山本藤光の文庫で読む500+α

著書「仕事と日常を磨く人間力マネジメント」の読書ナビ

どん底塾13:社外価値を高める

2018-03-31 | 小説「どん底塾の三人」
どん底塾13:社外価値を高める

 自分を磨き、社外価値を高める。亀さんは、さっきそういった。大河内はノートの右ページに、「社外価値とは何か?」と書いてから質問した。
「社外価値を高める必要性が、理解できません」
「転職を体験したおまえでもわからないのなら、ほかの2人にはチンプンカンプンだろうな。では質問しよう。大河内はなぜ、会社が倒産したときに転職できた?」
「親しくしていた支社長が、声をかけてくれました」
「その支社長はなぜ、おまえに声をかけた?」
「会社が倒産したのを知って、かわいそうだと声をかけてくれたのだと思います」
「おまえはいま、その支社長のところにいるんだよな。ぜんぜん売れない営業マンを入れると、だれが迷惑する?」
「支社長や所長です」
「だろう。じゃあ、おまえが支社長の立場だったら、ダメ営業マンに声をかけるか?」
「かけません」
「支社長の見る目が正しかったかどうかは別として、支社長はおまえの営業的な価値を評価していたんだよ。それが、社外価値というもんだ」

「もうひとつ質問しよう。大河内の社内価値って、なんだ?」
「たくさんの契約を取る、営業マンであることです」
「おまえはライバルの生保会社から、引き抜きの話をもちかけられたことがあるか?」
「ありません」
「いまのおまえには、営業マンとしての社外価値がない。だから、どこからも声がかからないんだ。優秀なやつには、必ず社外から声がかかる。つまりだ、生命保険の営業マンとしては、社内でも価値が希薄だということになる。
 リストラされたどこかのお偉いさんがハローワークで、部長ならできますといったという笑い話がある。ずれているんだよな、世間の常識から。おまえもこの部長さんも、終身雇用の亡霊にとりつかれている。自分を、より高く評価してくれる会社に移るのは、世界の常識なんだよ。もうすぐ、日本もそうなるさ」
   
「では、『どん底塾』について説明しよう。おまえたちには、この店の経営に参画してもらう。経営っていったって、たかが定食屋だ。それも、つぶれそうだときている。おまえたちには、店の再建を手伝ってもらう。その仕事を通じて、現在の仕事を見つめ直してもらいたい。
 経営マインドを身につけた、営業マンは強くなる。『どん底塾』は、4か月の期間限定だ。おれの目標は、おまえたちをその間に、トップの営業マンに育て上げることだ。どうだ? なってみたいか? おれを信じてついてくれば、絶対にそうなる」
 トップの営業マンになりたい。所長の顔を思い出しながら、海老原浩二は亀さんにかけてみようと思う。大河内雄太も、思いは同じだった。どん底から、はい上がるきっかけにしたいと思う。

※加納百合子の日記
 今日ほど「プロフェショナル」という言葉を意識したことはない。わたしは、人事部のプロフェショナルではなかった。だから、社外価値は皆無。自分自身を磨き鍛えろ、と亀さんはいう。でもそれが具体的にどうすることなのか、教えてくれない。
 しばらくは「どん底塾」で、自分自身のあり方を模索することにしたい。

ビリーの挑戦2-018cut:優れた営業マンの言動

2018-03-31 | ビリーの挑戦第2部・伝説のSSTプロジェクトに挑む
ビリーの挑戦2-018cut:優れた営業マンの言動
――Scene03:R製薬の営業現場
影野小枝 漆原さんは、札幌支店のマネジャー会議に参加しています。昼休みに山崎さんと話し込んでいます。山崎さんは帯広でMRをしていました。漆原さんが新任リーダーだったときの部下です。現在は札幌支店1課長です。北大や札医大などの大学病院を中心に、仕事をしています。
漆原 がんばってくれていて、うれしいよ。ところで山崎くんの部下の磯貝MRだけれど、社内報を読ませてもらったよ。33歳で希望してMRになったんだってね。
山崎 磯貝ですか? 彼はMRに成りたてのころは、全くダメでした。あるとき彼と同行していて、「知識がないのなら知恵で補え」とアドバイスしました。購買課長を投げ出してまで、MRになりたかったのですから、上司としても何とかしてあげたかったんです。それで「きみは10年間、いろんな業種の営業マンと毎日会っていたんだろう。その中のベスト10の営業マンについて、言動や振る舞いなどの詳細を書き出してみなさい」と伝えました。
漆原 優れた営業マンのマネをさせたかったんだね。
山崎 そのとおりです。購買課には、さまざま業種の営業マンが出入りします。彼が日々接してきた営業マンの良いところを、マネさせようと考えました。
漆原:何をマネしたんだい?

知だらけ061:柔らか脳を育てる

2018-03-31 | 知だらけの学習塾
知だらけ061:柔らか脳を育てる

文章は考えなければ、書くことができません。考え方にはコツがあります。深く、広く考える技術を学んでください。

あの人は機転がきく。あの人はアイデアマンだ。このような人は、きっと脳が柔らかいのだと思います。柔らか脳を育てるには、たくさんの雑学を仕入れ、とんちんかんなクイズに挑戦することです。あなたの脳の柔らかさをテストしてみたいと思います。次のばかばかしいクイズに挑戦してみてください。

Q1.ある幼稚園での実話です。先生は「雪が溶けたら何になりますか?」と質問しました。たった1人の園児だけが、ほかの園児とちがう答えをしました。先生は感動してその園児に〇をあげました。さて園児は何と答えたのでしょうか?(制限時間5分、出典不明)

Q2.大きな身体の白熊も、獲物をつかまえるときにはすばやい動きを見せる。ところが、そんな白熊も生まれたばかりのペンギンはつかまえることができないという。いったいなぜだろう。(制限時間五分)――多湖輝『頭の体操BEST2』(光文社P15)

Q3.木(き)偏(へん)に赤と書いて、リンゴと読みます。木偏に紫と書いて、ブドウと読みます。では木偏に黄と書いて、何と読むでしょうか?(制限時間5秒、出典不明)

Q4.ある幼稚園の入園テスト問題です。上と下に数字が分かれています。なぜでしょうか?(制限時間5分、出典不明)
147
235689

3問解ければ、柔らか脳だとしておきます。ちなみに塾長は多湖輝の問題を解けずにタイムオーバーしてしまいました。ついでに塾長が笑い転げた問題を披露しておきます。


テストの回答は、次の講義でおこないます。しばし待たれよ。

妙に知180331:ノロマの語源

2018-03-31 | 妙に知(明日)の日記
妙に知180331:ノロマの語源
友人のなかに、機敏なデブがいます。逆に何をやらせても、ノロマな友人もいます。ノロマは漢字にすると、「鈍間」と書きます。この言葉の語源をご存知ですか。語源辞書を引いて、笑ってしまいました。

――平たい頭で、青黒くまぬけな顔をした「野呂松(のろま)人形」に由来するといわれる。人形の名は江戸時代に野呂松勘兵衛(のろまつ・かんべい)という人形遣いが用いたことから。(日本語語源辞典)

ネット検索すると「野呂松人形」が観られます。また芥川龍之介に『野呂松人形』という作品があります。青空文庫で読めますので、読んでみてください。
山本藤光2018.03.31

のほほん180331:文庫化されました

2018-03-31 | のほほんのほんの本
のほほん180331:文庫化されました

尾崎真理子『ひみつの王国・評伝石井桃子』が新潮文庫になりました。初出は2014年ですから、4年目になります。石井桃子については、山本藤光の「文庫で読む500+α」で『ノンちゃん雲に乗る』(角川文庫)を紹介済みです。
私の尊敬する児童文学作家であり、『クマのプーさん』や『ピーター・ラビット』の翻訳者でもあります。
山本藤光2018.03.31

第3の同行:めんどうかい016

2018-03-31 | 営業リーダーのための「めんどうかい」
第3の同行:めんどうかい016
――第1章:営業リーダーの使命             
「育成同行」「戦略同行」を半年間実施し「同行道」をきわめた方には、2つの同行スタイルを融合させた「育成戦略同行」にチャレンジしていただきます。このスタイルは「SSTプロジェクト」が終了した時点で、メンバーが提起したものです。

 のちほど詳述しますが、「SSTプロジェクト」メンバーの1人が、私が断定的に語る「同行は2種類しかない」という説に反論を唱えたのです。SSTは日本ロシュが導入し大成功をおさめた、名人芸移植プロジェクトです。ナレッジマネジメント学会でも、営業変革の実践例として高く評価されています。

 SSTプロジェクトメンバーは、毎年1回集まっていまなお現場発の意見交換をしています。日本ロシュは合併によりすでにその名はありませんが、メンバーはさまざまな製薬企業で活躍しています。元SSTプロジェクトメンバーが集約した結論は、「接点同行でもMR育成は可能である」ということでした。

 現状の営業リーダーの接点同行は、あいさつ回りとか名刺パワーの行使など、あまり育成同行とはいえないたぐいのものです。元SSTプロジェクトメンバーは、条件つきで「育成戦略同行」という新たなスタイルの存在を熱く語ってくれました。
 元SSTプロジェクトメンバーの提言する同行スタイルは、つぎのとおりです。

――面談前に「成果の確認」をすること。面談後に「成果の検証」をすること。営業担当者が面談後に、成果を「○」か「×」で検証できる同行スタイルなら、それは部下には次回の活動につながる。多くの営業担当者は「△」の活動ばかりである。定期訪問、顔つなぎ……これらが「△」活動の代表例である。つまり接点同行でも、△活動を除去すれば、部下育成につながる。

 これが元SSTプロジェクトメンバーの提言です。メンバーの1人の意見を紹介します。
「ほとんどの場合は、結果は×になります。でもそれを明確にすることで、明日の活動につながるわけです。△活動では絶対にそうはなりません」

 フル同行でも接点同行でも、「成果を思い描く」「新しいなにかを発見する」「小さな失敗を重ねる」ことを、毎回部下に意識させることでレベルは飛躍的に向上します。私の理論を「単なる言葉あそびにすぎません」と切り捨てた元SSTプロジェクトメンバー。彼らは2年間1日も欠かさず、「育成同行」をつづけました。これは同行に特化した特殊部隊だからこそ、実現できたことです。

 もちろん彼らは、「育成同行」「戦略同行」を否定しているのではありません。2つの同行スタイルをマスターしたら、「育成戦略同行」にもトライするべきだといっているわけです。「育成同行=フル同行」「戦略同行=接点同行」という図式にこだわらない第3の同行スタイルが「育成戦略同行」です。

 延べ20回の「育成同行=フル同行」で、部下のレベルは確実にあがります。この点に関しては、多くの企業にて実証済みです。では何回の「育成戦略同行」で、部下はレベルアップするのでしょうか。残念ながら、数値で語ることはできません。レベルアップは、上司と部下の絶妙なコラボレーションで可能だと考えております。

 ナレッジマネジメントの世界は、長いことシステム中心に回っていました。本社は現場のためにと、せっせと膨大なデータベースを構築してきました。ところが、それらは現場ではあまり活用されていません。現場中心のナレッジマネジメントを構築しなければ、という気持ちからまとめあげたのが、「人間系ナレッジマネジメント」です。

町おこしの賦074:恭二部長の編集会議

2018-03-31 | 小説「町おこしの賦」
町おこしの賦074:恭二部長の編集会議
――『町おこしの賦』第3部:「おあしす」誕生2
 翌日、十九人の新入部員を迎えて、標高新聞の編集会議が開催された。自己紹介を終え、恭二は用意してあった画板を、新人に配布した。
「このテーブルに座れるのは十人だから、残りの人は立って話しに参加するように。立ちながらメモを取りやすいように、美術部から画板を借りてきた。追加の椅子は頼んであるので、今日だけのしんぼうだから。一年生は疲れたら、交代でテーブルにつくようにしてもらいたい」
 異様な雰囲気だった。詩織は、壁のまっさらな割りつけ用紙の前に立った。
「では六月号の、編集会議を始めます。まずは、掲載すべき記事の検討から始めたいと思います」
 可穂はホワイトボートに、「六月号記事候補」と書いた。詩織は用意してあったものを、一つずつゆっくりと発表した。
「菅谷幸史郎生徒会長は再選に意欲。札所めぐりは準備不足で一年先送り。会社の博物館は町民の憩いの場に。高校生の社会貢献とは何か。こんなところかな」

 ホワイトボードに書きながら、可穂は続けた。
「『未来の標茶』で回収した町民アンケートの本音に迫る。お年寄り、育児中のお母さん、高校生と中学生の本音をインタビューで探る特集。それに、増え続ける駅前シャッター商店街かな」
「おれは、札所めぐりの進捗状況の追っかけ」

 記事候補が出そろった。恭二は、新人に向かって告げた。
「これから、取材する記事を選びます。新人のみんなも、標高新聞の読者の立場になって、読んでみたい記事を考えてみてください。その前に本日から、新聞部を三つのグループに分けて、勉強会を開始します。可穂ちゃん、ホワイトボードの裏に書いたメモを、こっちに向けてくれるかい」
――Aグループ(責任者:藤野詩織):標茶の歴史
――Bグループ(責任者:秋山可穂):お勧め文庫
――Cグループ(責任者:瀬口恭二):笑い話の創作
 
詩織は、新人に向かって告げた。
「みなさんにやってみたい希望があれば、それを最優先します。なければ抽選で振り分けたいと思います。希望者は手を上げて」
 野口京子と石塚大樹が手を上げている。野口は「標茶の歴史」を、石塚は「笑い話の創作」を選んだ。ほかは抽選で、均等に振り分けられた。

知だらけ060:メールの常識・解答

2018-03-30 | 知だらけの学習塾
必ず「知だらけ059」からお読みください!

知だらけ060:メールの常識・解答

前項の「メールの常識」の正解を書いてみます。7枚のイエローカードは出せたでしょうか。

宛先:
・abcd@efgh.co.jp→重要な顧客は、アドレス登録しておくのが常識です。漢字表示が理想的です。

件名:
・お知らせ→これでは読んでもらえません。「○○セミナーのご案内」などと、内容がイメージしやすい表現にすべきです。

本文:
・山本様→重要な顧客には、フルネームを用います。
・おはようございます。→相手は夜にメールを読むかもしれません。
・いつも大変お世話になっております。お忙しいところを申し訳ございません。→無意味な文章です。
・先日お電話させていただいた「感性を磨く文章教室卒業生の会」の詳細が決まりました。お知らせ申し上げます。→下記のように開催します。以下は箇条書き。
・出欠のご連絡をお待ちしております。→出席が可能な場合は、ご連絡をお願いいたします、 とすべきです。とにかく、返信を寄こせは無礼すぎます。

このほかにも添付資料を見なければ、わからないようなメールも届きます。メール文に入れてもらえれば理解できるものを、わざわざ添付資料を開かされるのも迷惑です。

知だらけ059:メールの常識

2018-03-30 | 知だらけの学習塾
知だらけ059:メールの常識

知のステップアップを再確認しておきます。
集める→整理する→まとめる→発信する
でしたね。

最近では「発信する」ツールとして、メールがもっとも重宝されています。しかしメールの作法を知らない人が多く、ときどき笑ってしまうものもあります。

塾生のメール常識度を、テストしてみたいと思います。「感性を磨く文章教室卒業生の会」の幹事から、塾長宛に案内メールが届きました。

Q:どこが間違いなのかを指摘してください。7箇所にイエローカードが出せたら満点です。(5分)

宛先:abcd@efgh.co.jp
件名:お知らせ
本文:
山本様
おはようございます。
いつも大変お世話になっております。
お忙しいところを申し訳ございません。
さて、先日お電話させていただいた「感性を磨く文章教室卒業生の会」の詳細が決まりました。
お知らせ申し上げます。開催日時は4月23日18時となっております。
会場はちょっと遠方なのですが、幕張メッセの○○でございます。
ぜひお越しいただきたいと思います。
出欠のご連絡をお待ちしております。 
            ○○社○○太郎

さてあなたは、イエローカードの7箇所がわかりましたか。解答は明日おこないます。

ビリーの挑戦2-017cut:おっさんMRものがたり

2018-03-30 | ビリーの挑戦第2部・伝説のSSTプロジェクトに挑む
ビリーの挑戦2-017cut:おっさんMRものがたり
――Scene03:R製薬の営業現場
影野小枝 漆原さん、まだ社内報から顔を上げません。第2章を読んでいるようです。

◎おっさんMRものがたり(2)

ぼくは19社の入社試験を受け、ことごとく失敗した。R製薬の情報をくれたのは、友人の梅田だった。「知り合いが勤めている会社でよければ、プロバーを募集している。紹介してやってもいいけど」
就職が決まらず打ちしおれているぼくに、梅田は助け船を出してくれた。この時点においてのぼくは、「R製薬」についても「プロバー」なる職業についても全く理解していない。就職できるのならどこでもよかったし、どんな仕事でも構わなかった。
ぼくは梅田から「新入社員募集要項」をもらって、R製薬の概要を知った。本社がスイスにある外資系製薬会社であること。募集しているのは男性のみで、職種はプロパーと内勤職であること。完全週休2日制であること。初任給は〇〇円と、標準以上の水準であること。
ぼくはプロパーを希望して、R製薬の面接を受けた。筆記試験はなかった。いきなり面接試験だった。プロパー希望の理由を問われたとき、ぼくは用意していたとおり「実力で評価を得たい」と答えた。あれは嘘だ。ぼくは英語ができない。会社の公式語が英語だと知って、それが及ばない営業の世界を選んだに過ぎない。
しかしぼくはいま襟首を捕まえられて、英語の世界に引きずり込まれようとしている。係員が入社式の終了を告げ、懇親会場の案内をした。ぼくは力なく立ち上がり、仲間に続いて歩き始めた。

◎おっさんMRものがたり(3)

総務部購買課での10年間、ぼくは自己申告面談のたびに、営業職への転属を希望した。毎日たくさんの営業マンと会うのは楽しかったが、面談レポートは英語で退出しなければならない。業者への注文書も全部英語でしなければならない。見積書も英語に翻訳してから、上梓に回す。この世界がたまらなくイヤだった。
入部してから10年目、ぼくは購買課長になっていた。それでも営業職への転職希望は続けていた。上司は根負けした顔で、「本当に平社員になっても営業へ行きたいんだな」といってくれた。
 ついに念願がかなって、MRになる道が開けた。33歳のおっさんMRの誕生の瞬間である。新人MRは半年間、研修所にこもって勉強させられる。家族とも離れて、地獄の毎日が続いた。赴任先は札幌支店1課で、札幌市内の小さな病院と開業医の担当になった。最初の1年間は全く売れなかった。成果が上げられないので、オフィスへ戻ってからの日報書きは苦痛だった。
 そんなときに、ひらめいた。日報はその日の成果を思い描いて、出掛けに書いてしまおう。そうすれば苦痛から逃れることができる。ぼくは「朝書き日報」と呼んでいた。こいつが優れものだった。その日の成果を思い描くという習慣が、思わぬ結果につながり始めたのだ。。思い描いたことが、次々に現実になってゆく。そうなると習慣はどんどんエスカレートし始める。そして「1日のPDCAサイクル」とめぐり逢った。こいつのお陰で、ぼくはたちまちトップクラスのMRになっていく。
(つづきは次号です)
影野小枝 社内報から目を上げて、漆原さんは白岩研修課長の席へ向かいました。
漆原 磯貝俊一郎は33歳のときに、MRに転身した変わり種なの?
白岩 最も記憶に残る男ですよ。総務部購買課長のタイトルを投げ出して、自ら希望してMRになったんです。新人と一緒に半年間、MR導入研修も受けました。テストではいつも「〇〇のようなもの」とあいまいな答えを書いていましたが、お情けで合格点をあげました。3年めですが、今では札幌のエースです。