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山本藤光の文庫で読む500+α

著書「仕事と日常を磨く人間力マネジメント」の読書ナビ

野呂邦暢『草のつるぎ』(講談社文芸文庫ワイド)

2018-03-04 | 書評「の」の国内著者
野呂邦暢『草のつるぎ』(講談社文芸文庫ワイド)

「言葉の風景画家」と称される著者が、硬質な透明感と静謐さの漂う筆致で描く青春の焦燥。生の実感を求め自衛隊に入隊した青年の、大地と草と照りつける太陽に溶け合う訓練の日々を淡々と綴った芥川賞受賞作「草のつるぎ」、除隊後ふるさとに帰り、友人と過ごすやるせない日常を追う「一滴の夏」―長崎・諫早の地に根を下ろし、四十二歳で急逝した野呂邦暢の、初期短篇を含む五篇を収録。(「BOOK」データベースより)

◎野呂邦暢と佐藤正午


野呂邦暢(くにのぶ)は1937年に生まれ、42歳の若さで心筋梗塞のために、長崎県諫早市の自宅でなくなりました。彼が京大文学部受験に失敗し一浪中に、父親が事業でつまずいてしまいます。彼は受験を断念し、上京して職業を転々とします。そのうちに体調を壊し、故郷に戻ってきます。そして佐世保の自衛隊に入隊します。
28歳のとき「ある男の故郷」が、「文学界」新人賞の佳作となります。この作品から8年後の1973年、『草のつるぎ』で芥川賞を受賞します。

 佐藤正午は2017年、『月の満ち欠け』(岩波書店)で直木賞を受賞しています。作家になる以前の彼は同郷の野呂邦暢の『諫早菖蒲日記』に感銘して、ファンレターを送っています。返信はありました。その返信が直木賞作家・佐藤正午誕生のきっかけとなりました。この返信に発憤して、彼は小説を書きはじめたのです。
佐藤正午は著作のなかで、野呂邦暢の早過ぎる死について、次のように書いています。

――僕は最初の小説を書き始めた。書き続けながら常に頭の片隅にあったのは、四十二歳で死んだ小説家のことである。それがどんなに早すぎる、どれほど惜しまれる死であるか、まだ若い僕には判っていない。二十五歳の青年はただ、去った者から残った者へ、一つの仕事をやり終えた小説家から自分へ、次はきみの番だと指名されたように思って、そう信じて自分を勇気づけることしかできなかった。(『ありのすさび』岩波書店P345-346)

◎五感に訴える

野呂邦暢『草のつるぎ』が、講談社文芸文庫のワイド版として登場しました。小さな活字が見えにくくなっている私には、何よりのプレゼントです。迷うことなく再読しました。

野呂邦暢は、文章修行の手本にさせていただいた名文家です。とにかく単文をリズミカルにつなぐ、希有な作家だと思っています。没後30年になりましたが、こうしてめぐりあった幸せに感謝しつつ、再読いたしました。文章の一部を引いておきます。

――雨は去った。草原は新鮮になった。赤ん坊の肌のようにみずみずしい草になった。水で清められた葉身はかぐわしかった。(P147)

――夕食後、ぼくらは草原のはずれへ歩いた。わが中隊だけのようである。日は海に沈もうとしていた。ぼくらは赤っぽい夕日に浸かった。四、五人ずつ固まってあちこちに座った。(P178)

主人公「ぼく」は、九州の海辺の駐屯地にある自衛隊に入隊します。入隊の目的は、次のように説明されています。

――物質に化学変化を起こさせるには高い熱と圧力が必要だ。そういう条件で物は変質し前とは似ても似つかぬ物に変わる。ぼくは自分の顔が体つきがいやそれに限らず自分自身の全てがイヤだ。ぼくは別人に変わりたい。ぼく以外の他人になりたい。(P147)

 入隊して三週間目に、ぼくは初めて外出日を迎えます。ぼくはナイフと岩塩を買い求めます。「ぼく」は食堂で出されるご飯が石油のような味がするために食べられません。したがって岩塩入りの水で、飢えを補うしかありません。
 空腹なうえに、単純で過酷な新兵訓練が続きます。「ぼく」はそのなかに身を置き、自分の内部の変化を待ちます。隊内にはさまざまな出自の人たちがいました。「ぼく」はそれらの人と距離を置き、ひたすら自らを孤立させます。周囲から嫌われ、自分が阻害される道を選びます。
 これらの展開を野呂邦暢は、読者の五感をフル稼働させるような文章でたたみかけます。そして長い教育期間が終わります。読者は過酷な抑圧から解放された、「ぼく」の変化を感じ取ることになります。

◎草のつるぎとは

「草のつるぎ」というタイトルについては、著者自身が次のように書いています。文庫版には「あとがき」がありませんので、単行本のものを紹介させていただきます。

――「草のつるぎ」という題名はすでに決まっていた。自衛隊を書くとすればそういう題名でなければならなかった。「草のつるぎ」とは営庭にしげっていた萱(かや)科の硬い葉身を指しもするし、九州各地から集まった少年達の肉体をも意味する。小銃をかかえて草原を這い回れば、草はさながらナイフのようにわたし達を刺し、時には優しく肌を愛撫するかとも思われた。(単行本あとがき)

『草のつるぎ』で芥川賞を受賞する以前に、野呂作品は何度も候補になっていました。『草のつるぎ』執筆にあたり、野呂は安岡章太郎のアドバイスを意識していました。

――つまらない正義感をすててそこで見た物事を自由奔放に書けばいい。(野呂邦暢『失われた兵士たち』文春学芸ライブラリーの解説より)

 安岡章太郎のアドバイスを受けて、『草のつるぎ』は芥川賞を受賞しました。選評をいくつか紹介させていただきます。

――自衛隊の新隊員の手記で、自衛隊の初期訓練、演習なども克明に書いて、班員の性格も描き分けて、地面に喰いついたようなひたむきな粘りがみえた。(瀧井孝作)

――自衛隊員の生活が、正面から書かれている。訓練、演習、営内外の生活などが、これまで旧軍隊を書いた多くの小説よりも、現実性を持って書かれている。長篇小説の書き出しのような印象を与えるくらい、延び延びと書かれているのに感心した。(大岡昇平)

―きらきらした才能を押えて、深刻がるふうもなく、思わせぶりなところもなく、百五十枚を一気に読ませて、さわやかな感銘をあたえた。(丹羽文雄)

 これらの選評を見ると、安岡章太郎の助言に忠実だったことがわかります。野呂邦暢の著作は入手が難しいのですが、なんとか探し出してぜひお読みください。
山本藤光2017.09.15初稿、2018.03.04改稿

法月綸太郎『キングを探せ』(講談社文庫)

2018-03-03 | 書評「の」の国内著者
法月綸太郎『キングを探せ』(講談社文庫)

奇妙なニックネームで呼び合う4人の男たち。なんの縁もなかった彼らの共通項は<殺意>。どうしても殺したい相手がいる、それだけで結託した彼らは、交換殺人を目論む。誰が誰のターゲットを殺すのか。それを決めるのはたった4枚のカード。粛々と進められる計画に、法月警視と綸太郎のコンビが挑む。(「BOOK」データベースより)

◎新本格ミステリの時代

法月綸太郎『キングを探せ』を、講談社ノベルズで読んでいます。文庫化されるまで、書評を書くのを控えてきました。やっと講談社文庫になりました。満を持して感動をお伝えしたいと思います。

法月綸太郎は1964年生まれで、京大推理小説研究会の出身です。法月綸太郎は綾辻行人、我孫子武丸、有栖川有栖などと並び、新本格ミステリー界を牽引しています。ミステリー界は、今や新たなうねりのなかにあります。

1970年代の横溝正史ブームからはじまり、雑誌「幻影城」出身の若手が台頭してきます。泡坂妻夫(1933-2009年、推薦作『亜愛一郎の狼狽』創元推理文庫)、連城三紀彦(1948-2013年、推薦作『戻り川心中』講談社文庫)、竹本健治などが頭角を現しはじめます。

ところが本格ミステリーはあまり売れず、泡坂は人情物や時代物、連城は恋愛物などを書かざるを得なくなります。そして1980年代になって、島田荘司(1948年生まれ)が『占星術殺人事件』(講談社文庫、「山本藤光の文庫で読む500+α」推薦作)を引っ提げて登場します。

島田荘司は、新本格ミステリーの祖と呼ばれ、若手の発掘にも熱心でした。綾辻行人(1960年生まれ)や歌野晶午(1961年生まれ。推薦作『葉桜の季節に君を想うということ』文春文庫)などは島田の世話でデビューしています。法月綸太郎のデビュー作『密閉教室』(講談社文庫)も江戸川乱歩賞を逃していますが、島田荘司の推薦によるものです。

◎法月親子の活躍

法月綸太郎が著作のなかで、作家・法月綸太郎と父の法月警視を初めて登場させてのは、2作目『雪密室』(講談社文庫)からです。作家・法月綸太郎と法月警視は、『キングを探せ』(講談社文庫)にも登場します。私は本書を、本格ミステリ大賞受賞作『生首に聞いてみろ』(角川文庫)よりも高く評価しています。

『キングを探せ』は、4重交換殺人事件をテーマにした作品です。2重交換までなら単純な構図ですが、4重交換となると相当複雑になります。殺したい相手を抱えた4人の男(カネゴン、夢の島、りさぴょん、イクル君)が、今夜かぎりという前提でカラオケボックスで密会します。4重交換殺人事件の幕開けとしては、なんとも弱弱しいニックネームの勢ぞろいです。

4人はカードを引いて、殺人のターゲットと順番を決めます。ターゲットのカードは、AQJKの4枚。それぞれがターゲットとなる人を意味しています。本書の構成もこのカードの順番で、4部に分けられています。伏せられたカードは、見知らぬターゲットの象徴でもあります。

順番1を引いた夢の島は、ターゲットAを殺害しなければなりません。殺人の依頼主はイクル君で、ターゲットは彼の叔父・安斉(カードA)です。安斉は富豪ですが疑り深く、。イクル君は殺してやりたいと思っていました。当然殺人が成就したら、捜査の手はイクル君におよびます。殺人予定日には、確固たるアリバイを作っておかなければなりません。

こうして4重交換殺人事件が起こります。ネタバレになりますので、ストーリーは追いかけません。どうアリバイ工作をするのか、特徴を聞いただけのターゲットにどう近づき、どんな手段で殺害するのか。捜査の手がどうおよび、法月親子はいかなる推理をするのか。

私はこの複雑なストーリーに、酔いしれました。横溝正史、泡坂妻夫、連城三紀彦、島田荘司、そして法月綸太郎、綾辻行人、歌野晶午らの流れは顕在だと実感しました。

できれば上記の流れで、それぞれの作家の代表作を読んでいただきたいと思います。ちなみに私が「山本藤光の文庫で読む500+α」にリストアップしている新本格ミステリー作家は次のとおりです。☆印の作家の作品は、すでに書評を発信済みです。

綾辻行人 、折原一 、☆歌野晶午 、☆法月綸太郎、有栖川有栖 、☆北村薫 、太田忠司 、加納朋子、近藤史恵 、貫井徳郎、愛川晶、西澤保彦 、森博嗣 、☆蘇部健一、殊能将之 、

この中の何人を取り上げられるか。何しろミステリー以外のジャンルも含めて、日本現代文学125作品を選ばなければなりませんので。この中の誰かを選ぶと、誰かが落ちてしまいます。日本現代文学は特例で150+αとすべきかもしれません。楽しい悩みです。
(山本藤光:2015.09.20初稿、2018.03.03改稿)


野坂昭如『火垂るの墓』(新潮文庫)

2018-02-27 | 書評「の」の国内著者
野坂昭如『火垂るの墓』(新潮文庫)

太平洋戦争末期の神戸。空襲で親を失った14歳と清太と4歳の節子の兄妹はいかに生き、なぜ死なねばならなかったのか。(「BOOK」データベースより)

◎傍若無人

野坂昭如(あきゆき)は1930年生まれで、2015年に逝去しています。多彩な人で肩書きを並べると、作家、作詞家、シャンソン歌手、落語家、漫才師、タレント、政治家などとなります。小説家としては、自ら「焼跡闇市派」と名乗りました。
野坂昭如については、たくさんの作家や評論家が筆をとっています。そのなかで、磯田光一の文章が印象的だったので紹介させていただきます。磯田光一は最初に、野坂昭如の次の文章を引きます。

――東大紛争なんかでハッキリ反体制側に加担したけど、四十歳になって、女房子どももあればネ、反体制なんかウソで、自分が抜きがたく体制的であることは認める。もう徴兵にかかるわけではなし。(出典「反体制もトシをとれば」。磯田光一『悪意の文学』読売選書P68)

この文章は、もっとも野坂昭如らしいと思います。そして磯田光一は次の文章で結びます。

――「傍若無人」という語が、これほどふさわしい作家がまたとあろうか。過去の発言との一貫性を保っているように見せたがる世の知識人とは、野坂氏はまったくといってよいほど異質である。(上記書P69)

 正直で、短気で、照れ屋。そんな野坂昭如への追悼の言葉では、佐藤愛子の次の一文が胸に響きました。

――野坂さん、あなたは不思議な人でした。極めつきの我儘なのに、人にはわかりにくい繊細な優しさがあって、その優しさのために勝手に傷ついて、そして暴れん坊になる、といった厄介な人でした。野坂さん、これでらくになってよかったね。*「らく」に傍点(『オール読物』2016年2月号P291)

野坂昭如のデビュー作は『エロ事師たち』(新潮文庫)で、1967年には、『火垂るの墓』『アメリカひじき』で直木賞受賞しています。。

◎養父と実妹への鎮魂歌

 野坂昭如『火垂るの墓』(新潮文庫)はアニメ化されており、ご覧になっている人が多いかもしれません。しかし短い作品ですので、ぜひ手にとって読んでいただきたいと思います。野坂昭如は一文が長く、しかもたたみかけるような文体が特徴です。冒頭の一部を書き写してみます。

――省線三宮駅構内浜側の、化粧タイル剥げ落ちコンクリートむき出しの柱に、背中まるめてもたれかかり、床に尻をつき、両脚まっすぐ投げ出して、さんざ陽に灼かれ、一月近く体を洗わぬのに、清太の痩せこけた頬の色は、ただ青白く沈んでいて、(後略)

 一文はさらに続き、数えてみると9行もありました。物語は主人公の清太が浮浪児となって、駅構内にいる場面からはじまります。ここには、住まいのない浮浪児がたくさんいます。みな一様にやせ細っていて、体を動かす体力すらありません。
 清太はここで絶命し、無縁仏として葬られます。彼の腹巻きのなかには、妹・節子の遺骨が入ったドロップ缶がありました。駅員はそれを、草むらに放ってしまいます。

 このあと舞台は、清太の生前に転ぜられます。第二次世界大戦の末期、14歳の清太と4歳の節子は、母と3人で神戸に住んでいます。父は出征しています。神戸は米機の、大空襲に遭遇します。病弱で遠くまで行けない母を防空壕に残し、清太は妹を背負って避難所に逃げこみます。
 空襲が終わり、清太は家と母を失います。2人は万一のときにと、母が定めていてくれた西宮にある遠縁の家を訪れます。母はあらかじめ自分の衣類なども、そこに送ってありました。最初のうちはやさしかった女主人ですが、次第に2人を厄介者扱いします。
そして2人は横穴の洞窟に、住まざるを得なくなります。洞窟に蒲団や蚊帳を運び、2人だけの貧しい生活がはじまります。
明かりがないので、2人は螢をとってきて蚊帳に放ちます。しかし螢は翌朝になると死んでいます。まるで2人のこれからを暗示するように。

そのうちに持ち金が底をつき、清太は近所の畑を荒らしたり、空襲警報で不在になった家へ盗みに入るようになります。生きるために清太は必死でしたが、ある日節子は栄養失調のために死んでしまいます。
一人きりになった清太は大人に教わり、節子の遺骸をだびにふします。そして清太は浮浪児がたくさんいる、三宮駅で寝起きをするようになります。

戦争に翻弄された幼い命。野坂昭如は自らの体験も踏まえて、自分を育ててくれて空襲で亡くなった養父と、栄養失調で命を失った妹への鎮魂歌を書きました。

――養父、そして実妹を戦争で亡くしながらも生き残った野坂さんは、きっと一生をかけて伝えていくべきものをたくさん抱えているに違いありません。そして、体験を小説にすることで、亡くなった人たちの存在を物語の中で伝えていく選択をしたのではないかと、私は想像しています。(小川洋子『みんなの図書室』PHP文庫P116)

◎天からの火垂る、葉末の螢

アニメは観ていませんが、『ジブリの教科書4・火垂るの墓』(文春ジブリ文庫)を読みました。そこに寄稿されている文章のいくつかを紹介させていただきます。

――天からの火垂るも、葉末にひそむ螢も失せて、節子は、甘い水の恩寵を求め、とび立った。僕は苦い水の、現し世に生きのびている。残像の世を生きる。(同書、野坂昭如「幻想・火垂るの墓」P208)
 
この文章は清太と節子が死んでから43年を経て書かれたものです。これを読むと、タイトルが「螢」ではなく、「火垂る」である意味がわかります。

――誇り高く潔癖な清太が選んだのは、兄を信じてうたがうことを知らない妹と共に、ふたりきりの無垢な聖域で、短く伸びやかな人生をまっとうすることだった。(同書。野中柊P192)

 最後は壇ふみの文章で、締めさせていただきます。

――悲惨なこと、悲しいことから、こんなにも美しく、人の心を打つ物語が生まれてくるんですね。(中略)『火垂るの墓』は、神様の顔がちらりと見えるような、そこまでの美しさを湛えた作品だと思います。(NHK『私の1冊日本の100冊・感動のとまらない1冊』学研P15)
(山本藤光2017.09.05初稿、2018.02.27改稿)

野間宏『暗い絵』(講談社文芸文庫)

2018-02-23 | 書評「の」の国内著者
野間宏『暗い絵』(講談社文芸文庫)

<生命の自由の羽ばたき>を信じ、自己の全存在を賭けて、惜しげもなく散っていった京大左翼運動の仲間。彼らの心の闇を喚起した奇怪なブリューゲルの絵の世界―、戦後初期の文学界に衝撃をあたえ、戦後文学に燦然と聳立する「暗い絵」「顔の中の赤い月」「崩解感覚」など、野間宏文学の特質を顕示する初期作品群。(「BOOK」データベースより)

◎戦後文学の幕開け

戦後文学は真善美社の新人作家叢書「アプレ・ゲール・クレアトリス」の刊行によって、はじまったといってよいと思います。その第1弾が野間宏『暗い絵』(昭和22年)でした。野間宏は梅崎春生、椎名麟三とともに、第1次戦後派とされています。

野間宏『暗い絵/顔の中の赤い月』(講談社文芸文庫)には、表題2作品のほかに、初期作品「残像」「崩壊感覚」「第三十六号」「哀れな歓楽」が所収されています。解説は黒井千次が担当しています。黒井千次はいくつかの著作のなかで、『暗い絵』に言及しています。紹介してみたいと思います。

――最近、ぼくは苦心して(もちろん相対的な意味でだが)、一つの小説を書いた。それは、学生運動経験ある一人の人間の、企業の中における新しい生き方を探し求めることによって、現代を捉えようとする小さな模索であった。(黒井千次『仮構と日常』河出書房新社P43)

黒井千次が代表作『時間』(講談社文芸文庫、「山本藤光の文庫で読む500+α」推薦作)は、『暗い絵』を意識下において書かれたものです。学生運動を題材にした作品としては、桐山襲『風のクロニクル』(河出書房新社、初出1985年)、柴田翔『されど われらが日々――』(文春文庫)、立松和平『光の雨』(新潮文庫、「山本藤光の文庫で読む500+α」推薦作)などがあります。

◎1枚の絵を原稿用紙に

『暗い絵』は冒頭から4ページ半にわたって、ひたすら1枚の絵について語られます。絵はプリューゲルの「磔刑」で、野間宏は暗い絵を執拗に原稿用紙に書き写してみせます。

――そこには股のない、性器ばかりの不思議な女の体が幾重にも埋め込まれていると思える。どういう訳でプリューゲルの絵には、大地にこのような悩みと痛みと疼きを感じ、その悩みと痛みと疼きによってのみ生存を主張しているかのような黒い円い穴が開いているのであろうか。(本文冒頭の6行目から)

そして主人公の深見進介が登場します。時代は第2次世界大戦の、真っ只中です。彼は空爆を受けて燃え上がる、大阪の軍需工場の消火活動をしています。そんな彼の脳裏を走ったのは、焼失した寄宿舎に残した、1冊の画集でした。その画集とはプリューゲルのもので、大学時代に友人から借りたものです。

京大生・深見進介は友人・永杉英作の下宿で、プリューゲルの画集を見ます。そしてひとつの絵に魅せられます。主人公・深見進介はプリューゲルの「暗い絵」に、自らの青春を重ねます。深見たちの前には、自由な思想を封じる巨大な権力の壁が立ふさがっています。それは中世のフランドルの農民たちが描かれている絵に照射されています。

――日中戦争を経て、やがて太平洋戦争へと突入していく日本の時代状況そのものの暗さや、そのなかでの日本の民衆の抑圧され歪められた生存の暗さもまた重ねあわされている。(松原新一・磯田光一・秋山駿『戦後日本文学史・年表』講談社P61)

――人びとは、『暗い絵』の冒頭のプリューゲルの絵の描写を読んだとたん、ああ、これこそが真正の戦後文学だ、と叫んだのであった。そこには、奇怪な絵の世界を描きつくそうとする執拗な努力が積み重ねられていた。そして、その、暗い奇怪な絵の世界は、そのまま、小説の主人公――昭和十年代はじめの、日本のまじめに生きようとする青年の、精神のありようなのであった。(小田切秀雄『日本の名著』高校生新書P191)

『暗い絵』は小田切秀雄が書いているように、プリューゲルの絵の執拗な描写で一躍有名になりました。絵に主人公の心象風景を重ねる手法が新しかったのです。

◎自己の完成を目指して

この時代の日本の革命運動は、壊滅的な状態にありました。唯一京都大学が、左翼の楽園として存在していました。しかしここも特高警察の監視下におかれていました。

深見進介は反戦主義者の小泉清と対立し、スポイルされます。必然彼は合法グループから、非合法グループへと立ち位置をかえます。そこには革命成就を思い描いている、永杉英作や羽山純一や木山省吾らがいます。しかしここでも深見進介は彼らの思想から浮き上がっています。

戦争は激化の一途をたどり、非合法の反戦グループの永杉と羽山は力尽きてしまいます。深見は自己の完成を目指しています。彼は木山とともに、永杉の下宿を出ます。しかし木山とも人生観が合わずに、訣別することになります。

木山は永杉と羽山のために決起します。そして逮捕され、最後は獄中で死んでしまいます。深見がそれを知ったのは、転向して兵役を務め戻ってきてからでした。

闘いをまっとうした仲間に対し、深見進介は負い目を感じながら生きる道を選びます。黒井千次が『時間』のラストに描いた世界も似ています。ぜひ『暗い絵』と『時間』を読み比べてみてください。当時、こうした青春は確かに存在していたのです。
(山本藤光:2011.07.14初稿、2018.02.23改稿)

乃南アサ『凍える牙』(新潮文庫)

2018-02-21 | 書評「の」の国内著者
乃南アサ『凍える牙』(新潮文庫)

深夜のファミリーレストランで突如、男の身体が炎上した!遺体には獣の咬傷が残されており、警視庁機動捜査隊の音道貴子は相棒の中年デカ・滝沢と捜査にあたる。やがて、同じ獣による咬殺事件が続発。この異常な事件を引き起こしている怨念は何なのか?野獣との対決の時が次第に近づいていた―。女性刑事の孤独な闘いが読者の圧倒的共感を集めた直木賞受賞の超ベストセラー。(「BOOK」データベースより)

◎女刑事・音道貴子の登場

乃南アサは『凍える牙』(新潮文庫)で、1996年に直木賞を受賞しました。私はデビュー作『幸福な朝食』(新潮文庫)で、日本推理サスペンス大賞優秀賞(1988年)を受賞して以来のファンです。

乃南アサ作品の特徴は、とことんまで人間を描きあげることにあります。最初のころは、狭い日常のはんちゅうにとどまる作品が目立ちました。しかし『凍える牙』で、乃南アサはとても魅力的な女刑事を登場させました。それからは作品が一変しました。小さな世界では犯罪が起きにくく、必然新たな世界を構築することになったのです。

音道貴子31歳。離婚したばかりの、警視庁機動捜査隊員です。相棒である昔気質の中年刑事・滝沢とコンビを組み、犯罪を追いかけます。滝沢は女性刑事と組むことを迷惑に思う、典型的な男性至上主義者です。まず2人の微妙な確執が作品の1本目の基軸となっています。滝沢刑事について、著者自身がつぎのようにコメントしています。

――何よりも女性刑事に対して「こっちから見ればお荷物なんだよ」と思っていることを口にするおじさんは、作品にとって必要だと思った……。(「波」1996年9月号より)

2本目の基軸は、ウルフドックの存在です。犬と狼の混血であるウルフドックは、孤独で聡明です。これは主人公の貴子と酷似しています。

ストーリーは、ショッキングな冒頭場面からはじまります。深夜のファミリーレストランで、男がいきなり燃えあがります。焼死体には野獣のような噛み跡がついていました。つづいておこる殺人事件でも、同様の傷跡が発見されます。

事件を追う貴子と滝沢の、微妙な距離は縮まりません。貴子は女を認めようとしない滝沢にいらつき、ますます孤独感を深めます。2人は一定の距離をおいたまま、コンビとして正体不明の野獣に迫ります。この小説の3本目の基軸は2人の関係にあります。滝沢から見た貴子像の変遷を、彼の台詞から拾ってみます。
 
――「(貴子の背丈)でかいな」/「飾りもんじゃ、ねえんだ。少しは、役にたってもらわなきゃあ」/「さすがに、繊細なお嬢さんにゃあ、ちょいとキツいヤマになってきたからな」/「あんた、口が軽くないから、いいよな」/「何せ、(貴子が)頭がいいんだもんな。下手すりゃあ、俺よりも利口かも知れねえ」(本文より)

3本目の基軸は、多少距離を縮めるものの、ありきたりな恋の予感はどこにもありません。冷めた2人の関係は、作品に緊張感をあたえて効果的です。

乃南アサの魅力は、女性の細かい心理描写にあると書きました。直木賞を受賞してからは、多くの作品が文庫化されています。なかでも冒頭にあげたデビュー作『幸福な朝食』と、第2作品『6月19日の花嫁』(ともに新潮文庫)はお薦めです。

また聴覚障害を抱える女子高生を主人公とした『鍵』と続編の『窓』(ともに講談社文庫)もお薦めです。この作品について、著者自身が語っています。乃南アサの感性の原点として、つぎの一文を紹介させていただきます。
 
――最近の女子高生の成長ぶりには、目をみはるものがある。だが、外見の成熟度とは反対に、その考えの稚拙さ、短絡的なこと、感性の鈍さには、頭を抱えたくなる。(「本」1997年1月号より)

乃南アサは文芸評論家のあいだで、極端に評価が分かれる作家です。馳星周は「本の雑誌」のライター時代(筆名:坂東齢人)に、『凍える牙』についてつぎのような評価をしています。
 
――乃南アサ『凍える牙』を読んで、今年のベスト1に決めてしまった。だって、泣けるんだもの。心が躍るんだもの。ヒロインの貴子と、貴子に対峙する滝沢の描き方も好感が持てる。(坂東齢人『バンドーに訊け』本の雑誌社より)

一方、福田和也は『作家の値うち』(飛鳥新社)のなかで、つぎのような評価をしています。福田和也は乃南アサを、「予想の範囲を一歩も出ない作家」とこき下ろしている評論家です。

――いかにもという、ホラーであるし、ネタを割られると脱力してしまうが、一応結末まで読ませる力を持っている。(福田和也『作家の値うち』飛鳥新社より引用)

なんと福田和也は、『凍える牙』を56点としています。彼は「人前で読むと恥ずかしい作品。もし読んでいたら秘密にした方がいい作品」としたのです。
 
私は馳星周(坂東齢人)の評価が、まともだと思います。福田和也の書評は、独善的で好き嫌いが極端すぎます。乃南アサは堅実で、地味なミステリー作家なのです。

◎『ボクの町』でおまわりさん高木聖大登場

乃南アサは『ボクの町』(新潮文庫)で、とんでもないキャラクターをこしらえました。主人公の高木聖大は、警察官のタマゴ。大学を出て就職活動に出遅れ、おまけに彼女にふられた腹いせに、警察官を選択しました。
 
耳にはピアスの穴がありますし、短気でおっちょこちょいなうえ、態度は大きく言葉遣いも荒っぽい若者です。まったく警察官のイメージからかけ離れた、極端な男なのです。

私は作品を読みながら、少年ジャンプの『こちら亀有駅前派出所』(タイトルは違うかもしれません)の眉毛のおまわりさんを、連想してしまいました。

――聖大は、自転車をこぐ足に力を加えて、班長と並んだ。/「常識で考えろよ。普通、プリクラなんか、貼るか? 警察手帳に」/班長は、いかにも愉快そうに笑って、「そんな阿呆、見たこともねえや」と続けた。(本文より)

聖大は交番勤務実習の初日から、叱られています。警察手帳に、昔の彼女とのプリクラシールを貼っていました。引用部分はそのときを回想する、聖大の指導担当・宮永巡査長の話です。
 
主人公のキャラクターはもちろん、この作品は脇役の存在が活きています。宮永巡査長しかり、同期の三浦しかりです。三浦の方は、聖大とは正反対の性格をしています。なにしろ勤務初日に自殺未遂者の血を見て、貧血をおこしてしまうタイプなのです。しかし失敗ばかりしている聖大をしり目に、同輩の三浦は着実に成果をあげてゆきます。

――本当のことを言うと、聖大の心の中には、たかが初検挙ではないかという思いがあった。どんな仕事であれ、大真面目にやるなんて馬鹿馬鹿しい。適当に、あまり疲れない程度にこなして、余暇に備えるのが人間らしい暮らしを維持するポイントだと信じてきた。それが、同期生がその手で犯罪者を捕まえたと知った途端に、こんなにも動揺している。(本文より)

乃南アサ「女刑事・音道貴子シリーズ」は、順調に数をのばしています。『ボクの町』の続編も出ました。『駆け込み交番』(新潮文庫)も笑ってしまう作品でした。一方は、敏腕美貌の女刑事。もう一方は駆け出し中のドジで短気なおまわりさん。二人は何かの事件で出会うのでしょうか。そう考えるだけで楽しくなります。

『ボクの町』には大きな事件はありません。職務質問や火事現場の交通整理、110番マニアとのやりとり、などが克明に描かれているだけです。主人公や脇役の個性がなければ、つまらない読物になっていたことと思います。

――交番には、実に色々な人がやってくる。それらの人々は、大きく分けると地理案内や落とし物など、交番に用がある場合と、逆に不審者などのように、警察側が、その人を呼び寄せる場合との、二つになる。どちらの場合にも共通するのは、簡単な地理案内でもない限りは、それなりの手続きが必要だということだった。(本文より)

おまえは疫病神だといわれながらも、聖大はそれらの一つひとつを学ばなければなりません。乃南アサは、登場人物のキャラクターを描く能力に秀でています。上司にどやしつけられながら、高木聖大は今日も、立番をしているような気がします。さわやかな読後感の作品です。
(山本藤光:2010.03.07初稿、2018.02.21改稿)

野中郁次郎・紺野登『知識経営のすすめ』(ちくま新書)

2018-02-01 | 書評「の」の国内著者
野中郁次郎・紺野登『知識経営のすすめ』(ちくま新書)

日本企業は、二度の石油ショック、ニクソン・ショック、円高などを克服し、強い競争力をつくりあげてきた。日本企業に比較優位をもたらしたのは、年功制度・終身雇用という労働形態だけでなく、組織的知識創造をコアとする労働スタイルにあった。それは個別的な直感=暗黙知を形式知化して組織全体のものにし、製品やサービス・業務システムに具体化するという組織の運動能力のことである。トヨタやホンダ、花王、富士通、富士ゼロックスなど優良企業のケース・スタディをもとに、知識創造と知識資産活用の能力を軸として、大転換を迫られている日本的経営の未来を探る。(「BOOK」データベースより)

◎私を変えてくれた1冊

私の書評は四つのジャンル「現代日本文学」「近代日本文学・」「海外文学」「知・教養・古典」から各125冊づつを選んで書評を書いたいます。
「知・教養・古典」ジャンルで、私が特別に大切にしている本は3冊あります。そのなかの1冊が、野中郁次郎・紺野登『知識経営のすすめ』(ちくま新書)です。他の2冊は、西堀栄三郎『石橋を叩けば渡れない』(生産性出版)、花村太郎『知的トレーニングの技術』(ちくま学芸文庫)です。

『知識経営のすすめ』を読むにあたって、マネジャーの方は「チーム運営」と読みかえてページをくくってください。私が「人間系ナレッジマネジメント」を提唱して、ビジネスをさせてもらったのは、本書および著者2人との出会いによるものと断言できます。

私が日本ロシュという製薬会社で「SSTプロジェクト」事務局長をしていたときに、野中郁次郎先生が取材にいらっしゃっいました。まだナレッジマネジメントなる言葉を、知らない時代の話です。SSTは優秀者のスキル・ノウハウを、同行指導により平均者に直接伝授するプロジェクトのことです。

◎日常のなかで交換されている2つの知

「ナレッジマネジメント」というと、「そんな難しい話は」という反応がかえってくることがあります。ナレッジマネジメントを理解するには、「暗黙知」と「形式知」の存在を理解することだけでかまいません。この2つの「知」を意図的に連動させるのが「ナレッジマネジメント」なのです。

「意識」を説明するときに、よく氷山の絵が用いられます。水面上にある小さな部分を「顕在意識」、水面下の大きな部分を「潜在意識」と呼びます。「知」の世界も、氷山を用いて説明することができます。

水面上にある知を「形式知」と呼びます。マニュアル、テキスト、データベースなど、文字や言葉で表されている知のことです。水面下の部分は「暗黙知」といい、スキル、ノウハウ、勘など文字や言語に表出されていない知のことです。私たちの「知」は氷山のように、圧倒的に「暗黙知」の部分が大きいのです。

 私たちの日常のなかで、2つの「知」は自然に交換されています。例示してみましょう。
・料理のレシピ(形式知)を見て、料理を作る(暗黙知)。
・料理番組を見て(暗黙知)、必要項目をメモする(形式知)。
・ゴルフ場で手取り足取り(暗黙知)、スイングを教える(暗黙知)。
・本(形式知)を読んでいて、大切な箇所を書き抜く(形式知)。
 
――ナレッジマネジメントとは、簡単に言えば、個々人の知識や企業の知識資産(Knowledge Asset)を組織的に集結・共有することで効率を高めたり価値を生み出すこと。そして、そのために仕組みづくりや技術の活用を行うことです。(本文より)
 
 これまでの多くの企業はナレッジマネジメントと称して、システムやデータベースに傾注していました。ベストプラクティス(成功実践例集)などは、暗黙知を形式知に置換する作業です。私がいちばん注目したのは、「暗黙知」から「暗黙知」への転換プロセスだったのです。いわゆる徒弟制度、名人芸の伝承などをイメージしてもらえばいいと思います。
 
 本書では「暗黙知」と「形式知」の連動を、前例のような4つの循環として説明しています。「SECI(セキ)プロセス」というのですが、できるだけやさしく解きあかしてみたいと思います。私は日本ロシュの営業企画部長時代に、日本ナレッジマネジメント学会でSSTプロジェクトの実践例を紹介しています。難解なSECIをこうして説明していますと、つぎのような話をしました。会場は笑いに包まれました。

 むかし「愛と貧乏脱出大作戦」というテレビ番組がありました。つぶれそうな店の店主3人が、達人の店に修行にやってきます。

(1)達人は自ら料理をつくってみせます。彼らはそれぞれ必死でメモをとります。
(2)その夜、3人は自分のメモだけでは不安なので、額を寄せ集めてより完璧なメモに仕上げます。
(3)翌日3人はまとめあげたメモを参考にしながら、達人の料理に挑みます。当然うまくはいきません。
(4)達人は料理をつくってみせて、もういちど彼らにやらせてみます。
 こうした毎日をくりかえし、つぶれそうな店の店主たちの料理の腕は、少しずつ達人に近づいていきました。めでたし、めでたし。

 いかがでしょうか。(1)は暗黙知から形式知の変換場面です。あとの説明は省略させていただきます。「愛と貧乏脱出大作戦」は、まさに「SECIプロセス」を映像化した番組だったのです。

◎SECIをぐるぐる回す

 ナレッジマネジメントとは、SECIを意図的に循環させるものです。最初はぎこちなくまわっていた「SECIプロセス」が、やがて自然体でまわるようになります。私はいくつもの企業でその指導を実施し、企業に根づいた事例を知っています。営業リーダーの仕事で説明させていただきます。
 
S(共同化):営業リーダーが部下と同行し、現場で自分のスキル、ノウハウを伝授する。 
E(表出化):チーム会議で優秀者の成功例を発表させる。
C(結合化):発表された成功例をみんなで磨き上げる。
I(内面化):磨き上げた成功例を現場で実践してみる。

 いかがでしょうか。強いチームは、この循環がスムースにおこなわれています。つまり「個人知」が「組織知」になっているのです。

『知識経営のすすめ』は、企業のマネジャーの必読書です。これを理解していなければ、いつまでもチームは強くなりません。本書から大切なポイントを引用しておきます。
 
【個人「知」から組織「知」】
――ナレッジマネジメントの多くは、知識資産の共有から出発するものです。基本的には個人のレベルの知識を組織的に集結・連結して活用し、その単純な総和以上のものを発揮しようというのが狙いです。(本文より)

【場(空間)】
――知識を共有する空間、意思決定のために知識を結集する空間、地理的に分散した人々と本社を結びつけるための空間……。ナレッジマネジメント、あるいは知識経営の実践においては空間(場)が大きな意味を持ちます。(本文より)

 野中郁次郎先生には、大きな力を与えていただいています。拙著の推薦文も書いていただきました。一橋大学大学院の講義にも招いていただきました。「人間系がんばれ」のメッセージもいただきました。いただいているばかりで、恐縮しています。
(山本藤光:2012.10.30初稿、2018.02.01改稿)