辻村深月『凍りくじら』(講談社文庫)
藤子・F・不二雄を「先生」と呼び、その作品を愛する父が失踪して5年。高校生の理帆子は、夏の図書館で「写真を撮らせてほしい」と言う一人の青年に出会う。戸惑いつつも、他とは違う内面を見せていく理帆子。そして同じ頃に始まった不思議な警告。皆が愛する素敵な“道具”が私たちを照らすとき―。(「BOOK」データベースより)
◎ハテナマークのデビュー作
結婚式でのあいさつではありませんが、辻村深月は将来性のある有望なミステリー作家です。1980年生まれなので、まだまだ若手の新進作家のはんちゅうにくくられます。デビュー作『冷たい校舎の時は止まる』(上下巻、講談社文庫)は、メフィスト賞を受賞しています。
講談社文庫になったので、「500+α」候補として読んでみました。上下2巻の分厚い作品ですが、最初から結末が予測できました。舞台はセンター試験を間近にした高校。登場人物は、男女それぞれ4人と担任の榊先生。学園祭の最終日に、だれかが自殺をします。
大雪のなかを登校してきたのは、8人の生徒だけ。学校が臨時休校になったのか、休日なのを失念して登校してきたのか。幕開けの場面から、読者の頭にハテナマークが点灯します。ところが明確な説明がなされないまま、8人は校内に閉じこめられてしまいます。扉は開きません。時計は5時53分で止まっています。
止まった時計はなにを意味しているのか。学園祭の最中、だれかが死んでいます。凍てつく校舎に閉じこめられた8人の記憶も、凍結されてしまっています。そして一人ずつ消えてゆきます。校内にチャイムが鳴り響き、止まっていた時計が動き出します。
文章は巧みです。長い物語を引っ張る筆力は認めます。それにしても、独りよがりすぎる作品でした。未熟さが随所にあらわれ、笑ってしまう展開だったのです。それ以来、辻村深月のことは忘れていました。
◎『凍りくじら』は傑作である
大阪へ出張のとき、東京駅構内の書店に寄りました。忘れていた辻村深月の著作がありました。『凍りくじら』(初出2005年講談社ノベルス、現・講談社文庫)でした。帯に瀬名秀明が「これは、傑作だと思います」と、控えめな推薦をしていました。少しは進歩したのだろうと思いました。
辻村深月は化けていました。若い感性はいちど磨きがかかると、あっというまに成長します。そんなプロセスを目のあたりにしました。ハイハイからヨチヨチ歩き。そんな感じで、『凍りくじら』を読んみました。傑作だと思いました。デビュー当時から、筆力は評価していました。独善的な展開もなく、ストーリーも安定していました。
こんどは最後まで、展開が読めませんでした。辻村深月は落ち着いた筆致で、引っ張りつづけてくれました。ストーリーとしては単純なのですが、彼女には卓越した人物描写がありました。さらに各章のタイトルにもなっている「ドラえもん」の秘密道具が、作品に色どりをそえていました。
主人公・理帆子は、新進気鋭のカメラマンです。彼女の高校2年のときの、回想シーンが長くつづきます。回想シーンであることを忘れてしまうほど、読者をひっぱる内容でした。
理帆子の父親は、藤子・F・不二雄を「藤子先生」と呼んで敬愛していたカメラマンです。5年前に失踪しました。母親は入院中で、余命いくばくもありません。必然、理帆子は身のまわりのことは独りでこなす、しっかり者です。
理帆子は我が強く、平気で他人を見くだします。また周囲の人を「少し、○○」とSFの頭文字でラベルづけをしています。「少し、不在」「少し、不思議」などとやってしまうのです。いっぽう父親同様に、「ドラえもん」をこよなく愛しています。なんとも不思議な個性の持ち主なのです。
「ドラえもん」をミステリーにとりこんだ発想もすごいのですが、読者から共鳴されないだろう主人公を登場させた独創性にも脱帽です。風変わりな主人公・理帆子が新進気鋭のカメラマンになるまでの軌跡。いつ爆裂するかもわからない、ドラえもんの秘密道具。丹念に登場人物を描きながら、辻村深月は読者に2つの楽しみを与えつづけました。
『凍りくじら』には、凛としたハリがありました。ヨチヨチ歩きだった若い作家が、少し高めのバーを越えてみせたのです。登場人物の出し入れが激しい作品ですが、破綻することはありませんでした。この作品は「月刊少年マガジン」で、マンガにもなったようです。『凍りくじら』は、完成された作品だと思います。
ここまで書いて、辻村深月が直木賞候補になっていることを知りました。しかしこの原稿を推敲している時点で、見送られたとのニュースをみました。辻村深月は、綾辻行人のファンです。筆名に「辻」をもらったほどです。
おそらく近いうちに、私はこの原稿の差し替え作業をすることになるでしょう。何しろ1著者1作品の紹介と決めていますので。
(山本藤光2010.02.19初稿2018.03.16改稿)
藤子・F・不二雄を「先生」と呼び、その作品を愛する父が失踪して5年。高校生の理帆子は、夏の図書館で「写真を撮らせてほしい」と言う一人の青年に出会う。戸惑いつつも、他とは違う内面を見せていく理帆子。そして同じ頃に始まった不思議な警告。皆が愛する素敵な“道具”が私たちを照らすとき―。(「BOOK」データベースより)
◎ハテナマークのデビュー作
結婚式でのあいさつではありませんが、辻村深月は将来性のある有望なミステリー作家です。1980年生まれなので、まだまだ若手の新進作家のはんちゅうにくくられます。デビュー作『冷たい校舎の時は止まる』(上下巻、講談社文庫)は、メフィスト賞を受賞しています。
講談社文庫になったので、「500+α」候補として読んでみました。上下2巻の分厚い作品ですが、最初から結末が予測できました。舞台はセンター試験を間近にした高校。登場人物は、男女それぞれ4人と担任の榊先生。学園祭の最終日に、だれかが自殺をします。
大雪のなかを登校してきたのは、8人の生徒だけ。学校が臨時休校になったのか、休日なのを失念して登校してきたのか。幕開けの場面から、読者の頭にハテナマークが点灯します。ところが明確な説明がなされないまま、8人は校内に閉じこめられてしまいます。扉は開きません。時計は5時53分で止まっています。
止まった時計はなにを意味しているのか。学園祭の最中、だれかが死んでいます。凍てつく校舎に閉じこめられた8人の記憶も、凍結されてしまっています。そして一人ずつ消えてゆきます。校内にチャイムが鳴り響き、止まっていた時計が動き出します。
文章は巧みです。長い物語を引っ張る筆力は認めます。それにしても、独りよがりすぎる作品でした。未熟さが随所にあらわれ、笑ってしまう展開だったのです。それ以来、辻村深月のことは忘れていました。
◎『凍りくじら』は傑作である
大阪へ出張のとき、東京駅構内の書店に寄りました。忘れていた辻村深月の著作がありました。『凍りくじら』(初出2005年講談社ノベルス、現・講談社文庫)でした。帯に瀬名秀明が「これは、傑作だと思います」と、控えめな推薦をしていました。少しは進歩したのだろうと思いました。
辻村深月は化けていました。若い感性はいちど磨きがかかると、あっというまに成長します。そんなプロセスを目のあたりにしました。ハイハイからヨチヨチ歩き。そんな感じで、『凍りくじら』を読んみました。傑作だと思いました。デビュー当時から、筆力は評価していました。独善的な展開もなく、ストーリーも安定していました。
こんどは最後まで、展開が読めませんでした。辻村深月は落ち着いた筆致で、引っ張りつづけてくれました。ストーリーとしては単純なのですが、彼女には卓越した人物描写がありました。さらに各章のタイトルにもなっている「ドラえもん」の秘密道具が、作品に色どりをそえていました。
主人公・理帆子は、新進気鋭のカメラマンです。彼女の高校2年のときの、回想シーンが長くつづきます。回想シーンであることを忘れてしまうほど、読者をひっぱる内容でした。
理帆子の父親は、藤子・F・不二雄を「藤子先生」と呼んで敬愛していたカメラマンです。5年前に失踪しました。母親は入院中で、余命いくばくもありません。必然、理帆子は身のまわりのことは独りでこなす、しっかり者です。
理帆子は我が強く、平気で他人を見くだします。また周囲の人を「少し、○○」とSFの頭文字でラベルづけをしています。「少し、不在」「少し、不思議」などとやってしまうのです。いっぽう父親同様に、「ドラえもん」をこよなく愛しています。なんとも不思議な個性の持ち主なのです。
「ドラえもん」をミステリーにとりこんだ発想もすごいのですが、読者から共鳴されないだろう主人公を登場させた独創性にも脱帽です。風変わりな主人公・理帆子が新進気鋭のカメラマンになるまでの軌跡。いつ爆裂するかもわからない、ドラえもんの秘密道具。丹念に登場人物を描きながら、辻村深月は読者に2つの楽しみを与えつづけました。
『凍りくじら』には、凛としたハリがありました。ヨチヨチ歩きだった若い作家が、少し高めのバーを越えてみせたのです。登場人物の出し入れが激しい作品ですが、破綻することはありませんでした。この作品は「月刊少年マガジン」で、マンガにもなったようです。『凍りくじら』は、完成された作品だと思います。
ここまで書いて、辻村深月が直木賞候補になっていることを知りました。しかしこの原稿を推敲している時点で、見送られたとのニュースをみました。辻村深月は、綾辻行人のファンです。筆名に「辻」をもらったほどです。
おそらく近いうちに、私はこの原稿の差し替え作業をすることになるでしょう。何しろ1著者1作品の紹介と決めていますので。
(山本藤光2010.02.19初稿2018.03.16改稿)