約40年も前のことである。
私は幼稚園の先生として、4歳児を受け持っていた。
6月の長雨の続いた後の、気持ちよく晴れあがった朝のことであった。
園児たちは、エプロンをつける時間も惜しいような感じでお庭に飛び出していって、お砂遊びに夢中になっていた。
ところが、一人だけ椅子に坐って外に出ようとしないお子さんがいたのである。私は不思議に思って近づいて行き声を掛けた。
”ねえ、お外へ出て、みんなと一緒にお砂遊びをしましょうよ。”
”僕、行かなーい。” 良く見ると、彼はひざの上に絵本袋を載せて、いかにも大事そうにそれを撫でていたのである。
"夕べ、お母さんが寝ないで、僕のためにこれを作ってくれたんだって”
”あら、よかったわね。可愛い刺繍がついているじゃない。お母さんにありがとうって言えたの?”といいながら、私は胸がいっぱいになって両手で彼を抱きしめたのである。
幼稚園の方から、絵本袋を手作りしていただくようにお母さん方にお願いをしていたのであるが、彼のお母さんはご商売をして居られたので、中々暇ができなかったのだろう。他のお子さんたちが、絵本袋を持ってきて、可愛い刺繍やアップリケを自慢げにみせあったりしていたので、私はとても気になっていた。
"お母さんありがとう。彼はとっても喜んでいますよ。ご苦労様”と、私は心のなかで叫んだのである。
もしかしたら、親子の情ってこんなことから育つのではなかろうか?
私は幼稚園の先生として、4歳児を受け持っていた。
6月の長雨の続いた後の、気持ちよく晴れあがった朝のことであった。
園児たちは、エプロンをつける時間も惜しいような感じでお庭に飛び出していって、お砂遊びに夢中になっていた。
ところが、一人だけ椅子に坐って外に出ようとしないお子さんがいたのである。私は不思議に思って近づいて行き声を掛けた。
”ねえ、お外へ出て、みんなと一緒にお砂遊びをしましょうよ。”
”僕、行かなーい。” 良く見ると、彼はひざの上に絵本袋を載せて、いかにも大事そうにそれを撫でていたのである。
"夕べ、お母さんが寝ないで、僕のためにこれを作ってくれたんだって”
”あら、よかったわね。可愛い刺繍がついているじゃない。お母さんにありがとうって言えたの?”といいながら、私は胸がいっぱいになって両手で彼を抱きしめたのである。
幼稚園の方から、絵本袋を手作りしていただくようにお母さん方にお願いをしていたのであるが、彼のお母さんはご商売をして居られたので、中々暇ができなかったのだろう。他のお子さんたちが、絵本袋を持ってきて、可愛い刺繍やアップリケを自慢げにみせあったりしていたので、私はとても気になっていた。
"お母さんありがとう。彼はとっても喜んでいますよ。ご苦労様”と、私は心のなかで叫んだのである。
もしかしたら、親子の情ってこんなことから育つのではなかろうか?
親の背中を見て育つ。
素敵なお母さんなんでしょうね。きっと
きっと貴方のご家庭もいいご家庭だと思いますよ。お幸せにね。
今お邪魔してきました。どれもおいしそうで、食べたくなりました。やさしい書き方で、お目にかかってみたい気がしますねー。
この間豚ドンを貴女のブログで拝見したと思ってつくったのですが、おいしかったのですが、今日は見えませんでした。勘違いだったですかしら? 毎日毎日良く更新されますね。感心しています。
僕らの世代は、高度成長期、核家族化の始まりの頃でしたね?
みんなが忙しかった。
「鍵っ子」は僕らの世代の象徴(経済成長の犠牲者)でした。
団地のはずれで暗くなっても砂場で一人遊びをしている。
彼は始めから一人だったんじゃない。何人もの友達と遊んでいました。
買い物帰りのお母さんが「○○チャン、ご飯よ」と砂場に迎えに来る。
今、一人遊びをしている彼は、いつまで待ってもお母さんはまだ仕事なので迎えに来ない。
彼を待っているのは、電気のついていない、ただいま!と言っても返事のない暗い部屋なんです。(今のように学童保育などない時代)
偉くない(馬鹿にしている意味でなく)父は、職場も近かったこともあり、いつも5時半には家にいる。
我が家の夕食のテーブルに、しばしば彼はついていました。親父と三人でよく風呂にも入りました。
彼のお母さんはきちっとした格好で申し訳なさそうに着替えを持ってよく迎えに来てました。
いつも家族で食卓をともに出来る事に子供ながらに『幸せなこと』と思ったものでした。
私はそう言う子供さんたちの面倒を見ることを仕事にしたいと考えたこともありましたっけ。
でも、いろいろあってできませんでしたが。
大人も子供も本当に大変な時ですね。昔は親御さんが割合と近くで仕事をしていたのではないでしょうか? 今は乗り物が発達した御蔭で遠くでお仕事をすることになったような気がします。私は息子たちの近くで仕事をしたくて、あの幼稚園を選びました。学校へ残れたはずでしたが。貴方のおかげで皆さんがブログにコメントを書いてくれているように思っています。ありがとう。
「鍵っ子」はいつもお金を沢山持っていました。中には、友達(といえるかは疑問)におごることで繋ぎとめている子もいました。
「今いらない」今の子はそう言います。
モノ溢れ以外のナニモノでもないこの子たちにとって自然な思いだと思います。
僕らのときも、今の子もお金やゲーム、買い与えられたお菓子より、いつかばあちゃんのブログにあったお弁当の話ではありませんが大そうでなくとも手のかかったものが欲しいんです。ぎゅっと抱きしめて欲しいのではないんでしょうか?
何時もコメントありがとうございます。
貴男の仰るとおりですよね。ところで、光男ちゃんが茅ヶ崎へ帰ってきましたよ。
またどこかで会えるといいですね。
ではお元気で