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山本藤光の文庫で読む500+α

著書「仕事と日常を磨く人間力マネジメント」の読書ナビ

立川談四楼『声に出して笑える日本語』(知恵の森文庫)

2018-10-11 | 書評「た」の国内著者
立川談四楼『声に出して笑える日本語』(知恵の森文庫)

悲惨な事件を伝えた女性キャスターがまとめのコメント。「ご遺族は今、悲しみの<ズンドコ>に沈んでいます......」アナウンサーの致命的な言い間違いから、思わずニヤリの上品な下ネタ、そして愛すべき落語の世界の味わい深いセリフまで。
酒場で飲んでいても昼寝中でも、行き交う言葉に耳を澄ませて集めた「笑える日本語」の数々。
落語家にして作家でもある著者ならではの「耳の付け所」が冴え渡る! 確実に笑えてタメになる傑作エッセイ。(内容紹介)

◎急に朝降る雨は?

本業の落語が上手いか下手かは、本を読むまでは聞いたことがないので知りません。しかし立川談四楼の文章は一級品です。立川談四楼は耳をダンボにして、世の中の言い間違いを拾いまくります。
言葉の専門家であるアナウンサーの言い間違い。師匠である談志のとんでもない思い違い。落語界の師匠たちの楽屋ネタ。女子校生のやりとり。とにかく面白ネタ満載の絶品です。一例を示すとこんな具合です。

 NHK女子アナが、中継中に夕立に見舞われます。以下引用してみます、
――「夕方に降る雨を夕立と言いますよね」/ここでよしゃよかったんだが、このあとのセリフが命取り(生きてます)になった。妙齢のご婦人の口から「では朝降る雨は朝立ちと言うんでしょうか?」というお言葉が発せられたというのだ。(本文P37)

 こんな話が延々とつづきます。一話が3ページほどですので、私はにやけながら1日1話を楽しみました。

立川談四楼は1951年生まれの落語家です。1983年に二つ目に昇進し、談四楼と改名しています。その後1983年に真打ち昇進試験を受けるのですが落っこちてしまいます。これに怒り、師匠の立川談志は日本落語協会と袂(たもと)を分かちます。
立川談四楼の作家デビューは1990年に発表した『シャレのち曇り』(ランダムハウス文庫)です。その後たくさんの著作を上梓しますが、私は『声に出して笑える日本語』(光文社知恵の森文庫)が、最高傑作だと思っています。本書は『もっと声に出して笑える日本語』『もっとハゲしく声に出して笑える日本語』(ともに知恵の森文庫)へと書きつなげられます。

◎伝家の宝刀「のようなもの」

『もっと声に出して笑える日本語』(知恵の森文庫)の巻頭(前口上)に面白い文章があります。

―― 一部では熱く支持されたものの、大して売れなかった単行本『日本語通り』が文庫化され、『声に出して笑える日本語』となった途端、売れ出しました。まるで村上春樹を思わせる売れ行きです(笑)。(本文P3)

『声に出して笑える日本語』は文庫化されたから売れたのではなく、斎藤孝の『声に出して読みたい日本語』にタイトルを似せたのがよかったんですね。こういうおもしろ本は、ハードカバーよりもお気軽な文庫の方が似合います。それも売れた要因のひとつでしょう。

私が最もおかしかったのは、P211の「のようなもの」です。今から40年前に、私は「のようなもの」を連発して難関を切り抜けました。当時の私は外資系製薬会社の購買課長でした。自己申告のたびに、営業への転籍希望を出していました。それがかなえられたのは、33歳のときでした。
製薬会社の営業マン(MR)は入社後半年間の研修が義務づけられています。33歳の私は10歳ほど若い新人に混じって、導入教育を受けました。医学、薬学の基本を徹底的に教え込まれるのです。そして毎朝、知識確認テストが実施されます。

そのときの答案用紙に私は「〇〇のようなもの」と書き続けました。同期の研修課長が笑いながら「△」をつけてくれました。本書を読んで、懐かしい時代のことを思い出しました。では本書の「のようなもの」を引用させていただきます。

――「のようなもの」という言い回しが私は好きだ。これは落語『居酒屋』に出てくる小僧のセリフ「できますものは汁(つゆ)、小柱(はしら)、鱈(たら)、昆布(こぶ)、鮟鱇(あんこう)のようなもの……」からきていて、哀れ小僧は「のようなものって鮟鱇じゃねえのか」と客にツッコまれてしまうのだ。(本文P213)

 本を紹介したのだからと、落語の方もネットで聞いてみました。師匠の談志にはかなわないでしょうが、面白かったです。おあとがよろしいようで。
山本藤光018.09.11

田辺聖子『私的生活』(講談社文庫)

2018-03-12 | 書評「た」の国内著者
田辺聖子『私的生活』(講談社文庫)

辛く切ない大失恋のあと、剛から海の見えるマンションを見せられて、つい「結婚、する!」と叫んでしまった乃里子、33歳。結婚生活はゴージャスそのもの。しかし、金持ちだが傲慢な剛の家族とも距離を置き、贅沢にも飽き、どこかヒトゴトのように感じていた。「私」の生活はどこにある? 田辺恋愛小説の最高峰。(「BOOK」データベースより)

◎きっと結婚する

田辺聖子『私的生活』(講談社文庫)は、「乃里子シリーズ」(「言い寄る」「私的生活」「苺をつぶしながら」)の2作目にあたります。シリーズのなかでは、本作がベストだと思います。もちろん第1作から読む方が好ましいのですが。

『言い寄る』(講談社文庫)の「あとがきに代えて」で、田辺聖子はシリーズの抱負を次のように語っています。

――男の子と女の子が、互いに、どこが好きか、どこに魅かれたか、ということを発見していく小説、会話がぽんぽんとかわされて、頁をめくるいとまも惜しいというような小説こそが、恋愛小説だと思っていたから。(同書「あとがきに代えて」)

『言い寄る』での乃里子は独身。財閥の御曹司・剛とのちぐはぐな関係が描かれています。ここでの剛は妻がありながら、誰とでも寝る独善的で鼻持ちならない男です。常に相手を見下し、金持ちを鼻にかけています。平気で乃里子を殴ります。嫉妬深く、ときどき幼さが顔を出します。
 そんな剛と乃里子は、結婚することになるだろう。確信のなかで、この2人が結婚したらどんなことになるのだろうか。第1作を読み終えたとき、第2作の『私的生活』では、もっとはちゃめちゃになるだろうとの予感はありました。

◎かわってゆく人の心

田辺聖子は『私的生活』のあとがきに、次のように書いています。

――私にとって男と女の関係は尽きぬ興味の源泉である。それも波瀾万丈の運命よりも、日常のただごとのうちに心がわりしてゆく、という、そのあたりのドラマが私の心を惹きつける。白い布に一滴の水が落ち、静かにしみ(・・)がひろがってゆくように、また夕焼けの色が褪せるように、かわってゆく人の心というものは、なんとふしぎなものだろう。(文庫本あとがき)

 田辺聖子は引用の心意気を、みごとに小説として表現しました。主人公の乃里子は32歳。どこにでもいるタイプの細身の女性です。頭はよく、仕事はてきぱきとこなします。そんな乃里子を、大会社社長の長男「剛」が見初めます。剛は乃里子よりも年下で、ハンサムで気位が高く幼稚な性格です。剛は乃里子を神戸の海の見えるマンションへ誘います。そして乃里子はそこで、求愛を受諾します。

――私は、このベランダの光景が好きで、剛と結婚してうれしかったのは、このマンションからの眺めのせいだ、といったら、叱られるかしらん。(本文P10)

◎別れ方

 結婚により、乃里子の生活は激変することになります。服はオーダーメイドになり、欲しいものは電話一本でデパートの外商が届けてくれます。第1作『言い寄る』に登場する乃里子の仕事場兼住居マンションは、そのままになっています。
 剛はここに忍びこんで、乃里子の古い日記を盗み読みします。それが露見してのやりとりは、2人のちぐはぐさの頂点といえます。

(引用はじめ)
「すまん、いうてるやないか」
 剛は、さっきの、機嫌のいい顔に戻ろうとしていた。
「そやけど、考えてくれよ、好きやからそんなん、すんねん、乃里子が好きやから、何考えてるか知りとうなるねん――」
(引用おわりP135)

 このあたりから、乃里子は別れの予感を抱きはじめます。冷めてしまった関係を修復しようと、剛は乃里子を旅行に連れ出します。
しかし乃里子の心境は、次のようなものでした。

――このまま、剛とつづけていくこともできるし、「殺すなら殺せ」の心境で、剛の一族と折り合いよく、暮らしていく才能も、私にはある。しかし、いつかは、「散髪にいくよ」と出ていくことになるだろう。(本文P268)

これ以上ストーリーには触れませんが、川上弘美が本書のラスト部分に言及している記事があります。

――田辺聖子さんの本を、恋愛小説と思って読んでいると、「あっ、油断した」いう瞬間があるんです。『私的生活』という話の、最後のほうで恋人と別れるにはどうしたらいいかを主人公の女の人が知り合いの男の人に訊くんです。そうすると、その男の人がお金をもらって別れるんですね、払って別れてもらう場合もあります、
と言うんです。(糸井重里との対談。2006.01.20)

 田辺聖子に「びっくりハウス」(『鼠の浄土・田辺聖子コレクション7』ポプラ文庫所収)という短編があります。百目鬼恭三郎は次のように解説しています。田辺聖子しか書けない世界。3部作を読むのはしんどいという方にお勧めです。

――浮気がバレても一向に平気な妻と、はじめは腹をたてていても、いつの間にかその浮気相手の青年と意気投合してしまうアカンタレの亭主、というケッタイな夫婦の話をあっけらかんと書いて、この作者のほかにはだれも描き得ない独特の世界を展開してくれているのだ。(百目鬼恭三郎『現代の作家一〇一人』新潮社P127-128)

「山本藤光の文庫で読む500+α」では、すでに田辺聖子『今昔まんだら』(角川文庫)を紹介させていただいています。田辺聖子は古典に誘う名ナビゲータですが、関西弁の小説にも味があります。 
山本藤光2017.07.28初稿、2018.03.12改稿


田口ランディ『コンセント』(幻冬舎文庫)

2018-03-11 | 書評「た」の国内著者
田口ランディ『コンセント』(幻冬舎文庫)

ある日、アパートの一室で腐乱死体となって発見された兄の死臭を嗅いで以来、朝倉ユキは死臭を嗅ぎ分けられるようになった。兄はなぜ引きこもり、生きることをやめたのか。そして自分は狂ってしまったのか。悩んだ末に、ユキはかつての指導教授であるカウンセラーのもとを訪ねるが…。彗星のごとく出現し、各界に衝撃を与えた小説デビュー作。(「BOOK」データベースより)

◎『コンセント』を含む3部作は優れている

「山本藤光の文庫で読む500+α」執筆のために、わざわざ文庫本を買い求めています。一度単行本で読んでいながら、このプロセスをふむのは、加筆修正などの箇所を知りたいからです。また、誰が文庫解説を書いているのかを、知ることも楽しみのひとつです。

田口ランディには、盗作騒動などいろいろありました。しかし『コンセント』『アンテナ』『モザイク』(幻冬舎文庫)の3部作は優れています。私は幻冬舎文庫で再読しましたが、新潮文庫からも出ています。問題の箇所はすべて、書き直されているようですので、後発の新潮文庫の方がお勧めかもしれません。
 
田口ランディは何度も直木賞候補になりながら、受賞できないでいました。不思議だなと思っていました。どうやら盗作騒動で、直木賞受賞は幻になってしまったようです。
  
田口ランディは、ずっと高く評価していた作家です。 田口ランディは、インターネットでメールマガジンを発行していました。読者数は6万人。それが一躍、売れっ子作家となったのです。現代版シンデレラ物語のようです。田口ランディは、1996年にエッセイ『忘れないよ!ヴェトナム』(幻冬舎文庫)を出版しています。それから4年後、処女小説『コンセント』を出版します。
  
◎家族のだれかが突然に消える

田口ランディが小説に挑んだ動機については、『鳩よ!』(マガジンハウス2001年4月号)の「特集・田口ランディ・魂を救え」でのインタビューを中心に紹介したいと思います。聞き手は永江朗です。

(引用はじめ)
田口:ある仕事で鈴木光司さんにロングインタビューに伺いました。そのときの雑談で、鈴木さんが豪華なクルーザーと熱海にリゾートマンションをお買いになっている話が出て、帰り道に編集者と居酒屋でお酒を飲みながら、(中略)「鈴木さんが『リング』『らせん』『ループ』(補:いずれも角川ホラー文庫)なら、私ならどんな三部作かな?」というと、彼は「うーん、田口さんは電波系がいいんじゃないですか。そっち系が得意そうだし」という話になったんですよ。(後略)
(引用おわり)

酒の席で編集者の意見を受けて、田口ランディが羅列したのが「コンセント」「アンテナ」「モザイク」だったのです。つまり3部作は「電波系」と名づけてもいいものであり、タイトルが先に生まれていたのです。

『コンセント』は、傑作でした。その後『アンテナ』『モザイク』と読みつなぎましたが、それぞれが独立した作品と認識を改めることになります。3つの作品の共通テーマは、「家族」です。作品の登場人物は異なるものの、「存在」と「喪失」という軸にブレはありません。そのあたりのことについて、田口ランディ自身が、『アンテナ』(新潮文庫)の「あとがき」に次のように書いています。

――私の最初の小説作品「コンセント」は、妹が兄を探す話だった。二作目の「アンテナ」は、反対に兄が妹を探す話だが、これは意図したものではない。書き始めたとき、この構図に気がついていなかった。描きたかったのは、「家族の誰かが突然に消える」という喪失体験であり、そのような体験をした機能不全家族の再生を描いてみたかったのだ。
 
引きこもりの果てに、40歳の兄がアパートで孤独死します。悪臭を放つ腐乱死体の傍らには、コンセントに差し込まれたままの掃除機が転がっていました。妹・朝倉ユキは、死臭の呪縛から逃れられません。多くの批評家がいうように、この作品のラストは気に入りませんでした。

◎身体と精神の同化

第2作『アンテナ』は、『コンセント』と主客が逆転しています。主人公「僕」は、消えた妹・真利江の幻覚に悩む兄です。妹は15年前に忽然と姿を消しています。「僕」には真利江が消えた直後に生れた弟・祐弥がいます。祐弥は触覚みたいな「アンテナ」をもち、真利江と交信できます。
 
父親が脳溢血で死に、母親は宗教にのめりこみます。弟・祐弥の情緒は、しだいに不安定になります。消えた妹の呪縛から逃れられない「僕」。「僕」は自分がひどく無力でちっぽけだと思います。そしてSMの女王・ナオミとの出会いがあります。真利江失踪の謎とともに、封じこめてあった性欲が暴発します。

ばらばらに存在していた、身体と精神の同化。外部との共鳴を起こす装置との決別。田口ランディは『コンセント』同様に、多くの登場人物を物語にはめこみます。それぞれの人物造形に荒さが残るものの、主人公「僕」の恐怖は十分に描かれています。

◎「家族」「心の病」にこだわり
 
第3作『モザイク』の舞台は渋谷です。「僕」は高校時代に学校をサボって観た、映画「カッコーの巣の上で」が忘れられません。刑務所から逃れるために、精神病を装って精神病院へ逃避する主人公。そこは刑務所よりも、ひどい世界だったのです。
 
『モザイク』は超常現象みたいな世界で、私の好みではありませんでした。田口ランディ「電波系3部作」のなかでは、図抜けて『コンセント』がいいと思います。田口ランディは、「家族」「心の病」にこだわりつづけています。

「コンセント」から「アンテナ」へ。一般的には、前者が受動的な存在だとしたら、後者は能動的な装置です。しかし作品では両方とも、外との「感応装置」として意味づけられています。

田口ランディが立ち直り、デビュー作のようないきいきとした作品を、発表してくれることを期待しています。
(山本藤光:2010.06.21初稿、2018.03.11改稿)

滝井孝作『無限抱擁』(講談社文芸文庫)

2018-03-11 | 書評「た」の国内著者
滝井孝作『無限抱擁』(講談社文芸文庫)

男と女が出会ったのは吉原。春に出会い晩秋に別れた。それから三年目の春、二人は再会する。そしてその年の冬、男は求婚し結婚した。…出会ってから六年目、一月に雪、二月の或る朝、女は息を引き取った。血を吐き死んだ。―著者のストイックな実体験を、切ない純粋な恋愛小説に昇華させ、「稀有の恋愛小説」と川端康成に激賞された不朽の名作。日本近代文学史上屈指の作品。(「BOOK」データベースより)

◎ まるで、だだっ子

 瀧井孝作は、1894(明治27)年に飛騨高山で生まれました。13歳で母親を失い、15歳で魚問屋の丁稚となります。このころ俳句に興味をもち、河東碧吾郎に師事します。
 その後、芥川龍之介の知遇を得て、佐佐木茂索や小島政二郎らと知り合い、創作への道を踏み出します。また志賀直哉を慕い、その転居先を千葉県我孫子からはじまり、京都、奈良と追いかける執拗さをみせます。

小町谷新子『一生の春 父・瀧井孝作』(蝸牛社、初出1990年)を読みました。著者は瀧井孝作の次女です。非常に暖かな眼差しで、父親やそれを取り巻く人々を活写していました。また瀧井孝作が愛した風景を、実にていねいに描写しています。
 
――父は勝手に毎日出て歩き、勝負事に徹夜や朝がけ、坐のあたたまるときがない。たまに帰って来ると、他人の持ち物が気に入ってそれと同じものがほしくなったりする。ストーブがほしいという。今すぐ三十円が必要だという。一日三十銭の石炭代がいる。それはあまりに今の生活からは贅沢だと母が云うと、「俺の云うことに何でも買わせまいとする」と父は怒る。まるでだだっ子である。(本文より)

――父は、高山のものは何でも自慢した。高山から送られた塩せんべいをたべると、「これには高山の空気が入っているヨ」と嬉しそうだった。(本文より)

『一生の春』は文人としての瀧井孝作と、父親としての瀧井孝作がみごとに書き分けられています。そしてその落差が、何ともいえないおかしさを誘います。

◎芥川賞の選者

 瀧井孝作は、芥川賞の第一回から第八十五回までの選者でもありました。瀧井孝作は第一回の芥川賞の選評でこういっています。
 
――こんどの候補者選出の責任はぼくにある。この五人のほかにもっとよい候補者があったかも分からない。もし洩れていたらぼくの識見の至らない点で、はなはだ相済まないことだと思うし、ひたすらお詫びするわけだ。(「芥川賞全集・第一巻」より)

私はこの文章を読んだ後、書棚に並んでいる「芥川賞全集」の中から、瀧井孝作の選評をたどってみました。やさしいのです。芥川賞の候補作をきめ細かに読み、前作からの成長を見極めています。また作者の出身地まで考え、作品の中にその影を見出します。ていねいでもあります。

◎生真面目と正直

 主人公の竹内信一は、小説家を志す二十三歳。吉原の遊郭で二十一歳の松子と知り合います。彼は松子の正直な性格と美貌に一目惚れし、一緒になりたいと切望します。信一の生真面目な性格を熟知している周囲の人は、心配します。
 結婚を迫る信一に、松子は我が身の不浄さを考えて拒絶します。それからの信一は、抜け殻のような状態になります。
 そして約一年後、二人は再会します。松子は信一の申し入れを受諾して、結婚します。しかし新婚間もない松子は、結核に罹患してしまいます。
 喀血。松子の死。物語は単純なのですが、研ぎ澄まされた文章が臨場感を与えます。瀧井孝作の文章について、触れている論評があります。

――瀧井孝作の散文は俳文に端を発している。また、私小説は日本の文学伝統のうちでは随筆文学にも根をもっているにちがいない。(松原新一ほか『戦後日本文学史・年表』講談社P331)
 
本書は瀧井孝作の自伝小説です。タイトルの「無限抱擁」は、「夢幻泡影」をもじったものです。夢幻泡影(むげんほうよう)は、人生や世の中の物事は実体がなく、非常にはかないことのたとえです。(むげんほうえい)とも読みます。

◎塩せんべい美味いだろう

 川端康成は『無限抱擁』を、希有な恋愛小説として絶賛しています。川端康成の『雪国』の冒頭文は、本書の影響を受けているという説もあります。

――浅川駅よりトンネルもなくなり空は夜明であった。/車室の窓ぎわで一人、信一は、靄(もや)の間から麦の穂の赤んで居る有様に向いて、「もう麦が赤む」と呟いた。(『無限抱擁』冒頭文)

 小林秀雄は瀧井孝作の文章を引いて、次のように書いています。

(小林秀雄の引用箇所)
――街角の裂目に、しのばずの水面が光って居た。松子は惹かれるような気がして、供れの信一に一寸目を呉れた。彼も一緒に水面の光っておる方へ踏出した。/平に伸べた水が明るく、池べりの広っぱの上には疎らな砂利が残っており、二人が踏む其僅な礫が折々音を立てた。(本文P76)

 引用文はもっと長いのですが、割愛することにします。以下、小林秀雄の文章です。

――何と正確な拡張をもった溌剌たる文体であろう。この文章から光と陰とが同時に在る様な映像が浮かび上がる。(小林秀雄『全文芸時評集・上巻』講談社文芸文庫P37)

過日、友人家族と飛騨高山へ行って、自分たちで塩せんべいを焼いて食べました。瀧井孝作の自慢げな声が、聞こえたような気がしました。
 (山本藤光1998.12.05初稿、2018.01.06改稿)

高見順『如何なる星の下に』(講談社文芸文庫)

2018-03-11 | 書評「た」の国内著者
高見順『如何なる星の下に』(講談社文芸文庫)

昭和十三年、自ら浅草に移り住み執筆をはじめた高見順。彼はぐうたらな空気と生存本能が交錯する刺激的な町をこよなく愛した。主人公である作家・倉橋の別れた妻への未練を通奏低音にして、少女に対する淡い「慕情」が謳い上げられるのだった。暗い時代へ突入する昭和初期、浅草に集う人々の一瞬の輝きを切り取り、伊藤整に「天才的」と賞賛された高見順の代表作にして傑作。(「BOOK」データベースより)

◎軍需景気にわく浅草

高見順は1907(明治40)年に、私生児として福井県で生まれています。実父は当時の福井県知事でしたが、会ったことはありません。高見順は東大英文学科卒業後、1933年に治安維持法違反で検挙されます。その後、転向して釈放されますが、妻は男と失踪していなくなっていました。
 高見順の作品には、こうした経歴が大きな陰を落としています。
1936年『故旧忘れ得べき』(新潮文庫)で文壇デビューします。本書には「転向」した心境が、自嘲気味に書かれています。

1939年に『如何なる星の下に』(講談社文芸文庫)を上梓します。本書は浅草に暮らす人々と時代を活写した、ノスタルジックな作品です。
主人公の「私」こと倉橋は、うだつの上がらない文筆家です。彼は浅草の盛り場に近いアパートの一室を、仕事部屋にしています。浅草の活気を原稿用紙にノリ移させたい。「私」はそう気合いをこめているのですが、筆は一向に進みません。
そんななか「私」は、K劇場の雅子という踊り子に恋心を抱きます。「私」は芸人たちが集まる、お好み焼き屋に出入りしています。そこの店主である美佐子は、倉橋の素性を知って態度を豹変します。
彼女の妹は、倉橋の元妻に夫を奪われたことが原因で、病死したというのです。
 
時代は1938年ころ。世の中は軍需景気にわき、社会の底辺にいた人たちに元気が生まれています。お好み焼き屋・惚太郎には、落ち目の芸人や売れはじめた芸人などがやってきます。彼らは浅草を語り、そこで暮らす人たちについても語ります。

◎ひ弱な気質

 本書には、浅草が丸ごと写しとられています。倉橋が通う惚太郎は、似たような名前で現存しています。倉橋は友人の差配で、K劇場の楽屋で雅子と対面します。舞台上の雅子と違い目の前でみた彼女は、華奢で陰鬱な感じがします。のちに知ることになるのですが、雅子はお好み焼き屋の美佐子の妹だったのです。
 倉橋の元妻に夫を寝取られた美佐子の妹。そして倉橋から恋慕されている美佐子の妹・雅子。倉橋は浅草に、運命を感じはじめます。
 倉橋は、自分のひ弱な気質を知っています。それゆえ、活気のある浅草に仕事部屋を求めたのです。しかし近辺の人たちは、みな貧しく一様に悩みを抱えていました。町の活気と人々の貧しさのギャップを、高見順はみごとに描き分けています。

 物語に大きな起伏はありません。高見順は淡々と、浅草で暮らす群像を描いてみせます。浅草の華やかさのなかに、芸人や踊り子を置くことにより、高見順は舞台の表と裏の世界を描こうとしました。舞台の上では華やいだ衣装をまとい、観客に明るく振る舞う芸人や踊り子たち。彼らが舞台を離れたときの悲しみやその境遇を描くことで、小説に光りと陰を生み出そうとしたのです。

 本稿を書き終えてから、次のような論評に巡り会いました。いいなと思いましたので、紹介させていただきます。

――浅草における倉橋の観察記録が映し出すのは、実は倉橋自身の姿なのかもしれない。(安藤宏・編『日本の小説101』新書館P109)

◎樗牛の歌

 これぞ浅草。そんな記述は、随所にありました。磯田光一は著作のなかで、次のように書いています。さすがに鋭い指摘だと思います。

――作中の「私」(倉橋)はその映画をさきに銀座で見ていたのである。善良なブリキ屋の親父が、大晦日に勘定を貰えず、心痛ゆえに家族の前で暴れ廻るという一瞬を見て、銀座の観客はその暴れ方の滑稽さに、どっと笑った。ところが同じ映画を浅草で見たとき、そこにはまったく違った現象が起こったのである。(磯田光一『昭和作家論集成』新潮社P153)

 磯田光一が書いている場面で、浅草の観客はすすり泣くのです。高見順の細やかな筆裁きの妙を、磯田の指摘で再確認することができました。

――「如何なる星の下に生まれけむ、われは世にも心よわき者なるかな」(樗牛)作者はその心弱き魂のエゴイズムを、可憐な踊子への淡い慕情を独特の饒舌体によって内面からつづることで表現した。(小田切進・尾崎秀樹『日本名作事典』平凡社)

樗牛の歌については、小林秀雄は著作のなかで引いています。いいなと思いましたので、全文を書き写してみます。
――如何なる星の下に生まれけむ、われは世にも心よわき者なるかな。闇にこがるるわが胸は、風にも雨にも心して、果敢(はか)なき思をこらすなり。花や採るべく、月や望むべし。わが思には形なきを奈何(いか)にすべき。恋か、あらず、望みか、あらず(小林秀雄『全文芸時評集・下巻』講談社文芸文庫P254)

 本書を読んで、浅草へ行ってみたくなりました。高見順が描いた浅草を探しに。
山本藤光2017.12.27初稿、2018.03.11改稿

谷瑞恵『思い出のとき修理します』(集英社文庫)

2018-03-10 | 書評「た」の国内著者
谷瑞恵『思い出のとき修理します』(集英社文庫)

仕事にも恋にも疲れ、都会を離れた美容師の明里。引っ越し先の、子供の頃に少しだけ過ごした思い出の商店街で奇妙なプレートを飾った店を見つける。実は時計店だったそこを営む青年と知り合い、商店街で起こるちょっぴり不思議な事件に巻き込まれるうち、彼に惹かれてゆくが、明里は、ある秘密を抱えていて…。どこか懐かしい商店街が舞台の、心を癒やす連作短編集。(「BOOK」データベースより)

◎シャッター街の小説

主人公の仁科明里28歳は、大手チェーン美容室に勤務していた美容師でした。職場の恋人の裏切りに合い失意のもとに、むかし過ごしたことのある田舎へと転居してきます。たまたま明里が小学生低学年のときに、2度ほど泊りにきたことのあるヘアーサロン由井が、賃貸に出ていたのです。

そこは津雲神社通り商店街の中にあり、斜め向かいには飯田時計店があります。津雲神社通り商店街は、駅前の開発が進み、おいてきぼりになった寂れたところです。ほとんどの店は、シャッターを下ろしています。

飯田時計店は2代目の秀司が、経営をしています。しかし小売りはしておらず、もっぱら修理を専門にしています。この店のショ-ウィンドーには、祖父の代から飾られているプレートがあります。そこには「おもいでの時 修理します」と銀文字で刻まれています。本当は「時計修理します」だったのですが、子供のいたずらで「計」の文字を失ってしまったのです。祖父はそのまま、飾りつづけていました。

谷瑞恵は、ライトノベルの作家でした。本書は一般向けに書いた、初めての作品です。それが大ヒットしました。何となく癒されるほのぼのとした作品。『思い出のとき修理します』(集英社文庫)は、片田舎の小さな物語です。

そのあたりについて、著者自身のインタビュー記事を紹介させていただきます。

――コバルト文庫でずっと長編シリーズを書いてきたので、頭を切り替えて違うものを書いてみたくなって、それで一般向けのお話を書いてみたい、こんなのはどうでしょう、と文庫編集部さんに相談したら書かせてもらえることになりまして。(『ダ・ヴィンチ』2013年11月号より)

祖父の年代からある、プレートの文字に違和感がありました。「おもいで」ではなく、「おもひで」としてもらいたかったと思いました。父親ではなく、祖父が置いたプレートです。

主な登場人物は、時計店の飯田秀司と津雲神社の息子の太一だけです。ストーリーはわかりやすく、披露するまでもありません。『思い出のとき修理します』は、現在シリーズ3冊まで文庫出版されています。第3作は膨らみの少ない、パンのようです。発酵時間が不足しているのかもしれません。したがって推薦作は、第1作に限定させていただいています。

シャッター通り商店街なので、賑わいがないのは仕方がありません。私がシリーズ第2作『思い出のとき修理します2・明日を動かす歯車』(集英社文庫)を手にしたのは、ガラガラとシャッターが開く音を聞きたかったからです。ねじめ正一『高円寺純情商店街』(新潮文庫)のような、賑わいの兆しを求めていたのです。ところが期待は裏切られました。

仕方がないかな、と思います。谷瑞恵が描きたかったのは、商店街ではなく若い2人の主人公だったのですから。谷瑞恵は現在、「異人館画廊」シリーズ(集英社文庫)を発表しています。まだ第1作しか読んでいませんので、断言はできません。ただし「思い出の時」シリーズよりも、ずっと手ごたえを感じています。
(山本藤光:2015.05.07初校、2018.03.10改稿)

田中英光『オリンポスの果実』(新潮文庫)

2018-03-09 | 書評「た」の国内著者
田中英光『オリンポスの果実』(新潮文庫)

主人公の「ぼく」こと坂本が、ロサンゼルス・オリンピックにボートの選手として参加するために搭乗する、太平洋を渡る船の上が主たる舞台である。「秋ちゃん」という呼びかけで始まり、主人公は陸上の選手として同船している熊本秋子に淡い恋心を抱いているが、仲間の男たちの冷やかしを受け、秋子も気づくけれど、遂に恋心を伝えるにはいたらない。 田中自身が1932年に経験した事実に基づいた私小説で、2人の間にほとんど何も起こらない純然たる片思い小説である。帰国後、坂本は学生運動をへて結婚するが、「あなたは、いったい、ぼくが好きだったのでしょうか」というつぶやきで終わっている。秋子のモデルは相良八重である。 戦後、田中の小説があまり読まれなくなる中で、新潮文庫に収められて読み継がれた。(文庫案内より)

◎元オリンピック選手が手がけた小説

手元にある『オリンポスの果実』(新潮文庫)は、昭和61年51刷となっています。この作品は、ずいぶん長いこと読まれつづけているのです。元オリンピック選手が手がけた小説は珍しいと思います。田中英光は漕艇(ボート)選手として昭和7(1932)年、ロサンゼルス・オリンピックに出場しました。『オリンポスの果実』は、そのときの実体験をもとにした青春記です。
 
当時のことですので、ロサンゼルスまではもちろん船旅でした。その船上で主人公は、走り高跳びの女子選手・熊本秋子に恋をします。このあたりのことにふれた記事がありますので、引用させていただきます。

(以下はじめ)
――師・太宰治の墓前で自ら命を絶った田中英光に『オリンポスの果実』という作品がある。ボートの選手として参加した昭和7年のロサンゼルス五輪での体験をもとにした青春小説だ。かつて胸をときめかせて読んだという方も多いだろう。(中略)ロスまではむろん太平洋の船旅だった。途中でハワイにも寄港している。その船上やオリンピックの会場で主人公は走り高跳びの女子選手に恋をし、外国の選手たちからさまざまな刺激を受ける。そんな話が、まるで潮の香りを感じさせるように叙情的に描かれている。(中略)昭和7年は五・一五事件が起きた年である。前年には満州事変が勃発(ぼっぱつ)している。日本全体に、きな臭く重苦しい空気も漂っていたはずだ。だが選手たちは思いのほか、五輪への旅や異国情緒を楽しんでいたことがわかる。ちなみにこの大会での日本の金メダルは7個だった。(「産経ニュ-ス」2008.7.19ネット 配信より引用おわり)

『オリンポスの果実』の主人公は、読んでいていらいらさせられるほどピュアです。「根性」なるニュアンスが皆無なスポーツ小説は、非常に珍しいと思います。

昭和7年のスポーツ界は、どんな状況だったのでしょうか。文庫版あとがきを読んで、愕然としてしまいました。

――スポーツというものは何といっても実生活の中で「遊び」に過ぎないのだから、生命を賭けた文学の対象にはなり難い筈のものである。(川上徹太郎「文庫版あとがき」より)

◎情けないスポーツ小説  

『オリンポスの果実』の冒頭は、印象的な投げかけで滑りだします。

(引用はじめ)
秋ちゃん。
と呼ぶのも、もう可笑(おか)しいようになりました。熊本秋子さん。あなたも、たしか、三十に間近い筈だ。ぼくも同じく、二十八歳。すでに女房を貰い、子供も一人できた。あなたは、九州で、女学校の体操教師をしていると、近頃風の便りにききました。
(引用おわり)
 
こうして長々と、一方的な独白がつづけられます。詳細については、ふれないでおきます。主人公はオリンピックに向かうという緊迫感がないまま、ハイジャンパーに恋焦がれます。独りよがりの妄想だけをふくらませ、足はすくんだまま一歩たりとも踏みだせません。
 
情けないスポーツ小説。それが『オリンポスの果実』なのです。林真理子は、田中英光『オリンポスの果実』を卒論のテーマに選んでいます。林真理子の長編小説『本を読む女』(新潮文庫)の章立てにも、「斜陽」「放浪記」などとならんで、「オリンポスの果実」をとりあげているほどです。林真理子は『林真理子の名作読本』のなかで、つぎのように書いています。
 
――「オリムピアへ向かう酩酊」の中で彼は対象は誰でもよかった。ただ恋をしたかったのである。スポーツ青年でありながら文学青年の彼はひとり酔い、ひとり憂いの世界に入っていく。皆に呆れられたり、嫌われたりするのも当たり前だ。最後には彼女からも無視される……と書くと、何の取り柄もない小説のように思えるが、この不器用さこそ、神から祝福され、選ばれたオリンピック選手だと、読者はいたるところで胸を締めつけられるはずだ。(林真理子『林真理子の名作読本』文春文庫より)

『オリンポスの果実』を書いた、田中英光に関する論評を紹介したいと思います。元オリンピック選手。共産党員。太宰治の墓前で自殺した人。無頼派。そんな田中英光の一面を、垣間見ることができるでしょう。

――『オリンポスの果実』以来『野狐』にいたるまで、かれは、実在のモデルたちを、自由自在に変形し、かれらに、相当の客観性をあたえるという揺るがぬ自信をもっていたようである。したがって、『オリンポスの果実』のような作品をみて、かれを、感傷的な作家のように思い込んでいる読者があるとすれば、それは、いささか性急すぎるというものだ。かれは、感傷的な仮面の背後に、つねにかれのほんとうの顔をかくすことを好んだ。(『花田清輝全集第3巻』より)

――最後期の小説にみられる彼は、我がままで、理屈ぬきで、得手勝手で、あばれん坊の甘え子である。ホメるやつなら誰でも好き、苦言は一切嫌い、自分のなかの理性の声にも一切耳をかさない。この点は坂口安吾の晩年と似てみえる。(本多秋五『物語戦後文学史・上巻』岩波現代文庫より)
 
◎ちょっと寄り道

田中英光の息子であるSF作家・田中光二に、『オリンポスの黄昏』(集英社文庫)という著作があります。絶版になっています。私は単行本(1992年、集英社)で、それを読みました。『オリンポスの黄昏』は小説仕立てで、父親のことを書いた作品です。主人公は田代英二、父親は田代重光とされていますが、赤裸々な自伝といえるでしょう。

――私の父親もまた物書きでした。田代重光といって、昭和の文学史にいちおう名前を留めている作家です。いわゆる無頼派作家のひとりで、戦後の混乱期に売り出し、まあいちおう流行作家となったわけですが、その前から酒と睡眠薬に溺れており、女にも溺れていて家族との板挟みになり、煩悩の泥沼地獄をのたうち回るような生活の果てに、師事していた作家の墓前で自殺しました。(『オリンポスの黄昏』P12より)

田中光二のSF小説は、読んだことがありません。しかし『オリンポスの黄昏』は、冷静な筆致がきわだっており、すばらしい著作だと思っています。

田中英光は、太宰の墓前で自殺した作家。または元オリンピック選手の無頼派作家。こんな形容で語られています。しかし日本共産党体験を生々しく描いたという文壇評価のほうが、はるかに勝っています。高価なので入手できないのですが、田中英光には『地下室から』(八雲書店、初出1949年)という作品があります。花田清輝が絶賛しています。本多秋五も著作のなかで、つぎのように書いています。

――この小説を読むと、楽屋裏から意地悪くアラさがしばかりしているようでありながら、二・一ストへともり上がってゆく革命運動の基礎部分を、深層の近似値において描いたという感銘を禁じえない。(本多秋五『物語戦後文学史』上巻、岩波現代文庫P300)

本日(2015年11月29日)に角川文庫から『田中英光傑作選』が発売されます。期待していたのですが、残念なことに『地下室から』は所収されていないようです。
(山本藤光:2013.07.01初稿、2018.03.09改稿)

俵万智『サラダ記念日』(河出文庫)

2018-03-04 | 書評「た」の国内著者
俵万智『サラダ記念日』(河出文庫)

万葉集もなんのその、与謝野晶子以来の大型新人類歌人誕生。(「BOOK」データベースより)

◎売れない。歌ではない。

最初にニュース性のある文章を、紹介させていただきます。

―― 一九八七年を振り返ると、予兆に満ちた出来事はあまりにも多い。五月、前年に短歌の芥川賞といわれる第三二回角川短歌賞を受賞した歌人、俵万智(当時二四歳)の『サラダ記念日』が、河出書房新社から初版三千部で出版されると、直後から問い合わせが殺到し、ベストセラーリストのトップに躍り出た。(尾崎真理子『現代日本の小説』ちくまプリマー新書)

当時角川書店の社長だった角川春樹を「人生最大の失敗だった」と語らしめた、俵万智『サラダ記念日』は、河出書房から出版されました、自ら俳人である角川春樹は、俵万智を高く評価していました。しかしもう一つの肩書である出版社の社長が、出版したところで売れるはずはないと決断したのです。

それが出版と同時に大きな話題となり、『サラダ記念日』はミリオンセラーとなりました。斎藤美奈子は著作『文壇アイドル論』(文春文庫)のなかで、次の3首を取り上げています。

――愛人でいいのとうたう歌手がいて言ってくれるじゃないのと思う
――「嫁さんになれよ」だなんてカンチューハイ二本で言ってしまっていいの
――「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日

そして斎藤美奈子は次のように、俵万智の華々しいデビューを紹介しています。

――「言ってくれる」「言ってしまって」「言ったから」。書き写しながら、ああ、どれも軽い媚を含んだ「言って」の歌だったのかと認識した次第ですが、ともあれこの三首によって(といっていいでしょう)「サラダ現象」と呼ばれるほどのブームが起こり、高校の一国語教師だった二五歳の女性は、一夜にして、「国民的なアイドル」になってしまったのでした。(斎藤美奈子『文壇アイドル論』文春文庫)

戦後の女性短歌の第一人者・河野裕子はサラダが嫌いだったようです。孫引きになりますが、新鮮なサラダにフォークを突き刺す文章を紹介させていただきます。

――『サラダ記念日を』を書評した河野裕子は、歌にある「生活者の手ざわりの実感」を評価しつつ、「ハンバーガーショップ」の歌を含めた四首を掲げて、述べた。「席を立つように捨てられたり、カンチューハイ二本で茶化されたり、ボトルなみにキープされたりしたら、男としてはたまらない。こういう風に歌われて、『言ってくれるじゃないの』と面白がるのは、短歌のほんとうの味わい、うまみを知らない気の毒な読者というほかない。見立ての面白さや、冗談めかしてカラリと言ってのける小気味のよさはあるだろう。しかし、それだけの歌である」(阿木津英著。江種満子・井上理恵・編『20世紀のベストセラーを読み解く』学芸書林より)

――ハンバーガーショップの席を立ち上がるように男を捨ててしまおう

角川春樹や河野裕子のように、短歌の世界はきわめて保守色の強いところです。読者からの大きな賛辞の嵐のなかで、2人は地団太を踏んでいたのでしょう。

短歌の世界はどうあれ、多くの読者は短歌を身近なものに感じるようになりました。河出書房新社の英断と俵万智の功績により、その後に林あまりや桝野浩一などが続きました。もっとも林あまりは過激すぎますけれど。1首だけ紹介させていただきます。

――生理中のFUCKは熱し
血の海をふたりつくづく眺めてしまう

◎放置されたままの誤植

私の手元に2冊の『サラダ記念日』(ともに河出文庫)があります。なぜ2冊所有しているのかというと、初版にはなかった巻末の解説が重版に追加されているからです。いつから川村二郎の解説が、追加されたのかはわかりません。初版では「跋・佐佐木幸綱」があっただけでした。

初版(1989年):巻末解説なし
31刷(1999年):巻末解説・川村二郎

どのくらい刷数が増えているのだろうと、書店で奥付を見ようとしました。そのときに、「解説・川村二郎」の文字が飛び込んできました。立ち読みしてから、思わず買ってしまいました。

――『サラダ記念日』には、大体上等な飲食物は出てこない。それはたとえば二本のカンチューハイであり、三百円のあなごずしであり、また一山百円のトマトであり、ケチャップ味のオムライスであり、そして何より、手作りのサラダである。ごくありふれた、まずは平均的「庶民」的な生活の細部が、そうした小道具の数々を通じて、読書の目の前に次々に披露されるわけである。(『サラダ記念日』河出文庫31刷、巻末解説・川村二郎)

解説を立ち読みしながら、「誤植」を発見したのです。「読書の目の前に」は、明らかに「読者」でなければなりません。2015年8月、書店で『サラダ記念日』を確認しました。45刷でしたが、誤植はそのままでした。

――こんなふうに歌が作れるというのは、大発見だが、発見だけで魅力的な歌はできない。この人の特徴は、普通の人がどうしてもうまくいえない(でもどうしてもいってみたい)気持ちをズバリ31文字にまとめあげるうまさにある。(金原瑞人「朝日新聞」1987.6.28。尾崎真理子『現代日本の小説』ちくまプリマー新書から転載させていただきました)

俵万智の登場は、日本の文学史上のひとつの革命だと思います。その後俵万智は、『あなたと読む恋の歌百首』(文春文庫)を編んでいます。そこには穂村弘志、阿木津英らに混じって、河野裕子の1首も添えられています。

――たとへば君 ガサッと落葉すくふやうに私をさらって行ってはくれぬか(河野裕子)
 
『あなたと読む恋の歌百首』には、1首につき2ページを割いた俵万智の鑑賞が添えられています。味わい深い文章で、大切な著作として、時々読み返しています。
(山本藤光:2012.07.24初稿、2018.03.04改稿)


田坂広志『知性を磨く・スーパージェネラリストの時代』(光文社新書)

2018-03-04 | 書評「た」の国内著者
田坂広志『知性を磨く・スーパージェネラリストの時代』(光文社新書)

なぜ、高学歴の人物が、深い知性を感じさせないのか?目の前の現実を変革する「知の力」=「知性」を磨くための田坂流知性論。(「BOOK」データベースより)

◎勇気ある断定形

田坂広志は学者としては珍しく、豊かな詩心をもっています。田坂広志には、数えきれないほどの著作があります。そのなかから『知性を磨く・スーパージェネラリストの時代』(光文社新書)を紹介することにしました。珍しく詩心を抑制した、真っ向勝負の著作だったからです。

本稿を書く前までは、『知的プロフェッショナルへの戦略』(講談社)を推薦作としていました。ところがこれは単行本であり、「山本藤光の文庫で読む500+α」の対象外の判型でした。例外的な扱いで書き終えたときに、『知性を磨く・スーパージェネラリストの時代』を読んで共感しました。そこで急遽、原稿の差し替えをすることにしました。

私の著書に『人間系ナレッジマネジメント』(医薬経済社)があります。システム系ナレッジマネジメントに、「人間力」を加味させた世界を描いたものです。私は営業畑しか知りませんので、営業現場で役に立つスキルやノウハウにフォーカスをあてました。

田坂広志の著作は、はるかに広域のマネジャーを対象にしています。そして感性豊かな表現で、ぼんやりとしている単語に光をあててくれます。本書から引用してみます。本章では引用文のように、国語辞典のような田坂流解釈がなされています。

――「知能」とは、「答えの有る問い」に対して、早く正しい答えを見出す能力。
――「知性」とは、「答えの無い問い」に対して、その問いを、問い続ける能力。
(田坂広志『知性を磨く』光文社新書P15)

東野圭吾のインタビュー記事を、読んでいたときのことです。同じような問答がありました。東野圭吾は理工系大学に通っていましたが、学校の実験が大嫌いでした。ところが社会人になって、仕事で行う実験は好きでした。この違いは何でしょうか。前者は結果が分っている実験で、後者は結果のわからない実験です。このあたりについては、「山本藤光の文庫で読む500+α」の東野圭吾『秘密』で紹介しています。


田坂流の解釈で翻訳するなら、東野圭吾は「知能実験」を嫌い、「知性実験」を好んだことになります。もう少し、引用を続けてみます。

――「知識」とは、「言葉で表せるもの」であり、「書物」から学べるものである。
――「智恵」とは、「言葉で表せないもの」であり、「経験」からしか学べないものである。
(田坂広志『知性を磨く』光文社新書P54)

この解釈も、違う言葉で私は理解しています。以下は私の著作の柱にしている概念です。

「知は2種類あります。意識の世界でいう顕在意識のように、文字や言葉で表された知を形式知といいます。形式知の代表格は、マニュアル、テキスト、データベースなどです。いっぽう潜在意識と合致する知を暗黙知と呼びます。代表格として、スキル、ノウハウ、名人芸などがあげられます」

私の使用している言葉は、ナレッジマネジメントがベースにあります。田坂広志は学会からの言葉の借用を避けて、自らの詩情を独特な言葉で表現してみせます。そこが私の好みなのですが、時々突っこみたくなります。

たとえば記憶しているはずの知識で、テスト問題に解答できないケース。これは田坂流にいうと、知識ではないわけです。田坂広志の著作を読んでいつも感心するのは、断定してしまう勇気です。私は手軽に言葉を借りてしまいますが、田坂は頑固です。だから読んでいて、圧倒され、こんなのもありだよな、と思ってしまうのです。

◎詩情あふれる言葉のシャワー

私が多摩大学院で「人間系ナレッジマネジメント」の講義をさせてもらったとき、隣室では田坂広志が講義中でした。私が語るのはドロドロの営業現場ですが、田坂はもっと高い立ち位置から魅力的な言葉のシャワーを降らせているのだろうな、と思いました。

『知的プロフェッショナルへの戦略』の第8話では、「メタ・ナレッジ」という概念を説明しています。この章は、知識や智恵を学ぶための方法に言及したものです。あなたなら、どんな方法を思い浮かべますか? 私は単純に、本から学ぶ、先達や師から学ぶ、自らの経験から学ぶ、と考えました。田坂広志の説明は、私が思い浮かべたことと完全に一致していました。しかしその説明が、まさに田坂流だったので、大きく頷いてしまいました。

(1)書物や映像などの知識や智恵を伝える媒体から、その知識や智恵を学ぶための方法。これは、「探索力」と呼ばれる「メタ・ナレッジ」である。
(2)識者や師匠などの知識や智恵を持った人物から、その知識や智恵を学ぶための方法で、「傾聴力」と呼ばれる「メタ・ナレッジ」である。
3)仕事や生活などの自分自身の主体的な経験から、その知識や智恵を学ぶための方法。これは、「反省力」と呼ばれる「メタ・ナレッジ」である。

恐ろしや田坂広志。私の短絡的な想起を、「探索力」「傾聴力」「反省力」と深堀してくれたのです。

私はブログで「人間力」についての循環文を発信しています。田坂広志なら、はるかにきれいなものを作るだろうな、とうらやましく思います。私の循環文を披露させていただきます。田坂著作をたくさん読んでいるせいでしょうか、田坂語録の切り貼りの感があります。

人間力のある人には意欲がある
意欲のある人には夢がある
夢のある人には目標がある
目標のある人には努力がある
努力のある人には失敗がある
失敗のある人には反省がある
反省のある人には経験がある
経験のある人には智恵がある
智恵のある人には人間力がある
――山本藤光『仕事と日常を磨く「人間力」マネジメント』(医薬経済社)より
(山本藤光:2014.12.05初稿、2018.03.04改稿)

田辺聖子『今昔まんだら』(角川文庫)

2018-03-03 | 書評「た」の国内著者
田辺聖子『今昔まんだら』(角川文庫)

王朝末期、妻の不義を知った刑部丞がくやしさ、苦しみを経ていきついたある妙案とは―「王朝の不倫」。死んでしまった最愛の子に会いたくて父はえんま大王に願いをかける―「死児に逢いに」。戦乱の世に咲いたはかない恋。姫は白菊の精と契ったように身ごもるが―「白菊の契り」。今昔物語をはじめ様々な古典の中から、愛とユーモアと知恵にみちた十八話を選び、田辺語訳した、軽妙で奥が深い物語の花束。岡田嘉夫の華麗な画と共に愉しめる贅沢な今昔絵草紙。(「BOOK」データベースより)

◎古典文学のナビゲーター

田辺聖子は『感傷旅行・田辺聖子コレクション3』(ポプラ文庫、初出1964年)で芥川賞を受賞しています。田辺聖子が35歳のときですから、遅咲きの文壇スタートといえます。以来恋愛小説を中心に、数多くの小説と随筆を発表しています。

しかし私は、日本古典文学のナビゲーターとしての、田辺聖子に、スポットをあてたいと思います。古典文学にかんして田辺聖子が最初に発信したのは、『舞え舞え蝸牛 新・落窪物語』(文春文庫、初出1977年)でした。すでに50歳を超えていました。新境地をひらいたのは、この時点からだといえます。それからは実に多岐にわたる、古典文学の紹介をつづけています。ざっと代表作をあげてみます。

『文車日記・私の古典散歩』(新潮文庫)
『田辺聖子の古典まんだら』(上下巻、新潮文庫)
『新源氏物語』(全3巻、新潮文庫)
『むかしあけぼの・小説枕草子』(上下巻、角川文庫)
『田辺聖子の小倉百人一首』(角川文庫)
『田辺聖子の今昔物語』(角川文庫)
『蜻蛉日記をご一緒に』(講談社文庫)
『とりかえばや物語』(文春文庫)
『わたしの古典1・田辺聖子の古事記』(集英社文庫)
『竹取物語・伊勢物語』(集英社文庫)

いかがですか、この幅の広さ。まだまだたくさんの著作があります。そのなかから「山本藤光の文庫で読む500+α」推薦作として、『今昔まんだら』(角川文庫)を選ぶことにしました。なんといっても、本書は岡田嘉夫の絵が彩りをそえています。

◎お聖節が炸裂

『今昔まんだら』(角川文庫)は、「今昔物語集」からの抜粋ではありません。さまざまな古典から、選りすぐったものです。単行本(発表時の題名は『うたかた絵双紙』文化出版局)あとがき(文庫本にも収載)に、田辺聖子は次のように発表の意図を書いています。

――しんみりした話。おかしい話。かなしい話。とりどりに、花を活けるようにアレンジしたつもりであるが、さてこの古典の花束が、読者の皆様のお心に叶ったかどうか……。(あとがき)

田辺聖子が書いているように、本書にはさまざまな話が18話とりあげられています。「第1話:王朝の不倫」から、いきなりお聖節が炸裂します。

――妻の不義を知ったとき、世の夫たちはまず、(信じられない……)と思うのではあるまいか。刑部丞(ぎょうぶのじょう)がそうだった。(本文P8)

この話は『沙石集(しゃせきしゅう)』巻9の「刑部丞ナサケアル者ニテ、相節ナンド常ニ訪(とぶら)ヒケリ」と解説があります。『沙石集(しゃせきしゅう)』は読んだことがありませんし、「ビギナーズ・クラッシックス・日本の古典」(角川ソフィア文庫)にも所収されていません。

田辺聖子『今昔まんだら』は、未知の世界へいざなってくれる貴重な著作です。本書は単に古典の紹介にとどまらず、変幻自在に筆が飛びます。最初の4話までの出典は、次のとおりです。

第2話「獅子と母子」(『今昔物語』巻5第2話)
第3話「相撲女房」(『諸国百物語』)
第4話「母という花」(『日本霊異記』)

◎ダイエットの話

第9話「中納言のご馳走」は、なかでも秀逸です。こんなお聖節からはじまります。

――ダイエットに励むのは現代人ばかりではない。王朝貴紳もそうであった。今は昔、三条の中納言という貴族がいた。元々上背もあり大柄な所へ、ずいぶん太っちょで起ち居も苦しいほどだったから、医師に相談すると、ダイエットをすすめられた。(本文P161)

田辺聖子はつづけて、「この話は『宇治拾遺物語』にも『今昔物語』にも、ほとんど同文で載せられている」と説明したのち、2作のちがいに触れてみせます。思わず書棚から2作を引き出して、読み比べてみました。

さらにこの中納言の名前は、「藤原朝成(あさひら)」であると筆を進めてみせます。そして中納言の父親に筆がとび。父親の歌を『百人一首』から紹介してくれます。私は古典の世界を、はとバスで移動しているような心地になりました。左をご覧ください。前方には……。

第9話は、笑ってしまうくらいおもしろい話です。岡田嘉夫の絵も、みごとに太っちょのお腹を表現しています。田辺聖子の弾むような名調子と絵のコラボ。たまらないほど楽しい1冊です。

古典の世界に誘う、はとバスのツワーへの搭乗券を、あなたにそっと差し出します。よい旅行を。
(山本藤光:2013.08.21初稿、2018.03.03改稿