梅崎春生『桜島』(講談社文芸文庫)
処女作「風宴」の、青春の無為と高貴さの並存する風景。出世作「桜島」の、極限状況下の青春の精緻な心象風景。そして秀作「日の果て」。「桜島」「日の果て」と照応する毎日出版文化賞受賞の「幻化」。無気味で純粋な<生>の旋律を作家・梅崎春生の、戦後日本の文学を代表する作品群。(「BOOK」データベースより)
◎片耳のない娼妓
――村上兵曹桜島ニ転勤ニ付至急谷山本部ニ帰投サレ度(タシ)
第2次世界大戦末期、「私」(村上兵曹)は1通の電報を受け取ります。「私」は鹿児島県坊津で、海軍暗号員をしています。沖縄はすでに玉砕し、桜島には敵機が飛来しています。死を覚悟しているはずの「私」は、いちるの生への望みも抱いています。桜島への赴任は、死への旅路でもあります。
鬱屈とした気持ちで、「私」は娼妓を求めます。やってきた妓(おんな)には片耳がありませんでした。「私」は妓にいいます。
――耳がなければ、横向きに寝るとき便利だね(本文P54)
この言葉は妓を侮辱するためのものではない、と「私」は思います。そして自分自身を侮辱したかったのだと気づきます。桜島へ赴任することを知った妓は、次のような言葉を発します。
――ねえ、死ぬのね。どうやって死ぬの。よう。教えてよ。どんな死に方をするの。(本文P56)
ぼんやりとしていた「死」が、急速に身近に感じられます。妓との一夜の翌日、「私」は桜島へと向かいます。
◎つくつく法師と見張り兵
桜島での新たな生活がはじまります。梅崎春生はこんな文章で赴任先を表現しています。洗練された、みごとな筆さばきだと思います。
――鹿児島市は、半ば廃墟となっていた。鉄筋混凝土(コンクリート)の建物だけが、外郭だけその形を止め、あとは瓦礫(がれき)の散乱する巷であった。ところどころこわれた水道の栓が白く水をふき上げていた。電柱がたおれ、電線が低く舗道を這っていた。灰を吹き散らしたような雨が、そこにも落ちていた。廃墟の果てるところに海があった。海の彼方に、薄茶色に煙りながら、桜島岳が荒涼としてそそり立った。あの麓に行くのだと思った。(本文P58)
引用が長くなりました。梅崎春生の文章は端正で、寸分のムダもありません。
米軍はなかなかやってきません。止まったような時間のなかで、「私」はひたすら死を考えます。そんな時間のすきまに、吉良兵曹長という避けられない異物がはいりこんできます。吉良兵曹長は「変質者の瞳」をもっています。「私」はその男に不吉な予感を抱きます。
梅崎春生は吉良兵曹長を通して、軍隊の非情と愚劣さを描きだします。「私」はひとのよい中年の見張り兵や特攻隊員とも出会います。日本の敗戦が色濃くなったとき、敵機の襲来で見張り兵が銃撃されて死にます。見張り兵がもたれていた栗の木で、今年はじめてつくつく法師が鳴きます。
つくつく法師は不幸の象徴として描かれています。そしてそれはひとのよい見張り兵の化身なのです。
◎対極を描き分ける
梅崎春生は『桜島』で、幾層もの対極を描き分けました。生と死。上官と下官。ひとのよい人間と非情な人間。そしてなによりも桜島に象徴される自然と人生。ラストには触れませんが、私は片耳の娼妓と見張り兵の存在が、本書のサイドストーリーとして際だっていたと思っています。
片耳の娼妓は、肉体的な欠陥や不幸な生い立ちを背負っていました。梅崎春生は妓に、死地へ向かう「私」の不幸を重ねます。見張り兵には、死と隣り合わせの「私」の未来を重ねます。軍隊という特殊な組織を、おおらかな自然と重ねてみせます。
『桜島』は戦後文学の代表作として、私のなかでは生きつづけています。鹿児島へ出張するたびに仰ぎ見ていた桜島は、今も呼吸をとめていません。そして梅崎春生の『桜島』も、私の愛読書のなかでは、明確な呼吸をしつづけているのです。
(山本藤光:2013.08.11初稿、2018.02.24改稿)
処女作「風宴」の、青春の無為と高貴さの並存する風景。出世作「桜島」の、極限状況下の青春の精緻な心象風景。そして秀作「日の果て」。「桜島」「日の果て」と照応する毎日出版文化賞受賞の「幻化」。無気味で純粋な<生>の旋律を作家・梅崎春生の、戦後日本の文学を代表する作品群。(「BOOK」データベースより)
◎片耳のない娼妓
――村上兵曹桜島ニ転勤ニ付至急谷山本部ニ帰投サレ度(タシ)
第2次世界大戦末期、「私」(村上兵曹)は1通の電報を受け取ります。「私」は鹿児島県坊津で、海軍暗号員をしています。沖縄はすでに玉砕し、桜島には敵機が飛来しています。死を覚悟しているはずの「私」は、いちるの生への望みも抱いています。桜島への赴任は、死への旅路でもあります。
鬱屈とした気持ちで、「私」は娼妓を求めます。やってきた妓(おんな)には片耳がありませんでした。「私」は妓にいいます。
――耳がなければ、横向きに寝るとき便利だね(本文P54)
この言葉は妓を侮辱するためのものではない、と「私」は思います。そして自分自身を侮辱したかったのだと気づきます。桜島へ赴任することを知った妓は、次のような言葉を発します。
――ねえ、死ぬのね。どうやって死ぬの。よう。教えてよ。どんな死に方をするの。(本文P56)
ぼんやりとしていた「死」が、急速に身近に感じられます。妓との一夜の翌日、「私」は桜島へと向かいます。
◎つくつく法師と見張り兵
桜島での新たな生活がはじまります。梅崎春生はこんな文章で赴任先を表現しています。洗練された、みごとな筆さばきだと思います。
――鹿児島市は、半ば廃墟となっていた。鉄筋混凝土(コンクリート)の建物だけが、外郭だけその形を止め、あとは瓦礫(がれき)の散乱する巷であった。ところどころこわれた水道の栓が白く水をふき上げていた。電柱がたおれ、電線が低く舗道を這っていた。灰を吹き散らしたような雨が、そこにも落ちていた。廃墟の果てるところに海があった。海の彼方に、薄茶色に煙りながら、桜島岳が荒涼としてそそり立った。あの麓に行くのだと思った。(本文P58)
引用が長くなりました。梅崎春生の文章は端正で、寸分のムダもありません。
米軍はなかなかやってきません。止まったような時間のなかで、「私」はひたすら死を考えます。そんな時間のすきまに、吉良兵曹長という避けられない異物がはいりこんできます。吉良兵曹長は「変質者の瞳」をもっています。「私」はその男に不吉な予感を抱きます。
梅崎春生は吉良兵曹長を通して、軍隊の非情と愚劣さを描きだします。「私」はひとのよい中年の見張り兵や特攻隊員とも出会います。日本の敗戦が色濃くなったとき、敵機の襲来で見張り兵が銃撃されて死にます。見張り兵がもたれていた栗の木で、今年はじめてつくつく法師が鳴きます。
つくつく法師は不幸の象徴として描かれています。そしてそれはひとのよい見張り兵の化身なのです。
◎対極を描き分ける
梅崎春生は『桜島』で、幾層もの対極を描き分けました。生と死。上官と下官。ひとのよい人間と非情な人間。そしてなによりも桜島に象徴される自然と人生。ラストには触れませんが、私は片耳の娼妓と見張り兵の存在が、本書のサイドストーリーとして際だっていたと思っています。
片耳の娼妓は、肉体的な欠陥や不幸な生い立ちを背負っていました。梅崎春生は妓に、死地へ向かう「私」の不幸を重ねます。見張り兵には、死と隣り合わせの「私」の未来を重ねます。軍隊という特殊な組織を、おおらかな自然と重ねてみせます。
『桜島』は戦後文学の代表作として、私のなかでは生きつづけています。鹿児島へ出張するたびに仰ぎ見ていた桜島は、今も呼吸をとめていません。そして梅崎春生の『桜島』も、私の愛読書のなかでは、明確な呼吸をしつづけているのです。
(山本藤光:2013.08.11初稿、2018.02.24改稿)
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