奈良

不比等

古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その923)

2019-03-05 08:15:00 | 奈良・不比等
北円堂を知らずして奈良の歴史は語れない
「福沢諭吉/しなやかな日本精神(小浜逸郎著・PHP新書2018刊)」を読んだ。小浜逸郎(こはまいつお1947生まれ)氏は、横浜国大(工学部)卒で、家族論、教育論、思想、哲学など幅広く批評活動をしている。-----
「福沢諭吉/しなやかな日本精神」は、米ソ冷戦の後、グローバル化に翻弄されている日本には、幕末明治に活躍した福沢諭吉の知恵が、今でも役立つとその具体的な福沢諭吉の思想を細かく紹介している本である。-----
冒頭に、“学問のすすめ”で誰でもお勉強すれば賢くなれると書いているように思うがそうではないと述べている。“人の賢愚はだいたいにおいて生まれつき決まっている。この当然の事実を世の教育者たちは知っているくせに目をつぶって認めようとしない。”とあからさまに人間のおつむの天賦の才を圧殺するのは国の未来を考える時、方便としても好ましくないと苦言している。-----
小浜逸郎氏は、理系の発想があるのか、話題が豊富であるが、彼方此方に内容が飛び交って、折角の話が混線しているように思える。それでも、福沢諭吉の出色の出来が万円札になって35年続いているのは、時代を超えて通用する良い処が多々あるからだろうと推測するのだ。幕末の英傑との対比も面白い。吉田松陰は美学と視野狭窄の愚人と断じている。横井小楠はその思想的DNAが福沢諭吉に通じているそうである。勝海舟は学者ではなかったので、福沢諭吉とは交差する処が無い。西郷隆盛は武人であり、福沢諭吉は文人であると簡潔に書いている。----
福沢諭吉の天皇観は、現在の“象徴”そのものと考えられるそうである。明治の当初の政府は、昭和の時代のように天皇制で国民を縛るつもりは無くて、政治は国権と民権のバランスをどうすべきかで動揺していたと言う。だから天皇は国論うんぬんの拉致外の存在であったのだという。
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