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山本藤光の文庫で読む500+α

著書「仕事と日常を磨く人間力マネジメント」の読書ナビ

本多孝好『真夜中の五分前』(2冊セット、新潮文庫)

2018-10-03 | 書評「へ・ほ」の国内著者
本多孝好『真夜中の五分前』(2冊セット、新潮文庫)


◎『MISSING』から『ALONE TOGETHER』へ

本多孝好のデビュー作『MISSING』(双葉文庫、初出1999年)を読んだときの衝撃を忘れていません。小説推理新人賞受賞「眠りの海」に、4本の短篇を加えた作品集でした。つぎに読んだ作品は、『ALONE TOGETHER』(双葉文庫)でした。PHPメルマガ「ブックチェイス」に掲載したものを引用してみたいと思います。

(引用はじめ)
『ALONE TOGETHER』は、呪いをあつかった不思議な作品です。主人公の柳瀬は元医大生。入学した夏には退学しています。今は塾の先生をしています。この塾が変っています。不登校生を集めた塾でさえ、対応できない生徒ばかりの面倒をみているのです。

 柳瀬は医大のとき、脳神経科の教授・笠原にこんな質問をしています。
――「(脳に)呪いの入り込む余地はあるとお考えですか?」
「他者の意思により無意識の領域に情報としてインプットされ、その脳を持つ個体そのものを操る可能性です。」(本文より)

 3年後、柳瀬は笠井教授に呼び出され、立花サクラ(14歳)を守ってやってほしいとの依頼受けます。そのころから柳瀬は、フリーライターにつきまとわれます。笠井教授が患者を故意に殺したというのです。

最終処分場と呼ばれる塾の生徒と先生。立花サクラの通う女子中学校の仲間たち。殺人を犯したかもしれない教授と事件を追う人たち。そして2つの波長が共鳴したときの恐怖。

本多孝好は、まだすべての機能が明らかにされていない脳から、恐ろしいテーマを発見しました。呪い殺す。脳にはそんな機能があるのでしょうか。遺伝。この作品の本当の恐怖は、それが下敷きとなっていることです。

本多孝好はとんでもない素材を、巧みな会話と文章で迫力ある作品に仕上げました。目が離せない新人なのです。
(引用おわり、PHP研究所メルマガ「ブックチェイス」2000年11月22日号より)

本多孝好は自分の小説家としてのスタンスを、つぎのように語っています。ちょっと長くなりますが、この微妙な立ち位置が本多作品のおもしろさなのだと思います。

―― 一連の作品を書いていく中で、「本多さんのテーマは癒しですね」「救いですね」とか言われるようになったんですよ。ちょうどそのころの世間でもそういう言葉がはやっていて、それに対する反発がありました。個人の抱えている、社会の中で解消されない部分の中には、表に出すと出した側が社会から攻撃を受けてしまうので出さないものもあれば、出すと出した相手側が社会を攻撃してしまうから出せないというのがあると思うんですよね。その後者の部分というのを書いてみたかったんです。善なる部分というよりは、悪なる部分ですね。(『小説推理新人賞受賞作アンソロジー』双葉文庫、巻末ロングインタビューより)

◎そして本多孝好ワールドの完成

『真夜中の五分前』(2冊セット、新潮文庫)を、本多孝好の代表作として紹介したいと思います。本書はside-Aとside-Bに分かれており、前者は一卵性姉妹との恋の話、後者はその2年後の話です。本多孝好はこれまで自死、喪失というテーマから離れられませんでした。それが前記インタビューの言葉のとおり、本書にて新天地をひらいたといえます。

北上次郎は著作『エンターテインメント作家ファイル』(本の雑誌社)のなかで、本多孝好を盛田隆二や佐藤正午とならぶ「油断のできない作家」と書いています。確かにこれまではそうだったのですが、本書を機に「安定感のある作家」になっていくことと思います。

『真夜中の五分前』では2つの物語が、交互に描かれています。仕事と日常。主人公の「僕」は、いずれにも深くのめりこんではいません。主人公は小さな広告代理店に勤めています。職場には、部下に厳しい女性の上司がいます。職場のみんなが嫌っているのに、「僕」にとっては煙たい存在ではありません。

主人公は大学時代につきあっていた恋人を、交通事故で亡くしています。彼女には、目覚し時計を5分間だけ遅らせておく習慣がありました。主人公の部屋の目覚し時計は、まだそのままになっています。

「5分間のズレ」は、主人公の生きざまの象徴として描かれています。主人公はほかの人とくらべて、仕事も日常も少しだけズレているのです。そんな主人公は、新しい女性と出会います。一卵性双生児の彼女との出会いで、主人公の日常が変化しはじめます。

本多孝好は、また意外なストーリーを展開してくれました。ひさしぶりで、不思議な世界を堪能させてもらいました。作品の性格上、これ以上深入りはしませんが、自信をもってお薦めできる作品です。本多孝好ワールドを、楽しんでもらいたいと思います。
直木賞に最も近い作家の初期作品を、ぜひお読みください。
(山本藤光:2010.11.22初稿、2018.10.03改稿)



堀江敏幸『熊の敷石』(講談社文庫)

2018-03-10 | 書評「へ・ほ」の国内著者
堀江敏幸『熊の敷石』(講談社文庫)

「なんとなく」という感覚に支えられた違和と理解。そんな人とのつながりはあるのだろうか。 フランス滞在中、旧友ヤンを田舎に訪ねた私が出会ったのは、友につらなるユダヤ人の歴史と経験、そして家主の女性と目の見えない幼い息子だった。 芥川賞受賞の表題作をはじめ、人生の真実を静かに照らしだす作品集。(アマゾン内容紹介)

◎なりゆきの旅

堀江敏幸は1964年生まれで、現在早稲田大学文学学術院教授です。1995年『郊外へ』(白水Uブックス)でデビューし、2001年『熊の敷石』(講談社文庫)により芥川賞を受賞しています。

『熊の敷石』は、いきなり夢の世界からはじまります。主人公「私」は二年ぶりに会った友人ヤンの田舎家で、夢から目覚めます。「私」は日本の出版社に委託され、フランス語の原書にあたり、その要約をしています。ヤンは写真家で「私」が目覚めたときには、すでに旅に出ています。「私」がパリからここへやってきたのは、
――ノルマンディ地方の小さな村のはずれにある田舎家にやってきたのは、正直なところまったくのなりゆきだった。(本文P14)
ときわめてあいまいなものです。

 そして物語は、「私」があいまいな旅立ちを決めた日へと戻ります。

◎ブランコからの視点

 ヤンは駅に迎えにきていました。「私」はヤンの運転する車に乗り、途中花崗岩の加工工場などに寄りながら田舎家へとたどり着きます。二人は。いろいろ語り合います。
 以下、ポイントとなる場面のみ羅列してみます。

豚肉の燻製小屋の写真から、ユダヤ人であるヤンの一族の話になります。一族はホロコーストで悲惨を味わいます。そこからいきなり現在の、ボスニアでの惨劇に話は飛びます。

さらに「私」はヤンの写真のなかの、一枚の赤ん坊の写真に目を留めます。先天的に眼球のない赤ん坊の隣には、大きな熊のぬいぐるみがあります。熊の目は、糸で×印がつけられています。赤ん坊はヤンの隣家に住む、母親カトリーヌの子どもです。 
 
ヤンが口にしたアヴランシュという地名から、「私」は『フランス語辞典』を編んだエミール・リトレを連想します。「私」はちょうど、リトレの伝記を翻訳中です。

 そして物語は、すでにヤンが不在の日へと展開されます。「私」は二日間、ヤンの家に留まります。

「私」は知り合いになったカトリーヌの書棚のなかに、フォンテーヌの『寓話』を発見します。

本書のタイトルは、『寓話』(岩波文庫)に収載されていた「熊と園芸愛好家」によります。山奥に一頭の熊が住んでいます。孤独な熊は園芸好きの、一人暮らしの老人と親しくなります。

――熊のいちばん大切な仕事は、老人が昼寝をしているあいだ、わずらわしい蝿を追い払うことだった。ある日、熟睡していた老人の鼻先に一匹の蝿がとまり、(中略)「忠実な蠅追い」は、ぜったいに捕まえてやると言うか言わぬか、「敷石をひとつ掴むと、それを思いきり投げつけ」、蠅もろとも老人の頭をかち割ってしまったのである。(本文P113)

そして堀江敏幸は、次のように続けます。

――無知な友人ほど危険なものはない。/賢い敵のほうが、ずっとましである。/この訓話が転じて、いまではいらぬお節介の意味で、「熊の敷石」という表現が残っているのだが(後略)(本文P114)

堀江敏幸は、あるきっかけから、ストーリーを過去から現在へとつむぎだします。小さな田舎の情景を丹念に描きながら、中世や様々な史実へと思考を展開ます。 
地面にあった目線が、突然中空へと移動します。堀江敏幸の文章は、揺れるブランコからの視点のようです。しかし表現は平易で、読みやすい文章です。

◎評価は真っ二つ

 私は本書に好感を持ちました。しかし、芥川賞の選考会はもめました。選評を並べてみます。(引用は講談社『芥川賞全集』第19巻)

――この作品はあまりにもエッセー風で小説としての魅力に乏しかった。(三浦哲郎)

――作品の主題なのかどうなのか、熊の敷石なるものも、私には別段どうといったことのないただのエスプリにすぎないのではないかという感想しか持てなかった。(宮本輝)

――人と人との関りの内にある微妙な温もりを知的な言葉で刻み込もうとした大作品であるといえよう。民族の歴史の孕む必然と個々の偶然との織り成す人間の生の光景が、幾つものエピソードを通して浮上する。(黒井千次)

――人間の心のゆがみや人間同士の関係のずれで偏光する精神の微妙な光も射しこんでいて、緻密に感じとるとなかなか複雑で不気味でさえある非凡な作風なのであった。(日野啓三)

――言ってみれば破綻だらけだ。エッセーから小説になりきっていない。細部がゆるい。タイトルに魅力がない。(池澤夏樹)

 芥川賞の選考で、評価がこれほど極端に割れるのはマレなことです。選考委員の石原慎太郎は「論ずるに値しない」とまで言い放っています。

◎その他の論評 

 文庫の解説は、川上弘美が書いています。そのなかに次のような表現があります。

――(堀江敏幸の文章は)いろっぽいのだ。

 いろっぽさは感じませんが、繊細さや知性は感じられます。また石原慎太郎に代表される選評に、首を傾げる論評もあります。

――彼ら(芥川賞選者)と私の感想が毎回こうもズレるのはなぜ? 「小説」観の違いか、それとも私がバカなのか。不安になる。(斎藤美奈子『本の本』ちくま文庫P159)

 まったく同感です。私は「本屋大賞」の眼力の方が、私の評価に近いと断言できます。

最後に、怜悧な視点での論評で結ぶことにします。

――「おせっかい」という軽薄なものと、「血なまぐさい」ものがある瞬間には強烈に同一のものとなる言葉の魔法を読者に感じ取らせる迷路が仕組まれている。解説するのではない。感覚させるのだ。(中沢けい『書評・時評・本の話』河出書房新社P396)

(山本藤光2001. 04.15初稿、2018.01.12改稿)
※初校はPHP研究所「ブック・チェイス」に掲載しました。

辺見庸『赤い橋の下のぬるい水』(文春文庫)

2018-03-08 | 書評「へ・ほ」の国内著者
辺見庸『赤い橋の下のぬるい水』(文春文庫)

海水と川水が危うげに交じりあう河口の橋のたもとに、その女はいた。驚くべきからだの秘密をもてあましつつ、悲しげに…。性の奥深さ、不埓さを型破りに描き出す表題作他、女たちとの闇の道行きを綴った「ナイト・キャラバン」、日常に深く静かに忍び込む狂気をあぶり出す力作「ミュージック・ワイア」を併録。(「BOOK」データベースより)

◎代表的な2作も素晴らしいけれど

辺見庸は1991年、フィクション『自動起床装置』(文春文庫)で芥川賞を受賞して文壇デビューしました。そして1994年には、ノンフィクション『もの食う人びと』(角川文庫)で講談社ノンフィクション賞を受賞します。辺見庸は共同通信社の特派員として、北京やハノイで活躍していました。37歳のときに、中国共産党の機密文書でスクープ記事を書き、国外退去処分を受けています。

小説を書いたのは、それから10年後のことです。仕事の体験からヒントを得た『自動起床装置』(文春文庫)は、おおいに話題になりました。

いまではネットで、「JR.御用達自動起床装置」などというグッズが販売されています。本作が発表されたときは、まだ開発段階だったのだと思います。主人公「ぼく」は、眠りと樹木ばかりを研究している大学生(小野寺聡)といっしょにアルバイトをしています。仕事に忙しい当直の記者たちを、定刻に起こす役割です。

そんなある日に、自動起床装置なる機械の導入が決まりました。ぼくたちは機械の付け人みたいな役割になります。ところが当直者の一人が、心筋梗塞で死にかけます。ぼくと聡は懸命に蘇生させます。『自動起床装置』はこんなストーリーなのですが、眠りについて深く追求した奥深い作品になっていました。

その後も共同通信社のエース記者として勤務するかたわら、1994年に発表したのが『もの食う人びと』(角川文庫)でした。本書はノンフィクション・ジャンルとしては異例の売り上げとなりました。食にかんする楽しいエッセイは、数多くあります。東海林さだおや小泉武夫などが、その代表格です。

しかし私は2つの著作の間の1992年に発表された、『赤い橋の下のぬるい水』(文春文庫)を推薦させていただきます。本書のタイトルは、そのまま今村昌平監督が映画にしています。観てはいませんが、本書がベースになっていることは間違いありません。

◎辺見庸の代表小説

『赤い橋の下のぬるい水』(文春文庫)のテーマは、〈連鎖〉です。表題作は、オムニバス形式になっています。ときおり読者に語りかける話体は、新鮮な彩りをそえています。

文庫解説で吉本隆明は、本書を奇譚小説とくくっています。本書には表題作のほかに、2つの短編が収められています。私はそのなかでも、表題作が好きです。辺見庸らしい作品だと思います。著者がこだわる〈循環〉を、この作品はみごとに描ききっています。

主人公の「ぼく」は保険の営業をしています。「ぼく」はスーパーで、チーズを万引きする女を目撃します。フラミンゴを思わせる首の長い女は万引きをしたあと、恍惚の表情を浮かべてそこに立ち尽くしていました。

「ぼく」は女が立ち去るときに、耳たぶから金色のイヤリングが落下するのを見ます。拾いに行ってみると、女の立っていたところには、小さな水溜まりがありました。
 
――足もとのベージュ色の床に、小さな水たまりがあった。そのなかに、金色の魚の形のイヤリングが一匹光って泳いでいた。水たまりなんか世界中のどこにでもあるけれども、それは不思議な水たまりだった。(本文P12より)

「ぼく」は女を追いかけて、イヤリングを渡します。女はサエコといいます。彼女は万引きをした理由を正直に話すので、見逃してほしいといいます。彼女は身体に、水が溜まる病気をもっています。それはセックスか万引きをしないかぎり、身体から出すことはできません。その理由を問いただす場面があります。

――「どうしてチーズを盗んだの?」/サエコは口を噤んだ。/「どうしてさ。よかったら教えてほしいな」/「水が、水が、からだにたまったからなの……」/「水がたまると、その、ものを盗むの?」/「ああ、ひどいことをしている、してはいけないことをしている、と思うと、でるの。恥ずかしいわ、ほんとうに」(本文P38)

「ぼく」は、サエコに溜まった水を出す手伝いをするようになります。水はセックスのたびに、2リットルも出ます。

辺見庸は意図的に、セックス場面を淡白に描きます。その代わり、2人を取り巻く情景は、実にていねいに描き出します。「もの」にこだわる、著者らしい描写力です。「ぼく」の連鎖妄想は、際限がありません。最も印象深かった一節を引用して、〈連鎖〉をとめることにします。

――日傘は、ぼくと彼女のなりゆきを、青く包んで川をゆっくりと下っていった。盗まれたチーズがひと足先に女の家でぼくらを待っている。なりゆきが日傘をさして、チーズを食べにいく。チーズはぼくらに食べられる。めぐりめぐる。そう考えると、ぼくは不思議さに酔ったような気分になった。(本文P21)

これはサエコと水抜き契約を結んだ「ぼく」が、木越川の汽水に架かる赤い太鼓橋のたもとの家に向かう場面です。首の長い美しい女性を発見した「ぼく」。その女が万引きをしたところを見た「ぼく」。女の耳元から落下するイヤリング。その落下の先にあった水たまり。

辺見庸の文章は連続シャッター音をたてる、カメラマンの写真のようです。会話もすこぶる上質なものです。本書を読んで共感したら、サンドウイッチのように本書をはさんでいる『自動起床装置』と『もの食う人びと』をお読みください。

『もの食う人びと』は、いずれ「知・教養。古典ジャンル125+α」の1冊として紹介させていただきます。
(山本藤光1996. 09.22初稿、2018.03.08改稿)

本多秋五『物語戦後文学史』(上中下巻、岩波現代文庫)

2018-03-06 | 書評「へ・ほ」の国内著者
本多秋五『物語戦後文学史』(上中下巻、岩波現代文庫)

現在われわれがいいうること、そして私がいいたいと思うことは、戦後文学者よ、初心を忘れるな、ということである。批評家よ、戦後文学をその最低の鞍部で越えるな、それは誰の得にもならないだろう、ということである。そしてまた、若い世代の人々よ、出来うべくんば戦後文学の精神を精神とせよ、たとえそれが戦後文学の徹底的否定になろうとも、ということである。(文庫案内より)

◎文学史は楽しい読物

日本文学史を学びだしてから、小説を読むことが楽しくなりました。文学史のなかにはふんだんに、時代があり、思想があり、政治があって、社会があります。先達の作品があって、新たな小説が生まれています。
 
近代日本文学作品を読むとき、文学史が頭に入っているとわかりやすくなります。作品の時代背景はもちろん、文壇事情などを知っていると、読書の幅が広がります。「山本藤光の文庫で読む500+α」では文学史として、三田誠広『書く前に読もう超明解文学史』(集英社文庫)も推薦作にしています。こちらはおいしい袋ラーメンであり、本多秋五『物語戦後文学史』の方は頑固一徹なラーメン屋の味です。
 
本多秋五『物語戦後文学史』(上中下巻、岩波現代文庫)は、表題とおり「物語」になっています。1人の作家について、豊富なエピソードをまじえて浮きぼりにする技量は、職人技にふさわしいものです。私は毎朝10ページを目安に、赤線を引きながら読みました。したがって全3巻を読むのに、半年以上かかってしまいました。
 
「文学史」って意外に楽しい読物です、とお伝えしたいと思います。私は松原新一・磯田光一・秋山駿『増補改訂・戦後日本文学史・年表』(1979年講談社)を宝物のように愛用させてもらっています。そのなかの一文を紹介させていただきます。

――本多秋五は『物語戦後文学史』(全3巻、昭和35年~40・新潮社刊)を出し、戦後派の文学運動を中心として戦後の文学の流れを描いた。文学史観が戦後中心になっているとはいえ、物語性をもった具象的な記述は、文学史の書き方に幅の広さを与えたともいえる。(本書P342より引用)
 
たとえば三島由紀夫に関する記載は、中巻で50ページもさいています。大見出しになっている作家だけでも、驚くほどきめ細かいものです。それぞれ数10ページのボリュームで、社会背景、文壇事情、デビュー作からの変遷、影響を受けたり与えた作家などにもふれています。文学史は、文学部の学生か先生が読むもの。そんな先入観を捨てて、ぜひ楽しんで読んでもらいたいと思います。
 
◎通常の文学史とは異なる筆致

上巻の見出しだけをならべてみます。あなたが読んでみたい見出しはないでしょうか。

上巻:「抵抗の作家石川淳の登場」「絶対の夢想者坂口安吾の新声」「織田作之助の命をかけた自己燃焼」「野間宏の最初期の仕事」「梅崎春生のデビュー」「怪物・椎名麟三の出現」「手の内見せぬ花田清輝」「実生活と芸術の近藤を斥ける福田恆存」「観念のまどわしを見透かす竹山道雄」「二・一のスト」「火中の栗を拾う田中英光」「滅亡の歌い手太宰治」

本多秋五は文芸評論家だけに、通常の文学史とは異なる筆致で、文壇を描いています。小説家がいて、文芸評論家がいます。文学史はこれまでに何冊も読んでいます。ほとんどの日本文学史は、「○○派」の切り口で文壇をひもといています。

本多秋五『物語戦後文学史』は、「○○派」には拘泥していません。太宰治を語るときは、「近代文学」という雑誌の創刊から切りこみます。青森に住んでいる太宰治と東京生まれの文芸雑誌が、ものがたりのなかで融合します。
 
くりかえしになりますが、本書を読んで、読書の幅が広がりました。1日10ページ。亀の歩みでしたが、大作を読みきったことに満足しています。いまは伊藤整『日本文学史』(全18巻、講談社文芸文庫)を読みはじめています。もちろん亀の歩みで。さらに、井上ひさし・小森陽一編『座談会・昭和文学史』(全6巻、集英社)も並行して読んでいます。

最後に本多秋五のプロフィールを簡単にまとめてみます。

1906年生まれ。東京帝国大学卒業。1946年、平野謙、山室静、埴谷雄高、小田切秀雄らと「近代文学」創刊。志賀直哉や武者小路実篤など、白樺派の作家を数多く論じています。またトルストイについての著作も残しています。1976年、日本の敗戦は無条件降伏ではなかったとする江藤淳や柄谷行人にたいして、反対論争をしています。2001年死去。

文学史を読んでいると、大好きな作家が街角からひょっこりと顔を見せてくれます。大好きな作品が、街角の裸電球の下に並べられています。梶井基次郎『檸檬』のような世界に、きっとあなたをいざなってくれることでしょう。
(山本藤光:2010.04.16初稿、2018.03.06改稿)


星新一『ポッコちゃん』(新潮文庫)

2018-03-02 | 書評「へ・ほ」の国内著者
星新一『ポッコちゃん』(新潮文庫)

スマートなユーモア、ユニークな着想、シャープな諷刺にあふれ、光り輝く小宇宙群! 日本SFのパイオニア星新一のショートショート集。表題作品をはじめ「おーい でてこーい」「殺し屋ですのよ」「月の光」「暑さ」「不眠症」「ねらわれた星」「冬の蝶」「鏡」「親善キッス」「マネー・エイジ」「ゆきとどいた生活」「よごれている本」など、とても楽しく、ちょっぴりスリリングな自選50編。(文庫案内より)

◎1001マイナス6

永年、日本ロシュという外資系製薬会社に勤めていました。その関係で、星製薬の創業者・星一氏のことは知っていました。星一氏が「星薬科大学」の前身である「星製薬商業学校」を設立したのも知っていました。星新一というSF作家の存在も、もちろん知っていました。しかし2人が親子であることは、知りませんでした。うかつでした。筒井康隆『小説のゆくえ』(中公文庫)を読んでいて、ありゃりゃと思ったしだいです。

――星さんは、父親から継いだ星製薬の倒産などで債鬼に追われ、さんざんいやな目に逢い、屈託があり、本来多恨の人であったと思う。そのどろどろしたものを透明感のある文学として昇華する手法をショートショートの中に発見したのであったろう。(筒井康隆『小説のゆくえ』中公文庫P202より)

会社には、星薬科大出身者はたくさんいました。創業者が星新一のお父さんであることを、だれも教えてくれませんでした。

星新一は偉大な作家です。1つの作品をとりあげて、解説するのは難しい人です。なにしろ「ショートショートの神様」です。1作品が400字詰原稿用紙で10枚程度なのです。それでも『ポッコちゃん』(新潮文庫)をとりあげることにしました。星新一作品は、『ポッコちゃん』にはじまり、『ポッコちゃん』で終わるべきだと思っています。

『ポッコちゃん』(新潮文庫)には、星新一自身が選んだ50話が収載されています。昔缶入りのドロップがありました。平たい円筒形の缶の口から、何色ものドロップが出てくるのに、わくわくした覚えがあります。『ポッコちゃん』は、そんな作品集です。ページを開くたびに、シニカルな味、ユーモアあふれる味、ときには意表をつかれる味などが楽しめました。

星新一はたくさんの掌編を残しています。しかしかたくなに、再録を拒否したものが6篇あるようです。筒井康隆が著作のなかで、つぎのように書いています。

――たとえば『壺』がそうなのだが、単行本積み残しの理由のひとつが、エヌ氏という人名に落ち着く前の作品なので主人公の名前が気にくわないといった、読者にとってはどうでもいいような理由なのである。(中略)『解放の時代』という作品は小生が特に作者に懇願して、わがアンソロジー「夢からの脱走」に収録させて戴いたものだが、これが未収録だった理由は、特集のためとはいえ、星新一が自らご法度にしている「セックス」をテーマにしているからだ。(筒井康隆『小説のゆくえ』中公文庫P138より)

星新一を目指して、私もショートショートを書いていた時代がありました。太陽が沈まない世界が現出します。世の中は3交代制で、フル生産をはじめました。品物があふれだします。不眠を訴える患者が続出します。星製薬を筆頭に、製薬各社がさまざまな不眠症治療剤を発売します。どれも劇的な効果はありません。そんなときに、わが日本ロシュ(私が勤務していた会社)は、でんぷん粉の不眠症治療剤を発売します。この薬剤(本当は疑似薬)の効果はてきめんでした。包には「1日3回に分けて服用してください」と書かれています。お粗末でした。オチの説明はあえていたしません。

◎世界でも稀有な想像力

『ポッコちゃん』はこんな話です。

あるバーに新しい女の子が入ってきます。若くて美人。しかもお酒に強く、いくら飲んでも酔っぱらいません。お客に話しかけられても、答えはいつもおうむがえしのような、そっけのないものです。

(引用はじめ)
「きれいな服だね」/「きれいな服でしょう」/「なにが好きなんだい」/「なにが好きかしら」/「ジンフィーズ飲むかい」/「ジンフィーズ飲むわ」
(引用おわり、本文P15より)

ポッコちゃんが飲んだ酒は、足についている管から回収されます。ポッコちゃんは、精巧にできたロボットなのです。ある日ポッコちゃんにほれてかよいつめていた青年が、お金がなくなったのでこれが最後だとやってきます。そのときのやりとりを再録させていただきます。

(引用はじめ)
「もう来られないんだ」/「もう来られないの」/「悲しいかい」/「悲しいわ」/「本当はそうじゃないんだろう」/「本当はそうじゃないの」/「きみぐらい冷たい人はいないね」/「あたしぐらい冷たい人はいないの」/「殺してやろうか」/「殺してちょうだい」/彼はポケットから薬の包を出して、グラスに入れ、ポッコちゃんの前に押しやった。(引用おわり、本文P17より)

このあと意表をつくような、結末が待っています。星新一については、最相葉月に力作『星新一・1001話をつくった人』(上下巻、新潮文庫)があります。『ポッコちゃん』の文体にかんして、ふれられているページを引用させていただきます。

―― 一つの文章はどれも短く、リズムがある。ほとんど過去形だが鼻につかない絶妙なバランスを保っている。地名や人名などの固有名詞や時事用語がない。(最相葉月『星新一・1001話をつくった人』新潮文庫上巻P328より)

最相葉月は『ポッコちゃん』に関する、星新一自身のコメントも紹介しています。孫引きになりますが、引用させていただきます。

――「わが小説」(朝日新聞、昭和三十七年四月二日付)という随筆で新一は、「ポッコちゃん」には、「私の持つすべてが、少しずつ含まれているようだ。気まぐれ、残酷、ナンセンスがかったユーモア、ちょっと詩的まがい、なげやりなところ、風刺、寓話的なところなどの点である」と書いている。幼時逆行の現れだという指摘に対しては、「自分でもその通りと思う」と認め、分別のある大人ばかりの世の中で、自分ひとりぐらい地に足がついていない人間も必要だろうと確信犯であることを表明している。(最相葉月『星新一・1001話をつくった人』新潮文庫上巻P331より)

星新一の偉大さを語った文章を、紹介させていただきます。
――新規なアイデアと、それを生かすためのプロット(筋立て)を思いつくには、豊かな想像力を必要とする。だから、星がこれまで七百編ものショート・ショートを書き、そのひとつひとつに新しいアイデアをそそぎこんだ、という想像力はおそらく世界でも稀有というべきであろう。まして、想像力を苦手とする日本の文壇にとっては、空前絶後といってもいいすぎではあるまい。(百目鬼恭三郎『現代の作家一〇一人』新潮社P181より)

最近、江坂遊『短い夜の出来事』(講談社文庫)を読みました。奥付を見ると、星新一ショートショートコンテスト優秀作を受賞した作家でした。星新一は現代につながっているんだ、とうれしくなりました。

なんだか引用ばかりに、なってしまいました。星新一は私のスケールをこえた、とてつもなく大きな存在なのです。そんな著者に尊敬と敬愛の念をこめて、ありがとうと結ばせていただきます。
(山本藤光:2010.06.25初稿、2018.03.02改稿)


堀田善衛『広場の孤独』(集英社文庫)

2018-02-26 | 書評「へ・ほ」の国内著者
堀田善衛『広場の孤独』(集英社文庫)

朝鮮戦争勃発にともない雪崩のように入ってくる電文を翻訳するため、木垣はある新聞社で数日前から働いている。そこには「北朝鮮軍」を<敵>と訳して何の疑いを持たぬ者がいる一方、良心に基づき反対の側に立とうとする者もいた。ある夜、彼は旧オーストリー貴族と再会し、別れた後ポケットに大金を発見する。この金は一体何か。歴史の大きな転換期にたたずむ知識人の苦悩と決断。日本の敗戦前後の上海を描く「漢奸」併収。(「BOOK」データベースより)

◎異色の第2次戦後派

堀田善衛の人物像に迫った、笑ってしまう文章から紹介させていただきます。堀田善衛には学者のイメージがあったのですが、得心できました。

――堀田善衛はお喋りのなかに英語をまじえ、それをまた丁寧にもいちいち日本語で言い直すという癖がある。まず英語で発音し、つぎにそれを日本語に翻訳してみせるというこの操作をはたから見ていると、がらんとした教室の講壇の傍らに立った背丈のひょろ長い先生が一人か二人しか出席していない学生の前で世界語としての英語が地球上のここかしこに散らばった植民地を通じ、いかに訛ったかというまことに多面的な発音変遷史でも講義しているようで……。(埴谷雄高『戦後の文学者たち』構想社P238)

――堀田さんが上海で生活したということは堀田さんの文学に大きな働きをしていると思います。堀田さんに私がある近さを感ずるのは私が満州で育ったせいかも知れませんが、違いは祖国をもっていないことだと思います。(『安部公房全集』第3巻、新潮社P182)

堀田善衛の文壇での位置を明確にするために、少しだけ文学史的な整理をしておきます。堀田善衛は「第2次戦後派」と位置づけられています。(『座談会昭和文学史6』集英社を参考にしました)

・第1次戦後派:野間宏、梅崎春生、埴谷雄高、椎名麟三、武田泰淳
・第2次戦後派:大岡昇平、中村真一郎、三島由紀夫、安部公房、堀田善衛

ただし堀田善衛は、これらのくくりからはみだした作家です。堀田善衛の著作では、『橋上幻像』(集英社文庫)と『広場の孤独』(集英社文庫)が秀逸です。第2次戦後派のなかで堀田は、学者肌の作家として異彩を放っていました。

◎孤独感にさいなまれる

堀田善衛は1951年(33歳)のときに発表した、実質的な処女小説『広場の孤独』(集英社文庫)で芥川賞を受賞しました。時代は朝鮮戦争の勃発とレッドパージで揺れる1950年です。舞台は新聞社です。主人公の木垣幸二はいちど新聞社を辞めて、翻訳の仕事をしていました。そんなときに朝鮮戦争の戦況を伝える記事の、翻訳の仕事を新聞社から依頼されます。

日本は朝鮮戦争の余波で揺れています。新聞社内でも、北朝鮮を敵とするのか否かで、意見が対立しています。そんななかで木垣の立ち位置も定まらず、彼は孤独感にさいなまれます。妻の京子は、南米への脱出を主張します。木垣の心は揺れ動きます。

木垣幸二は世界中から舞いこむテレックスや電文の翻訳をしながら、これでは国家権力の肩棒をかつぐことになると思い悩みます。周囲には共産党のために死を賭けている日本人や、戦地を飛び回る中国人記者がいます。木垣はそうしたなかで、ますます孤立感を深めます。

ある日、木垣は以前上海で世話になった、旧オーストリア貴族ティルピッツと再会します。歓談して別れた帰路、木垣はポケットに大金が入っていることに気がつきます。このお金があれば、妻の希望する南米への移住が可能になります。木垣は一瞬、そう考えます。しかしその大金には裏があったのです。

さまざまな矛盾のなかで、孤立してゆく主人公。この点について安部公房の見解を示しておきます。

――堀田善衛は矛盾をその中心テーマにした作家である。矛盾にさいなまれた被害者を追求している作家である。たしかに、見たところはそのとおりだ。矛盾の中から自己を選択する、というのが彼の文学の一貫したテーマである。登場人物ははじめから終わりまで矛盾になやまされつづけている。(『安部公房全集』第4巻P486.)

◎比喩の達人

堀田善衛は比喩の達人です。作品のなかに、実に巧みな比喩を挿入してみせます。次に引用する文章は、『国文学』(1978年11月臨時増刊号)で解説された箇所です。

――木垣はもう興味を失っていた。疲れてもいた。窓から外を眺めると、午後四時の太陽は、勝手気儘にあたりかまわず建てられた不調和な日本の中心部を、赫っと照らし出していた。軍艦の艦橋部のような型をしたA新聞社の上に伝書鳩が舞っていた。一羽、二羽、どうしても他の鳩たちのように陣列をつくって飛べないのがいた。ああいうのを劣等鳩というのであろう。木垣はその劣等鳩がしまいにはどうするか、と並々ならぬ気持ちで注視していた。(本文P24)

うっかりすると単純な、窓外の風景描写と受けとられかねません。『国文学』の解説によると、

――ビルディングの乱立といわず、いきなり「不調和な日本の中心部」と意味づけが出ている。軍艦の比喩も一通りのものとは思えない。他ならぬ新聞社の活動自体の朝鮮戦争に対する「Commitment」が問題になっている矢先なのだから、比喩は二重性を持つ。鳩が平和の象徴だとすると、「劣等鳩」は心中戦争を忌避しつつ現実との対応につまずいている主人公の木垣ということになる。場景はすべて社会の縮図なのである。

ここまでじっくり読みこむと、堀田善衛の奥深さが見えてきます。ちなみに新聞社の上を飛び交う伝書鳩については、黒岩比佐子『伝書鳩・もうひとつのIT』文春新書)をお読みください。黒岩比佐子の著作では、すでに『音のない記憶・ろうあの写真家・井上孝治』(角川ソフィア文庫)を紹介済みですが、明日「+α」として、『伝書鳩』を紹介させていただきます。
(山本藤光:2012.09.16初稿、2018.02.26改稿)

堀辰雄『風立ちぬ』(新潮文庫)

2018-02-15 | 書評「へ・ほ」の国内著者
堀辰雄『風立ちぬ』(新潮文庫)

風のように去ってゆく時の流れの裡に、人間の実体を捉えた「風立ちぬ」は、生きることよりは死ぬことの意味を問い、同時に死を越えて生きることの意味をも問うている。バッハの遁走曲(フ-ガ)に思いついたという「美しい村」は、軽井沢でひとり暮しをしながら物語を構想中の若い小説家の見聞と、彼が出会った少女の面影を、音楽的に構成した傑作。ともに、堀辰雄の中期を代表する作品である。(新潮文庫案内より)

◎堀辰雄について

堀辰雄は1904年、東京で生まれました。高校時代に室生犀星を訪ね、その紹介で芥川龍之介の知遇を得ています。萩原朔太郎の詩集に没頭したのも、このころです。その後東京帝国大学に進み、中野重治や小林秀雄と知り合いになります。

このときプロレタリア文学や、芸術派の洗礼を受けました。また折口信夫から日本の古典を学び、その影響で『かげろふの日記』や『大和路、信濃路』(ともに新潮文庫)が生まれたといわれています。

1927(昭2)年、芥川龍之介の死に直面し、創作活動の意欲を燃やすようになります。堀辰雄はすでに肋膜炎を患っており、健康をいたわりながらの文筆生活でした。

1934年矢野綾子と結婚。彼女も肺を病んでおり、2人で八ヶ岳山麓の療養所で過ごします。マルセル・ブルースト(推薦作『失われた時を求めて』抄編・全3巻、集英社文庫)やジェイムズ・ジョイス(推薦作『ユリシーズ』全4巻、集英社文庫)に傾倒しはじめます。その年、矢野綾子が死去します。このことが名作『風立ちぬ』の執筆動機となっています。堀辰雄は1953年死去しています。

◎風立ちぬ、いざ生きめやも

前項で長々と、堀辰雄の履歴についてふれました。堀辰雄の代表作『風立ちぬ』(新潮文庫)は、現実にあったことを描いたものだからです。私は集英社文庫と新潮文庫で2回読みました。集英社文庫のほうは、巻頭に作品モデルの矢野綾子の写真まで掲載されていました。
 
堀辰雄の文章は、詩的散文調といわれています。初期作『聖家族』(新潮文庫)は、それを畳みかけるような短文で実現したことで知られています。ところが『風立ちぬ』の文章は、ゆったりと流れています。マルセル・ブルーストの文章を、学んだ成果なのでしょう。
 
『風立ちぬ』の主人公「私」は、別荘地で美しい少女・節子と出会います。少女は熱心に絵を描き、「私」は傍らで過ごす毎日がつづきました。

――そんな日の或る午後、(それはもう秋近い日だった)私たちはお前の描きかけの絵を画架に立てかけたまま、その白樺の木陰に寝そべって果物を齧っていた。砂のような雲が空をさらさらと流れていた。(中略、画架が倒れて)すぐに立ち上がっていこうとするお前を、私は、いまの一瞬の何物をも失うまいとするかのように無理に引き留めて、私のそばから離さないでいた。お前は私のするがままにさせていた。
風立ちぬ、いざ生きめやも。
ふと口を衝いて出て来たそんな詩句を、私は私に靠(もた)れているお前の肩に手をかけながら、口の裡で繰り返していた(本文より)
 
口をついてでた詩句は、ポール・ヴァレリーの「海辺の墓地」からのものです。岩波文庫からポール・ヴァレリー『ヴァレリー詩集』がでています。「風立ちぬ」は、松田聖子の歌でも有名になりました。しかし「いざ生きめやも」をめぐって、これでは「死のう」という意味になってしまう、などという日本語通の意見もあります。そんなことは堀辰雄に、わからないはずはありません。だから陳腐な議論は、うっちゃっておきたいと思います。

「私」は節子と婚約します。そのころ節子は、すでに胸を病んでいました。節子の父親から、サナトリウムへ転地療養させたいと申し入れられます。「私」もいっしょに行くことにしました。「サナトリウム」という言葉は、現代では死語になってしまったようです。簡単にいえば結核療養所のことなのですが、この単語を眺めただけで陰湿な気持ちにさせらます。

「私たち」は八ヶ岳山麓のサナトリウムで、一風変わった愛の生活をはじめます。節子の病状は、けっして楽観をゆるしません。真っ白い病室で、2人だけの時が流れてゆきます。節子の病状は、一進一退をくりかえしています。
 
――そのうち彼女が急に顔を上げて、私をじっと見つめたかと思うと、それを再び伏せながら、いくらか上ずったような中音で言った。「私、なんだか急に生きたくなったのね……」/それから彼女は聞こえるか聞こえないくらいの小声で言い足した。「あなたのお蔭で……」(本文より)

サナトリウムでの日々は、単調なものでした。しかし窓外の季節は、刻々と姿を変えてゆきます。節子に快復の兆しはありません。
 
◎大切にしたい作品 
 
新緑の季節が真夏の陽光に追いやられると、サナトリウムには入居者が増えました。節子は暑さのために体力を失い、ときどき呼吸困難におちいります。「私」はそんな節子を見守りながら、どこかに「生」の喜びを感じています。
 
秋になりました。サナトリウムの患者は、落ち葉のように消えてゆくようになりました。節子の父親が面会にやってきます。節子は昂奮し、父親が帰ったあとに病状を悪化させました。
 
そして冬がやってきます。「私」は節子に、2人のものがたりを書こうと思う、と告げます。感動的で幸福なものがたりを書こうと、私は森への散歩をはじめました……。
 
「私」は病床の節子とともに、緊密な「生」をつらぬきとおしました。『風立ちぬ』の主人公「私」の誠実さと同時に、運命に身をゆだねる節子の気丈さも際立っています。

堀辰雄は人望のある人だったようです。彼を慕って集ったメンバーには、立原道造、中村真一郎、福永武彦(推薦作『死の島』上下巻、講談社文芸文庫)、遠藤周作(推薦作『沈黙』新潮文庫)などがいます。メンバーの一人である中村真一郎は、『風立ちぬ』についてつぎのように書いています。
 
――(山本注:作品が際立っている理由の3つめとして)この物語全体にみなぎっている、息苦しいほどの密度の濃い緊張感である。それは作者であると同時に主人公である、第一人称の人物の、愛人に対する配慮の細やかさの綿密な表現の結果として生じたものであるが、作品を通過しながら、これほど息詰まる思いに読者を閉じ込めるような、緊密な芸術的質を持つ文学作品というものを、戦後の私たちは持つことができないでいる。(朝日新聞学芸部編『読みなおす一冊』所収、中村真一郎『風立ちぬ』より)

『風立ちぬ』を読みながら、高校時代にガールフレンドと観た「愛と死をみつめて」を思いだしてしまいました。あのころは、あれを純愛だと思っていました。そのことを前記の中村真一郎は「暴露的」と切り捨てています。明らかに『風立ちぬ』はその後の、暴露的な作品とはちがうのです。

なにがちがうのかなと思いながら、気がつきました。「つつましさ」という距離感が、後続の暴露的作品とはちがうのです。堀辰雄は読者に、涙を強要しません。淡々と病床と戸外を描ききっています。一つひとつの言葉を大切にし、しぼりだすように「生」と「死」を描ききっています。大切にしたい作品、それが私の『風立ちぬ』です。
 
私は『風立ちぬ』をつつましい、と書きました。それはあえてふれなかった終章を読んだら、実感できることです。3年半ぶりに「私」は、雪に埋もれた村に戻ってきます。その場面をじっくりと読んでもらいたいと思います。粉雪がかすかに揺れる情景を見ました。風が吹いています。
 
◎堀辰雄と遠藤周作
 
堀辰雄の周囲にいた作家たちについては、すでにふれています。そのなかから、遠藤周作の堀辰雄感を紹介したいと思います。
 
戦争がしだいにひどくなった時期、慶応の予科生だった遠藤周作は、追分にある堀辰雄宅を訪ねています。そのときの感想です。堀辰雄は療養中の身でした。

――寝床の右側に書棚があり、そこにインゼル版のリルケ全集をはじめ、いかにも堀さん的な書物が並んでいた。私のその部屋で堀さんから、近頃何を読んだかと言う話をうかがった。「ひさしぶりでトルストイの戦争と平和をよみかえしたが……」とか、「自分はドストエフスキーの小説では白痴が一番、肌に合う」などと言われた。(「新潮日本文学全集16・堀辰雄集」のしおりより)

 遠藤周作は予科生の自分には、フランス文学など難しいだろう。堀辰雄はそんな気持ちから、あえてトルストイとドストエフスキーを選んでくれたのだろうと回想しています。文章にも表れている、堀辰雄のやさしさを示す一例だと思います。
(山本藤光:2009.11.22初稿、2018.02.15改稿)