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魚住直子『非・バランス』(講談社文庫)

2018-03-14 | 書評「う」の国内著者
魚住直子『非・バランス』(講談社文庫)

1つ、クールに生きていく。2つ、友だちはつくらない。そう心に決めていた中学生の私の前に、不思議な一人の女性があらわれた。彼女こそ、理想の大人だと思う私の毎日は少しずつ変わっていくが…。少女と大人―傷つきやすい2つのハートが出会った、ある夏の物語。第36回講談社児童文学新人賞受賞。(「BOOK」データベースより)

◎あいにく満席でして

魚住直子は、1966年生まれの児童文学作家です。最近では、大人の読者も意識した作風になっています。デビュー作『非・バランス』(講談社文庫)は、30歳のときの作品になります。最近、3冊目の文庫『未・フレンズ』を読んで、児童文学作家から一般向け小説に入りこんできたのを実感しました。
魚住直子自身『未・フレンズ』について、次のように語っています。

――飢餓で死にそうな子と比べたら甘い、と言われたら確かに甘いけれど、でも日本の子どもたちも大変だっていうことを書きたかった。だから、ひどい大人ばかり出てくるし、外国の少女に関しても、けなげで純粋、というステレオタイプではない話になりました。(「WEB本の雑誌」第81回)

 このねらいは、デビュー作と変わっていません。魚住直子は終始、子どもたちに「がんばれ」とエールを贈りつづける作家なのです。

結婚してから魚住直子は、小説を書いてみたいと思います。そこでカルチャーセンターの小説教室に申しこみをしました。あいにく満席で、児童文学なら空きがあるといわれました。それで児童文学教室へ入ったわけです。このことがなければ、児童文学作家・魚住直子は生まれていません。(このエピソードは、「WEB本の雑誌」第81回を参考にしています)

◎大人も堪能できます

『非・バランス』(講談社文庫)は、講談社児童新人文学賞に輝いています。そんな賞があるのは知りませんでした。魚住直子が第36回の受賞者ですから、伝統ある賞のようです。
 私は本書を、児童書という固定観念を持たずに読みました。確かに活字は大きく、難解な漢字にはルビがふってありました。しかしタイトルの『非・バランス』は、児童書の概念からかけ離れたもののような感じがします。
 読んでみて、児童書とは何かを考えさせられました。この賞の応募規定には、「児童を読者対象にした未発表の作品であること」と書かれています。なぜこだわっているかというと、面白かったからです。
普段、書店でも児童書の棚には行かないだけに、文芸書の棚に並んでいてよかったと思います。
 ちなみに「児童」とは学校教育法では満六歳から十二歳までの学齢児童、児童福祉法では満十八歳までを児童としています(広辞苑)。

 主人公「わたし」は現在中学2年生。小学校5年生のときにいじめにあっていました。
 
――ユカリは、わたしの味方をしてくれなかった。わたしのことを「ドクサイシャ」と名づけた江美ちゃんや啓子ちゃんのグループのほうにはいった。とてもショックだった。/「ドクサイシャは最後、一人になるの。これってジゴージトクなんだよね」(本文より)

「わたし」は中学に上がる前に、2つのことを決めます。クールに生きることと友だちをつくらないことです。当然、周囲からは「口がないのかよ」と疎ましがられます。その反動で、「わたし」はすっきりとした気持ちになるために、無言電話をかけたり、万引きをしたりしています。

 学校では、〈ミドリノオバサン〉の話が流行っています。髪の毛を真緑に染め、全身真緑の服を着た中年女性の話です。このオバサンの身体に触れて願いごとを告げると、願いがかなえられるといわれています。

「わたし」はある日、「ミドリノオバサン」を発見して助けを求めます。どうしようもない状況から思わず駆け寄ったのですが、人違いでした。それが「サラさん」との出会いです。
やがて、サラさんの温かい心に触れて、「わたし」は精神の健康を取り戻します。

◎意外なエンディング

 エンディングは、意外な展開になっています。ここで明かすことはできません。本書は大人も満足できる一冊です。著者が「あとがき」に書いていることが印象的でした。
 
――どうしてもバランスがとれないときが、誰にでもある。深い穴に落ちてしまったように感じ、もしかすると一生、その穴から抜けだせないんじゃないかと苦しむ。けれど実はそういうとき、ジャンプ台に立っている。これから大きく飛びたつための、ジャンプ台。(本文より)

 大きく飛びたとうとする者は、まず身を屈めます。思春期とはジャンプの直前に身を屈める状態なのかもしれません。
(山本藤光2017.12.24)

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