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梅棹忠夫『知的生産の技術』(岩波新書)

2018-02-04 | 書評「う」の国内著者
梅棹忠夫『知的生産の技術』(岩波新書)

学校では知識は教えるけれど知識の獲得のしかたはあまり教えてくれない。メモのとり方、カードの利用法、原稿の書き方など基本的技術の訓練不足が研究能力の低下をもたらすと考える著者は、長年にわたる模索の体験と共同討論の中から確信をえて、創造的な知的生産を行なうための実践的技術についての提案を試みる。(「BOOK」データベースより)

◎大きな「知」のプレゼント

 2012年2月、梅棹忠夫展が開催されました。膨大な京大式カードやスケッチにふれて、圧倒されまくりました。会場には多くの人が訪れており、知の巨人いまだ健在と意を強くもしました。

梅棹忠夫は、1970年代に最も輝いていた「知的世界へのナビゲーター」でした。『知的生産の技術』(岩波新書)は大ベストセラーになりました。紹介された「京大式カード」も、一躍トレンドになったほどです。その実物を目のあたりにして、優れたものはすたれないと実感しました。
 
 今回『知的生産の技術』を40年ぶりに読み返してみて、まったく色あせていない著作である、と再確認しました。もちろんITに取ってかわられた、部分もあります。しかし情報を集め、整理し、磨き上げるという基本理念は、いまでも通用するものです。むしろ情報の洪水のなかでアップアップしている現代人にとって、一呼吸いれるためにも読んでみることをお薦めしたいと思います。
 
 私の書棚にある著書は黄ばんでいますが、赤い線を引いた箇所は活き活きとしています。本書が出版されたのは、卒論(安部公房)に追われる大学4年のときでした。大学ノート2冊に書き連ねた資料を、「京大式カード」に改めたのは記憶に新しいことです。
 
 私の「知育(チーク)タンス」から、当時引用した文章を引き出してみましょう。「知育タンス」とは、「京大式カード」をパソコンファイルに移管したものです。キーワード別にあいうえお順にならべてありますので、いまでもおおいに活用しています。再読して驚いたのですが、なんと「はじめに」の段階で、すでに3箇所も「知育タンス」に収納していたのです。引用文の見出しは、私がつけたものです。

――研究:研究といっても、それをその構成要素となっている具体的な作業まで分解してみると、けっきょくは、よむ、かく、かんがえる、などの動作に帰着するのであって、一般の「勉強」となにもかわらない。(梅棹忠夫『知的生産の技術』岩波新書、「まえがき」より)
 
――技術:技術というものは、原則として没個性的である。だれでもが、順序をふんで練習してゆけば、かならず一定水準に到達できる、という性質をもっている。それは、客観的かつ普遍的で、公開可能なものである。(梅棹忠夫『知的生産の技術』岩波新書、「はじめに」より)

――知的生産:知的生産というのは、頭をはたらかせて、なにかあたらしいことがら「情報」を、ひとにわかるかたちで提供することなのだ。(梅棹忠夫『知的生産の技術』岩波新書、「はじめに」より)

――模倣:わたしは、先生から直接おそわったという記憶がない。文献カードのつくり方さえも、おしえてくれなかった。みんな、「みようみまね」でやってきたのである。あるいは、それでよかったのかもしれない。おしえてくれないからこそ、学生たちは自発的・積極的に、自分でくふうし、あるいは先生や先輩のやりかたを「ぬすんで」、どうやらきりぬける方法を身につけるようになる。(梅棹忠夫『知的生産の技術』岩波新書、「はじめに」より)

 私は本書からたくさんの知的なヒントをもらいました。梅棹忠夫からプレゼントされた理念は、いまのビジネスに生きています。お世話になったな、と何度もインクがかすんでいるラインを読みなぞりました。
 
◎『「私の知的生産の技術」その後』もお勧め

 梅棹忠夫『知的生産の技術』の理念はいまも、「NPO知的生産の技術研究会」(知研)へと受け継がれています。ホームページをみると、そうそうたるメンバーが名を連ねています。「知研」が発信している著作は、数多くあります。
 
 梅棹忠夫はその後、『私の知的生産の技術』(初出1988年、岩波新書)という著作を編集しています。これは岩波新書創刊50周年記念論文の、入選作12編を集めたものです。募集課題は、表題のとおりでした。新書の巻頭には、梅棹忠夫の『「私の知的生産の技術」その後』という一文が掲載されています。興味深いところを引用させてもらいます。
 
――「知的生産の技術」ということばはわたしの造語であるが、この本がでた当時は、このことばは世間にすんなりとうけいれられなかったようである。知的ということばと、生産ということばがくっつきにくかったのであろう。ましてそれを技術としてとらえようというのには、かなりの抵抗があったのだろうとおもわれる。(本文P2より)
 
 1969年梅棹忠夫は、コンピュータ時代の到来を予想していました。梅棹忠夫は「現実にそうなったが、『知的生産の技術』の考え方は色あせていない」と胸を張ります。そのとおりだと思います。情報を選び、まとめる(分類する)手順は、カードだってパソコンソフトだって変わりません。

『私の知的生産の技術』は、個人として前作『知的生産の技術』を実践した報告書です。どの報告も、しっかりと梅棹忠夫の著作を実践しています。昭和を代表する名著はいまも、NPOや多くの読者に支持されているのです。

 梅棹忠夫についてもっと知りたい方には、つぎの本をお薦めします。
・『KADOKAWA夢ムック・梅棹忠夫・地球時代の知の巨人』(河出書房新社)
・石毛直道・小山修三『梅棹忠夫に挑む』(中央公論新社)
・追悼・梅棹忠夫(「考える人」2011年夏号)
・小山修三『梅棹忠夫を語る』(日経プレミア新書)
・小長谷有紀編『梅棹忠夫のことば』(河出書房新社)
・山本紀夫『梅棹忠夫「知の探検家」の思想と生涯』(中公新書)

 最後に「知的生産の技術」の基本でしめたいと思います。
――ものごとは、記憶せずに記録する。はじめから、記憶しようとする努力はあきらめて、なるだけこまめに記録をとることに努力する。これは、科学者とはかぎらず、知的生産にたずさわるものの、基本的な心得であろう。(『知的生産の技術』P170より)

◎訃報を知っての日記より(2010.07.08)

 先月「私の先生」という文章を発信したばかりです。新聞をみて愕然としてしまいました。梅棹忠夫氏が逝去したのです。90歳でした。梅棹忠夫『知的生産の技術』(岩波新書)と、その続編ともいえる梅棹忠夫編『私の知的生産の技術』(岩波新書)を読み直しました。
 
梅棹忠夫は、私の心のなかで生きつづけている、いまなお「私の先生」なのです。

 私にとって「知」の指導者は、野中郁次郎、梅棹忠夫、花村太郎、宮本常一、西堀栄三郎、そして川喜田二郎(いずれも敬称略)です。お会いしているのは野中郁次郎氏だけですが、6人の共通点は「フィールドワーク」に長けている点です。「知は現場にあり」を実践している人たちなのです。
 
 6人の先生の著作は、私の書棚の特等席においてあります。辞書と同様にいつでも取り出して、背中を押してもらっています。ぐずぐず考えるなよ。とにかく現場へ行ってごらん。そんな励ましの声が聞こえてきます。6人の先生の代表的な著作を紹介させていただきます。いずれも「500+α」掲載作です。
 
・野中郁次郎『知識経営のすすめ』(紺野登との共著、ちくま新書)
・梅棹忠夫『知的生産の技術』(岩波新書)
・花村太郎『知的トレーニングの技術』(ちくま学芸文庫)
・宮本常一『忘れられた日本人』(岩波文庫)
・西堀栄三郎『石橋を叩けば渡れない』(生産性出版)
・川喜田二郎『発想法・創造性開発のために』(中公新書)

 梅棹忠夫には、『夜はまだあけぬか』(講談社文庫)という著作があります。1995年に文庫化されたもので、1989年に出版されています。本書のまえがきに、両眼の視力を失ったことが書かれています。したがってその後の著作は、口述筆記によるものです。
 
 失明してからも梅棹忠夫は、膨大な著作を発表しています。遅筆だといわれていますが、私の読書力では追いつけません。未読の著作を追って、これからも崇高な思想を学びつづけることになります。感謝。
(山本藤光:2009.12.21初稿、2018.02.04改稿)

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