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石川達三『蒼氓(そうぼう)』(新潮文庫)

2018-03-02 | 書評「い」の国内著者
石川達三『蒼氓(そうぼう)』(新潮文庫)

『蒼氓』は、1930年のブラジルへの移民を素材にしています。神戸港にある「国立海外移民収容所」へ集まってきた移民たちの人間模様を、見事に活写しています。移民希望者は郷里で予備検査を受け、家も畑も家財道具も売り払って集まっているのです。(本稿の抜粋)

◎芥川賞ものがたり

石川達三『蒼氓(そうぼう)』(新潮文庫)は、記念すべき第1回芥川賞(1935年、昭和10年上半期)受賞作です。候補者には、太宰治(「逆行」)、高見順(「故旧忘れ得べき」)、外村繁(「草筏」)などがありました。太宰治が選考委員の佐藤春夫や川端康成らに、「私に芥川賞をあたえてください」という手紙を書いているのは有名な話です。

しかし太宰治(28歳)の候補作「逆行」(角川文庫『晩年』に所収)は、前作「道化の華」(角川文庫『晩年』に所収)よりも劣っている、ということで落選となりました。選者の川端康成は、「私見によれば、作者目下の生活に厭な雲ありて、才能の素直に発せざる憾みあった」と私生活にまでふみこんだ評価をしています。

芥川賞は「作品」、直木賞は作家の将来性を評価とするとの、暗黙の規定があります。選者の山本有三は、『蒼氓』の構想力を高く評価しています。また瀧井孝作は「こんど受賞できなかった人でもこれから第2回第3回と機会は何度でもあるのだから」とコメントしています。しかしあれほど芥川賞に固執していた太宰治には、2度とチャンスがめぐってきませんでした。(『芥川賞全集第1巻』を参照しました)

若いころの石川達三は、同人誌に作品を発表していました。しかし作家として独立するメドが立たず、田舎で養豚をする決心をします。そんなときに、『蒼氓』で芥川賞を受賞しました。30歳になってからのことです。

残念なことに『蒼氓』(新潮文庫)は、古書店でもなかなか見つかりません。『蒼氓』は3部作になっています。芥川賞を受賞作「蒼氓」は、その第1部にあたります。新潮文庫には、「第2部・南海航路」「第3部・声無き民」が所収されています。

第1部「蒼氓」は、移民を望む人たちの8日間のドラマです。第2部「南海航路」は、ブラジルのサントスに向けての45日間。第3部「声無き民」は、ブラジル上陸後の模様が描かれています。

石川達三は25歳のときに、実際にブラジルへの移民船「ら・ぷらた丸」に乗っています。『蒼氓』は、そのときの体験をもとに書かれています。それゆえ移民たちの胸中を、リアルに描けたのです

「蒼氓」というタイトルについて、著者自身の説明を紹介させていただきます。

――「蒼氓」という題はあまり見かけない字でちゅうちょしたが、南米移民の集団を扱った作品であるから、はじめ「蒼生」「青民草」という字を考えた。しかしこれではありきたりでおもしろくない。字典を引いて見ると、「蒼生は蒼氓に同じ」とあり、氓の字をしらべて見ると、この字には、移住民の意味があった。すると、もうこの題はうごかせないものになってしまった。(毎日新聞社学芸部編『私の小説作法』雪華社より)

◎ブラジル移民を描く

『蒼氓』は1930年の、ブラジル移民を素材にしています。神戸港にある「国立海外移民収容所」に、全国から予備検査に合格している人群れがやってきます。彼らはブラジルへ入国するための第一条件「トラホーム患者ニ非ザルコト」をクリアしてきた人たちです。移民収容所では、本検査が待ちかえています。

現前には楽園へとつづく、大海原があります。彼らは故郷の家も畑も家財道具も、売り払って集まっています。本検査で不合格となれば、帰るあてはありません。佐藤孫一の娘・夏も、そのなかのひとりです。夏は弟のたっての希望で、移民を承諾しました。彼女は職場の上司・堀川から、結婚を申しこまれていました。夏は門馬勝治と名目だけの夫婦となっています。「満五十歳以下ノ夫婦及ビ其ノ家族ニシテ満十二歳以下ノ者」(本文より)という条件を満たすためです。

本検査で合格した953人は講習をうけながら、1週間収容所ですごします。出発の日がきます。第1部「蒼氓」は、ブラジルへ向かう船が岸壁を離れるところで終ります。5色のテープが舞い、日章旗を振る児童に見守られながら。船室には倒れ伏し、声をあげて泣いている夏の姿があります。

第2部「南海航路」では、夢の楽園にどんよりとした雲がたちこめる様子が描かれています。船酔いに苦しんだ移民たちを待ちうけていたのは、よからぬ話ばかりでした。夏は形だけの結婚相手の、勝治から求婚されます。

第3部「声無き民」は、ブラジルでの悲壮な生活が描かれています。現地の日本人入植者に迎えられ、彼らは土蔵のような粗末な家へと案内されます。不慣れな外国での日常がはじまります。

『蒼氓』は、夏を主軸に展開されます。小田切進は著作のなかで、「夏の素直で健気な、無知ですが、雑草のように強い生活力を、映画のカメラが追ってゆくように、しばしばクローズアップして写しています」(小田切進『日本の名作』中公新書)と書いています。

全国各地から集まった貧民は、検査でふるいおとされました。さらに過酷な船旅が終わると、小さなグループとなって四散します。夏は弟から、1年だけ辛抱してと懇願されています。しかし彼女は、そんなに簡単には帰国できないと思っています。荒れてやせた大地へ挑む男たちを、台所で見送る夏。彼女にはそれしかなすすべがないのです。 
(山本藤光:2010.05.27初稿、2018.03.02改稿)

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