山本藤光の文庫で読む500+α

著書「仕事と日常を磨く人間力マネジメント」の読書ナビ

116:書き留める習慣

2019-01-31 | 銀塾・知だらけの学習塾
116:書き留める習慣
――第10講義:実践する
1冊の新しいノーとを買い求めましたか。何かをしているときに、やってみたいことが思い浮かんだら、すかさずノートに書き留めます。何か新しい発見をしたら、やっぱりノートに書き留めます。老齢期の人は、忘れっぽくなります。とにかく何でもいいから、書き留める習慣を身につけてください。書いておくべきことは、およそ次のような事柄です。
・買いたいもの
・新しい発見
・読んでいる本
・学んだこと
・今日の天気
・観たテレビ番組
・気になるニュース
書く習慣を身につけると、そこから新たな発見や気づきが生まれます。ぜひ試してみてください。「銀塾・知だらけの学習塾」は。本日でしばらく休載させていただきます。ここまえのご愛読ありがとうございました。
山本藤光2019.01.31

115:夢を追いかける

2019-01-30 | 銀塾・知だらけの学習塾
115:夢を追いかける
――第10講義:実践する
テレビを観ていたら、いまの日本人に一番欠けているのは「夢」がないことだというセリフが出てきました。同感です。みんな充足され過ぎていて、「夢」など入りこむ余地がないのでしょう。または困窮していて、夢とは無縁の世界にいる人も多いと思います。夢は中間層に与えられた、特権なのかもしれません。ちなみに政治家などの社会的地位の高い人にあるのは、「欲望」です。

ちっぽけな「いま」を謳歌することだけに夢中な学生期の若者。とうに「夢」なる存在すら忘れ去った老齢期の人。どこにも、「夢」のカケラすら認められません。

夢って、45度の角度で遠くを見ると、おぼろげに存在しています。足元には、絶対に転がっていません。毎日コツコツと努力しなければ、到達できないのが夢なのです。

昔は確かに、誰もが「夢」を持っていました。日常の先にある世界を、思い描くことをしていました。若者から夢を引き出してあげるのは、上司や両親、年配者の役割かもしれません。45度に目線を上げ未来を見つめる方法を、多くの人に教えてあげていただきたいと思います。

それが老齢期の人の義務です。だから本人にも、夢がなければならないのです。あなたの夢は、何ですか?

114:ああなってはいけない

2019-01-29 | 銀塾・知だらけの学習塾
114:ああなってはいけない
――第10講義:実践する
このままではいけない。もっと充実した毎日にしよう。そう思ったら、それを実現させるための「儀式」または「きっかけ」が必要になります。塾長の場合は尊敬していた先輩が定年し、街角でばったりと逢ったことが「一念発起」したきっかけでした。その人はまるで空気の抜けた風船状態でした。「ああなってはいけない」と痛切に感じた塾長は、日常磨きに取りかかりました。
 一番手っ取り早い日常磨きは、読書です。当時は営業企画部長として体を張っていました。あまり時間もなかったので、それしか思いつかなかったのです。ただ単に「読書をするぞ」では、真剣さが欠落しています。塾長は「1週間に1冊」という目標を設定したのです。
 そして「ウイークリー・ダイヤリー」を購入しました。これが「儀式」です。ここに読書にまつわることを記入し始めたわけです。「買いたい本」「読みたい本」「読んだ本」「作者のこと」など、何でも書き留めました。そして新聞や雑誌の切り抜きは、ここに貼り付けました。この行為も前記した「儀式」にあたります。

113:読書のすすめ

2019-01-28 | 銀塾・知だらけの学習塾
113:読書のすすめ
「小さな研究」か「ライフワーク」は、決まりましたか? これが決まっていなければ、再び平凡な日常へ戻らざるを得ません。

 老齢期のみなさんは、毎日を愉快にたくましく過ごさなければなりません。ボケ防止のためにも、「考える」ことを継続してください。
本文では「知のステップアップ」について、執拗に語らせていただきました。誰もが「集める」「整理する」までは、日常的に実践しています。本を買って(集める)、それを本棚に収納する(整理する)という行為のことです。
しかしここまでなら、知的な活動とはいえません。買い求めた本を読む、は立派な知的な活動です。でもその段階までなら、社会的な貢献にはなっていません。
読んだ本について、発信するレベルになって、初めて誰かの役に立つ活動の域に達するのです。

当面は自分の読んだ本の、ランキング作りなどから始めてみてください。それらの本の書評が新聞や雑誌に掲載されていたら、コピーを取ります。あなたの書いた書評(感想文でもよし)と第三者の書評があれば、立派な1冊の本の案内になります。


112:実践する

2019-01-27 | 銀塾・知だらけの学習塾
112:実践する
――第10講義:実践する
「銀塾・知だらけの学習塾」は、いよいよ最終講義になります。本日から何回かに分けて、知的日常をいかに実践するかに言及したいと思います。

知的な日常を創出するために、最初に用意しなければならないのは1冊の大学ノートです。これは知的な日常のベースキャンプとなるものです。

まず最初のページの左には「知的な日常」、右には「それ以外のもの」と見出しをつけてください。ここからは「実践するぞ篇s」ですので、ハードルを少し下げて解説します。
「知的な日常」は、次の項目から選んで、所要時間を記入してください。

◎知的な日常リスト
読書
教育番組鑑賞
散歩
ショッピング
執筆
パソコン・スマホ作業
趣味
小さな研究
ライフワーク
部屋の模様替え
語らい(家族も含む)

◎それ以外のもの
睡眠
食事
バラエティ番組鑑賞
家事
入浴
体のケア
昼寝


このリスト以外にも、いろいろあると思います。大切なのは、2つを12時間ずつに区分けすることなのです。


111:智恵

2019-01-26 | 銀塾・知だらけの学習塾
111:智恵
――第9講義:人間力
人間力のある人には意欲がある
意欲のある人には夢がある
夢のある人には目標がある
目標のある人には努力がある
努力のある人には失敗がある
失敗のある人には反省がある
反省のある人には経験がある
経験のある人には智恵がある
智恵のある人には人間力がある

「智恵」とは知識や経験に、搭載するターボエンジンのことです。智恵は知識や経験の、裏付けがなければ機能しません。智恵は知識知でもあり、経験知でもあります。

私は「人間力」の総合力を、「智恵」としています。前向きに人生を送る「意欲」があり、一段高いところにいる自分を「夢」見る。そのために、高い「目標」を掲げ、ひたむきな「努力」を継続する。生じた成果に対する謙虚な「反省」を忘れず、それを次なる挑戦への「経験」知とする。やがてその循環が「智恵」となって、より高いレベルになったあなたは、目指すところに到達できるのです。

田坂広志は著書『知性を磨く』(ちくま新書)の中で、知識と智恵の相違について次のように述べています。

(引用はじめ)
「知識」とは、「言葉で表せるもの」であり、「書物」から学べるものである。
「智恵」とは、「言葉で表せないもの」であり、「経験」からしか学べないものである。
(引用おわりP54)

これって「ナレッジマネジメント」でいう、「形式知」と「暗黙知」のことです。

もうひとつだけ、先達の言葉を引用させていただきます。

――切迫感と知識が一緒になったとき、初めて知恵が出てきます。切迫感を感じなきゃ、知恵も生まれません。私がいつも「あきらめたらいかん」とか「できると思ってやったらできる」とかいっているのはこのことです。(西堀栄三郎『新版 石橋を叩けば渡れない』生産性出版)

 西堀栄三郎がいうように、智恵は単純な思いつきや閃きとは異質なものです。たくさんの知識や経験の裏づけがあり、緊迫した場面で引き出せるのが智恵なのです。智恵の「智」の字は、知に日を重ねてあります。知の積み重ねが「智」なのです。そこに「恵み」がやってきます。

110:経験

2019-01-25 | 銀塾・知だらけの学習塾
110:経験
――第9講義:人間力
人間力のある人には意欲がある
意欲のある人には夢がある
夢のある人には目標がある
目標のある人には努力がある
努力のある人には失敗がある
失敗のある人には反省がある
反省のある人には経験がある
経験のある人には智恵がある

ある営業チームの会議を、覗いてみます。営業リーダーは先月、月間販売目標を達成したAさんとBさんを賞賛しています。Aさんはほぼ計画通りの、100%達成でした。Bさんは半分以上がラッキーパンチが当たっての、100%でした。

私はこの評価に、疑問を抱きました。もちろん営業ですから、月間目標の100%クリアは重要なことです。しかし営業リーダーは、AさんとBさんを同列で評価してはならないのです。計画通りに仕事をしたAさんは、そのプロセスが「経験知」となります。しかしラッキーパンチのBさんには、経験知はほとんどありません。

「経験」は、思惑通りに成し遂げたところからしか生まれません。高い志を持ち、ちょっと工夫を加えて、挑戦したものが初めて「経験」となるのです。

「営業活動のブラックボックス」については、「知だらけ107:努力」の項で説明済みです。「経験知」を高めるのは、成果の量ではありません。むしろ悪戦苦闘している「プロセス」への取り組み姿勢によるものなのです。「知だらけ104:反省」に記した通り、活動の質の検証なくして、経験知は高まらないのです。

「経験」には、「修行」というニュアンスが含まれています。修行は修業とは違います。前者は基本から学び、永遠に磨き続ける行ないのことです。後者は一定の業を収めることで、卒業があります。私が「経験」に加味したかったのは、あくまでも「修行」の方です。

109:反省

2019-01-24 | 銀塾・知だらけの学習塾
109:反省
――第9講義:人間力
人間力のある人には意欲がある
意欲のある人には夢がある
夢のある人には目標がある
目標のある人には努力がある
努力のある人には失敗がある
失敗のある人には反省がある
反省のある人には経験がある

「反省」とは、行為を検証することです。反省は多くの場合、失敗や誤りなどに従属する言葉ですので、ネガティブな印象を持たれていると思います。前に優秀な人ほど、失敗が多いと書きました。その理由は、失敗を糧にしているからです。失敗を糧にするには、そこに反省が介在していなければなりません。それがあるから、失敗を踏み台にできるわけです。

商談で不発に終わった営業マンがいます。「今日は〇〇さんの機嫌が悪かったから」で済ませてしまう人は、優秀な営業マンではありません。なぜ機嫌が悪かったのかを探るのが、優秀な営業マンです。あの時間は、忙しくて疲れているのかな。前日阪神が負けたからかな。いきなり商談に入ったのがまずかったのかな。このように、思考を展開するのが「反省」です。

時々「ダメじゃないか」と、部下を叱責している上司を見かけます。これは最悪のパターンです。こうした表現を「言葉を丸める」と言います。ケンカの場面を思い起こしてください。彼らが発する言葉が、その典型です。傍で聞いていても、何のことだかさっぱりわかりません。上司が発する「ダメじゃないか」も同じことなのです。

上司は部下に失敗の要因を、考えさせる時間を与えなければなりません。例えば部下と同行していて、顧客を出たときにはこんな具合に語りかけます。

上司「うまく行かなかったね。どう感じた?」
部下「ちょっと緊張しちゃって、早口になってしまいました」
上司「もっと落ち着いて、まずは質問を投げかけてみたらどうだろう」

仕事に一区切りがついたとき、駆け足でも構いませんので、それまでの段取りを振り返る。これが「反省」するの定義です。反省は何も、失敗に付随した言葉ではないのです。反省する習慣を私は「瞬間日記」と呼んでいます。事に及ぶ前に成果を思い描く。これと同じことで、事が終わったら成果を顧みるのが、「反省」のポイントとなります。

コルクを水中に押し込むと、手を放した瞬間に飛び上がります。これが反省から、新たな気付きを得る瞬間です。より高く飛び上がろうとするとき、人はまず身を屈めます。反省とは、そんなイメージの言葉です。できごとの追体験と呼んでもいいかもしれません。

108:失敗

2019-01-23 | 銀塾・知だらけの学習塾
108:失敗
――第9講義:人間力
人間力のある人には意欲がある
意欲のある人には夢がある
夢のある人には目標がある
目標のある人には努力がある
努力のある人には失敗がある
失敗のある人には反省がある
反省のある人には経験がある
経験のある人には智恵がある
智恵のある人には人間力がある

「失敗」についての私の認識は、優れた人ほど失敗の経験が豊富であるということに尽きます。つまり失敗から学び、それを次なるステップへと応用しているわけです。失敗はマイナスのイメージを帯びた言葉ですが、私はどんどん失敗を重ねなさいといっています。

 営業リーダー時代に、驚いた経験があります。平均的なMR(営業マン)と同行したのですが、彼の活動は失敗とは無縁のものでした。訪問目的が、顔つなぎや定期訪問ばかりだったのです。これでは面談後に、絶対に〇も×もつけられません。いわゆる△活動しかしていなかったのです。面談前に成果を思い描く活動をしていないために、面談後に〇も×もつけられないのです。その部下は失敗を恐れていました。

別の日に優秀な部下と同行をしました。顧客へと向かう車中で、彼は明確に訪問の目的を語ってくれました。「今日は医局説明会の依頼をします」「新規処方をしてもらいます」などと、必ず何ををゲットするのかを明確にしていました。それゆえ彼は面談後に、「やりました」「次回に再チャレンジです」などと、〇と×で成果の検証が可能だったのです。

「失敗を恐れずに挑戦してごらん」。いつも部下たちに、そう伝え続けていました。私のいう挑戦とは顧客の逆鱗(げきりん)に触れて、出入り禁止になるような類のものではありません。現状を打開するために一歩踏み出しなさい、程度のことをいっています。△活動ばかりを続けて、がんばっているつもりになっている部下は、たくさんいました。失敗体験は、立派な「暗黙知」となります。

 最後に「失敗学」の権威の言葉を引いておきます。
――失敗の特性を理解し、不必要な失敗を繰り返さないとともに、失敗からその人を成長させる新たな知識を学ぼうというのが、「失敗学」の趣旨なのです。別のいい方をすれば、マイナスイメージがつきまとう失敗を忌み嫌わずに直視することで、失敗を新たな創造というプラス方向に転じさせて活用しようというのが、「失敗学」の目指すべき姿です。(畑村洋太郎『失敗学のすすめ』講談社文庫)

107:努力

2019-01-22 | 銀塾・知だらけの学習塾
107:努力
――第9講義:人間力
人間力のある人には意欲がある
意欲のある人には夢がある
夢のある人には目標がある
目標のある人には努力がある
努力のある人には失敗がある
失敗のある人には反省がある
反省のある人には経験がある
経験のある人には智恵がある
智恵のある人には人間力がある
最初に「努力」と反対の語句を引いておきます。労せずして功を得る。最近の若者を見ていると、どうもこうしたお手軽タイプが増えているようです。「努力」とは、「目標」に向かって切磋琢磨することです。

部下に業績評価のフィードバックを、したときの逸話です。私は断固として、最低の評価を告げました。「がんばっているのに」といって泣かれてしまいました。企業人にとって、評価の大前提は成果の有無です。

企業はどの社員にも、均一のインプットを与えています。インプットとは、環境、情報、知識のことです。ところがアウトプットは天と地ほども違います。アウトプットとは、成果、業績のことです。件(くだん)の人は成果が芳しくないのに、インプットとアウトプットの中間にある、プロセスの評価を求めたのです。

プロセスについては、上司が特別に関与しなければならない大切な部分です。当然、上司である私は大いに関与してきました。なぜならプロセス部分の優劣が、アウトプットの根幹だからです。

 営業の世界では、プロセス部分を「営業活動のブラックボックス」と呼んでいます。話法の熟成度、顧客ニーズの把握、学術資材の活用、クロージング能力など、ここにはデータベースで解析できない要素ばかりが散在しています。唯一ここを垣間見ることができるのは、営業マンの上司しか存在しません。

「努力」について、大切にしている文章があります。紹介させていただきます。

(引用はじめ)
努力して結果が出ると、自信になる。
努力せず結果が出ると、傲りになる。
努力せず結果も出ないと、後悔が残る。
努力して結果が出ないとしても、経験が残る。
(引用おわり。発言者不明)

幸田露伴の『五重塔』(岩波文庫)は、私もブログ「山本藤光の文庫で読む500+α」で紹介させていただいています。幸田露伴にはもう1作、素晴らしい著作があります。『努力論』(岩波文庫)がそれです。ちょっとだけ紹介させていただきます。

――努力することは素晴らしいことだ。しかし、自分が努力していると思っているうちは、まだまだダメだ。そこにはまだ自分の中にやりたくない気持ちが残っていて、それでも無理にやっているという不自然さがある。(中略)自分がやっていることが自分にとって自然であると感じられるような努力をしよう。それこそが努力の真髄であり、醍醐味なのだ。(幸田露伴『努力論』岩波文庫)

あの「がんばっているのに」の人には、ぜひ読んでもらいたい本です。

影野小枝:「努力」でネット検索をしたら、こんなのがありました。笑ってしましました。
――「努力」より先に「成功」が出るのは、辞書の中だけである。(作者不詳)