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盛田隆二『夜の果てまで』(角川文庫)

2018-02-14 | 書評「も」の国内著者
盛田隆二『夜の果てまで』(角川文庫)

二年前の秋からつきあっていた女の子から突然の別れ話をされた春、俊介は偶然暖簾をくぐったラーメン屋で、ひそかに「Mさん」と呼んでいる女性と遭遇した。彼女は、俊介がバイトをしている北大近くのコンビニに、いつも土曜日の夜十一時過ぎにやってきては、必ずチョコレートの「M&M」をひとつだけ万引きしていくのだった…。彼女の名前は涌井裕里子。俊介より一回りも年上だった―。ただひたむきに互いの人生に向き合う二人を描いた、感動の恋愛小説。(「BOOK」データベースより)

◎文庫化で魅力を失った『湾岸ラプソディ』

 注目の作家が花開きました。『湾岸ラプソディ』(角川書店1999年)を読んで、興奮しながら書評を書いたことがあります。この作品は文庫化にあたり、『夜の果てまで』(角川文庫)と改題されました。現代文学作品の頂点近くであると評価していた作品は、この愚挙で大きくランクを下げてしまいました。このタイトルではダメなのです。このカバーではダメなのです。
 
 盛田隆二は『湾岸ラプソディ』の執筆に、3年の歳月を費やしました。しかも会社を辞めて、この作品に没頭しました。1人称で書きはじめたものを3人称に改め、さらに登場人物を増やしました。原稿用紙450枚だった作品が、最終的には850枚になりました。
 
 盛田隆二には、ずっと注目してきました。デビュー作『ストリート・チルドレン』(初出1990年、講談社文庫)は、新宿300年の歴史を舞台に、様々な人の生き死にを描いた力作でした。

 次作『サウダージ』(初出1992年中央公論社、角川文庫)も東京を舞台に、若者の喪失感をみごとに活写していました。盛田隆二の魅力は、物語としてのおもしろさと独特の文体にあります。さらにいつも感心させられるのは、タイトルの妙味でした。それゆえ文庫化で消えたタイトルは、もったいないと思っています。

『サウダージ』については、坂東齢人『バンドーに訊け』(本の雑誌社)がつぎのように語っています。坂東齢人は、馳星周としてデビューする前の名前です。坂東齢人は「本の雑誌」で書評を書いていました。彼は盛田隆二のタイトルについても、高く評価していました。

――盛田隆二『サウダージ』はやるせなくも美しい、今の東京を描いた佳作。サウダージとはポルトガル語で「失われたものをなつかしむ、さみしい、やるせない想い」を意味する言葉だそうだが、なるほど内容にぴったりのタイトルである。(本文より)

 私がなぜ角川文庫『夜の果てまで』にたいして、冷たい評価しかしないのか、説明したいと思います。『湾岸ラプソディ』には、しかけが施されていました。その点について、著者自身がつぎのように書いています。

――書店で『湾岸ラプソディ』を見かけたら、ぜひカバー写真に注目を。夕暮れの東京湾岸にシルエットで浮かぶ2人は「21歳の青年」と「33歳の人妻」だ。これは90年の撮影。次に本をひっくり返して、裏表紙の写真を。こちらは99年の東京湾岸道路。つまり表が90年で裏が99年。(「本の旅人」1999年5月号より)
 
 著者自身が語っている「あの写真」が、文庫本では消えてしまったのです。タイトルにも納得していませんけれど、私が気に入っていた写真が消えてしまいました。残念でなりません。グチが長くなりました。気を取り直して、盛田隆二作品に迫ってみます。

◎いくつもの支流が合流

『夜の果てまで』は、盛田隆二の代表作です。簡単にストーリーを紹介したいと思います。以下は、むかし書いたものの焼き直しです。

 21歳の北大生と33歳の人妻の、抜き差しならない関係。盛田隆二は、2人を極限まで追いやります。北大生の安達俊介は、大学の近くのセイコーマートでアルバイトをしています。そこへ土曜日の夜11時すぎにきまって現れる美人がいます。彼女は必ずM&Mチョコレートを一袋だけ万引きしてゆきます。俊介は密かに「Mさん」と呼んでいます。

 やがて俊介は、彼女がラーメン屋の若妻であることを知ります。涌井裕里子、33歳。彼女の旦那は、一回りほど歳が離れています。そして正太という中学3年生の息子がいます。

 物語はいくつもの支流から、動きだします。俊介と恋人だった西野賀恵との別れ。新聞記者を志望する俊介の就職活動。裕里子の旦那と前妻・小夜子との奇妙な関係。学校をサボる正太と仲間たちの非行。

 支流が本流に流れこむたびに、物語はうねりスピード感を増します。俊介と裕里子の関係が、あらゆる障害をのみこみ、濁流となって突き進みます。作品に登場する店は実名です。また1990年3月にはじまった物語は、1991年2月に終ります。北海道の自然の移ろいに、2人の気持ちの移ろいが重なります。憎いまでの演出です。

 この作品は「物語の終った明くる日」からはじまります。作品の第1行を、じっくりと読んでいただきたいと思います。物語は1998年9月から動きだしているのです。

『夜の果てまで』は、文句のつけようのない傑作です。専業作家の道を選んだ盛田隆二に、拍手を贈りたいと思います。そして多くの人にぜひ読んでいただきたい、と切望しています。ウォラーの『マディソン郡の橋』が260万部のベストセラーなら、『夜の果てまで』は300万部を超えてもおかしくありません。そんな熱く切ない物語なのです。

『夜の果てまで』の文庫解説で、佐藤正午は大切なポイントにふれています。結びとして転記させていただきます。

――登場人物が失踪する小説でありながら、『夜の果てまで』が失踪後を描いた小説ではない。小説が終わった時点で、夫も、作家も、失踪した涌井裕里子の行方を知っている。もともと描く必要がないのだ。/結局のところ、『夜の果てまで』は誰にも探されることのない失踪者を描いた小説なのである。(文庫解説より)

◎盛田隆二さんへ2017.10.10
 あんなに高く評価していたのに、タイトルと写真が消えただけでいちゃもんをつけてごめんなさい。私は藤光・伸の筆名で、「ブックチェイス」に連載書評を書いていました。今では古希を過ぎてしまいましたが。なぜ文庫でタイトルも写真も消えたのか、釈明を求めます。
(山本藤光:2009.11.30初稿、2018.02.14改稿)

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