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三島由紀夫『潮騒』(新潮文庫)

2018-02-04 | 書評「み」の国内著者
三島由紀夫『潮騒』(新潮文庫)

文明から孤絶した、海青い南の小島――潮騒と磯の香りと明るい太陽の下に、海神の恩寵あつい若くたくましい漁夫と、美しい乙女が奏でる清純で官能的な恋の牧歌。人間生活と自然の神秘的な美との完全な一致をたもちえていた古代ギリシア的人間像に対する憧れが、著者を新たな冒険へと駆りたて、裸の肉体と肉体がぶつかり合う端整な美しさに輝く名作が生れた。(アマゾン内容紹介より)

◎「椿事を待った」とは

 三島由紀夫が文学に目覚めたのは、1931年学習院初等科に入学してからです。在学中に、小説や詩歌などの創作に励んでいます。つぎに引用するのは、三島由紀夫が15歳のときに「凶ごと」と題した詩作の一部です。
 
――わたしは夕な夕な/窓に立ち椿事を待った。
(「解体新書」リクルートの「三島由紀夫」より引用)

 この詩が脳内に、いすわりつづけました。短い言葉に、三島由紀夫文学の原点が凝縮されていると感じました。私は「椿事」を音読できませんでした。最初は「シュンジ」で広辞苑をあたりまし
た。ありません。考えこんでしまいました。しばらくたってから、「椿山荘(ちんざんそう)」という固有名詞が浮かびました。再度「ちんじ」で『広辞苑』にあたりました。ありました。「珍事」と同じ意味だと書いてあります。敬愛する『新明解国語辞典』(三省堂)でも「椿事とも書く」とすげません。
 
「椿事」の字面に、私は色恋のニュアンスを感じていました。しかし辞書的には、まったくそのような意味は有していません。「窓に立って、珍しいできごとを待つ」では平凡すぎます。三島由紀夫は、「椿事」という熟語に、色恋を重ねているのだといまでも確信しています。

 書棚の三島由紀夫関連の資料をあさってみました。「椿事」に関する文献を探すためです。みつかりました。
 
――「椿事」とは、彼(注:三島由紀夫のこと)のエッセイ『魔・現代的状況の象徴的構図』(「新潮」36年7月)の言葉をかりれば、「死が一つの狂ほしい祝福であり祭典であるような事態」にほかならず、「かっては戦争がそれを可能にしたが、今(戦後)の身のまはりにはこのやうな死の可能性は片鱗だに見当たらぬ」という種類の、苦悩にみちた、しかし光栄である、充足した「死」にほかならなかった。(磯田光一『殉教の美学』冬樹社より引用)

大学時代まじめに授業をうけた、磯田光一先生がそういっているのですから、私の「色恋」は珍説なのでしょう。しかしこれは、磯田光一が「椿事」と三島由紀夫のエッセイを、都合よくくっつけただけかもしれません。三島由紀夫自身が、「椿事」とはなにかと書いてある文献は見つかっていません。

三島由紀夫が育った時代は、だれもが「生きる」「死ぬ」のはざまで揺れていました。そんななかで、三島由紀夫は次第に文才を開花させていきます。『花ざかりの森』(新潮文庫)が刊行された1944(昭和19)年は、まさに第2次世界大戦の戦時下でした。『花ざかりの森』は三島由紀夫16歳(1941年)のときの作品で、「文芸文化」に掲載されました。「海」のイメージを展開していますが、ずいぶん背伸びしているなというのが読後の印象でした。
 
 私にはこの時点まで、三島作品から死の匂いは感じとれません。磯田光一とちがい、よほど鼻が悪いのでしょう。1951年(26歳)三島由紀夫は20代の総決算と語り、『禁色』(新潮文庫)の連載を開始します。この作品は、日本で最初のロマネスクな男色小説として話題を集めました。
 
◎『潮騒』は瑞々しい青春ドラマ

『禁色』が20代の総括なら、『潮騒』は30代へのジャンプ台といえます。『潮騒』は、三島由紀夫が29歳のときの作品です。舞台は、人口1400人の小さな歌島。中学を卒業したばかりの新治は、一人前の漁師になるべく修行中です。漁を終えたある日、新治は見かけぬ美しい女の子・初枝に出会います。新治は初枝に一目惚れしてしまいます。

舞台になった歌島は、三重県伊勢湾入口にある神島であるといわれています。三島由紀夫は、神島を2度訪れています。私も大学時代、『潮騒』をカバンに入れて行ったことがあります。作中の神社も灯台もありましたし、潮騒も自分の耳で確認しました。
 
 三島由紀夫が『潮騒』の舞台を訪れたのは、朝日新聞特別通信員の資格でパリ、ロンドン、ギリシャなどを歴訪したのちのことです。リオのカーニバル(ブラジル)やギリシャでの体験を踏まえて、三島由紀夫はボディービル、剣道、ボクシングなどで肉体を鍛えだします。ギリシャ彫刻のような、強い外面を求めてのことです。その後、三島由紀夫は肉体と精神の均衡を意識しながら、『金閣寺』以降の作品をつぎつぎに発表することになります。
 
いっぽう行動者としての本質も、少しずつ顔をのぞかせます。さらに三島由紀夫は、肉体と精神から政治と文学へと、舵を切りはじめるのです。
 
『潮騒』は、三島作品のどのカタマリにも属しません。早熟な才能で書きつらねた『花ざかりの森』に代表される作品。20代の総括として書かれた『禁色』にいたる作品。『金閣寺』など一連の社会事象をとりあげた作品群。そして『憂国』など三島由紀夫の思想に貫かれた作品。『潮騒』は、荒れ狂う怒涛のなかで、凪を思わせるほど静かなのです。

◎『潮騒』からの4つの扉

『潮騒』のストーリー展開について、私は意図的にはしょっています。先入観または予備知識をもって、この作品を読んでもらいたくないからです。三島由紀夫を読むには、『潮騒』から入るのが無難だと思います。その後の扉は、前記の通り4つ存在します。

・『禁色』から若い三島由紀夫へとさかのぼる扉。
・『金閣寺』を筆頭に、社会事象を取り上げた作品への扉。
・『憂国』に代表される政治と文学に関する作品群への扉。
・そして最後は、三島由紀夫に「あなたの文学は嫌いです」といわれた太宰治や松本清張へステップできる比較の扉です。

 三島由紀夫がとりあげた、時事素材はつぎの作品です。
「親切な機械」(昭和24年):女子大生殺しの犯人・京大生。
「青の時代」(昭和25年):東大法学部学生で、闇金融クラブ社長。
「金閣寺」(昭和31年):金閣寺の放火犯人である大学生。
「宴のあと」(昭和35年):都知事選挙における元代議士。
「絹と明察」(昭和39年):近江絹紙争議の当事者である社長。

三島由紀夫は太宰治作品を、意志がないといって嫌いました。現実の事件をなぞる松本清張の作風も首是できなかったようです。三島由紀夫の『金閣寺』は、彼自身が創り上げたものです。三島由紀夫は事件から遠いところにいて、瞬間的に渦中に飛びこんでみせます。事件記者のような松本清張とは、完全にちがう世界で創作活動をしていたわけです。それゆえ自然をそのまま写しとった『潮騒』に、三島作品のなかでの特異性を感じるのです。

私は『潮騒』『鏡子の家』『金閣寺』というコースで読むことをお薦めします。
(山本藤光:2012.11.21初稿、2018.02.04改稿)


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