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宇野千代『おはん』(新潮文庫)

2018-03-02 | 書評「う」の国内著者
宇野千代『おはん』(新潮文庫)

妻と愛人、二人の女にひかれる男の情痴のあさましさを、美しい上方言葉の告白体で描き、幽艶な幻想世界を築いて絶賛を集めた代表作。(内容案内より)

◎極端に異なる2人の女性

宇野千代『おはん』(新潮文庫)のストーリーについては、引用したガイド以上に記すべきことはありません。本書の味わいは、上方言葉による語り口にあります。その語り口のなかから、古風で慎ましい「おはん」の実像が浮かびあがってきます。

タイトルの「おはん」は、語り手・加納屋という男の女房の名前です。男は芸妓・おかよに惚れて、おはんを捨てました。今は小さな芸者屋で、おかよと暮らしています。男はおかよについて、次のように語ります。

――へい、あの女(おなご)は、私の女房ではござりませぬ。今から七年ほど前に、生まれてはじめて馴染みました町の芸者(げいこ)でござります。私より一つ齢上(としうえ)の三十三、名前はおかよと申します。(本文P5)

おはんは何も言わずに、実家へと戻りました。しかしそのときには、男との間の子を身ごもっていたのです。おはんは実家で、悟という男の子を出産します。男はおはんについては、次のように語っています。

――この女房のおはんとは、七年前あのおかよのことがもとで別れたのでござります。私は女の家へ行てしまい、おはんは新門前の親の家へ引きとられ、それはこういう狭い町の中のことでござりますけに、あおうと思えば何ぼでもあいそうなものでござりますのに、もう久しいこと出あいもせなんだのでござります。(本文P7)

小川洋子は著作のなかで、2人の女性について次のように書いています。

――この人(おはん)はどれほどひどい仕打ちを受けようとも、男を責めることのない我慢強い女性です。怒ったり拗ねたりする様子は微塵も見せず、男のことを、心から愛しています。/そしてもう一人の女性、芸妓のおかよ。こちらは強気一辺倒の強烈な個性の持ち主です。彼女の人柄を端的に表すセリフがあります。「男のいらんおひとは、どこの国なと行たらええ。あては男がいるのや、男がほしのや」(小川洋子『みんなの図書室』PHP文庫P213)

極端に異なる2人の女性ですが、男は実に優柔不断です。そんな男が営んでいる店に、偶然実の息子・悟がやってきます。男に父性が芽生えます。自分が父親であることを告げず、男は悟にぎこちない愛情を注ぎます。

男は実在の人物だったようです。ちょっと紹介させていただきます。

――そもそもは、『おはん』の主人公加納屋のモデルは実在の徳島の男で、その男の話に触発された宇野千代が、舞台を岩国に移して小説に仕立てたものである。(柴門ふみ『恋する文豪』角川文庫P267)

そして柴門ふみは、次のようにつづけます。
――作者宇野千代自身の言葉をかりれば、/この小説のモデルは私自身であるような気がします。おはんの中にもおかよの中にも自分がいるように思われ……(柴門ふみ『恋する文豪』角川文庫P272)

◎これほど優れた小説はない

これから先のストーリーには、触れないことにします。男はこっそりとおはんとの逢瀬をくりかえし、やがて親子3人で暮らす道を選択します。そして引っ越しの日がやってきます。

ストーリーを紹介できませんので、識者が読んだ『おはん』のいくつかを紹介させていただきます。

――(おはんは)男に頼って生き、男に捨てられれば親族に頼って生きてゆく生活力のない女であった。これは当時としては普通の姿であったろう。自分をつらい目に遭わせた夫に求められれば、体も開いていく。しかも相手に縋りつかない。追ったりもしない。おかよのことを恨むこともない。それどころか、二人の間に出来たひとりの息子を使い、夫に戻ってもらおうと謀ったりももしないのだ。(林真理子『名作読本』文春文庫P29)

圧巻の男の語りについて、考察された文章があります、
――語りは、その男が性格そのままに、ずるずるだらだらと事の起こった順に、めりはりもなく告白していくのだが、そのしまりのない語りが、方言のリズムによって、古典芸能のような味わいを持つまでに仕上げられている。これは、阿波の徳島あたりの方言に、関西なまりと、作者の故郷の岩国なまりを混ぜ合わせて作り出した独自の言葉だそうである。(芳川泰久編『純愛百選』早美P56)

『おはん』は映画化されています。そのことに触れた文章があります。

――映画で「私」を演じたのは石坂浩二、おはんは吉永小百合、おかよは大原麗子。舞台は錦帯橋で知られる山口県岩国市。宇野千代の故郷でもあるこの町では「おはんバス」が走っている。(斎藤美奈子『名作うしろ読み』中公文庫P121)

最後に車谷長吉の書から引かせていただきます。車谷は花田清輝『復興期の精神』(講談社文芸文庫、山本藤光の推薦作)のなかの「人間の半分以上をしめてゐる女のほんたうの顔がかけないで、男のほんたうの顔がかける筈はない」という文章に一念発起します。そして図書館で宇野千代の著作のすべてを読みます。

――中で一番凄いと思うたのは、「おはん」(新潮文庫)だった。男と女の情痴の愚かしさを描いて、これほど優れた小説はない。(車谷長吉『文士の魂・文士の生魑魅』新潮文庫P241)

晩年の宇野千代は、すぐれたエッセイでも高い評価を得ています。宇野千代『私の文学的回想記』(中公文庫)を、近日紹介させていただきます。あわせてお読みください。
(山本藤光2016.02.11初稿、2018.03.02改稿)

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