80ばあちゃんの戯言

聞いてほしくて

スーパープレゼンテーション

2013-11-06 22:38:28 | 最近のできごと
NHK テレビ ”スーパープレゼンテーション”よりの抜粋



今朝も、例によって、目が覚めたら、すぐにテレビをつけた。

Eテレで、アメリカのオーケストラ指揮者のBenjamin

Zander さんのスーパープレゼンテーションが始まった

ところだった。

私は思わず、録画に取り掛かった。この番組は毎週月曜日の夜

11時から始まるもので、この番組が大好きな私は必ず

録画しているのだが、なかなかすぐには見られないので、

もし、録画を失敗していたらと思って再録してしまった。

いろんな意味で、すばらしいものだったので、皆様にお伝え

したくなったのですが。。。? 本当に雰囲気が伝わらないで

しょうが、一応、書かせていただきます。



ベンジャミン ザンダーさんは約30年以上前にボストンフィル

ハーモニックオーケストラを結成し、フロの音楽家と学生や市民

社会人と言うアマチュア音楽家で構成されたユニークな楽団で

この楽団が目指すのは、情熱の音楽作り。プロ、アマを問わず、

メンバー全員をひとつに纏め上げるザンダーさんの指導力は

学校とか、企業などの音楽業界以外からも高く評価されている

そうです。

プレゼンテーションのタイトルは

 ”クラシック音楽は人を変える力がある”です。

ザンダーさん

 ”1900年代、二人のセールスマンがアフリカに出張し、

  向こうで靴が売れるかどうか調査して、会社に電報で報告。

 うち一人は

  ”見込みなし。あっちの人は靴を履かない。”

 もう一人は、

  ”絶好の商機! まだ、誰も、靴を持っていない。”だった。

 クラシック音楽も、今、そんな感じで、衰退していると考える人

 もいるし、まだ、まだ、これからと考える人もいる。でも、

 ここではデータ分析はしません。オーケストラやレコード会社の

 衰退の話はしないが、代わりに実験をします。まあ、私は結果を

 知っているんですけれど、とにかく実験ぽいことをします。

 始める前に、皆さんに二つのことを思い出してほしいのです。

 一つは7歳児がピアノを弾くとどんな感じか思い出してください。

 7歳児が家で弾くとこんな風です。 一つの音を出すごとに身体

 を前後に動かしてみせる。でも、もう一年レッスンするとこうです。

 もう一年練習して9歳、もう一年練習して10歳。で、ピアノを

 やめる。もう一年やればこうなるのに、何でこうなるかって言うと

 やる気とか先生とか、思春期とかそういうことじゃなくして、

 リズムを取るのが減るから、はじめは、すべて音符に、アクセント。

 それが、2拍に一回、私の頭に注目(アクセントごとに頭を前後に

 動かして見せる。)9歳児はこうなんです。10歳児は8拍に一回、

 そして11歳児は1フレーズに一回首を振る。

 私何故か、こんな姿勢に。無意識にですよ。音楽に押されたんです。

 これが”片尻演奏”です。 どちら側でもO。K.

 以前、私のピアノ公開レッスンにある会社の社長が見に来てました。

 私は生徒に、尻を半分浮かせて引くように言い、体を押して

 あげたところ、演奏がすごくよくなって観客は驚きました。

 で、後日、件の社長から手紙が来て、”ひどく感動しました。弊社

 でも、これから、片尻でいきます!”(わらい)



 後、皆さんのことですが、ここに1600人いて、このうち、

 クラシック好きの人は、おそらく45人でしょう。ラジオでは

 クラシックしか聴かず、CD持っているし、コンサートにも行くし、

 子供さんも楽器をやっている人。

 

 それより多いのが、”まあ、嫌いではないって人。”

 疲れて帰宅して、ワインか何か飲むとき、BGMがヴィヴァルデイ 

 でも嫌じゃないって言う人。

 
 次が、クラシックは絶対に聴かないって人。彼らは副流煙みたいな

 もので、耳に入っちゃうことはあるけど、自らは聴かない。

 これが一番多い。


 あと、自分は音痴だと思う人がいる。それから、夫が音痴だという

 人もある。 本当は音痴なんていないのです。音痴だったら、MT車

 のギアチェンジとか、訛りの聞き分けとかもできません。後、電話。

 母からの電話は声で母だとわかるし、どんなご機嫌かもわかるでしょ。

 つまり、みんないい耳をしていて、音痴の人なんていない。

 しかしですね。それだけで、私は満足できないんです。皆さんの中

 で、クラシック音楽への温度差が大き過ぎる。 音痴はないけれど

 温度差があり過ぎます。だから、今から私は、ここにいる人全員、

 これを見ている人全員にクラシックの良さを解らせます。

 私絶対できるって言う自信たっぷりの顔をしているでしょ?

 リーダーは皆、信じないといけないんです。

キング牧師はこうい言う。 

”私には夢があります。皆さんにはどうだか?(笑い)

ではショパンの前奏曲を弾きます。

聞き覚えのある人がいる筈。 こんなことを考えるでしょ。

はじめはきれいな音だなんて。そのうち ”来年の夏休みには

どこへ行こうかなって?”

クラシックって聴いていると何故か別のことを考えちゃうでしょ?

で、曲が長くなると居眠りになっちゃう。それで連れに起こされて、

怒られて、嫌な気分になる。でも、演奏が悪いからなのでは?

今の私の演奏、アクセントが強すぎると思いませんでしたか?

これでもう、アクセントがどんなものだかわかりましたね?

では、この曲について、これがド、次がシ。ドがあるとシが悲しい

響きになる。シとドを弾いていれば悲しい曲になる。基本はシ、

悲しみのシ。そこから、ラに下がる、次がファ。

つまり、シ ラ ソ ファときたら、次は? 

あれれ。ではもう一度。

シ ラ ソ ファ 

(聴衆) ”ミー”  ”おお、TED 合唱団!” (わらい)

 音痴なんて人はいないわけ。 バングラデシュの村で暮らす人も、

 中国の田舎の人だって シ ラ ソ ファ ミーって解っている。

 でも、ショパンはなかなか ミー にいかない。それって、

 ハムレットと同じ。父を殺したのは叔父だと知るが、なかなか

 復襲を決行しない。”主人公は優柔不断”なんて、評論家は解釈

 するが、本当はそうしないと、すぐ話が終ってしまう。本筋以外

 のエピソードが詰めこまれているのは、敵討ちを遅らせるためです。

 ショパンでも同じことで、ミ にいけそうになると躊躇う。で、

 もう一度盛り上がる、今のが盛り上がり。次にファ♯。最後にミ。

 でも和音が違う。

 で欲しいのはこの和音、なのにこうする。でも和音が違う。これ偽

 終止。偽終止のときは眉をあげる。そうすれば解りやすい。(笑い)

 ミ だけど違う和音。もう一度。これも違う。もう一度、まだ違う。

 そしてついに。 今。前列の人が、ふうって。

 疲れて帰宅した時と同じような感じです。”只今!”って、安堵

 するような家に帰るようなこの曲を今から通しで演奏します。

 シ ド シ ド シ ラ ソ ファ ミ にいかず シ に戻り、

 盛り上がる。ファ♯ ミ で、違う和音。 違う和音。最後に ミ

 で ”只今”。 これを片尻演奏します。シからミに行くには途中

 の一つ一つの音のことを考えるんじゃなくて、曲を一本の長い線

 として捉えるなくてはいけない。

 最近南アフリカにいきましたが、南アといえば、マンデラの獄中

 生活。彼は27年間獄中で南アのこと、人類のことを考えていた。

 ビジョン それは長い線。飛んでいる鳥は地上にある柵なんか気に

 しない。 で、今から、シ から ミ の線を辿りますが、ここ

 で一つお願い。もう会えない大事な人のことを考えて欲しいんです。

 大好きだった祖母、恋人、誰か心のそこから愛する、ただし、もう

 いない人のことを想いながら、シ から ミ への線を辿れば 

 ショパンの言いたかったことが解る。



 演奏後、聴衆だけでなくザンダーさんも大きな拍手をしておられた。

 
ザンダーさん

 ”私がこんな風に自分で拍手しましたけど、以前にある中学校で

  こんなことがあった。今と同じプレゼンをし、最後は拍手で、

  私も拍手。でも、何故。 ある子が曰く、僕らがちゃんと聴いて

  いたからさ。”

 今日は1600人のさまざまな分野の人たちが、ショパンの曲を聞き、

 理解し、感動したかわかりませんが、これはすごいことです。

 そりゃ全員が感動したかわかりませんが、10年前にアイルランドで

 こんなことがあった。私は若者と紛争解決をしていて、そんな中で


 こういうプレゼンをしていた。すると翌朝、若者が

 ”クラシックをはじめて聴いたが、あのショッピングって奴の曲(笑い)

 俺、兄貴が死んだときに泣かなかった。でも、昨夜の曲の時、

 兄貴のことを想って泣いた。俺、兄貴のために泣けてよかったと。

 私は、そのときクラシック音楽って万人向けだと確信しました。

 しかし音楽界の人間はそう想っていなくてクラシックが好きな人は

 人口の3%。それが4%になれば万々歳だ・・・と。それでいいのか。

 今3%の人が4%になればなあって考えるのと、皆本当に大好き。

 まだ気づいていなだけ?って考えるのと、全然違うでしょ。 わたしは

 45歳のとき、指揮経験20年にして、ある気づきがありました。

 指揮者は何も弾きません。 CDジャケットには載るけど、指揮者に

 必要なのは、奏者にパワーを与える能力なんです。それに気づき人生

 が変わりました。オケの団員たちにも驚かれた。私の仕事は他人の

 可能性を引き出すことで、それができてるかは相手の目で解る。目が

 輝いてれば、それができてるってこと。 

 やおら、近くの人を指し、この人の 目って、”キッラ キラ!”

 目が輝いていればよくって、逆に輝いていない場合はこう自問する。

 奏者の目が輝いていないなら、私って何なの? 子育ても同じこと。

 子供の目が輝いていないなら、私って、何なの?輝きがすべてです。

 ここにいる私たちはこのイベントが終れば日常に戻るわけですが、

 そこでこう自問してみましょう。この世の中で私って何でしょう。

 私の成功の尺度は、金、名声、権力ではなく、周りの人の目の輝き

 です。



 で、最後にもう一つ。言葉が如何に大事か。これはアウシュビッツ

 を生き抜いた人の話です。

 収容されたとき、彼女は15歳。弟は8才。両親は亡くなりました。

 この彼女から聞いた話なんですけれど、収容所行の列車の中で弟が

 靴をなくしたというので、”靴をなくすなんて、なんて馬鹿なの”

 と姉として、弟を叱ったそうです。それが弟への最後の言葉になって

 しまったそうで、彼女はそれが最後の発言になってしまったら、困る

 ような発言を二度としないと誓ったというのです。

 私たちにそれができる? 難しいようですが、目指すべきだと

 思うんです。ご清聴 ありがとう。


 伊藤穣一さん (MIT メディアラボ所長)


  ”皆さん 如何でしたか?

 彼の情熱溢れるプレゼンテーシヨンも、よかったですが、個人的には、

 中味の情報も面白かったですが、彼から伝わってくるエネルギーが

 一番刺激的だったかと思います。われわれが最近コミュニケーション

 と、言うと、情報を伝えることに重みをおいてしまうんですが、

 
 情報だけでなく、彼の持つ情熱を伝えるのも、重要なポイントだと

 思います。周りの人の目を輝かすリーダーや先生が世の中にたくさん

 いたらいいと思います。みなさんもこの番組を通じて得たいろんな

 情熱を周りの人に伝えてください。”





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