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長塚節『土』(新潮文庫)

2018-02-14 | 書評「な」の国内著者
長塚節『土』(新潮文庫)

茨城県地方の貧農勘次一家を中心に小作農の貧しさとそれに由来する貪欲、狡猾、利己心など、また彼らをとりかこむ自然の風物、年中行事などを驚くべきリアルな筆致で克明に描いた農民文学の記念碑的名作である。漱石をして「余の娘が年頃になって、音楽会がどうだの、帝国座がどうだのと云い募る時分になったら、余は是非この『土』を読ましたいと思っている」と言わしめた。(「BOOK」データベースより)

◎夏目漱石が絶賛した『土』

歌の世界において、長塚節は異彩を放っていました。微細な自然観察力や動植物に関する確かな心眼は、歌壇に新しい風を吹きこみました。歌人・長塚節についてすこし紹介してみます。
 
「小夜ふけにさきて散るとふ稗草のひそやかにして秋さりぬらむ」
「馬追虫の髭のそよろに来る秋はなこを閉ぢて想ひ見るべし」
(いずれも1906年『青草集』より)

長塚節は歌の連作をつづけながら、1908(明治41)年ころから写生文や小説を書きはじめます。1907年に書いた小説『佐渡が島』(収載作がみつかっていません)が、夏目漱石に認められました。『土』は夏目漱石の推薦を受けて、「東京朝日新聞」に連載されています。
 
『土』には長塚節の郷里である、鬼怒川ほとりの貧農一家の救いようのない生活が描かれています。読んでいて苦しくなるほど、貧しさに貫かれた作品です。読者はそのなかに、たくましさを見出すのではありません。貪欲、狡猾、利己心などが、これでもかというほどに、細かな筆致で明るみに出される場面に遭遇します。

感動しながら本を読み終えたとき、巻末に「土に就いて」という文章がありました。だれが書いたものかわからないまま、読み進めました。偉そうに自分のことを「余」と書いていました。そして献辞の主が判明しました「余は『彼岸過迄』までを片付けるや否や……」とあったのです。夏目漱石でした。
 
つづけて夏目漱石は、つぎのように書いています。
――先ず何よりも先に、これは到底余の書けるものではないと思った。次に今の文壇で長塚君を除いたら誰が書けるだろうかと物色して見た。するとやはり誰にも書けそうにないという結論に達した。(文庫巻末「土に就いて」より)

夏目漱石が「長塚節にしか書けない作品」と書いた世界を、藤沢周平は『白き瓶・小説長塚節』(文春文庫)にまとめています。ブックガイドを転載しておきます。

――三十七年の短い生涯を旅と作歌に捧げ、妻子をもつことなく逝った長塚節。清潔な風貌とこわれやすい身体をもつ彼は、みずから好んでうたった白埴の瓶に似ていたかもしれない。この歌人の生の輝きを、清冽な文章で辿った会心の鎮魂賦。新装版刊行にあたり、作品の細部をめぐって著者が清水房雄氏と交わした書簡の一部を掲載した。(「BOOK」データベースより)

山田風太郎『人間臨終図巻1』(徳間文庫)の「36歳で死んだ人々」の項に長塚節が掲載されています。そのなかに、医師から余命1年と宣告されたときに歌った1首が引いてあります。

――生き死にも天(あま)のまにまにと平けくおもひたりしは常の時なりき

◎生きることの原点が描かれている

厳しい自然のなかで、やせて狭い畑にしがみついて、生きてゆくしか術のない農民。お品は少しでも家系の足しにと、畑仕事のあいまに、豆腐やこんにゃくを仕入れて販売していました。お品には夫の勘次と、おつぎ(15歳)、予吉(2歳)というこどもがいました。夫の勘次も出稼ぎに出て、わずかばかりの食い扶持を得ていました。

ある日、お品は病気で倒れます。父親代わりだった卯平が、駆けつけてきます。出稼ぎから勘次も舞い戻ってきました。お品は亡くなります。お品が死んでも、畑は手抜きができません。勘次は幼いおつぎを伴い、畑へと出ることになります。生活はまったく楽になりません。同居することになった卯平と勘次には、ほとんど会話がありません。
 
小作人の年貢も払えず、良質の種すら買い求められません。いくら汗水をたらしても、どん底から這い上がることはできないのです。生活に困窮した勘次は他人の作物を盗んだり、開墾地から薪をくすねたりするようになります。
 
おつぎは死んだ母親・お品に似て、賢く実直でした。畑仕事、炊事洗濯。弟・予吉の世話などを、懸命にこなしました。勘次の悪癖は止まることを知らず、次々に問題を起こします。しだいにだれからも見向きもされず、孤立してゆきます。
 
これから先の展開には、ふれません。農民にスポットをあてて、ここまで辛らつに描いた作品をほかには知りません。いまの生活が苦しいと思っている人には、ぜひ読んでもらいたいと思います。生きるって、こんなことだと教えてもらいました。すばらしい作品でした。『土』には、生きることの原点がありました。怠惰な生活を戒め、現実を突きつけてくれる教えがありました。

私は『土』の冒頭から、圧倒されました。川端康成『雪国』(新潮文庫)のように、いまでも心のなかで風が吹きつけています。
 
――烈しい西風が目に見えぬ大きな塊をごうっと打ちつけては又ごうっと打ちつけて皆痩せこけた落葉木の林を一日苛め通した。木の枝は時々ひゅうひゅうと悲痛の響きを立てて泣いた。短い冬の日はもう落ちかけて黄色な光を放射しつつ目叩いた。そうして西風はどうかするとばったり止んで終ったかと思う程静かになった。(本文冒頭より)

最後に『土』の鑑賞の方法を引用させてもらいます。
――暗く苦しい作品世界であっても、おつぎと与吉、卯平とおつぎ、卯平と与吉間の情愛を描いた部分には、人間にたいする作者の信頼と愛情が滲み出ており、人間の醜悪な面の剔抉(てっけつ)と合わせて読まれるべきである。(栗坪良樹編『現代文学鑑賞辞典』東京堂出版)
(山本藤光:2009.08.24初稿、2018.02.14改稿)


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