80ばあちゃんの戯言

聞いてほしくて

尖閣諸島問題(1)

2012-10-07 11:30:13 | 戦争体験
今、日本の内政は乱れに乱れているといっても過言

ではないというくらいちゃんと政治のことを考えて

いる政治家はなかなか目に入りません。

政治やさんたちの頭にあるのは、どうしたら

政権を守れるか、どうしたら一刻も早く政権を取れる

かだけのような氣さえします。

内政が乱れるときに周囲の国から領土問題が出てくる

そうですが、今、まさに日本は四面楚歌、尖閣諸島、

竹島と北方領土問題など問題山積です。

日中国交回復のために尽くされた人々の中に、

中国には毛沢東さんや周恩来さんのような、多くの

ご立派な政治家がおられ、我が国にも高碕達之助さん、

古井喜実さん、大平正芳さんなどの政治家が命を賭して

世界の恒久の平和のために頑張ってこられた史実がある

のです。

今この時期に小異を捨てて大同につくという考え方を

しっかり持って、これからの世界平和の礎を築いていか

なければいけないと思います。



少し前になりますが、NHKがとてもすばらしい番組を

放映されていました。 長い長いものになるので、

なかなか、書き出せなかったのですが、今、私は、

その番組をご覧になれなかった方々のためにNHKの

方々の思いをお伝えしたいとしっかり覚悟を決めて

書き始めることにいたしました。

老人のこととて、どこまでちゃんと書けるかどうか

わかりませんが、お終いまでお付き合いを願いたいと

思います。 m(__)m



さて、それは NHK テレビ NHK スペシャル 

"日中外交はこうして始まった"というもので、

今の状況をどのように打開したらいいかということ

を念頭に置きながら日中外交が、どのように始まった

かということを振り返りたいというものでした。

日中国交回復は1972年ですが、実は1955年

のアジア・アフリカ会議から始まっています。

そして、その重要なターニング ポイントを迎えた

のは1962年の LT貿易協定でした。

これはまず経済を中心にして両国の関係改善をはか

ろうと言うものだったのですが、結果的に国交正常

化への地ならしをすると言う役割を担ったのです。

このプロセスを見る中で事態を打開する何らかの

ヒントなり、教訓を見出すことができるのか再検証

してみたいと言うことで始まっています。

その中心となられたのは周恩来さんと高碕達之助さん

でした。


その番組からの抜粋です。





1,949年中華人民共和国が成立。

1955年4月18日、インドネシアのバンドンで

行われたアジア・アフリカ会議(欧米の植民地主義に

反対するもの)に29カ国が集まり、その中でもっと

も注目を集めたのが中国代表の周恩来さんでした。

日本の主席代表は実業界から政界入りされた経済審議

庁長官の高碕達之助さん。

当時、鳩山一郎総理の下、高碕さんも自主外交の関係

改善をを目指しておられたのですが、アメリカは日本が

中国との国交を回復したり貿易したりすることに反対

していたのですが、それでも、高碕さんは

"戦後、日本の復興は、アジアの国々との貿易でしか

成し得ない”

という考えで、反対を押し切る覚悟をされていたのでした。

その4日後、周恩来さんと高碕さんの初めての出会いが

ありました。

早朝、華僑の別荘に、周恩来さんを訪て、高碕さんと通訳

の岡田晃さんが出向いて、極秘の会談が始まりました。

立ち会ったのは僅か5人。

周さん

 "もうお互いに戦争中のことは忘れましょう。我々は長期

 的な立場に立って、日中両国の友好関係についてよく考え

 るべきだと思います。”

高碕さん

 ”現在、日本は米国によって指導されているので、日本

 政府は、必ずしも、貴国の希望されるようにはいかない

 かもしれない。そこでちょっとでも改善するために、まず

 貿易を行いたいと思っている。”

二人は再会を約して別れた。



ところが通訳の岡田晃さんによると

"帰ってきたら外務省が僕に、今日の話はどうだった

と聞くから、これこれこうで、明日また話す予定があると

言ったら、怒って

”そんなわけにはいかない。断って来い”というので、

断りに行った。

代表団の一員、外務省顧問の谷正之さんは、その動向

を察知して、4月20日、米国国務省宛に事前に電報

を打っていた。

 "周恩来と高碕の会談について、貿易問題や政治関係

 の変更に関しては話し合うことはない”と確約して

 いたのである。

(つづく)