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山本藤光の文庫で読む500+α

著書「仕事と日常を磨く人間力マネジメント」の読書ナビ

小林信彦『東京少年』(新潮文庫)

2018-03-14 | 書評「こ」の国内著者
小林信彦『東京少年』(新潮文庫)

東京都日本橋区にある老舗の跡取り息子。昭和十九年八月、中学進学を控えた国民学校六年生の彼は、級友たちとともに山奥の寒村の寺に学童疎開することになった。閉鎖生活での級友との軋轢、横暴な教師、飢え、東京への望郷の念、友人の死、そして昭和二十年三月十日の大空襲による実家の消失、雪国への再疎開…。多感な少年期を、戦中・戦後に過ごした小林信彦が描く、自伝的作品。(「BOOK」データベースより)

◎小林信彦は奥行きの深い作家

小林信彦は懐の深い作家です。井上ひさし(推薦作『吉里吉里人』上中下巻、新潮文庫)、橋本治(推薦作『これで古典がよくわかる』ちくま文庫)とならんで、著作の多様性はぬきんでています。小林信彦を有名にしたのは、『オヨヨ島の冒険』(角川文庫)に代表される「オヨヨ・シリーズ」でしょう。この作品は井上ひさし『ひょっこりひょうたん島』(全13巻、ちくま文庫)に匹敵するほどの人気シリーズでした。その後小林信彦は、ヤクザの株式会社シリーズ『唐獅子株式会社』(新潮文庫)などを発表します。
 
そして『ちはやふる奥の細道』(新潮文庫)へと、ジャンルを拡大してみせます。この作品は私の大のお気に入りです。日本文化研究科のアメリカ人・W.C.フラナガンなる人物が、松尾芭蕉の生涯を研究した翻訳本というスタイルになっています。読みながら、腹を抱えて笑ってしまいました。誤訳だらけなのです。このあたりの芸風は、最近では清水義範(推薦作『蕎麦ときしめん』講談社文庫)の十八番になっています。
 
小林信彦は、脚本家であり、児童文学作家であり、小説家であり、昭和の語り部であり、日本文学の研究者であり、喜劇役者の伝記作家でもあります。小林信彦には、『現代<死語>ノート』(全2巻、岩波新書、「山本藤光の文庫で読む500+α」推薦作)という著作もあります。消えてしまった言葉を拾い集めた著作で、なかなか味があります。
 
さらに『おかしな渥美清』(新潮文庫)や『天才伝説・横山やすし』(文春文庫)などという芸人を素材にした著作もあります。また中原弓彦というペンネームで、映画評や喜劇評を手がけています。1972年には『日本の喜劇人』(新潮文庫)で、芸術選奨励新人賞も受賞しています。
 
それらの著作のなかから、なにを紹介すべきかずいぶん迷いました。捨てがたいのは、『ちはやふる奥の細道』と『現代<死語>ノート』でした。いずれ紹介したいと思っていますが、1人1作品の紹介を原則にしています。どちらかを「知・教養。古典ジャンル」で取り上げたいと思います。今回は「日本現代小説125+α」として、『東京少年』(新潮文庫)を紹介させていただきます。
 
◎文学とサブカルチャーの融合

『東京少年』は、新潮社の情報誌「波」に連載されていました。連載開始は、2003年6月号からでした。毎回楽しみにして読んでいました。

本書は2部構成になっています。第1部は東京日本橋の老舗の跡取り息子「ぼく」が弟とともに、山村へ疎開する話です。

――「ねえ、どっちにするの?」/黒い遮光紙に包まれた電球の下で、問いつめるように母が言う。/「あさって、学校に返事をしなければならないのよ。急ぎすぎる話だから、答えにくいだろうけど」/七月半ばの夜である。みぞおちのあたりを汗が流れるのが、ぼくにはわかった。<ソカイ>というものは、ぼくからかなり遠い所にあるはずだった。(本文冒頭より)

疎開先で「ぼく」は、さまざまな辛苦を味わいます。いじめ、教師の鉄拳制裁、飢え、友人の死。『東京少年』は疎開生活でみた、人間の醜さを描いています。そして終戦を迎えます。

著者は「ひとつの国が負けるということを、少年の目にどううつるかを、書き残しておきたかった」(「波」2005年11月号より)と書いています。

第1部では国が負け、疎開先で自分自身が傷つく様子を、克明に描いています。中学進学を間近に控えた少年の、揺れる心が痛々しく伝わってきます。

第2部は、敗戦後の帰郷を描いています。優柔不断な父親にふりまわされる母子。東京への帰郷というよりは、再疎開の様子に胸が締めつけられます。戦時下の少年を、小林信彦はみごとに描いて見せました。

辛口の書評家・福田和也『作家の値うち』(飛鳥新社)の一文を引いておきます。彼がこれほど賞賛することはあまりありません。

――おそらく、一世紀後には、小林信彦は戦後日本を代表する作家とみなされ、佐藤春夫、横光利一の系譜に立ちつつ、東京の言語・文化空間を大胆に小説に取り込み、文学の有り様自体を変化させた、つまり文学とサブカルチャーの橋渡しをした人物として記憶されることだろう。

私の蔵書には小林信彦の著作が、文庫だけで78冊あります。書棚にはいりきれなくなって、一部は倉庫に<疎開>させてしまいました。大好きな著作だけを残して。
(山本藤光:2010.10.09初稿、2018.03.14改稿)

古処誠二『フラグメント』(新潮文庫)

2018-03-12 | 書評「こ」の国内著者
古処誠二『フラグメント』(新潮文庫)

東海地震で倒壊したマンションの地下駐車場に閉じ込められた六人の高校生と担任教師。暗闇の中、少年の一人が瓦礫で頭を打たれて死亡する。事故か、それとも殺人か? 殺人なら、全く光のない状況で一撃で殺すことがなぜ可能だったのか? 周到にくみ上げられた本格推理ならではの熱き感動が読者を打つ傑作。(「BOOK」データベースより)

◎自衛隊出身の作家

古処誠二『ルール』(集英社文庫)を読みました。本書は第4作にあたる戦争小説です。これはこれで楽しく読むことができましたが、推薦作にはいたらないというのが結論でした。古処誠二の作品で推薦するなら、『少年たちの密室』(講談社ノベルズ)だと思いました。文庫で再読してみようと検索をしました。該当なし。

山本藤光の「文庫で読む500+α」は文字どおり、文庫作品を主体としています。なぜ文庫化されないのか、不思議に思いました。デビュー作の『UNKNOWN』(講談社ノベルズ)も調べてみました。該当なし。そんな折り、新古書店で『アンノウン』(文春文庫)という背表紙を目にしました。ぱらぱらめくってみると、まさに『UNKNOWN』だったのです。

近くにあった『フラグメント』(新潮文庫)という未読のタイトルも、同様に立ち読みしました。これは『少年たちの密室』を改題したものでした。そして第3作『未完成』も、のちに『アンフィニッシュト』(文春文庫)と改題されていました。

これでは検索に、引っかかるはずがありません。どうしてイメージができないような、カタカナのタイトルにしたのでしょうか。できれば日本語のタイトルにしておいてほしかった、というのが素直な感想です。

古処誠二は1970年福岡県に生まれ、高校卒業後様々な職業を経て、航空自衛隊に入隊。2000年自衛隊内部の事件を扱った『UNKNOWN』(のちに改題『アンノウン』文春文庫)で、メフィスト賞を受賞して小説家デビューしました。(ウイキペディア参照)

◎生還するのは誰か

再読した『フラグメント』は傑作です。東海大震災が発生します。マグニチュード8。死者は2千5百万人を超えます。6人の高校生と担任教師が、倒壊したマンションの地下駐車場に閉じこめられます。石廊崎で転落死した、同級生・宮下の葬儀に向う途中でした。

主人公・相良優は、宮下の死に疑問を抱き調査をしていました。宮下をいじめていた、不良グループのボス・城戸の存在が見え隠れしています。宮下の死は、自殺と事故死の両方で捜査が進みます。しかし学校側の保身により、事故死へと捜査が傾きつつあります。

相良優と不良グループの城戸たちは、闇のなかに閉じこめられました。相良優は宮下の死の疑問を、解き明かすチャンスと思います。闇のなかには、宮下と仲の良かった相良・早名・香椎、宮下と仲の悪かった城戸・小谷・大塚がいます。

いつ救出されるかの確証のないまま、2つのグループの対立がエスカレートしていきます。担任教師・塩澤は、対立の間に割って入ります。ところが塩澤の努力がこっけいに見えるほど、お互いの憎悪が激しさを増していきます。

飲み物は塩澤が持っていたペットボトルの水しかありません。それは「死」への恐怖のなかに現れた、「生」への希望です。敵対する2組に、水をめぐるルールが確立します。

古処誠二は視覚的に「見えない」状況と、相手の意図が「見えない」ことを重ねてみせます。この相乗効果が作品を引っ張ります。疑心暗鬼のなかでの妥協の産物である、定めたルールを破られることへの不安。いつ襲い掛かってくるかもしれない、相手への不安。殺すか、殺されるかまでの対立が続きます。

そして城戸の死体が発見されます。まったく視界のきかない世界のなかで、彼は一撃で殺されていました。担任の塩澤は、余震による事故死といって逃れます。事故か、殺人か。倒壊ではわずかな軽症だけで死を免れた、7人のなかの1人が欠けてしまいました。

暗闇のなかに恐怖が広がります。1人の少年が精神的におかしくなります。生還の望みがないなか、城戸のように殺害されるかもしれない、という怯えが蔓延します。偶発的におこった密室から、生還するのは誰か。息詰まるサスペンスをご堪能ください。

デビュー作から、少し気になっていたことがあります。古処誠二作品の冒頭が、いつもわかりにくいということです。第3作『アンフィニッシュト』(文春文庫)は、さらに難解でした。デビュー作の朝香・野上コンビを、ムリにもちこんだからかもしれません。ただしそこを嚥下すると、たちまち流れは滑らかになります。
(本稿は藤光・伸の筆名で、PHP研究所「ブック・チェイス」2000年10月14日号に掲載したものを加筆修正しました)
(山本藤光:2000.10.14初稿、2018.03.12改稿)

小林信彦『現代〈死語〉ノート』(岩波新書)

2018-03-10 | 書評「こ」の国内著者
小林信彦『現代〈死語〉ノート』(岩波新書)

「太陽族」「黄色いダイヤ」「私は嘘は申しません」「あたり前田のクラッカー」「ナウ」…。時代の姿をもっともよく映し出すのは、誰もが口にし、やがて消えて行った流行語である。「もはや戦後ではない」とされた一九五六年から二十年にわたるキイワードを紹介する、同時代観察エッセー。(「BOOK」データベースより)

◎新語の登場と消える言葉

小林信彦『現代〈死語〉ノート』(岩波新書)は、岩波新書の中で最も読まれているうちのひとつだと思います。1956年から1976年までの20年間の流行語を集め、現在使われていないものを〈死語〉としてまとめたものです。

1956年は私が10歳のときですから、本書におさめられた〈死語〉または〈半死語〉のどれもが懐かしく感じます。私が大学を卒業した1970年には、こんな記載がありました。
 
――この年は〈歩行者天国〉が始まった年であり、〈ミニコミ〉が新語として登場した年でもある。〈スポ根=漫画、テレビドラマのスポーツ根性もの〉もこの年の新語で、死語にはなっていない。(本文より)

小林信彦の著作をはじめて読んだのは、『ちはやふる奥の細道』(新潮文庫)でした。本書は日本文化研究の若手ナンバーワンを自認(初版本の帯は『自任』となっていました)する、気鋭のアメリカ人の翻訳を、小林信彦が行ったという体裁になっています。松尾芭蕉の生涯を、とてつもないこじつけや誤解で描くこの作品に腹を抱えて笑いました。

その後、古本屋で『夢の砦』(新潮社、現新潮文庫)を買いました。そこに挟みこまれていたのが、『インタビュー・小林信彦の世界』(白夜書房・非売品・禁無断転載)という27ページの小誌でした。これを読んで、小林信彦のとりこになりました。

小林信彦は何が読者に受けるか、を計算できる作家なのです。奇想天外なアイデアと豊富な経験で、次々と意外性に富んだ作品を発表しています。

◎死語による現代史

『現代〈死語〉ノート』は、そんな変わり種の作品の中でも、特筆すべきアイデアのもとに生まれました。著者自身が同書の巻末に「つけくわえておきたいこと」として、次のように書いています。
 
――この本は〈死語による現代史または裏現代史〉が作れるのではないかという発想からスタートした。核にはぼくの体験した現代史が有り、流行語はそこから出てくるアブクのようなものという考えである。(本文より)

小林信彦は流行語を通して、世の中がどんどん悪くなっていると指摘します。確かに流行語は、世の中を写し取っています。漫才師がテレビを通して、連発しているうちに生まれる流行語。コマーシャルから、誕生する流行語。マスコミが創り出す流行語など生まれは異なるものの、どれも世相を反映したものには違いありません。

私の大学4年間は、北海道出身の在京大学生120人で共同生活する「北海寮」で過ごしました。私はそこで盛んに使われていた、懐かしい言葉を、つけ加えなければなりません。1970年の欄外にこう書きこみをしました。

「インラン」:淫乱ではありません。インスタント・ラーメンのことです。お金がないときの昼飯はきまって〈インラン〉でした。「インランしない?」と仲間に誘われました。今思えば恥ずかしい響きです。インランに卵を落とすと〈ギョク煮こみ〉となり、豪華な昼飯となったものです。

◎消えた風景

現在、小林信彦『現代〈死語〉ノート2』(岩波新書、初出2000年)が出ています。「フィーバーする」「ほめ殺し」「たまごっち」などの語句が書かれています。それから15年、おそらく小林信彦は、『現代〈死語〉ノート3』の執筆中でしょう、「倍返し」「おもてなし」などの新語が登場し、どんな語句が消えたのでしょうか。

私は以前、「消えた風景」を集めた文章を書いたことがあります。「駅の切符切り」「公衆電話」「駅の伝言板」「病院の天井を走っていたエアシューター」などについて、懐かしく触れた記憶がよみがえりました。
(山本藤光:1997.02.15初稿、2018.03.10改稿)

小谷野敦『もてない男―恋愛論を超えて』(ちくま新書)

2018-03-08 | 書評「こ」の国内著者
小谷野敦『もてない男―恋愛論を超えて』(ちくま新書)

歌謡曲やトレンディドラマは、恋愛するのは当たり前のように騒ぎ立て、町には手を絡めた恋人たちが闊歩する。こういう時代に「もてない」ということは恥ずべきことなのだろうか?本書では「もてない男」の視点から、文学作品や漫画の言説を手がかりに、童貞喪失、嫉妬、強姦、夫婦のあり方に至るまでをみつめなおす。これまでの恋愛論がたどり着けなかった新境地を見事に展開した渾身の一冊。(「BOOK」データベースより)

◎論壇の風雲児はどこへいく

小谷野敦はいじめられっ子でした。その人がいまは、ケンカ評論家といわれています。私は個人的に小谷野敦の応援団を自認しています。

禁煙をめぐっては、東大構内や新幹線を提訴さえしています。論戦は枚挙にいとまがありません。禁煙騒動については、小谷野敦『禁煙ファシズムと断固戦う』(ベスト新書)にくわしく掲載されています。なにしろ「禁煙ファシズムと戦う会代表」と自認しているのですから、論法は独善的であり鋭いものです。一部だけ引用しておきます。

――大気を汚染して回るタクシーが、その中で禁煙にして威張ったりするのが、いかに馬鹿げているか。大都市ではタクシーに乗っていて、客がタバコを吸い始めたので窓を開けたら、外の汚染された空気が入ってくる、ということがある。(本文P72より)

また文芸評論では、志賀直哉以降の「心境小説」を酷評し、田山花袋『蒲団』に代表される「暴露型破滅小説」を高く評価しています。研究テーマは「男の恋の文学史」とされており、そのままのタイトルの著作(小谷野敦『〈男の恋〉の文学史』朝日選書)があります。冒頭で小谷野敦は、「新明解国語辞典・第四版」の定義を引いて、つぎのように書いています。

――特定の異性に対して特別の愛情をいだいて、二人だけで一緒に居たい、出来るなら合体したいという気持ちを持ちながら、それが、常にかなえられないで、ひどく心を苦しめる(まれにかなえられて歓喜する)状態。(『新明解国語辞典』第四版、小谷野敦の引用)

ところが、第六版では「合体」なる説明が消えています。小谷野のライフワークでもある、著作の冒頭部分が変化してしまったのです。

――特定の異性に対して他の全てを犠牲にしても悔いないと思い込むような愛情をいだき、常に相手のことを思っては、二人だけでいたい、二人だけの世界を分かち合いたいと願い、それがかなえられたといっては喜び、ちょっとでも疑念が生じれば不安になるといった状態に身を置くこと。(『新明解国語辞典』第六版、私の手持ちからの引用)

普通の研究者なら、この1冊でライフワークは完結します。ところが小谷野敦はライフワークを書きあげてから、今回紹介する『もてない男・恋愛論を超えて』(ちくま新書)を皮切りに、次々と新たな著作を発表しつづけています。おそらく辞書の改訂に気がついて、「新〈男の恋〉の文学史」などという著作を書いてしまうことになるでしょう。

小谷野敦の近作『もてない男・浮雲』(河出書房新社、2010年)は、二葉亭四迷『浮雲』を現代語訳したもので、高く評価したいと思います。

小谷野敦は、退屈な世の中をどう撹拌するのでしょうか。目の離せない著述家として、今後も注目してゆきたいと思っています。

◎『もてない男』は名著である

『もてない男』(ちくま新書)は、発売半年で7万部を売り上げています(「ちくま」1999年6月号)。それ以降のデータはわかりません。私が買ったときは初版(1999年1月)でしたから、今では相当版を重ねているのでしょう。新書本でこれだけ話題となるのは珍しいことです。

書物というのは、その時代を鮮明に写す鏡です。古今東西の書物を引用して、一つの論旨をまとめる作業には意味があります。目立つところでは、斎藤美奈子が『妊娠小説』(ちくま文庫)で、妊娠にまつわる書物を引用してまとめています。

『もてない男』も、その潮流の一冊です。「もてない男」の対極にある「もてる男」について、著者自身はつぎのように「まえがき」に書いています。
 
――「男であることの困難」(新曜社、1997年)の書評の中に「もてるというのは、ただでセックスできるということだ」と規定したものがあったが、私はこの定義は認めない。好きでもない女百人とセックスしてももてるとは言えない、という立場に私は立っている。(本文より)

では「もてない男」とはなにか。「もてる男」の定義を基に考えるなら、たった一人の好きな女にすら相手にされない男ということになるのでしょう。この例なら世の中に、たくさんの実例があります。 

著者はこうした視座から7つの章に分けて、書物の引用をしながら自説を組み立てていきます。第1回「童貞であることの不安」、第2回「おかずは必要か?-自慰論」、などとなっており、それぞれのまとめとしてブックガイドまで備えています。

たとえば最終回なら「恋愛を超越するためのブックガイド」があり、倉橋由美子『夢の浮橋』(中公文庫)などがあげられています。ほかにもいくつかの作品が紹介されていますが、私が読んだことのあるのはこの1冊だけでした。

文芸作品、論文、漫画と幅広いジャンルの引用をとおして、「もてない男」をまとめあげた著者の力量に敬意を表したいと思います。そしてひとつの論文を、かくもわかりやすくまとめた技量にも賛辞を贈りたいと思います。

斉藤美奈子の『妊娠小説』が新書版で、しかも『孕む女』とでもしたら、もっと売れたかもしれない。そんな気にさせられるほど、『もてない男』の評判は高いのです。

発売にあたって、題名について懸念する声があったようです。あまりにもダイレクトすぎる題名ゆえに、そうした懸念はうなずけます。ただ私には、題名と真面目な本文とのミスマッチが受けているように思われます。本文はこんな具合です。実に真面目なのです。
 
――吉本隆明は、一貫して、男が結婚するのは母の代わりを求めているのだ、と言っている。それは正しい。(本文より)

――「据え膳食わぬは男の恥」という言葉がある。じつのところ、私にはこの言葉の意味がよくわからない。なぜ「男の恥」なのか。「据え膳食わぬと女への侮辱」ならわかる。(本文より)

新書が元気なのは、よいことだと思います。ちなみに『もてない男』には、続編『帰ってきたもてない男』(ちくま新書)があります。こちらもおもしろく読ませてもらいました。
(山本藤光:2011.02.08初稿、2018.03.08改稿)

後藤武士『読むだけですっきりわかる日本史』(宝島文庫)

2018-03-05 | 書評「こ」の国内著者
後藤武士『読むだけですっきりわかる日本史』(宝島文庫)

世界のなかでも類い稀なる急成長を遂げてきた国、日本。この国の歴史は、良い時代、悪い時代それぞれに生きた先人達の、貴重な体験談の宝庫である。私たち現代人にとっても、人生をよりよく生きるためのヒントが満載だ。本書は、その歴史を完全網羅。そして、教科書では取り上げられない目からウロコの意外なエピソードも紹介。漫画のようにすらすら読めてクセになる、楽しい日本史決定版。(「BOOK」データベースより)

◎書斎の特等席の書物たち

 高校時代、最も苦手な科目は歴史でした。しかし読書を重ね書評を書くようになってから、無視するわけにはいかなくなりました。私の書斎の特等席には、何冊かの繰り返しめくっている本があります。ちょっと列記してみます。

・『新明解国語辞典』(三省堂)
・『類語例解辞典』(小学館)
・『記者ハンドブック』(共同通信社)
・『新詳高等社会科地図』(帝国書院)
・後藤武士『読むだけですっきりわかる日本史』(宝島文庫)
・後藤武士『読むだけですっきりわかる世界史・完全版』(宝島文庫)
・『一日一題・心に残る逸話と名訓』(光文書員)
・『現代歳時記』(成星出版)

『新明解国語辞典』のユニークさについては、「山本藤光の文庫で読む500+α」の赤瀬川原平『新解さんの謎』(文春文庫)を紹介ずみです。そちらをお読みください。

――現在残されている物から知ることの出来る、人間社会の移り変りの過程や、そこに見られる個個の出来事。(新明解国語辞典)

後藤武士の著書は通読してから、辞書がわりに活用しています。しかし日本史の方には索引がありますが、世界史の方にはついていません。必然世界史は、ネット検索をすることになります。

◎レンジでチンみたい

後藤武士『読むだけですっきりわかる日本史』(宝島文庫)は非常に読みやすく、スラスラと通読できます。300頁ちよっとのなかに、日本史が凝縮されています。まるで冷凍食品をレンジでチンみたいな感覚で読みました。

冒頭の章「旧石器時代」を拾ってみます。最初に、日本には旧石器時代はなかった、との紹介があります。旧石器時代は、打製石器時代のことです。それを後藤武士は、「だせえ(ださい)石器だ」とひねりを加えてみせます。
そして「旧石器時代」の存在を証明したのは、納豆売りの行商人・相沢忠洋だったと説明されます。打製石器発見の知らせを聞いて、考古学者が動きます。

――ある大学の教授とチームが派遣され、さらに調査した結果、旧石器が本物であることがわかった。ところがだ、発見者がその教授であることにされ、相沢青年の功績はまるで無視された。(本文P17)

 このあくどい教授の名前は、「相沢忠洋」でネット検索すると出てきます。本書はコンパクトにまとめたものなので、さらに知りたい事項はこうして補うことになります。
 ネット検索によると、相沢は発見した石片を持って、桐生から東京まで自転車で何度も往復しています。ところが、どこの大学もとりあってくれません。そして、

――この石器を相沢から見せられた明治大学院生芹沢長介(当時)は、同大学助教授杉原荘介(当時)に連絡し、黒曜石製の両面調整尖頭器や小形石刃などの石器を見せた。赤土の中から出土するという重大性に気づいて、同年9月11日~13日、岩宿の現地で、杉原、芹沢、岡本勇、相沢ら6人で小発掘(本調査に先立つ予備調査)が行われた。(Wikipedia)

このように、後藤武士『読むだけですっきりわかる日本史』をベースとして、どんどん知見は広がります。

◎知識のベースキャンプ

 三島由紀夫『金閣寺』(新潮文庫)を読んだとします。ちょっと「金閣寺」を学ぼうかなと思います。本書を開きます。きちんとした史実に加え、次のような説明がなされています。

――現在30代以上の大人の人にはなつかしい「一休さん」というテレビアニメがあったけれど、そこではよく「将軍様」こと義満がこの金閣寺で、一休さんにとんちでやりこめられていたものだ。(本文P139-140)

ちなみに、酒井順子『金閣寺の燃やし方』(講談社文庫)は、三島由紀夫『金閣寺』と水上勉『金閣炎上』(新潮文庫)にスポットをあてた力作です。「山本藤光の文庫で読む500+α」では、近いうちに紹介させていただきます。

楽しく読むことができる専門書。知識のベースキャンプになる本を探すのは、きわめて大切なことです。そんな意味で後藤武士『読むだけですっきりわかる日本史』は、お勧めの一冊です。高校時代に本書があったら、歴史は苦手科目になっていなかったと思います。
山本藤光2017.08.05初稿、2018.03.05改稿

小松左京『日本沈没』(上下巻、小学館文庫)

2018-03-03 | 書評「こ」の国内著者
小松左京『日本沈没』(上下巻、小学館文庫)

伊豆・鳥島の東北東で一夜にして小島が海中に没した。現場調査に急行した深海潜水艇の操艇者・小野寺俊夫は、地球物理学の権威・田所博士とともに日本海溝の底で起きている深刻な異変に気づく。折から日本各地で大地震や火山の噴火が続発。日本列島に驚くべき事態が起こりつつあるという田所博士の重大な警告を受け、政府も極秘プロジェクトをスタートさせる。小野寺も姿を隠して、計画に参加するが、関東地方を未曾有の大地震が襲い、東京は壊滅状態となってしまう。全国民必読。二十一世紀にも読み継がれる400万部を記録したベストセラー小説。(「BOOK」データベースより)

◎SFブームの先駆け小説

「近いうちに」という言葉は、歴代総理の玉虫色の言葉です。イタリアでは「近いうちに地震はこない」と安全宣言を出して、関係者が有罪判決を受けています。日本のマスコミは「近いうちに関東圏に大地震がくる」とキャンペーンを張りつづけています。小松左京『日本沈没』(上下巻、小学館文庫)はずっと、そんな位置づけの作品でした。

小松左京の死は朝刊(「朝日新聞」2011年7月29日)で知りました。享年80歳でした。SF界の巨人が沈没しました。新聞記事を読んで、すぐに浮かんできた作品は未読の『日本沈没』でした。400万部の大ベストセラーを読んでいないことに、改めて気づかされた瞬間です。「近いうちに」読もうと思いつつ、幾多の年が過ぎてしまいました。

『追悼小松左京』(KAWADE夢ムック2011年)を購入しました。そこには綿密な『日本沈没ノート』が掲載されていました。物書きの端くれとして、作品に打ちこむ作家の熱い魂をみました。
 
『日本沈没』(上下巻、小学館文庫)を読みました。読み終えて、3・11の記憶がよみがえってきました。私はあのとき、千葉市のなじみの古書店にいました。地震かなと思った瞬間に、古書で膨れあがっていた書棚の何本かが倒れてきました。店主といっしょに戸外へ飛び出し難をまぬがれたものの、帰宅の足を奪われてしまいました。通常なら電車で30分の道のりを、6時間かけて家にもどりました。私の書棚からも、たくさんの本が床に投げだされていました。

『日本沈没』は、SFブームの先駆け小説でした。小松左京に引っぱられて、筒井康隆、半村良、広瀬正、星新一らがこの時期に台頭したのです。小松左京がSFの道を開拓したのは、芥川賞を受賞した開高健『裸の王様』(新潮文庫、初出1957年)に触発されてのことです。

――あの頃、開高健が組織と人間をテーマにした『裸の王様』で芥川賞を受賞しているのだが、そういうテーマもシェクリイ(注:創元推理文庫『残酷な方程式』など)のような手法を使えば、もっと鋭く、もっと面白いものができるのではないか。「そうか、この手があったか」と、ピンときた。だからしばらくして『SFマガジン』で「第一回空想科学小説コンンテスト(後のSFコンテスト)」が募集されるや、さっそく書いて応募した。それが僕が初めて書いたSF作品「地には平和を」だ。
(小松左京『SF魂』新潮新書P14より)

ちなみに「地には平和を」は、『小松左京セレクション1・日本』(河出文庫)に所収されています。できればこの作品を読んでから、『日本沈没』に触れてもらいたいと思います。

私は『日本沈没』以前に、『小松左京ショートショート全集』(全1巻、勁文社)は読んでいます。ここには小松左京の代表的な192篇の作品が濃縮されています。私は毎朝1篇ずつをトイレで読みました。

◎マン『白鯨』と重なった

小笠原諸島の一角で、一夜にして小島が沈没してしまいます。現場調査にあたった田所博士は、「日本列島の大部分は、海面下に沈む」(上巻P332)と予言します。その後、日本各地で大地震や火山の噴火が続発します。半信半疑だった政府が立ち上がり、国際世界も日本救済に重い腰をあげます。

小松左京は実に丹念に、こうした世界を描きあげます。本書を執筆中に小松は、つぎの2作品を参考にしています(小松左京『SF魂』新潮新書P129より)。

吉田満『戦艦大和ノ最期』(講談社文芸文庫)
山本七平『日本人とユダヤ人』(角川oneテーマ21新書)

前者は沈没のクライマックス、後者は日本人とは何か、を描くための道しるべにしたのです。

本書を読んでいて、ときどき専門用語の羅列におぼれかけました。トーマス・マン『白鯨』(新潮文庫)を読んだときにも圧倒されましたが、難解な描写が苦手な人は飛ばし読みをすることをお薦めします。細やかな描写は作品を引きたてるうえで、避けてはとおれません。私は匍匐前進。難儀しながらも活字をたどりつづけました。

作品の性格上、ストーリーにはふれません。ただし私が筆名にしている、故郷までもが登場していたのには仰天させられた。

――北海道では、太平洋の水が帯広まで、また釧路平野の標茶(しべちゃ)まで押し寄せ、根釧台地は、ずたずたに裂けたリアス式の様相を呈している。(下巻P334より)

『日本沈没』には続編があります(第2部、上下巻、谷甲州・共著)。まだ読んでいません。小松左京は「本当に書きたかったのはこちらだ」と語っています。第1部の強烈な余韻が消えたら、じっくりと読みたいと思います。
(山本藤光:2012.11.03初稿、2018.03.03改稿) 

小林多喜二『蟹工船』(新潮文庫)

2018-03-02 | 書評「こ」の国内著者
小林多喜二『蟹工船』(新潮文庫)

海軍の保護のもとオホーツク海で操業する蟹工船は、乗員たちに過酷な労働を強いて暴利を貪っていた。“国策"の名によってすべての人権を剥奪された未組織労働者のストライキを扱い、帝国主義日本の一断面を抉る「蟹工船」。近代的軍需工場の計画的な争議を、地下生活者としての体験を通して描いた「党生活者」。29歳の若さで虐殺された著者の、日本プロレタリア文学を代表する名作2編。(文庫案内より)

◎プロレタリア文学の代表作
 
小林多喜二は「蟹工船」を書いて特高(特別高等警察)にマークされ、「不在地主」(岩波文庫、初出1929年)で勤めていた拓殖銀行を解雇されています。1930年に逮捕・収容され、1931年に保釈されました。保釈後に書き上げたのが、「党生活者」(新潮文庫『蟹工船/党生活者』所収)です。

『蟹工船』のタイトルの意味を、理解しなければなりません。「航船」ではなく、「工船」になっているのはなぜでしょうか。一般的には獲った蟹をその場で、缶詰にする作業船という意味です。ところがこの船は、「航海法」に準拠されていません。「航船」ではないからです。「航海法」とはなにか、私にはわかりません。ただ「工船」という名前からは、なんでもありだぞという忌まわしいイメージが、浮かびあがります。

 蟹工船・博光丸は護衛の駆逐艦に護られながら、ソ連領へと分け入りました。船には14、5歳の貧しい若者が多く乗りこんでいました。監督の浅川は、冷酷な男でした。人の死などなんとも思いません。ただひたすら、生産性を上げることだけを目論んでいました。オホーツク海の厳冬。そこには船上で鞭打たれ、ひたすら働く男たちがいました。そしてゲキを飛ばす淺川監督がいたのです。
 
――ともかくだ、日本帝国の大きな使命のために、俺達は命を的に、北海の荒波をつッ切て行くのだということを知ってて貰わにゃならない。だからこそ、あっちへ行っても終始我帝国の軍艦が我々を守ってくれることになっているのだ。(本文P20より)

過酷な労働の結果、乗組員はつぎつぎに倒れます。「糞壷」と呼ばれる船底は、汚れていて異様な臭気が蔓延しています。ズタ袋に入れられた死体が、オホーツクの海に投げこまれます。そんなときに、同じ蟹工船の秩父丸から救難信号SOSが入ります。救助に向かおうとした船長を、監督の浅川がどやしつけます。
 
――お前なんぞ、船長と云ってりゃ大きな顔をしてるが、糞場の紙位えの価値もねえんだど。分かってるか。――あんなものにかかわってみろ、一週間もフイになるんだ。冗談じゃない、一日でも遅れてみろ! それに秩父丸には勿体ない程の保険がつけてあるんだ。ボロ船だ、沈んだら、かえって得するんだ。(本文P31より)

結局、秩父丸は沈没します。乗組員の怒りが一気に噴出します。

◎「静」と「動」の交錯

『蟹工船』は、明確な意図をもった作品です。本文中に多用される擬声語や畳語は、大衆受けをねらったものです。

――風がマストに当たると不吉になった。鋲がゆるみでもするように、ギイギイ(山本藤光註:本文は縦書きなので、「く」の字のような繰り返し記号が用いられています)と船の何処かゞ、しきりなしにきしんだ。宗谷海峡に入った時は、三千噸(トン)に近いこの船が、しゃっくりにでも取りつかれたように、ギク、シャクし出した。何か素晴らしい力でグイと持ち上げられる。(本文P22より)

小説などめったに読まない労働者を意識したため、引用例のように聴覚や視覚を意識する文章になっています。本書の下敷きになったのは、葉山嘉樹『海に生くる人々』(岩波文庫)でした。小林多喜二『蟹工船』に感銘を受けた方には、お薦めの作品です。この作品は、ドストエフスキー『罪と罰』(上下巻、新潮文庫)の影響を受けています。できればそこまでさかのぼって、読書の醍醐味を味わってもらいたいとも思います。
 
監督・浅川の理不尽な暴力に耐えきれなくなり、やがて労働者は立ちあがります。「学生あがり」といわれている若者が「殺されたくない者は来たれ」の旗を立てました。船員、ボイラーマンなどが、それに呼応しました。彼らは仕事の手をゆるめはじめます。やがて、浅川はその実態を知ります。駆逐艦に連絡され、無残な結末を迎えます。
 
労働者の内面の動き。荒れ狂う外海の猛々しさ。いかなる現実にも心を動かさない浅川。本書は内面の「静」と外面の「動」を巧みに描きわけています。ただし静的な部分は自嘲気味におさえ、動的な部分でそれを包みこんでいます。

小林多喜二は念入りな取材を重ね、見事な作品をつむぎだしました。その点について、小林多喜二が蔵原惟人(くらはら・これひと)宛書簡につぎのように書いています。
 
――「資本主義は未開地、植民地にどんな<無慈悲>な形態をとって侵入し、原始的な<搾取>を続け、官憲と軍隊を<門番><見張番><用心棒>にしながら、飽くことのない虐使をし、そして、いかに、急激に資本主義的仕事をするか」を書きたかった。(小田切進『日本の名作・近代小説62篇』中公新書P128より孫引きさせてもらいました)

新潮文庫の解説は、蔵原惟人によって書かれています。小林多喜二『党生活者』の巻末には、「この一篇を同志蔵原惟人におくる」と書かれています。蔵原惟人には『芸術におけるわが生涯』(上中下巻、岩波文庫)という著作があります。しかし書店では見あたりません。

◎ちょっと寄り道

『蟹工船』は、現代につながる物語です。なにも特殊な時代の物語ではありません。プロレタリア文学というジャンルは死語と化しましたが、小檜山博『出刃』(河出文庫、「山本藤光の文庫で読む500+α」推薦作)などにより、くっきりと貧農の世界は描かれています。前出の葉山嘉樹(はやま・よしき)は、『セメント樽の中の手紙』(角川文庫)を紹介させていただきます。

少し長いのですが、奥野健男『日本文学史』(中公新書)より、小林多喜二についてふれた文章を引用しておきたいと思います。奥野健男は「プロレタリア文学」に関して、批判的な立ち位置にいる文芸評論家です。
 
――志賀直哉の文学に心酔していた小林多喜二は、小作人たちの悲惨な生活を知り、しだいにマルキシズムに近づき、共産主義者への弾圧と警察の拷問を暴露した『一九二八年三月十五日』(昭和3年)を「戦旗」に発表し注目され、ついで虐待されている労働者の集団と闘争とを新鮮な立体的な文体で描いた『蟹工船』(昭和4年)によって、プロレタリア作家としての地位を確立しました。彼は蔵原惟人を中心とするナップの政策的文学理論にもっとも忠実な作家で、『不在地主』(昭和4年)、『工場細胞』(昭和5年)などの作品を経て、政治優位性、前衛の観点、政治的実践など、ほとんど実行不可能なナップの運動理論と命令とを超人的な努力によって実践しながら作品化し、非合法運動の実践的私小説といえる『党生活者』(昭和8年)にいたります。(以上引用、P119)

文学史的に、プロレタリア文学を取り巻く系譜を整理しておきます。
・プロレタリア作家:小林多喜二、葉山嘉樹、徳永直
・プロレタリア転向作家:中野重治、高見順、宮本百合子、佐多稲子
・反プロレタリア作家:井伏鱒二、梶井基次郎

(山本藤光:2009.12.03初稿、2018.03.02改稿)

小檜山博『出刃』(河出文庫)

2018-02-27 | 書評「こ」の国内著者
小檜山博『出刃』(河出文庫)

北国の冷たい夏に離農をよぎなくされ、二人の子供を置いて、妻に逃げられた男。男は焼酎を片手に出刃を磨ぐ…。過酷な自然を背景に、力強い文体で人間の内面を抉る、鮮烈なデビュー作「出刃」ほか、力作3篇を収録。(「BOOK」データベースより)

◎小檜山博との出会い

小檜山博を知ったのは、愛読していた「北方文芸」(1976年5月号)で、北方文芸賞受賞作『出刃』を読んでからです。当時の私は社会人になったばかりで、まだ小説家になることを夢見ていました。同人誌「点影」に、作品を発表していました。文芸誌の新人賞にも応募していました。「北方文芸」は「文学界」などとともに、定期購読雑誌のひとつでした。

「北方文芸百号記念号」の「北方文芸賞」は、選者が豪華でした。野間宏、吉行淳之介、井上光晴という大家がならんでいました。私が好んで読んでいる作家たちが選んだ作品。それだけで受賞作『出刃』の価値に納得してしまいました。選評の一部を採録してみたいと思います。

――井上光晴:焼酎の屋台から始まって出稼ぎでしょ、また出てきやがったなと思ったけれど、だんだんひき込まれていくんですよ。荒々しいもののなかに、妙にリアリティがあるんですね、現実感が。(「北方文藝賞」選評より)

――吉行淳之介:最初の二ページでね、ところどころ僕の文章を感じたんだよ。それで、これはこういう材料には拙いなって危惧を抱いて読んでたんだけど、違うね、自分のものになってるよ。(「北方文藝賞」選評より)

――野間宏:これは今までにも当然出ているべきであったものなんだけれど、まだ表現として出てこなかったものを出してきてることは事実ですね。貧しい農民の心理の幅も広く農民に限らずさらに他の領域へとひろがっている。こういうものが、出てきてほしかったと、はっきりといえますね。(「北方文藝賞」選評より)

大作家からべたぼめされている小檜山博を、うらやましく思いました。それ以来、私は本当に小説を書くことをやめてしまったのです。

やがて札幌に転勤になります。さっそくエッセイに登場する、妹さんが経営するスナックを探してみました。ススキノにその店は実在していました。足しげく通うようになったある日、小檜山博と出会いました。妹さんから紹介してもらい、緊張しながらしゃべりまくった記憶があります。

2度目にお会いしたとき、目の前で『雪嵐』に署名捺印をしてプレゼントしてくれました。そのときもなにをしゃべったのかは記憶にありませんが、「宝物にします」と胸に抱きかかえた瞬間は、鮮明に覚えています。
  
◎『出刃』の切れ味
 
それ以来せっせと、「小檜山博の事典」を作成しはじめました。大学のときに、「安部公房の事典」を作成したことがありました。こちらは卒論のためだったのですけれど、小檜山博の魅力的な表現は自発的にやってみようかなと思いました。
 
大好きな作家がいたら、ぜひ「○○事典」を楽しんで作成してもらいたいと思います。以下「小檜山博の事典」より、『出刃』にかんするもののみ引用してみます。
 
妹(いもうと)
すぐ横の椅子に座っている妹は十七歳になるのに、小児麻痺にやられて歩くこともできない。兄は十年前、藪出し中に丸太にはさまれ、頭が雑巾のように潰れて死に、すぐの妹はの貧農の長男に嫁ぎ、中風で寝込んでいる七十八歳の老婆を含めた十人家族の中で家畜のように働いている(出刃)

警官(けいかん)
 警官は書く手を止めると、ちらっと上目づかいにこちらを見た。他人どもの不幸の量で自分の幸せの度合いを測っている感じの、さもしい眼つきをした男だった。(出刃)

子供(こども)
 来年小学校へ入る男の子は、わずかだが知恵遅れの傾向がある、と医者に言われている。下の女の子は、兄が近所の子供たちに山ザル、百姓などと嘲られヘラヘラ笑っていても、ただぼんやり眺めているという具合で感情の起伏が曖昧だ。 (出刃)

団欒(だんらん)
視界の隅に映る星が、ガラスにレモンの汁を散らしたように見える。夜は浅く、一本道の市街はまだどこのいえの窓にも光が溢れている。時おり洩れてくる団欒の声が、おれに当てつけている感じに聞こえて癪にさわった。 (出刃)

父(ちち)
 隣家の薄暗い玄関の戸が開閉し、父らしい人影がこちらへ近づいてくる。そばまでくると、これしか借りられんかったけんど持ってけや、と言って小さくたたんだ新聞紙を差し出した。礼を言おうとしたが、喉の奥で妙な唸り声がしただけだった。受け取ると父は黙って背を向け、暗い道を自分の家の方へ歩き出した。(出刃)

父(ちち)
父はキャベツ畑にうずくまっていた。葉についた青虫を取っているようにも見えたが、じっと動かない背中の感じでは、ただしゃがんで土を見ているだけなのかもしれなかった。(出刃)

母(はは)
 母もまた変わり過ぎた。子供のころ畑の土手に坐って胸をいっぱいに広げた母の、一番下の妹に乳を飲ませていたときの堂々として自信に溢れた姿が思い浮かんでくる。ハッカや亜麻が高く売れた時期だった。いちめん濃い緑のハッカ畑の中で、母の豊かな乳房は白すぎて眩しく、おれは妙な恥ずかしさにまといつかれうつむいた気がする。(出刃)

夕焼け(ゆうやけ)
 いつのことだろう。川べりにあるわずかばかりのハッカの草取りをしていた夕方、川水で手足を洗い、ヤブ蚊やブヨに刺された跡を掻きながら家へ向かったときの夕焼けの色を忘れられない。 (出刃)

離農(りのう)
 秋になって六軒が離農して行った。引っ越しの日、彼らはもう戻るはずもない窓に板を×印に打ちつけ、の誰にも挨拶せず、早朝、市街から頼んだトラックでこそこそと消えて行った。いつも曇った日ばかりだった。みんな碌な家財がなく、空き箱や空の一升ビンまで積んで荷を嵩張らせていた。 (出刃)

◎現代に挑むドン・キホーテを描く

『出刃』は冷害のために、離農せざるを得ない一家を描いています。故郷を捨てて街へ出たものの仕事が見つからず、男は妻子のために出稼ぎにでます。

やがて男は山をおりてきますが、妻は駆け落ちしていなくなっています。男は残された2人の子供を自分の実家に預けようとしますが、実家も「今」を生き延びるのすら大変な状態です。

これからも小檜山博は、歪んだ現代に挑むドン・キホーテを描きつづけるでしょう。荒れ果てた文明を拒む大地と闘う人間や、文明の片隅で恩恵も受けることなく暮らす人間に、照準を合わせる作品を待ち望んでいます。中上健次の亡きあと、それを書けるのはこの人しかいないと思っています。

『出刃』同様に、評価したい作品が『光る女』です。この作品は、小檜山博の私小説に近いものです。小檜山作品を語るときに、忘れてはならない「都会」が舞台になっています。

「荒れ果てた故郷」と「荒廃した都会」。前者の夜にはくっきりとした形で自己主張している「星」があるのにたいして、後者の夜にはけばけばしい「電飾」のまたたきがあります。故郷に留まることと、故郷を捨ててしまうことの大きな価値観のちがいを知っている作家は少ないと思います。
(山本藤光:2009.11.04初稿、2018.02.27改稿)

小関智弘『仕事が人をつくる』(岩波新書)

2018-02-26 | 書評「こ」の国内著者
小関智弘『仕事が人をつくる』(岩波新書)

技術や技能を、どんな人が身につけて、どんなふうにものをつくるのかということに、わたしは強い関心を抱いてきた…研削工、瓦職人、染色工、歯科技工士、大工の棟梁、椅子作り職人、空師と呼ぶ高い木の剪定師等々、働きながら仕事の奥行きを発見し、人となっていく過程を描き出した町工場作家小関さんの新しい旅の記録。(「BOOK」データベースより)

◎受け身の仕事からの脱却

池井戸潤『下町ロケット』(小学館文庫)は、下町の工場を舞台にした優れた作品です。「山本藤光の文庫で読む500+α」の推薦作にさせていただいています。これは小説家が描いたものづくりの現場ですが、現役の旋盤工が描いた生々しいものづくりの世界にも触れていただきたいと思います。

小関智弘『仕事が人をつくる』(岩波新書)は、上質な「人財育成」の指南書です。小関智弘は18歳から、旋盤工として働いています。現在も旋盤工として働きながら、数々の小説やエッセイを発信しています。著作には『町工場巡礼の旅』(中公文庫)や『町工場・スーパーなものづくり』(ちくま文庫)などもあります。「ものづくり」が脚光を浴びる時代になりました。小関智弘は一貫して「ものづくり」以前に、「ひとづくり」をしなければならないと主張しています。

小関智弘は高校を卒業して、すぐに旋盤工になっています。30歳くらいまでは、与えられた仕事をそつなくこなす職人に過ぎませんでした。あるとき仕事の進捗状況を、メモにすることをはじめました。すると受け身でしていた仕事が、楽しくなったのです。そのあたりのことを、小関は次のように語っています。

――自分が仕事を通して書いたメモの内容が、鉄を科学的に測定し分析したものと同じ結果だったということを聞いて「鉄を削るって面白い仕事だったんだ」と知りまして(笑)。(「COMZINE」2005年3月号) 

このあとの言葉は、人財育成の大きなヒントとなります。引用をつづけてみます。

――それまでは与えられたものをただ削っているに過ぎなかったのですが、削り方を工夫したことによってどういう変化があったかを自分で実感できたためでしょう。受け身の姿勢を変えたことで面白さがわかったんですね。そうやって自分がどれだけ仕事に「乗る」か、ということは、働きがいを感じる上で大切なことでしょうね。(「COMZINE」2005年3月号)

本書のなかでは、メモの効用についてこう書かれています。紹介させていただきます。

――ノートを続けるうちに、わたしは自分のノートから教えられるようになった。単なる注意書きではなくなった。(中略)職場のなかでのわたし」が見えるようになった。同時に、旋盤工って何だ、ということを考えるきっかけにも役立った。わたしは、そのノートが、私の旋盤工人生を変える転機となったと、いまも信じて疑わない、(本文P95-96)

メモの効用については、斉須政雄『調理場という戦場』(幻冬舎文庫)でも詳しく書かれています。山本藤光の推薦作ですので、参考にしてください。

命令する、提出させる、の世界で部下を管理している人には、ぜひ「考えさせる」「聞き取る」世界を学んでいただきたいと思います。前者の環境では絶対に、「仕事は楽しく」なりません。部下自身が自分の仕事に向き合い、考える環境こそが必要なのです。

◎ほめてあげる

『仕事が人をつくる』は、ちょっとしたエピソードがそえられています。そこから教えられることが数多くあります。紹介させていただきます。

――歯科医院に通う患者は、「あそこの先生の入れ歯は上手だ」と言っても、その歯科医院に出入りする技工士の技をほめることはない。患者には技工士の姿が見えないのだから、しかたがない。「でも、いい先生はボクたちの技術をちゃんと認めて下さいましてね。そういう先生は、技工士にとっては、うれしいんですよ」(本文P112)

このエピソードは、「どんな下請けの仕事をしていても、ほめてくれる人がいるとうれしい」という一節からの引用です。「よく聞いてあげる」「ほめてあげる」「ヒントを与えてあげる」の3つは、部下が上司に求めていることの代表例です。

ときどき「当社はしっかりとマニュアル管理をしています」と、胸を張る幹部がいます。しかし職人や営業マンには、それは通用しません。そんな一例を、小関は「児玉繁光という職人の話」として、次のように書いています。

――ふと気がつくと、若い連中が五、六人かたまっていて、長いこと額をよせては首を傾げているんです。そのうちにひとりがやってくるんですね。このシャフト一本仕上げるのにどうしても一時間以上かかる、というんです。そんなときはもう、口で教えてもしょうがない。やってみせるからみんなで見てろ、といってやります。(本文P14)

これが「暗黙知」の世界です。知には2種類あります。暗黙知は言葉や文字に表しにくい知のことです。名人芸、ノウハウ、勘などが該当します。もう一つの知を「形式知」といいます。こちらは文字や言葉に表されたものです。代表的なものとして、テキスト、マニュアル、データベースなどがあります。営業マンに対する同行指導などは、暗黙知のはんちゅうに含まれます。

小関智弘の文章には、「現場力」があります。本書は何人もの職人の話が、紹介されています。「楽をしようとして教えを求めてくるやつには教えない」など、生々しい紹介もあります。仕事道具のカンナなどを磨く以前に、まずは人間を磨きなさい。そんな声が聞こえてきました。

最後にもう一度、小関の肉声で結びたいと思います。

――「手でものを考える」ことなしに、ものが作れてしまう状況になってしまうのは、経済にとっても危惧すべきことです。手でものを考えていくことの重要さは、もっと見直さなければいけないことだと思います。(「COMZINE」2005年3月号)

「手でものを考える」とは、マニュアルではなく現場での試行錯誤を意味しています。ドイツのマイスター制度は、弟子を一人前に育てなければ得られません。日本にはその称号はありませんが、町向上の親方たちは、みなマイスターなのです。
(山本藤光:2012.09.30初稿、2018.02.26改稿)


河野多恵子『後日の話』(文春文庫)

2018-02-26 | 書評「こ」の国内著者
河野多恵子『後日の話』(文春文庫)

舞台は17世紀イタリア、トスカーナの小都市。思わぬことで殺人犯となったジャコモは、斬首刑に処せられる直前、面会に来た若妻エレナの鼻を食いちぎった!遺された妻が送ったその後の人生とは?地中海に面した町で繰り広げられる、この上もなく美しくグロテスクで恐ろしい物語。(「BOOK」データベースより)

◎特異な世界を描く

 1960年から1970年にかけて、代表的な女流作家といえば河野多恵子と倉橋由美子(推薦作『スミヤキストQの冒険』講談社文芸文庫)だと思います。2人の共通点は、非日常の世界を確かな文体でつむぎあげることです。「性」や「嗜虐(しぎゃく)」からは、けっして逃げません。まともに懐にひきいれ、独特な感性でそれらを読者につきだしてみせます。読者にはこびません。この揺るぎない姿勢が好ましいのです。
 
 もうひとつ河野多恵子作品の魅力は、登場人物の造形の妙です。一人ひとりをていねいに創りあげ、活き活きと舞台を動かします。人形師が自ら造りあげた人形を、観客(読者)に向けて操っているかのようです。河野多恵子の作品には、そんな感じを受けています。自らが創作の原点にふれている文章があります。引用してみます。

――エミリ・ブロンテは牧師館の老嬢だった自分に密着せず「嵐ケ丘」のヒースクリッフやキャサリンを創作したがために、自分の内部を完全に表現し、人間存在を謳い切ることをなし得たのではなかろうか。が、彼女は自分に発して自分を空高く飛翔させたけれども、私の場合は竹トンボくらいしか飛んでくれない。そして、しばしば落っこちる。中には、その地面に落っこちた部分のほうが面白いといってくださる方もあり、私は自分の至らなさを知らされてつらいのだが、やはりこの方法で進みたいと念願している。(毎日新聞社学芸部編『私の小説作法』1975年雪華社P170より)

 河野多恵子を、一言で表現するのは難しいことです。私はつぎに引用する一文が、もっとも的確に女流作家・河野多恵子を表現していると思っています。

――河野多恵子は、女流のうちでも外界にたいする殺意や幻想界への嗜好を具えた異色の存在で、奔放な夢想の世界のもつリアリティーが、作風の特性を示している。(松原新一・磯田光一・秋山駿『戦後日本文学史・年表』1979年講談社、P330より)

 河野多恵子を理解するうえでもっともふさわしいのは、『谷崎文学の肯定と欲望』(読売文学賞、中公文庫絶版)を一読することです。谷崎文学のマゾヒズムに迫った本書は、さまざまな谷崎潤一郎文学論のなかでも、特筆に価します。
 
◎若い妻の鼻をかみ切る

『後日の話』(文春文庫)は、実話がヒントとなって生まれた作品です。絞首刑を宣告された夫が、最後の別れに訪れた若い妻の鼻をかみきります。

 河野多恵子は舞台を、17世紀のイタリア・トスカーナ地方の小さな都市国家に設定しました。また鼻をかみちぎられた主人公をエレナとし、蝋燭商の次女としました。著者は設定の理由をつぎのように書いています。

――作中の場所は、やはりイタリアから択ぶことにした。それをどこにするか。時代を十七世紀に設定した理由の一つは、場所との関係だったが、昔は繁栄していて、今は忘れられている土地がよさそうだった。作中では名を伏せてあるが、トスカーナ地方の地中海に面した、その場所を択んだ。鼻を噛み切り、噛み切られた夫婦は、ともにひとかどの商家の生まれの設定にする考えは、すでに兆していた。(「本の話」1999年2月号より)

 この設定が成功しています。著者は古風な港町と、そこに暮らす人々をていねいに描き上げます。また当時の習慣やにぎわいを、豊富な語彙(ごい)で挿入しています。

 河野多恵子の初期小説は、幼児誘拐(『幼児狩り』新潮文庫、『不意の声』講談社文庫)や夫婦交換(『回転扉』新潮社、文庫なし)をモチーフにすることが多々ありました。河野多恵子は『後日の話』で、まったく新しい世界を切り開きました。読者はなんの違和感ももたずに、作品のなかへ入りこめます。それはつぎのような懐の広い文体によるものです。
 
――市庁舎の前の広場で開かれている市へ、ジャコモとエレナは出かけて行った。幾並びにも露店がひしめき、人出で賑わっていた。(本文より)

――その地方では、きょうだい間に恋争いなどの特別の事情がなければ、都合よく結婚できるように、きょうだいが気を利かせ合う。互いに恋文の取り次ぎもする。(本文より)

 鼻を欠損したエレナは、うわさ話の好きな市民の格好のえじきとなります。また殺人者の妻として、不当な扱いを受けます。そんなエレナを、家族の慈愛に満ちた心が支えます。

 私がこの作品を今までとはちがうと感じたのは、著者自身の遊び心が見える点でした。これまでの作品は頭のなかだけで描きあげてきましたが、この作品は取材と膨大な資料を要しています。

 著者は17世紀の港町を、そこに住む人々を、楽しんで書いたにちがいありません。著者自身が、作品についてこう書いています。
 
――この作品での私自身といえば、幾重にも包まれて、影さえ見せない。これまでに書いた小説中、最も自分を包んだ作品。つまり最も深く自分に根ざした作品ではなかろうかと思っている。(「本の話」1999年2月号より)

 今なおその時代の面影を残しているだろうその町へ、行ってみたくなりました。

2015年1月30日の新聞に、河野多恵子さんの訃報が掲載されました。大学時代からずっと、本の魅力を提供してくれた偉大な作家です。ご冥福をお祈りいたします。
(山本藤光:2010.04.21初稿、2018.02.26改稿)