風竿の「人生の達人」烈伝

愛すべき友、仕事・趣味の磯釣り・ゴルフ・音楽、少しの読書などにまつわるあくまで「ヒト」に重点をおいたブログです

2010年05月29日 13時24分24秒 | 風竿日記

僕は今の福岡市で生まれた。

恐ろしいことに、もう半世紀以上も前の話である。

母の故郷がそうだからではなく、鉱山技師をしていた父親の仕事の関係から、四歳まで福岡市に住んでいたのである。

やがて父は、地元教育界で名を知られた、厳格だがとても優しい自分の姉婿の勧めもあり、郷里の鹿島に帰り、田舎中学の教員に転職した。

  

 引っ越してしばらくして鹿島幼稚園に入ったとき、

当時何でも自分で作ってしまう、清潔好きで都会的な洋服センスの母親の魔法の手にかかれば、

この僕ですら、子供モデル並みの服装となり、ランニングシャツ一枚の、周りのよい子達の格好とは少しばかり違っていて、

それが逆に何とも嫌だった記憶がある。

「靴一足」にしても・・・まるで違っていて、

それは母が福岡市内、お気に入りの天神は新天町で買い求めた子供用のトラディショナルなエナメル製の靴であったから・・・、

テレビも無かった時代の、裸足で登園する子供もいた当時の、ごく平均的な田舎では、考えられないことなのであった。

     

しかし幼い私は、皆が履いている親指のところが破れている、布製のズック靴がなんとも羨ましく見えたものだった。

 多分よい子のみんなから、相当にからかわれていたんであろうか、恥ずかしくて、とても嫌だったそのエナメル製の黒い靴は、

逆に小学一年生の三学期に、母と永遠の別れをすることとなってからというものは、

私と母とを繋ぐ、大切な思い出の一品として、

履けなくなった後にも、

下駄箱の隅で、母の代わりに時折僕に語りかけてくれたのである。

それは・・・こんなデザインの靴で、ちょっとおすましタイプの靴であった。

履けないサイズだと判っていても、時折足を差し入れたものである。当時の僕に母を体感できる唯一のものだったから・・・。


大阪

2010年05月29日 09時04分01秒 | 風竿日記

昨日から大阪出張していました。

業界のトップセミナーに参加していたのでした。

大阪城が真向いにあるビルで、著名な建築家「安藤忠雄さん」のとても面白い、ご講演を拝聴することが出来ました。

それらのことは、帰ってからアップします。

今帰りの新幹線の中です。