宮崎学『突破者』(上下巻、幻冬舎アウトロー文庫)
世の中ひっくり返したるで!――ヤクザの組長の息子として生まれた私は、幼い頃から喧嘩に明け暮れる一方、左翼思想にめざめていった。大学では共産党の青年ゲバルト部隊を率いて大活躍。ところが中退後は「週刊現代」の突撃記者になり……。グリコ・森永事件で犯人「キツネ目の男」に擬された男が、波瀾万丈の半生を記したベストセラー自伝。(「BOOK」データベースより)
◎迫力満点の自伝
宮崎学さんが76歳で世を去りました。訃報に接して、藤光 伸の名義で1999年3月6日・PHP研究所メルマガ「ブック・チェイス」に掲載したものに、加筆することにしました。宮崎学『突破者』(上下巻、幻冬舎アウトロー文庫)は、小説以上に迫力満点の自伝でした。
最初に著者のプロフィールを、本文をまとめる形で紹介いたします。
宮崎学はヤクザの家の次男として生まれました。幼いころから、こわもての男たちに「ボン」と呼ばれながら、ケンカざんまいの毎日を過ごしました。高校時代には家庭教師から、マルクス主義をしこまれます。
大学は早稲田に入り、学業そっちのけで大学闘争にのめりこみます。それもハンパではありません。最初のころは大衆運動の中にいますが、やがて過激な路線の指導者となります。
その後「週刊現代」の突撃記者を勤めながら、傾きかけた家業の解体業の再建にあたります。倒産を回避するために、過激な資金繰りに狂奔するも家業は倒産します。
本書を読もうとしたのは、 「キツネ目の男の半生記」というコピーに惹かれたからです、本書は森永・グリコ事件の犯人、と疑われた男の告白本です。幸いアリバイがあって、逮捕には至りませんでした。本書には取り調べの様子が、まるで映像を見ているかのように生々しく書かれています。絶対に当事者でなければ書けない、生々しい文章を堪能してください。
「森永・グリコ事件」をご存知ない方のために、コピーを引用しておきます。宮崎学の追悼記事からです。
――1984年から85年にかけてグリコのトップが誘拐され、「どくいり きけん たべたら 死ぬで かい人21面相」というメッセージとともに毒入りの菓子が店頭に置かれるなどして社会を震撼(しんかん)させた、グリコ森永事件の指名手配の似顔絵「きつね目の男」とそっくりだったことも拍車をかけた。(AERAdot.2022.04.06)
◎無茶者、突っ張り者
漫画家のいしいしんじは、宮崎学のことを次のように書いています。
――京都のヤクザ組長の子として生まれ、学生時代は共産党の秘密ゲバルト「あかつき行動隊」の一員、その後週刊誌の突撃記者、そして家業を継いで京都の解体屋、ゼネコン恐喝容疑で逮捕され、再び東京へ戻りバブルの地上げ屋……まだまだ続く。(いしいひさいち『』ほんの本棚』(創元ライブラリ文庫P57)
鉄パイプやゲバ棒で反対派を叩きのめす場面。談合破り、恐喝、賭場荒らしなどの描写は、どんな小説もおよばない現実味があります。宮崎学は裏社会を、ひょいとつまんで表にさらしてみせてくれました。
後半は債権者やヤクザに追われ、森永・グリコ事件の容疑者として警察にも追われる毎日が描かれています。世の中はバブル経済の真っ只中。上京した著者は、地上げ屋として頭角をあらわします。ここまでが宮崎学の半生記です。
――人が生きていくうえで、運不運がつきまとうのはどうにも避けられないことのようだ。そして、運にも不運にも後押しする風があるように思う。上り坂にあるときは頂点に向かって背中を押し上げる風が吹く。下り坂にあるときにも坂下に突き落とすような風が背中に吹く。(本文より)
宮崎学は理論家です。そして人生を、生死を達観しています。だからピンチに開き直ることができます。著者は1945年(昭和20年)生まれです。文庫本の表紙には「戦後史の陰を駆け抜けた50年」とあります。知らない世界の実話物語は絶品でした。タイトルの「突破者」とは、本文中に関西のことばで「無茶者、突っ張り者のことである」と説明されています。
――親方として部下には優しく、外にはきついことをやる。つまり、身体を張って身びいきの論理に徹するわけだ。それを「あの社長は突破やなあ。あれやったら、会社、大きなるで」と半ば失笑しつつ、賛仰の念も抱くのである。(本文より)
宮崎学は自らを、突破者と決めつけています。突破をやらなければ、土建屋の親方は務まらないとも書いています。この作品が多くの読者に受け入れられたのは、アウトローの世界への覗き見願望だけではありません。世界は違うものの、ひとつの信念に基づき必死で生きる男の姿に、共感を抱いた読者が多いはずです。
責任と権限を部下に委譲することを「エンパワーメント」といいます。しかし責任のみを部下に与えて、権限を委譲しきれない上司はたくさんいます。サラリーマン世界にも「突破者」の上司は必要だと痛感しました。
山本藤光1999.03.06初稿(PHP研究所「ブック・チェイス」掲載)2022.04.11改稿
世の中ひっくり返したるで!――ヤクザの組長の息子として生まれた私は、幼い頃から喧嘩に明け暮れる一方、左翼思想にめざめていった。大学では共産党の青年ゲバルト部隊を率いて大活躍。ところが中退後は「週刊現代」の突撃記者になり……。グリコ・森永事件で犯人「キツネ目の男」に擬された男が、波瀾万丈の半生を記したベストセラー自伝。(「BOOK」データベースより)
◎迫力満点の自伝
宮崎学さんが76歳で世を去りました。訃報に接して、藤光 伸の名義で1999年3月6日・PHP研究所メルマガ「ブック・チェイス」に掲載したものに、加筆することにしました。宮崎学『突破者』(上下巻、幻冬舎アウトロー文庫)は、小説以上に迫力満点の自伝でした。
最初に著者のプロフィールを、本文をまとめる形で紹介いたします。
宮崎学はヤクザの家の次男として生まれました。幼いころから、こわもての男たちに「ボン」と呼ばれながら、ケンカざんまいの毎日を過ごしました。高校時代には家庭教師から、マルクス主義をしこまれます。
大学は早稲田に入り、学業そっちのけで大学闘争にのめりこみます。それもハンパではありません。最初のころは大衆運動の中にいますが、やがて過激な路線の指導者となります。
その後「週刊現代」の突撃記者を勤めながら、傾きかけた家業の解体業の再建にあたります。倒産を回避するために、過激な資金繰りに狂奔するも家業は倒産します。
本書を読もうとしたのは、 「キツネ目の男の半生記」というコピーに惹かれたからです、本書は森永・グリコ事件の犯人、と疑われた男の告白本です。幸いアリバイがあって、逮捕には至りませんでした。本書には取り調べの様子が、まるで映像を見ているかのように生々しく書かれています。絶対に当事者でなければ書けない、生々しい文章を堪能してください。
「森永・グリコ事件」をご存知ない方のために、コピーを引用しておきます。宮崎学の追悼記事からです。
――1984年から85年にかけてグリコのトップが誘拐され、「どくいり きけん たべたら 死ぬで かい人21面相」というメッセージとともに毒入りの菓子が店頭に置かれるなどして社会を震撼(しんかん)させた、グリコ森永事件の指名手配の似顔絵「きつね目の男」とそっくりだったことも拍車をかけた。(AERAdot.2022.04.06)
◎無茶者、突っ張り者
漫画家のいしいしんじは、宮崎学のことを次のように書いています。
――京都のヤクザ組長の子として生まれ、学生時代は共産党の秘密ゲバルト「あかつき行動隊」の一員、その後週刊誌の突撃記者、そして家業を継いで京都の解体屋、ゼネコン恐喝容疑で逮捕され、再び東京へ戻りバブルの地上げ屋……まだまだ続く。(いしいひさいち『』ほんの本棚』(創元ライブラリ文庫P57)
鉄パイプやゲバ棒で反対派を叩きのめす場面。談合破り、恐喝、賭場荒らしなどの描写は、どんな小説もおよばない現実味があります。宮崎学は裏社会を、ひょいとつまんで表にさらしてみせてくれました。
後半は債権者やヤクザに追われ、森永・グリコ事件の容疑者として警察にも追われる毎日が描かれています。世の中はバブル経済の真っ只中。上京した著者は、地上げ屋として頭角をあらわします。ここまでが宮崎学の半生記です。
――人が生きていくうえで、運不運がつきまとうのはどうにも避けられないことのようだ。そして、運にも不運にも後押しする風があるように思う。上り坂にあるときは頂点に向かって背中を押し上げる風が吹く。下り坂にあるときにも坂下に突き落とすような風が背中に吹く。(本文より)
宮崎学は理論家です。そして人生を、生死を達観しています。だからピンチに開き直ることができます。著者は1945年(昭和20年)生まれです。文庫本の表紙には「戦後史の陰を駆け抜けた50年」とあります。知らない世界の実話物語は絶品でした。タイトルの「突破者」とは、本文中に関西のことばで「無茶者、突っ張り者のことである」と説明されています。
――親方として部下には優しく、外にはきついことをやる。つまり、身体を張って身びいきの論理に徹するわけだ。それを「あの社長は突破やなあ。あれやったら、会社、大きなるで」と半ば失笑しつつ、賛仰の念も抱くのである。(本文より)
宮崎学は自らを、突破者と決めつけています。突破をやらなければ、土建屋の親方は務まらないとも書いています。この作品が多くの読者に受け入れられたのは、アウトローの世界への覗き見願望だけではありません。世界は違うものの、ひとつの信念に基づき必死で生きる男の姿に、共感を抱いた読者が多いはずです。
責任と権限を部下に委譲することを「エンパワーメント」といいます。しかし責任のみを部下に与えて、権限を委譲しきれない上司はたくさんいます。サラリーマン世界にも「突破者」の上司は必要だと痛感しました。
山本藤光1999.03.06初稿(PHP研究所「ブック・チェイス」掲載)2022.04.11改稿