山本藤光の文庫で読む500+α

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宮崎学『突破者』(上下巻、幻冬舎アウトロー文庫)

2022-04-16 | 書評「み」の国内著者
宮崎学『突破者』(上下巻、幻冬舎アウトロー文庫)

世の中ひっくり返したるで!――ヤクザの組長の息子として生まれた私は、幼い頃から喧嘩に明け暮れる一方、左翼思想にめざめていった。大学では共産党の青年ゲバルト部隊を率いて大活躍。ところが中退後は「週刊現代」の突撃記者になり……。グリコ・森永事件で犯人「キツネ目の男」に擬された男が、波瀾万丈の半生を記したベストセラー自伝。(「BOOK」データベースより)

◎迫力満点の自伝

宮崎学さんが76歳で世を去りました。訃報に接して、藤光 伸の名義で1999年3月6日・PHP研究所メルマガ「ブック・チェイス」に掲載したものに、加筆することにしました。宮崎学『突破者』(上下巻、幻冬舎アウトロー文庫)は、小説以上に迫力満点の自伝でした。

最初に著者のプロフィールを、本文をまとめる形で紹介いたします。
宮崎学はヤクザの家の次男として生まれました。幼いころから、こわもての男たちに「ボン」と呼ばれながら、ケンカざんまいの毎日を過ごしました。高校時代には家庭教師から、マルクス主義をしこまれます。

大学は早稲田に入り、学業そっちのけで大学闘争にのめりこみます。それもハンパではありません。最初のころは大衆運動の中にいますが、やがて過激な路線の指導者となります。

その後「週刊現代」の突撃記者を勤めながら、傾きかけた家業の解体業の再建にあたります。倒産を回避するために、過激な資金繰りに狂奔するも家業は倒産します。

本書を読もうとしたのは、 「キツネ目の男の半生記」というコピーに惹かれたからです、本書は森永・グリコ事件の犯人、と疑われた男の告白本です。幸いアリバイがあって、逮捕には至りませんでした。本書には取り調べの様子が、まるで映像を見ているかのように生々しく書かれています。絶対に当事者でなければ書けない、生々しい文章を堪能してください。

「森永・グリコ事件」をご存知ない方のために、コピーを引用しておきます。宮崎学の追悼記事からです。
――1984年から85年にかけてグリコのトップが誘拐され、「どくいり きけん たべたら 死ぬで かい人21面相」というメッセージとともに毒入りの菓子が店頭に置かれるなどして社会を震撼(しんかん)させた、グリコ森永事件の指名手配の似顔絵「きつね目の男」とそっくりだったことも拍車をかけた。(AERAdot.2022.04.06)

◎無茶者、突っ張り者

漫画家のいしいしんじは、宮崎学のことを次のように書いています。
――京都のヤクザ組長の子として生まれ、学生時代は共産党の秘密ゲバルト「あかつき行動隊」の一員、その後週刊誌の突撃記者、そして家業を継いで京都の解体屋、ゼネコン恐喝容疑で逮捕され、再び東京へ戻りバブルの地上げ屋……まだまだ続く。(いしいひさいち『』ほんの本棚』(創元ライブラリ文庫P57)
 
鉄パイプやゲバ棒で反対派を叩きのめす場面。談合破り、恐喝、賭場荒らしなどの描写は、どんな小説もおよばない現実味があります。宮崎学は裏社会を、ひょいとつまんで表にさらしてみせてくれました。

 後半は債権者やヤクザに追われ、森永・グリコ事件の容疑者として警察にも追われる毎日が描かれています。世の中はバブル経済の真っ只中。上京した著者は、地上げ屋として頭角をあらわします。ここまでが宮崎学の半生記です。
 
――人が生きていくうえで、運不運がつきまとうのはどうにも避けられないことのようだ。そして、運にも不運にも後押しする風があるように思う。上り坂にあるときは頂点に向かって背中を押し上げる風が吹く。下り坂にあるときにも坂下に突き落とすような風が背中に吹く。(本文より)

宮崎学は理論家です。そして人生を、生死を達観しています。だからピンチに開き直ることができます。著者は1945年(昭和20年)生まれです。文庫本の表紙には「戦後史の陰を駆け抜けた50年」とあります。知らない世界の実話物語は絶品でした。タイトルの「突破者」とは、本文中に関西のことばで「無茶者、突っ張り者のことである」と説明されています。
――親方として部下には優しく、外にはきついことをやる。つまり、身体を張って身びいきの論理に徹するわけだ。それを「あの社長は突破やなあ。あれやったら、会社、大きなるで」と半ば失笑しつつ、賛仰の念も抱くのである。(本文より)

宮崎学は自らを、突破者と決めつけています。突破をやらなければ、土建屋の親方は務まらないとも書いています。この作品が多くの読者に受け入れられたのは、アウトローの世界への覗き見願望だけではありません。世界は違うものの、ひとつの信念に基づき必死で生きる男の姿に、共感を抱いた読者が多いはずです。

責任と権限を部下に委譲することを「エンパワーメント」といいます。しかし責任のみを部下に与えて、権限を委譲しきれない上司はたくさんいます。サラリーマン世界にも「突破者」の上司は必要だと痛感しました。
山本藤光1999.03.06初稿(PHP研究所「ブック・チェイス」掲載)2022.04.11改稿

道尾秀介『向日葵の咲かない夏』(新潮文庫)

2018-09-29 | 書評「み」の国内著者
道尾秀介『向日葵の咲かない夏』(新潮文庫)

◎直木賞まで一直線

この原稿の初稿は、PHP研究所のメルマガ「ブックチェイス」(現在は廃刊)に発表しています。今回はそれをベースに、最新の情報を加味してみたいと思います。

高水準で安定した作品を連発する道尾秀介は、30歳を目の前にした2004年『背の眼』(幻冬舎文庫)でデビューしました。本作は、ホラーサスペンス小説特別賞を受賞しています。
その後(2006年)『向日葵の咲かない夏』(新潮文庫)を発表しますが、本書がブレイクするのは文庫化されてからです。何とミリオンセラーとなりました。そして2007年以降の発表作は、次々と文学賞を受賞します。

2007年『シャドウ』(創元推理文庫)本格ミステリー大賞
2009年『ガラスの親指』(講談社文庫)日本推理作家協会賞
2010年『龍神の雨』(新潮文庫)大藪春彦賞
2010年『光媒の花』(集英社文庫)山本周五郎賞
2011年『月と蟹』(文春文庫)直木賞

道尾秀介作品は熱烈な愛読者がいる一方、毛嫌いする人も多くいます。今回紹介させていただく『向日葵の咲かない夏』(新潮文庫)の解説で、千街晶之もそう書いています。本書の初出は2005年ですから、デビュー作の翌年の作品となります。まだ初々しさの残る本書は、大型新人の誕生を確信させてくれました。

◎小5でホラー小説執筆

道尾秀介の直木賞受賞後の「自伝エッセイ」(オール読み物2011年3月号)がおもしろかったので、紹介させていただきます。

道尾秀介が初めて小説らしいものを書いたのは小学5年生のときです。
――あれはたしか「人形」というタイトルで、ジャンルで言うとホラー、ミステリー、スプラッター……とにかく何だか気持ちが悪い話だった。(P64)

 現在の作風は幼いころからのものだった。これには驚いてしまいました。

道尾秀介『向日葵の咲かない夏』の帯には、「このミステリーがすごい!2009年度・作家別投票・第1位」とあります。

本書にはたくさんの伏線が張られています。しかしいずれも確固たる意味があり、許容範囲のものでした。また本書には「叙述トリック」が仕掛けられています。叙述トリックについては、折原一『倒錯の帰結=首吊り島+監禁者』(講談社文庫)のなかで詳述させてもらっています。

 ストーリーは単純です。小学4年のミチオは、担任の岩村先生に頼まれて、プリントをS君の家に届けます。呼んでも返事がないので、中に入ります。そこでミチオはS君の首つり死体を発見します。すぐに担任に知らせ、刑事が駆けつけます。
死体があった痕跡はあるものの、死体は見つかりません。その後S君は、姿を変えてミチオのもとに現れます。「僕は殺されたんだ」とS君は訴え、自分の体を探してほしいと求めます。

これから先については、ネタバレになるので触れません。本書には死体損壊など、おぞましい場面がたくさんあります。ただし子ども目線での記述ですので、グロテスクには感じませんでした。

種明かしは終盤でなされます。それまで読者は、奥歯に繊維質のものがはさまっている感じを余儀なくされます。
 直木賞作家の初期の作品を、ご賞味ください。
山本藤光:初稿2009.04.09、改稿2018.09.28


宮部みゆき『かまいたち』(新潮文庫)

2018-03-21 | 書評「み」の国内著者
宮部みゆき『かまいたち』(新潮文庫)

夜な夜な出没して江戸市中を騒がす正体不明の辻斬り<かまいたち>。人は斬っても懐中は狙わないだけに人々の恐怖はいよいよ募っていた。そんなある晩、町医者の娘おようは辻斬りの現場を目撃してしまう…。サスペンス色の強い表題作はじめ、純朴な夫婦に芽生えた欲望を描く「師走の客」、超能力をテーマにした「迷い鳩」「騒ぐ刀」を収録。宮部ワールドの原点を示す時代小説短編集。(「BOOK」データベースより)

◎まだまだ紹介したい宮部作品

「山本藤光の文庫で読む500+α」は完結していますが、「+α」として紹介させていただきたい作品があります。宮部みゆきは推薦作として『火車』(新潮文庫)を選びました。しかしあと3冊ほど、無視したくない作品があります。本日はそのなかから、『かまいたち』(新潮文庫)を紹介させていただきます。

本書には標題作「かまいたち」を含めた、時代小説4作が収載されています。その中の「迷い鳩」「騒ぐ刀」は、著者自身もあとがきに書いている通り、1986年、1987年に書かれたものに手を加えた作品です。

宮部みゆきは1987年『我らが隣人の犯罪』(文春文庫)で、オール讀物推理小説新人賞を受賞しています。それがデビュー作ですから、前記2作品はその前後に書かれたものになります。そんな意味で『かまいたち』は、宮部みゆきの原点を知る上での貴重な作品集なのです。『火車』(新潮文庫、初出双葉社1992年)、『蒲生邸事件』(文春文庫、初出毎日新聞社1996年)で、すっかり宮部ワールドにはまってしまった私としては、どうしても読んでおきたい作品でした。

「かまいたち」は辻斬り現場を目撃してしまった、町医者の娘おようが主人公です。体裁はミステリー仕立ての時代物ですが、下手人の正体はすぐに明かされます。なんと辻斬りが、おようの家の向かいに越してくるのです。この展開は最後まで重要人物を明かさない『火車』とは、真逆のものになっています。

――提灯のあかりは、それでも娘の足もとを明るく照らした。この提灯は玄庵が特に作らせたもので、白地に黒く「八辻が原先 医師 新野玄庵」と書いてある。こうしておけば、夜道を行くときに、もしも医師を呼びに走る者と行きあったとき、役にたつだろうというのである。陽が落ちると、軒下にも同じ提灯をつるす。(本文より)

この提灯が命取りになってしまいます。善意で書かれたものが、自分の正体を明かす種になってしまうのです。宮部みゆきは、辻斬り現場を目撃したときのおよう。下手人が向かいの家に越してきたときのおよう。そして毅然とクライマックスに立ち向かうときのおようを、実にていねいに描き分けています。

「迷い鳩」「騒ぐ刀」は連作です。主人公のお初は兄嫁と、日本橋通町で「姉妹屋」という一膳飯屋を切り盛りしています。お初の長兄・六蔵は、岡引の親分です。次兄は、植木職人をしています。 そして、お初は超能力をもっています。人には見えないものが見えるのです。人には聞こえない声が聞こえてしまいます。

「迷い鳩」では、ろうそく問屋・柏屋の内儀とこんなやりとりを展開します。

――「お袖に血がついています。どこかお怪我でもされていませんか」/お初の言葉に、女は顔をしかめた。自分のたもとに目をやる。それからお初を見、お供の男と目を合わせると、今度は両袖にふれてみて、訊いた。/「何処に?」/お初は驚いた。(本文より)

お初には、事件の予兆が見えてしまうのです。やがて柏屋をめぐる事件へと物語は展開します。「騒ぐ刀」は悪霊が乗り移った刀と、それを封じる刀との対決の話です。ここではお初が、善意の刀の声を聞くところからはじまります。

2つの作品ともお初が果敢に、悪意と立ち向かうところが見せ場となっています。「かまいたち」もそうでしたが、知ってしまった主人公が勇気をもって現実と対峙する構図が冴える作品集でした。「師走の客」は短い作品であり、3作とは異質のストーリーとなっています。

幅広いジャンルを書き分ける宮部みゆきの、もう1つの世界をのぞいてみませんか。1作家1作品の禁をおかして、あえて紹介させていただきました。明日は『蒲生邸事件』(文春文庫)に言及したいと思います。
(山本藤光:1996.10.10初稿、2018.03.21改稿)

宮部みゆき『蒲生邸事件』(文春文庫)

2018-03-20 | 書評「み」の国内著者
宮部みゆき『蒲生邸事件』(文春文庫)

突如ホテル火災に見舞われた受験生・孝史。謎の男に助けられた先はなんと昭和十一年。当代随一の名手会心の日本SF大賞受賞作!(内容紹介より)

◎宮部みゆきのもうひとつの代表作
 
宮部みゆきの代表作は、直木賞候補作となった『火車』(新潮文庫、初出1992年)だと確信しています。カード破産をテーマにした力作で、直木賞を逸したものの、山本周五郎賞に輝いています。

宮部みゆきは描写力に定評のある作家ですが、それに加えて『火車』は、様々な文学的な冒険を試みています。たとえば、すべてを間接描写で通したり、犯人を最後まで登場させなかったりと。
私はこの作品に迷うことなく、10点満点で9点をつけました。

『蒲生邸事件』(文春文庫)は、二・二六事件当日の東京のホテルが舞台になっています。主人公の尾崎孝史は受験のために、ホテルに連泊しています。彼はホテルの目立たない場所に貼ってある、セピア色の2枚の写真を発見します。古風な洋館の写真には、こんな説明文がつけられています。

――旧蒲生邸 昭和二十三年四月二十日 撮影者 小野松吉
 
軍人らしい肖像写真には、こうも書かれていました。
――陸軍大将 蒲生憲之


そして「現在の当ホテルの建っている場所は蒲生憲之氏の屋敷のあったところです」と説明文もついていました。物語はここから一気に動き出します。

◎二・二六事件が現在に

最初の「事件」は、孝史がホテルの火災に巻き込まれる場面になります。なぞの中年男が、逃げ遅れた孝史を、時間をさかのぼって助けます。

――身体は宙を漂う。右手が何かをつかんでいる。絶対に放すなと言われたからつかんでいるんだ。なんだったっけ? 何を放すなと言われたんだっけ? あれはだれだったっけ?(本文より)

物語の舞台が、ホテルから蒲生邸に変わります。そして、二・二六の戒厳令下に変わります。とてつもなく長い作品だと思っていましたが、気がつくあっという間にページが進んでいました。

『蒲生邸事件』は、『火車』に並ぶ名作です。ストーリーテラー・宮部みゆきの神髄をみた気がします。

蒲生邸のあった場所に建つホテル。蒲生憲之はその場所で、昭和十一年二月二十六日、二・二六事件勃発当日に自決しています。作品の圧巻は、第3章の冒頭部分でしょう。

――正しく言うなら、その音は「轟いた」というほどのものではなかった。孝史が机に縛りつけられて過ごした去年の夏、近所の公園から頻繁に聞こえてきた花火の音と同じくらいの程度のものでしかなかった。それでも、なぜかしらそれが銃声であると分かった。一拍遅れて、心臓がどきんとした。今度はいったい、何が起こった?(本文より)

孝史は蒲生憲之の自決の「音」を聞くのです。蒲生憲之は長文の遺書を残して忽然と消えます。その遺書をめぐる秘話や憶測が、この作品の柱になっています。序章と終章の間にはさまれた「歴史」を、時間旅行者は変えられるのでしょうか。私もおおいに時空を超えて、楽しんませていただきました。
(山本藤光:1996.09.07初稿、2018.03.20改稿)

宮木あや子『校閲ガール』(角川文庫)

2018-03-13 | 書評「み」の国内著者
宮木あや子『校閲ガール』(角川文庫)

憧れのファッション誌の編集者を夢見て出版社に就職した河野悦子。しかし「名前がそれっぽい」という理由で(!?)、配属されたのは校閲部だった。校閲の仕事とは、原稿に誤りがないか確かめること。入社して2年目、苦手な文芸書の仕事に向かい合う日々だ。そして悦子が担当の原稿や周囲ではたびたび、ちょっとしたトラブルが巻き起こり…!?読んでスッキリ元気になる!最強のワーキングガールズエンタメ。(「BOOK」データベースより)

◎今の旦那との出会い

『校閲ガール』(角川文庫)の主人公の名前は、河野悦子(こうの・えつこ)。これだけで笑ってしまいました。彼女はファッション雑誌の編集をしたくて、大手出版社に就職しました。しかし配属されたのは、校閲部。自分の本名を縮めて読んだときと同じ語感の場所だったのです。その点については、冒頭で明らかにされています。

――人事部が「名前が校閲っぽい」というだけで配属を決めたらしい。というよりもむしろ採用された理由がそれだったらしい。(本文P11)

宮木あや子は40歳で書き上げた『花宵道中』(新潮文庫、初出2006年)で「女による女のためのR-18文学賞」大賞と読者賞を同時受賞しデビューしました。江戸時代の遊女を主人公にすえた、ユニークな作品は衝撃的でした。それ以来、追っかけをつづけてきました。しかし処女作を越える作品は、ありませんでした。
ところが『野良女』(光文社文庫、初出2009年)で、宮木あや子は処女峰を越えたのです。彼女のインタビュー記事にもありましたが、今の旦那と出会ったころに書いた作品だと思います。宮木あや子は、人生のターニングポイントとして、今の旦那との出会いをあげています。

『野良女』の主人公は、28歳の派遣社員。女仲間と集ると、下ネタのオンパレード。そのやりとりが実にリアルで、感心させられました。そして宮木あや子は『校閲ガール』(角川文庫、初出2014年)で、大ブレークすることになります。

◎究極のエンタメ

『校閲ガール』はドラマ化されました。観ていません。タイトルの冠に「地味にスゴイ!」とついたようです。校閲という舞台を小説に持ちこんだのは、おそらく初めてだと思います。原稿の誤字や錯誤を改めるのが、校閲の仕事です。
 華やかなファッシヨン雑誌の編集とは、別世界の文芸誌の校閲。

――しょっぱなから不貞腐れていた悦子に、エリンギ(註:上司の愛称)は「成果を出せば希望の部署に配属することができる(後略)」としばらくしてから言った。(本文P11-12)

こうして、社会人一年生の悦子の仕事がはじまります。悦子は、推理小説の大家・本郷大作の原稿の校閲を担当します。不慣れな悦子の校閲は、大家の逆鱗に触れることになります。それ以降のてんまつについては、ネタバレになるので紹介を控えます。

本書は文庫カバーのイラストが象徴しているマンガチックなエンタメ小説です。『野良女』の書評を書いていたのですが、ドラマの反響に後押しされて、原作の紹介をすることにしました。ネット検索をすると、99%がドラマの感想でした。本を読んでもらいたいという切なる思いで、文庫の書評を発信しています。

いろいろなことがあって、悦子は少しずつ成長します。そして最後にこんな境地になります。

――文芸の校閲がやりたくて出版社に入った米岡は、日本語をより正しく美しく整えてゆく作業にエクスタシーを感じるという。その感覚が聞いた当初は判らなかったが、今日初めて判った。(本文P222)

◎冴えるエンディング

デビュー作以来、宮木あや子は、芯の強い女性を描いてきています。新官能作家などといわれていますが、宮木は自分自身に正直な女性を描く天才です。それゆえエンディングが冴え渡ります。 
たとえば処女作『花宵道中』では、「男に夢を与えるためだけに生きておりんす」と信じていた主人公が、最後には「夢を見させるために生きているのに、知らぬ間に自分が夢を見ていた」という展開になります。

 本書では嫌だった校閲の仕事に、ほのかな光を見ることになります。宮木作品はプロローグの倦怠感がはちゃめちゃな展開の末、霧消していく構造になっています。間にはさまった具は、読者のために、楽しんでもらう仕掛が満載されています。
 本は楽しい。そんな気持ちにさせてくれる、宮木あや子を乞う閲覧(コウエツらん)あれ。
(山本藤光2017.02.27初稿、2018.03.13改稿) 

三田誠広『書く前に読もう超明解文学史』(集英社文庫)

2018-03-11 | 書評「み」の国内著者
三田誠広『書く前に読もう超明解文学史』(集英社文庫)

「ワセダ大学小説教室」第三弾。創作の基礎技術・方法を会得し、いよいよ最も大切な「テーマと手法」の選び方に突入する。時代に即した現代のテーマを選定するために、過去に書かれ読まれてきた名作を分析し整理しておこう。戦後50年の日本文学を効率的に振り返り、刺激に満ちた新しい小説を作り出す礎を確保。ベストセラーを書く日は近い。シリーズ完結篇。(「BOOK」データベースより)

◎本当にわかりやすい文学史

三田誠広は、芥川賞受賞作家です。私の書棚には、初期の初版本がならんでいます。しかし、どの小説も平凡で、深みが感じられませんでした。そんなわけで三田誠広の小説は、4冊しか読んでいません。
 
ある日書店で、『天気の好い日は小説を書こう』(集英社文庫、初出1994年朝日ソノラマ)を手にとりました。「W大学文芸科創作教室」という副題が気になったのです。読んでみました。非常に有益な本でした。いつか「感性を磨く文章教室」を開設しようとの野心があった私には、参考になることがたくさんありました。
 
つづいて『深くておいしい小説の書き方』、『書く前に読もう超明解文学史』(いずれも朝日ソノラマ)が出版されました。そして忘れたころに、『W大学文芸科創作教室・番外編・大鼎談』(三田誠広・笹倉明・岳真也、朝日ソノラマ)が発売になりました。つまり「W大学文芸科創作教室」シリーズは、番外編をふくめて全4冊となったのです。
 
そのなかから、小説家志望ではない一般人のために、1冊だけ推薦したいと思います。それが『書く前に読もう超明解文学史』(集英社文庫)です。本書は文章の書き方というよりも、本の読み方にウエイトがおかれています。
 
世界文学から近代日本文学そして現代日本文学まで、本書は作品の背景となっている社会情勢と照らし合わせて語られています。小説を読みながら、歴史を学ぶことができる作品がならべられています。
 
◎読書の幅を広げる

三田誠広は「自分の人生の指標となるようなリアルな小説が必要」とのべています。これって大切なことだと思います。三田誠広は、つぎのように書いています。
 
――十九世紀初めの女流作家の活躍は、女性の地位向上に密接に繋がっています。実際に女性の地位が向上するのは、もう少しあとの時代なのですが、自由に憧れる女性が増えつつあるという時代の流れが女流作家を生み、また作品をヒットさせたのです。
 同じことが日本でも起こりました。ただし、当時の日本はヨーロッパと比べて、百年くらいは遅れています。何しろオースティンやブロンテ姉妹が活躍した時、日本はまだ江戸時代だったのですから。(本文より) 
 
この文章のあとに、昭和初期の日本の女性作家について触れられています。三田誠広は、野上弥生子(推薦作『真知子』新潮文庫)と宮本百合子(推薦作『伸子』新潮文庫)を、社会派的な青春小説の双璧であると書いています。

『書く前に読もう超明解文学史』は、読書の幅を広げるための格好の1冊です。私は海外文学の代表作として、オースチンとブロンテを選んでいますが、2冊を併行して読めばもっと味わい深くなるということに気がつきました。野上弥生子『真知子』が絶版になっていることも、この本でふれられていなければ気がつきませんでした。

近代日本文学や海外文学を読もうと思っている人には、本書は非常に参考になります。それぞれの「文学史」本は数多くありますが、これほどコンパクトに語られているものはほかに知りません。早稲田大学の文芸科に入ったつもりで、ページをくくっていただきたいと思います。

◎ちょっと寄り道

小説家・三田誠広についても、ふれておきたいと思います。三田誠広のデビュー作『僕って何』(角川文庫)は、1977年に発表されて芥川賞を受賞しました。その前後に登場した新人作家は、ほかに3人います。

1976年:村上龍『限りなく透明に近いブルー』(講談社文庫)
1978年:立松和平『途方にくれて』(集英社)
1979年:村上春樹『風の歌を聴け』(講談社文庫) 

横一線でならんでいた4人は、それぞれが異なる世界で活躍しています。ちなみに三田誠広の小説でお薦めは『いちご同盟』(集英社文庫)です。この作品は教科書にも載りましたし、北上次郎編『14歳の本棚・初恋友情編』(新潮文庫)にも抄録の形で取りあげられています。

2012年、三田誠広は『超自分史のすすめ』(東京堂出版)を発表しています。「自分史」についての本は、あまり数多くは出されていません。本書はお勧めの1冊です。
山本藤光:2009.10.25初稿、2018.03.11改稿)


三木卓『野鹿のわたる吊橋』(集英社文庫)

2018-03-10 | 書評「み」の国内著者
三木卓『野鹿のわたる吊橋』(集英社文庫)

ぼくは36歳の独身。スポーツ新聞社の整理部に勤めるサラリーマン。酒場で飲んでいたぼくが、タバコを買いに外に出ると、白いワンピース姿の彼女がいた。瓶の中に指が入って困っていた。指をぬいてあげたことが、恋のはじまりだった。不思議な魅力をもつ彼女。恋人も家族も会社もすて、いつのまにか、ぼくは彼女の虜になっていく。…魔性の女を描く、長編恋愛小説。(「BOOK」データベースより)

◎三木・野呂・宮原・坂上・森内・後藤の輝いていた時代

1970代の前半に、三木卓、野呂邦暢、宮原昭夫、坂上弘、森内俊雄、後藤明生などを盛んに読んだ時代があります。しかし「山本藤光の文庫で読む500+α」には誰一人取り上げていません。それぞれの代表作は、次のようになります。

三木卓『砲撃のあとで』(集英社文庫、初出1973年、収載作「鶸」で芥川賞)
野呂邦暢『草のつるぎ』(文藝春秋、初出1974年、芥川賞受賞)
宮原昭夫『誰かが触った』(角川文庫、初出1972年、芥川賞受賞)
坂上弘『野菜売りの声』(河出書房、初出1970年)
森内俊雄『幼き者は驢馬に乗って』(文藝春秋、初出1971年)
後藤明生『挾み撃ち』(集英社文庫、初出1974年)

どの作品も捨てがたいのですが、入手しがたいことで推薦は見送りました。これらの作家はいわゆる純文学ですので、文庫化されることはあまりありません。そんな背景のなかで、比較的入手しゃすい1冊を紹介させていただくことにしました。

◎良質な恋愛小説

三木卓小説の出会いは、創作世界へのデビュー作『ミッドワイフの家』(講談社、初出1973年)からです。詩の世界にいた人ですから、文章が輝いていて印象的でした。その後、芥川賞受賞作の
『砲撃のあとで』を読んでとりこになりました。

『野鹿のわたる吊橋』は、良質の恋愛小説です。私は三木卓作品のなかで、本書がいちばん好きです。

主人公・吉永修司は、スポーツ新聞社の整理部に勤める36歳の独身です。現在、つき合っている29歳の和美がいますが、そろそろ関係を清算しようと考えています。

修司は夫に捨てられた妹・実子の救済のために、和美から200万円を借金しています。そんなとき、修司は迪子(みちこ)という不思議な女性と出会います。

深夜煙草を買いに出た修司は、自動販売機の傍らにうずくまっている女性を発見します。それが迪子との運命的な出会いでした。迪子は瓶に指をはさめ、抜けなくて困っていました。修司は飲んでいた店へ引き返し、油を借りて瓶から指を抜いてあげます。

修司が迪子と再会するのは、1ヶ月後のことです。地下街の靴屋で、客の足元にひざまずいている彼女を発見します。修司は靴を注文し、会社に連絡がほしいと告げます。しかし1週間が過ぎても、音沙汰がありません。不思議に思って靴屋に行ってみると、迪子は退職していました。翌日、迪子から連絡が入ります。注文の靴を届けたいといいます。

修司は待ち合わせ場所に、油を借りた居酒屋を指定します。雨が降っていました。迪子ははじめて出会った、自動販売機の傍らにいました。足元には靴箱が置いてありました。修司は自分の部屋へ、ずぶ濡れの迪子を案内します。

――突然、あることに気づいて飛び上がりそうになった。それはベッドのことである。前夜、化粧の濃い和美が無断でもぐりこんでいたベッドには、まだ香料の移り香が残っているはずだった。/ぼくはいそいで新しいシーツと蒲団カバーを取り出し、ベッドメイキングをした。枕も予備のものに替えた。(本文より)

どこへも行くあてもない、迪子との同居がはじまります。彼女は暇があれば、部屋の隅で寝ています。修司はそんな迪子に夢中になります。迪子は性愛の場で、いうがままになっています。そんな2人に変化が起きます。不感症みたいだった迪子が、絶頂を知るのです。主と従だった2人の関係が対等の立場に変わります。

やがて合鍵をもっている和美が、2人のもとに現れます。修司の母親が唐突に訪れます。2人の関係を知った妹の実子は、仲を裂こうとします。

作品の後半は意外な展開が待っています。頼りない迪子に、逞しい個性が宿るのです。疎遠だった母親。別れようとしていた恋人。自分では何もできない妹。

修司のずるずる引っ張っていた日常が、迪子という陰のある女性との出会いで変化をみせます。この作品はそうしたしがらみを乗り越えようとする男と、自我を取り戻そうとする女の、怪しくも艶めかしい物語です。
(山本藤光:2000.10.10初稿、2018.03.10改稿)

三角寛『山窩奇談』(河出文庫)

2018-03-09 | 書評「み」の国内著者
三角寛『山窩奇談』(河出文庫)

箕作り、箕直しなどを生業とし、移動生活を事としたサンカ。その生態を直接、または警察関係者から聞き取った、研究者で元新聞記者の三角寛による貴重な取材実録。川辺でセブリと呼ばれる天幕生活を営み、古くからの慣習を尊び、独特の厳しい掟を守って暮らす彼らの、警察や犯罪、事件との関わりを伝える。(「BOOK」データベースより)

◎甦った「山窩」(サンカ)

本稿を書くにあたり、「山窩」(サンカ)について概説しなければなりません。私は民俗学が好きで、柳田国男(推薦作『口語訳・遠野物語』河出文庫、佐藤誠輔訳)、南方熊楠(推薦作神坂次郎『縛られた巨人・南方熊楠の生涯』新潮文庫)、宮本常一(推薦作『忘れられた日本人』岩波文庫)の著作を愛読しています。おそらく「サンカ」との出会いは、次に引用する著作でだったと思います。

――サンカと称する者の生活については、永い間にいろいろな話を聴いている。我々平地の住民との一番大きな相違は、穀物果樹家畜を当てにしておらぬ点、次には定まった場処に家のないという点であるかと思う。山野自然の産物を利用する技術が事のほか発達していたようであるが、その多くは話としても我々には伝わっておらぬ。(柳田国男『山の人生』角川ソフィア文庫P11-12)

また宮本常一にも、『山に生きる人びと』(河出文庫)といった、サンカやマタギや木地師など、かつて山に暮らした漂泊民の実態を探訪・調査した著作があります。南方熊楠の著作にもサンカは登場します。鳥飼否宇は『異界』(角川書房)の主人公として、南方熊楠を登場させ、サンカにも触れています。

「サンカ」については、しばらく忘れていました。しかし2014年に河出文庫から、三角寛『山窩奇談』『山窩は生きている』が発刊され、2015年には岡本綺堂『サンカの民を追って』(河出文庫)までが文庫化されました。これで私の忘れかけていた興味に火がつきました。

早速それらを読み、さらに五木寛之『サンカの民と被差別の世界』(ちくま文庫)も読みました。

◎有名な「説教強盗」事件

三角寛(みすみ・かん)は、1903(明治36)年に生まれて1971年に死去した元朝日新聞の記者です。山窩研究の第一人者とされてきましたが、最近ではあれはすべて虚構である、とされるようになりました。事実、筒井功は『サンカの真実・三角寛の虚構』(文春新書)という著作を2006年に上梓しているほどです。

三角寛は他の人がサンカに言及したり、研究したりすると、すさまじい抗議をしたといわれています。研究を独占したかったのでしょうが、どうも人間的には自尊心が強く、名誉欲が異常に発達した人だったようです。

三角寛『山窩奇談』(河出文庫)には、冒頭で三角寛とサンガとの出会いが語られています。三角寛がサンカにのめりこんだのは、有名な「説教強盗」事件からでした。当時取材にあたっていた三角寛は、刑事からこんな言葉を聞きます。「犯人が逃げ足が速いからサンカかもしれない」。

「説教強盗」とは、夜中に住居へ押し入った泥棒が、熟睡している主を起こして金品を要求します。そして去りぎわに、「こんな用心が悪いから泥棒に入られる」などと説教をするのです。このあたりについては、礫川全次(こいしかわ・ぜんじ)『サンカと説教強盗』(河出文庫)に詳しく書かれているようです。本書は丸善にもブックセンターにも、ありませんでした。未読です。

◎捕物帳を読む感覚で

三角寛『山窩奇談』は、フィールドワークをまとめたものではありません。いまでは「サンカ小説」といわれているジャンルの著作となります。もちろん研究の成果に裏打ちされたものです。

本書は筆者がサンカ通の人から、聞き取った事件を8話所収したものです。物語はそれぞれ1話完結されています。しかし1話から5話までは、国八老人のサンカ体験談となっています。国八老人は刑事に請われて、サンカ情報を提供する諜者のことです。

国八老人は若いころに監獄に入り、そこでサンカと知り合いになります。出獄後は、サンカと親しくなります。サンカは瀬降と呼ばれる、粗末な小屋に住んでいます。国八老人はたびたびそこを訪れ、サンカの親分からいくつもの事件の話を聞きます。

8つの話は、いずれも単純なものです。捕物帳を読むような感覚で、楽しんでいただきたいと思います。日本文学史からスポイルされている、「サンカ小説」をご堪能ください。

「サンカ」を知っていただきたいと、あえて「知・教養・古典ジャンル」の1冊として紹介させていただきました。興味があれば、冒頭で触れた著作を、読んでみてください。
(山本藤光: 2015.12.13初稿、2018.03.09改稿)


水上勉『雁の寺(全)』(文春文庫)

2018-03-03 | 書評「み」の国内著者
水上勉『雁の寺(全)』(文春文庫)

頭の鉢が異常に大きく、おでこで奥眼の小坊主・堀之内慈念は寺院の内部になにを見、なにをしたか。京都の古寺、若狭の寒村、そして滋賀の古刹を舞台に、慈念の漂流がつづく。著者の体験にもとづいた怨念と、濃密な私小説的リアリティによって、純文学の域に達したミステリーである。昭和36年上期(第45回)直木賞を受賞した第一部の「雁の寺」につづく「雁の村」「雁の森」「雁の死」の四部作に新たに加筆し一冊に収めた、著者の代表作だ。(文庫案内より)

◎実体験をベースに

水上勉は「8歳のおり臨済宗相国寺瑞春院の侍者とな」(「新潮日本文学小辞典)っています。口べらしのために送りこまれた瑞春院を飛び出したのは13歳のときです。『雁の寺(全)』(文春文庫)には、その間の体験、見聞が実にリアルに描かれています。そのあたりについて、水上勉自身がつぎのように書いています。

――「雁の寺」に九歳から禅寺でくらした経験を投入してみた。つまり、背景の社会を寺院に置き換えたのである。実際に経験したことでもあったので、登場人物に似たような人が出てくる。この人たちには、不快な思いをあたえるのはたしかなことで、そういう気配りをしなくてはと深く考えられる場面は、事実から遠回りして描くという方法をとった。(水上勉『文壇放浪』新潮文庫P127-128より)

水上勉はこのあと、つぎのようにつづけます。

――「雁の寺」を書いたことで、私を九歳からあずかって、まがりなりにも、中学校へ入れてくださった和尚さまのご恩を忘れてはならないはずだったのだが、その和尚さまを殺してしまう小説を書いて文学賞を貰って生きているのであった。(同P129より)

本作は当初、第1部「雁の寺」のみ発表されました。本作はほぼ満場一致で直木賞を受賞します。さらに辛口といわれる、江藤淳や吉田健一が文芸時評にとりあげ賞賛します。その後、「雁の村」「雁の森」「雁の死」と書きつなげ、全4部として完結されました。

私は最初に新潮文庫『雁の寺/越前竹人形』で読みました。しかし収載は第1部のみでしたので、文春文庫『雁の寺(全)』を買い求めました。読書仲間と話していても、ときどき新潮文庫で読んだきりの人がいます。これはもったいない話です。

水上勉の推薦作を『金閣炎上』(新潮文庫)も考えました。そんなときに、酒井順子『金閣寺の燃やし方』(講談社文庫)を読みました。三島由紀夫『金閣寺』と水上勉『金閣炎上』について書かれた、とてもよい著作でした。2人の金閣寺については、酒井順子『金閣寺の燃やし方』をとりあげることで、まとめて紹介できると考えました。したがって心おきなく、『雁の寺(全)』を紹介させていただきます。

「雁の寺」は、瑞春院時代の襖絵を回顧し、モデルとしています。瑞春院には今も、雁の襖絵8枚が本堂上官の間(雁の間)に、当時のままに残っています。瑞春院は別名を「雁の寺」と呼ばれ、観光客や読者でにぎわいをみせています。

◎破りとられた雁の絵

京都に孤峯庵という禅寺がありました。住職・慈海は好色な男でした。孤峯庵には日本画の大家・岸本南嶽が描いた、雁の襖絵がありました。南嶽は孤峯庵をアトリエとして使い、里子という若い女とそこで起居していました。

この寺に慈念という小坊主がいました。彼は鉢頭で、小柄で、金壺眼という目立つ身体をしていました。慈念は若狭の宮大工の子として、養育されていました。しかし彼を産んだのは乞食女・お菊で、父親はだれかがわかりません。慈念は厳しい修行にたえ、住職・慈海にこき使われつづけます。

病床にふしていた南嶽は、囲っていた里子を慈海に託して死にます。好色な慈海は、ひっきりなしに里子を抱きます。里子は快くそれに応えますが、陰気な慈念にのぞかれているような不安をおぼえます。

里子は慈念の出生の秘密を知ります。不憫に感じた里子は、自らの肉体を慈念に投げだします。慈念は里子にたいして、愛着と憎悪のまざった複雑な感情をいだきます。

そんなある日、住職の慈海が忽然と消えてしまいます。事態は失踪あつかいになります。しかし慈海は小坊主・慈念に殺害されたのです。里子は慈念を疑います。今度は慈念が姿をくらまします。里子は襖絵のなかにある、母親の雁がこどもに餌をあたえている箇所が破りとられているのを発見します。

第1部「雁の寺」は、このあと里子も消えてしまう場面でおわります。住職の死は、里子の安住の場所をうばったのです。

◎濃密なリアリティ

このあと続編として「雁の村」「雁の森」「雁の死」と進展します。出奔した慈念は、産みの母・お菊への思いにかられ故郷・若狭へともどります。お菊は慈念を産んだ阿弥陀堂にいました。暗いなかからお菊は、自分を求めにきた客と思って媚をうります。慈念は絶望し、失意のまま立ち去ります。

その後慈念は、父・角蔵が働く現場の小坊主となります。飯場と別棟の小屋に、宮大工の父はお菊と住んでいました。自分の母親はお菊なのか。父親はだれなのか。慈念は鬱屈した問いを、父・角蔵にあびせます。そして……。

『雁の寺(全)』は数奇な運命に生まれた、の生涯をつづった作品です。幼いころに奉公にだされ、厳しい修行に明け暮れる慈念の姿を、水上勉はリアルに描きあげます。鉢頭のなかにある産みの母への思慕。金壺眼で見た住職と里子の愛欲生活。小さな身体のなかに思慕と憎悪をかかえ、慈念はゆがんだ世の中を生きていたのです。

本書は推理小説として発刊されましたが、純文学のはんちゅうにいれるべき作品だと思います。

――『雁の寺』が秀れた作品であるのは、水上氏の「言い難き秘密」が、さりげなく、しかも的確にイメージ化され、作品全体が濃密なリアリティをもった〈詩〉にまで高めたからである。(磯田光一『昭和作家論集成』新潮社より)

司修に『「雁の寺」の真実』(朝日新聞社)という著作があります。そのなかで、「『雁の寺』は以前に書いた『わが旅は暮れたり』という処女作の書き直しである」と書かれています。残念ながら本書は、みつけることができませんでした。最後に水上勉の回顧談を、紹介させていただきます。

――『雁の寺』で、じつは、仏教界、わけて臨済禅の伽藍生活を、しっかりと書いてみたかった。たてまえと本音の間を苦しみ、ごまかし生きる僧侶の、伴侶となった女の生の哀れと、おろかさ、それに貧困によってゆがめられた孤独な少年の、安心立命にまで降りたってゆかなかったその経緯を、ていねいにみてみたかった。(司修『「雁の寺」の真実』朝日新聞社P67より)
(山本藤光:2013.011.18初稿、2018.03.03改稿)

三木卓『私の方丈記』(河出書房新社新書版)

2018-02-28 | 書評「み」の国内著者
三木卓『私の方丈記』(河出書房新社新書版)

人生の原点がここにある。混迷の時代に射す光、現代語訳「方丈記」。引揚者として激動の戦中戦後を生きた著者が、自身の体験を「方丈記」に重ね、人間の幸福と老いの境地を見据えた名著。(「BOOK」データベースより)

◎幅広い文学活動

これまでに何冊もの、『方丈記』を読んできました。『ビギナーズ・クラッシックス・日本の古典・方丈記』(角川ソフィア文庫)、中野孝次『すらすら読める方丈記』(講談社文庫)、『永井路子の方丈記/徒然草・私の古典』(集英社文庫)、堀田善衛『方丈記私記』(ちくま文庫)などです。そして2014年2月書店で目にとまったのが、三木卓『私の方丈記』(河出書房新社・新書版)だったのです。

三木卓の「方丈記」は、『21世紀少年少女古典文学館10・徒然草/方丈記』(講談社)で読んでいました。このシリーズは、一流の作家が日本の古典を現代語訳しており、古典の入り口としては最良のものです。10巻に同時収載されている「徒然草」は、嵐山光三郎の訳によるものです。

『私の方丈記』は、三木卓の体験をはさむように、まえが現代語訳でうしろが原文の「方丈記」となっています。現代語訳は、『21世紀少年少女古典文学館10・徒然草/方丈記』が底本になっています。したがって私は前後の現代語訳と原文をパスして、「私の方丈記」の章だけを読みました。

三木卓は小説家、詩人、翻訳家という、肩書をもっています。1935年に生まれ、新聞記者だった父に連れられて、2歳から小学校2年までの6年間を大連ですごしています。敗戦のため帰国の途中で、父、祖母らを亡くしています。この経験をつづったのが、連作集『砲撃のあとで』(集英社文庫)に収載されている「鶸」(ひわ)で、この作品により芥川賞(1973年)を受賞しています。

児童書の翻訳では、アーノルド・ローベル(『ふくろうくん』 ミセスこどもの本)などがあります。また名著の案内もしており、三木卓監修『日本の名作文学案内』『世界の名作文学案内』(ともに集英社)などの著作もあります。

『私の方丈記』の「あとがき」には書かれていない、三木卓の『方丈記』の「あとがき」を紹介させていただきます。

――兄は、当時の自分の学生生活を思い出して、「あのころは『方丈記』よりせまい生活だったなあ。」と、懐かしそうにいったことがあります。方丈の部屋というのは、一辺が約三メートルの四角形ですから四畳半ぐらいでしょうか。/わたしが大学に入ったのはそれから四年後でした。住宅事情もわたしの経済事情もまだだめでしたが、それでも三畳を借りることができましたから、兄よりもましな時代になっていたのでしょう。(『21世紀少年少女古典文学館10・徒然草/方丈記』講談社、三木卓の「あとがき」より)

◎行間から原文が浮かびあがる

――ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし。世の中にある、人と栖(すみか)と、またかくのごとし。(『ビギナーズ・クラッシックス・日本の古典・方丈記』角川ソフィア文庫より)

『方丈記』の冒頭の文章は、あまりにも有名です。難解な古語のなかで、「うたかた」の意味を知らない人はいないほどです。最近国内で自然災害があいついでいます。『方丈記』の前半には、鴨長明が直接体験した5大災害(安元の大火・治承の辻風・福原遷都・養和の飢饉・元暦の大地震)が描かれています。

「私の方丈記」では三木卓の思い出と、鴨長明『方丈記』の場面が重ねてあります。最初は大連の川の思い出がつづられています。

――川が結氷して驚いたのは、ふいにその朝鮮族の少年たちが、スケートをあやつって、日本人の少年たちの縄張りに侵入してきたことだった。かれらは、ものすごいスピードで川を下ってきては、「お前たちが弟をいじめたのだな。容赦しないぞ」とすごい声で脅した。体格もいいし、動きもいい。とうていかなわないような連中がやってきては、脅し去っていく。(本文P55-56より)

同様の手法で堀田善衛も『方丈記私記』(ちくま文庫)を書いています。こちらは戦時中の体験のなかから、「方丈記」の一節が浮かびあがってくる構成になっています。堀田善衛『方丈記私記』(ちくま文庫)の一部を紹介させていただきます。

――方丈記の何が私をしてそんなに何度も読みかえさせたものであったか。それは、やはり戦争そのものであり、また戦禍に遭逢してのわれわれ日本人民の処し方、精神的、内面的な処し方についての考察に、何か根源的に資してくれるものがここにある。またその処し方を解き明かすためのよすがとなるものがある、と感じたからであった。また、現実の戦禍に逢ってみて、ここに、方丈記に記されてある、大風、火災、飢え、地震などの災殃の描写が、実に、読む方として凄然とさせられるほどの的確さをそなえていることに深くうたれたからでもあった。(本文P70より)

『方丈記』に自らの体験を重ねるこの手法は、行間から古典の原文が浮かびあがります。私も「山本藤光の方丈記」を書いてみたくなりました。三木卓の『方丈記』についての思いを、紹介させていただきます。

――『方丈記』は、人によっていろいろな受けとり方をする本だと思います。わたしは、そういう常ならぬ変転をとげる世界を生きるのが人間なのだからこそ、その一刻一刻を貴重なものとして大切に生きなさい、と語っていると読みます。(『21世紀少年少女古典文学館10・徒然草/方丈記』講談社、三木卓の「あとがき」より)

◎無常ということ

『方丈記』第3段で鴨長明は、「無常」について書いています。「無常」とは、「生有るものは必ず滅び、何一つとして不変・常住のものは無いということ」(三省堂『新明解国語辞典』第6版より)という意味です。

――知らず、生れ死ぬる人、何方(いずかた)より来たりて、何方へか去る。また知らず、仮の宿り、誰(た)が為にか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。その主と栖(すみか)と、無常を争ふさま、いはば朝顔の露に異ならず。或は露落ちて花残れり。残るといへども朝日に枯れぬ。或は花しぼみて露なほ消えず。消えずといへども夕を待つ事なし。(方丈記第3段、『ビギナーズ・クラッシックス・日本の古典・方丈記』角川ソフィア文庫より)

「無常」については、『平家物語』の冒頭でも、こう書かれています。
――祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず。ただ春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。(『平家物語』の冒頭より)

吉田兼好『徒然草』第25段でも、「無常」についてつづられています。

――飛鳥川の淵瀬(ふちせ)常ならぬ世にしあれば、時移り、事去り、楽しび・悲しび行きかひて、はなやかなりしあたりも人住まぬ野らとなり、変らぬ住家は人改まりぬ。桃李(とうり)もの言はねば、誰とともにか昔を語らん。まして、見ぬ古のやんごとなかりけん跡のみぞ、いとはかなき。(『徒然草』第25段より)

また、弘川寺の西行桜の句も有名です。西行はこの寺を隠棲の地と定め、「願わくは花の下にて春死なん そのきさらぎの望月の頃」と詠んでいます。

このように仏教的無常観を抜きにして、日本の中世文学を語ることはできません。現代では小林秀雄が「無常といふ事」(『モオツアルト/無常といふ事』新潮文庫所収。500+α推薦作)というエッセイを書いています。生と死をテーマにしたものですが、ちょっと難解かもしれません。

◎追記2015.02.23

朝日新聞(2015.02.23)に「方丈記の大地震 裏付けか」という見出しがありました。「平安末期に京都を襲った大地震で起きたとみられる土砂崩れの跡を京都大防災研究所の釜井俊孝教授(応用地質学)らが京都・志賀の東山で見つけた。地震の惨状は『方丈記』や『平家物語』などに描かれ、今回は記述を具体的に裏付ける珍しい発見」と書かれていました。
(山本藤光:2014.12.12初校、2018.02.28改訂)