小林秀雄・岡潔『人間の建設』(新潮文庫)

有り体にいえば雑談である。しかし並の雑談ではない。文系的頭脳の歴史的天才と理系的頭脳の歴史的天才による雑談である。学問、芸術、酒、現代数学、アインシュタイン、俳句、素読、本居宣長、ドストエフスキー、ゴッホ、非ユークリッド幾何学、三角関数、プラトン、理性…主題は激しく転回する。そして、その全ての言葉は示唆と普遍性に富む。日本史上最も知的な雑談といえるだろう。(「BOOK」データベースより)
◎史上最強の雑談
文庫のコピーには、「史上最強の雑談」とあります。そのとおりの内容でした。良質な言葉のキャッチボールに、度肝をぬかれました。買い求めたばかりの文庫本は、たちまち真っ赤な線や書きこみでうまってしまいました。文系と理系のコラボレーション。単純な図式で読みはじめたのですが、話は時空を超えていました。
私が稚拙な紹介をするよりも、赤い線を引いた箇所のいくつかをおすそ分けさせていただきます。
――ヨーロッパの大学は、四年間大学いれば卒業証書が貰えるという仕組みには出来ていないでしょう。資格を得るのには何年かかるかわからない。また何年かけてもよい。学問は非常にむずかしい。どうしてもむずかしいことをやりたいと願う人だけが学者の資格を取れる。従って大学の先生というものは、そういうむずかしいことを好んでいた人だから、ということになっております。(本文P12,小林秀雄の発言)
――岡さんは、絵がお好きのようですね。ピカソという人は、仏教のほうでいう無明を描く達人であるということをお書きになっていましたね。私も、だいぶ前ですが、同じようなことを考えたことがある。(本文P13,小林秀雄の発言)
ここから対談は、「ピカソ」「無明」「世界の四賢人」(ソクラテス、キリスト、釈迦、孔子)の話しになり、漱石や芥川などまで登場します。かくして私は知の大海で、アップアップしてしまいました。「無明」という概念をわからないまま、何度も活字から顔をあげて息を整えます。
――勘は知力ですからね。それが働かないと、一切がはじまらぬ。それを表現なさるために苦労されるのでしょう。勘でさぐりあてたものを主観のなかで書いていくうちに、内容が流れる。それだけが文章であるはずなんです。(本文P24,岡潔の発言)
長くなるので、引用はおわりにします。「男女関係」「たくあん石」「本居宣長」「ドストエフスキー」「トルストイ」「個人主義」「同級生」と、話は途切れることなく広がります。耳を澄まし、言葉の源泉を知ろうと考えこみます。薄い本なのですが、容易に前に進めません。これまでさまざまな対談を読んできましたが、こんなに崇高なラリーを目のあたりにしたことはありませんでした。
本書の巻末に「注解」が掲載されています。23ページにわたる「注解」は、すべてノートに書き抜きました。折にふれて学んでみたいと思っています。まだ空っぽの引き出しですけれど、学問はエンドレスなのだよ、という2人の声が聞こえてきます。
◎モーツアルト、ドストエフスキー、本居宣長
少しだけ、小林秀雄のことを紹介します。
――小林秀雄が文芸評論家として登場したのは1930年前後、プロレタリア文学と芸術主義文学(新感覚派や新興芸術派)の対立と言う構図の中で、そのいずれをも批判することを可能にするいわば絶対的な「文学」の拠点を構築する役割を担ったわけだ。(『群像日本の作家14・小林秀雄』小学館所収、「阿部良雄「同時代人・小林秀雄」より)
私は好んで、文芸評論を読みます。前記引用のとおり小林秀雄の批評は、ニュートラルなのでわかりやすいものです。もうひとつ、江藤淳の小林秀雄論を紹介させてもらいます。
――「Xへの手紙」の背後には明らかに「暗夜行路」があるが、そのむこうにはおそらく「明暗」がある。漱石が発見した「他者」を、志賀直哉は抹殺し去ることによって「暗夜行路」を書いた。そこには絶対化された「自己」があるだけである。小林は、この「自己」を検証するところからはじめた。つまり、彼の批評は、絶対者に魅せられたものが、その不可能を織りつつ自覚的に自己を絶対化しようとする過程から生まれる。(『群像日本の作家14・小林秀雄』小学館所収、「江藤淳「小林秀雄」より)
小林秀雄については、別に『無常ということ』(新潮文庫)をとりあげています。短い著作ですが、小林秀雄の英知が集約されています。できれば『考えるヒント』(全4巻、文春文庫)も読んでいただきたいと思います。非常にわかりやすい文章で、「考える」ことの醍醐味を教えてくれます。
『モオツアルト』『ドストエフスキーの生活』『本居宣長』(ともに新潮文庫)と、小林秀雄の著作は幅の広いものです。表出されたものから、その本質に迫る思考のプロセス。それは本書『人間の建設』で味わうことは可能です。しかし、対談には限界があります。相手に思考を合わせなければならないからです。一人黙考する。そんな小林秀雄の世界への誘いとして、『人間の建設』はお勧めの1冊でした。
2014年9月に、小林秀雄・岡潔の対談「破壊だけの自然科学」が収載されている、『夜雨の声』(角川ソフィア文庫、山折哲雄・編)が文庫化されています。また角川ソフィア文庫から、岡潔『春宵十話』(500+α推薦作)と『春風夏雨』も新装されています。
本書により自分の思考の貧弱さを、いやというほど知らされました。トップレベルの思考回路を知ってこそ、並のレベルの底上げが可能になります。あなたが私の部下なら、「読んでみたら?」ではなく、「読め!」といいたいと思います。それが小林秀雄・岡潔『人間の建設』なのです。
(山本藤光:2010.04.05初稿、2018.02.14改稿)

有り体にいえば雑談である。しかし並の雑談ではない。文系的頭脳の歴史的天才と理系的頭脳の歴史的天才による雑談である。学問、芸術、酒、現代数学、アインシュタイン、俳句、素読、本居宣長、ドストエフスキー、ゴッホ、非ユークリッド幾何学、三角関数、プラトン、理性…主題は激しく転回する。そして、その全ての言葉は示唆と普遍性に富む。日本史上最も知的な雑談といえるだろう。(「BOOK」データベースより)
◎史上最強の雑談
文庫のコピーには、「史上最強の雑談」とあります。そのとおりの内容でした。良質な言葉のキャッチボールに、度肝をぬかれました。買い求めたばかりの文庫本は、たちまち真っ赤な線や書きこみでうまってしまいました。文系と理系のコラボレーション。単純な図式で読みはじめたのですが、話は時空を超えていました。
私が稚拙な紹介をするよりも、赤い線を引いた箇所のいくつかをおすそ分けさせていただきます。
――ヨーロッパの大学は、四年間大学いれば卒業証書が貰えるという仕組みには出来ていないでしょう。資格を得るのには何年かかるかわからない。また何年かけてもよい。学問は非常にむずかしい。どうしてもむずかしいことをやりたいと願う人だけが学者の資格を取れる。従って大学の先生というものは、そういうむずかしいことを好んでいた人だから、ということになっております。(本文P12,小林秀雄の発言)
――岡さんは、絵がお好きのようですね。ピカソという人は、仏教のほうでいう無明を描く達人であるということをお書きになっていましたね。私も、だいぶ前ですが、同じようなことを考えたことがある。(本文P13,小林秀雄の発言)
ここから対談は、「ピカソ」「無明」「世界の四賢人」(ソクラテス、キリスト、釈迦、孔子)の話しになり、漱石や芥川などまで登場します。かくして私は知の大海で、アップアップしてしまいました。「無明」という概念をわからないまま、何度も活字から顔をあげて息を整えます。
――勘は知力ですからね。それが働かないと、一切がはじまらぬ。それを表現なさるために苦労されるのでしょう。勘でさぐりあてたものを主観のなかで書いていくうちに、内容が流れる。それだけが文章であるはずなんです。(本文P24,岡潔の発言)
長くなるので、引用はおわりにします。「男女関係」「たくあん石」「本居宣長」「ドストエフスキー」「トルストイ」「個人主義」「同級生」と、話は途切れることなく広がります。耳を澄まし、言葉の源泉を知ろうと考えこみます。薄い本なのですが、容易に前に進めません。これまでさまざまな対談を読んできましたが、こんなに崇高なラリーを目のあたりにしたことはありませんでした。
本書の巻末に「注解」が掲載されています。23ページにわたる「注解」は、すべてノートに書き抜きました。折にふれて学んでみたいと思っています。まだ空っぽの引き出しですけれど、学問はエンドレスなのだよ、という2人の声が聞こえてきます。
◎モーツアルト、ドストエフスキー、本居宣長
少しだけ、小林秀雄のことを紹介します。
――小林秀雄が文芸評論家として登場したのは1930年前後、プロレタリア文学と芸術主義文学(新感覚派や新興芸術派)の対立と言う構図の中で、そのいずれをも批判することを可能にするいわば絶対的な「文学」の拠点を構築する役割を担ったわけだ。(『群像日本の作家14・小林秀雄』小学館所収、「阿部良雄「同時代人・小林秀雄」より)
私は好んで、文芸評論を読みます。前記引用のとおり小林秀雄の批評は、ニュートラルなのでわかりやすいものです。もうひとつ、江藤淳の小林秀雄論を紹介させてもらいます。
――「Xへの手紙」の背後には明らかに「暗夜行路」があるが、そのむこうにはおそらく「明暗」がある。漱石が発見した「他者」を、志賀直哉は抹殺し去ることによって「暗夜行路」を書いた。そこには絶対化された「自己」があるだけである。小林は、この「自己」を検証するところからはじめた。つまり、彼の批評は、絶対者に魅せられたものが、その不可能を織りつつ自覚的に自己を絶対化しようとする過程から生まれる。(『群像日本の作家14・小林秀雄』小学館所収、「江藤淳「小林秀雄」より)
小林秀雄については、別に『無常ということ』(新潮文庫)をとりあげています。短い著作ですが、小林秀雄の英知が集約されています。できれば『考えるヒント』(全4巻、文春文庫)も読んでいただきたいと思います。非常にわかりやすい文章で、「考える」ことの醍醐味を教えてくれます。
『モオツアルト』『ドストエフスキーの生活』『本居宣長』(ともに新潮文庫)と、小林秀雄の著作は幅の広いものです。表出されたものから、その本質に迫る思考のプロセス。それは本書『人間の建設』で味わうことは可能です。しかし、対談には限界があります。相手に思考を合わせなければならないからです。一人黙考する。そんな小林秀雄の世界への誘いとして、『人間の建設』はお勧めの1冊でした。
2014年9月に、小林秀雄・岡潔の対談「破壊だけの自然科学」が収載されている、『夜雨の声』(角川ソフィア文庫、山折哲雄・編)が文庫化されています。また角川ソフィア文庫から、岡潔『春宵十話』(500+α推薦作)と『春風夏雨』も新装されています。
本書により自分の思考の貧弱さを、いやというほど知らされました。トップレベルの思考回路を知ってこそ、並のレベルの底上げが可能になります。あなたが私の部下なら、「読んでみたら?」ではなく、「読め!」といいたいと思います。それが小林秀雄・岡潔『人間の建設』なのです。
(山本藤光:2010.04.05初稿、2018.02.14改稿)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます