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宇野千代『私の文学的回想記』(中公文庫)

2018-02-07 | 書評「う」の国内著者
宇野千代『私の文学的回想記』(中公文庫)

大正、昭和初期の流行作家である芥川龍之介や菊池寛などが集まるレストランで十八日間だけ働いた宇野千代は、後に自らも筆を執り、女流作家の地位を確かなものにしていく…。尾崎士郎・東郷青児との愛情や、梶井基次郎・萩原朔太郎を始めとする作家たちとの友情に彩られた、彼女の鮮やかな半生を綴る貴重な文壇史随筆集。(「BOOK」データベースより)

◎単なる情痴作家ではない

 宇野千代の代表的な小説は、『色ざんげ』と『おはん』(ともに新潮文庫)と明言できます。両作品を読んだ私は、宇野千代のとりこになりました。作品の中身はもちろんですが、宇野千代の織りなす文章のみごとさに魅せられました。

――この作家は一般に考えられているような単なる情痴作家ではない。彼女の筆致はふくよかで、感覚的で、女らしい情感にあふれ、恋する人たちの微妙な心理のニュアンスを描くのに巧みであり、とくに恋に身を焼く女の、純粋で一本気な情熱を描くのを得意とする。(『新潮日本文学小辞典』新潮社より)

 もうひとつだけ、宇野千代の文章を評したものをご紹介します。
――宇野千代が実人生をそのまま書けば、生ぐさく、どろどろした愛欲小説になるだろう。だが、宇野の私小説では、そうした生ぐささはきれいに捨象されてしまって、なにか人形浄瑠璃を思わせる、この世ならぬ美しさを創出し得ているのである。(百目鬼恭三郎『現代の作家一〇一人』新潮社P45)

それ以来、彼女のエッセイばかりむさぼり読んでいます。エッセイの代表作は『生きて行く私』(中公文庫、初出1983年)であり、ベストセラーになりました。今回とりあげるのは、それよりも10年前に上梓された『私の文学的回想記』(中公文庫、初出1972年)のほうです。待望の文庫化が実現しましたので、入手は容易だと思います。本書を読んでおもしろかったら、ぜひ『生きて行く私』も探し求めていただきたいと思います。角川文庫版ならまだ店頭にならんでいます。

宇野千代が痴情作家のラベルを張られるのは、自由奔放な若いころの略歴にあります。以下、四半世紀のぶんのみ抜粋しておきます。

・1897年:誕生。父が宇野千代より12歳上の女性と再婚。
・14歳:義母(父の再婚相手)の姉の子・藤村亮一に嫁入り、10日間で戻る。
・19歳:亮一の弟・忠(京都第2高等学校生)と同棲。
・22歳:忠と結婚。札幌に住む。
・24歳:「脂粉の顔」が「時事新報」の懸賞で当選。次点が尾崎士郎で、選外が横光利一。
・25歳:夫を残して上京。尾崎士郎と同棲。その後結婚。

 その後は梶井基次郎、東郷青児、北原武夫らとの恋、同棲、結婚をくりかえします。詳細は本書にゆずりますが、自由奔放な生涯を、宇野千代は激走しています。『私の文学的回想記』にはほかに、芥川龍之介、川端康成、萩原朔太郎、村岡花子、室生犀星、三好達治などの固有名詞がふんだんに盛りこまれています。

◎カマトトに徹しきった美しさ

 宇野千代の文体について、前出の百目鬼恭三郎はつぎのようにも書いています。宇野千代の性格にも言及していて、ひじょうに興味深く思いました。

――この特色は結局、モラリストの影響よりも、もっと根源的なもの、すなわち宇野自身の性格に由来しているのではあるまいか。簡単にいうと、宇野は、いやなもの、つごうのわるいことは見たくない、聞きたくない、という弱者の防衛本能に忠実に従っているのであり、つまりはカマトトに徹しきった美しさ、というべきものであろう。(百目鬼恭三郎『現代の作家一〇一人』新潮社P46)

 自由奔放、放埓(ほうらつ)、本能のおもむくまま……。さまざまな言葉が宇野千代の冠として用いられています。しかし私には百目鬼恭三郎がいうように、ピュアでシャイであっけらかんとした宇野千代像しか浮かびません。

 宇野千代にまつわる愉快な話を紹介します。
――その日、私は宇野さんに一枚の紙に書いた人々の名前を机に置いて聞いてみた。年譜や作品に出てくる宇野さんの交渉のあった男性の名簿だった。/「伺っていいですか? 先生、この方とは……」/どういう御縁で、先生の小説にどんな影響を与えたかというようなことを訊くつもりだった。ところが、間髪もいれず宇野さんの高い声が返ってきた。/「寝た」/私はど肝を抜かれて、次の人の名をあげた。/「寝た」/前より速さが加わっていた。(瀬戸内寂聴『奇縁まんだら』日本経済新聞社。山本藤光の文庫で読む500+α推薦作)

 私はみていないのですが、黒柳徹子の『徹子の部屋』に出演したときにも同様の「寝た」連発があったようです。
 
森まゆみ『断髪のモダンガール』(文春文庫P336)のなかで、宇野千代の恋愛名語録が紹介されています。思わず笑ってしまいましたので、引用させてもらいます。

――男にとって自分が重荷だと感じたとき別れてやるのが武士のたしなみです。
――男にだまされるという楽しみもあるのですよ。
――1晩泣いて、カラリとして、いい着物きて表へ出れば、また違う男がめっかるのよ
――傷はうけたひとがこしらえるものです。
 
 宇野千代が『おはん』(新潮文庫)を上梓したのは60歳(1957年)のときでした。その後、4番目の夫・北原武夫と別れます。離婚後の宇野千代はつぎつぎに名作を書き上げました。そして98歳での大往生をとげたのでした。

『私の文学的回想記』には、宇野千代が「寝た」人たちの多くが登場しています。瀬戸内寂聴『奇縁まんだら』によると、小林秀雄とは雑魚寝はしたけれど、寝なかったと書かれていました。念のため。
(山本藤光:2014.08.26初稿、2018.02.07改稿)

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