風竿の「人生の達人」烈伝

愛すべき友、仕事・趣味の磯釣り・ゴルフ・音楽、少しの読書などにまつわるあくまで「ヒト」に重点をおいたブログです

さくらさくらさくさくらちるさくら

2012年03月17日 23時48分52秒 | 風竿日記

我が家のささやかなEmpty gardenの暖地さくらんぼうの花が、今年も咲きました。

例年よりちょっとばかし遅いような気もしましたが、ちゃんと咲いてくれました。

丁度ゴールデンウイークの頃に、甘酸っぱいさくらんぼうが、たわわに実ります。

まあ、嬉しいチェリー・ブロッサムということで、我が家の春の訪れは、この花便りからというのが定番になっています。

と同時に、けして大袈裟ではなく、

今年もちゃんと花の便りに接することができたと、感謝の気持ちも多少は感じるようになりました。

仏様に近くなると感謝の気持ちが自然におきるといいますが、平たく云えば歳だということでしょうか。

漂泊の俳人「種田山頭火」の句に

さくらさくらさくさくらちるさくら

というのがございます。故郷の山口県防府の防府天満宮に、この句碑が建てられていて、山頭火研究の旅に出た折に、じっくりと味わったものでした。

言葉遊びみたいな句でもありますが、私には音楽の旋律が流れているように聞こえます。

言葉に流れと力があるのですね。

そして毎年さくらの季節になると、この句が自然と口をついて出てまいります。

もう昭和初期に亡くなっている山頭火ですが、行乞(ぎょうこつ)の旅の途中で武雄にも宿泊して立ち寄っていますし、鹿島にも

嬉野には一時期ここに住もうと決めていたようです。

昭和の松尾芭蕉といわれた自由律の天才俳人が、この辺りで詠んだ句があればと随分研究したのでしたが、残念ながら見つかりませんでした。

私が好きな句は・・・・・

分け入っても分け入っても蒼い山

松はみな枝垂れて南無観世音

まっすぐな道でさみしい

雨ふるふるさとははだしで歩く

ひとにはなりきれない空を見上げる

けふのみちのたんぽぽ咲いた

こころすなほにご飯が吹いた

 

彼は定住せずに乞食坊主のようなイデタチで托鉢をしながら、行く先々でたくさんの俳句を詠んでいる。

幼くして母を亡くした心の重荷を背負いつつ、あてどもない旅に出たのである。

捨てきれぬ荷物のおもさまえうしろ

 

明日は母の祥月命日

白いフリージャを買った。