奈良

不比等

古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その930)

2019-03-12 08:15:00 | 奈良・不比等
北円堂を知らずして奈良の歴史は語れない
「三島由紀夫と天皇(菅孝行著・平凡社新書2018刊)」を読んだ。菅孝行(かんたかゆき1939生れ)氏は、東大(文学部)卒で、東映に入社した。1967年に退社し、以後CM演出や予備校講師などをしつつ、評論活動に勤(いそ)しんでいる。-----
「三島由紀夫と天皇」は、多くの三島由紀夫論の一つとして書かれたのだろうが、同じ東大卒の後輩として三島由紀夫の人生を論じることは、ライフワークとして温めて来られたのではないかと思った。「三島由紀夫と天皇」を読んでも三島由紀夫のことが理解できるかと云うと、歯切れは宜しくなくて割り切れない余りの事項が余計にはみ出しているかのような状態である。然しながら、菅孝行氏は80歳になるまでに“三島由紀夫論”を書き上げないと、もう歳老いて書けないと腹を括(くゝ)って上梓されたかのようである。------
三島由紀夫論の書き方としては、遺作の“豊饒の海”を中心に据える人が多いのであるが、菅孝行氏は“天皇”との絡みに焦点を当てられた。戦後昭和天皇が退位せずにいたことや、象徴天皇制をアメリカが許したことによって、日本は戦後、日本精神が捩(ね)じれた状態となってしまい、アジア諸国や世界から見ると、戦前の日本帝国の形骸を引きずっているように見えるというのである。このことを日本国民は知らないと言うか見えていないのであり、捩じれたままの政体と云うか国体を保ち続けてきたのであると。しっかりとそのことを考えてみる余裕もないために、アメリカの属国状態を不思議とも思わずにいるのであるという。三島由紀夫は早くにそれを知って、ある種絶望し、諌死(かんし)の道を辿ったのであると。
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