昔、その昔僕がフォーク少年だったころ、RCセクセションというバンドがありまして、決して上手くはないんだが、何かを持っているバンドでありました。仲井戸麗市(通称チャボ)と二人で、フォークデュオのスタイルでしたね。「僕の好きな先生」という歌がちょっと注目されたりした。
それから数年後は、いつのまにかミック・ジャガーばりのロック歌手となっていて、ギンギンの派手なコスチュームとグラムロックばりのメイクで、正直あんまし好みではなかったのが、忌野清志郎その人でした。いつも一つ所に留まらない人でもありましたね。
彼のヒットナンバー「雨上がりの夜空に」を聞いてみますか・・・好きな女性を車に例えたアメリカスタイルの歌詞が新鮮
<!-- 雨上がりの夜空に -->
工事用ヘルメットスタイルで大麻が大好きと歌う物騒な放送禁止ソングを仕掛けるタイマーズというバンドで突然ライブ会場に現れ、ステージを乗っ取ってハプニングライブをやるという、当時極めてセンセーショナルなパフォーマンスもあまり好きではなかった。
でもモンキーズの「デイドリームビリーバー」やジョン・レノンの「イマジン」を日本語の歌詞で歌うスタイルや、少しエキセントリックではあるが、味のある唄い方には魂を揺さぶられる何かがあったのも事実。
「スローバラード」という名曲がある。彼の音楽のバックボーンとなっているのがメンフィス系のリズム&ブルースであることに気付いたのがこの曲であるが、この頃から・・・中々やるじゃないのって思い始めた。オーティスレディングとかウイルソンピケットとかジェイムスブラウンとか、当時の僕達がショックを受けたまさにアメリカの音楽だったのだ。
<!-- スローバラード -->
最近は喉頭癌に侵されていて昨年だったか、復活ライブをしたときには死と対峙してきた精神の昇華が、自然な形に随所に散りばめられていて、すっかり僕の中での忌野清志郎トラウマは消えうせたというより、同世代のおじさんとしてエールすらおくっていたんである。
今夏8月2日のミュージック・イン・タケオの野外ライブでは大胆にも彼への追悼の想いを込めて「スローバラード」をやってみようと思ったりしているんであります。
思うに、彼は、おそらく実は極めてシャイな人ではなかったんだろうか
派手なメイクも衣装も、そうしなければ人前に立てなかったのかも知れないと思うようになった。
アコースティックギターで弾き語りをする時が一番彼の「素」が出ているときだと思った。そんな時、この人は回りによく気遣いをする、実は優しい人だろうと確信したんである。
矢野顕子とジョイントした「世間しらず」を聴けば僕のニュアンスが少しはお判りいただけるかも知れない。
そしてどうか一緒に彼のご冥福を祈ろうではないか・・・・。若すぎる彼の天命を悼みつつ・・・・。
僕と同じ年の彼の、音楽の達人のご冥福を・・・・・。合掌