山本藤光の文庫で読む500+α

著書「仕事と日常を磨く人間力マネジメント」の読書ナビ

服部真澄『骨董市で家を買う』(中公文庫)

2018-03-11 | 書評「は」の国内著者
服部真澄『骨董市で家を買う』(中公文庫)

「古民家売ります」骨董市でみつけた一枚の貼り紙。それがすべての発端だった…!? 怪しい骨董商のみちびきで、福井の廃屋に一目惚れした著者は、東京下町に移築を決意。しかし、肝心の骨董商が宗教にハマり、あげくの果てには雲がくれ。きまじめな建築士と職人たちが日々材木と格闘するも、遅れに遅れる工期、足りない予算―次々に迫る困難をくぐり抜け、理想の家を求めた女流小説家が描き出す痛快ノンフィクション。(「BOOK」データベースより)

◎すさまじい古民家の移築 

家は人生最大の買い物だといわれます。29歳のときに、借家を探しに不動産屋へ行ったことがあります。案内の途中で不動産屋は「ちょっとウチの建築現場に寄らせてください」といって、新築中の現場に車を停めました。
東南の角地の家が、何とも魅力的でした。借家の手数料を渡して、「この家を買いたい」と告げました。家へ戻って家内に、「新築の家を買ってきた」と伝えました。もちろん烈火のごとく怒られました。
こんなしょぼい話ではなく、服部真澄『骨董市で家を買う』(中公文庫)は、すさまじい物語です。本書の入手は難しいでしょうが、興味があれば探してください。

「文庫で読む500+α」の「知・教養・古典ジャンル125+α」のリストを作成していて、大切な一冊を漏らしていたことに気づきました。それが今回取り上げる『骨董市で家を買う』です。

服部真澄はテビュー作『龍の契り』(新潮文庫、初出1995年)で注目を集めました。その後『鷲の驕り』(祥伝社文庫、初出1996年)『ディール・メイカー』(祥伝社文庫、初出1998年)と長編を連発しています。『龍の契り』は難解すぎて、途中で放棄していました。
 それ以来、服部真澄は読んでいません。『骨董市で家を買う』は、タイトルのユニークさに魅せられ、ずっと以前に読みました。本稿はPHPメルマガ「ブックチェイス」に掲載されたものに、加筆修正しています。改稿にあたり再読しましたが、まっしぐらな執念がまた伝わってきました。

◎ノンフィクションを越えている

骨董市で、田舎の民家が売られていました。この作品はそれを買ってしまって、東京都品川区へ移築する話です。作品の中にふんだんに使われている写真から、これは実話と断言できます。
 語り手は著者自身ではなく、夫になっています。夫の視点から妻の奮戦ぶりが語られていることで、作品に一種独特の味つけがなされています。もし一人称で書かれていたら、この作品はつまらないものになっていたと思います。

 暴走する妻に対して、夫は呆れたりなだめたりを繰り返します。ユーモアあふれる文章と、夫のとぼけた味がマッチしています。これはノンフィクションを越えた、立派な文芸作品です。それほど、語り手を夫にしたことが、成功しています。書き出しが光っています。

――「骨董市に行こうと思うの」/カミさんがまた、突拍子もないことをいい出した。/週末である。休みである。ぼくは、できたら久しぶりに、ソファに寝そべって、読書でもしていたかった。ところが、あいつは、出かけようという。(本文より)

 骨董市の開かれている平和島へ向かうモノレールの車中で、夫は妻に「何を買うの?」と質問します。返ってきた答えは「家」という短いものでした。作品はここから一気に動き出します。
 
まずは骨董市で、古民家の写真を物色します。そして実際に福井県まで出かけて行きます。購入・解体・移築と、著者が次第にのめりこむ様子が手にとるようにわかります。作品に登場する骨董屋・工務店・棟梁・建築家など、その道のプロの心意気もわかりやすく描かれています。
 
――古民家の材は・手斧で削ったために表面がでこぼこしていたり、材料自体が曲がっているものも多い。そのぶん、穴を空けるのでも、表面を合わせるのでも、複雑な計算と緻密な加工が必要で、いちいちが手間なのだ。/聞いているだけでも、目眩がしそうだった。野太い材料の山を目前にして、ぼくは、「これは、格闘技じゃないか! 」と、彼らの苦労を実感していた。(本文より)

 予算がオーバーしはじめます。工期は延びに延びます。職人たちは手抜きをしません。著者も次第にのめりこみはじめます。鍛鉄(たんてつ)作家に直接依頼するくだりは圧巻です。

――「照明を……二点か三点。それに……建具の把手を、二組くらい作っていただきたいと思ってます」/どっしりとした無骨な家には、鉄の重い質感が合う、と、やつは考えていて、建具のいくつかに、鉄の把手をつけてみたいというのだ。(本文より)

 本書について岸本葉子が著作で、次のように書いています。

――ほんとうに自分の好きな家を建てるには、かくも格闘技並みのエネルギーを要するとは、変わったプロジェクトにかかわる仕事師たちだから、登場人物も、やたら個性的。予想外の事件の連続で……と書くとなんだか小説のようだが、まさに息を継がせぬ展開なのだ。(岸本葉子『本がなくても生きていける』講談社文庫P51)

 冒頭に書きましたが、家を建てるのは人生の最大のイベントです。あっさりと買い求めた服部家に巻き起こった惨劇を、笑いながら、ときには微笑ましく思いながら、ご堪能ください。
山本藤光1999.02.05初稿、2018.03.11改稿

葉山嘉樹『セメント樽の中の手紙』(角川文庫)

2018-03-07 | 書評「は」の国内著者
葉山嘉樹『セメント樽の中の手紙』(角川文庫)

ダム建設現場で働く男がセメント樽の中から見つけたのは、セメント会社で働いているという女工からの手紙だった。そこに書かれていた悲痛な叫びとは…。かつて教科書にも登場した伝説的な衝撃の表題作「セメント樽の中の手紙」をはじめ、『蟹工船』の小林多喜二を驚嘆させ大きな影響を与えた「淫売婦」など、昭和初期、多喜二と共にプロレタリア文学を主導した葉山嘉樹の作品計8編を収録。ワーキングプア文学の原点がここにある。(「BOOK」データベースより)

◎小林多喜二らに大きな影響

葉山嘉樹『セメント樽の中の手紙』(角川文庫)は、2008年に角川文庫から復刊されました。葉山嘉樹作品のほとんどは、「青空文庫」でダウンロードして読んでいました。今回「山本藤光の文庫で読む500+α」で紹介したくて、文庫本を購入してきました。
 
葉山嘉樹は小林多喜二らに大きな影響を与えた、プロレタリア文学作家です。現在書店で入手可能なのは、『セメント樽の中の手紙』(角川文庫)『海に生くる人々』(岩波文庫)『淫売婦/移動する村落』(岩波文庫)の3冊です。『淫売婦/移動する村落』のなかには「セメント樽の中の手紙」が所収されています。

角川文庫『セメント樽の中の手紙』には、処女作「牢獄の半日」(1924年発表)や「淫売婦」などの短篇8作品が所収されています。
 
葉山嘉樹は早稲田大学高等予科に進学し、学費未納で除籍されています。その後貨物船の船員、セメント工場作業員などを経て、労働争議に関心を示すようになります。1923年名古屋共産党事件で検挙、投獄されます。獄中で書いたのが「淫売婦」や「海に生くる人々」でした。

『海に生くる人々』に影響を受けて、小林多喜二は『蟹工船』を執筆しています。プロレタリア文学の新時代を築いたとされるこの作品は、『蟹工船』の読者なら読んでいただきたいと思います。
日本のプロレタリア文学は、青野季吉や蔵原惟人を先達としてあげられています。葉山嘉樹『海に生くる人々』は、2人の思想を具現化した作品としても高い評価をうけています。
 
プロレタリア文学とは、大正末期から昭和初期に隆盛した。簡単にいえば階級闘争の手段として、マルクス主義を文学作品で表現しようという運動です。辞書的な解説によると、つぎのようになります。
 
――階級的、政治的立場に立ち、社会主義ないし共産主義に基づいて現実を描く文学、および運動をいう。(中略)代表的作家に、葉山嘉樹、黒島伝治、小林多喜二、徳永直、平林たい子らがいる。(「ブリタニカ国際大百科事典」より)

◎恋人はセメントになりました

「セメント樽の中の手紙」は、文庫本でわずか6ページの短篇です。ものがたりを紹介しようにも、短すぎて全文を書き写してしまいかねません。セメント樽をあける仕事をしている労働者が、樽のなかから1通の手紙を発見します。それだけではタイトルそのままをなぞっているだけではないか、と叱られそうです。でもそれだけの話なのです。

セメント樽のなかに入っていた手紙は、セメント工場で働く女工が書いたものでした。手紙の全文は写せませんが、おおよそこんな内容です。

――私の恋人はセメントになりました。私はその次の日、この手紙を書いて此(この)樽の中へ、そうっと仕舞い込みました。/あなたは労働者ですか、あなたが労働者だったら、私を可哀相だと思って、お返事下さい。/此樽の中のセメントは何に使われましたでしょうか、私はそれが知りとう御座います。(本文P10より)

こんな手紙を読んだあなたなら、どのような対応をするでしょうか。主人公の松戸与三は、毎日ヘトヘトになるまで働いています。唯一の楽しみは、仕事のあとの一杯です。家には6人のこどもがいて、7人めが妻のお腹のなかにいます。
 
手紙をもち帰った松戸与三の反応に、注目してもらいたいと思います。本書に関する文壇での位置づけを確認しておきます。
 
――大正15(1926)年発表の葉山嘉樹『海に生くる人々』は、労働文学の総仕上げで同時に次のプロレタリア文学の最初の輝かしい記念碑であった。(「新潮日本文学小辞典」より)

私は「プロレタリア文学」が好きです。ただし前記のように文学作品を、階級闘争の手段に用いられた時代があります。「大正期の文学は私小説や心境小説が主体であり、人間認識・社会認識に立ったプロレタリア文学は異彩を放っていた」(松原新一・磯田光一・秋山駿『戦後日本文学史・年表』講談社)とあるように、人間臭いところが好きなのだと思います。
 
葉山嘉樹『海に生くる人々』(岩波文庫)については、いずれ「+α」でとりあげたいと思います。青空文庫で無料ダウンロードも可能です。ぜひ読んでください。
(山本藤光:2010.05.21初稿、2018.03.07改稿)


馳星周『不夜城』(角川文庫)

2018-03-06 | 書評「は」の国内著者
馳星周『不夜城』(角川文庫)

新宿・アンダーグラウンドを克明に描いた気鋭のデビュー作! おれは誰も信じない。女も、同胞も、親さえも…。バンコク・マニラ、香港、そして新宿―。アジアの大歓楽街に成長した歌舞伎町で、迎合と裏切りを繰り返す男と女。見えない派閥と差別のなかで、アンダーグラウンドでしか生きられない人間たちを綴った衝撃のクライム・ノベル。(「BOOK」データベースより)

◎坂東齢人のころ

『本の雑誌』の創刊号からの愛読者です。もちろん」、その雑誌の書評欄を担当していた、坂東齢人の名前はよく知っています。しかしそれが馳星周と同一人物であることは、しばらくはわかりませんでした。

坂東齢人はハードボイルドを中心として、毎回辛口の書評を展開していました。そんな坂東がなぜ、自ら作品を書きはじめたのか。『不夜城』の誕生を、彼自身が『バンドーに訊け』(坂東齢人著・文春文庫、初出1997年)のなかで、次のように書いています。

――坂東齢人が馳星周になって『不夜城』を書くにいたった道筋というものが、おぼろげに見えてくる。アンドリュー・ヴァクス→花村萬月→梁石日→ジェイムズ・エルロイ。なるほどぼくは、自分が見つけた道を清く正しく真っ直ぐ歩んできたのである。(本文より)

残念なことにこれらの小説家は、花村萬月(「山本藤光の文庫で読む500+α」推薦作『ゲルマニウムの夜・王国記1』文春文庫)しか読んだことはありません。花村萬月を一言で説明するなら、不器用な登場人物の不器用な愛と暴力物語作家となるのでしょう。

本人が書いているように、馳星周はまさしくこの領域に割って入りました。『不夜城』は書評人・坂東齢人が、徹底的に書評されることを意識して書かれたものです。

◎金と嘘と裏切り

物語の舞台は、新宿歌舞伎町です。主人公はケチな日台混血の古買屋の劉健一(リウジェンイー)。登場人物は歌舞伎町に暗躍する中国人組織。台湾マフィア。北京のチンピラ。おカマに情婦……。眠らない歌舞伎町に、うごめく利害関係と利権争いの舞台をいろどるにふさわしい面々です。

馳星周はこれらの登場人物を、微妙な糸で結びます。結ばれている糸が「信頼」を表すとしたら、どれもがすぐにでもちぎれそうに張り詰めています。さっきまで結びついていた糸が、いつの間にか違うところにからみついていたりします。

馳星周は実に巧みに糸をかけかえ、糸を解き放ちます。緊張と弛緩。からみ合う糸。それらを短いセンテンスの文章と、会話で表現します。
 
――待つことは苦痛じゃない。孤独を感じることもない。おれは一個の完結した存在なのだ。泣き事をいっていいのは、堅気だけだ。おれは泣き事をいわない代わりに、堅気から金をかすめとる(本文より)

――「おまえは狡賢い。兵士としては最低だが、参謀としてならそれなりに才能を発揮するタイプだ」/「誉めてるのか?」/「おれは勇敢な兵士が好きだ」/腰に押しつけられた銃口の圧力が強くなった。(本文より)

生き残りをかけて、金と嘘と裏切りがはびこる世界。劉健一はそんな世界を、器用に泳いでいました。しかし突然かっての相棒だった呉富春(ウーフーチュン)が歌舞伎町に戻ってきます。その時点から、劉健一の世界が一変します。同じころ、夏美という正体不明の女とかかわります。女の存在がストーリーの展開に、微妙なあやをつけます。

『不夜城』は、花村萬月の著書『笑う山崎』(祥伝社文庫、初出1994年)『皆月』(講談社文庫、初出1997年)に匹敵する傑作です。馳星周がねらったとおり、ベストセラーにもなり、映画化もされました。
(ここまでは1998年5月 9日・PHP研究所「ブック・チェイス」掲載)

◎小説はおもしろくなければならない

書評家・坂東齢人はチャンドラーの流れをくむ、ハードボイルドに違和感を覚えていました。そして好んで読んでいた花村萬月や梁石日のような世界を、みずから描く道を選びました。『不夜城』から3年。ますます磨きがかかった馳星周は、『M(エム)』(文春文庫)にて更に変身してみせました。

馳星周は藤沢周との対談で、次のように語っています。

――主語も何もかも省きたいと思うときがありますね。(中略)ただ、なるべく簡潔に、簡潔にしたいと思います。(『文藝別冊』1998年8月号)

馳星周は、文体にこだわりをもっています。そして何よりも書評家の経験から、読者が喜ぶ作品を仕上げようとしています。『M(エム)』は簡潔な文章どころか、これまで一貫して描いてきた暗黒街まで削ぎ落としてしまいました。

『M(エム)』には、一連の作品に見られる暴力場面はありません。殺し屋もアウトサイダーも、登場しません。『M(エム)』に収載されている4つの作品は、いずれも倒錯した性を描いたものです。

表題作「M(エム)」の主人公・稔は父親を刺殺し、母親の妹を孕ませて自殺に追いやっています。少年鑑別所を出て、今は勤労学生としてアルバイトをしています。
アルバイト先の先輩に誘われて、SMクラブを体験します。はじめは仕方なしに行ったSMクラブでしたが、そこで知り合ったまゆみとのSMプレーに溺れます。まゆみの昔話に、自分の過去が重なります。

文芸評論家時代の、馳星周の文章を拾ってみます。
 
――花村萬月『夜を撃つ』(廣済堂出版)について。「最近の萬月は暴力よりも性をとおしての濃密なコミニュケーションにより比重を置いているのか、セックス・シーンがやたらと多い。(中略)これで、性描写と同じほど濃密なストーリーがあれば、言うことなし。

――藤沢周『刺青』(河出書房新社)について。「人間の魂の暗黒と虚無と紙一重の絶望を描く小説により魅かれてしまうのは、結局はその切実さとどこかグロテスクな美しさが、すべての肯定的なものを蹴散らして迫ってくるからだ。

馳星周は好意的に読んできた、花村萬月や藤沢周を超えようとしています。大好きだった香港のスーパースター・周星馳をもじった名前が、輝きを増してきました。

最近では直木賞候補にも、名を連ねるようになりました。成熟した作家・馳星周は、書評家時代の初心を大切にしています。小説はおもしろくなければならない。
(山本藤光:1999.12.11初稿、2015.03.06改稿)

畑村洋太郎『失敗学のすすめ』(講談社文庫)

2018-03-05 | 書評「は」の国内著者
畑村洋太郎『失敗学のすすめ』(講談社文庫)

世界の三大失敗をご存知だろうか。タコマ橋の崩壊、コメット飛行機の墜落、リバティー船の沈没…。これらは人類に新たな課題を与え、それと向き合うことで我々はさらなる技術向上の機会を得た。一方日本では、JCO臨界事故、三菱自動車のリコール隠し、雪印の品質管理の怠慢など、失敗の隠匿がさらなる悲劇を引き起こした。(内容説明より)

◎失敗体験が成功へ導く

畑村洋太郎は1941年生まれの失敗学の提唱者です。私は今回紹介させていただく『失敗学のすすめ』(講談社文庫)と『失敗学の法則』(文春文庫)を読んでいます。
失敗については、昔から「失敗は成功のもと」などという言葉がありました。それを学問の領域にまで押し上げたのが畑村洋太郎です。企業にはリスクマネジメントを担う部門があります。失敗から学び、大事故や大惨事を防ごうとのねらいです。勤めていた会社には、実際に「ヒヤリ・ハット事例集」などが存在していました。
私が関与した名人芸移植プロジェクト(SSTプロジェクト)では、ベストプラクティス(成功例)とともに、「ヒヤリ・ドキット」した事例を集めていました。
優秀な営業マンの成功例は、平均的な人には容易にマネができません。しかしヒヤリ・ドキットの方は、参考になる事例が豊富にあります。

優秀な営業マンほど、たくさんの失敗をしています。その積み重ねが経験となり、のちの活動に活きてきます。失敗のない営業マンは、絶対に一流にはなれません。

――失敗の特性を理解し、不必要な失敗を繰り返さないとともに、失敗からその人を成長させる新たな知識を学ぼうというのが、「失敗学」の趣旨なのです。別のいい方をすれば、マイナスイメージがつきまとう失敗を忌み嫌わずに直視することで、失敗を新たな創造というプラス方向に転じさせて活用しようというのが、「失敗学」の目指すべき姿です。(畑村洋太郎『失敗学のすすめ』講談社文庫P28)

◎失敗を怖れず挑戦したい

 失敗学について畑村洋太郎は、2つのキーワードで説明しています。

――「失敗学」における「失敗」は、(中略)「人間が関わってひとつの行為を行ったとき、望ましくない結果が生じること」とすることができます。「人間が関わっている」と「望ましくない結果」のふたつがキーワードです。(畑村洋太郎『失敗学のすすめ』講談社文庫)

 行為の結果について、成功と失敗が両端にあるとするならとの観点から、江坂彰との対談で河合隼雄はユニークな認識を示しています。

――河合隼雄と対談したとき、「心の中の勝負はほぼ五十一対四十九であり、またそれでいいのじゃないか。百点満点の人生なんてつまらん」といわれた。貴重なことを教えてもらった。(江坂彰『わが座右の徒然草』PHP文庫P193)

 何かをなさそうとすれば、試行錯誤で挑戦します。したがって、河合のいうことが腑に落ちます。

コーチングで有名な榎本英剛は、部下の失敗について上司はかくあるべきと書いています。

――「彼はよく失敗するので信頼できない」という言い方は、「失敗」という部下の行為の結果と、「失敗できない」という部下の本質とを一緒にしてとらえてしまっています。ところが、「彼がいくら失敗しても、私は彼を信頼する」という言い方は、この両者を切り離してとらえているわけです。(榎本英剛『部下を伸ばすコーチング』P61・PHP研究所)

失敗学って、とても奥の深いものです。『失敗学のすすめ』には、企業のリスクマネジメントに関する記述もたくさんあります。失敗とは何か。失敗をどう活かすのか。そんなニーズの方は、企業向けのページを飛ばして読んでください。日常のなかの「失敗」から、学ぶことはたくさんあります。失敗を怖れずに挑戦したい、と思っている方には本書は最適な指南書です。

◎代打、川藤(元阪神プロ野球選手)

青島健太の著作のなかに、川藤(元阪神プロ野球選手)についてのおもしろい記載がありました。引いておきます。

――ご存知「球界の春団治」こと、阪神の川藤幸三さん。阪神ファンのあいだでは、いまでも抜群の人気を誇っている。その川藤さんに「代打の心得」について尋ねてみたことがある。
「そんなもん簡単な話や。代打でいってカーンと打って成功したら、ワシのおかげや。もし打てずに失敗したら、この場面でワシを使った監督が悪い。そう思ってやっとった。まぁそんぐらいに思ってやらな、こな仕事はやってられんで」(青島健太『長嶋的、野村的・直観と論理はどちらが強いか』PHP新書P160)

不思議なもので、失敗ばかりに言及した本で、とてつもない「元気」をもらいました。こうすれば成功する本がわんさとあるなか、本書は真逆の立ち位置から書かれたものです。読後感がさわやかで、読んで失敗したと思わせない良書です。
山本藤光2017.12.24初稿、2018.03.05改稿

原宏一『かつどん協議会』(集英社文庫)

2018-02-25 | 書評「は」の国内著者
原宏一『かつどん協議会』(集英社文庫)

かつどんにとって最も重要なものは何か。豚肉、卵、ご飯、玉葱―具材それぞれの代表者たちが、かつどんへの愛と名誉のためにバトルを繰り広げる「会議」の顛末とは?表題作他、政治をくじで決めようという理論が巻き起こす騒動を描く「くじびき翁」、当事者に代わって最良の謝罪をする「謝罪士」の活躍を描く「メンツ立てゲーム」を収録した、新奇想小説の旗手・原宏一のデビュー作品集。(「BOOK」データベースより)

◎原宏一をとことん応援する

原宏一にかんする資料は、ほとんどありません。通常は新聞や雑誌の切り抜きでぱんぱんになるファイルですが、「鳩よ:小説家への道2」(マガジンハウス)とメモがあるだけです。これが手もちのなかで、唯一の原宏一関連資料掲載本ということになります。しかたがありませんので「ウィキペディア」にたよることにしました。以下一部の引用です。

――1997年、「かつどん協議会」で作家デビュー。その後も執筆を続けて作品を発表し続けるも芽が出ず、いつも初版止まりだった。才能の無さを感じ、2007年に一度作家を辞める決心をする。資料なども処分したが、その1か月後、1999年発表の『床下仙人』(祥伝社文庫)が有隣堂ルミネ町田店の書店員の目に止まって店頭にPOPを掲げられたことをきっかけに売れ始め、初の増刷が決定。(ウィキペディア)

原宏一は1954年生まれですから、60歳になったかなろうとしている年齢です。残念ながら『床下仙人』以降もヒット作はありません。私はデビュー作『かつどん協議会』(集英社文庫)で、がぜん原宏一に注目した一人です。清水義範のデビュー作『蕎麦ときしめん』(講談社文庫、「山本藤光の文庫で読む500+α」推薦作)をほうふつとさせてくれるほど、笑いながら読みました。第2作『こたつ』(ベネッセ、文庫なし)でもおおいに笑いました。

『かつどん協議会』には表題作をふくめて3篇、『こたつ』には2篇が収載されています。わたしは表題作には高い評点をつけましたが、残る3篇はまったく評価できませんでした。ちょっとしたアイデアだけで書いている、底の浅い作品。それが×印をつけた3篇にたいする印象でした。しかし「かつどん協議会」と「こたつ」については、しっかりとPHP研究所メルマガ「ブックチェイス」に書評を書いています。60歳がんばれとのエールをこめて、再録してみます。

(引用はじめ)
◎思わず笑ってしまいました
原宏一『かつどん協議会』(ベネッセ。1997年5月発売)

「なにかおもしろい本を紹介してください」と質問されると、これまでは筒井康隆(推薦作『家族八景』新潮文庫)と清水義範(推薦作『蕎麦ときしめん』講談社文庫)の作品を薦めていました。最近では自信をもって、原宏一を追加できるようになりました。
 
原宏一は1997年、『かつどん協議会』(集英社文庫)でデビューしています。おおいに笑わせてくれました。こんな世界がまだ残されていたのかと、驚愕させられたデビュー作でした。原宏一は題材にした対象物を、執拗に描きます。たとえばこんな具合です。
 
――かりりと揚ったとんかつに、さくりと心地よい音を響かせ包丁を入れ、しゃりりと切り口もみずみずしい玉葱を甘辛のつゆでさっと煮立て、とろりと半熟の卵でとじる。ほかほかごはんを金糸模様もあざやかな丼にこんもりと盛り、ひょいとかつとじ煮と合体させたら、ぱらりと三つ葉でも散らしてふたをする。(本文より)

かつどんの作り方をこうまで執拗にに描写したら、なにか崇高な食べものみたいになります。たまたま、ほんの一ヶ所を引用しましたが、万事がこの調子なのです。なんでもないなにかを、とことん見つめて、ときには直球で、ときには変化球で勝負を挑む。原宏一の作品には、つぎはどの球でくるのかな、といった楽しみがあります。
(引用おわり「Book chase」1998年2月15日号より)

(引用はじめ)
◎第2作『こたつ』にも笑いました
原宏一『こたつ』(ベネッセ、1998年1月発売)

 原宏一は、第2作『こたつ』(角川文庫)でもやってくれました。今度は題材が「こたつ」です。それも「こたつ道」の話です。同棲していて結婚しょうとした相手が、金沢のこたつ道総本家の跡取りでした。結婚するためには、「こたつ道」をきわめなければなりません。

――小器用に回し終えた布団を掛けたところで『入り』となる。/『入り』には、全部で六つの手順がある。まず、座例。こたつに相対して居ずまいをただし、いまこうして温もりをいただける幸せに感謝の礼を捧げる。続いて座礼の姿勢のまま、挨拶。/「おこた、いただき申す」/謹んで、しかしながら毅然として態度で宣言したところで、めくり……。
(後略、本文より)

なんでもありの世界を、原宏一はみごとに創りだします。ただし前作『かつどん協議会』も『こたつ』も<組織>におもしろみがありません。対象物をあれほど巧みに描く著者なのですから、組織とそのなかの個人もにも命を与えてほしいものです。

「こたつ道」という奇妙な「道」は、読んでいて吹きだすくらいの楽しさでした。一方、主人公が修行する分家と総本家の亀裂や、こたつ道の歴史・由来が伝わってきません。 対象物の描写と同様に、ぎくしゃくとした<組織>にも笑ってみたいものです。
(引用おわり「Book chase」2000年10月9日号より)

 原宏一の作品は、対象物の加工をちょっと誤ると、ひとりよがりの食えない料理になってしまいます。失敗と成功をくりかえしながら、原宏一は大化けするような気がします。『床下仙人』は、わたしもおもしろく読みました。
 
『かつどん協議会』を、「山本藤光の文庫で読む500+α」の「日本現代文学ジャンル125+α」作品として、私は胸をはって「めしあがれ」と読者にさしだしたいと思います。このジャンルは若手がどんどんはいりこんできます。消えるのか、新たな作品で食いこむのか、私の大化けの期待にこたえてもらいたいと思います。 
(山本藤光:2009.11.07初稿、2018.02.24改稿)

花田清輝『復興期の精神』(講談社文芸文庫)

2018-02-20 | 書評「は」の国内著者
花田清輝『復興期の精神』(講談社文芸文庫)

独創的かつ大胆な発想とレトリックを駆使、ルネッサンス期に生きたレオナルド、ルター、更にポー、ゴッホら二十二人の巨人達を俎上に載せ、滅亡に瀕した文化の再生の秘密を探る。戦時下、自由な言論が窒息するなかで書き継がれた本書には、目前に迫る滅びから必死の反撃を試みんとする比類のない抵抗精神と、生涯を貫く「近代の超克」への強烈な意志が凝縮している。花田清輝の代表作にして古典的名著。(「BOOK」データベースより)

◎楕円のレトリック

大学時代の私は、超貧乏学生でした。そんな私ですがアルバイトをしながら、『花田清輝著作集』(全7巻、未来社)を揃えました。卒論が安部公房だった関係で、どうしても避けて通れない人だったのです。安部公房は花田清輝を尊敬していましたし、大きな影響を受けています。

『復興期の精神』(講談社文芸文庫)は、1946年に発行されています。実質的には第2評論集なのですが、この著作で一躍脚光を浴びたので、デビュー作ととらえられています。幻の名作といわれた処女評論集『自明の理』は、学生時代ずっと入手できませんでした。それが1977年に『花田清輝全集』(全15巻+別巻2巻、講談社)が刊行され、第2巻「復興期の精神」に所収されたのです。

戦時中の花田清輝について、書かれた坂口安吾の文章があります。紹介させていただきます。坂口安吾は花田清輝『復興期の精神』が誤読されるのを恐れて、つぎのように書いています。

――ファンタジイを見るのみで、彼の傑れた生き方を見落してしまふのではないかと怖れる。彼の思想が、その誠実な生き方に裏書きされてゐることを読み落すのではないかと想像する。(坂口安吾『花田清輝論』青空文庫より)

そしてつぎのようなエピソードを紹介しています。

――彼は戦争中、右翼の暴力団に襲撃されてノビたことがあつた筈だ。戦争中、影山某、三浦某と云つて、根は暴力団の親分だが、自分で小説を書き始めて、作家の言論に暴力を以て圧迫を加へた。文学者の戦犯とは、この連中以外には有り得ない。/花田清輝はこの連中の作品に遠慮なく批評を加へて、襲撃されて、ノビたのである。このノビた記録を「現代文学」へ書いたものは抱腹絶倒の名文章で、たとへばKなどといふ評論家が影山に叱られてペコペコと言訳の文章を「文学界」だかに書いてゐたのに比べると、先づ第一に思想自体を生きてゐる作家精神の位が違ふ。その次に教養が高すぎ、又その上に困つたことに、文章が巧ますぎる。つまり俗に通じる世界が稀薄なのである。(坂口安吾『花田清輝論』青空文庫より)

講談社文芸文庫の巻末参考資料のなかに、花田清輝自身はつぎのように書いています。

――戦争中、私は少々しゃれた仕事をしてみたいと思った。そこで率直な良心派のなかにまじって、たくみにレトリックを使いながら、この一連のエッセイを書いた。良心派は捕縛されたが、私は完全に無視された。今となっては、殉教面ができないのが残念でたまらない。思うに、いささかたくみにレトリックを使いすぎたのである。(巻末「初版跋」花田清輝より)

花田流レトリックについては、百目鬼恭三郎がわかりやすい解説をしています。引用させていただきます。

――転形期を捕まえるには、事実というひとつだけの焦点をもって円をえがいていてはだめで、虚と実、二つの焦点をもって楕円を描かなければならない。ところが世間は単円主義者ばかりで、事実の論理しかうけつけない。したがって、この世が楕円であることを彼らにわからせるには、論理ではなく、虚を実のようにのみこませるレトリック(修辞)によるほかはない、というのが花田の文学論であるようだ。(百目鬼恭三郎『現代の作家一〇一人』新潮社P162より)

◎言論弾圧を逃れるため

花田清輝は難解だという人がいます。しかしそれは大いなる誤解で、非常に歯切れのよい、わかりやすい文章です。長くなりますが、1例を示します。「極太・極小―スウィフト」の章では、こんなことが書かれています。

――習慣とは何か。ドストエフスキーの『悪霊』の冒頭に、ガリヴァが小人国から帰ってきたとき、自分だけすっかり大人気どりで、ロンドンの街をあるきながら、通行人や馬車に向かって、さあ、どいた、どいた、用心しないか、うっかりしているとぶっつぶすぞと怒鳴りつけ、人びとから冷笑されたり、罵倒されたり、無作法な馭者などからは鞭でなぐられさえした、まことに習慣の力は恐ろしいものだ、というようなことが、もっともらしく書いてある。ところが、これがドストエフスキー一流の出鱈目で、『ガリヴァ旅行記』によれば、主人公が錯覚をおこし、そういう侮蔑をうけるのは、小人国からではなく、大人国から帰ってきたときのことなのだ。まるで反対である。大人ばかりみなれていたために、普通人まで小人のように感じた、というのがスウィフトの論理なのだ。(本文P125より)

このあとに、なぜドストエフスキーは錯誤したのか、の論考がつづきます。そして突然、ユークリッドが登場します。花田清輝の著作を読んでいると、知らぬ間にとんでもない世界に迷いこむことがしばしばあります。

前記「楕円」の考えについては、「楕円幻想 ─ ヴィヨン」の章にくわしく書かれています。ここでは最初に「円は完全な図形であり、それ故に、天体は円を描いて回転する」というプラトンの説と、デンマークの天文学者ティコの予言「惑星の軌道は楕円を描く」をならべて提示します。それからコクトーは神戸で、日本のこどもが路上に完全な円を描くのをみて、感動したというエピソードが紹介されます。そして核心部分に筆が進んでいきます。

――「焦点こそ二つあるが、楕円は、円とおなじく、一つの中心と、明確な輪郭をもつ堂々たる図形であり、円は、むしろ、楕円のなかのきわめて特殊なばあい、── すなわち、その短径と長径とがひとしいばあいにすぎず、楕円のほうが、円よりも、はるかに一般的な存在であるともいえる。(本文P221より)

『復興期の精神』には引用例のほかに、ダンテ、レオナルド、ポー、ゲーテなど22人のヨーロッパの文化人がとりあげられています。いずれも楽しいエピソードをちりばめながら、花田節が炸裂します。それぞれは短い章だてなのですがまるで寄木細工のように、たくさんの人物や作品がもちいられています。

丸谷才一も著作『文学のレッスン』(新潮文庫)のなかで書いていますが、花田清輝の文章は「曲がりくねってどちらともとれ」ます(本文P194より)。これは本人が書いているように、言論弾圧を逃れるための手段だったのです。したがって読者は虚と実を、しっかりと読みこむ必要があります。そんな楽しみが花田清輝の著作にはふんだんにあるのです。

◎追記:花田清輝『復興期の精神』のこと

朝日新聞に作品社の増子信一さんが、花田清輝『復興期の精神』(講談社文芸文庫)について書いていました。本書は「山本藤光の文庫で読む500+α」で取り上げています。増子さんは次のように時代を語っています。

――1970年代の初めは「埴谷千年、吉本万年」という言葉がまだ生きていて、埴谷雄高『幻想のなかの政治』、吉本隆明『共同幻想論』がもて囃されていた。(朝日新聞2019.04.17)

このあと増子さんは、
――花田・吉本論争でコテンパンにやられたオールド・左翼、花田を読んでいると白眼視されること必至。
と書いています。しかし私同様、花田清輝によって読書の幅が拡大したとも添えています。若い人にはぜひ読んでもらいたい作家が、花田清輝です。埴谷、吉本よりもずっと知的だと、私は信じています。もっとも二人はほとんど読んでいないのですが。
山本藤光2019.04.22

(山本藤光:2012.07.24初稿、2018.02.20改稿、2019.04.21追記)



花村萬月『ゲルマニウムの夜・王国記1』(文春文庫)

2018-02-19 | 書評「は」の国内著者
花村萬月『ゲルマニウムの夜・王国記1』(文春文庫)

人を殺し、育った修道院兼教護院に舞い戻った青年・朧。なおも修道女を犯し、暴力の衝動に身を任せ、冒涜の限りを尽くす。それこそ現代では「神」に最も近く在る道なのか。世紀末の虚無の中、神の子は暴走する。目指すは、僕の王国!第119回芥川賞を受賞した戦慄の問題作。(「BOOK」データベースより)

◎花村萬月が芥川賞?

1998年、私の固定観念は、大音響とともに崩れ落ちました。花村萬月が『ゲルマニウムの夜』で、芥川賞をとったのです。直木賞だろうと思っていただけに、思わず「それはないだろう」とつぶやいてしまいました。浅田次郎(推薦作『壬生義士伝』上下巻、文春文庫)が直木賞をとったとき、つぎは花村萬月だと確信していました。
 
芥川賞と直木賞。2つの賞は、菊池寛(推薦作『恩讐の彼方に』新潮文庫)が創設したものです。芥川賞は純文学作品、直木賞は大衆文学作品、に贈られるのが慣例でした。もっと平たくいえば、芥川賞は新人作家、直木賞は油の乗った作家に贈られるのが常だったのです。芥川賞は一発芸でいいのですが、直木賞は将来性も見こまれた作家にあたえられます。

花村萬月は『笑う山崎』(祥伝社文庫)と『皆月』(講談社文庫)で、押しも押されぬ地位を獲得していました。そんな大作家に芥川賞だと、と怒りをぶちまける人がたくさんいました。この受賞をめぐって、芥川賞とはなんぞや、直木賞とはなんぞやの議論が再燃されました。

最近の日本企業は、従来の年功序列型制度を見直しつつあります。いままでは、その人の過去の業績を尊重して、その年の評価がなされていました。これが「積分評価」というものです。しかし最近は過去の業績を無視し、一年間のスパンで年度目標を達成したか否かで評価がなされます。これが「微分評価」というものです。

「直木賞」に重点をおいていた日本企業は、「芥川賞」にくらがえしたのかもしれません。そんなことを考えてしまいました。花村萬月の芥川賞受賞は、私にはなじまないものだったのです。
 
花村萬月は、放浪、ヒモ生活をつづけていました。30歳のときに、北海道をさまよっていたときのことです。汽車の乗り継ぎに、3時間ほどの間がありました。旅日記のようなものを、暇つぶしに書きました。それを読んだ友人がおもしろいといって、雑誌の懸賞に応募してしまいました。佳作でしたが、10万円を手に入れました。
 
これが作家・花村萬月の誕生秘話です。そして彼は、『ゴット・ブレイス物語』(初出1990年、集英社文庫)で、文壇にデビューします。

――日本語は主語がなくても成り立つところがクールで格好いい。翻訳ものは、訳者が律儀に主語まで訳しているのがうるさいんです。文章として幼い。ちゃんと日本語にしてくれたら、俺も読めるんですけれど。(「WEB本の雑誌」第75回より)

日本語は格好いい。これは花村萬月の信念です。ほかに花村萬月は、「自分のことは書かない」ときめていました。そのとおり『ゴット・ブレイス物語』の主人公は、19歳の女性です。性、暴力、神などを花村萬月は、たたみかけるような文体で追求しています。

◎3つの単語と『ゲルマニウムの夜』

『ゲルマニウムの夜』は、この作品を「王国記1」としてシリーズ化されました。当初は単独の作品でしたので、「王国記」全般としての書評は別の機会にさせていただきます。
 
中年の読者ならだれもが、「ゲルマニウム」という言葉に郷愁を覚えるでしょう。ゲルマニウムラジオ。別名鉱石ラジオといって、私の幼いころに、手先の器用な友人がつくって教室にもちこんでいました。当時はウオークマンもありませんでしたし、ラジオといったら真空管式のどでかい物体でした。ゲルマニウムラジオを寝床に持ちこんで、聞いていた甘酸っぱい記憶が私にもあります。

花村萬月の作品については、これまで『笑う山崎』『皆月』を代表作にすえてきました。暴力と性と愛。花村作品を3つの単語で表せといわれたら、私は迷うことなくこれらを選択するでしょう。花村作品の読みどころは3つの単語が、どんなバランスになっているかなのです。
 
『ゲルマニウムの夜』の舞台は、修道院兼教護院。この単語から想像できるのは、「愛」に満ち満ちた神秘的なものでしょう。ところが花村萬月はやってくれます。むしろこの舞台は、「暴力」と「性」の巣窟として描かれています。前記の3つの単語が、はなからどんでん返しを起こしているのです。

『ゲルマニウムの夜』は標題作と、「王国の犬」「舞踏会の夜」の3篇で構成されています。「ゲルマニウムの夜」の方は、主人公の「僕」が殺人をおかして教護院へ舞いもどる設定になっています。舞いもどるための交換条件が、院長の陰茎を手で奉仕することだったのです。

そして修行と称した、農作業に明け暮れます。「僕」は朝から晩まで、鶏に餌をあたえたり、卵を集めたりをつづけます。「僕」はいつも、ゲルマニウムラジオで米軍放送を聞いています。「僕」が米軍放送を聞く理由は、単に感度が一番よいからです。
 
花村萬月はゲルマニウムラジオに、なんの意味ももたせていません。僕は修道女をめざす女と交わります。そして物語は終ります。

――僕はトラックのシートに横になった。足を縮め、膝を抱くようにして眼を閉じる。鉱石ラジオのイヤホンを耳に挿し、異国の言葉で鼓膜を愛撫してやる。とたんに朦朧とした。交接による股間の鈍痛を幽かに意識して、即座に墜落した。(本文より)

「王国の犬」では、僕が豚の餌にする残飯運びをしています。僕は教護院の後輩たちから慕われる一方、仲間たちをいじめつづけます。ここでも僕はシスターと交わります。
 
――僕は彼女をリヤカーの縁に掴まらせて腰を突きださせ、背後から重なった。ドラム罐の中の残飯が揺れる。汚物が僕の動作にあわせて振動する。僕は背後からシスターテレジアの情景を丹念に観察した。残飯で満たされたドラム罐と大差ない。そして、これこそが僕が望むものだ。汚物は汚い。汚物は愛しい。(本文より)

ゲルマニウムラジオから、流れつづける異国の音楽。聖域とたとえられる、空間でくり広げられる性と暴力。ゲルマニウムラジオは、それを引き立てる単なる小道具でした。

カトリック系の教護院で、夜な夜なくりかえされる永久ドラマ。ゲルマニウムの意味は、それだったのです。

◎芥川賞『ゲルマニウムの夜』の選評

芥川賞の選考委員たちが『ゲルマニウムの夜』をどう評価したのか。参考までに「芥川賞全集」(現在第19巻まで刊行)から抜粋してみたいと思います。

◎石原慎太郎
――私は一番面白く読んだ。まさに冒とくの快感を謳った作品で、カソリックに限らず現代の宗教のもつ偽善性をヤユしバカにして暴く主人公の徹底した、インモラルではなしに、ノンモラルは逆にある生産性をさえ感じさせる。文学こそが既存の価値の本質的破壊者であるという原理をこの作品は証そうとしている。

◎田久保英夫
――強烈な衝迫力にひかれたが、しかし、これは危険な小説である。絶対への問いかけという主題の面からも。物語の荒々しい展開の面からも。だが、カトリック修道院の付属農場にいる青年を通して、神と悪徳の狭間に籠めた問いには、わが国にはめずらしい追求の情熱を感じる。人物や場面の輪郭も、鮮明である。所々、気負いすぎも見えなくはないが、この才能ゆたかな作家に、そうした密度の濃い表現の方向を失わないでほしい、と願う。

◎黒井千次
――宗教という重いテーマに取り組む意欲とストーリーを運ぶ力量は充分に感じられるが、時に力み過ぎた文章が硬直を起し、対象を精確に捉えかねる点が気にかかった。また、全編のテーマである神の問題を引き受ける筈の告解をめぐる部分が、ほとんど会話のみで描かれていることにも不満を覚えた。

◎池澤夏樹
――推すことはできなかった。派手な場面を次々に駆動してゆく力はすごいが、それを背後で支えている論理的骨格は細い。主人公一人が動いて、その他の人物は人形のよう。

◎河野多恵子
――確かな手応えを感じた。罪を犯して、過去に中学を卒業する年齢まで収容されていた修道院兼教護院へ逃げ込み、畜農作業に従っている青年を主人公として性や暴力が描かれる。閉塞的な世界であるにも拘らず陰湿性がなく、この作品もまた広がりを見せる。宗教への問いかけ、擦り寄り方には、主人公の〈悪あがき〉自体にある真摯さに深い説得力があって、いたく引き込まれた。

◎三浦哲郎
――筆力という点でぬきんでていた。文章もしなやかで、どの場面の描写も力強くめりはりが利いていて印象的であった。これまた、作者にとって書かずにはいられなかった素材なのだろう。行間から激しい主張と怨念のようなものが脈々と伝わってくる。ただ、部分的にはともかく、全体として見れば粗く強引にすぎて納得しかねる面があったことを指摘しておかねばならない。
(以上『芥川賞全集第18巻』より引用)

◎『ブエナ・ビスタ・王国記2』

『ブエナ・ビスタ・王国記2』(文春文庫)は、芥川賞に輝いた『ゲルマニウムの夜』(文藝春秋社)の続編にあたります。単行本では『王国記』のタイトルで売られていました。『ゲルマニウムの夜』は、韓国でも翻訳されています。しかし店頭ではビニールをかけられ、書店が未成年者に販売したら300万円の罰金。事実上の「発禁」扱いになっています。(「週刊文春」1999年6月17日号)

花村萬月は、既存の概念をことごとく破壊してみせます。そのために描写が過激になります。花村萬月には創造とは壊すことである、といった信念があります。だから常識から逸脱します。異常性愛、過激な暴力、虐待……。

『ゲルマニウムの夜』では、それらを信仰の場にもちこんだことにより、さらに過激さが増しました。『ゲルマニウムの夜』の収載作・3編は、「僕」(主人公・朧)という語り口で描かれていました。

『ブエナ・ビスタ・王国記2』の収載作「ブエナ・ビスタ」は、「私」という1人称を用いていますが、語り手は朧(ろう)ではありません。赤羽修道士の視点で描かれています。

そしてもうひとつの収載作「刈生の春」で、再び視点を「僕」(朧)にもどしてみせます。『ブエナ・ビスタ・王国記2』には、登場人物のプロフィールが掲載されています。それを参照することで、独立した作品として読むことは可能です。ただし、この作品はまだまだつづきます。はじまったばかりなのです。それゆえ、できることなら『ゲルマニウムの夜』から読みはじめることをお薦めしたいと思います。
 
殺人を犯して修道院へ逃げもどった朧。現在は修道院内の農場で働いています。
 
――起床四時半、まだ、暗い。農場の一日がはじまる。玄関口をふさいでいる僕と北君の横を宇川君がすり抜け、小走りに胡桃の木の下まで行き、排尿を始めた。小便が幹を濡らし、だらだらと流れ落ちていく。(本文より)

胡桃の木は『ゲルマニウムの夜』にも登場します。

――紫黒色の巨木に視線をやる。意図を察した白が走った。緑の胡桃を咥えてもどった。差し出した手に胡桃を落として得意そうに見つめた。僕は犬の奴隷根性が大嫌いなので、その喉をめがけて爪先で蹴りをいれた。(『ゲルマニウムの夜』収載作「王国の犬」より)

――胡桃の木は、壮大な叙事詩を支える小道具・作品の象徴でもある。作品のなかに再三登場する。ときには月見の場になり、胡桃の実はテーブルを磨くための油脂として使われる。(『ゲルマニウムの夜』収載作「王国の犬」より)

花村萬月は単行本収録にあたって、「ゲルマニウムの夜」から、「王国の犬」を独立させています。そこには赤羽修道士と朧との間に、こんなやりとりがあります。

――「だが、朧。君は王国を目指せ」「先生、王国って、なんですか」「神の王国というだろう。さんざん聴かされ続けてきたはずだ」「確かに。そして、僕も以前から神の、いや、単に王国のことが頭から離れません」(本文より)

胡桃の木は、今はじまったとてつもなく壮大な『王国記』を見つめつづけるのでしょう。朧の目指す王国とは? 興味はつきません。
(山本藤光:2010.03.09初稿、2018.02.19改稿)


林芙美子『放浪記』(新潮文庫)

2018-02-13 | 書評「は」の国内著者
林芙美子『放浪記』(新潮文庫)

極貧の中、作家としての成功と、安らぎを求め続けた林芙美子。彼女が愛した男たちや、生きるためにした仕事…その全てを赤裸々に描いた、魂の日記。(「BOOK」データベースより)

◎でんぐり返しの「放浪記」

「放浪記」といえば、森光子主演の舞台を連想する人はたくさんいます。舞台は森光子死去のために、2009年5月29日の2017回目の公演が最後となりました。でんぐり返しも見られなくなりました。喜びの表現として演じられた「でんぐり返し」を、林芙美子の原作のなかに探し求める人も、まれではないようです。「でんぐり返し」は、役者としての森光子が考案したオリジナルです。原作のなかにはでてきません。

林芙美子『放浪記』は主人公の「私」が、自らを励ますためにつづった日記がベースとなっています。主人公の私は、8歳のときから行商である養父と母との3人で、九州一円を転々とします。そのため木賃宿に泊まり、小学校も4年間で7度も転校しなければなりませんでした。結局小学校を断念し、行商の手伝いをすることになります。

――「お父つぁん、俺アもう学校さ行きとうなかバイ……」/せっぱつまった思いで、私は小学校をやめてしまったのだ。私は学校へ行くのが厭になっていたのだ。それは丁度、直方(のうがた)の炭坑町に住んでいた私の十二の時であったろう。(本文P9)

『放浪記』で描かれているのは、主人公「私」のどん底の放浪ものがたりです。「放浪」にはいくつかの現実がかさねられています。
もちろん出発点である行商生活がひとつ。その後私は、女中、女工、店員、事務員、記者、女給などと職業を転々とします。これが仕事に関する「放浪」として描かれています。そして男との
あれこれも「放浪」としてかさねられます。

『放浪記』は、3部構成になった作品です。その前に「放浪記以前」という小さな章がおかれています。小学校で習った唱歌がいきなりでてきます。「更けゆく秋の夜 旅の空の/侘しき思いに 一人なやむ/恋いしや古里 なつかし父母」。そしてつづけられるのが、つぎの文章です。

――私は宿命的に放浪者である。私は古里を持たない。(中略)旅が古里であった。それ故、宿命的に旅人である私は、この恋いしや古里の歌を、随分侘しい気持ちで習ったものであった。(本文P8より)

小学校をやめた私は、12歳から本格的な行商をはじめます。炭坑町などを歩き、どん底の生活をかいま見ながら、世の中が金でまわっていることを実感します。その後私は、尾道で深い仲になった男に連れられて上京します。しかし男に逃げられ、東京での一人ぐらしを余儀なくされます。

――さいはての駅に下り立ち 雪あかり さびしき町にあゆみ入りにき(本文P21)
 啄木の歌を思い出しながら、主人公「私」は東京の空の下にいます。私は作家の家の女中として、生活の糧を得ることができました。しかし2週間でヒマをだされ、ふたたび放浪生活がはじまります。

◎『放浪記』の魅力に迫る

手元に新聞の切り抜き(「昭和史再訪」朝日新聞2012年6月30日)があります。6月28日は林芙美子が47歳で急逝した日です。この日は多くの新聞が特集をくみ、林芙美子の代表的な詩「花のいのちはみじかくて くるしきことのみ多かりき」を掲げたようです。その切抜きから、少し引用させていただきます。

――『放浪記』は戦時中は絶版にされていた。芙美子は「ペン部隊」の一員として戦地ルポを執筆。戦後は戦前の価値観を引きずる男の哀しみを描き、市井に生きる女を活写する作品を次々に生み出し、女性から厚く支持された。邸宅は、割烹着の女性で埋め尽くされた。(新聞切抜きより)

ところが林芙美子の死にたいして、文壇は冷たかったようです。その理由を関川夏央は、つぎのように書いています。

――流行作家となっていた彼女は過労死をとげた。他の女性作家に雑誌のページを渡したくなくて書きまくったからだ、という観測には真実味があった。共同体を支える原理である友情や恩義にも、彼女は冷淡であった。ゆえにその死を悼む空気は文壇には薄かったのだが、林芙美子の葬儀の席は、彼女が脱しようとつとめつづけた「庶民」の広大かつゆるやかな共同体、近所のおかみさんたちで埋めつくされた。(関川夏央『新潮文庫20世紀の100冊』新潮新書より)

また「ペン部隊」のころについては、桐野夏生(推薦作『柔らかな頬』文春文庫)が『ナニカアル』(新潮文庫)として小説化しています。文庫本の表紙コピーを抜粋してみます。

――昭和十七年、林芙美子は偽装病院船で南方へ向かった。陸軍の嘱託として文章で戦意高揚に努めよ、という命を受けて。ようやく辿り着いたボルネオ島で、新聞記者・斎藤謙太郎と再会する。年下の愛人との逢瀬に心を熱くする芙美子。だが、ここは楽園などではなかった――。戦争に翻弄される女流作家の生を狂おしく描く、桐野夏生の新たな代表作。

現実の林芙美子は、2年遅れで小学校を卒業しています。そして19歳で尾道市立高等女学校(現・広島県立尾道東高等学校)を卒業しています。女学校卒業直後、遊学中の恋人をたよって上京し、下足番、女工、事務員、女給などで自活し、東京にきた養父・実母の露天商も手伝いました。

恋人との破局がおとずれます。恋人は親の反対で、林芙美子を棄てました。『放浪記』の原形になる日記は、失意のもとに書きはじめられたものです。

一人ぼっちになった林芙美子は詩や童話を書き、平林たい子と親しくなります。2人は女給をしながら、売文への道をさぐるために助け合います。やがて林芙美子は結婚します。生活の安定をえた林芙美子の創作意欲に火がつきます。

『放浪記』の魅力について、作家が書いている文章はあまり多くありません。その理由について、林芙美子を研究する北九州市立文学館長の江間川英子さんはつぎのように書いています。

――(林芙美子は)「放浪記」を機に昭和史に残るベストセラー作家の道を歩み始める。こうした物語のヒロインとしての印象が強すぎ、作品そのものの評価がないがしろにされてなかったでしょうか。(「朝日新聞」2012年6月30日)

林真理子は、林芙美子についてつぎのように書いています。読んでいて、『放浪記』の主人公「私」についての記述かと思ってしまいました。

――食べるものがない、住むところもない。着たきりスズメのひどい格好をしている。だからといって、彼女(林芙美子のこと)はそのために嫌いな男に抱かれることをしないし、当時の女たちのように結婚に逃れることもなかった。/彼女は生きるためには何でもする。カフェの女給にもなるし、知り合ったばかりの他人に借金を申し込む。けれども、そこには痛快さがある。この痛快さというのは、自分を客観視する強さ、どんな不幸も心のどこかでほくそ笑んで見ている、作家の魂というものかもしれない。(林真理子『林真理子の名作読本』文春文庫)

最後に、前出の関川夏央には、『女流・林芙美子と有吉佐和子』(集英社文庫)という著作があります。林芙美子の生きざまがみごとに描かれています。もうひとつ上京する以前(尾道時代)の林芙美子に興味があれば、これも自伝ですので『風琴と魚の町』(新潮文庫『清貧の書』併載)をお読みください。

蛇足ながら、追記しておきます。佐藤正午(推薦作『Y』ハルキ文庫)のような思いをしてもらわないようにです。佐藤正午はこれまでに、2回『放浪記』を読んでいます。なんとなく物足りない感じがしていたようです。そして3回目の読み直しをしようとして、気がつきました。私は冒頭で『放浪記』は3部構成になっていますと書きました。

第1部は昭和5年に出版されて、ベストセラーになったものです。第2部はベストセラーになったので書いた、いわゆる続編にあたります。そして第3部は検閲をおそれて出版を見送られていた、昭和24年刊行の部分となります。旧版の新潮文庫には第3部がふくまれていません。また第1部と第2部がつながっていました。

したがって佐藤正午のようにならないように、古書店で買い求める場合には注意が必要です。(佐藤正午『小説の読み書き』岩波新書を参考にしました)

(山本藤光:2014.10.09初校、2018.02.13改稿)

早川良一郎『散歩が仕事』(文春文庫)

2018-02-11 | 書評「は」の国内著者
早川良一郎『散歩が仕事』(文春文庫)

大イビキをかく愛犬チョビ、モンチャンというあだ名の奥さん…定年後やることがないと思っていた日々は思いのほか楽しい。「ヌカ味噌くさい女房のくせにヌカ味噌はへただね」と憎まれ口を叩きながらも、その生活からは小さな幸福が零れ落ちてくる。洒落たユーモアの中に昭和の記憶が香り立つ名エッセイ。(「BOOK」データベースより)

◎珠玉のエッセイ集です

 定年後の日常を描いたエッセイなんて、おもしろくないにきまっています。そんな固定観念を、早川良一郎はあっさりと払拭してしまいました。早川良一郎は1919(大正8)年に生まれ、1991年に没しています。本書は63歳のときに上梓された著作の文庫版です。まるで宝石箱をあけたときのように、美しい掌編がとびだしてきました。
 
著者のことは、まったく知りませんでした。店頭で江國香織(推薦作『号泣する準備はできていた』新潮文庫)の推薦コピーにふれて、読んでみたくなりました。

――こんなふうに「声」のある文章を書けるひとがいまどのくらいいるのだろう。(江國香織)

表紙のイラストもすてきでした。買って読みました。本書との出合いに感謝しました。

 著者は近所に住む、同年輩の定年退職者の家を訪ねます。自分のところには庭はありませんが、友人の家には石灯籠も池もあります。池をのぞいた著者が「大きい金魚ですね」とほめると、「緋鯉の鯉です」とたしなめられたりします。その後のてんまつを、すこし長いのですが、本書のエキスとして引用します。

(引用はじめ)
 友人は日向ぼっこしながら庭をながめていた。白いのがだいぶまじった無精髭が目立っていた。
「毎日が退屈ですな」
「だって、あなたの家は大家族だ。一家団欒したら退屈もしないでしょう」
「いやあ、毎日ぶらぶらしていると、女房、子供がバカにしますよ」
「だって、いままで家族を養って奮闘してきたんだ。長い航海が終わって港に帰ったんだ。バカにされることはないと思いますよ」
「そりゃはじめの一、二カ月はね。だがあとはだめだな。なにしろ三十年うちにいなかったのが、朝からごろごろしているんですから、邪魔にされますよ」
「お孫さんがいるんだから、お孫さんをからかったら」
「チョコマカしているんで、こっちがくたびれちまいます。この頃の子供は扱いにくいんですよ。サルカニ合戦をおとなしくきいてるなんてのはいません。話題が違います」
「庭、庭」
と庭のない家に住んでいる私は話をかえた。
(本文P12より)

 引用したのは最初の章「邪魔者」の一部です。すべてのページはこんな具合に、ちょっぴり物悲しく、愉快で、笑ってしまうエピソードでうまっています。

本書には54編のエッセイが、ちりばめられています。友人とかわす「アッハッハ」の高笑いには、思わずつりこまれて笑ってしまいます。わがままな愛犬チョビとの交流にも、ほのぼのとしたやすらぎを感じます。奥さんの尻に敷かれながら、つよがってみせる男気にも共感できます。散歩の途上でみかけた風景の描写には、繊細さがにじんでいます。女性のお尻の話、軍隊の時の話、銀座のバーの話、ロンドンの話……。時空をこえて、思わぬ世界にも連れて行ってくれます。

著者は下戸でお酒は飲めません。パイプ煙草をたしなむ愛煙家です。2階に小さな書斎をもっています。「老いについて」と題された章は、格別におもしろかったので紹介させてもらいます。

(引用はじめ)
ある日、二階で本を読んでいるところへ、なんの用事でかオクさんが来た。オクさんはタバコの煙が嫌で滅多に二階に来ないから、珍しいことである。
私は読書用の眼鏡で本を読みながら話をしていたけれど、話がこみいってきたので、読むのをやめて首を動かしたら、目の前四十センチのところにオクさんの顔があった。
化物じゃないかと思った。シミとシワで見るかげもない顔である。よその婆さんである。
あわてて老眼鏡をはずした。化物は姿を消し、いつもの美人のオクさんがいた。年をとるとこういう経験もするものである。(本文P33より)

早川良一郎の「仕事」である「散歩」に随行し、私はエッセイの楽しさを再確認しました。江國香織が書いているように、著者の「声」はたしかに聞こえました。ときには心のなかで吐き捨てる声。世間という声のなかで、ちょっぴり肩肘をはったときのきばり声。ついつい舌打ちしてしまい、それを飲み込んだ声。愛犬チョビと交わす声。過去を回顧するときのため息。そして友人たちとの高笑い「アッハッハ」――すべての声や音を耳にしました。

早川良一郎の散歩コースが示された白地図は、さわやかな風がページをめくってくれます。そのたびに白地図には、淡い色彩が浮かびあがりました。
(山本藤光:2014.10.07初稿、2015.02.09改稿)

原田マハ『楽園のカンヴァス』(新潮文庫)

2018-02-08 | 書評「は」の国内著者
原田マハ『楽園のカンヴァス』(新潮文庫)

ニューヨーク近代美術館のキュレーター、ティム・ブラウンはある日スイスの大邸宅に招かれる。そこで見たのは巨匠ルソーの名作「夢」に酷似した絵。持ち主は正しく真贋判定した者にこの絵を譲ると告げ、手がかりとなる謎の古書を読ませる。リミットは7日間。ライバルは日本人研究者・早川織絵。ルソーとピカソ、二人の天才がカンヴァスに篭めた想いとは―。山本周五郎賞受賞作(「BOOK」データベースより)

◎原田マハが化けた

 原田マハを読みはじめたきっかけは、原田宗典(集英社文庫)の妹がデビューしたという情報からでした。さっそく「日本ラブストーリー大賞2006」に輝いた『カフーをまちわびて』(初出2006年、宝島文庫)を読んでみました。残念ながら「山本藤光の日本現代文学125+α」には、入れられる作品ではありませんでした。軽いな、というのが素直な感想です。その後何冊か読んでみましたが、私の評価は同じでした。

 ある日ともだちから「原田マハって知っている?」と質問されました。「うん、何冊か読んだけれど……」とつまらなそうに答えました。「『楽園のカンヴァス』はいいぞ。奥泉光の『シューマンの指』を超えているよ」と、ともだちは目を輝かせていいました。私は書評を書くたびに、本好きのともだちに送りつけています。ともだちが胸を張って、原田マハの名前をいったのは、私が奥泉光『シューマンの指』(講談社文庫)を絶賛した直後のことでした。

 読んでみました。驚愕しました。これがあの原田マハだろうか、と疑ったほどでした。原田マハが化けた、と思わず叫んだほどです。『楽園のカンヴァス』(新潮文庫)はのちに、「本屋大賞2013」の第3位に選ばれました。

 私が若い作者を追いかけるのは、「化ける」瞬間を見届けたいためです。以下期待の女流作家が、化けたときをならべてみます。2段で紹介していますが、上の段がデビュー作です。

【大島真寿美】(デビュー作から19年目)
1992年『宇の家』(角川文庫)
2011年『ピエタ』(ポプラ文庫)
【赤坂真理】(デビュー作から15年目)
1997年『蝶の皮膚の下』(河出文庫)
2012年『東京プリズン』(河出文庫)
【金原ひとみ】(デビュー作から7年目)
2004年『蛇にピアス』(集英社文庫)
2011年『マザーズ』(新潮文庫)
【原田マハ】(デビュー作から4年目)
2008年『カフーをまちわびて』(宝島文庫)
2012年『楽園のカンヴァス』(新潮文庫)
 
 原田マハが「化けた」のは、異例の早さでした。不覚にも私はその予兆すら感じとれなかったのです。反省。

◎なんて下手くそなんだろう

 主人公・早川織絵(43歳)は、若いころにパリで美術の研究をしていました。未婚で出産して帰国し、大原美術館の監視員をしています。ある日大手全国紙が、アンリ・ルソー展を企画しました。目玉は最晩年に描かれた「夢」の展示でした。

ニューヨーク美術館に貸し出しを依頼すると、交渉役としてオリエ・ハヤカワをあてるようにいってきました。返信者はチーフ・キュレーターのティム・ブラウン。早川織絵とティム・ブラウンは、17年前にアンリ・ルソーの「夢をみた」の真贋を鑑定するため、7日間の緊張する時間を共有したことがあります。7章からなるルソーの日記を毎日1章ずつ読み、「夢をみた」の謎に迫るのです。

 ストーリーにふれるのは、原田マハの描いたピュアなキャンバスに泥を塗るようなものです。かわりに本書が書かれた、いきさつについてふれておきます。

原田マハは小学2年のときに、倉敷美術館でピカソの「鳥籠」を見て衝撃を受けています。「なんて下手なんだろう。これならあたしでも描ける」と思いました。大学3年のときに、アンリ・ルソの画集をみて「なんて下手なんだ」と思いました(「波」2012年2月号を参照しました)。それらのきっかけから、原田マハは『楽園のカンヴァス』の誕生秘話をつぎのように語っています。

――ルソーの作品世界とミステリアスな人生を、自分の手でつまびらかにしたいといった欲望。主人公の二人が少しずつ読み解いていくルソーの謎は、私自身が知りたかったことでもあります。(「波」2012年2月号のインタビュー記事より)

『楽園のカンヴァス』は、原田マハが歩んだ人生の集大成だったのです。これまで高い評価をしてきた奥泉光『シューマンの指』よりも、ひとつ高い場所に『楽園のカンヴァス』をおくことにしました。
(山本藤光:2014.08.08初稿、2015.01.28改稿)