期に、もうトリックはいらんわと思い始めたんですね。事件があって、刑事が証言を集めるだけの小説って動きがないでしょう。もっと人間を動かしたほうが面白いなあと考え出して作風がコロッと変わりました。(『オ-ル読物』2014年9月号)

東野圭吾が黒川博行作品について、言及したところを紹介させていただきます。黒川博行の「大阪府警シリーズ」を鮮やかに語っています。

――黒川さんの小説が出たときは、若手の間で衝撃だったんですよ。警察が出てくる話はあるけれど、捜査小説ではなく、刑事小説。警察のおっさんの話なんですね。誰も書こうと思わなかったし、こんなことやる作家がいるのかと、自分も警察を書くときにはしっかり書かなければという気持ちになりました。(『オ-ル読物』2014年9月号)

猟奇的な連続殺人事件が起きます。被害者は一様に若く、人形のようにかわいい女性ばかりです、死体は恥毛も含めて、体毛のすべてを剃られています。入念な化粧を施され、制服を着せられています。しかも*姦されており、男の血液型はB型でした。(*=屍。わいせつとして発信を拒否されます)

第1の殺人事件では、セーラー服に着替えさせられていました。第2の遺体が着用していたのは、手編みのセーターでした。そこには「ANNIE」と編み込まれています。

黒川博行は本書を3つの視点で描いています。女教師の由美、大阪府警捜査一課の谷井、そして猟奇殺人を繰り返す犯人。通常ならそれぞれの視点を1人称で描きがちです。しかし黒川博行は、それを3人称でやってのけました。これをやると読者は混乱しがちなのです。しかし黒川は見事に、破たんなく視点の出し入れをします。

デート商法にからむ連続殺人事件。大阪府警捜査一課の谷井は、4つ目の事件を防ぐために、犯人に迫ります。しかし犯人は女教師の由美を、拉致してしまいます。ストーリーについては触れませんが、従来作品のような軽妙な会話を抑制し、黒川はひたすら3人を動かします。

『国境』『破門』を読む前に、ぜひ『アニーの冷たい朝』を読んでいただきたいと思います。登場人物を「動かす」原点がありますので。
(山本藤光:2012.09.13初稿、2018.03.09改稿)

車谷長吉『赤目四十八瀧心中未遂』(文春文庫)

2018-02-26 | 書評「く・け」の国内著者
車谷長吉『赤目四十八瀧心中未遂』(文春文庫)

「私」はアパートの一室でモツを串に刺し続けた。向いの部屋に住む女の背中一面には、迦陵頻伽の刺青があった。ある日、女は私の部屋の戸を開けた。「うちを連れて逃げてッ」―。圧倒的な小説作りの巧みさと見事な文章で、底辺に住む人々の情念を描き切る。直木賞受賞で文壇を騒然とさせた話題作。(「BOOK」データベースより)

◎小説家だって世捨人

車谷長吉は1945年に兵庫県で生まれ、2015年に死去しています。慶応義塾大学文学部独文科卒業後、1972年に「なんまんだあ絵」(『塩壷の匙』新潮文庫所収)で新潮新人賞の候補作となり、雑誌「新潮」に掲載されました。しかしそれ以降は、まったく小説が書けなくなります。

――私生活においては東京での会社勤めに見切りをつけ、都落ちし、旅館の下足番や料理屋の下働き等を「漂流物」のように転々としながら九年間にも及ぶ関西地方放浪生活を体験する。(知っ得『現代の作家ガイド100』学燈社)

そんな車谷長吉に、「書け書け」と迫った人の一人のエピソードを紹介します。

――前田達夫くん(註:新潮社社員)に至っては、二度もやってきた。とにかく帰ってこいと。世捨人は結構だ。小説家も世捨人の一種じゃないか。だから飯炊きなんかしないで東京へ帰ってきて小説を書けと。(高橋源一郎・山田詠美『顰蹙文学カフェ』講談社文庫の対談より。P180)

こうして生まれたのが第1作品集、『塩壷の匙』(新潮文庫、初出1992年)でした。本書は芸術選奨文部大臣新人賞と三島由紀夫賞を受賞し、一躍脚光を浴びることになります。

その後『漂流物』(新潮文庫。初出1996年)『赤目四十八瀧心中未遂』(文春文庫、初出1998年)と上梓されます。

車谷長吉が「なんまんだあ絵」でデビューしたころ、中上健次も『十九歳の地図』(河出文庫、初出1974年)で文壇に登場しています。2人は社会の底辺や人間の心の闇を描く作家として、ときには括弧でくくられています。中上健次は『枯木灘』(河出文庫)を推薦作として、紹介させていただいています、

◎「くすぼり」のアパート

『赤目四十八瀧心中未遂』(文春文庫)は、著者の関西漂流時代の自伝的回想録といえます。主人公の「私」(生島与一)は、現在東京で会社勤めをしています。

――私は二十代の終りに東京で身を持ち崩し、無一文になった。以降九年間、その日暮らしの、流失の生活を経た。行く所も帰る所も失い、すさんだ気持ちで深夜の西元町駅のベンチに座っていたのも、その九年間の間のことである。(本文P5-6)

回想はこのように始まり、場面はいきなりむかしへと切り替えられます。

――私は阪神尼ヶ崎駅の構内に、風呂敷荷物一つを提げて立っていた。見知らぬ市(まち)へはじめて降り立った時ほど、あたりの空気が、汚れのない新鮮さで感じられる時はない。その市の得体の知れなさに、呑み込まれるような不安を覚えるのである。(本文P13)

「私」は尼ヶ崎の木造アパートの2階で、毎日焼き鳥屋の肉や臓物の串刺しをしています。そこは「くすぼり」と呼ばれるアパートで、アウトローばかりが住んでいます。「私」は焼き鳥屋の主人・セイ子ねえさんに雇われています。セイ子姉さんは元パンパンだったと自己紹介します。

――私は毎日、部屋に閉じ籠り牛や豚の臓物を切り刻み、鳥の肉を腑分けして串刺しにした。はじめのうちは馴れないものだから、串を刺す力の加減が分らなくて、串の先でよく自分の指を突いた。(本文P32)

臓物は朝10時ころに、さいちゃんと呼ばれる若い男が、運びこんできます。そして夕方には作業を終えた串刺しを持ち帰ります。さいちゃんは獰悪な目で私を見るだけで、口は利きません、

「私」の部屋の向いは、彫眉と呼ばれる彫り師の仕事部屋です。その部屋からはいつも、苦痛に耐えるうめき声が聞こえてきます、隣室は連れ込み部屋となっており、男女のみだらな声が聞こえます。しかし部屋を使用しているのは、老いた男女に限られています。彫眉の居室は階下にあり、息子の晋平、その愛人であるアヤちゃんが暮らしています。アヤちゃんは見るのが恐ろしいような美人です。アヤちゃんには、ヤクザの兄・真田がいます。

◎行き場も出口もない

「くずぼり」アパートのなかで、アヤちゃんの美しさは異彩を放っています。アヤちゃんの背には彫眉が手がけた、刺青があります。ある夜「私」は風呂帰りのアヤちゃんと出会います。

――風呂屋帰りの洗い髪が光り、白いブラウスに透けてブラジャーと刺青が見えた。それに私が目を遣ったのが、アヤちゃんには分った。/「あんた、目ェだけで女を楽しむのはやめた方がええわよ。」(本文P127)

そしてある日、アヤちゃんは突然、「私」の部屋にやってきます。2人は牡と牝となって、はげしく「まぐわい」ます。

アヤちゃんの兄・真田が組のお金に手をつけます。兄はアヤちゃんを身売りします。それと時を同じくして、「私」もセイ子ねえさんから解雇を告げられます。身売りから逃れるために、アヤちゃんから一緒に逃げてほしいと依頼されます。

ここから先には触れないでおきます。読者はその後、本書のタイトルの意味を理解することになります。車谷長吉は自分の過去に、硬骨な文体で串刺しました。

行き場を失っていた「私」は、出口まで塞がれてしまいます。串刺しにされたアウトローたちも、主人公とまったく同じ人生を過ごしています。そんな一串を、秀逸ですのでご賞味ください、とそっと差し出すことにします。
(山本藤光:2012.12.01初稿、2018.02.26改稿)

倉橋由美子『スミヤキストQの冒険』(講談社文芸文庫)

2018-02-25 | 書評「く・け」の国内著者
倉橋由美子『スミヤキストQの冒険』(講談社文芸文庫)

そこは悪夢の島か、はたまたユートピアか。スミヤキ党員Qが工作のために潜り込んだ孤島の感化院の実態は、じつに常軌を逸したものだった。グロテスクな院長やドクトルに抗して、Qのドン・キホーテ的奮闘が始まる。乾いた風刺と奔放な比喩を駆使して、非日常の世界から日常の非条理を照射する。怖ろしくも愉しい長編小説。(「BOOK」データベースより)

◎古いタイプの小説を破壊する

まずは文壇における倉橋由美子について、高野斗志美『倉橋由美子論』(サンリオ)の一部を要約させていただきます。

――倉橋由美子は、河野多恵子(推薦作『後日の話』文春文庫)とともに、反リアリズム女流作家の双璧です。男性作家では安部公房(推薦作『砂の女』新潮文庫)、埴谷雄高(推薦作『死霊』講談社文芸文庫)が代表格です。

倉橋由美子は特に、安部公房から大きな影響を受けています。ただし倉橋由美子は、「安部公房のように変形のイメージ」、「北杜夫の童話的なイメージ」、「井上光晴の反人間的イメージ」には言葉を結実させません。

倉橋由美子は大江健三郎(推薦作『万延元年のフットボール』講談社文芸文庫)、開高健(推薦作『裸の王様』新潮文庫)、石原慎太郎(推薦作『太陽の季節』新潮文庫)らと同年代の作家です。大学在学中から話題になったという点では、倉橋由美子は石原慎太郎と似ています。倉橋由美子は在学中、「明治大学新聞」に「パルタイ」を発表し評判となりました。パルタイはドイツ語で「党」という意味です。「パルタイ」は平野謙が推薦し、「文学界」に転載されました。そして芥川賞候補作にもなっています。

1960年『パルタイ』(講談社文芸文庫)が刊行され、その後2年間倉橋由美子は『婚約』(新潮文庫)、『人間のない神』(新潮文庫)、『暗い旅』(河出文庫)などを発表します。そして休筆。営業的な小説を書く自信がない、というのがその理由でした。

1965年突然、『聖少女』(新潮文庫)を発表してからは、1966年『妖女のように』(新潮文庫)、1968年『蠍たち』(『蛇/愛の陰画』講談社文芸文庫所収)とつづき、1969年『スミヤキストQの冒険』(講談社文芸文庫)を世に送り出したのです。

卒論に安部公房を選んだ関係で、私にとって倉橋由美子は避けてとおれない作家でした。これらの作品を読みながら、倉橋由美子は『スミヤキストQの冒険』で頂点をきわめたと実感しました。倉橋由美子は研ぎすまされた、感性を積み上げてゆきます。表現は平易ですし、論理に破綻はありません。

倉橋由美子と同年代の江藤淳(推薦作『成熟と喪失』講談社文庫)は、『パルタイ』や『暗い旅』をピュートール『心がわり』(岩波文庫)の模倣だと切り捨てました。そのことがあってから倉橋由美子は、作品の素材を明らかにするようになります。後日、倉橋由美子はエッセイ集『わたしのなかのかれへ』(講談社、文庫なし)に、「『パルタイ』はカフカ、カミュ、サルトルの三位一体である」と書いています。江藤淳の憶測を、ばっさりと切り捨てたのです。

倉橋由美子には、『倉橋由美子全作品』(全8巻、新潮社)という著作集があります。すでに絶版ですが、川上弘美(推薦作『センセイの鞄』文春文庫)は全巻を読んで作家になっています。桜庭一樹(推薦作『私の男』文春文庫)もこの著作集の影響を受けています。(『KAWADE道の手帳・倉橋由美子』を参考にしました)

今後も倉橋由美子のような作家は、出現しないと思います。金井美恵子(推薦作『恋愛太平記』集英社文庫)をポスト倉橋とする評論家もいますが、古いタイプの小説を破壊するといった気概は感じとれません。2014年に平凡社から、『金井美恵子エッセイ・コレクション』(全4巻)が出ました。幅広い日常のなかからなにが飛びだすのか、楽しみになる感性に満ちあふれていました。

◎幻の城をつくる

倉橋由美子は自身の「小説作法」について、つぎのとおり書いています。

――わたしがこれまでに書いた、または書こうとしてきた小説は大きくわけて二つのタイプになるようです。ひとつは幻の城をつくって世界の意味に形をあたえるもの、いまひとつは「わたし」のなかを掘りぬいていくもの。(毎日新聞社学芸部編『私の小説作法』雪華社1975年、P178より)

この分類からいけば、『スミヤキストQの冒険』は、明らかに前者の作品ということになるでしょう。さらに自身が『スミヤキストQの冒険』に言及した文章にふれてみたいと思います。

――今度の小説では、ある目的をもって行動しようとする人間の喜劇を描いてみようと思いました。わが主人公Qにあたえられた目的は、ある感化院に行ってそこで「革命」を起こすということになっていて、そこでQにはスミヤキ党(炭焼党、という連想も出てきます)の党員、つまり「スミヤキスト」という限定がついており、このQが「革命」をめざして、さまざまの観念の妖怪と格闘しながら前進していくことになっています。スミヤキストQはあのラ・マンチャの郷士ドン・キホーテの末裔にあたるといえます。(倉橋由美子『スミヤキトQの冒険』新潮社1969年初版付録より)

倉橋由美子のデビュー作『パルタイ』は、共産党の蔑称からタイトルを借用しています。「スミヤキ党(炭焼党)」は、19世紀初頭にイタリア、フランス、スペインなどで活躍した秘密結社「カルボナーリ(炭焼党)」からとったものです。(講談社文芸文庫、巻末「著者から読者へ」を参考にしました)

『スミヤキトQの冒険』には、いくつもの事件が積み上げられています。極端に肥満した院長の全身剃りであったり、人肉食いの話であったり……。それらの滑稽な事件は、登場人物が長々と論理的な解説を施します。院長や夫人の肉体はグロテスクなのですが、いずれの事件も醜悪には描かれていません。

ときどき「人肉食い小説」として、武田泰淳『ひかりごけ』(新潮文庫)、野上弥生子『海神丸』(岩波文庫)、大岡昇平『野火』(新潮文庫。「山本藤光の文庫で読む500+α」推薦作)などとともに、『スミヤキトQの冒険』が列記されています。あれは評論家の間違いです。『スミヤキトQの冒険』には、他の小説のようなリアリティはありません。少しばかり引用してみましょう。

――(註:自分が食べていたものを人肉だ知らされて)Qは急にからだのなかに吊りさげられた胃袋の存在を感じた。しかもそれはQの意識とは無関係に、絞首台に吊るされた囚人のように痙攣しはじめたのである。最初熱い星のようなものが袋の底から跳ねあがって頭蓋の天井にぶつかり、それが涙となってにじみ出たかと思うと、ほとんど自動的に口が開いて、食べたものが全部、敗走する軍勢のように吐き出されてしまった。(本文P429より)

この文章の流れが、倉橋由美子の作品を引きたてます。嘔吐をこうしたリズムで、表現できる作家はまれです。心底うまいなと思います。

◎観念、論理、イメージ、そしてコトバ

高野斗志美『倉橋由美子論』(サンリオ)に、『スミヤキトQの冒険』について興味深い記述があります。いくつか引用しておきたいと思います。

――この作品は、観念から観念を、論理から論理を、イメージからイメージを、コトバからコトバを繁殖していくもの狂おしいまで自転運動のために、コトバのその乱脈な過剰のなかで、観念と論理とイメージの無対称な退行をおしすすめているといえるのだ。(高野斗志美『倉橋由美子論』P239より)

――感化院の院児たちが暴動をおこし、革命の予感がQをはげしくとらえるが、それはしかし、かれを縛りつけているスミヤキズムの理論をおいてきぼりにして、どんどん進行していく。その過程で院長はじめ職員たちが院児の肉を食糧にしていたことがわかってくる。(高野斗志美『倉橋由美子論』P249より)

倉橋由美子は、あまり読まれていない作家の一人だと思います。書店の文庫コーナーを、いくつか歩いてみました。『聖少女』『パルタイ』(いずれも新潮文庫)は入手可能ですが、『スミヤキトQの冒険』(講談社文芸文庫)は大型書店にしか在庫がありませんでした。これら3冊はぜひ読んでいただきたいと思います。最初に読んでいただきたいのは、『スミヤキトQの冒険』です。「いいな」と思ったら、ぜひ新潮文庫を手にしてほしいものです。

これほと感性ゆたかな作家は、現状ではみあたりません。江藤淳の鼻を明かした倉橋由美子は、だれよりも新たな作家の誕生を待っているはずです。
(山本藤光:2013.08.27初稿、2018.02.24改稿)

黒野伸一『万寿子さんの庭』(小学館文庫)

2018-02-22 | 書評「く・け」の国内著者
黒野伸一『万寿子さんの庭』(小学館文庫)

「あなたがお隣に引っ越してきてから、わたしの人生はまた乙女時代に戻ったかのような活況を取り戻しました」竹内京子、二十歳。右目の斜視にコンプレックスを抱く彼女が、就職を機に引っ越した先で、変わり者のおばあさん、杉田万寿子に出逢った。万寿子からさまざまないやがらせを受け、怒り心頭の京子。しかし、このおかしなやりとりを通じて、意外にも二人の間に、友情ともいうべき感情が流れ始めるのだった。半世紀の年齢差を超えた友情が、互いの人生に影響を与えていく様を温かな筆致で描く感涙の物語。(「BOOK」データベースより)

◎明るく〈孤独〉を描きつづける

黒野伸一は、〈孤独〉を真綿で包む名人です。

黒野伸一は47歳(2006年)のときに、『ア・ハッピーファミリー』で小学館きらら文学賞を受賞しています。本作はのちに『坂本ミキ、14歳。』(小学館文庫)と改題されています。7人家族の3女・坂本美紀は、クラスで「孤立」しています。

最近では『限界集落株式会社』(小学館文庫)が話題を呼んでいます。これも企業を退職した主人公が過疎の集落で〈孤軍奮闘〉する物語です。テレビドラマ化された『長生き競争! 』 (小学館文庫/廣済堂文庫)も、76歳の老人グループの〈孤独〉な挑戦を描いた作品です。『2泊3日遺言ツアー』(ポプラ文庫)は、タイトルから〈孤独〉がうかがい知れると思います。

しかし黒野伸一作品には、暗さはみじんもありません。〈孤独〉は誰かの温かい行為や言葉で、しだいに薄まってゆきます。その過程とめぐりあうのが、黒野伸一作品の魅力です。私の書棚にはすでに11冊の黒野伸一著作があります。さすがに『格闘女子』『格闘美神』(ともに光文社文庫)には食欲がわかず、そのまま放置してあります。

私が読んだ9作品のなかでは、『万寿子さんの庭』(小学館文庫)がいちばん光輝いています。この作品には孤独癒し大賞を授与したいと思います。なんといっても、いじわる婆さんのような杉田万寿子さんのキャラクターが好ましいのです。

◎「京子ちゃん」「万寿子さん」

主人公の京子は、斜視であることに劣等感をもっています。幼いころに母を亡くし、叔母さんに面倒をみてもらっていました。しかし伯母さんとも折り合いが悪く、短大へ入ることを理由に上京しています。京子は内気で、孤独感な20歳です。就職を機会に引っ越しをします。

 引っ越した先の向いには、杉田万寿子さん78歳が住んでいました。

――大家の話によると、杉田さんというのはやはり一人暮らしだった。旦那さんは、もうずいぶん前に亡くなったのだという。近所付き合いはせず、庭で草木の世話をするのが唯一の趣味のような、孤独な老人であるらしい。(本文P36より)

杉田万寿子の家の前をとおるとき、あいさつをしようと思うのですが、彼女はこちらを見ようともしません。あいさつをなげかけても無視されてしまいます。そんなとき、京子は小さな声を耳にします。

――その時わたしの背中に、小さな言葉が投げつけられた。わたしは一瞬えっと思い、後ろを振り返った。杉田さんは相変わらずわたしに背を向け、土いじりに没頭している。周りを見渡したが、杉田さん以外表に人のいる気配はない。誰かがどこかの窓から言ったにしては、声はごく近くから聞こえた。/間違いない。杉田さんだ。/確かに彼女は、わたしのことを「寄り目」と言った。(本文P37より)

杉田万寿子には娘がいるのですが、折り合いが悪くて交流はありません。ゴミの分別をきちんとしないので、近所からも孤立しています。そして翌日あいさつをした京子は、「ブス」という言葉を返されます。

そんな万寿子さんと京子の距離は、すこしずつ縮まってゆきます。単なる隣人だった2人の関係は、しだいに祖母と孫のようなものにかわってゆきます。そしておたがいの呼称も、「京子ちゃん」「万寿子さん」へと進化するのです。

孤独だった2人は、いっしょに庭の花を植え替えます。デパートへショッピングにも行きます。箱根へも旅行に出かけます。そしてある日、京子は万寿子さんに老いの影を発見するのです。対等だった2人の関係に、人生のひずみが生じます。

なんともほのぼのとした、温かみのある作品でした。黒野伸一はおそらく近いうちに、大ブレークすることでしょう。もっと長い作品を読んでみたいと思います。
(山本藤光:2010.07.22初稿、2018.02.22改稿)

窪美澄『ふがいない僕は空を見た』(新潮文庫)

2018-02-22 | 書評「く・け」の国内著者
窪美澄『ふがいない僕は空を見た』(新潮文庫)

高校一年の斉藤くんは、年上の主婦と週に何度かセックスしている。やがて、彼女への気持ちが性欲だけではなくなってきたことに気づくのだが――。姑に不妊治療をせまられる女性。ぼけた祖母と二人で暮らす高校生。助産院を営みながら、女手一つで息子を育てる母親。それぞれが抱える生きることの痛みと喜びを鮮やかに写し取った連作長編。R-18文学賞大賞、山本周五郎賞W受賞作。(内容紹介より)

◎3つの「せい」(生・性・青)のそろい踏み

初の短篇集『ふがいない僕は空を見た』(新潮文庫)が、順調なステップを踏んでいます。著者の窪(くぼ)美(み)澄(すみ)は1965年生まれの、新進気鋭の女性作家です。2009年「ミクマリ」で「R-18文学賞」大賞を受賞しています。2011年、受賞作を収録した『ふがいない僕は空を見た』(新潮社)で第24回山本周五郎賞受賞、第8回本屋大賞第2位。2012年10月に作品が文庫化され、もうすぐ映画も公開されます。

『ふがいない僕は空を見た』には、5つの短篇が所収されています。連作小説集といえる内容で、主人公は高校1年生の斎藤卓巳くん。母子家庭で育ち、母親は助産院を経営しています。

私はこの作品を単行本で読み、文庫化されて再読しました。「山本藤光の文庫で読む500+α」で紹介することは、単行本を読んですぐに決めていました。当初は主人公の名前のように、巧みな作家が登場したなという印象でした。

文庫を読むにあたって、大好きな重松清の解説を先に読んでしまいました。掟破りかもしれませんが、単行本を読み終えている小説が文庫化されると、必ずそうしています。記憶を呼び戻すといえば格好がいいのですけれど、文庫本の愉しみはだれが「解説」を書いているのか、なにを書いているのかにあります。それゆえ「解説:重松清」をみたときに、思わず「やった」と叫んでしまったくらいです。

『ふがいない僕は空を見た』は、重松清の世界に似ています。重松清の初期作品『ビフォア・ラン』(幻冬舎文庫)、『舞姫通信』(新潮文庫)などと重なってしまいます。「生」と「性」は小説の最大のテーマです。2人の共通点は主人公が落ちこぼれという点で、このあたりの設定が他の小説とは異なります。さらに2人の共通点は3つめの「青」(せい)をみごとに描く点にあります。どうしようもない若者にたいして、いつも「しっかりしろよ」といいたくなる作風なのです。
 
お断りしておきますが、未読の方は絶対に「解説」から読んではいけません。重松清の解説は、すばらしすぎるからです。

◎重松清の文庫解説はあとから読むこと

収載作「ミクマリ」は「R-18文学賞」大賞を受賞しています。賞の名称を正確に書くなら、冠に「女性による女性のための」というリンカーンみたいな言葉が付記されています。

年上の主婦・あんずに求められてコスプレイセックスに興じる卓巳と、卓巳に思いを寄せる同級生・松永七菜のすれ違いに「しっかりしろよ」の叱咤がでてしまいました。

収載作「世界ヲ覆フ蜘蛛ノ糸」の主人公は、年上の主婦・あんずとなります。旦那は存在感のない人。私が若いころ経験したMR(医薬情報担当者)をしています。この人がなんともふがいない。ここでも読みながら、何度もツッコミを入れることになりました。作者の窪美澄さんに、いいたいことがあります。MRってあなたの描く姿と全然違っていますよ、と。

――慶一郎(注:あんずの旦那)さんは製薬会社でMRと呼ばれる営業の仕事をしています。また、ドクターにいじめられたのかな。開業医の担当になってから、こんなに早く帰れることはめったにないのです。慶一郎さんの担当ドクターのなかにひどく難しい方がいるらしく、休日に早朝からゴルフにつきあわされたり、娘が行きたいというジャニーズのコンサートチケットを用意させられたり、苦手なカラオケで夜遅くまで接待させられたりと、大学病院を担当していたときとは違う慣れない営業が続いていたのです。(本文P46より)

MRは接待禁止ですし、大学病院担当者が開業医担当になるのはきわめてマレな例です。

「2035年のオーガズム」「セイタカアワダチソウの空」「花粉・受粉」になると、斎藤卓巳くんはわき役となります。性にあこがれる女子同級生、アブノーマルな性を嗜好するバイト先の男性先輩、生をつかさどる母親が主役にとってかわるのです。

5つの作品を解説の重松清は、とてもすてきなキーワードでつないでいます。さすがだなと感心しつつ、窪美澄の魅力を再発見させられました。いまは待望の第2作品『晴天の迷いクジラ』(新潮社)を開くのを楽しみにしているところです。

窪美澄のステップアップは、見えています。吉川英治文学新人賞か芥川賞。それまでにぜひ、産まれたてのほやほや『ふがいない僕は空を見た』をお読みいただきたいと思います。読み終わったら、あなたの読後感と重松清の解説を、照合してもらいたいものです。素晴らしい作品に乾杯。
(山本藤光:2012.11.11初稿、2018.02.22改稿)
 

串田孫一『ギリシア神話』(ちくま文庫)

2018-02-20 | 書評「く・け」の国内著者
串田孫一『ギリシア神話』(ちくま文庫)

恋多きゼウスと、嫉妬に狂う妻ヘラ、その子ヘーパイトスと美の女神アプロディテ、恋の矢をもつエロス…オリュンポスの神々はいかに戦い、いかに恋したか。しなやかな哲学者による、ギリシア神話入門の決定板。(「BOOK」データベースより)

◎天地創造からはじまる

ホメロスの『イーリアス』および『オデッセイア』(ともに上下巻、岩波文庫、松平千秋・訳)を読んだのは、33歳のときです。新人MR研修所に、この2冊を持ちこんだのです。私は念願かなって、入社10年目に営業職への転身をなしとげました。研修は半年間、静岡県袋井市でおこなわれました。

朝から晩まで薬の勉強に明け暮れました。そんな環境のなかで2冊は、気分転換にもってこいのものでした。半年間の研修を終えて、赴任地の札幌にいってからも、ヒギーヌス『ギリシャ神話集』(講談社学術文庫、松田治・青山明男・訳)とブルフィンチ『ギリシア・ローマ神話』(岩波文庫、野上弥生子・訳)を読みました。

私は現在、企業のリーダー研修をしています。受講者には読書の大切さを訴求しています。わけても『源氏物語』と『ギリシア神話』は、死ぬまでに絶対に読んでおくべきだと強調しています。

入門書的なのですが、串田孫一『ギリシア神話』(ちくま文庫)がお薦めです。ほかに入門書として、阿刀田高『ギリシア神話を知っていますか』(新潮文庫)や木村千鶴子『ギリシア神話がよくわかる本』(PHP文庫、吉田敦彦・監修)などがあります。あるいは児童書(青い鳥文庫など)やマンガ(中公文庫)などで助走をつけるのもよいかもしれません。

以前朝日新聞(2012.3.12)で「はじめてのギリシャ神話」という特集が組まれました。

――あえて言おう。人の模範となる行動はほとんどない。近親が契り、人も巻き込んでの奔放な夫に妻が嫉妬し、骨肉の裏切りなどで塗り固められている、と。

新聞記事を読んで、正直すぎると思わず笑ってしまいました。これじゃ、だれもが引いてしまいます。私は「ギリシア神話」への誘いとして、阿刀田高『私のギリシア神話』(集英社文庫)の冒頭の文章を支持しています。

――神話というものは、たいてい冒頭に天地の創造が置かれている。日本の「古事記」「日本書紀」もそうだし、旧約聖書の冒頭もそうなっている。これは宗教としての本質や民族の世界観を考えるうえでとても大切な部分だが、少々わかりにくい。読みづらい。(阿刀田高『私のギリシア神話』集英社文庫P16より)

その点、串田孫一『ギリシア神話』(ちくま文庫)は、非常に平易な文章でつづられ、読みやすいものです。これが哲学者の串田孫一が書いたものなのかと驚いてしまうほど、わかりやすい筆運びになっています。

◎「423」ってなにか?

「ギリシア神話」に「423」という数字が出てきます。

「朝は4本足、昼は2本足、夜は3本足になるものはなにか?」

この問いはクイズの定番になっていますので、ほとんどの人は答えられると思います。ただし、種明かしの部分で、間違った解説をする人が多いのが現状です。実は私も誤解して覚えていました。「ギリシア神話」に出てくる謎かけであることは、承知していたのですけれど。

高津春繁『ギリシア神話』(岩波新書)を再読しました。1965年3刷の本で、経年ヤケは活字面にまでおよんでいます。

正しいストーリーを引用しておきたいと思います。

――女面で獅子の身体をもち、翼のある怪物で、ピーキオン山の上に坐り、一つの声をもち、四足、二足、三足になるものは何か(または、二人の姉妹で、一方が他方を生み、また反対に他方がいま一つの方を生むものは何か)という謎をテーバイ人にかけ、これを解くことができないものを取って食った。(高津春繁『ギリシア神話』岩波新書P138より)

この謎かけ部分は、本によって微妙にちがいます。2冊だけ引用させてもらいます。

――スピンクスは彼に尋ねました。「朝には四足、昼には二足、夕方には三足となって歩行する物は何だ。」オイディプスは答えました。「それは人間だ。人間は子供の時は両手と両膝ではって歩く。壮年にはまっすぐに立って歩く。老年には一本の杖の助けを借りて歩く」。(プルフィンチ『ギリシア・ローマ神話』岩波文庫、野上弥生子訳P171より)

――そこへオイディプスがやって来た。みんながとめるのに、彼は自分からスピンクスのところへ出かけて行って謎をきくと、はじめは四本の足、後二本になり、最後は三本になるものは何だというので、彼は簡単に、それは人間だと答えた。(串田孫一『ギリシア神話』ちくま文庫P136より)

プルフィンチの謎かけは、設問に「時間(朝・昼・夕方)」の概念がはいっているのでわかりやすいものです。他の本はおおむね、スピンクスがもうひとつの謎を重ねるようになっています。

――重ねてスピンクスは第二の謎を出した、二人の姉妹で一方が他方を生み、また反対に一方が片方のものを生むものは何か、と訊ねられ、これもまた至極あっさりと、昼と夜だと答えてしまったので、スピンクスは口惜しがって山の崖から身を投げて死んでしまった。(串田孫一『ギリシア神話』ちくま文庫P136より)

スピンクスは城山より身を投じて死に、オイディプースはテーバイの王となり、知らずに母を妻とした。(同P139より引用)
 
ちなみに「スピンクス」はギリシア語で、エジプト語では「スフィンクス」といいます。

この謎かけから、私が着想した数字があります。スピンクスのマネをして、2問をあみだしました。

――最初は4で、その後3-4-2-1-4となるものは何か

――最初は1で、その後2-3-2-1となるものは何か

◎なぜ串田孫一なのか

文庫の解説で竹西寛子は、串田孫一に『ギリシア神話』を執筆してもらいたいという、筑摩書房時代の思い出を書いています。

――人間といわず世界に対して、つねに柔軟で公平な目を向けてこられた氏の、あの明晰な日本語によって『ギリシア神話』が語られる時、かねてから逢いたかった知恵の持主達に私は初めて逢えるに相違ない。(竹西寛子、本書解説より)

私はたくさんの「ギリシア神話」を読んできました。そのなかで串田孫一の著作を推薦するのは、竹西寛子の書いているとおり、透明感のある日本語にふれていただきたいからです。

最後にスピンクスにならって、私が通りすがりの読者に投げかけた謎の回答にふれておきます。第1問は幼児の乗り物の進化です。乳母車、三輪車、補助付き自転車、補助なし自転車、小学校で習う一輪車、そして運転免許をとっての自動車です。第2問は、独身、結婚、こどもができた家族、親元をこどもが離れてまた夫婦だけになる、そして伴侶の死。最後はギリシア神話みたいになってしまいました。お粗末さまです。
(山本藤光:2013.05.09初稿、2018.02.20改稿)