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山本藤光の文庫で読む500+α

著書「仕事と日常を磨く人間力マネジメント」の読書ナビ

若合春侑『脳病院へまゐります。』(文春文庫)

2018-03-13 | 書評「ら・わ行」の国内著者
若合春侑『脳病院へまゐります。』(文春文庫)

昭和初期、濃密な男女のSMの世界。愛する男から虐げられつづける女にとって、心の救済とは何だったのか。第86回文学界新人賞を受賞した表題作ほか、「カタカナ三十九字の遺書」も収録。(「MARC」データベースより)

◎ペンピでしょうか?

どうしちゃったのでしょうか。若合春侑(わかい・すう)さまとは、20年近くもご無沙汰です。私は文学界新人賞をお取りになった『脳病院へまゐります。』(文春文庫)で、あなたさまにめろめろになっておりました。
 最新作を読んでから、処女作『脳病院へまゐります。』を語ろうと考えておりました。しかし、もう我慢の限界でございます。

 というわけで、若合春侑はあれっきり姿を現しません。しかたがありませんので、デビュー作について加筆修正することにしました。あなたさまのホームページも、10年前を最後にフリーズしております。おそらくペンピ(便秘ではありません)が、ひどいのでしょう。

◎Sのおまへさま

 若合春侑のデビュー作『脳病院へまゐります。』は、文学界新人賞を受賞し、芥川賞の候補作にもなっています。題名からわかるとおり、この作品は旧仮名遣いで書かれています。そのことについて、著者自身は次のように語っています。

――1997年11月から、ホームページに文章を掲載しているうちに、旧仮名遣いに変換するのが面白くなってきました。このアイデアで、12月に「脳病院へまゐります。」を執筆。(「週刊文春」1999年4月29日号)

 旧仮名遣いで書かれているものの、本書は読みにくくはありません。それは主人公「私」が「おまへさま」に宛てた、書簡のスタイルのせいでしょう。
「私」は「お春婆さん」が、手広く営んでいる会社の帳場をしています。旦那は戦争で外地へ出征中です。たまたま人手が足りなくて、「私」がカフェーの臨時女給をしたときに、「おまへさま」と知り合いました。

「おまへさま」は帝大の学生で、「不惑の貫祿で威嚴の光を放つやうな」文学青年です。二人はいつの間にか、寝床をともにするようになります。床の中で「おまへさま」は豹変します。
「おまへさま」は典型的な、サディストだったのです。そして「私」は嬉々として、それを受け入れていきます。やがて「おまへさま」は結婚し、「私」の旦那も片脚を失って戦地から戻ってきます。しかし二人の関係は変わりません。
 
――おまへさま、まうやめませう、私達。/私は、南品川のゼエムス坂病院へまゐります。苦しいのは、まう澤山だ。(本文より)

 書くのを憚られるような虐待を受けながら、「私」は「おまへさま」との日々を綴ります。切ない女の一念は、十分に伝わってきます。ここまで露骨に書く必要があるのかと、疑問の箇所もありました。しかし、結びの数行は、印象的でした。


◎「脳病院へまゐります。」といったきり

 収載作「カタカナ三十九字の遺書」は、現代文で書かれています。こちらの主人公・芙蓉も、健気に男に身を尽くします。
 物語は芙蓉が十二歳のときから仕えている、色川家の法要場面からはじまります。芙蓉は七十五歳になっています。先代ははるか昔に亡くなり、その後仕えた長男の喬太郎も急死します。
享年七十五歳でした。芙蓉は十五歳のとき、喬太郎に犯されます。それからも、三度の結婚を繰り返した喬太郎に、求められるまま身体を提供します。喬太郎の最初の妻は、彼が二十歳のときにアメリカ留学から連れ戻った女性でした。

 彼女はロオリイという名の十九歳。すでに懐妊しており、やがて祐太郎を出産します。しかし出産前後の風習に耐えられず、傷心で子供を連れて母国へ帰国してしまいます。
 
その祐太郎は帰国後、はじめて法要の席に姿を見せます。財産目当てであることは歴然としていますが、芙蓉はいわれるがままにします。家財道具が運び出され、喬太郎との想い出の家が取り壊されます。
 
戦時中、家族がすべて疎開したなかで、たった一人で家を守り切った芙蓉。芙蓉は、防空壕だった地下へと降ります。そして……。
若合春侑は、女性作家です。男性には書けそうもない、ラストシーンが絶妙でした。この作品でも、主人公は子宮感覚の幸せを味わいます。

約20年前に原稿を書いたまま、次作を楽しみに待ち続けていました。しびれが切れました。線香花火のように一瞬輝いていた、若合春侑は「腦病院へまゐります。」といったきり戻ってきません。
山本藤光1999.07.19初稿、201712.25改稿)

渡辺淳一『失楽園』(上下巻、講談社文庫)

2018-03-05 | 書評「ら・わ行」の国内著者
渡辺淳一『失楽園』(上下巻、講談社文庫)

凛子と久木はお互いに家庭を持つ身でありながら、真剣に深く愛し合ってゆく。己れの心に従い、育んだ「絶対愛」を純粋に貫こうとする二人。その行きつく先にあるものは…。人間が「楽園」から追放された理由である「性愛=エロス」を徹底的に求め合う男女を描き、人間とは何かを問うた、渡辺文学の最高傑作。(「BOOK」データベースより)

◎医者から作家専任への道

 夏はウィークリー・マンションを借りて、札幌で過ごします。そのとき必ず訪れるのは、北海道文学館と渡辺淳一文学記念館です。昨年、渡辺淳一文学記念館へ行って驚きました。中国人だらけだったのです。中国では、渡辺淳一と村上春樹が大人気のようです。
 渡辺淳一は1933年に北海道で生まれ、北海道大学理類に進学しました。そして整形外科医として、札幌医大に勤務しました。仕事の傍ら小説を書いていましたが、彼を決定的に変えたのは和田寿郎教授の心臓移植手術でした。彼は院内で疑義を唱えました。
その後『白い宴』(角川文庫、発表時のタイトルは『小説・心臓移植』)を上梓し、院内を騒然とさせます。世間にはこの小説のために、渡辺は地方の炭鉱病院に左遷されたとする文章もあります。しかしこの説については、当時の上司であった河邨文一郎・札幌医科大学名誉教授が次のように書いています。

――とんでもない。あれは注文小説に忙しくなった渡辺君がなるべく暇な病院にしばらく出張したいと希望した結果にすぎない。(『ロマンの旅人・渡辺淳一』北海道新聞社P135)

 渡辺淳一は、医療の傍ら中間小説作家を目指しました。結局、1970年(33歳)に『光と影』(文春文庫)を発表したと同時に作家活動に専念することになります。この作品は、総理大臣・寺内正毅をモデルとしたもので、医療(『白い宴』)・恋愛(『失楽園』)と同時に評伝という新たなジャンルを確立しました。

渡辺淳一作品の実質的な原点は『阿寒に果つ』(中公文庫、初出1973年)にあると思います。北海道で一番の進学校・札幌南高校へ入った彼は、そこで一人の女性に出会います。加清純子。2人は熱い交際をしますが、高校卒業前に彼女は行方不明になります。渡辺が北大へ入学したとき、純子は阿寒湖を見下ろす釧北峠の雪のなかから発見されます。損傷のない美しい遺体でした。
純子の死については、『阿寒に果つ』の第1章に書かれています。小悪魔的な魅力のある少女だったようです。おそらく渡辺淳一は彼女のことが書きたくて、執筆活動をスタートさせたはずです。純子の面影は、渡辺作品の随所に現れています。
渡辺淳一作品には必ずモデルが存在する、と書かれたりしています。しかしそれらのモデルと重なって、加清純子は渡辺を支配し続けているのだと思います。

◎『うたかた』を越えた

『失楽園』(上下巻、講談社文庫、初出1997年)は、ミリオンセラーになりました。日経新聞に連載されていましたので。ストーリーは小刻みに展開します。
妻のある男性と夫をもつ女性。こののっぴきならぬ恋を渡辺淳一は、これでもかとばかりに読者に突きつけてみせました。
同じような物語は、『うたかた』(講談社文庫)として7年前に発表しています。この作品も不倫を描いたものです。52歳の作家と35歳の着物デザイナーの絶対的な愛が描かれています。この作品では絶対愛の証として、剃毛をします。この行為について、渡辺淳一は次のように語っています。

――選ばれた者だけにゆるされた、選ばれた者だけの秘儀である。一見淫らなようで、剃るほうも剃られるほうも、その行為に一つの祈りを籠めている。(川西政明『評伝・渡辺淳一』集英社文庫P228)

作品中にも逸話が挿入されていますが、渡辺淳一は「阿部定事件」と「有島武郎心中事件」を念頭において、さらなる絶対愛の世界に挑みました。男は久木祥一郎。50歳半ばで出版社に勤務しています。女は38歳のカルチャーセンター書道講師・松原凛子。彼女は某医学部教授夫人でもあります。2人は久木の友人であるカルチャーセンターの責任者の紹介で出会います。2人とも連れ合いのある身でありながら、激しく求め合うようになります。
展開については触れないでおきますが、凛子は先に紹介した2つの事件に傾倒していきます。凛子は身体を重ねながら「怖い」を連発します。少し引用してみます。

――「わたし、怖いわ、怖いのよ」(中略)「わたしたち、きっといまが最高なのよ。いまが頂点で、これからは、いくら一緒にいても、下がるだけなんだわ」(下巻、P270)

 凛子のこの境地は、やがて心中へと加速されます。凛子の境地について、栗坪良樹編『現代文学鑑賞辞典(東京堂出版)では、「静かでけだるい哀しみ」と解説しています。本を読み終えたとき、私はまさにそんな感覚になりました。本書は渡辺淳一のねらいどおりに、確実に『うたかた』を越えていました。
(山本藤光2017.03.09初稿、2018.03.05改稿)

綿矢りさ『蹴りたい背中』(河出文庫)

2018-02-22 | 書評「ら・わ行」の国内著者
綿矢りさ『蹴りたい背中』(河出文庫)

高校に入ったばかりの蜷川とハツはクラスの余り者同士。やがてハツは、あるアイドルに夢中の蜷川の存在が気になってゆく…いびつな友情? それとも臆病な恋!? 不器用さゆえに孤独な二人の関係を描く、待望の文藝賞受賞第一作。第130回芥川賞受賞。(文庫案内より)

◎友達になればいいのかも

高校在学中に『インストール』(河出文庫)で当時最年少(17歳)の文藝賞受賞。つづいて大学在学中の2004年、『蹴りたい背中』(河出文庫)でこれまた当時最年少での芥川賞受賞。綿矢りさのスタートダッシュは、記録更新の華やかなものでした。

『蹴りたい背中』は芥川賞の選評でも、タイトルに違和感を覚えている選者がいました。背中イコール無防備な部位、という固定観念では解き明かせないと思います。主人公の長谷川初実(ハツ)には、特定の人の背中だから蹴りたい、という確固たる思いがあります。

本書の登場人物はほかに、同じ高校の同級生・にな川と絹代だけです。3人は高校に入学して2か月目をむかえています。当然輪郭の不鮮明なグループが、形成されている時期です。にな川は芸能人おたくで孤立した男子高校生です。初実もどのグループにもはいれずに浮いたままです。初実はグループについて、つぎのような考えでいます。

――私は、余りものも嫌いだけど、グループはもっと嫌いだ。できた瞬間から繕わなければいけない。不毛なものだから、中学生の頃、話に詰まって目を泳がせて、つまらない話題にしがみついて、そしてなんとなく盛り上げようと、けたたましく笑い声をあげている時なんかは、授業の中休みの十分間が永遠にも思えた。(本文P12-13より)

絹代は初実と中学時代からのともだちですが、男女混成のグループにはいっています。絹代は孤立している初実に、グループへの参加をうながしつづけます。しかし初実はグループ入りを拒絶しつづけます。はぐれ者の初実とにな川がひょんなことから親しくなります。初実は以前に、にな川が憧れているモデルのオリチャンと言葉をかわしたことがあります。それを知ったにな川は、初実がオリチャンと会った場所への案内をたのみます。

にな川はオリチャンがいた席の写真を撮り、座っていた椅子にふれます。案内した初実の存在など、彼の意識から消えています。にな川の撮影会のあと、初実は彼にこんな声をかけます。

(引用はじめ)
「あんたの家でちょっと休ませてほしいんだけど、いい?」
 言ってから、高校に入ってからずっとできなかった、〈人に気楽に声をかける〉ということが、にな川相手だとできたことに気づいた。
「ああ、別にいいよ。」
(中略)
 こんな簡単な会話が、久々なせいか、乾いた心に水のように染みこむ。私は、この、少し前を歩く猫背の男の子と友達になればいいのかもしれない。
(引用P64おわり)

にな川の部屋で、初実は彼のオリチャン・コレクションに度肝をぬかれます。ちょうどラジオでオリチャンの番組があるといって、にな川は耳にイアホンをつけて初実に丸まった背中を向けます。完全に無視された初実は、唐突に彼の背中を蹴りたい衝動にかられます。

初実はにな川の丸まった背中に、天秤棒があるのを見ます。片側には「友達になればいいのかも」、と思った自分の存在があります。もう片側にあるオリチャンの重みは、初実も承知しています。しかしにな川の背中は、初実の存在を完全に消し去っています。初実は思い切り、にな川の背中に蹴りをかませます。

◎「蹴りたい背中」の意味

初実はにな川から、オリチャンのライヴに誘われます。チケットを4枚も買ってしまって、余っているといわれたのです。いっしょに行くことを同意しましたが、チケットはまだ2枚余ったままです。初実は絹代を誘いました。ライヴが終わっても、にな川は楽屋口から出てくるオリチャンを待つといいます。結局3人は終バスに乗り遅れて、にな川の部屋で泊まることになります。

絹代はにな川の家の電話から、自宅へ泊るむねの電話をいれます。時代設定が携帯電話など、ないころなのかもしれません。初実は、そんなやさしい絹代が好きです。高校へはいっても中学時代のように、2人でつるんでいたかったのです。それを自分だけおいてグループにまじってしまったので、ずっと淋しく思っていました。絹代は初実にとって、かけがえのない友人だったのです。

にな川の部屋は狭く、彼はベランダで寝るといって2人に部屋を開放します。クーラーをつけ、電気を消し、2人はひさしぶりで言葉を交わします。ライヴで疲れた2人の会話は、あまりはずみません。やがて絹代の寝息が聞こえてきます。

初実はそっとベランダに出ます。そこにはにな川がいます。止めたはずのクーラーの室外機は、まだ回っていました。にな川の背中はずっとその熱風を浴びつづけていたのです。また「蹴りたい」という衝動がおきます。今度の蹴りたい気持ちは複雑です。絹代がいるのだから、あんたはいらない。オリチャンの夢を見ているかもしれない、愛しいあんたが憎い。

芥川賞選評で黒井千次はつぎのように語っています。
――読み終った時この風変りな表題に深く納得した。新人の作でこれほど内容と題名の見事に結びつく例は稀だろう。」「背中を蹴るという行為の中には、セックス以前であると同時にセックス以後をも予感させる広がりが隠れている。この感性にはどこか関西風の生理がひそんでいそうな気がする。

『蹴りたい背中』は最後まで「私」(初実)の視点でつづられています。綿矢りさは『蹴りたい背中』から9年後の2012年に、『ひらいて』(新潮社、現・新潮文庫)という女子高校生が主人公の小説を発表しています。これも1人称で書かれています。この作品でも主人公の「私」は、地味な男子生徒に惹かれていきます。

綿矢りさ作品は、会話の裏にある心を垣間見せてくれます。本音ではない発言やちょっとぼかした発言など、心の内がわかるので会話に味がでます。最近ピュアな小説が少なくなっており、綿矢りさの作品は楽しみにしています。
(山本藤光:2011.09.11初稿、2018.02.22改稿)

渡辺容子『左手に告げるなかれ』(講談社文庫)

2018-02-21 | 書評「ら・わ行」の国内著者
渡辺容子『左手に告げるなかれ』(講談社文庫)

「右手を見せてくれ」。スーパーで万引犯を捕捉する女性保安士・八木薔子のもとを訪れた刑事が尋ねる。3年前に別れた不倫相手の妻が殺害されたのだ。夫の不貞相手として多額の慰謝料をむしり取られた彼女にかかった殺人容疑。彼女の腕にある傷痕は何を意味するのか!?第42回江戸川乱歩賞受賞の本格長編推理。(「BOOK」データベースより)

◎実力派の新生が出現

渡辺容子は『左手に告げるなかれ』(講談社文庫)で、江戸川乱歩賞を受賞しました。これまで同賞に2度落選しており、『左手に告げるなかれ』は3度目の正直となったのです。この作品の主人公・八木薔子(ショウコ)は33歳の保安士。保安士といってもなじみがないと思いますが、著者自身がその職業についてつぎのように書いています。

――スーパー、百貨店などの売り場を、買い物客を装った姿で巡回して万引の警戒にあたる私服保安士の方々を取材させていただき、万引犯罪が増加の一途を辿っていることを実感させられた。(「本」1996年10月号より)

渡辺容子は入念な取材をおこない、保安士の仕事や心がけを作品のなかに結実させました。まるで保安士マニュアルを読んているような、記述もたくさんあります。しかしそれが作品を平坦にはしていません。一人称で書かれているために、視野が限定され単調になりがちなのですが、会話を多く取り入れることで作品に広がりをもたせています。万事が計算されてのことでしょう。マニュアルの部分はこんな具合です。

――スーパー、百貨店といった小売業では売上に対して、一・五パーセント前後の棚卸しロスが生じるといわれている。百億の売上があれば、帳簿在庫とを突き合わせると一億五千万円前後の差が生じるのだ。このうちの六割、つまり九千万円分は万引、もしくは内部不正によって生じたロスであるというのが、この世界の定説となっている。(本文より)

ある日、主人公を訪ねて刑事がやってきます。薔子は3年前に勤めていた証券会社を退職しています。当時不倫関係にあった木島とのことが発覚して、会社にいられなくなったのです。

薔子は木島の奥さんへ慰謝料400万円を支払うために、車やマンションを売却しました。木島の奥さんが何者かに殺害されます。刑事はその辺の経緯から、主人公に対して殺人の嫌疑をかけたのでした。帰り際に刑事がこんなことをいいます。この言葉の意味を後に知ることなりますが、このセリフがストーリーを引っぱっています。

――捜査に協力すると思って、ひとつセーターをまくって右手を見せてもらえませんか。(本文より)

被害者は、ダイイング・メッセージを残していました。それが「……みぎ手」であったのです。そして主人公の右手には傷がありました。薔子は右手にかけられた疑惑を晴らすべく、自ら真犯人をさがします。

いっぽう薔子以外にも、この事件を追っている探偵が現れます。探偵は不倫写真を撮ったために、薔子の人生を狂わせた責任をとりたいといいます。探偵の出現で作品は、さらに厚みを増します。素人探偵・薔子の視点のみでのなぞ解きでは、深みが生まれません。渡辺容子は探偵を登場させることで、ストーリーに新しい展開を生み出しました。

これ以上書くと、タイトルの意味も含めて、ルール違反になってしまいます。この作品のよさは、前述のとおり周到な準備と人物造形の巧みさにあります。会話は厚みに乏しいものの、一人称小説をカバーするには、十分な流れになっていました。

注目すべき新人の誕生です。今回渡辺容子に賞をさらわれた候補者の中に、高嶋哲夫、野沢尚がいました。この2人にも注目しています。
(山本藤光:2009.09.26、「日刊ゲンダイ・My Review」1996年10月20日号に藤光伸のペンネームで掲載したものを加筆修正しました)

◎『流さるる石のごとく』もお薦め

渡辺容子は多作の作家ではありません。じっくりと大切に作品を仕上げています。デビューは1992年、「売る女、脱ぐ女」で小説現代新人賞を受賞しています。しかしこの作品は見あたりません。1996年『左手に告げるなかれ』で江戸川乱歩賞を受賞しました。

主人公の八木薔子は、その後の作品にも登場します。文庫化されている著作でお薦めなのは、『ターニング・ポイント ボディーガード八木薔子』(講談社文庫)、『要人警護』(講談社文庫)そして八木薔子シリーズ最後の作品『罪なき者よ、我を撃て』(2013年講談社)の文庫化を待っている状況です。

八木薔子シリーズ以外の作品では、『流さるる石のごとく』(講談社文庫)がお薦めです。『流さるる石のごとく』の主人公・速水圓(まどか)は万引き癖があり、アルコール依存症です。そして脇役として、万引き防止システムの設計・施工会社社長の稲葉が登場します。

速水圓は、日本屈指の大富豪のひとり娘です。夫・速水道之は大学病院の助教授。父親に猛烈に反対されながら結婚しました。結婚して7年になりますが、子供はいません。夫婦仲には亀裂がはいっており、いつしか圓は夫に殺されるかもしれないと思いはじめています。それが万引きとアルコール摂取に拍車をかけています。

渡辺容子は、好んでめちゃくちゃな(ファニーな)ヒロインを描いています。その理由について、著者自身がつぎのように語っています。

――私の中では、ファニーという言葉がぴったりのヒロインというと、『ティファニーで朝食を』のホリー・ゴライトリなんです。いわゆるアウトサイダーですが、あのホリーの物語は何度読み返しても切なくなります。(「青春と読書」1999年10月号)

――アルコール依存症者をヒロインにしたのは、酔った彼女の目を通して見えてくる社会の歪みのようなものを描きたかったから。(同)

事件が起きます。圓のもとに「速水道之氏を誘拐した」と脅迫電話がはいります。夫が勤める病院へ電話をいれます。「奥さんが大怪我をした」という電話があり、そっちへ向かったという返事でした。
 
圓はジュエリー全品をボストンバックに詰めて、犯人の要求にしたがいます。犯人は徹底的に圓を振りまわします。東京自由が丘駅、東京駅、新神戸駅、宇治山田駅、猿田彦神社、賢島と犯人の指示が変わります。

そして、もう一つの事件が起きます。家へ戻った道之のもとへ、「圓を誘拐している」と脅迫電話が入るのです。犯人の要求で十億円を抱えて、指定の場所へ向かう道之。その間、圓はころころ変わる犯人の指示に振り回されています。だれひとり監禁されることのない誘拐事件。やがて道之の死体が発見されます。現金は消えていました。

この作品には、いたるところに「伏線」がはられています。読み進めるうちに、思わず前のページをくくりたくなるほどです。そしてさまざまな「依存症」が登場します。万引き防止の装置に依存する店舗。心臓のペースメーカーに依存する夫・道之。アルコールに依存する圓。お手伝いさんや速水の義母に依存する速水家の日常。病める社会の象徴として描かれているのが、「依存」なのです。

渡辺容子は「依存」を通じて、そんな現象にスポットをあててみせました。『流さるる石のごとく』は、「伏線の妙」と「依存」に着目して読んでいただきたいと思います。
(山本藤光:2009.10.16初稿、2018.02.21改稿)