山本藤光の文庫で読む500+α

著書「仕事と日常を磨く人間力マネジメント」の読書ナビ

朱野帰子『わたし、定時で帰ります』(新潮文庫)

2019-10-13 | 書評「あ」の国内著者
朱野帰子『わたし、定時で帰ります』(新潮文庫)

絶対に定時で帰ると心に決めている会社員の東山結衣。、非難されることもあるが、彼女にはどうしても残業したくない理由があった。仕事中毒の元婚約者、風邪をひいても休まない同僚、すぐに辞めると言い出す新人…。様々な社員と格闘しながら自分を貫く彼女だが、無茶な仕事を振って部下を潰すと噂のブラック上司が現れて!?働き方に悩むすべての会社員必読必涙の、全く新しいお仕事小説! (「BOOK」データベースより)

◎仕事に命を懸ける

朱野帰子(あけの・かえるこ)は、1979年生まれで、現在40歳前後の新進作家です。早大を卒業後にマーケティングプランニング会社に就職します。この会社は残業が当たり前であり、徹夜仕事もありました。著者はここに7年勤め、製粉会社に転職します。こちらの会社は定時帰社が基本で、前職とは真逆の勤務実態でした。

『わたし定時で帰ります』(新潮文庫)は、2つの勤務体験にヒントを得た作品です。朱野帰子は2009年『マタタビ潔子の猫魂』(MF文庫)でダ・ヴィンチ文学賞大賞を受賞して作家デビューしています。そして2013年に発表した『駅物語』(講談社文庫)で注目され、2018年『わたし、定時で帰ります』で大ブレークします。

『わたし、定時で帰ります』の執筆について、著者は次のように語っています。

――会社の困った人の話を書いてみませんか?という担当編集者の提案が始まりでした。最初は、私のようにとにかく仕事を懸命に頑張るタイプを主人公にしようと考えたんです。でも、ゆとり世代の編集者が『上の世代が仕事に命を懸ける意味が分からない』と。その言葉にハッとさせられ、自分と異なる仕事観を採り入れるのもいいなと思い直して、残業をしないと心に決めた女性を主人公にしました。(「マイナビ転職」2018.07.20掲載)

確かに昔の企業には「仕事に命を懸ける」人がたくさんいました。最近ではそんな人は、まれになっているとよく耳にします。そんな時代背景もあり、本書は話題となりました。そしてドラマ化されたのだと思います。

◎私と仕事のどっち?

主人公の東山結衣は、社長の「残業のない会社を目指す」という言葉に魅せられて、ソフトウエア会社に就職します。ところがこの会社は社長の理想とは、真逆の労働状態でした。会社でいちばんのやり手だった黒田良久は、重なる残業で体調を壊し内勤職に転職になっています。詳しくは触れませんが、黒田良久の役割は本書の流れを一貫して引っ張っています。脇役をみごとに際立たせる、著者の手腕に感服しました。

結衣はみんなが残業で汗を流すなか、かたくなに定時退社を貫き通します。彼女の唯一の楽しみは退社後に訪れる、上海という中華料理店のサービスタイムです。料理を選び、生ビールをあおるのが平日の日課になっています。

結衣には別の小さなソフトウエア会社に勤める、種田晃太郎という婚約者がいました。ところが結婚式を控えた両家の顔合わせの席に、晃太郎は残業で体調を崩してこられなかったのです。
結衣は「私と仕事と、どっちが大切なの?」と迫ります。晃太郎はあっさりと、「仕事」と答えてしまいます。
かくして、二人の婚約は流れてしまいます。ここまでが結衣と晃太郎との物語です。

◎とんがっている登場人物

仕事一本の晃太郎は、小さな会社で苦楽をともにしてきた、灰原社長と袂をわかつ決心をします。結衣との破談が引き金になりました。そして結衣の会社に、上司となって転職してきます。片腕を失った灰原社長も晃太郎を追うように、会社をたたんで同じ会社のマネージャーとして入社してきます。

本書のおもしろさは、磁石に吸い寄せられるように、同じ会社に三人の主要人物が勢揃いすることにあります。。マイペースを貫き通す結衣。利益を度外視して仕事をとる灰原。婚約者だった結衣と、上司となった灰原との股さき状態にある晃太郎。この三人が、同じプロジェクトをこなすことになります。ひとつのプロジェクをめぐり、三人は右往左往することになります。。

晃太郎は結衣に、灰原マネージャが安価で獲得してきた案件の、チーフ役を依頼します。これを引き受けると、結衣の定時退社は破綻してしまいます。ここから先には触れません。

本書は三人の登場人物以外も、個性がとんがっています。結衣を取り巻く登場人物について、的確にまとめた記事がありますので引用させていただきます。

――会社では若干冷たい視線を浴びながら、風邪でもシュウシャする女性社員。産後に「高速復帰」した先輩。ワーカホリックな元彼。無理な案件を通す上司。(「辛酸なめこ。朝日新聞2019.04.20」

本書は連続テレビドラマとなり、大いに話題を集めました。私は観ていません。ドラマ企画のインタビューのなかに、プロデューサーが語る主人公像がありました。非常にわかりやすいので、引用させていただきます。

――主人公の東山結衣は、過去のトラウマから仕事よりも人生を大切にし、効率よく仕事をすることで「残業ゼロ」を貫く、昨今叫ばれるワーク・ライフ・バランスを象徴するような女性だ。(TBSスパークルの新井順子プロデューサー)

エンディングは、予想通りのものになります。でも本書はミステリーではないので、これでよしとしなければなりません。十分に楽しめる一冊でした。
山本藤光2019.10.12

青山文平『つまをめとらば』(文春文庫)

2018-10-21 | 書評「あ」の国内著者
青山文平『つまをめとらば』(文春文庫)

女が映し出す男の無様、そして、真価―。太平の世に行き場を失い、人生に惑う武家の男たち。身ひとつで生きる女ならば、答えを知っていようか―。時代小説の新旗手が贈る傑作武家小説集。男の心に巣食う弱さを包み込む、滋味あふれる物語、六篇を収録。選考会時に圧倒的支持で直木賞受賞。(「BOOK」データベースより)

◎「銀色のアジ」を描きたかった

青山文平は1948年生まれで、44歳(1992年)のときに『俺たちの水晶宮』でデビューしています。当時の筆名は影山雄作で、本書は中央公論新人賞を受賞しています。その後病気のために一時の休筆があり、2011年に『白樫の木の下で』で松本清張賞を受賞して再出発しました。このときから筆名は、青山文平と変更されました。
そして2015年『つまをめとらば』(文春文庫)にて、直木賞を受賞しました。このときの受賞インタビューが非常におもしろかったので、そのフィードバックをさせていただきます。

67歳での直木賞受賞は、歴代2番目の高齢記録だったようです。病気前の著者は純文学を書いていました。それを時代小説へと転換したのは、「銀色のアジ」を描きたかったからだと説明しています。アジが「青魚」といわれ所以は、死んでからの色を指してのことです。生きているアジは銀色をしています。これを青山文平は「生命原色」と説明しました。生きているから、こういう色が出るという概念です。
青山文平は『つまをめとらば』で、「生命原色」に挑戦したと語ります。そんな作品だったので、直木賞受賞はことさらうれしかったようです。


『つまをめとらば』には、英雄豪傑は登場しません。青山文平が好んで描く、18世紀後半から19世紀前半の江戸時代の庶民にフォーカスがあたっています。
この点について青山文平は、江戸のなかでも最も成熟した時代だからと説明します。従前の時代小説は、動乱のなかの英雄を描くのが主流でした。ダイナミックさとスケールの大きさを追い求める作品群のなかで、青山は庶民の日常生活からそれらの要素を見出す道を選びました。

◎江戸中期へのこだわり

「ホンシェルジュ」というサイトに、青山文平文学を的確に解説している文章があります。まずはそれを紹介させていただきます。

――戦国の合戦でもなく、幕末の動乱でもない、江戸時代の中でも最も平和な時代に生きる武士。命を懸けた戦いや磨き上げた剣術を活かす場所もなく、ただ生きるために必死になるのではなく、自らの生き方を模索しなければならない男たち。青山文平はそうした男たちの苦悩を描くために、江戸時代中期の時代にこだわり続けています。(「ホンシェルジュ」より)

直木賞の選評のなかで林真理子の文章は、青山文平のすべてを言い表していると感じました。引用させていただきます。
――「この方の文章のうまさというのは感嘆に価する。」「そして女たちの魅力的なことといったらどうだろう。したたかで、ちゃっかりしていて愛らしい。今まで男たちが描いてきた「江戸の女」を鮮やかに裏切っているのだ。

『つまをめとらば』は短編集なので、それぞれの作品については触れません。私は表題作よりも、「ひともうらやむ」の方を好みます。こちらの作品だけ、ストーリーを追ってみたいと思います

本作の主軸は長倉克巳と長倉庄平という二人の若者です。克巳は本家の跡取りで、文武両道、容姿端麗、人柄もよいという誰もがうらやむ若者です。庄平は分家の跡取りで、いつも克巳から一歩下がってつき合っていました。二人が住む本条藩には、評判の美人・世津(せつ)という腕利きの医者・一斎の娘がいました。
克巳は世津と結婚します。同じころ庄平も康江という娘と結婚します。ところが二組の結婚生活は、真逆の展開となります。

これ以上作品には触れません。青山文平の鈴の音が聞こえてくるような文章を、ぜひ味わっていただきたいと思います。一例を引いておきます。

―― 一斎先生を手伝われている娘御の世津様のお優しく美しいこと。ああいうお方こそ、女菩薩というん。/そういうわけで、やがて本条藩の若手藩士たちが、世津詣でに励むようになるのに時はかからなかった。(本文P15-16)

 これだけの文章で、世津の美しさを書き記す技には、驚嘆させられます。時代小説を毛嫌いしている方にも、ぜひ読んでいただきたい作品集です。
山本藤光2018.10.20

町おこし162:詩織の謝罪

2018-06-20 | 書評「あ」の国内著者
町おこし162:詩織の謝罪
――『町おこしの賦』第5部:クレオパトラの鼻39 
帰りの車では、恭二が助手席に座った。後部座席からは、幸史郎のいびきが聞こえた。恭二は詩織に語りかけた。
「おれ、大学を卒業したら、ここへ戻ってくるような予感がしている」
「どうしたの、急に?」
「コウちゃん町長を、応援するためかな」 
詩織は笑った。後部座席からは、勇ましいいびきが続いている。恭二は、詩織がいるから、という言葉を飲みこんだ。

幸史郎と可穂を宮瀬家で降ろし、詩織は助手席の恭二にいった。
「ちょっと、つきあってくれない? 図書館で借りたい本があるんだ」
「いいけど。何ていう本?
「『菜根譚(さいこんたん)』。岸田書店を探したんだけど、なかったの」
「おれ、読んだことがないけど、どんなことが書いてあるの?」
「人生の困難を乗り越えるための指南書らしいわ」
「詩織は今、困難に直面しているの?」
「そんなわけじゃないけど……」

 本を借りた詩織は、ちょっとちゅうちょしてからいった。
「聞いてもらいたいことがあるの。そこでお茶しない?」
「いいよ」
 二人は図書館の隣りの、喫茶店に入った。コーヒーを注文してから、詩織はしっかりと恭二の目をとらえた。
「恭二にちゃんと、謝っておきたかったの。私の結婚で恭二を傷つけ、裏切ってしまった。ごめんなさい、恭二。私、病気でどうかしていたんだと思う。つらかったし、苦しかった」
 コーヒーが運ばれてきた。恭二はすぐに口をつけた。詩織は砂糖を入れ、ミルクを注いだ。
「本当にごめんなさい。自分のこと、ばかだなって思っている。でも、あのとき、私は……」
「もういい。おれ、まだ詩織のこと、好きかもしれない。でも、今はつき合っている人がいる」
「うん、大切にしてあげて」
「毎年、夏休みと正月は帰省するんだから、そのときは詩織に声をかける」
「私、待っている」

 恭二には詩織が、何を待っているといったのかがわからない。帰省を待っているのか。それとも、何かの告白を待っているのか。
(『町おこしの賦』第5部:クレオパトの鼻・おわり)

鮎川哲也『黒いトランク』(創元推理文庫)

2018-03-16 | 書評「あ」の国内著者
鮎川哲也『黒いトランク』(創元推理文庫)

汐留駅でトランク詰めの男の腐乱死体が発見され、荷物の送り主が溺死体となって見つかり、事件は呆気なく解決したかに思われた。だが、かつて思いを寄せた人からの依頼で九州へ駆けつけた鬼貫の前に青ずくめの男が出没し、アリバイの鉄の壁が立ち塞がる……。作者の事実上のデビューであり、戦後本格の出発点ともなった里程標的名作!(アマゾン内容紹介)

◎本格派の大御所

鮎川哲也は1919年生まれで、 2002年に逝去しました。松本清張は10歳年上です。鮎川哲也を語るとき、松本清張の存在は無視できません。鮎川が自らのミステリーを「本格派」と唱えたのは、松本清張を代表する社会派ミステリーの隆盛があったからです。

鮎川哲也の実質的デビュー作『黒いトランク』(創元推理文庫)は1956年発表で、松本清張『点と線』(新潮文庫、「山本藤光の文庫で読む500+α紹介作)はその2年後に発表されています。2つの作品には、時刻表を駆使するという共通点があります。しかし圧倒的に『点と線』の評判が高かったのは、まぎれもない事実です。

しかし鮎川哲也は不惑の人です。信念の人です。彼はアリバイ崩しという本格派路線をかたくなに守り続けました。彼は横溝正史、高木彬光と並ぶ、本格派の大御所です。そしてその信念は、泡坂妻夫や連城三紀彦へ、さらに「新本格派」としてくくられる島田荘司、綾辻行人、有栖川有栖らへと引き継がれるのです。
鮎川哲也について書かれた、明快な文章を紹介させていただきます。

――推理のプロセスをいかにダイナミックに表現するか。この点に徹底してこだわり抜く鮎川のミステリは常に事件の構図がめまぐるしく転回し、読者を決して飽きさせない。同時に当時の社会背景や風俗を活写しながらリアルな日常のドラマを構築し、物語としての豊饒性も得ようとしたのが鮎川哲也という作家なのだ。(本の雑誌編集部・編『この作家この10冊』P18-19)

◎ミステリーのベスト11位

文藝春秋・編『東西ミステリーベスト100』(文春文庫)は、1986年版と2013年版の2種類が存在しています。日本篇と海外篇に分けられており、日本篇の1位と2位は27年経ても、変りません。1位は横溝正史『獄門島』、2位は中井英夫『虚無への供物』と不動です。
今回紹介させていただく鮎川哲也『黒いトランク』(創元推理文庫)は、8位からわずかに順位を下げて、2013年版では11位になっています。

『黒いトランク』が鮎川哲也のデビュー作とされていますが、それより6年前に『ペトロフ事件』(光文社文庫)という作品を発表しています。本作は、本名の中川透名義で雑誌「宝石」の懸賞小説で第1席になっています。
ちなみに鮎川という筆名は、『黒いトランク』の登場人物として用いられていたものです。ペンネームを拝借したので、本書の発表時はそれを蟻川に改められています。

鮎川哲也『黒いトランク』(kindle版創元推理文庫)を再読しました。むかし角川文庫で読んでいますが、無性に読み返してみたくなりました。きっかけは古書店で買った、2冊の著者サイン本
(『五つの時計・鮎川哲也短編傑作選1』『下りはつかり・鮎川哲也短編傑作選2』ともに創元推理文庫)を読んだからです。どの短編もおもしろかったのですが、やはり鮎川哲也の魅力は長編小説にあります。

◎初めて時刻表が添えられた

舞台は1949年の国鉄(現JR)の汐留駅。貨物専用のこの駅に北九州の二島駅から送られてきた、受取人のない黒い大きな衣装ケースがあります。中からは異臭がもれています。不信に思い、駅員は警察に連絡します。
時代背景と読書のポイントを、確認しておきます。

――新幹線も飛行機も使えない時代の事件。戦争の傷跡もまだ人々の心に生々しく残っている。〈アリバイ崩し〉ばかりが語られるが。殺人の動機も従来にない重いものだ。(中川右介『不滅の名作ミステリへの招待』七つ森書館P147)

羽織と袴姿の、男の腐乱死体が現れます。受取人の住所氏名には、該当者はいません。ところが発送人・近松千鶴夫は実在の人物だったのです。男は麻薬の売人として、警察からマークされていました。警察は自宅へ急行しますが、留守を預かる妻の由美子は、夫は旅に出ていると告げます。
近松は12月1日に二島駅にきて、黒いトランクを一時預けにします。そして4日に再び現れて、それを汐留駅に送ったのです。警察は近松の行方を追います。そして近松の溺死体が発見されます。毒薬を飲んでいました。自殺か、他殺なのか。容疑者の死で、簡単に解決したかにみえた事件は混沌とします。やがて被害者の氏名も、馬場番太郎と明らかになります。

夫の死に疑問を抱いた妻の由美子は、警視著の鬼貫警部に相談します。由美子をめぐっては、以前に鬼貫と近松が争奪戦を展開しています。夫の近松は臆病者で殺人も自殺もできない人と、由美子は鬼貫に訴えます。
夫の近松千鶴夫も被害者の馬場番太郎も鬼貫警部も、大学の同期生でした。

鬼貫の地道な捜査により、事件は2つの同じ型のトランクが複雑に動いていることを突き止めます。1つめのトランクは死体が詰められたものであり、もう一つの持ち主は画家の膳所善造であることが判明します。彼も鬼貫の同期生でした。ところが膳所は。トランクを蟻川愛吉の仲介で誰かに譲ったといいます。蟻川もまた、鬼貫の同期生でした。そして譲られた相手が、近松であることが判明します。

これ以上、事件に深入りすることはやめます。自分を愛して独身を貫いている鬼貫に、事件の真相究明を託す由美子。容疑者と被害者と、それを追う警部の5人の昔と今。本書の醍醐味はこれらの、どろどろとした人間関係の妙にもあります。 
クロフツ『樽』(創元推理文庫、「山本藤光の文庫で読む500+α」で紹介)を彷彿とさせる展開は、最後になるまで緊張感が緩むことはありません。超一級の本格推理を堪能してください。最後に角川文庫の解説を引かせていただきます。

――市販の時刻表が、主トリックを支える大道具として、小説に添えられた例は、この作品にはじまると思います。主トリックを支える数々のサブ・トリックを駆使して、元祖のクロフツさえも凌ぐと思われるプロット展開に見せた作者の手腕には、ただ腕の冴えという以上に、激しい情熱が感じられます。(天城 一)

山本藤光2017.08.23初稿、2018.03.16改稿

安達千夏『あなたがほしい』(集英社文庫)

2018-03-16 | 書評「あ」の国内著者
安達千夏『あなたがほしい』(集英社文庫)

第22回すばる文学賞受賞作。男を抱くことはできても、愛せない。女を愛していても、抱き合うことをおそれてしまう――。年下の友人・留美に対する同性愛の欲望を意識しながらも、中年の建築家・小田との官能と友愛に充ちた関係に癒しと安らぎをおぼえるヒロイン・カナ。しかし留守中の留美の不在に、カナの秘めた想いは次第に募るのだった……。新感覚の性愛を鮮烈に描いた恋愛小説の傑作。(アマゾン内容紹介)

◎処女作がいちばん

安達千夏作品『モルヒネ』(祥伝社文庫)と『かれん』(角川文庫)を続けて読みました。ともに生と死と恋を、ミキサーでかくはんしたような作品でした。やっぱり安達千夏はデビュー作が一番だと、20年ほど前にPHP研究所メルマガ「ブックチェイス」に書いた書評を読み返してみました。そして現時点でのお勧めは、この作品だろうと思いました。当時の書評を再掲させていただきます。

(加筆修正して再掲)
今年度の「すばる文学賞」受賞作です。書店に平積みされており、けばけばしいPOP広告までつけられていました。帯には気取った著者の写真が刷りこまれています。左手を曲げて顎を支えている写真でした。
 瞳は真っ直ぐに、私を見ています。最近の文芸書は、著者の写真入りのものが増えています。この傾向はいつからのことなのでしょうか。私はできることなら、著者の写真を見たくありません。

本を読む前に立派な肖像写真を見せられると、どうしても主人公とその写真がオーバーラップしてしまいます。特に一人称で書かれた作品の場合は、その傾向が強くなります。このことと、『あなたがほしい』の作品評価は別ですが。
(再掲おわり)

安達千夏『あなたがほしい』を、集英社文庫で再読しました。ほとんどストーリーを忘れていたため、新刊を読む感覚でした。

◎ギャップを織り上げる

『あなたがほしい』の主人公「私」は、社名を出せば誰でも頷くハウジングメーカーの営業をしています。三十歳を目前にした「私」には、「留美」という恋い焦がれる年下の同性がいます。留美は西洋美術史を専攻し、ベルギーへ留学しています。一方、「私」には私を「カナちゃん」と呼ぶ、小田という四十歳のセックス・フレンドがいます。

 本書は、留美への慕情と小田との代替セックスを縦軸に、「私」の職場の同僚や元同級生の顧客とのやりとりを横軸にして構成されています。「私」の位置をX軸とY軸との交点・ゼロだとすると、留美はY軸の上にある存在であり、小田はY軸の下方にある位置づけになっています。

「私」は小田とのセックスでは、常に自らが主導していないと気がすみません。「私」は小田とのセックスをこう位置づけています。
 
――そうだ。私たちは間違いなく親友で、恋人ではない。歯に衣着せず言い合い、打ち明け、嫉妬や詮索とも無縁で、尊敬と嘲笑を共存させ得る関係。肌を合わせるのは、たまたま彼が雄で私が雌だったから。初めは成りゆきで、その後は単に後腐れなく都合がいいから。(本文より)

 小田は、「私」(カナ)が留美に抱いている想いを知っています。そのうえで、自分がその代役であることに甘んじています。小田は個人で建築の設計事務所を持っています。そこへカナを引き抜こうと誘い続けます。
やがて「私」の前に、かって同級生だった女性が客として現れます。彼女は夫と二人の子供、という平凡な家庭をもっていました。妻であり母親である元同級生は、マイホームの夢をもち積極的でした。

これらの話しに加えて、同僚の佐藤くんとの仕事上のやりとりを随所に散りばめながら、物語はエンディングへと進みます。冒頭にも書きましたが、縦糸と横糸が交互に編みこまれた非常に構造がしっかりとした作品でした。ただし留美との関係については、もう少し張り詰めた糸を使ってほしかったと思います。

ちょっと欲張った感じではありますが、マイホームを求める一般的な家庭と、それを供給する男と女。その男と女は、性愛でのみつながっている不均衡な関係。大手企業に勤める若者とたった一人で会社を経営している中年。これらのギャップを、安達千夏はみごとに織り上げています。

著者が一人称ではなく、三人称でこの作品を書いていたら、もっと違った作品となっていたでしょう。これだけしっかりとした「設計」ができるのですから。再読してみて、安達千夏はもっと大きな作品が書けると確信しました。
(山本藤光:初稿1999.01.28改稿2018.03.16)

阿部和重『ABC戦争』(講談社文庫)

2018-03-12 | 書評「あ」の国内著者
阿部和重『ABC戦争』(講談社文庫)

周到に張りめぐらされた言葉が、不穏な予感を暴発させる―デビュー以来、日本文学の最先端を疾走し続ける阿部和重の危険な作品世界は、いまや次々に現実となっていく。今だからこそ読みたい初期の傑作6作品。3人のゲームクリエイターによる語り下ろし特別座談会「阿部和重ゲーム化会議」を巻末に収録。(「BOOK」データベースより)

◎とことん「形式」にこだわる

絶版になっていた阿部和重『ABC戦争』(新潮文庫)が、手にはいるようになりました。阿部和重『初期作品集・ABC』(講談社文庫)に、「ABC戦争」をふくめ6作品が所収されたのです。それを機会にちょっと難解なのですが、阿部和重作品にふれていただきたいと思います。
 
阿部和重は、群像新人文学賞を受賞したデビュー作『アメリカの夜』(初出1994年、講談社文庫)以来、注目している作家です。阿部和重はとことん「形式」にこだわり、「批評的な語り」を大切にします。これは日本映画学校を卒業したことや、映画の演出助手の経験とは無縁ではありません。
 
『アメリカの夜』では、語り手(重和)が、主人公・中山唯生を「批判的に語る」構図になっています。主人公は映画の専門学校を卒業し、撮る自分から書く自分への転身を模索します。そのプロセスを語り手(重和)が冷静に語りつづけます。

最初のうちは、語り手と主人公が重なっています。やがてそれが分裂しはじめます。だれかの評論で読んだのですが、セルバンテス『ドン・キホーテ』(岩波文庫)とP・K・ディックの『ヴァリス』(創元推理文庫)の構造を模して、徹底的に「批評的な語り」を貫き通した作品のようです。石黒達昌(「山本藤光の文庫で読む500+α」推薦作『新化』ハルキ文庫)の『平成3年5月2日、後天性免疫不全……』(福武書店)を連想させられる作風でもあります。本作は前記『新化』に所収されています。
 
第2作『ABC戦争』(講談社文庫)も、前作同様に「形式」に固執しています。「批評的言説」を豊富に流用してもいます。この作品を読み終わって、「やられた」と思いました。
 
デビュー作のような周到さで、著者がしかけていた伏線を、私は見落としてしまったのです。本書は終ったところから、はじまる物語だったのです。

◎批評的言説が長々と

『ABC戦争』は「ホンセン」と呼ばれている通学列車の3両目をめぐる、語り手「わたし」の回想録です。著者は語り手「わたし」の存在感を、意図的に希薄にしています。これは著者自身の自伝として読まれることを、避けるためにとられた方法でしょう。

なぜなら語り手「わたし」はあまりにも、著者の履歴と符合しすぎています。高校2年で中途退学し、山形県から上京。その後専門学校に入学している点は、まったく同じです。

物語は山形新幹線からはじまります。列車のトイレにあった落書き「X」と「Y」の文字をめぐって、批評的言説が長々とつづきます。
 
――〈Y〉の「悲劇」はさらにその度合いを強める。なぜなら〈Y〉とは「ワイ」と読まれる文字であるからだ。音声化した〈Y〉は、記された文字それじたいからひき離され、「ワイ」が「猥」を喚起し、「猥褻」のイメージがあたりを満たすにつれ、「卑猥」な顔つきをしたものたちが「猥雑」に「猥語」を発しあう「猥談」でもりあがり、いつか「猥本」を手にとり興奮してなにやら催し、いそいで公衆トイレに駆け込む。(本文より)

阿部和重はデビュー以来、一貫して自分探しを試みています。そのことについて、著者自身はつぎのように語っています。

――前略、高校を中退して間もない頃の私がともだちとともに――楽天的だったり殺伐としていたりだらしがなかったり暴力的だったり馬鹿馬鹿しかったりする環境のなかで――すごした時期の雰囲気の一部を、『ABC戦争』のなかから感じとっていただくことは不可能ではないとおもう。(『本』1995年9月号)

阿部和重が、このこだわりを捨てるときを待ちたいと思います。阿部和重は、まだ「支線」を走っています。目指す「本線」は近いのですが。

◎『シンセミア』とは良質の麻薬

『シンセミア』(全4巻、朝日文庫)は、原稿用紙1600枚もの大作です。舞台は著者の故郷である山形県の神町。著者は郷土史「神町のあゆみ」を偶然読み、本書を書くことになりました。舞台の神町は、昔はアメリカの駐屯地であり、現在は自衛隊の基地となっています。果樹栽培が中心の、どこにでもあるのどかな田舎です。

事件は、地元で有名な心霊スポットで起きます。この事件がきっかけとなり、神町の裏事情が表出します。本書の中心となるのは、歴代続く「パン屋の田宮家」です。物語は田宮家の歴史をたどりながら、神町の住民たちが見え隠れする仕組みになっています。

本書の登場人物は、60人を超えます。ところが、読んでいて混乱することはありません。ひとり一人の個性が、しっかりと描かれているせいでしょう。

ストーリーは、紹介しない方がよいと思います。小さな町に住む若者たちと、町のドンたる父親たちのすれ違い。麻薬、性、暴力、陰謀、不倫などが、静かだった神町を侵食しはじめます。おまけに地震、洪水などの天変地異が襲いかかります。息をもつかせない展開に、読者は引っ張られることになります。

読者は第4巻の最後に、度肝を抜かれることになるでしょう。それまでは、神町との長い長いおつき合いです。寝床のなかで、じっくりと堪能する作品が『シンセミア』です。シンセミアとは良質の麻薬のことのようです。

◎ちょっと寄り道

阿部和重作品は、一般読者にとってちょっと退屈だと思います。初期作品から、文芸評論家を意識した作品を書きつづけています。そのぶん意図がわからないわれわれには、間延びした物語になっています。
 
私は阿部和重、石黒達昌に期待をしていました。2人に共通していたことは、既存の純文学に対して反旗をかかげていたことです。阿部和重は2003年『シンセミア』(全4巻、朝日文庫)、2005年『グランド・フィナーレ』(芥川賞、講談社文庫)で確固たる地位を得ています。

講談社文庫『ABC』は、そこに至るまでの果敢な挑戦をうかがい知る格好の教材です。特に『シンセミア』や『グランド・フィナーレ』の読者にはお薦めしたいと思います。
(山本藤光:2010.05.06初稿、2018.03.12改稿)


泡坂妻夫『亜愛一郎の狼狽』(創元推理文庫)

2018-03-06 | 書評「あ」の国内著者
泡坂妻夫『亜愛一郎の狼狽』(創元推理文庫)

『11枚のとらんぷ』を筆頭に、『乱れからく
年1987り』等数々の名作でわが国推理文壇に不動の地位を築いた泡坂妻夫が、この一作をもってデビューを飾った記念すべき作品―それが本書冒頭に収めた「DL2号機事件」である。ユニークなキャラクターの探偵、亜愛一郎とともにその飄々とした姿を現わした著者の、会心の笑みが聞こえてきそうな、秀作揃いの作品集。亜愛一郎三部作の開幕。(「BOOK」データベースより)

◎ユニークなミステリー

泡坂妻夫の作品は、どれも好きです。最初に読んだのが直木賞受賞作の『蔭桔梗』(新潮文庫、初出1990年)でした。6度目の正直で受賞した短編集を読んで以来、ずっとその存在を忘れていました。

その後出張の道連れにと手にしたのが。『亜愛一郎の狼狽』(創元推理文庫)でした。そこにはまったく別人の、泡坂妻夫がいました。こんなにユニークで面白いミステリーはない、と一気に泡坂妻夫を追いかけることになりました。

泡坂妻夫は、絵師であり奇術師であり小説家です。小説家としてデビューしたのは43歳のときで、「DL2号機事件」が幻影城新人賞に短篇佳作入選しています。幻影城出身の作家としてはほかに、連城三紀彦(推薦作『戻り川心中』講談社文庫)、栗本薫、田中芳樹などがいます。

『亜愛一郎の狼狽』は全8話で構成されています。「DL2号機事件」は、その第1話として収載されています。爆破予告されていた飛行機が無事に到着します。刑事が見守る中、雲の撮影にきていた亜愛一郎たちがそこに居合わせます。ここまでは些細な情景描写なのですが、後半になると作品世界が激変します。

読み流していた情景や会話の一部が、伏線だったことを知らされます。クラッシック音楽を聴いていたはずなのに、いつの間にかジャズに変わっていたような感じがします。ほれぼれさせられる論理展開に、私は夢中でページをくくり続けました。

『蔭桔梗』を読んだときに、絵師でもある泡坂妻夫にしか書けない世界だと感じました。ところが『亜愛一郎の狼狽』では、奇術師にしか書けない小説だと、感想が一転しました。

『亜愛一郎の狼狽』は、文藝春秋編『東西ミステリーベスト100』において1985年が第17位、2013年が16位と不動の人気を誇っています。

泡坂作品を的確に表現している文章があります。引用させていただきます。

――本格推理小説で、論理のアクロバットと、よい意味での<遊び心>を軸にした泡坂妻夫氏の特質は、正に、奇術と推理小説の接点から誕生したのである。(二上洋一『ヨギガンジーの妖術』新潮文庫解説より)

◎絵師であり奇術師であり小説家

最近(2014年)『しあわせの書・迷探偵ヨギ ガンジーの心霊術』と『生者と死者・酩探偵ヨギガンジーの透視術』(新潮文庫)が新潮文庫として同時に復刊されました。前者は1987年、後者は1994年の初出です。中古でもなかなか入手しにくかった2作の復刊は、嬉しい限りです。『生者と死者・酩探偵ヨギガンジーの透視術』の方は袋とじがなされたままです。私は昔古書店で購入した、袋とじを解放されたもので読んでいました。ページをわざわざセロファンテープで閉じて、読んだ日のことが懐かしく思い出されます。

とにかく短篇を読んだはずなのに、袋とじを開けると短篇が消え去って、長編小説に様変わりするのです。奇術師・泡坂妻夫が紙で仕かけた前代未聞のトリックでした。

亜愛一郎については、雑誌の特集から引いておきます。

――ギリシャ彫像のような整った容姿を持つくせに、運動神経はゼロで性格もはなはだ頼りないカメラマン亜愛一郎。そのくせ人々が見落とすようなところに目をつけ、奇想天外な推理を組み立てて見せる。この亜こそ泡坂作品を代表するキャラクターといえよう。(KAWADE夢ムック『泡坂妻夫』より)

亜愛一郎について、恩田陸は次のように書いています。

――泡坂妻夫のミステリーは、逆説のミステリーと呼ばれ、「名探偵事典でいちばん始めに名前が載るように」と名付けられた亜愛一郎は、和声ブラウン神父になぞらえられてきた。しかし、今になって諸作品を読み返すと、どれもが「マジック」だと思わずにはいられない。(恩田陸、KAWADE夢ムック『泡坂妻夫』より)

泡坂妻夫作品は、何が飛び出してくるか予想ができません。記述ミステリーの世界をご堪能ください。種もしかけもある名著です。
(山本藤光:2013.07.08初稿、2018.03.06改稿)

朝日新聞学芸部編『読みなおす一冊』(朝日選書)

2018-03-05 | 書評「あ」の国内著者
朝日新聞学芸部編『読みなおす一冊』(朝日選書)

かつて魂を揺さぶり、寝食を忘れてのめりこんだ本があった。いま、よみがえる、これだけは読んでおきたい珠玉の名作選。(「BOOK」データベースより)

◎ブックガイドの最高峰

世の中にはたくさんの、ブックガイドが流通しています。私が毎朝発信している「山本藤光の文庫で読む500+α」も、そのひとつです、個人が発信する書評は、どうしても発信者の好みに左右されがちです。

その点、朝日新聞学芸部編『読みなおす一冊』(朝日選書)は、著名な読者の一押し本を網羅していますので、読書傾向による偏りがありません。

私の『読みなおす一冊』には、「松丸本舗」のチラシがはさんであります、松丸本舗は東京オアゾの丸善4階にあった、松岡正剛が設計した書店です。もう閉鎖してしまいましたが、私は足繁く通っていました。本は出版社別に並んでいません。関連する本が、寄り添うように並べられているのです。そんな書店の設計者だった松岡正剛は『読みなおす一冊』について、次のように書いています。

――1984年から3年にわたった「朝日新聞」の連載を編集したもので、たいへんにおもしろいガイドになっている。多彩な選者と選本の組み合わせに興味をもつことも少なくないだろう。もっともゲーテやフロベールや漱石が入っていなかったり、読み物にしてほしいという編集部からの注文があったとしても政治・思想・歴史学系があまりにも少ないのに驚くが、それはそれで参考になる。(松岡正剛『松岡正剛の千夜千冊』709夜より)

私は本書をブックガイドというよりは、自分の読後感の検証に用いています。松岡正剛が指摘しているとおり、日本の近代文学はほとんど取り上げられていません。ただし自分の好みの著名人が推薦する著作なのだから、読んでみようかという指針にはなると思います。私が書評どとりあげたい作家は、海外の小説についてこんな作品を選んでいます。

黒井千次:スタンダール『赤と黒』
中島梓:デュマ『モンテ・クリスト伯』
佐藤愛子:E・ブロンテ『嵐が丘』
落合恵子:C・ブロンテ『ジェーン・エア』
鶴見俊輔:トウェイン『トム・ソーヤの冒険』
岡部伊都子:スティーヴンソン『ジーキル博士とハイド氏』
重兼芳子:バーネット『小公女』

「山本藤光の文庫で読む500+α」には、1日400を越えるアクセスがあります。できるだけ多くの書評を引用するように心がけています。読書をする。書評を読む。さらに別の書評を読む。友人に語る。こんな循環が読書に、深みを与えると信じているからです。そんな意味でも『読みなおす一冊』は、ブックガイドの最高峰にある1冊だと思います。

◎そのほかのお薦めブックガイド

読後の余韻を楽しむのにうってつけなのが、朝日新聞学芸部編『読みなおす一冊』(朝日選書)だとしたら、本を選ぶときにどんなブックガイドに頼ったらよいのでしょうか。

「死ぬまでに読んでおきたい名著」を網羅してくれているのは、前記の松岡正剛『松岡正剛千夜千冊』(求龍堂)です。ただし本書はかさばり、定価も102.600円と手が出ません。松岡正剛の書評はもっぱら、ネット検索で読ませていただいています。

私がブックナビとして推薦したいのは、次の著作です。

【児童文学】
・赤木かん子『今こそ読みたい児童文学100』(ちくまプリマー新書)
【現代日本文学】
・粟坪良樹編『現代文学鑑賞辞典』(東京堂出版)
【世界文学】
・高橋康也『世界文学101物語』(新書館)
【ミステリー】
・文藝春秋編『東西ミステリーベスト100』(文春文庫)
【ビジネス書】
メルマガ「 Webook of the Day」(松山真之助の編集です
【新刊】
・月刊誌『本の雑誌』(本の雑誌社)

味のある書評を発信してくれている、現役の小説家もいます。私の好きな著作を、紹介させていただきます。

・中沢けい『書評時評』(河出書房新社)
・林真理子『林真理子の名作読本』(文春文庫)
・小川洋子『みんなの図書室1・2』(PHP文庫)
・川上弘美『大好きな本』(文春文庫)
・又吉直樹『第2図書係補佐』(幻冬舎よしもと文庫)

ビジネス書のナビゲーター・松山真之助さんは、現役の企業人です。私も企業人時代に毎週、日本現代文学の書評を発信していました。媒体はPHP研究所メルマガ「ブックチェイス」(廃刊)でした。このメルマガではずっと、松山真之助さんと隣りあわせで書評を発信していたのです。
(山本藤光:2014.01.25初稿、2018.03.05改稿)

赤坂真理『ミューズ』(河出文庫)

2018-02-28 | 書評「あ」の国内著者
赤坂真理『ミューズ』(河出文庫)

中1でスカウトされモデルの仕事を続けながら女優を目指す女子高生美緒。歯列矯正に通う彼女は、34歳の歯科医の手の<匂い>に魅かれ、恋に落ちる。粘膜的快楽に細胞までざわめく、野間文芸新人賞受賞の初期最高作「ミューズ」と、自傷を通して自分を確かめる彩乃と介護士の交流を描いた「コーリング」。代表作のベスト・カップリング。(「BOOK」データベースより)

◎人体の器官と五感を巧みに描く

赤坂真理が『東京プリズン』(河出文庫、初出2012年)で大ブレークしています。デビュー作『蝶の皮膚の下』(河出文庫)からの追っかけとしては、うれしいかぎりの飛翔でした。そのおかげで、初期作品の文庫復刊があいついでいます。赤坂真理の推薦作を、『東京プリズン』に変更しようかどうかを迷いました。迷ったすえに『ミューズ』に軍配をあげることにしました。

2013年『ミューズ/コーリング』(河出文庫)が復刊されました。2014年講談社文庫『ミューズ』も復刊されました。旧版の講談社文庫の帯コピーには、つぎのように書かれています。新版は手元にないのでわかりません。

――記憶なんか要らない、この体があれば。新興宗教に狂う母に見捨てられた17歳の美緒は、矯正歯科医に恋をしかける。清新なエロス!

赤坂真理作品の特徴は、人体の器官と五感を巧みに描くことにあります。『ミューズ』の主人公・美緒は高校生です。美人で背が高く、モデルのアルバイトをしています。家庭も裕福で、高級住宅地として名高い成城に住んでいます。

赤坂真理は恵まれている美緒を、いきなり突き落としてみせます。モデルのアルバイトのときに、歯並びが悪いのは失格だ、と怒鳴られるのです。満たされた現状からの転落。失意の美緒は、成城のなかでも一等地にある、矯正歯科へ通うことにします。

『ミューズ』は、ギリシャ神話で人間のあらゆる知的活動をつかさどる女神たちのことです。通常「ムーサイ」と表記します。しかしこの作品の「ミューズ」は、薬用石鹸の商標です。冒頭でいきなり、タイトルの意味が明かされます。

――「あの、訊いていいですか?」/ん? と矯正歯科医は口を開かず喉の奥で音を出す。眉が連動する。/「いつも不思議だったんですけど」/目は大きめの、少しだけ垂れた目。少しだけ、離れ気味。/「先生ってすっごくいい匂いがする。何、使ってるんですか?」(本文より)

赤坂真理の文章はセンテンスが短く、体言止の多用が特徴です。それが作品に、独特のリズムをつけます。矯正歯科医の顔は、マスクに隠れているために、眉と目しか見えません。そこに嗅覚をからませたのです。

診療を終えた美緒が、矯正歯科医に質問する引用場面は秀逸です。歯列矯正装置を装着した美緒は、長い時を耐えなければなりません。きれいな歯並びの女優を目指して。

16歳の美緒は、自分自身が空っぽになることに恐怖感をもっています。いつもなにかで、それを満たしておきたいと思っています。やがて2人は、診療室で愛し合うことになります。矯正歯科医の職場でもあり、住居でもある「場所」で愛し合うのです。

この作品で赤坂真理は、とことん「場所」にこだわっています。成城という高級地。歯科医の次男としてぬくぬくと育った矯正歯科医の社会的な「場所」。完璧なモデル以外は、拒絶される「場所」。美緒が目指している女優という「場所」。そして美緒が矯正歯科医を迎え入れる潤った「場所」……。

赤坂真理は『ミューズ』で、「階級と差別」を書きたかったようです(「ダ・ヴィンチ」2000年4月号を参照しました)。しかし、その点では、あまり成功していません。『ミューズ』の主人公は高校生。肉体的にも精神的にも、発展途上なのです。

口のなかに金属があることへの憂うつと、きれいな歯並びになるという希望。その狭間で揺れる美緒は、しだいに矯正歯科医のことを「過去形」で考えはじめます。「今」という時をなかったこととして、「過去」へ押しやろうとするたくましさをみせます。美緒は「今」ある「場所」を踏み出そうとしているのです。

◎感性豊かな『コーリング』

赤坂真理は、既存の小説枠にこだわりません。ストーリーよりも、とことん自分の感性に固執して作品を書きます。またひとつのことを、細かく描きこみます。それはデビュー作『蝶の皮膚の下』(河出文庫)から一貫しています。

ただし『ヴァイブレータ』『ヴァーニュ』(ともに河出文庫)までは、若干の筋立ては存在していました。筋立てとは起承転結のことであり、多くの作家はひたすら「結」に向けて主人公を動かします。ところが赤坂真理はちがいます。主人公がそうした動きを見せないのです。

『コーリング』には、6つの短篇が収載されています。そのなかの「雨」は、400字詰め原稿用紙で10枚足らずの作品です。この作品で、赤坂真理のすべてを説明できます。

主人公「あたし」は、ラクビーボール型のミラーボールが回転する場所にいます。主人公はそこで雨の音を聞きます。厚い防音設備の整った箱のなかで、聞こえるはずのない雨音を聞くのです
 
ナナはそこで、レコードの〈溝〉に針を落とす仕事をしています。「あたし」はナナの〈溝〉を想像します。場面が変わります。マンションかアパートの一室。あたしはヒロキと寝ています。あたしはヒロキに「レコードをかけてよ」と頼みます。ヒロキはそれを無視します。
 
雨が窓ガラスを叩きます。ストーリーを追求する読者には、つまらない作品だと思います。ただし著者の感性と同化したい、読者にはたまりません。こんな描写があります。ちょっと長いのですが引用してみます。

――ナナがペンライトで溝の一本まで読もうとするとき、あたしはナナの溝のことを考えた。そこはあたしの溝のように、深く暗く、温かいだろうか。膝を使ってまさぐることを考え、口づけることを想像した。深い溝と溝とが合わさることを考えた。そこに突起物がないのが、奇妙で自然。耳のうしろが熱くなる。あたしはこんな想像に慣れてない。(本文より)

◎主人公は現代のひずみに共震(ヴァイブレート)
 
『ヴァイブレータ』(講談社文庫新装版)も、紹介させていただきます。タイトルは大人の玩具みたいですが、内容はいたってまじめなものです。デビュー作『蝶の皮膚の下』(河出文庫)は、薬物依存の女性が主人公でした。本書にも買い物やアルコールに依存せざるを得ない、主人公が登場します。

赤坂真理は今にも崩壊しそうな精神や、追いつめられた修羅場を好んで描きます。「ヴァイブレータ」の意味については、著者自身が書いています。
 
――ふたつの極があって、ひとつを極限まで突き詰めると、もう一つの極と共震せずにはいられない。もう一つの極の本質も露わにならずにはいられない。だからある特殊な状況をつきつめることは、普遍に通じる。(「本」1999年2月号より)

主人公は現代のひずみに共震(ヴァイブレート)し、なにかに依存しつつ究極的な形で再生を試みます。多くの小説は現実逃避の手段として、アルコールやドラックやセックスを用います。

赤坂真理の小説も一見そうしたように見えますが、主人公がそれらでは押さえ切れない状態にある点が大きく異なります。『ヴァイブレータ』の主人公・早川玲は、有能な女性ジャーナリストです。
 
――自分自身の思考と幻聴の区別がつかないところまで追いつめられている。しかしそれを認めないまま、化粧品やら薬やら、どんなものの力でも借りて美しさと有能さを保とうとする。(本文より)

そんな瀬戸際に追いつめられた主人公は、コンビニで出会ったトラックの運転手と数日間の旅をします。主人公はトラックのなかを、男の胎内みたいだと思います。この表現で、しばし考えこんでしまいました。女の胎内ならわかりますが、「男の胎内」と表現されている意味は、なんなのでしょうか。
 
――そこは男の胎内のような場所だと思った。飾りがなくて、でも居心地がよく、柔らかくて暖かい。(中略)この部屋は、彼の体であたしの心。(本文より)

主人公はトラックの飾り気のない運転席を、男の温もりと感じています。では、それにつづく「あたしの心」とはなんなのでしょうか。そこがわかりません。「あたしが求めるところ」となっていればすんなりと先に進めました。赤坂真理は前作でも、私の読書に待ったをかけています。一見、きれいに流れているような文章を、独立させてみるとつながりません。つぎの箇所もそうです。
 
――走り出すとまた風景がめくるめく変わって、それは風景が自分の表面からたえず引き剥がされていくようで、体液のしみ出た擦傷をこすられ続けるみたいに、体の表皮がいつまでたっても形成されない感じで、外の空気に対する防御がない。体の表面に、ふしぎな過敏さと鈍さとが同居しはじめる。(本文より)

最初のセンテンスは、わかりやすいものです。「風景が変わる」のは、トラックが走っているから当然です。次のセンテンスもわかります。難しいのはそこから先です。外に向かっていた著者の視点が、突然内面に変わります。「自分の表面から、風景が剥がれ落ちる」のです。ここでも「自分の内面」ではないことに注目したいと思います。

そして「外の空気に対する防御がない」と結ばれます。流し読みができないのが、赤坂真理です。くり返しになりますが、赤坂作品の魅力は、細部へのこだわりです。そのことについて、著者自身が阿部和重との対談で、つぎのように語っています。

――「資料はよく読む。もともと文学の本を読むより、自然科学の本を読むほうが好きだったの。(中略)あと、スペックオタクと関係するのかな。たとえば銃があったとすると、撃鉄が弾の後ろを叩いて、火薬が爆発して推進力が与えられその推進力にスピンが加えられることでまっすぐ前に、その間薬莢が排泄され……、とかいうのが好きなの。」(「文藝」1999年春号)

むむむ、というしかありません。
(山本藤光:2010.10.29初稿、2018.02.28改稿)
 

浅田次郎『鉄道員(ぽっぽや)』(集英社文庫)

2018-02-26 | 書評「あ」の国内著者
浅田次郎『鉄道員(ぽっぽや)』(集英社文庫)

娘を亡くした日も、妻を亡くした日も、男は駅に立ち続けた…。映画化され大ヒットした表題作「鉄道員」はじめ「ラブ・レター」「角筈にて」「うらぼんえ」「オリヲン座からの招待状」など、珠玉の短篇8作品を収録。日本中、150万人を感涙の渦に巻き込んだ空前のベストセラー作品集にあらたな「あとがき」を加えた。第117回直木賞を受賞。(「BOOK」データベースより)

◎『鉄道員(ぽっぽや)』のモデルを探る

 テレビをみていたら、ニュース速報がながれました。俳優・高倉健の訃報でした。このニュースに接して、どうしても高倉健が演じた浅田次郎『鉄道員(ぽっぽや)』(集英社文庫)の書評を発信したくなりました。

浅田次郎についてはすでに『壬生技士伝』(上下巻、文春文庫)を紹介ずみです。したがって「日本の現代文学125+α」の、「α枠」で発信することにしました。1著者1作品の原則は、曲げられませんので。

『鉄道員』には、8つの短編が収載されています。話題は表題作「鉄道員」に集中しがちですが、「角筈にて」と「うらぼんえ」も秀逸です。この作品集は、ぜひ最後まで読んでもらいたいと思います。ただし電車のなかなど、人前では絶対に読まないでください。ハンカチは必需品です。

 暇なある日、『鉄道員』のビデオをみてしまいました。失敗でした。その後必要があって、再読することになりました。降りしきる雪のなかを、疾走してくる黒い物体(気動車だから黒くなかったかも)が浮かんでしまいます。黒と白の世界に、ぼんやりと赤と黄色の帽子の線もみえます。活字から、色がにじみ出てくるのです。そして精悍な高倉健の顔まで……。

 舞台は廃線がきまっている、北海道のローカル線・幌舞駅。主人公の佐藤乙松は、もうすぐ定年を迎える幌舞駅の駅長です。乙松は妻子が死んだときにも、職場を離れませんでした。仕事一途な鉄道員(ぽっぽや)なのです。

 そんな老駅長の前に、ひとりの少女が現われます。少女は2歳で死んだ娘が生きていた場合と、同じくらいの年頃でした。廃線と定年。純白な雪と黒い塊。死と生。仕事と家族。父と子。現実と夢。これらの対(つい)の世界が、みごとに溶け合います。『鉄道員』は原稿用紙に描いた、完璧なアートだったのです。

 私のペンネーム・標茶(しるべちゃ)というのは、北海道の釧網線の真ん中にある町からいただいています。本当は「しべちゃ」と読みます。父親はそこの助役でした。私は高校卒業まで、線路脇の鉄道官舎で育ちました。それゆえ浅田次郎の描く世界には、特別な思いで感情移入してしまいます。

 私なりに、『鉄道員』の舞台を検証してみたいと思います。舞台を特定するために、いくつかの抜粋を試みてみます。浅田次郎は、空想のなかの舞台だといっています。

――美寄駅へのホームを出ると、幌舞行きの単線は、町並みを抜けるまでのしばらくの間、本線と並走する。/18時35分のキハ12は、日に三本しか走らぬ幌舞行きの最終だ。/終着駅の幌舞は、明治以来北海道でも有数の炭鉱の町として栄えた。/21・6キロの沿線に6つの駅を持ち、本線に乗り入れるデゴイチが、石炭を満載してひっきりなしの往還したものだった。/トンネルの円い出口の中にすっぽりと、幌舞の駅が現れる。/(幌舞駅の)駅舎が死体で一杯になった炭鉱事故、機動隊がやってきた労働争議。(本文より)
 
 作品の中では「幌舞駅は大正時代に造られ」ており、「駅舎が死体で一杯になった炭鉱事故」や「機動隊がやってきた労働争議」の舞台となっています。

 この記述から、北海道の実際の舞台を考えるのはやさしいことです。北海道で起こった大きな炭鉱事故で死者が百人を越え、しかも大正時代以降に照準を合わせると、「大正元(1912)年4月29日、夕張炭鉱ガス爆発・死者267人」以降4回を数えます。

 一方、労働争議では、大正10年2月夕張炭鉱で賃下げをめぐってストライキ。これは間もなく解決しましたが、同年7月にストライキの事後処理をめぐって、夕張騒乱事件が発生しています。鉱夫と警官隊が衝突。大乱闘となっているのです。

 したがって「幌舞駅」のモデルは、現「夕張駅」であろうと推察できます。ただし夕張駅から廃線になった路線は見つかりません。

『鉄道員』のタイトルの脇には、『ぽっぽや』とルビがふってあります。これが実に効いています。鉄道員のタイトルではサラリーマンぽいのですが、ぽっぽ屋にはプロの匂いがします。
 
 浅田次郎はこの作品で、第174回の直木賞を受賞しました。浅田次郎は『週刊文春97・7・31』のインタビュー記事で、こう語っています。

――『蒼穹の昴』を脱稿して中一日で、「鉄道員」と「悪魔」という二つの短編に取りかかった。以後、ほぼ毎月一本というペースで各誌に書いているうちに自分は短編小説にも向いているのではないかと思いはじめて、出来上がったのが『鉄道員』なんです。ですから自分としてはこれまでの作品の二番煎じではなくて、新しい試みが評価されて嬉しかったんです。(本文より)

 これは実感だと思います。『鉄道員』は著者自身が語っているように、浅田次郎の新たな出発点となりました。浅田次郎は、いくつもの引きこみ線をもっています。本線は何? と問われたら「人情もの」と答えるしかないのですが。

――「ガラス張りのリゾート特急が、一両だけのキハ12型気動車をゆっくりと眺め過ごすように追い抜いて行く。(本文より)

 これまでの作品が『キハ12型気動車』なら、これからの作品は『ガラス張りのリゾート特急』なのかもしれません。浅田次郎はこれからも、新しい世界に誘ってくれそうです。

◎ちょっと寄り道

 浅田次郎のエッセイのなかに、映画「鉄道員」の舞台裏について書かれているものがあります。著者が映画について語っている、ユニークな箇所を紹介したいと思います。

――制作費は8億5千万円。作品のイメージに合った駅が、今となっては実在しないんで、駅舎を作っちゃった。さらに、ディーゼル機関車を1両まるごと昔の色に塗り替えたり、廃車の運転台だけをどこかから探し出してきて、それを撮影に使ったんだそうです。/私の小説のファンばかりではなく、鉄道ファンや旧国鉄関係の方々にとっても、たまらない作品になりました。(浅田次郎『絶対幸福主義』徳間書店・初出2000年、徳間文庫・アマゾン書評4件)

『鉄道員(ぽっぽや)』につづく浅田作品で、もういちど高倉健をみたかったと残念に思います。浅田作品は、高倉健の面影ばかりを描いているように錯覚してしまします。本稿は「現代日本の文学125+α」の「+α」として紹介させていただきました。
(山本藤光:2009.06.07初稿、2018.02.26改稿)