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内海隆一郎『欅の木』(小学館文庫)

2018-03-02 | 書評「う」の国内著者
内海隆一郎『欅の木』(小学館文庫)

息子夫婦の家を出てしまった兄、音信不通の亡夫の母……。市井に生きる人々の心の機微を繊細なタッチで綴った心温まるオムニバス。(出版社からのコメント)

◎断筆から15年

内海隆一郎は1969年、処女小説「雪洞にて」(講談社文庫『蟹の町』所収)で文学界新人賞を受賞しています。しかし翌年、「蟹の町」が芥川賞候補となりますが落選して、以降15年間にわたって断筆しました。

15年間のブランクのあと出版されたのが『人びとの忘れもの』(ちくま文庫、初出1985年)です。これは日本ダイナースクラブの月刊会員誌 に寄せた、一話完結の短編小説をまとめたものです。市井の人びとを描いた本書は、大きな話題となりました。私が内海隆一郎にはまったのは、まさにこの作品集からでした。

「内海隆一郎の本棚」というHPがあります。最終更新日は 2012年12月13日です。ここに内海隆一郎は発作的にエッセイを執筆していました。ときどき訪問するのですが、それ以降更新されていません。

内海隆一郎は伊藤桂一に師事しています。「わが師の恩」というエッセイにこんなことが書いてあります。

――「橋の上を、両岸から男と女が歩いてきて、途中で二人はすれちがう。……それだけのことを丹念に書くのが短編小説なんですよ」まさに極意ともいうべき教示である。

本来は『人びとの忘れもの』(ちくま文庫)を紹介する予定でした。しかし作画・谷口ジロー『欅の木』(小学館文庫)を読んでから、個々の作品集にふれていただくのもオツなものに思えました。 

内海隆一郎の作品「水曜日のクッキー」が、「中学国語1」でとりあげられていることを知りました。この作品は『人びとの旅路』(新潮文庫)に所収されているものです。中学生が読んでくれていることを、わがことのようにうれしく思います。

――ニトロを携行して、いつ来るかもしれない発作におびえる石川さんでした。その石川さんが、毎週水曜日手作りのクッキーを売りにくる障害者の青年に出会います。病に立ち向かう前向きな生き方を、石川さんはその青年から学んでいきます。(教科書「国語1」のガイドより)

◎ホロリとさせられるエンディング

『欅の木』(小学館文庫)は、内海隆一郎・原作、谷口ジロー・作画のコミック書です。収載作は表題作をふくめて、全部で8編あります。収載作は「人びとシリーズ」から選ばれています。すべて活字の世界で読んでいる作品ですが、コミック版で読んでみるとさらに味わいがゆたかになります。

表題作「欅の木」(『人びとの忘れもの』ちくま文庫所収)は、庭にある1本の大きな欅の木をめぐる話です。原田さん夫婦は、都心を離れて引っ越してきます。中古の家を購入したのは、広い庭にあった樹々に魅せられたからでした。それらが根こそぎぬかれていて、ぽつんと欅の巨木だけがのこされていました。 

引っ越してきて間もなく、近所の主婦たちがやってきます。欅の落ち葉が雨どいにつまったり、毎日の掃除がたいへんだという苦情でした。原田さんは欅の木を伐採することをきめます。季節はめぐり、丸裸だった欅に新芽がめぶきます。春の陽光にかがやく新芽の美しさに、原田さん夫妻は魅せられました。

新芽が輝く日原田さんは、欅の木を見あげている初老の男と出会います。前の持ち主でした。入院中に息子たちが庭木ごと、家を売ってしまったと語ります。新芽を見たい。男はその一心でやってきたと告げます。

「白い木馬」(『人びとの光景』新潮社所収)は再婚する長女から、孫のヒロミをあずかる木下さん夫妻の話です。孫が喜ぶと思って遊園地へ連れていくのですが、孫はいっさい乗り物に乗ろうとしません。そしてずっとつづいたぶっちょう面はおさまりません。帰りぎわに木製の木馬をみつけ、ヒロミはそれにまたがります。ヒロミにはあるトラウマがありました。 

「再会」(『人びとの旅路』新潮文庫所収)は離婚のために別れた、娘の絵の個展にでかける岩崎さんの話です。会場には元妻の姿もありました。岩崎さんは展示の絵のなかから、懐かしいピエロが描かれた絵を発見します。彼はそれを買い求めます。

「兄の暮らし」(『人びとの季節』PHP文庫所収)は屋根職の家業を継いだ長兄の晩年を、3男坂本さんが訪ねる話です。長兄は家業を継がない息子との同居を嫌い、安アパートで独り暮らししています。坂本さんは長兄の身をあんじていたのですが、逆にかくしゃくとした姿に出会います。こども夫婦と同居している楽隠居の坂本さんには、長兄がまぶしくうつりました。

他の4篇についてのレビューは省略します。いずれの作品も、ホロっとくるエンディングとなっています。いちど活字で読んだ作品を、コミック版で読むのははじめての経験でした。谷口ジローの絵にふれたのもはじめてです。落ち着いていて味わい深い絵は、心温まるものでした。

谷口ジロー画で、川上弘美『センセイの鞄』(全2巻、双葉社&小学館)も出版されています。買い求めましたが、まだ読んでいません。

◎古典文学の再評価

内海隆一郎に『波多町(なみだまち)』(集英社文庫)という作品があります。その作品について、筒井康隆はつぎのように書いています、内海作品全体につうじる話なので、紹介させていただきます。

――作者は社会体験が豊富で、昔芥川賞の候補にもなり、出版社勤務の経歴もあって、あらゆる小説を読んできている。五十歳を過ぎてからエンターテインメントを書き出したこういう人の視野に入るものは、当然のことながら衰退した現代の純文学などではない。古典文学である。エンターテインメントの活力が豊饒な古典文学の再評価の中に秘められていること、小説隆盛の基盤は今、そこにしかないらしいことを、この作品は証明しているのだ。(筒井康隆『本の森の狩人』岩波新書より)

◎追記(2017.10.29)

内海隆一郎には根強い信奉者がいます。ブックオフなどでは、見つけられないと思います。もし棚にあったら、それは奇跡です。だから必ずゲットしてください。アマゾンの中古価格も驚くほど高価です。谷口ジローが2017年2月に亡くなりました。それゆえ紹介させていただいた作品も。見つけにくいかもしれません、
(山本藤光:2015.03.03初校、2018.03.02改稿)


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