山本藤光の文庫で読む500+α

著書「仕事と日常を磨く人間力マネジメント」の読書ナビ

辻村深月『凍りくじら』(講談社文庫)

2018-03-16 | 書評「ち・つ」の国内著者
辻村深月『凍りくじら』(講談社文庫)

藤子・F・不二雄を「先生」と呼び、その作品を愛する父が失踪して5年。高校生の理帆子は、夏の図書館で「写真を撮らせてほしい」と言う一人の青年に出会う。戸惑いつつも、他とは違う内面を見せていく理帆子。そして同じ頃に始まった不思議な警告。皆が愛する素敵な“道具”が私たちを照らすとき―。(「BOOK」データベースより)

◎ハテナマークのデビュー作

結婚式でのあいさつではありませんが、辻村深月は将来性のある有望なミステリー作家です。1980年生まれなので、まだまだ若手の新進作家のはんちゅうにくくられます。デビュー作『冷たい校舎の時は止まる』(上下巻、講談社文庫)は、メフィスト賞を受賞しています。
 
講談社文庫になったので、「500+α」候補として読んでみました。上下2巻の分厚い作品ですが、最初から結末が予測できました。舞台はセンター試験を間近にした高校。登場人物は、男女それぞれ4人と担任の榊先生。学園祭の最終日に、だれかが自殺をします。

大雪のなかを登校してきたのは、8人の生徒だけ。学校が臨時休校になったのか、休日なのを失念して登校してきたのか。幕開けの場面から、読者の頭にハテナマークが点灯します。ところが明確な説明がなされないまま、8人は校内に閉じこめられてしまいます。扉は開きません。時計は5時53分で止まっています。
 
止まった時計はなにを意味しているのか。学園祭の最中、だれかが死んでいます。凍てつく校舎に閉じこめられた8人の記憶も、凍結されてしまっています。そして一人ずつ消えてゆきます。校内にチャイムが鳴り響き、止まっていた時計が動き出します。
 
文章は巧みです。長い物語を引っ張る筆力は認めます。それにしても、独りよがりすぎる作品でした。未熟さが随所にあらわれ、笑ってしまう展開だったのです。それ以来、辻村深月のことは忘れていました。
 
◎『凍りくじら』は傑作である

大阪へ出張のとき、東京駅構内の書店に寄りました。忘れていた辻村深月の著作がありました。『凍りくじら』(初出2005年講談社ノベルス、現・講談社文庫)でした。帯に瀬名秀明が「これは、傑作だと思います」と、控えめな推薦をしていました。少しは進歩したのだろうと思いました。
 
辻村深月は化けていました。若い感性はいちど磨きがかかると、あっというまに成長します。そんなプロセスを目のあたりにしました。ハイハイからヨチヨチ歩き。そんな感じで、『凍りくじら』を読んみました。傑作だと思いました。デビュー当時から、筆力は評価していました。独善的な展開もなく、ストーリーも安定していました。

こんどは最後まで、展開が読めませんでした。辻村深月は落ち着いた筆致で、引っ張りつづけてくれました。ストーリーとしては単純なのですが、彼女には卓越した人物描写がありました。さらに各章のタイトルにもなっている「ドラえもん」の秘密道具が、作品に色どりをそえていました。
 
主人公・理帆子は、新進気鋭のカメラマンです。彼女の高校2年のときの、回想シーンが長くつづきます。回想シーンであることを忘れてしまうほど、読者をひっぱる内容でした。
 
理帆子の父親は、藤子・F・不二雄を「藤子先生」と呼んで敬愛していたカメラマンです。5年前に失踪しました。母親は入院中で、余命いくばくもありません。必然、理帆子は身のまわりのことは独りでこなす、しっかり者です。
 
理帆子は我が強く、平気で他人を見くだします。また周囲の人を「少し、○○」とSFの頭文字でラベルづけをしています。「少し、不在」「少し、不思議」などとやってしまうのです。いっぽう父親同様に、「ドラえもん」をこよなく愛しています。なんとも不思議な個性の持ち主なのです。
 
「ドラえもん」をミステリーにとりこんだ発想もすごいのですが、読者から共鳴されないだろう主人公を登場させた独創性にも脱帽です。風変わりな主人公・理帆子が新進気鋭のカメラマンになるまでの軌跡。いつ爆裂するかもわからない、ドラえもんの秘密道具。丹念に登場人物を描きながら、辻村深月は読者に2つの楽しみを与えつづけました。
 
『凍りくじら』には、凛としたハリがありました。ヨチヨチ歩きだった若い作家が、少し高めのバーを越えてみせたのです。登場人物の出し入れが激しい作品ですが、破綻することはありませんでした。この作品は「月刊少年マガジン」で、マンガにもなったようです。『凍りくじら』は、完成された作品だと思います。

ここまで書いて、辻村深月が直木賞候補になっていることを知りました。しかしこの原稿を推敲している時点で、見送られたとのニュースをみました。辻村深月は、綾辻行人のファンです。筆名に「辻」をもらったほどです。
おそらく近いうちに、私はこの原稿の差し替え作業をすることになるでしょう。何しろ1著者1作品の紹介と決めていますので。
(山本藤光2010.02.19初稿2018.03.16改稿)


辻征夫『ぼくたちの(俎板のような)拳銃』(新潮社)

2018-03-10 | 書評「ち・つ」の国内著者
辻征夫『ぼくたちの(俎板のような)拳銃』(新潮社)

戦後まもない東京向島の花街とその周辺で育った少年少女たちの友情、冒険、早熟な性の目覚め…。現代抒情詩の第一人者の初めての小説集。(「BOOK」データベースより)

◎初めての散文集

辻征夫は私の好きな詩人です。その辻征夫が逝ってしまったのは、2000年1月のことでした。脊髄小脳変性症が死因でした。享年60歳。辻征夫は14歳から詩を書きはじめています。デビュー作は『学校の思い出』(思潮社、初出1962年、21歳)です。ところが突然書けなくなります。辻征夫が再起したのは、1987年(48歳)でしたので、とてつもなく長い冬眠生活だったわけです。

覚醒してからは、『かぜのひきかた』(書肆山田、初出1987年)や『ボートを漕ぐおばさんの肖像』 (書肆山田、初出1992年)などの優れた作品を堰を切ったように発表しました。そして初めての散文『ぼくたちの(俎板のような)拳銃』(新潮社、初出1999年)に至ります。

辻征夫の詩は、軽い、厚みがないと時々批判されていました。しかし私は、軽石を幾層にも積み上げた作品に、重層さを感じていました。その技法が、『ぼくたちの(俎板のような)拳銃』に結実したのだと思います。

今回15年ぶりに再読しました。そしてどうしても紹介したくなりました。文庫ではありませんので、山本藤光の「文庫で読む500+α」の番外編として取り上げることにしました。ただし本書は絶版であり、入手するのは難しいと思います。透明な文章と意外性のある構成。辻作品には不思議な魅力があります。

『ぼくたちの(俎板のような)拳銃』には、3つの作品が収載されています。いずれも著者自身の回顧録風に描かれています。

「遠ざかる島」は、400字詰め原稿用紙で60枚弱くらいの作品です。作品の舞台は八丈島に近い小さな島。単身赴任だった父親の住む島へ、主人公「ぼく」と家族が移住します。「ぼく」は7歳。「ぼく」には5歳年下の妹と、さらに2歳下の弟がいます。兄がいましたが、1歳数ヶ月で死んでいます。母親は病弱で、家族の面倒は真理子さんという26歳の女性がみてくれています。真理子さんは右足が不自由です。

「ぼく」がその島に住んだのは3年間。家族が島を去るとき、真理子さんは島に残りました。その後、真理子さんの消息はわかりませんでしたが、島で真理子さんを見たとの話は耳にします。その島へ20代後半の「ぼく」が、会社の旅行で訪問します。帰路、遠ざかる島を見ようと上甲板に向かいます。
 
――はじめは上半身しか見えていなかったのだが、数段登ると全身が見えた。季節外れのコートを着て長めのスカートをはいている。その裾から足が一本だけ出ている。両手で手摺につかまっている。/ぼくはそこから動かなかった。真理子さんだと思ったのである。真理子さんが遠ざかる島を見ている。その姿を大人になったぼくが見ている。(本文より)

◎構造主義理論を援用したかのような手法

表題作「ぼくたちの(俎板のような)拳銃」には、多くの固有名詞が登場します。辻征夫は、戦後の花街に住む少年少女を通して、現代失われつつあるものを呼び戻します。

カズナリの成績は不動の三十番。終戦後、満州から引き揚げてきました。多くの親が子供を現地に捨ててきたのに、カズナリは連れられてきたことを幸せだと思っています。

タカスケの母は、隅田川界隈を代表する芸者でした。タカスケには父がいません。生れたときから、単にいないだけなのです。トモアキは南の島から、転校してきた無口な少年です。クミコは養女としてもらわれてきました。三味線や踊りなどを仕込まれながら、掃除や使い走りをしています。コージは小学校へあがる前に、わずかだが幼稚園を経験しています。

物語はショッキングな結びで、幕が下ります。著者の訃報に接して、トモアキは辻征夫自身だったのだと思いました。
 
――トモアキは三十歳近くからまた詩をかきはじめ、さまざまな職業に就きながら生涯十二冊の詩集を出した。その頃から身体のバランスを司る脳神経に異常をきたしはじめ、晩年は杖に縋ってよろめきながら歩いた。(本文より)

「ぼくたちの(俎板のような)拳銃」は、第12回三島由紀夫賞の候補作になっています。このときは鈴木清剛『ロックンロールミシン』と堀江敏幸『おぱらばん』が受賞作になっています。選考委員の筒井康隆は他の選考委員を批判しつつ、次のように語っています。

――小説では辻征夫「ぼくたちの(俎板のような)拳銃」を推した。子供たちの群像を、短い章立てでそれぞれの交流を描くことによって最後に全体像をぼんやり浮かびあがらせるという、まるで構造主義理論を援用したかのような手法で書かれたこの作品は、ありきたりのストーリイ展開や所謂文学的描写に食傷している者、登場人物リストなどを作って作品世界へ知的に参加したい読者にとっては実に快楽的な作品であった。これも「断片の寄せ集めである」「こういう構成をするのは文章力がないからである」という誤解を受けて賛同を得られなかった。(筒井康隆『小説のゆくえ』中公文庫P172)

再読して、心が洗われました。ずっと以前に書いた文章に加筆修正しながら、筒井康隆の眼力に驚いています。
(本稿は藤光 伸の筆名でPHP研究所「ブック・チェイス」2000.02.06号に掲載したものを加筆修正しています)
(山本藤光:2000.02.06初稿、2018.03.10改稿)


筑摩書房『名指導で読む筑摩書房なつかしの高校国語』(ちくま学芸文庫)

2018-03-08 | 書評「ち・つ」の国内著者
筑摩書房『名指導で読む筑摩書房なつかしの高校国語』(ちくま学芸文庫)

赤・青・黄色の表紙で親しまれてきた、筑摩書房の高校国語教科書と、現場の先生たちが授業の準備に愛用した、あの幻の指導書が文庫で復活!「こころ」「舞姫」「無常ということ」「永訣の朝」など、教科書で読んだ不朽の名作と、木下順二、臼井吉見、益田勝実をはじめ、時代を代表する知識人たちが編纂した指導書より、珠玉の解説を織り合わせた傑作選。さらに谷川俊太郎本人による、自作の詩の解説なども収録。(「BOOK」データベースより)

◎「学習指導要領」の再現

本書は「学習指導要領」、いわゆる教師のアンチョコを一般向けにしたものです。それゆえ現役の教師にとっては、あまり歓迎したくない書籍です。もしも生徒が本書を読んでいたら、教師は丸裸にされ、手の内は丸見えの状態となります。

私の高校時代の国語は、「国語」「古文」「漢文」と区分けされていました。「現代国語」という名称が採用される以前の話です。「古文」と「漢文」の先生には、まったく覇気が感じられませんでした。しかし国語の先生は熱く魅力的な方でした。必然的に前者は居眠りの時間となり、後者は愉しみな時間となりました。
 
私は国語の教師になるために、教育実習を経験しています。中央大学付属高校の2年生を受けもちました。谷崎潤一郎『陰翳礼讃』(中公文庫)を教えました。教科書がどこのものかは記憶にありません。現役の国語教師から、「学習指導要領」を渡されました。教室の後ろで現役の教師の授業を見て学び、「学習指導要領」をほとんど丸暗記しました。

今回紹介する『名指導で読む筑摩書房なつかしの高校国語』は、まさに「学習指導要領」そのものです。おそらく多くの読者は、こんなふうに教わったのだと感慨にふけることと思います。

本書を夢中で読みました。なつかしさよりも、自分には生徒を教える資格がない、と痛感させられました。本書の構成を、太宰治『富岳百景』をベースに書きぬいてみます。

・小説全文と脚注
・著者プロフィール
・叙述と注解(作中に登場する小島烏水や井伏鱒二などの詳細説明がされています)
・作品鑑賞(思いを新たにする覚悟/富士と月見草と単一表現の美/道化の精神と文体の新しさの小見出しがあります)
・作者研究(作家としての特質/文学史上の位置という小見出しがあります)

小説を読んだあとに、前記のような補足があると、だれもが自分の読書のいたらなさを痛感することでしょう。たまにはそんな読書を楽しんでみてはいかがですか。本書にはつぎの作品が収載されています。

【小説編】
・羅生門(芥川龍之介) 
・夢十夜(夏目漱石) 
・山月記(中島敦) 
・富岳百景(太宰治) 
・こころ(夏目漱石) 
・藤野先生(魯迅) 

【随想編】
・清光館哀史(柳田国男) 

【評論編】
・失われた両腕(清岡卓行)
・無常ということ(小林秀雄) 

【詩歌編】
・「ネロ」について(谷川俊太郎) 
・I was born(吉野弘) 

◎『富岳百景』の授業を実施する

みんな宿題の『富岳百景』は読んできたかな。では先生といっしょに、小説の世界に分け入ってみよう。『富岳百景』はれっきとした私小説です。それまでに心中未遂を2度も試みたが死にきれない太宰治は、腑抜けのようになって敬愛する先輩作家・井伏鱒二のもとへとやってきます。それが冒頭場面ですね。

(主人公のわたしは)「思いを新たにする気持ちで」井伏鱒二が仕事をしている甲州・御坂峠にやってくるわけです。

井伏鱒二という作家の代表作は『黒い雨』(新潮文庫)とされていますが、先生は個人的に『山椒魚』(岩波文庫)を高く評価しています。原稿用紙でわずかに16枚の短篇です。中学3年のとき光村図書で学んだ人なら、『山椒魚』のすばらしさを知っていますよね。(村上護『教科書から消えた名作』小学館文庫を参考にしています)

井伏の住む茶屋の部屋からは、富士三景といわれている景色が見えます。しかし主人公はどう感じたのでしょうか。沢田さん、ちょっと○行目を読んでみてください。
「わたしは、あまり好かなかった。好かないばかりか、けいべつさえした。あまりに、おあつらえむきな富士である。まん中に富士があって、その下に河口湖が白く寒々と広がり、近景の山々がその両そでにひっそりうずくまって湖を抱きかかえるようにしている。わたしは、一目見て、狼狽し、顔を赤らめた。これは、まるで、ふろ屋のペンキ絵だ。芝居の書割(かきわり)だ。どうにも注文どおりのけしきで、わたしは恥ずかしくてならなかった」

 はい、沢田さんありがとう。世界遺産にもなった富士山を、太宰はぼろくそにいっていますね。ひねくれているんですね、この主人公は。でも最後まで読んでゆくと、鬱屈とした気持ちが少しずつやわらいできますね。「富士には月見草がよく似合う」という言葉は、御坂峠の太宰治文学碑に刻まれています。最後まで読まなかったら、「まるで風呂屋の絵とおなじじゃないか」などと刻まれることになってしまいますね。 

『名指導で読む筑摩書房なつかしの高校国語』は、こんな具合に活用してみるのも楽しいと思います。筑摩書房にはほかに、「高校生のための近現代文学ベーシック『ちくま小説入門』」という本もあります。こちらも国語の先生ごっこには、便利な1冊です。

◎あとづけ2015.09.06

最近の国語の教科書に関する、興味深い文章がありました。

――このごろの高校生は、評論は読めるけれど、小説は読めないって言うんですよね。書かれていないイメージの部分のことはわからないと。昔はぎゃくだったと思います。(『本』2011年6月号)

引用文は誰の発言なのか、切抜きを紛失してしまいました。でも考えさせられる話です。
(山本藤光:2014.09.09初稿、2018.03.08改稿

津本陽『龍馬』(全5巻、角川文庫)

2018-03-06 | 書評「ち・つ」の国内著者
津本陽『龍馬』(全5巻、角川文庫)

土佐郷士の家に生まれた坂本龍馬は、ジョン万次郎からアメリカの文明について聞かされ、まだ見ぬ世界への期待に夢を膨らませていた。嘉永六年、親友の妹と結婚の約束を交わした龍馬は一年間の江戸遊学へと旅立つ。小千葉道場で剣術修行に励む一方、佐久間象山を知るなど見聞を広めるが、折しもペリー率いる黒船が来航し、外国の脅威を目の当たりにする。土佐では、思わぬ悲劇が待ち受けていた。等身大の英雄像に挑む歴史巨篇。(「BOOK」データベースより)

◎『龍馬』と『竜馬』の併読

津本陽は歴史文学作家、と認識している方は多いと思います。ところが、初期作品はちがいます。直木賞受賞作『深重の海』(新潮文庫)は、和歌山県熊野灘の漁師村が舞台です。次作『蟻の構図』(徳間文庫絶版)は、企業小説でした。私はブックオフで『深重の海』(11刷平成13年)を見つけました。
  
それ以降の作品は、読んでいませんでした。たまたま司馬遼太郎『竜馬がゆく』(文春文庫)の第2巻を読んでいるとき、角川書房情報誌「本の旅人」(2001年1月号より)で連載中の津本陽『龍馬』に目がとまりました。村上豊のイラストつきの連載を読みはじめたら、とまらなくなりました。必然、2人の龍馬(竜馬)を併読する形になりました。

「龍馬」と「竜馬」のちがいに疑問をもちました。「ブリタニカ国際大百科事典」では、「坂本龍馬」と記載されています。どちらの表記が正しいのでしょうか。今回とりあげているのが津本陽『龍馬』ですので、そのタイトルにしたがって原稿をつなぎます。

『龍馬(1)青雲篇』(角川文庫)は、龍馬が17歳(嘉永4年、1851年)から書きおこされています。読み終わって、幕末時代が現代と酷似していることに驚きました。当時は攘夷論(外国を排撃して鎖国を主張)の真っ只中にありました。そこに開国を求めるペリーの黒船がやってきます。津本陽はこうした厳然たる事実に、郷土史家の細かな研究を重ねてみせます。

 龍馬には結婚を前提としてつきあっていた、お琴という存在があったこと。龍馬が海外への憧れを抱いたきっかけはなにか。19歳で江戸に修行にでたときの経緯や手続きについて。津本龍馬は細部のエピソードを幾重にも積み重ね、ひた向きな龍馬の青春を活写してみせます。

歴史小説をほとんど読まない私ですが、龍馬に夢中になりました。龍馬は、そのまま会社へもってきたいような人材なのです。歴史小説というと、おじさんのジャンルと思われがちですが、若い人にもぜひ読んでほしいと思います。大きな夢を抱いて今を生きることを、龍馬から実感してもらいたいものです。

ひそかな「龍馬ブーム」のようです。お手軽本を読むのもかまいませんが、司馬遼太郎と津本陽はぜひ読んでもらいたいと思います。もう1冊読んでもらいたいのは、松浦玲『坂本龍馬』(岩波新書)です。実直に史実をたどった、内容の濃い著作です。さらに龍馬の生きた時代をちがう観点から知りたいのなら、島崎藤村『夜明け前』(全4冊、新潮文庫)をお薦めします。

◎角川文庫と集英社文庫の2種類が存在

津本陽『龍馬』が角川文庫版になったので、「山本藤光の文庫で読む500+α」作品として紹介させてもらおうと再読をはじめました。3巻を読みおえて4巻を購入しようとしたとき、なんとなく違和感をおぼえました。私が手にしているのは、角川文庫ではなく集英社文庫だったのです。

『龍馬』が文庫化されたのは、角川2005年4月、集英社2009年9月です。なぜ集英社が新たな版権を獲得したのか、あるいは角川が放棄したのかはわかりません。迷惑するのは読者です。角川文庫『龍馬』は、もはや店頭ではみかけません。つまり、角川文庫で読んでいた読者は、途中の巻から集英社文庫にしなければならないのです。これでは書棚の美観がそこなわれます。
 
以前にも田口ランディ「電波系3部作」で1、2巻は幻冬舎文庫、3巻は新潮社文庫という不ぞろいな情景に辟易していました。『コンセント』『アンテナ』まで読み終えて、いよいよ完結篇『モザイク』だと、なんらちゅうちょすることなく買い求めてきました。気がついたのは、書棚にならべて、背表紙をみたときでした。
 
そんな経験があるので、津本陽『龍馬』の文庫化にはピリピリしてしまいます。私のようなくやしい思いをする読者がいないようにと、願うのみです。

さらに腑に落ちないことがあります。ウェブ上における両文庫の宣伝コピーをならべてみましょう。ほとんど同じなのです。どうなっているのでしょうか。出版社は自社の出版物を、自らが胸を張って書かないのでしょうか。ならべてみます。文章をほんのちょっといじったのが、良識とでもいうのでしょうか。

【角川文庫・津本陽『龍馬』第1巻】
 江戸遊学を控えた龍馬は、ジョン万次郎から西洋文明の発達を聞き、到来する激動の予感に胸を弾ませていた。しかし江戸では折しも来航した黒船に屈服する日本の現実を痛感する。土佐に帰った龍馬を思わぬ悲劇が襲う。(角川文庫「Web KADOKAWA」より)

【集英社文庫・津本陽『龍馬』第1巻】
 江戸遊学を控えた龍馬は、ジョン万次郎から西洋文明の話を聞き、激動の予感に胸を躍らせる。しかし江戸では来航した黒船に屈服する日本の現実を痛感する。土佐に帰った龍馬を思わぬ悲劇が襲う!(集英社文庫「BOOKNAVI」より)

第2巻以降も、2社の文庫案内は酷似しています。ともあれ、津本陽『龍馬』は、すばらしい作品です。私は雑誌連載時からの読者でしたので、角川文庫を紹介させていただきました。
(山本藤光:2010.04.10初稿、2018.03.06改稿)

鶴田知也『コシャマイン記』(講談社文芸文庫)

2018-03-03 | 書評「ち・つ」の国内著者
鶴田知也『コシャマイン記』(講談社文芸文庫)

和人によるアイヌ民族迫害の歴史を、誇り高き部族長の裔・コシャマインの悲劇的な人生に象徴させ、昭和十一年、第三回芥川賞を受賞した、叙事詩的作品「コシャマイン記」を中心に、棄民されていく開拓民の群像と、そこでの苦闘に迫る「ナンマッカの大男」「ニシタッパの農夫」など、北海道を舞台とした初期作品九篇を精選。アイヌと下層農民を描くことで、民族的連帯を模索した稀有なる試み。(「BOOK」データベースより)

◎優れた叙事詩

鶴田知也『コシャマイン記』(講談社文芸文庫)は、第3回(1936年=昭和11年)芥川賞受賞作です。鶴田知也はあまり知られていませんので、簡単に略歴を紹介させていただきます。
鶴田知也は、1902(明治35)年福岡県で生まれています。20歳のときに北海道八雲に渡り、8ヶ月ほど暮らしました。その後、葉山嘉樹を頼って名古屋へ行っています。『コシャマイン記』は葉山嘉樹に師事し、八雲での見聞をつづった作品です。「コシャマイン記」は、本書に所収されている「ペンケル物語」とともに、鶴田知也のアイヌものの代表作です。

「コシャマイン記」は菊池寛、小島政二郎などの評価を得て、芥川賞を受賞しました。小田嶽夫『城外』(『芥川賞全集・第1巻』)と同時受賞でしたが、室生犀星の選評が評価の高さを物語っています。以下は『芥川賞全集・第1巻』(文藝春秋)からの引用です。

――この哀れな歴史のやうな物語は今どきには珍しい自然描写などもあり、何か、むくつけき抵抗しがたいものに抵抗してゐるあたり、文明と野蛮とのいみじい辛辣な批判がある。(中略)「芥川賞」作品として「文藝春秋」誌上に再録するものとすれば、且つ読ませる点に於て、この「コシャマイン記」は満点の方ならんとこれらを考慮の一端に加へ申し候。(室生犀星)

―― 一番「コシャマイン記」に感心した。(中略)古いとか新しいとか云う事を離れて、立派な文学的作品であると思った。(中略)殆んど満場一致で入選したことは、嬉しかった。(菊池寛)

――このエピック(補:叙事詩。英雄詩。史詩のこと)と、文体とがよく一致していて、素朴愛すべき調子を出している。そこに美しさを感じた。(中略)この作品が群を抜いている。(小島政二郎)

◎和人に追われるアイヌ

「コシャマイン記」は、西蝦夷の漁場を日本人に追われたアイヌの史記です。歴史上「コシャマインの戦い」(1457年、和人に対するアイヌの武装蜂起)は存在しています。しかし本書はそれとは異なり、完全なフィクションです。

主人公・コシャマインの父親・タケナシは、セタナ(現在の瀬棚)の酋長(オトナ)でしたが、日本人のだまし討ちにあい殺害されます。冒頭を引いておきます。

――勇猛を以つて聞えたセタナの酋長(オトナ)タナケシが、六つのを率ゐて蜂起した時、日本の大将カキザキ・ヨシヒロは佯(いつわ)りの降伏によつてタナケシをその館(やかた)に招き入れ、大いに酔はしめて之(これ)を殺した。(本書P7)

 その後タナケシの後継者・ヘナウケも、日本人(シャモ)のだまし討ちにあって死亡します。

タナケシの子・コシャマインは母親・シラリカに背負われ、部下・キロロアンに導かれてイワナイ(現在の岩内)の酋長のもとへ身を隠します。コシャマインは生まれながらにして、アイヌ民族を統合し、日本人に奪われた故郷を奪還する使命を担っています。
イワナイに辿り着いた3人は、信義を重んずる酋長・シフクに庇護されます。しかしその死後、シラリカに恋情を寄せていた息子のトミアセが権力で彼女に迫ります。
 3人は犬ぞりでユーラップへと逃げます。追手が追跡します。アイヌ民族同志の、血肉の争いが起きます。キロロアンが2人を逃がすために命を失います。

 キロロアンを失った2人は、アブタベツまで逃げ延び、サカイモクという若者と出会います。彼にはペチカという婚約者がいるのですが、本人にも告げず2人を自分の妻と子供としてかくまいます。2人は危険分子として、日本人からも追われています。
コシャマインは、サカイモクから武術を学びます。サカイモクは指揮を学ばせるために、コシャマインをオニヒシのもとへ派遣します。

 やがてオニヒシは、アイヌ民族抗争で死亡します。サカイモクも、日本人の軍勢と闘い死亡します。コシャマインは先祖やサカイモクの恨みを晴らすために、日本人への復讐を誓います。日本人は、肥沃な土地に目をつけて侵略してきます。アイヌ民族は次第に、覇気を失ってしまいます。

◎芥川賞をもらってくれるか

 ストーリーの紹介は、ここまでにします。本書では日本人に侵略されるアイヌの悲劇に加え、衰退するアイヌ民族の姿も描かれています。木原直彦は著書のなかで、その点について次のように書いています。

――日本人の奸計に滅びゆくアイヌの運命を叙事詩ふうに描いたこの小説は、その清新簡潔なスタイルとエキゾチシズムとによって読者の心を捉えた。(木原直彦『名作の中の北海道』北海道新聞社P23)

作品は、きわめて短いものです。母に背負われたコシャマインが白髪になるまでを、15章に分けて構成されています。

 プロレタリア文学が芥川賞受賞というのは、特別な意味がありました。芥川賞の知らせを受けたときのことを、鶴田知也は次のように語っています。

――文藝春秋社員の菅忠雄さんから電話があった。芥川賞をもらってくれるかというのであった。私が、よろこんでお受けすると返事をしたら、菅さんはそれで安心したといって笑った。というのは、私が、文藝春秋とは対立関係にあったといっていい社会主義文学集団のメンバーだったからである。(日本ジャーナリスト専門学院出版部『芥川賞の研究』みき書房P198)

某社の2017年バスツアー企画のなかに、「鶴田知也『コシャマイン記』の旅」という案内がありました。ぜひ参加してみたいと思います。
本書は入手が難しいので、ネット検索してみてください。全文が見つかります。
(山本藤光1996.11.16初稿、2018.03.03改稿)
※初稿はPHPメルマガ「ブックチェイス」に掲載されています。現在は廃刊。

鶴見俊輔『思い出袋』(岩波新書)

2018-03-03 | 書評「ち・つ」の国内著者
鶴見俊輔『思い出袋』(岩波新書)

戦後思想史に独自の軌跡をしるす著者が、戦中・戦後をとおして出会った多くの人や本、自らの決断などを縦横に語る。抜きん出た知性と独特の感性が光る多彩な回想のなかでも、その北米体験と戦争経験は、著者の原点を鮮やかに示している。著者八十歳から七年にわたり綴った『図書』連載「一月一話」の集成に、書き下ろしの終章を付す。(「BOOK」データベースより)

◎不良少年だった

『鶴見俊輔コレクション』(全4巻、河出文庫)を味わいながら、読んでいる最中の訃報でした。つい先日の新聞に、安保法案反対の呼びかけ人の一人として、鶴見俊輔の名前もありました。反骨の知識人。鶴見俊輔は私の敬愛する知識人の代表格です。

『鶴見俊輔コレクション』を通読してから、発信しようと思っていました。しかし間に合いませんでした。以前に書いた『思い出袋』(岩波新書)の書評を中心に、感謝をこめて鶴見俊輔に迫ってみたいと思います。

(引用はじめ)
鶴見俊輔『思い出袋』(岩波新書)は。いきなりジョン万次郎のエピソードからひもとかれます。ジョン万次郎については、井伏鱒二『さざなみ軍記・ジョン万次郎漂流記』(新潮文庫)を読んで以来、ずっと興味を持っていました。その後、山本一力『ジョン・マン・波濤編』(講談社2010年)を読んで、さらに興味が増しました。山本一力「ジョン・マン」は、シリーズとして書き継がれるようですので、楽しみにしています。

――ジョン万次郎は私の出会った人ではないが、私の記憶の中できわだった人である。十四歳の少年として舟に乗りこみ、予想外の嵐にあって無人島に流され、アメリカの捕鯨船に助けられた。
(鶴見俊輔『思い出袋』岩波新書P2)
鶴見俊輔の筆は鮮やかな記憶を切り取り、それをビーズのようにつなげてみせます。難解な言葉はどこにもでてきません。

本書は岩波書店の情報誌『図書』に、「一月一話」というタイトルで書かれていたものをまとめた随筆集です。書き始めが80歳のときで、それが7年間続けられました。鶴見俊輔の経歴や思想、交友や読んだ本などを知るうえで、貴重な1冊です。

これまでに『期待と回想』(上下巻、晶文社)を読んでいました。分厚いインタビュー集でした。不良少年だった鶴見俊輔は、15歳でアメリカに留学します。『思い出袋』はそれらを言葉ではなく、文章で伝えてくれています。肩がこらない、1回が原稿用紙3枚ほどの掌編ですので、本書をお薦めさせていただきます。
(引用おわり「藤光日誌」2011.06.04)

◎アメリカ的リベラル

『思い出袋』のジョン万次郎は、おそらく15歳のときに留学した自分と重なっていたのだと思います。鶴見俊輔は、小田実らとともに「べ平連」の中心にいました。訃報を伝えた朝日新聞には、「鶴見俊輔さんの歩み」という記事がありました。ポイントを拾ってみます。

1922年:東京に生まれる
1939年:米ハーバート大哲学科入学
1942年:米FBIに連行され、日米交換船で帰国
1946年:雑誌「思想の科学」創刊
1965年:小田実さんらと「ベトナムに平和を!市民連合」(ベ平連)結成
2004年:小田実さん、加藤周一さん、大江健三郎さんらと「九条の会」の呼びかけ人となる

 鶴見俊輔は一貫して、戦争に反対し続けました。井上ひさしとの対談で、鶴見俊輔は沖縄について次のように語っています。

――沖縄というのはね、虚心に考えてみると、自治領として独立する条件は十分に整っていた、と思うんですよ。あれは日本の国家から賠償を取るべきであってね、一億玉砕とか本土上陸作戦とかいうことが、あそこだけで行われてきたんだし、日本の軍隊があそこで闘って、玉砕命令も随分出したんだし、たくさんの人が殺されたわけでしょう。(井上ひさし『笑談笑発・井上ひさし対談集』講談社文庫、鶴見俊輔の談)

鷲田小弥太は『昭和の思想家67人』(PHP新書)の一人として、鶴見俊輔をあげています。鷲田小弥太は別の著作の中で、次のように書いています。

――アメリカ的思考の豊かさと貴重さを、「リベラル」というキ^ワードで押さえて、戦後一貫して説き続けてきたのが鶴見である。(鷲田小弥太『日本を創った思想家たち』(PHP新書)

鶴見俊輔は幼いころはグレていましたが、アメリカで哲学を学んでから一度もブレたことはありません。ただし時々ノイローゼの症状に見舞われることがありました。そのあたりについて、埴谷雄高は著作の中で次のように書いています。平野謙とタクシーの車窓から、見た風景です。

――そとを眺めると、鶴見俊輔と夫人の姿がすぐ前に見えた。その頃、鶴見俊輔はノイローゼ気味と聞いていたので、健康のための散歩と見受けられたが、傍らに並んだ夫人のレイン・コ-トのポケットに手をつきこんだかたちが看護婦兼医者兼貞淑な話し相手という閃くような直観を喚起して印象的であった。(埴谷雄高『戦後の文学者たち』構想社)

頑固で硬派の印象が強い鶴見俊輔の、なんとも微笑ましい日常に、思わず笑ってしまいました。感謝。

◎追記2015.07.29:「グアダルーペの聖母」

「朝日新聞」(2015.07.29)に小熊英二(歴史社会学者)の「鶴見俊輔の追悼文」が掲載されていました。ちょっと引用させていただきます。

――国という枠組みにこだわらない彼は、日本の外にも、そうした想像力を見いだした。その一つが、征服者が押しつけた聖母像を、メキシコ先住民たちが褐色の肌の女神につくりかえた「グアダルーペの聖母」である。

「グアダルーペの聖母」は『鶴見俊輔コレクション3・旅と移動』(河出文庫)に収載されています。鶴見は日本国憲法も、アメリカから押しつけられたものである。しかし押しつけられた「嘘」から、「誠」を出したいと主張していました。

朝日新聞の追悼記事を読んで、「グアダルーペの聖母」を読み直しました。『トム・ソーヤの冒険』が大好きだった鶴見俊輔は、本日の参議院を見守っているにちがいありません。

(山本藤光:2011.06.04初稿、2018.03.03改稿)


坪内祐三『一九七二』(文春文庫)

2018-02-28 | 書評「ち・つ」の国内著者
坪内祐三『一九七二』(文春文庫)

連合赤軍があさま山荘にたてこもり、宮の森シャンツェに3本の日の丸が揚がった年は、今太閤が列島改造を叫び、ニクソンが突如北京に赴いた年でもあった。高度成長期の生真面目さとエンタテインメント志向の萌芽が交錯する奇妙な季節。3億円事件を知らない世代に熱い時代の息吹を伝える、新感覚の文化評論。(「BOOK」データベースより)

◎「節目」の年を深堀する
 
私が坪内祐三を認めたのは、2003年に発行された『一九七二』(初出2003年文藝春秋、文春文庫)からでした。表題の「一九七二」は、一九七二年のことです。本書は、1972年にまつわる事件や社会事象を題材にした評論集です。雑誌「諸君!」に約3年間、連載されていました。

1972年当時の坪内祐三は、中学1年生でした。本書では意図的に、14歳の視点は抑制されています。当時の新聞や週刊誌の記事をたどり、いまの目線で事件に迫ってみせます。ちょうど30年目にタイムカプセルを開けた、45歳の思考で当時を振り返っているのです。

横井正一が、「恥ずかしながら」といって帰国します。連合赤軍事件が昼夜を問わず、テレビで実況されつづけています。雑誌「ぴあ」が創刊され、ローリング・ストーンズが入国拒否されています。本書には、32の事件や社会事象がとりあげられています。

――(山本藤光註:連合赤軍事件は)何人もの作家たちがこの出来事を作品化しようと試み、失敗している。小説家の三田誠広は十数年前、この事件をモデルに『漂流記1972』(河出書房新社)と題するパロディ小説を発表した。(本文P82より)

この作品は私も読みましたが、薄っぺらで軽薄な内容でした。やがて文庫化されていますが、話題にもならずに消えてしまいました。あさま山荘のことなら、大泉康雄『あさま山荘銃撃戦の深層』(上下巻、講談社文庫)と『あさま山荘籠城』(祥伝社文庫)が秀逸です。

『一九七二』には、作家や評論家、雑誌記者なども多数登場します。それらの人を坪内祐三は、ばったばったと切り捨ててみせます。坪内祐三は当時の識者のコメントを引用し、それらを切捨てながら当時の深層に迫ってみせます。

私よりも一回りも若い坪内祐三の1972年に、自分のそのときを重ねてみました。私は入社3年目のサラリーマンでした。「ぴあ」もローリング・ストーンズも、私の当時とは重なりません。本書を読んで、時代とともに歩いていないサラリーマンだった、と痛感させられました。
 
そして自分の14歳のときを、検証してみたくなりました。私の中1時代は、どんな事件が世の中を騒がせていたのでしょうか。そんな気持ちににさせてくれた1冊でした。誰にでも「節目」の年は存在します。そんな1年にフォーカスをあてて、深堀してみることは大切なことだと思います。
 
◎『考える人』もお薦めである

坪内祐三を「文庫で読む500+α」の「知・教養・古典ジャンル」の一人に選ぶことは、以前からきめていました。実は『一九七二』にしようか、『考える人』(新潮文庫)にしょうかと迷いました。自分史に関心をもってもらいたかったので、『一九七二』は貴重なナビゲーターになってくれると思って選びました。

しかし『考える人』も捨てがたい著作です。本書は季刊誌「考える人」(新潮社)に連載されていたものを、まとめた著作です。季刊誌「考える人」は私の蔵書のなかでは特等席においてあります。特につぎの2冊は宝物のように愛しています。
『考える人』2011年夏号:梅棹忠夫・「文明」を探検した人
『考える人』2014年春号:海外児童文学ふたたび
 
坪内祐三『考える人』は、小林秀雄、幸田文、植草甚一など16人の「考える」ノウハウに迫った見事な評論集です。読書人にとって評論家の文章にふれるのは、考えを深めるための一助となります。そんな意味で『一九七二』と同様に、『考える人』にも注目していただきたいと思います。
(山本藤光:2010.08.11初稿、2018.02.28改稿)

壺井栄『二十四の瞳』(新潮文庫)

2018-02-24 | 書評「ち・つ」の国内著者
壺井栄『二十四の瞳』(新潮文庫)

瀬戸の小島の分教場に赴任して来たおなご先生と12人の教え子たちの胸に迫る師弟愛を、郷土色豊かな抒情の中に謳いあげた名作「二十四の瞳」。戦争という不可抗力に圧し潰されながらも懸命に生きる女教師と生徒たちを描いたこの作品は、昭和29年、名匠・木下恵介により映画化され空前のヒットをとばし、「ヒトミ・ブーム」という言葉さえ生んだ。(「BOOK」データベースより)

◎輝いている二十四の瞳

壺井栄『二十四の瞳』(新潮文庫)では、まず時代と舞台があきらかにされます。ところが地名は最後まで特定されていません。本書が発表されたのは1952(昭和27)年で、その2年後に映画化されました。そのときに壺井栄の出身地が香川県小豆島であることから、映像舞台として小豆島が選ばれたのです。映画は木下恵介監督で、大石先生役を高峰秀子が演じました。映画は1987年(朝間義隆監督)に、田中裕子主演でリメイクされています。

――昭和三年四月四日、農山漁村の名がぜんぶあてはまるような、瀬戸内海べりの一寒村へ、わかい女の先生が赴任してきた。(本文P5の4行目より)

洋服で自転車にまたがってやってきた大石先生を見て、村人たちは目を丸くします。大石先生が受けもった1年生のクラスには、12人の生徒がいました。余談ですが、大石先生役の高峰秀子は自転車に乗れませんでした。何度も練習した成果が、あの映画の名場面になっているのです。

――きょうはじめて教壇に立った大石先生の心に、きょうはじめて集団生活につながった十二人の一年生のひとみは、それぞれ個性にかがやいていてことさら印象ぶかくうつったのである、このひとみを、どうしてにごしてよいものか。(本文P28より)

貧しさに負けない清らかな瞳をみて、大石先生は深く心にきざみます。洋装で自転車にまたがった大石先生は、村のお母さんたちから反発されます。生徒たちも小さな大石先生を「大石・小石」といってからかいます。周囲から浮いた感じで、大石先生の奮闘はづづきます。

ある日、大石先生は生徒がつくった落とし穴で、アキレス腱をきって学校を休みます。12人の生徒は先生に会いたくて、泣きながら8キロの道のりをやってきます。松葉づえの先生と生徒たちは、浜辺で写真を撮ります。この写真が生涯、彼らの宝物になります。このできごとで、村人たちはこどもたちに愛されている大石先生を認めます。

その後、大石先生は本校へ転勤となります。世の中が急速に不景気になっていきます。貧しさのために夜逃げしたり、身売りされたりするこどもがでます。戦争がはげしくなってゆきます。かっての教え子が出征していきます。大石先生の夫と末の娘も帰らぬ人になります。このあたりのことについて、小川洋子の感想を引かせていただきます。

――自分が〈お国のために……〉と教え込んだ子どもたちが、戦場に送り出され、命を落としていった。教師としてこの後悔がどれほど苦しいものであったか、経験者でなければ想像もできないことでしょう。(小川洋子『みんなの図書室2』PHP文庫より)

◎十四の瞳の同窓会

敗戦の翌年、10数年ぶりに大石先生が分教場に戻ってきます。先生を歓迎する同窓会がひらかれます。参加者は男子5人のうちの2人。3人は戦死しています。女子は1人が病死で1人が行方不明で5人が参加しました。戦地で失明したかっての男子生徒が、写真を指さしながらみんなの名前を読み上げます。

苛酷な世の中の運命に、ほんろうされつづけた仲間たち。大石先生が12人の生徒たちといっしょにいたのは、ほんの数か月のことです。にもかかわらず、大石先生の気持ちは、しっかりとこどもたちに届いていました。新米の先生とピカピカの1年生。いまの時代ならうすっぺらな関係なのでしょうが、日本がもっとも貧しかった時代の話です。支え合い、いたわりあって生きてゆかなければなりません。

壺井栄はそんな時代を、新米先生と初々しい12人の生徒だけで、みごとに活写してみせました。舞台もここでなければならない、というくらいぴったりの選択でした。

壺井栄については、「朝日新聞」の切抜きから紹介させていただきます。

――壺井栄の父は醤油樽職人だ。子が10人いたうえ孤児2人を引き取り12人を育てた。栄は家計を助けようと10歳で子守をし、15歳で郵便局に勤めた。繁治と結婚して東京に住み、隣の林芙美子や近くの平林たい子と助け合って暮らした。小説家になったのは、周囲の女性作家の影響が大きい。宮本百合子の力添えで最初の小説を書いたのは38歳。「二十四の瞳」は1952年、58歳のときの作品だ。(「朝日新聞」2013年8月10日、「映画の旅人」より)

壺井栄が結婚した壺井繁治は、同じ島出身のアナーキスト詩人です。思想犯として何度も検挙され、栄は苦難の生活を余儀なくされました。このころ栄は、佐多稲子とも親しくしています。

『二十四の瞳』は読み方によって、反戦文学とも児童文学とも受けとれます。冒頭の時代は昭和3年4月4日です。「世の中の出来事といえば、普通選挙法というのが生まれ」と書かれています。普通選挙法といっても、まだ女性には選挙権があたえられていませんでした。したがって女性の抵抗を描いたプロレタリア文学である、とくくっている本もあります。

映画の舞台になった岬の分教場は、地元の保存会が守っているようです。前記朝日新聞の特集には、そのカラー写真が掲載されています。木造平屋建ての入り口には、青銅色の鐘が下がっていました。
(山本藤光:2013.12.05初稿、2018.02.24改稿)


筒井康隆『家族八景』(新潮文庫)

2018-02-22 | 書評「ち・つ」の国内著者
筒井康隆『家族八景』(新潮文庫)

幸か不幸か生まれながらのテレパシーをもって、目の前の人の心をすべて読みとってしまう可愛いお手伝いさんの七瀬――彼女は転々として移り住む八軒の住人の心にふと忍び寄ってマイホームの虚偽を抉り出す。人間心理の深層に容赦なく光を当て、平凡な日常生活を営む小市民の猥雑な心の裏面を、コミカルな筆致で、ペーソスにまで昇華させた、恐ろしくも哀しい本である。(アマゾン内容案内より)

◎「家政婦は見た」を凌駕した

『野生時代』(2013年8月号)で「筒井康隆特集」が組まれました。非常におもしろい、インタビュー記事がありました。本稿に加筆することにしました。以下ポイントのみ引用します。

(引用はじめ)
質問者:既存の小説技法に飽き足らず、つねに新しい小説の形を探究し続けていらっしゃいます。筒井さんを駆り立てているものは何でしょうか。
筒井:これはやはり読者を楽しませたい、読者を喜ばせたい、読者を笑わせたい、そして何よりも読者をびっくりさせたいという強烈な思いがぼくを駆り立てているんだと思います。
質問者:筒井さんの作品に共通する批評精神と、読者を喜ばせることを「両立」させるコツのようなものをぜひ教えていただきたいのですが。
筒井:今までの小説になかったものを殊更に書こうとするのが、それまでの小説に対する批判になります。そうした冒険は、何度も繰り返してやるものではなく、今までの小説の欠点を次次に批判していくうちに、結果として常に新たな冒険をすることになり、これがどうも読者を喜ばせるようですね。
(引用おわり)

この記事を読んでから、これまで「七瀬3部作」としてひとまとめで推薦していたものを、改めることにしました。ひとまとまりだったピースがはじけとんだのです。インタビューの最後に力強い筒井康隆の宣言がありました。「同じ手法で書かないというのは自分に課したこと」である、と胸をはっているのです。

それなら「七瀬3部作」を、別々に評価してみようと思いました。それが改稿の理由です。これまで私は「絶対におもしろい『七瀬3部作』」という見出しで、本稿を書いていました。筒井宣言をうけて、3作品をばらばらに評価することにしました。それが新たなタイトル「家政婦は見たを凌駕した」の意味です。

私は『家族八景』(新潮文庫)の後続作品を、あまり高く評価していません。私という読者は、筒井康隆の新しい仕かけになじめなかったのです。したがって、本稿を『家族八景』のみにしぼって、紹介させていただくことにしました。

本谷有希子は『野生時代』(2013年8月号)のなかで、『七瀬ふたたび』の読後感をつぎのように書いています。
――「この小説を永遠に読み終わりたくない」と葛藤したのは初めてです。あんなに胸がひき裂かれる読書体験は一度きり。当時、私は枕に顔を埋めて、もうすぐ読み終わってしまうことの悲しさに涙を流しました。

本谷有希子は私が一押しの若手です。彼女のように「七瀬三部作」のすべてに、満足している読者はたくさんいます。 

「なにかおもしろい作品はありませんか?」という質問をよく受けます。そんなときには、必ず「どんな本を読みたいのか?」と聞き返すことにしています。せっかく薦めた本が、途中で投げ捨てられる場面を、想像するとたまらないからです。

そして相手のニーズがエンターテイメントであったら、迷わず筒井康隆『家族八景』を薦めています。読んでみておもしろかったら、続編ともいえる『七瀬ふたたび』と『エディプスの恋人』(いずれも新潮文庫)という作品があるので、読んでみたらいい。これらは「七瀬3部作」と呼ばれる筒井康隆の代表作なので。

おそらくこのような推薦の仕方になると思います。

テレビドラマに「家政婦は見た」という、人気シリーズがありましたが、『家族八景』の主人公・火田七瀬もお手伝いさんです。しかも美貌の精神感応能力者(テレパス)なのです。おそらくテレビの方は、この作品をヒントにしているのだと思います。

――他人の心を読み取ることができる能力が自分に備わっていると自覚したのがいつだったか、七瀬は記憶していない。しかし七瀬は、十八歳になる今日まで、それが特に珍しい才能であると思ったことは一度もなかった。(本文より)

七瀬は自分の超能力を、相手に隠しつづけます。もしも相手の心を読んで望むとおりのことをすると、「なぜそんなに勘がいいのかと怪しまれる恐れが」あるからです。したがって七瀬は、ときどき「故意のとんちんかんを演じなければならな」りません。
 
七瀬の読心には、多少の努力が必要です。また読心に「掛け金をおろす」ことも大切でした。そうしなければ洪水のように、相手の思考が入ってきてしまうからです。

『家族八景』(新潮文庫)には、8組の家庭が登場します。いずれも平凡な家庭です、しかしその裏には、邪心が渦巻いています。それは性的欲望や嫉妬など猥雑なものばかりです。七瀬はそれらにうんざりしています。テレパスであることが露見しないように、七瀬は住みこみでない、お手伝いさんを選んでいます。つまり8つの家族の、日常の姿にスポットがあたっているわけです。

『家族八景』は舞台が家庭だけに、SFとしての仕かけはわかりやすいものになっています。しかもコミカルでどこかシニカルな文体で、平凡な人間の深層心理にせまっています。

◎筒井ワールド全開ですが

第2作『七瀬ふたたび』(新潮文庫)では、火田七瀬が家政婦を辞めて母の実家に戻る夜汽車の場面からはじまります。七瀬は列車のなかで、同じ超能力を保有する3歳児ノリオに出会います。
 
――この子は今、私の心を読んだ。七瀬は全身がしびれるほどの驚きで、なかば自失状態に陥った。男の子の意識野には、七瀬が今思い浮かべたばかりの崖くずれの情景がはっきりと再現され、焼きつけられていたからである。泣いたのはそのためだった。(本文より)
 
七瀬とノリオたちは途中下車して、危うく難をのがれます。その後の展開は、筒井康隆らしいはちゃめちゃのものとなります。ほかの超能力者があらわれたり、対決したり……。最後は超能力者に迫る国家権力まで登場します。

第3作『エディプスの恋人』(新潮文庫)の七瀬は、高校教務課職員であり、女神に変身します。ホームドラマ(家族八景)が、ハードボイルド(七瀬ふたたび)になり、ギリシャ神話(エディップスの恋人)で完結されます。私は難儀して完結まで読みましたが、本書を紹介した何人かからは「『家族八景』はおもしろかったけど……」と口をにごされました。

筒井康隆は多才な作家ですが、すべてを受けいれられる読者と辟易する読者が、半分ずつくらいかと思います。私は第1作を100点としたら、第2作70点、第3作40点と思っています。
 
『時をかける少女』(角川文庫)など、話題作は枚挙にいとまがありません。やがて差別用語をめぐって断筆宣言をするのですが、その前後の著作活動をふりかえってみたいと思います。年代はいずれも初出年です。

私は断筆前までの、筒井康隆作品が好きでした。筒井康隆は書き終えた原稿を、「宝石」や「SFマガジン」にもちこんでいました。今では星新一、小松左京とならび、「SF御三家」と呼ばれていますが、苦労した時代が長かったのです。

筒井康隆は1934(昭和9)年に、大阪で生まれました。はじめての出版は、27歳(1961年)のときです。早川書房から『東海道戦争』(現中公文庫)を上梓しています。東京と大阪の間で戦争が勃発します。筒井SFの原点を知るには、貴重な作品です。『時をかける少女』の連載を開始したのは、このころです。

筒井作品のおもしろさは文体そのものだったり、既成概念への挑戦だったり、ストーリー展開だったりします。著者が「停まっているときに、読み進まなければ追いつけそうにないほど、たくさんの著作があります。

『東海道戦争』の扉書きに、こんな一文があります。
――「僕の唾棄すべき常識を、/常に破壊してくれた、/三人の弟に――」。

筒井康隆には3人の弟がいました。彼らはそろって、筒井康隆が創刊したSF同人誌「NULL」に参加しています。筒井康隆には、デビュー前から3人の鋭い、読者兼評論家を持っていたのです。そのなかの作品「お助け」が、江戸川乱歩の目にとまりました。残念ながらその作品は、私の目にはとまっていません。

◎『私のグランパ』は筒井作品ベスト3

『私のグランパ』(文春文庫)はすぐれた作品です。私は『家族八景』(新潮文庫)『時をかける少女』(角川文庫)とともに、筒井作品のベスト3にあげています。

『私のグランパ』の主人公・珠子(8歳)は、父親の日記のなかから「父は囹圄の人であり」という文章を発見します。珠子は「囹圄」の意味を学校の先生に質問します。両親や祖母にも質問します。答えは返ってこなかったり、あいまいなものだったりの連続です。珠子が本当の意味を、はじめて知ったのは小学5年生になってからでした。

「囹圄」は「れいぎょ」または「れいご」と読み、獄舎や牢屋を意味します。珠子が物心ついてから、祖父はずっと家にいませんでした。質問しても、外国へ行っているなどとはぐらかされていました。珠子は、祖父が刑務所にいることを理解します。しかし珠子は中学1年生になるまで、そのことを家族にも黙っています。

珠子の通う公立中学校では、学内暴力が横行しています。また珠子は、いじめにも遭っています。珠子の家は、地上げ屋に脅しをかけられています。さらに珠子の両親の不仲。そんなおり、祖父の謙三が刑期を終えて、家へ戻ってくるとの知らせがありました。それを聞いて、珠子が「グランマ」と呼んでいた祖母は、家を出て行くといいます。

祖父・謙三が出所してきます。珠子の身辺に、新たな紛争の火種が降りかかります。いじめに、「前科者の孫娘」という罵声が加わりました。珠子は祖父を「グランパ」と呼ぶことにします。グランド・パパだから、「グランパ」というわけです。グランパは夜な夜な外出します。

本の帯には、「名作『時をかける少女』から35年―著者、会心の少年少女小説」とありました。私は先入観で、タイムスリップ小説を想像していました。しかしこの作品はそうではありませんでした。15年という刑期を務めたグランパが、娑婆(しゃば)にタイムスリップしてくるのです。そして次々と珠子の周囲の障壁をとり除きます。珠子をいじめていた、木崎ともみが突然謝罪にきます。校内暴力をふるっていた、男子学生が謙三に頭をさげます。
 
――「いじめたこと、堪忍してくれるかなあ」あたりに誰もいない、ふたりだけの廊下で、木崎ともみは懇願するような眼を珠子に向け、詠歎するように言った。(本文より)

 筒井マジックは、「グランパ」という個性に託され花開きました。筒井作品の魅力は、ミステリーツアーと似ています。目的地が見えにくいのです。

地上げ屋や菊池組組長との対決。祖父が屋根裏に隠した二億円の謎。みかじめ料を要求されるスタンド・バーへの仁義。世間で「ゴタケン」と呼ばれるグランパに降りかかる火の粉。次から次へと仕かけのあるハードルがならべられています。読者は作品に引きずりこまれ、ときには放り投げられます。

冒頭で登場した「囹圄」の2文字が、最後まで作品をひっぱります。未知なる文字が、想像もつかない祖父の生きざまとオーバラップします。原稿用紙150枚ほどの作品ですが、筒井康隆らしい高密度の作品でした。最後まで、作品のなかで重なることのなかった「グランマ」と「グランパ」の出し入れが絶妙で、この作品の大切な隠し味になっている点にも注目です。
(山本藤光:2009.08.04初稿、2018.02.22改稿)

辻村深月『島はぼくらと』(講談社文庫)

2018-02-13 | 書評「ち・つ」の国内著者
辻村深月『島はぼくらと』(講談社文庫)

17歳。卒業までは一緒にいよう。この島の別れの言葉は「行ってきます」。きっと「おかえり」が待っているから。
瀬戸内海に浮かぶ島、冴島。朱里、衣花、源樹、新の四人は島の唯一の同級生。フェリーで本土の高校に通う彼らは卒業と同時に島を出る。ある日、四人は冴島に「幻の脚本」を探しにきたという見知らぬ青年に声をかけられる。淡い恋と友情、大人たちの覚悟。旅立ちの日はもうすぐ。別れるときは笑顔でいよう。
大人も子供も一生青春宣言! 辻村深月の新たな代表作。(内容紹介より)

◎四人の高校生を軸に

辻村深月は、『凍りくじら』(講談社文庫)を「500+α」で紹介していました。しかし『島はぼくらと』(講談社文庫)の方がはるかに優れています。推薦作の変更をすることにしました。本書はkindle版で読みました。とてもさわやかな読後感でした。
本書は辻村深月が新たなステージに到達した記念碑的な作品、と声高にお伝えしたいと思います。そして著者自身も本書について、次のように語っています。

――「これが辻村深月の小説です」と言って、誰にでも渡せるものがやっとできたなって思っています。「私はこういう小説を書いています」と人に言える、とっても大切な一冊です。(「IN POCKET」2016年7月号)

『島はぼくらと』の舞台は、人口三千人弱の瀬戸内海の小さな島・冴島(さえじま)。主な登場人物である男女の高校生の四人は、フェリーで二十分かかる本土の学校へ通っています。

母と祖母の女三代で暮らす、純粋な少女・朱里(あかり)。朱里は源樹に、淡い恋心を抱いています。
美人で気が強く、怜悧な網元の一人娘・衣花(きぬか)。
島でリゾートホテルを経営する父と暮らす、少し不良っぽい源樹(げんき)。
熱心な演劇部員で、頭脳明晰な新(あらた)。

この設定をみただけで、なんとなく展開が推測できそうです。ところが本書は、薄っぺらな恋愛小説にはなっていません。物語を支える脇役が多岐にわたり、いずれも個性的です。

フェリーで下校中の彼らは、霧崎という男から声をかけられます。男は「幻の脚本を知らないか」と尋ねます。「幻の脚本」をめぐるてんまつについては、興ざめになるので触れません。

四人は高校を卒業したら、冴島を離れる運命にあります。一方村長が移住を推進しており、島に根づく人々もいます。

◎人と人を繋げる仕事

 あとがきに書いてある、コミュニティデザイナーの西上ありさ氏の存在なくして、本書は生まれていません。二人は「IN POCKET」(2016年7月号)で対談しています。対談内容については、のちほど引用させていただきます。四人の高校生が物語の基軸ですが本書には、さまざまな話がこれでもかとばかりに出てきます。
 朱里の母や祖母の時代の話。元の住民とIターン組の話。シングルマザーや村長の話。コミュニティデザイナーの話。これらの話は、巧みに物語に彩りを与えています。

特に前記の西上ありさ氏がモデルの、コミュニティデザイナー・ヨシノは物語の大切なキーパスンです。彼女は国土交通省の離島振興支援課の紹介で冴島にやってきます。

――彼女(ヨシノ)はIターンの新しい住人と、先住する島民との間を取り持つ、「人と人を繋げる仕事」をしています。(「IN POCKET」2016年7月号P14)

コミュニティデザイナーは、単行本では地域活性デザイナーとなっていました。この変更は西上氏に対する、著者の暖かい心遣いなのでしょう。

◎ラストでウルウル

『島はぼくらと』には、小さな物語が幾層にも連なっています。少しだけ紹介させていただきます。
島のためにと全力を尽くす村長は、時には島民と対立したり私欲をむき出しにします。
シングルマザー蕗子の娘が喀血します。村長の思惑で村には医者はいません。そこへ蕗子と同じIターン組の本木が、駆けつけてきます。本木がなぜ冴島にやってきたのか、素性は何なのか、は読んでお楽しみとします。

 島には男が成人になったら、「兄弟」の盃を交わす慣習があります。私は読み落としていましたが、北上次郎はそこに着目していました。朱里が保育園を卒園する冬の場面です。

――島に生まれた朱里が、「私と『兄弟』になろう!」と源治に言うシーンがある。(『本の雑誌』2,013年8月号)

北上次郎は、私が最も信頼している書評家です。彼の推薦する本には、はずれはありません。その北上は、素敵なシーンを教えてくれました。

そして静かな感動的なラストシーンとなります。女子高生の会話に、涙腺がウルウルと震えました。著者自身がいうように、本書はまぎれもなく、辻村深月の代表作です。『凍りくじら』を「日本現代文学125+α」から外すのは忍びないのですが、1著者1作品を原則にしています。『島はぼくらと』を「125」に追加し、『凍りくじら』を「+α」に移す作業をしました。
未読の方には、「これが辻村深月の大切な一冊だよ」と伝えたいと思います。
山本藤光2018.01.19初稿、2018.02.13改稿