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日本は何故戦争に向かったか(35)

2011-11-03 17:17:54 | 戦争体験
 NHK テレビ”日本は何故戦争に向かったか”よりの抜粋

 1941年10月18日 東条内閣誕生

強硬な陸軍を取りまとめてきた東條の首相就任はいよいよ開戦内閣

誕生かと国民や諸外国に受け止められました。

しかし実態は違っていました。

 内大臣木戸幸一の証言

 ”東條の推薦は僕の発案だよ。 他に人がいなかったんだ。 

  政治家は何処へ行っちゃったか分からなくなっちゃって、だから

  陛下のご命令を良くできる男と言えば、まあ、器がそんなに大き

  な人でもなし、政治家じゃ無論ないんだけれども、東條意外には

  持っていきようがない。”

 
 内大臣の木戸から東條に天皇の御意志が伝えられました。

 ”9月の国策にこだわらず、白紙に戻して検討して欲しい。”

 それは開戦を既定路線とせず、あらゆる可能性をさぐる事を命ずる

 異例の意思表示でした。

 1941年10月23日 開戦まで後46日

 東條は(第59回)連絡会議を招集します。

 それは、自分たちで戦争回避を決断する最後のチャンスでした。

 軍や企画院から出される数字を元に10日間にわたる国策の再検討

 が始まりました。しかし、いまさら再検討と言ってもすでに議論し

 てきた事でした。

 1. 欧州戦局の見通し

 2. 初期作戦の見通し

 3.ソ連の動向

 4. 船舶徴用と損耗の見込み

 5. 主要物資の需給見込み

 6. 金融持久力の判断

 7. 独伊の協力の見通し

 8. 英米可分か否か

 9. 人造石油の可能性等

 10. 中国への影響

 戦争は勝つ見込みがない。戦争を避けて譲歩すれば、組織も国家も

 打撃を受ける。状況は変わらないどころか悪化していました。

 軍では開戦となった場合の準備をスタートさせていました。

 400万トンに近い民間の船舶を徴用し海軍の年間予算を超える額

 をかけて軍艦の装備を戦時用に改装する工事を進めていました。

 膨大な人と金が動く度に、後戻りが難しくなっていきまし

 た。

(つづく)



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