NHK Eテレ"スーパープレゼンテーション"よりの抜粋
BLACKさん
"14歳の頃、僕は自分に自信がありませんでした。何の才能も
ないと思っていたんです。 ある時ヨーヨーを買いました。
初めて試したときはこんな感じでした。何一つできません
でした。 しかし、それも当然、僕は不器用で運動も苦手
だったからです。 しかし一週間すると、こうなりました。
少しましです。 これは自分に向いていると生まれて初めて
思いました。情熱の矛先を見つけました。その後は練習一筋、
毎日何時間も何時間も練習して、業を磨いていきました。
それから、4年後、私は18歳になり、ヨーヨーの世界大会で
優勝しました。
”やったぞ、スポンサーがたくさんつき、お金が入って、
テレビにも出られる!” と、思いました。
でも日本に帰って見ると、僕の人生は何一つ変わらぬまま、
社会的に認められなかったのです。 それで、大学に戻り
就職して、会社員になりました。システムエンジニアとして、
情熱も心も魂も体から抜けてしまったようでした。
死んだも同然でした。 自分が何をすべきかを考えました。
ヨーヨーの腕を磨きたいと思いました。どれだけすごいこと
ができるか伝え、 ヨーヨーのイメージを変えたいと思い、
それで、会社を辞め、プロのパーフォーマーになりました。
バレエやジャスダンス、アクロバットを習い始めました。
この努力と、多くの人の助けを得て、お蔭で、芸術部門で
再び優勝。
シルク ド ソレイユに合格。 そして、今、TEDの
ステージにヨーヨーを片手に,皆さんの前に立っています。
僕が、ヨーヨーから、学んだのは、情熱を持って努力すれ
ば、不可能などないと言うことです。僕のパフォーマンス
を見ていただけますか?”
彼は、真っ黒な日本の着物のような上着に同じく黒い袴を
つけた、そういうイメージの衣装で、白い襷がけで、お腹
には、真っ赤な細い帯を硬く結んでいました。
彼のヨーヨーは特注だそうで、多くの人が、遠くからでも
見えるように少し大きめにしてあるとのことでしたが、
片側は真っ赤なきらきら光る面で、もう一方は複雑に色が
変わるようにできていたようです。
舞台装置もライティングも、音楽もすべて、古風な日本の
イメージで、とってもすばらしいものでしたが、私には十分
表現できませんので、お許しください。
さて、彼にパフォーマンスは最初は小さなテーブルに飾って
あったお花の花瓶の下の真っ白いテーブルクロスを、音楽に
乗りながら、ヨーヨーで、さっと引き抜くことから始まり
ました。
次いで、白地に黒で何か波模様のようなものが描いてある
お扇子をかざし、その奥で、ヨーヨーの表裏を返すことで、
日の丸を表現するように 真っ赤な面にかえてみたり、
しておられたようでした。
ヨーヨーをものすごい速さで、くるくると回し、そのヨーヨー
を動かす角度もあらゆる方向に動かして見せ、その度に
ヨーヨーが、怪しく美しく光るのです。ヨーヨーの紐で、
星型をつくったり、高く飛ばして見せたり、その後は二つの
ヨーヨーを使って、ものすごい速さで回すので、たくさんの
ヨーヨーが彼を取り巻いているような感じの輪ができていま
した。
そんなものすごい速さで同時に二つのヨーヨーを回しながら
紐が絡み合うこともなく、まったくすばらしい芸術性の高い
もので、スケートのイナバウワーのように背中を90度以上
ぐっとそらしながら、くるくると、ヨーヨーを動かして喝采を
浴びておられました。
最後には、人々が次々と立ち上がり、スタンディングオベーション
となったのです。
(続く)
BLACKさん
"14歳の頃、僕は自分に自信がありませんでした。何の才能も
ないと思っていたんです。 ある時ヨーヨーを買いました。
初めて試したときはこんな感じでした。何一つできません
でした。 しかし、それも当然、僕は不器用で運動も苦手
だったからです。 しかし一週間すると、こうなりました。
少しましです。 これは自分に向いていると生まれて初めて
思いました。情熱の矛先を見つけました。その後は練習一筋、
毎日何時間も何時間も練習して、業を磨いていきました。
それから、4年後、私は18歳になり、ヨーヨーの世界大会で
優勝しました。
”やったぞ、スポンサーがたくさんつき、お金が入って、
テレビにも出られる!” と、思いました。
でも日本に帰って見ると、僕の人生は何一つ変わらぬまま、
社会的に認められなかったのです。 それで、大学に戻り
就職して、会社員になりました。システムエンジニアとして、
情熱も心も魂も体から抜けてしまったようでした。
死んだも同然でした。 自分が何をすべきかを考えました。
ヨーヨーの腕を磨きたいと思いました。どれだけすごいこと
ができるか伝え、 ヨーヨーのイメージを変えたいと思い、
それで、会社を辞め、プロのパーフォーマーになりました。
バレエやジャスダンス、アクロバットを習い始めました。
この努力と、多くの人の助けを得て、お蔭で、芸術部門で
再び優勝。
シルク ド ソレイユに合格。 そして、今、TEDの
ステージにヨーヨーを片手に,皆さんの前に立っています。
僕が、ヨーヨーから、学んだのは、情熱を持って努力すれ
ば、不可能などないと言うことです。僕のパフォーマンス
を見ていただけますか?”
彼は、真っ黒な日本の着物のような上着に同じく黒い袴を
つけた、そういうイメージの衣装で、白い襷がけで、お腹
には、真っ赤な細い帯を硬く結んでいました。
彼のヨーヨーは特注だそうで、多くの人が、遠くからでも
見えるように少し大きめにしてあるとのことでしたが、
片側は真っ赤なきらきら光る面で、もう一方は複雑に色が
変わるようにできていたようです。
舞台装置もライティングも、音楽もすべて、古風な日本の
イメージで、とってもすばらしいものでしたが、私には十分
表現できませんので、お許しください。
さて、彼にパフォーマンスは最初は小さなテーブルに飾って
あったお花の花瓶の下の真っ白いテーブルクロスを、音楽に
乗りながら、ヨーヨーで、さっと引き抜くことから始まり
ました。
次いで、白地に黒で何か波模様のようなものが描いてある
お扇子をかざし、その奥で、ヨーヨーの表裏を返すことで、
日の丸を表現するように 真っ赤な面にかえてみたり、
しておられたようでした。
ヨーヨーをものすごい速さで、くるくると回し、そのヨーヨー
を動かす角度もあらゆる方向に動かして見せ、その度に
ヨーヨーが、怪しく美しく光るのです。ヨーヨーの紐で、
星型をつくったり、高く飛ばして見せたり、その後は二つの
ヨーヨーを使って、ものすごい速さで回すので、たくさんの
ヨーヨーが彼を取り巻いているような感じの輪ができていま
した。
そんなものすごい速さで同時に二つのヨーヨーを回しながら
紐が絡み合うこともなく、まったくすばらしい芸術性の高い
もので、スケートのイナバウワーのように背中を90度以上
ぐっとそらしながら、くるくると、ヨーヨーを動かして喝采を
浴びておられました。
最後には、人々が次々と立ち上がり、スタンディングオベーション
となったのです。
(続く)